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静かだ。
____道着の擦れ合う音。
____ストップ、ゴーの緩急で地を蹴り、地に足着く音。
呼吸のズレと同時に身体同士がぶつかり、仕手側が空いた懐へと滑り込む。
自分よりも僅かながらに大きな身体を腰で跳ね上げ、柔よく剛を制することに成功した際に生じる畳へ肉の打ち付けられる衝撃音が響く。
それでも、尚静かだと思う。私の耳が揺さぶられ揺れることもなければ心が動くこともない。
男女入り乱れて行う3分間の乱取り練習風景。
その端で1人あぶれた私は技を盗むためにみんなの動きを観察するふりをして、本当はただひたすら時間が過ぎるのを待っていた。
ストップウォッチを片手に学ぶことも見ることも無く、音を出すこともなく、ただただじっと立って頭の中で秒数を数え続けている。
皆は息を切らしながら汗を流して、体を上気させながら組み合っているのに私一人だけが10月も半ばの畳が放つひんやりした感触を足の指先から感じていて、私だけはウォームアップでかいたはずの汗もすっかり引いてしまっていた。
私には今、私だけ。
しんなりとしょぼくれたように垂れ下がった黒帯と重く、冷たく湿っている道着が肩にのしかかってきてそれが周囲からの疎外感をより一層増幅させる。
そして多分今日も、3分の半分が過ぎたあたりで誰かしらが1人の休憩がてら《《私を仲間外れにしないように》》空気を読んで、軽く組んで、私が技を受けて、軽く倒して終わり。
…こんなことになるんならやっぱり市内でやってるクラブにしとけばよかったかな。
学生柔道を馬鹿にするわけじゃないし舐めてかかってるわけでもないけど、私と彼らとの体格差が実力差に直結している現状はなきにしもあらずだ。
嘘。言い訳。
本当は上手くやっていけてないだけ。
こんなことになるなら素直にお母さんに勧められたMMAにしとけば良かったかもしれない。
…多分これも嘘。
……もうやめちゃおっかなぁ。
…でも入部してすぐ辞めてよそに入る、なんて印象悪いよね。
転入早々、クラスや部活内で居場所を作るのに失敗してしまった学校の中であってもここにいるだけで、いさせてもらうだけで《《私のしてしまったこと》》にほんの少しだけ理由付けができて、それが罪悪感と私を差す後ろ指の数をほんの少しだけ減らしてくれる。
そんな気がする。
…でもそれはきっと、私が私の中だけで考えてることであって、もしかしたらそんな『他人』は最初からいないのかもしれない。
でもそういうことを話せる人が、相談していいと思える人が、『他人』が今私の周りに誰もいなくて、どんな顔して話せばいいのかも分からなくて、時間が解決してくれるのかもうまい方法があるのかも分からない。
自問自答してるだけじゃ解決しないなんてことはわかってる。1人は嫌だ。
それでも今は身近な他人と組み合うのが、近づくのが、やっぱり怖い。
それならやっぱり、ここ以外の場所で、私のことを誰も知らないところでもう一度____。
誰を見るでもなくぼうっとしながらいつも通り時間が半分過ぎるのを待っていたその時___
「失礼しぁす!」
誰かがガラリと引き戸を開けて礼をして入る。
それは武道館を使うのなら誰しもがやる当たり前の、普段だったなら特に気にもしないただそれだけの動作。
ただ、その時耳にした声は記憶にもない初めて聞くもので。
一目見ただけで几帳面さを感じさせる、きっちり45の角度でたるみや歪みのまるでない、指先まで揃えた一礼と共によく通る声の持ち主であるイヌの人は入ってきた。
開け放たれた入口から吹き込む秋風が私の冷めきった身体を起こすかのように冷やして、否応なしに彼の方を向かせる。
一応入部して1ヶ月は経つのに、その姿を見たのは初めてだった。
肩に背負った竹刀袋に、いったい何がそんなに入っているのか、かなり大きいのにパンパンに膨らんだボストンバッグ。
それらをもう一度手に取ると武道館を見渡して再び歩き出す彼。
そして、乱取りの手を止め挨拶を返す他の部員の子達への返事もそこそこに真っ直ぐ、一番奥にいた私を見据えて歩いてくる。
私と目線が合っても、逸らさず瞬きひとつなく。
というよりも、
___私を探していたかのように。
…え……何?何?
