魔力がない不憫な少年を溺愛する隣国の王子

  ガツンガツン

  暗くジメジメとした地下牢。ポチャンポチャンと水の滴る音とともに壁に何か硬いものがぶつかる音がする。それと同時にピシャピシャと赤い液体が飛び散る。

  「チッ!ムカつくな〜」

  声の主はこの国の第一王子であるジン。

  「兄さん、僕にもやらせてよ。」

  兄を見上げて甘えた顔をするのは、ジンの弟で第三王子であるユーリ。

  「まぁ、待てよ。俺もストレスが溜まってるんだ。」

  ジンはそう言って、手に掴んだ頭を持ち上げて壁に打ち付けた。ガツンと音がする。するとジンの手の甲に頭から吹き出した血が飛び散った。ジンは目を細めて嫌そうに手を離す。

  「汚っ!最悪だ…!」

  「うわー…兄さんに何汚いもんかけてんだ…よ!」

  ユーリは足を振り上げて、地面に転がったものを蹴り上げた。

  「うっ!」

  うめき声を上げてうずくまる。その声の主の髪の毛が絡まったジンの手を見て、ユーリは「うげー…」と声を漏らす。

  「本当に汚い髪の毛の色…。俺達と兄弟とか…信じたくないな。」

  「父親が同じってだけだ。母親はしょうもない貴族の生まれのメイド。」

  「でも、その母親でさえ魔力があるってのに。こいつは魔力もない。」

  ユーリはジンの言葉に、目の前に転がっている兄を見た。魔力の高いこの国の王族の印である白髪。それとは真逆の黒髪を持った第二王子は魔力がなかった。

  名前は東にある国で日光のあたっている所を意味する、ヒナタという。しかし、ヒナタは暗い地下牢に閉じ込められ、毎日暴力を受けていた。

  「こいつ…しぶといね、兄さん。」

  「そうだな。兵士や騎士、執事にメイド…みんなのストレス発散に使われているのにな。」

  ジンはもう一度頭を掴んで持ち上げる。ヒナタの顔は真っ赤に腫れあがり、頭からの出血で目が開けられなかった。

  ジンの言葉の通り、毎日ヒナタのいる地下牢には使用人や兵士などがやって来て、全員が暴力を振るっている。水の入った桶に顔を入れられたり、タバコを押し付けられたり、剣や針を足に刺されたり、蹴られて殴られたり…。暴力の方法はそれぞれで、ヒナタも何をされたのか覚えていられないほどだ。

  「はぁ…疲れたし、今日はここまででいいか。」

  「そうだね〜。」

  ジンとユーリは満足げに地下牢を出ていく。ヒナタが動けなくなるまで行われる暴力のあとで、治療が施されることはない。死んでしまっても構わないと思われているのだ。

  地下牢の外には母親が立っていた。彼女はヒナタに冷たい視線を向ける。本当ならば、王妃に嫉妬され殺されるはずだろう。しかし、貴族の生まれだから金を積めばいいとされたようだ。彼女は舌打ちをする。

  「なんのために色目使ってガキを産んだと思ってんだよ。王妃になれないなら意味がねぇよ。役に立たねぇガキだなぁ。」

  血に汚れた手を拭く王子たちの横で、ヒナタにしか聞こえない小さな声で呟く母親の姿。ヒナタはうっすらと開けた目でその姿を見て、涙があふれる。涙のおかげで、少しずつ血が流れ落ちた。

  王子たちが帰っていくと、母はメイドとしての仕事をする。

  それはヒナタに「餌」と呼ばれる食事を渡すこと。渡すと言っても、地下牢にパンを投げ入れるだけ。水は貰えないし、パンは緑色にカビが生えて腐っている。ヒナタはそれを拾って口に運んだ。嫌な酸味と香りが立つ。けれどヒナタには数少ない食事の機会だ。たまにメイドたちはヒナタに食事を運ぶのを忘れたり、サボったりする。

