全て背負わせて

  「大丈夫だから…もう帰りなさい。」

  昔、事故現場に居合わせたことがあった。

  警察や救急が慌ただしく現場を行き来するその空気は、尋常ではなくて。

  その雰囲気に動けなくなった俺を知らずか、警官が俺の肩を押し、帰宅を促した。

  何がどう大丈夫というのだろうか、あんなに血が出ているのに。

  あの人はピクリとも動かないというのに。

  一体なにが、大丈夫なんだろうか。

  「…かず、たかかず。」

  揺すり起こされて目を開けばそこは、見慣れた寝室だった。

  全身に嫌な汗をかき、魘されていたらしい俺を、千秋さんは酷く心配して、珍しく狼狽したという。

  「揺すっても簡単には起きなかったから。

  うわ言のように大丈夫じゃないって

  何があったの、話して、貴和」

  不安からか早口になる千秋さんに、俺はそっとその血の気の引いたような頬に触れる。

  落ち着かせるように撫でれば、千秋さんはふ、と息を吐いた。

  「ごめん…思いのほか動揺してて…

  ごめんね、貴和」

  そう言って俺の汗ばんだ前髪をかきあげたこの人は、俺の過去の一部をまだ知らない。

  全てを話したところで重みは一緒だ。

  ならば余計な重荷を背負わせなくてもいい。

  それが俺の生き方だから。

  だから俺は口から嘘を吐いた。

  この人が笑えるように。

  「なんでもないよ。

  ただ昔の夢を見ただけだから」

  貴和は、きっとまだ私に話してないことがあると思う。

  そう感じるようになったのは、貴和がうなされ始めて数日が経った時。

  うなされてる内容はどれもバラバラで、ある時は今日のように「大丈夫じゃない」と切ない声で繰り返し、ある時は「ごめんなさい」と、耳を塞ぎたくなるほどの悲痛な声で繰り返す。