取り立てて特別なところは何も無い普通のビーグルでありながら、私に向かって歩いてくる彼を、手を止めたみんなが後ろから好奇の目で追い、或いは不安の視線を向けていた。
その人は、少し怒っているかのような、睨むような目でこっちが逸らしたくなるほど私を見つめながら歩いてくる。
眉間や目の下に薄く入ったシワまでこちらを向いてるかのような、私のことを射抜くというより射殺すような、そんな視線。
肩から提げたバッグも、足取りも何もかもが寸分足りとも左右にぶれることなく真っ直ぐ、私の方へ。
彼が他の部員を通り過ぎていく度に湧き上がり、波打つように声が飛んだ。
「頼むぞ主将!」
「お前が最後の希望だ主将!」
「お前も死ね!」
最後の一言を飛ばした男子にだけ素早く振り向いて牙を向けると一足一拳、ほど近い距離で私と正対する。
薄い体毛と睨みの奥に移る灰色の瞳、左目の上には印象的な形の古い傷跡。
腕組みしながら威圧的な表情をしている割にはどこか品の良さと育ちの良さを隠しきれていない…
たとえ何があっても悪者にはなりきれないような、そんな顔立ちだった。
綺麗な顔。
「俺は男子柔道主将の小車ってもんだけど…お前が最近話題の大北?」
「あ…えと…へぁい…」
私の《《目線より下から》》いやに攻撃的な目線を向けながら静かに問われて面食らってしまった私が気の抜けた返事を返すと彼は睨むような目付きをそのままに
「…負けねぇかんな」
と呟きその場でカバンを下ろすとおそらく彼の間合いから(全然私のテリトリーでもあるけど)素早く私の前襟を取ろうとしてきたので反射的に全身の毛が逆立つと同時に構えようとすると、
「小車お前詰め襟でやんの!?」
と後ろから声がかけられ、自分の姿を見返した彼は少しバツが悪そうにしながら私に対してより攻撃的な目付きで
「…ちょっと待ってろ」
と言って更衣室に向かって歩き出し、少し進んでもう一度振り返ると
「あ、あと柔軟とアップ手伝ってくんない?」
と言い残して、体幹の良さを感じさせる無駄に綺麗な歩き方で更衣室へと消えていった。
見た感じ身長は170センチないくらい。
体重も…50キロそこそこ?
16歳の秋半ば、初めて会った男子柔道部『新』主将は…
想像してたよりもかなり小さかった。
それが、響先輩との最初の出会いだった。
##########
遠慮がない、配慮がない、思いやりがないというのはとかく誰かを苛立たせるものだ。
それが雲ひとつない夏の快晴がもたらす暴力的な日差しであっても、
こちらの迷惑を考慮しないセミの鳴き声でも、
…自転車泥棒であっても。
「お前これ買ったばっかやぞマジでよぉ!」
響く怒号はどこまで届いたのか、昼間からパチスロを打ちに来ていた時間を持て余しているギャンブラーたちを呼び寄せて遠巻きの観客へと変えていく。
そのような人達からの視線にむざむざ晒されたくないとは思いつつも一個人である前に警察である私が制止しないわけにもいかないので不本意ながら割って入っていた。
「ちょっ、ね?一旦お兄さんも落ち着きましょうか。」
なんぼ私の身体がイヌ科の中でも特に大きいと言ってもやはりオオカミの体格というのはとりわけ大きくて屈強なわけで。