  「気色悪っ…」

  母はそう言って、ヒナタの食事の姿を気味悪がった。ヒナタはその言葉に思わず手を止める。切ったことのない長い髪の毛の隙間から母を見つめると、キレイにメイド服を身にまとった母がいる。魔力がある証拠に、灰色の長い髪をしていた。

  『僕は真っ黒なのに…。』

  「こっち見てんじゃねぇよ!」

  母は息子であるヒナタに石を投げた。生まれてから運動すらしたことのなかったヒナタに避けられるはずもなく、石は顔に当たった。毎日、王子たちと兵士たちに暴力を振るわれ、時には足に剣が刺される。おまけに治療したことがないため、ヒナタの足は麻痺したように動きが悪い。避けようとした反動で転んでしまった。

  そんなヒナタをゴミを見るように、母親は足早に地下を出ていった。

  ヒナタの朝は早い。太陽がその存在をアピールするように、空がオレンジ色になりかけの頃に目を覚ます。もちろん布すらなく地面に寝ているため、冬は寒くて寝ることすらない。起きたら正座をして、兵士が来るのを待つ。

  「おい、出ろ。」

  兵士が来たら地下牢のカギが開いてそう言われるので、それに従って地下牢を出る。そして地下の掃除をするのだ。さらに城の中にいる家畜の世話はすべてヒナタがしている。その世話の間に隙を見て水を飲んだりしている。バレたら鞭打ちの刑だ。

  しかし、家畜の飼育小屋の付近にある井戸は、すべて汚い水である。たまに腹が痛くなるし、下痢になることもある。

  「君!そこの君!」

  遠くから声が聞こえる。いつもなら、自分が呼ばれるなんて想像もしない。だが、家畜の飼育をする人間はヒナタしかいない。ヒナタは驚いて振り向いた。

  「突然すまん!馬小屋はどこかわかるか?馬を休ませたいんだ!」

  遠くから大声で話し、馬に跨がって近づいてくる青年がいた。その青年の服装は、どこかの国の王族くらいしか着れないだろうと思うような、豪華なものだった。

  ヒナタは咄嗟に顔を地面に向けた。汚れたペラペラな布のような服、裸足と細くガリガリな傷だらけの腕、魔力の無い者である印の黒いボサボサの髪と瞳。こんな姿の者が会話なんてしてはいけない。

  井戸のそばで、思うようにいかない足を引きずって、無視をした。先程まで水が飲みたくて桶を手にしていたが、こんな姿で井戸の水を飲むヒナタを見たら、気味悪がられるだろうか。

  「君は…奴隷か?この国には奴隷はいないと聞いていたが…。」

  青年は首を傾げながら近づいてくる。ヒナタはその言葉にゾッとした。この国では表向きには奴隷を禁止している。おそらく、本当に奴隷は存在しない。ヒナタという、事実上奴隷のような扱いを受けている者以外は。ヒナタは必死に無視をした。すると、青年はハッと気がついたように、

  「もしかして、耳が聞こえないのか?」

  と言いながら、ついにはヒナタの背後に来た。ヒナタは驚いて振り向いてしまう。それは、聞こえると言っているようなものだった。ヒナタは驚いた顔の青年を見て、しまった…と思う。硬直したヒナタに、青年は思わぬことを言った。

  「君!怪我してるじゃないか!」

  がっしりとヒナタの肩を掴んで言う彼の表情は心配そうに歪んでいた。

  「目は…見えているな?」

  青年はヒナタの長い前髪をかき分けて言った。驚いたヒナタは青年を見上げる。青年は美しい漆黒の瞳に驚き、さらに心配になった。

  「額に大きな傷が…!腕も…足も!痣だらけじゃないか!それに…大きな切り傷も…!」

  「あ…」

  「どうしてこんなに…!?膿が出ているし…いったい何時間、放置しているんだ!」

  ヒナタの怪我を見た彼の言葉に、ヒナタは答えられなかった。会話をしているのが誰かに見られたら、ヒナタは処刑されてしまうかもしれない。それに、ヒナタにはいったい何時間、傷を放置していたかなんてわからない。何年何日何時間か、もうわからないほどに毎日毎日、虐待を受けてきた。自分が王子であることなんて、嘘なのではないかと思うほどに。