  誰が、なぜ、なんのために貴和に夢を見させるのか。

  貴和を苦しめるのか。

  知りたかった。

  だけど、急いで聞いた先にたどり着いた答えは、拒絶だった。

  「なんでもないよ」

  ろくに眠れてもないくせに、なんでもないなんて言葉を吐かないでほしかった。

  助けたい気持ちを、拒絶しないでほしかった。

  それなのに、貴和はどこまでも遠い瞳をして言うんだ。

  大丈夫だと。

  ただの夢だと。

  気にしないで、と。

  どうして?私は恋人なのに触れることができないのか。

  貴和が遠く見えた。

  もう触れられない距離に思えた。

  触れてるのに触れてない。

  手を伸ばしても届かない。

  切ない、苦しい、悲しい。

  哀しい…。

  こんなにも長く一緒にいるのに、まだ弱さを見せてくれないのか。

  いっそ目の前で落涙してくれたらどんなに嬉しいか。

  その心の傷をありのままに見せてくれたらどれほど安心するか。

  それをできないのは頼りないからか。

  こんなにも背を伸ばしてもまだ、私は頼りなく見えるのか。

  貴和の為だけに生きているのに。

  これからだってそれは永遠に変わらない真実だというのに。

  それすら拒絶するんだろうか、この子は。

  「貴和……」

  届かない、とどかない。

  遠くて、冷たくて、悲しくて…

  「……ちあきさん」

  あぁ、落涙したのはこちらだったか。

  だって、耐えられない。

  失いたくない。そばにいて欲しい

  何もしなくていいからただ傍に。

  隣に。近くに。

  どうかどうかいてほしい…。

  たったそれだけでいいのに…。

  「そばにいて…離れないで…

  ただそばにいて…」

  そう泣いた私に、貴和は混乱した顔をした。

  そしてすぐに、ベッド脇に座り込んだ私の横に来る。

  「千秋さん、なにか行き違いがある。

  話そう。いくらでも話そう。

  でもちょっと待って、」

  そう言った貴和に、涙に濡れた顔を上げると、貴和は恥ずかしそうに、悪戯っ子のように、困ったように笑った。

  「汗が気持ち悪くて着替えたいのと、トイレ行っていい?」

  貴和らしい回答に、思わずふきだす。

  「フフフ……

  ありがとう、行ってらっしゃい」

  そう言ってその頭をわしゃわしゃと撫でれば、照れくさそうな笑顔がドアの向こうに消えていった。

  キッチンで作った蒸しタオルで身体を拭き、洗面所で着替えを済ませると、トイレに行って用を足す。

  その間、千秋さんの悲痛な声がずっと耳に残っていた。

  『そばにいて…離れないで…』

  俺の態度や言葉からなにを感じ取ってそうなったのか、それを知る必要がありそうだ。

  千秋さんは時々、驚くくらい重く、そして不安定になる。

  さっきも、フリーズしたかと思えばいきなりの落涙。

  びっくりしたのは俺の方だが、本人は自嘲気味に笑っていた。

  何故だろうか。

  それを聞きたい。

  「千秋さん、戻りましたよ。」

  部屋に戻ると微動だにしていない千秋さんの脇に膝をついて、視線を合わせようと顔を覗き込む。

  「……貴和…」

  「うん、俺です。

  大丈夫ですから

  俺どこにも行きませんから」

  「……行かないで…」

  「……行きません…どこにも」

  言葉を吐くと同時にしゃくりあげるんじゃないかって勢いで泣き出す千秋さんに、俺はなぜか少しの罪悪感を抱いた。

  俺の何がここまで泣かせてしまったのだろう。

  「…よければ、なんで泣いてるか、聞かせてもらえませんか?」

  俺の言葉に、千秋さんは腕の中で少し身動ぎすると、くすんと鼻をすすりあげた。

  「……何があっても、大丈夫っていうから…」

  「俺が?」

  その言葉にこくんと頷いて、千秋さんはゆっくりと言葉を紡ぐ。

  「…弱いところ、見せて欲しいのに…

  このままなにも頼らずに、そのままいなくなっちゃうんじゃないかって

  貴和、遠く感じて…」

  「……そうかぁ、俺の気遣いというか、遠慮というかが裏目に出ましたね。

  すいません…」

  俺が話す必要はないと判断した過去のことを、千秋さんは知りたかったらしい。

  俺は重荷になりたくなくて、隠してしまうけど、隠された相手は孤独を感じるのか…。

  「…ぅーん…そうだなぁ」

  どう伝えよう。なんて伝えたらいいかな。

  ……きっと俺たちの間に、遠慮は必要ないよな…。

  また傷付けたくないし。

  「……俺の過去、重いんですよ。」

  話し始めた俺に身を委ねる貴方が、今日初めて子どもに見えた。

  「重すぎて、聞いてる方は段々耳塞ぎたくなっちゃうくらい(笑)

  重いんです。

  だから、話聞かせて、相手の重荷増やしたくないんですよ。

  みんな人生それぞれ背負ってるものがあって、親しい人の話とか聞いたりしてくうちに荷物って増えるもんだと思ってるんで。

  俺は貴方に苦しんで欲しくない。」

  俺の言葉に、千秋さんがふと動く。

  真剣な瞳で俺の頬を挟んで、でもその瞳がふにゃりと歪む。

  「私だって……っ貴和に苦しんで欲しくない、!

  たくさん、たくさん重荷を背負ってきた貴和が、苦しんできた貴和が、これ以上苦しまなくてすむようにって、私が絶対これからは何があっても守るんだって、その覚悟で来たのに、!

  貴和自身が隠すんじゃ、私はどうしたらいいの…」

  するりと力が抜けた手が、俺の腕を伝って落ちていく。

  そりゃそうか、なんて独りごちる。

  どんなに親しい人であっても、本人が隠してることにまでは触れられない。

  触れていいか分からないから。

  触れたらなにかが壊れてしまう気がするから。

  触れたら、もう二度と、戻れない気がしてしまうから。

  だから、恋人であっても気を使うんだと思う。

  「……俺、…

  千秋さんのことが好きです

  大好きです。

  愛してます。

  大切です。

  たいせつだからこそ、気使うんですよ。

  なるべく嫌な思いさせたくないし、大変な思いもして欲しくない。

  だから、嫌な思いしそうなことなんか余計言えません。

  きっと千秋さんは大丈夫だって言うだろうけど、いつか、絶対背負った重さに耐えられなくなるから。

  そうした時千秋さんは俺に頼らないでしょ?

  だから嫌なんです。

  俺の重荷背負わせるの」

  俺の言葉に、千秋さんは難しい顔をして唇を噛んだ。

  悔しいんだと思う。

  恋人の過去とか辛いものを一緒に背負えないのが。

  「そんなの……関係ない、!」

  千秋さんはそう叫ぶと俺を強く抱き締めた。

  「っ、」

  「確かに自分が辛くなったら私はきっと貴和を頼らないよ。

  でもそれは逆でもそうでしょ!?

  貴和だって自分が病んだりしてしんどい時私から隠れるじゃない!

  それでも!」

  次の言葉に思わず涙が溢れ出す。

  「それでも、っ

  どんなに重くても苦しくても私は貴和を支えていく!

  貴和の荷物を持って一緒に歩く!

  絶対置いてかない!

  あの時誓ったんだから!

  もうこの子を1人にしないんだって!

  もう絶対……っひとりで泣かせるかって!

  あんな雨の中、あんなボロボロで、!

  それでも私を選んでくれた貴和を、私は死んでも独りにはしない!」

  千秋さんの心の叫び。

  もう充分だった。

  愛情で心が満たされていく。

  たったこれだけなのに、自然とSubSpaceに入った。

  「……千秋さん……」

  「……貴和、愛してる。

  だから、お願い。

  貴和の辛さも苦しさもしんどさも、全部半分こにさせて?

  私に分けて

  支えさせて

  私がそうしたいから、そうさせてほしい。」

  そんなの言われたら、任せるしかないじゃないか。

  ずるいなぁ、この人は。

  「……ぐず……まけです…

  話しますよ、ぜんぶ」

  「急がなくていい

  今じゃなくてもいい

  いつか全部話してくれたらいい。

  だけど、いつか全部背負わせて

  十字架も、重荷も、幸せも。」

  最愛の人に、ここまでの言葉を言える人がいるだろうか。

  全てを受け止めると、俺なら、言えただろうか。

  あぁ、だから俺は、貴方が好きなんだ。

  力尽きたので END