鼻と眉間に幾層もの皺を寄せ、身を乗り出して牙を剥きあまり悪びれていない顔のフクロウへ激怒しながら詰め寄ろうとするのを親譲りと道場仕込みのフィジカルで必死に抑える。
草食相手にこの顔を向けようものなら正直一発アウトになりかねないけど今回は状況が違う。
まぁ、一個人という点においてなら彼も全く立場は同じで草食だろうが肉食だろうが返ってきたとはいえ買いたての自転車が速攻で盗られたのだから誰だって怒るだろう。
怒れるオオカミと無言のミミズク、顔と怒号の印象だけ見ればどっちが悪いのかわかったものじゃないけれどやったことに対しての申し訳なさがいまいち感じられないというか。
既に“過ぎたこと”として扱いこれからどうしたもんかなぁみたいな顔をしている当事者を見れば怒り心頭にもなるはずだ。
斧木野先輩から聴取を受けている彼は、ミミズクにしては身長も高いというか、見るからにチャラそう…というかヒモっぽい見た目というか。
とにかく女の子を泣かしてそうな感じだ。
適当に生きてきたのが透けて見える。
あんなのでも一応守らなきゃいけないのが仕事なんだもんなぁ。
「一応こうして返ってきてるわけだから一旦ね?自転車の状態とか確認しましょっか、鍵あるんですもんね?ね?ほら行きましょ。」
「賠償だかんなテメェ!聞いてんのかコラ!」
「だから今からそれを確かめましょうねって…あの先輩…そこの彼、車両の中で聴取してもらえます?」
「おーう、ほいじゃこっち来ようかアンちゃん。車の中のが冷房効いてっし、どうせ後で乗るんだしな。」
「…っす。」
「こっちはクソ暑い中でやってんのにテメェは快適なとこでってか!」
こちらを振り返ることも無く先輩について行くミミズクの背へ被害者のオオカミは鼻を膨らませ再び怒号を飛ばす。
頼むから斧木野さん余計なことを言わないで…
…ていうか冷房云々は今あんまり重要じゃないでしょ?
熱線のような光を振らせる太陽は外にいる者たちの体毛へふんだんに熱を含ませ、それは肌から染み込んでひたすらストレスだけを蓄積させていく。
せっかく夏の始まりだっていうのに、私が何をしたっていうんだろうなぁ。
この前の名前も覚えてない男の人としたデートはやっぱりうまくいかなかったし、運命の出会いみたいなのもなくオシャレなビル街からはおよそ離れたパチンコ屋の駐輪場で盗った盗られたの事件処理。
有給消化もせず溜まっていくばかりで、退屈で変化もあまりない日々。
…21の夏はこんなもんで終わるのかもしれないと思うとうんざりする。
不安と不満は溜まったまま、他人の不満を一身に受け、ベストと胸の間で汗だけが流れて溜まっていく。
#############
「ハイ…じゃあ、被害届も出さないということで。この場で少し待ってて貰えますか?」
「はい、はい。…いやなんか、あたっちゃって悪かったねオネェさん。」
「いーえいーえ。戻ってきてよかったですね。」
この様子なら今後揉めることも無さそうだ。
しかし、自転車が特に異常なしとわかった途端に毒気の抜けたオオカミへややつっけんどんな言い方で返答してしまい心中で少しだけ反省した。
普通なら喜ぶべきなのかもしれないけど、だけど私にだって感情はあるし多少の慇懃無礼は大目に見て欲しい。
一部始終を斧木野先輩へ報告するためにミニパトの扉をノックすると窓から快適な冷気が流れ出す。
…さては設定温度下げてるな?