  「手当をしないと…!」

  手を掴んだ青年に、ヒナタは驚きと恐怖を感じた。触ったら彼が汚れてしまう。手当をされているところを、この国の王族や兵士に見られたら…。

  「ううー!」

  ヒナタは必死に抵抗した。優しいこの人を汚してはいけないと思った。ヒナタだけでなく、この人にも王族の人間が何をするかわからない。守らなくてはいけない。

  青年はヒナタの必死な抵抗に勘違いをする。

  「も、もしかして…言葉がわからないのか?」

  ヒナタは首を横に振って答える。しかし、抵抗することはやめない。

  「ならば落ち着いてくれ!触られたくないんだな?悪かったから!」

  青年はそう言いながら、逃げそうになるヒナタを捕らえて抱きしめた。ヒナタは初めて人に抱きしめられた。その暖かさに、冷えていた体が熱を持つ。その熱に落ち着きを取り戻した。

  「よかった!落ち着いたな…。」

  ホッとした彼の声を聞いて、ヒナタは顔を上げた。彼の表情は優しくて、柔らかい笑顔がそこに広がっていた。金髪に青い瞳をした彼。なんて綺麗なんだろうと思った。

  「君は魔力がないね…。俺と手を繋ぐだけでもきっと、俺の魔力で痛みなどは引いていくと思う。手当が嫌なら…それだけでも…。」

  先程までは躊躇せずに触れてきたのに、今は恐る恐る触れる彼に、ヒナタはポカンとしてしまった。たしかに彼の言うように、繋いでいる手はポカポカと暖かく、痛みがなくなっていく。痛みがないなんて久しぶりで、ヒナタは嬉しくなった。

  ヒナタは恩返しをしなければと思い、馬小屋のある方向を指差した。

  「え…どうした?」

  「ん…」

  不思議そうな顔をする青年の手を引いて歩き始めた。青年は馬小屋があるのだと気がついてから、大人しくヒナタの後ろを歩いた。

  青年はヒナタの後ろ姿を見つめながら、

  「綺麗だ…」

  とつぶやいた。

  「ありがとう。ここか…。」

  馬小屋について、青年は乗ってきた馬を繋いでいる。ヒナタはその様子を見ながら桶に綺麗な水を溜める。

  「君、名前はなんて言うんだい?」

  青年は馬を繋ぎ終わったので質問をする。ヒナタは答えなかった。悲しげな顔をする青年の横を通り、青年の馬の前に水の入った桶を置く。馬は嬉しそうに、水を飲まずにヒナタに擦り寄る。

  「すごいな…俺以外にはいつも唾を吐くのに。」

  青年はそう言いながら、ヒナタの長い髪の隙間から見える嬉しそうに笑っている表情に見惚れていた。

  青年はヒナタのことがどうしても気になった。

  「俺は…この国の東隣にあるウェーストリア王国の第一王子、ウィリス・ウェーストリア。どうか、君の名前を教えてほしい。」

  ヒナタは名前を聞かれることが初めてで、驚きのあまり一瞬は耳を疑った。

  「恩返しを…したい。」

  ウィリスという王子の言葉に、さらに驚いた。その驚きはだんだんと恐怖に変わる。ここで返事をしたら、仲良くでもなってしまったら…。

  殴られる!

  ヒナタは必死に首を横に振った。

  「やはり、奴隷…なのかい?名前はないのか?それとも…答えれないだけ?大丈夫、君の主人には悪く言わないよ。むしろ、優しくしてもらったから恩返しをしたい。」

  そうか、恩返し…

  ヒナタは心の中で気がついた。貴族の人なのだから、奴隷などに借りを作りたくないのだと。しかし、それは間違いだった。

  『俺が出会った人の中で一番綺麗だ…。魔力がない奴隷なのだろうけど…こんなに優しくして美しい人…初めてだ。』

  ウィリスはヒナタと仲良くなりたいという、単純な思いを抱いていた。