ミニオンの話をした時に、甘蕉の字を紹介するのを忘れてゐた。意味はバナナである。
悉曇(しつたん)の[[rb:讀 > よ]]みに切れてゐた私だが、[[rb:佛教 > ぶつきよう]]の開祖の名で理由に[[rb:合點 > がてん]]が行つた。
ゴータマ・ブッダ、或いは[[rb:釋迦牟尼世尊 > しやかむにせそん]]。
前者のブッダ(buddha)は「[[rb:目覺 > めざ]]めた人」の意味で、「[[rb:覺者 > かくしや]]」とも[[rb:譯 > やく]]される。(ドラクエだと「ザメハ」。)
後者はシャーキャ([[rb:釋迦 > しやか]])族の聖者といふ意味だ。
本名はガウタマ・シッダールタ(skt. gautama siddhārtha)又はゴータマ・シッダッタ(pl. gotama siddhattha)。
そして何を隠そう、[[rb:漢譯 > かんやく]]が「[[rb:瞿曇悉達多 > くどんしつだつた]]」なのである。くどんは兎も角、しつだつたはパーリ語の[[rb:音寫 > おんしや]]のやうである。
ここで曇の字は曇天の「どん」なのに、引つ繰り返したら[[rb:讀 > よ]]みが[[rb:變 > かは]]るとは何事か。
因みに手塚治虫の『ブッダ』の主人公はゴータマ・シッダルタである。
前半が巴利語で、後半が[[rb:梵語 > サンスクリツト]]だ。
日本語において長母音が消える例は、ハデス(ハーデス)、ヘルメス(ヘルメース)、デメテル(デーメーテール)、ソクラテス(ソークラテース)、プラトン(プラトーン)と枚挙に暇が無い。だが全て希臘語である。
シッダルタの例は、デンマークの曲名だの、ヘッセの詩だのに表れてゐた。ヘッセの詩集を[[rb:譯 > やく]]したのも手塚といふ人物であつた。何つちが先なのだろう。
因みにこの話を書いてゐる時に、私の頭に浮かんでゐたのは、舐達麻(なめだるま)、SHAKA、だるまいずごつどとかなのであつた。
悉達多が若干達磨に見えるね。
[[rb:摩訶般若波羅蜜多心經 > マハープラジュニャーパーラミターフリダヤスートラ]]の話もしたいけど、手に[[rb:餘 > あま]]る。
玄奘三蔵法師と鳩摩羅什の譯によつて、[[rb:觀自在 > かんじざい]]か[[rb:觀世音 > かんぜおん]]か[[rb:變 > かは]]るつていふね。
シャーリプトラが[[rb:舍利弗 > しやりほつ]]だつたり[[rb:舎利子 > しやりし]]だつたりね。
般若といへば、ラッパーの般若さんか。
鬼のやうな形相の般若の面は、何で般若といふのか知らない。
さういへば、はんにや つていふお笑ひコンビもゐましたね。
ただ、[[rb:摩訶 > まか]]はマハー(mahā)。ラッパーはMAKA。
[[rb:般若 > はんにや]]はプラジュニャー(skt. prajñā)、またはパンニャー(pl. paññā)。[[rb:漢譯 > かんやく]]は[[rb:再 > ま]]たパーリ語に依拠か。
[[rb:波羅蜜多 > はらみた]]はパーラミター(skt. pāramitā)、[[rb:波羅蜜 > はらみつ]]はパーラミー(pl. pāramī)からか。六波羅蜜寺なんかがあつて、六波羅探題もここから來てゐる。
心経の心はフリダヤで、時代が下つてマントラ又は真言と呼ばれるやうになる、サンスクリットの呪文の事だ。
経典を表す語はスートラである。ヒンドゥーのカーマスートラは、直訳すると愛の経典である。(古代のエロ本か?)
般若心経の授業休んだから、何も分からん。
ぎやーてー ぎやーてー はーらーぎやーてー はらそーぎやーてー ぼーじーそわかー
gate gate pāragate pārasaṃgate bodhi svāhā
(ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハ)
さすが印欧語、gateが開けに見える。ゲートやな。まあ意味は違ふらしいけど。
ボーディ(菩提)は悟りの事。
ソワカは真言の決まり文句。
般若心経の内容は、大般若経を要約したものともされる。然し実際はこのやうな怪しい呪文を勧める変なお経だ。日本にしか無い十句観音経と共に、最も短いお経とされる。呪文だけなら漢字18文字だもんなあ(2 2 4 5 2 3)。
観自在菩薩が深い般若波羅蜜多の修行をしてゐた時の事。この波羅蜜多つて何やねんといふ話だが、よくわからない。
何やかんやの末、この大乗仏教典は、ブッダの直弟子の筆頭たる[[rb:舎利子 > シャーリプトラ]]を上座部代表に見立てて説教する。
何やかんやの末、上記の怪しい[[rb:呪文 > フリダヤ]]を勧めてお経は終ります。西遊記では無いが、玄奘が天竺へ向かふ道中、この呪文を教はり、妖怪を退治してゐたといふ。
イスラム學徒を目指すなら、神道や佛教の知識は裏藝に過ぎない。儒教は囘儒が孔丘の教へは伊斯蘭と一致すると主張したが、果たして。知行合一といふ四字熟語を当てはめるなら、何もしてへん私は何も知らへんのと同義やないかといふ事である。