いや絶対最大まで下げてる。
「斧木野さん、」
「おう。どやった?」
「自転車とりあえず無事です、鍵も特に壊れてないですしもう一度ロックして挿し直したらすんなり開きました、ほんとに開けただけって感じですね。」
「あ、そう?いやこっちなんも喋んなくてさ、持ち物はちゃんと出すし名前とか普通に答えてくれんのに。なぁ、三枝勦介君?」
「…知ってることは全部答えますけど。」
ふい、と窓の外に顔を向けながらぶっきらぼうに答える彼の姿はやはり当事者意識にかけている印象が強い。
眉を顰める先輩の顔が見えた。
「それなんですけど…電チャリ、乗ってたのは彼ですけど鍵やったの自体は本人じゃないと思いますよ。」
「…?つまり?」
話した瞬間、私が来ても特に反応を示さなかったほろすけ、と呼ばれたミミズクの顔に僅かながら動きがあった。
毛穴が開いたのか羽が少しざわめき、表情に緊張が少し見える。
そして先輩もまた、彼の変化を見ていない風でしっかりと確認していた。
「鍵穴なんですけど、皮脂と指紋がべったりついてて嗅いだ感じだと《《穴の中にもありますね》》。多分、爪とか指長いのが最初にガチャガチャやってます。」
「へぇ?君、鍵はやってねぇんだ?」
「まぁ………ちょっとそこのドンキでガム買おうと思ったけど暑かったから…自転車置き場に置いてあるやつちょっと借りるつもりで。」
「そうじゃなくて鍵を開けたのは自分でやったのかってこっちは聞いてんだけど。君はやってなくて他の誰かがやったのに乗ったわけ?」
「……………その辺は知らねっす。……最近の電チャリってスマートキーなんかなって思ってたから……別に気にしてなかったっていうか。」
「ふぅん……そ。…おかんむりだったオオカミのお兄さんは?怒鳴り声しなくなったけど。」
「とりあえず無事なの分かったら機嫌も良くなりましたし被害届も出さないそうですけど。あとはとにかくもう店に戻りたいって。」
「あっそ…俺も昼間っからお前さんたちに混じって打ちてぇよ。まぁ、その方がこっちも面倒少ないし本人がそれでいいんならいんじゃない?ニィちゃんも早く帰りたいっしょ。」
「はぁ…そっすね。」
「もうちょい色々聞きたいこともあるし…とりあえず南署近いからケジメつけてぱっぱと行こか。大北も準備しといて。あと腰縄と手錠。」
「あ、はい。」
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夏場、気温は今年最高を常にマーク。
2人向き合って言い難いことを伝えようとするシーンは見ようによっては青春の一幕なんだろうけど実態は不快指数の高い中で成人男性二人が向き合ってるだけのためそうそういいもんじゃない。
「…ほら。」
「ども…すませんした。」
「『申し訳ございませんでした』だろ。せっかく被害届出さないでくれてんだから。」
いかにも謝ることに慣れていませんといった様子のミミズクに斧木野さんが後ろで腕組みしながら説教を飛ばす。
フランクな人だけど、甘いってわけではない。
「あぁ、いっすよいっすよ。とりあえず、マジでもう二度とすんなよ?」
「…はい。」
再度頭を下げるミミズク。
先程まで怒号を飛ばしていた自覚があったのかないのか、大した言及もなく和解はすんなりと終わって、斧木野さんと二言三言交わし、オオカミは店の中へと消えていった。
入れ替わりでパチンコ屋の店長さんがやってきて彼とオオカミの一部始終を報告したあと、ミミズクに今後出入り禁止のお触れを出して状況終了。
…店の中からは垢抜けた雰囲気を感じる従業員であろうケツァールの女の子が呆れ半分、心配半分の表情でこちらを見ていたけど知り合いだろうか?常連だったのかもしれない。
準備していた腰紐を結び一応手錠をかけてパトカーに彼を押しやり隣へ座ると、私の身体がかなり大きいのに加え彼も大概大きいので若干窮屈そうに身じろぎをした。
しかし、なんぼモテそうな男でもお縄に繋がれたこの連行中の姿は情けないものだ。
「はい乗ってー。全員乗った?いや~…外あっついなぁ!あれだな!サバンナかっつーの。」
斧木野さんは祖先がアフリカ由来だからか持ちネタのように暑い時これを言うけど特に面白いと思ったことは無い。
ルリはこのセンスが妙に気にいってるみたいだけど。
ミミズクの彼は反応すらせず、とにかく窓の外を気にしていて私も腰縄を手の中で弄り回しながら軽く流す。
…てか暑いってさっきまでクーラーガンガンの車内にほとんどいたでしょ。
「そういや君、もう昼飯食った?これからちょい時間かかると思うしコンビニでおにぎりくらいなら買って食ってもいいけど。」
斧木野さんがパトカーを発進せながら明るく話しかける。
「いや、もう済ませてるんで。」
「あー、そう。いやね、うちの拘置所の弁当って完全菜食仕様だからさ、肉食の人達からマズイって評判だしなるだけ食わせてあげるようにしてんだわ、なんぼいいとこの料亭からとっててもヤダよな。で、何食ったの?」
「…近所でパスタを。」
「パスタ?そこの五右衛門?それとも星乃珈琲?俺ジェノベーゼが好きだからちょいちょい食いにいくのよ。パスタなら鎌倉がいちばん美味いけどな。」
「あー、えっと、五右衛門ですね。」
「あっこなー。箸出してくれるからやっぱ男には嬉しいわな!大北はパスタ箸で食いたい?やっぱオシャレにフォーク?」
「え?」
私にも振るの?
「えー…まぁ基本はフォークですけど仕事中にコンビニのパスタ食べるとかなら箸がいいですねー。あとあそこの仕出し弁当たまに食べる分には結構美味しいと思いますけど。」
移送中でありながらも車内の雰囲気は軽め。
こうして世間話を吹っかけるのは移動中喋ることもないし正直チャリンコを盗んだくらいでいちいち重く取り扱うことはしないというのもある。
ただ、あれこれを喋ってもらうには喋りやすくなる環境作りというのが必要だからで、仕事を円滑に進めるため犯罪者相手でもフランクに接する警官は多いし斧木野さんは典型的なそれだ。
喧嘩沙汰で捕まえた気性の荒そうな若いカンガルーの拳ダコを見て『空手?ボクシング?相当やってただろ?』なんて好きそうな話題から取り入って相手の警戒を解きほぐすのは聴取の常套手段でもある。
ただ、ミミズクの彼は聞かれたことは素直に答えるし、罪も認めているし言い訳も反論もしない。
そんな比較的協力的な彼との距離感を詰めようと斧木野さんが会話をするのはつまるところ、《《何かを疑ってかかっている》》ということの表れなわけで。
「まぁ、初犯?知らんけどバレたのは初めてでしょ。被害者のオオカミのアンちゃんもあぁ言ってたし前科つかないから、さっきみたいにやった時の様子とか《《知ってること》》素直に話してくれればそれでいいから。」
「…はぁ。」
垂らした前髪は表情を隠し、感情を容易くは読ませてくれないけど何か《《隠していることを隠している》》のはさっきの反応で分かる。
その目付きはむしろ私たちを疑う様子すら感じられ、どこか冷たい。
誰にでも感謝されたり好かれる仕事じゃないけど、今まで取り扱ってきたセコい事件の犯人とは少し違う様子が感じられた。
多分、誰かしらを庇っているのだろうか。
持ちかけた会話はさほど盛り上がることも無くあっさりと途切れて、それと同時に署へ着いた。
##############
警察が何を言うか、と思うかもしれないけど取り調べ室は殺風景過ぎて入る度、反射的にカツ丼から連想して食べ物のことばかり考えてしまう。
中途半端にパスタの話なんかしたせいでお腹が減っていて、ベストの下で蒸れたお腹は不快感もあわさって胃袋もむしゃくしゃしている。
毎度毎度思うけれど取り調べ中に犯人を部屋の中央に座らせて3人で取り囲むというのは圧迫感凄そうだというか。
どうでもいいけど。
斧木野さんと所轄の人が詰めてるから私は書類つけるくらいでいいし。
それが他の事考えるのに余計に拍車をかけるんだけども。
…昨日給料日だったしたまにはお寿司とか食べたいな、回転寿司おなかいっぱい食べたい。
けど当直明けで行くと夜勤明けのおじさんみたいな人達ばっかりだからちょっと恥ずかしいんだよね。
…ていうか今度ルリとヨミコと海鮮系のとこで飲むんだったっけ?普通のとこだったっけ。
「それで?鍵は自分でやった?誰かにやらせた?」
「俺じゃないですけど開いてたの乗っただけなんでそのへんは知らないっす。」
「一人で来たんか?どの辺に住んでんだ。」
「なんぼ君身長高いったって普通大型用の乗るかね?わざわざそこのでっけぇ大北用みたいなさ。」
軽いセクハラはやめて欲しい。
身体おっきいのは気にしてるんだから。
…でもこの三枝ってミミズクもかなり身長高いというか最近の男性獣人ってみんな背が高いよね。
この前のハウンドの人もそうだったしオシャレで毛も遊ばせたりしてるし。
私もパーマかけたりとかあぁいうのやってみたいけど職場的になぁ。
若干パヤパヤしたくせ毛だから当てても変な感じになりそうだし。
…響先輩とか今どんなんなんだろうなぁ。
伸ばしちゃってるのかな。
昔っから短髪で体毛薄い人だったけど夏毛とかすごく短くてさっぱりしてて手や腕なんかすごくさらさらで、掴まれたりすると気持ちよかったなぁ。
響先輩は痩せ型だったけど竹刀振ってたから筋肉とか腕の脈の形とかすごくハッキリしてて当時すごくドキドキした。
本当はこんなこと考えちゃいけないし失礼だし真面目に練習しなくちゃと分かってても道着引っ張られたり抑え込まれたりすると強引に迫られたりしてるみたいでなんかすごく良かった。
とにかく良かった。
絶対に本人には言えないけど私が抑え込みしてる時に体の下で頑張ってもがいてるの、すごくいけない気持ちになったんだよね、アレ。
言えないけど、っていうか会えないかもなんだけど。
………………。
先輩…。
「鍵開いてたのがそれってだけなんで。鍵誰が開けたかとかは知らないっす、住みは一宿で…」
「一宿ね。普通に近所じゃん。あんま家の近所でやるもんじゃねぇぞ?今日仕事は?普段何してる。」
「身分証出して。はいポケットのタバコも一旦没収~。どうせ[[rb:斧木野 > オギー]]に吸わせてもらったっしょ?」
「…そこの快活で夜勤。今日明けだったから風呂浴びてそんまま。…タバコは吸わせてもらってないっす。」
「タバコは別に重要じゃないからどうでもいいよ。」
「パチンコね。いつ盗んだ?」
「えー、昼飯食ってからパチ屋戻ろうとしてガム買おうと思って…12半くらいにドンキ…」
「昼飯食いに行く前に盗らずにか?わざわざ駐輪場戻って?なんで行きは歩けたのにちょっと戻るのがダメだったのよ。」
「…暑かったんで。」
「行きも暑いだろ~?変に友達庇ってるとかじゃねぇだろうな?」
「チャリの鍵を開けられるようなそんな知り合いは………………いないっすね。」
「何よ今の間は。」
「いや…別に…」
ていうかご飯より先にシャワー浴びたいなぁ。
いい加減ベスト脱ぎたい着替えたい。
換毛期終わったしもうバッサリ切っちゃおっかな。この前のデート?は行く前にルリに連れられて美容院でセットしてみたけど、可愛くてよかったけど、あんなのみんな2週間ごとに行ってたりするとかどんなお財布の中身してるんだろう?
スポーツウェア3枚くらい買えちゃうじゃん。
道着だって新調できるしダウニーたくさん買えるし…
ダウニー、最近になって皆使うようになったけどどうなんだろう……響先輩、まだ使ってくれてたりするかな。
『いや大北はいい匂いだって。』
__________。
…会いたいなぁ。
############
「はーい、じゃあまぁ、いいや。とりあえず初犯だし鍵やったの君じゃないんならまぁ、微罪処分でいいや、今後は横着しねぇで歩けよ。」
「あとは身元引受けしてもらうまで部屋突っ込んどくから、すぐ来てもらえそうな方教えて。両親とか仕事してる?」
「…え、いや…母親は…」
「?あぁ、バレるバレないとかじゃなくどっちにしろ家族には連絡行くからね。」
「いやそうじゃなくて来ないす。親。」
犯行現場の写真撮影も事前に済ませていたので指紋の採取までしたとこでサラリと終わり、あとは身元引受けしてもらってこの件はつつがなく終了だ。
これでいい加減手汗でふやけかけた腰縄を持たずに済む。
どうせこの手の軽薄そうな男って親戚呼ばず彼女や友達に来てもらうものだけどね。
「いや、身元引受人って原則は親か身内か成人じゃないとなんやけど。」
「…親の今の連絡先も知らないんで。」
ほら来た。
「知らないってこたないだろ~」
「…だいぶ前に縁切られてるんで、今どこに住んでんのかも。」
言い訳にしては真実味を帯びた、もう長いこと受け入れているような雰囲気。
嘘はついてないのだろう。
…。
一瞬凍りつく室内。
「あー、そう…なんか辛いこと聞いちゃったか。」
「いえ…えーっと…いや…大丈夫っす。」
「あ、そう。…他は?彼女でもなんでも成人ならとりあえずいいから今からでも繋がりそうなの」
「……一緒の部屋に住んでる奴でいいなら。あ、でもそいつも今多分仕事中…」
「まさにそれよ。で、名前は?一応連絡すっから。あ、でも住んでるのが草食で自分より小柄だとダメなんよ。身元引受できるのって同種か君なら肉食種か自分より体格ある奴って規定あるから。」
「ビーグルのイヌなんすけど…」
「あ、それならおっけおっけ。」
彼女さんかな?ビーグルなんて好きなタイプの気が合いますね。
かわいい所もかっこいい所も含めて良いですよね。もしかすると彼とは美味しいお酒が飲めそうかもしれない。
いやいや、こんな人とお酒なんてそんなそんなありえない。
響先輩とはいかにも真反対でございますって感じ。
どうせこんなタイプ、この前摘発した居抜きのカラオケだけつけてる部屋なんだか店なんだか分からない未成年働かせてるガルバみたいなとこでクライナー飲んでたりするに決まってる。
…響先輩なら、お酒はどうなのかな。
少食寄りだったからあんまり食べないかな。
案外、オリーブにワインで飲んでたりして。
案外ね。
「名前は…小車響。」
_________。
『名前は…小車響。』
________________ばっこん。
え。
……!!!!?????
「あ!?っ!?」
「は?いやえっと、小車響って名前で…」
「どした大北!?」
「あ、いや!ごめんなさい!」
瞬間、胸の中につっかえ続けていた大きな生き物が突如目を覚ましたかのように、音が聞こえそうなくらい心臓が跳ねる。
嘘。嘘!?
小車響。
小車響?
小車響!!
いや嘘嘘。
きっと文字とか
『字は?』
『小さいに』『車に、』『音響とか響くの、』
字も、同じ。
ノートの端に何回も書いたもん。
『ああ、分かる分かる。電話番号、携帯の方そらで言えるか?』
『08-…』
は!?
なんで!?今!?いやいやそうじゃなく電話番号…!
同姓同名?
でもこのミミズクと歳だって同じ!
…いやそれより電話番号!
突如として我に戻ったけど倫理観とか職業意識とかそういうのは全部飛んで、11ケタの数字を脳味噌フル回転させて覚えようとしたけど胸の高鳴りと頭の中でぐるぐると反響してリフレインする3つの漢字の響きに邪魔されてしまう。
…嘘、嘘。
先輩………。
先輩?
『一緒の部屋に住んでる奴でいいなら。』
イッショノヘヤニスンデルヤツデイイナラ。
……先輩と!?このロクでもなさそうなミミズクが!?
…ウッ
「ソでしょぉ!?」
「!?」
「ふぐえぇっ!」
「うお、なんだ!!?…おい、大丈夫か!?」
ほぼ反射で身を乗り出して素っ頓狂な声を上げ、握っていた腰紐を後ろから持ち上げるように引っ張ったせいでミミズクの内臓をキツく絞り上げてしまい、彼が今までにない苦しそうな声を上げてソファーへと倒れ込む。
「ああぁ!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
「大北ぁ!?何どうしたよ急に!?後ろでぽわぽわしてたくせにさっきから急に叫び出して!」
「ちょっ…腸が…ちょっ、早く…」
「あ、なんだ?あぁ、超苦しいってか!?腸だけに!?あひゃひゃひゃ!」
「バカ言ってねえでいいから斧木野も早くほどきなさいって!」
「小車ってあの小車ですよね!?私のすっごく大事な先輩なんですけど!!犬でビーグルの!いるんですか!?今仕事中!?ここで!?」
「…」
「いや縄ほどけって!!!」
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