【第十二話:鬼灯の揺り籠 後編】(銀郎×夕陽?)

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  (※全年齢版。こちらは全年齢向けに、改稿したものとなります。R指定完全版は別のとこに置いてあります)

  ***

  湯気の立ちのぼる味噌椀の中で、まだ少しだけ、根菜が揺れている。

  「……ご馳走様でした」

  ぽつりと銀郎が呟き、器を流し台に置いた。箸を揃える音すらも、やけに静かに響く。

  そしてそれきり、何も言わず、背を向けて自室へと戻っていった。

  その様子を、対面から朱雀がじっと見ていた。

  「……なーんか、あいつ最近元気ないよなぁ」

  食後の茶を口にしながら、肩越しに朱雀は夕陽へと話しかけた。

  夕陽は、手元の湯飲みに視線を落としたまま、ほんの少し間を置いて応じる。

  「……そう、だね」

  「夕陽様もさ、ちょっと元気ない気がする。なんか……目が、疲れてる」

  「……そうかもしれない。八咫の一件で、だいぶ仕事が溜まってたからな」

  淡々とした口調だったが、その声には、微かな疲労と、張り詰めた何かが滲んでいた。

  朱雀は椅子から立ち上がり、笑って言う。

  「じゃあ俺、ここ片付けておくから、夕陽様はゆっくり休んでよ」

  「……ありがとう」

  穏やかに返した夕陽は、ほんのわずかに微笑んだようだった。だがその背は、立ち上がってもなお、どこか頼りなく見えた。

  夜はすっかり更けていた。

  朱雀の静かな寝息を背に、銀郎はそっと部屋を抜け出す。月明かりに照らされた中庭には、かすかな風が吹いていた。冷たくも心地よい風に髪をなびかせながら、銀郎はぽつりと腰を下ろす。

  眠れない。

  けれど、それは身体のせいではなかった。

  心の底に巣くう悩みと、揺れ動く思い。それが、瞼を閉じさせてくれなかった。

  ――そのとき、ふと背後から気配がした。

  振り返ると、そこには夕陽がいた。

  ……否、“夕陽の姿をした、鬼灯”だった。

  「……まだ、決められないのかい。優しいねぇ、ほんと」

  くつくつと喉を鳴らすような笑いとともに、鬼灯が銀郎の隣に腰を下ろす。

  銀郎は、睨みつけるように視線を向けながらも、立ち上がることはしなかった。

  「……私は……夕陽様の意志を無視するような真似は、できない」

  銀郎は伏し目がちに答える。手のひらは膝の上で強く握られていた。

  「そっか。じゃあ――仕方ないなあ」

  鬼灯は楽しげに微笑みながら、身を乗り出した。

  「……あの朱雀って子、案外お人好しだし、可愛い顔してるし? 喜んで魂くれるんじゃないかね。あんたと違って、頭で考えるより、感情で動く質みたいだし?」

  銀郎はぎょっとして顔を上げた。その瞳に、怒りと焦燥が交錯する。

  「……朱雀に手を出すつもりか」

  「もちろん。ただ――朱雀は、まだ“欲しがってる”側だからね。渇いた魂は美味しいけど、ヌシ様を満たせるのは、“与える覚悟”を持った奴だけだよ」

  にこり、と笑んだ鬼灯の顔は、まぎれもなく夕陽のものだった。

  けれどその目だけが異質で、深い井戸の底を覗くように冷たく、淀んでいた。

  「……でも、別に朱雀じゃなくてもいいんだよ? “この器”を使えば、誰でも――男でも女でも、人でも妖でも。誘えば皆、喜んで身も心も預けてくれる」

  「……!」

  銀郎の口元がわずかに引き攣った。こみ上げる怒りを、どうにか飲み込む。

  鬼灯は、そんな銀郎の様子を愉快そうに眺めながら、低く囁く。

  「さあ、どうする? “お前だけの夕陽様”が、他の誰かに汚されてもいいのか?」

  風が吹いた。  庭の木々がざわめく。

  その音の中に、銀郎の怒りと苦悩が静かに混ざっていた。

  銀郎は苦しげに目を細めながら、唇を震わせる。

  「……他の者には手を出さないと、約束しろ」

  鬼灯はにんまりと微笑み、まるで子どもをなだめるように頷いた。

  「もちろん。俺はね――器が満たされれば、それでいい」

  その言葉を最後に、鬼灯は銀郎の手を軽く取った。拒む隙などない、自然な導きだった。

  「こっち。きて」

  連れていかれたのは、屋敷の端にある、かつての物置を改装した離れだった。滅多に人が寄りつかない場所。床には簡素な敷物が敷かれ、ほんのりと香が焚かれていた。

  この香りは――

  (……夕陽様が、好きで、よく焚いてた……)

  「……用意周到だな」

  「邪魔されたくないからね……。最初から素直に従ってれば良かったのに」

  部屋の奥、灯りの届かない影の中で、夕陽の顔をした鬼灯がゆっくりと近づいてくる。

  銀郎は、一歩も動けなかった。

  「……大丈夫。心の奥では、ヌシ様もお前を求めてるよ」

  囁きは吐息まじりに耳元で震え、銀郎の胸奥にじんわりと染み込んでいく。凍りついたはずの感情の表面が、静かに揺らいだ。

  「……っ」

  「ほら、夕陽様の“真似”、してみせるからさ」

  鬼灯は銀郎の耳元にそっと顔を寄せ、柔らかな毛並みに指先を滑らせる。そこに宿る感触は、くすぐったくもどこか心地よく、思わず肩がすくんだ。

  「……っ……」

  息が喉奥で詰まり、漏れ出す。

  それでも、銀郎は抗おうとはしなかった。逃げられないとわかっていたから――いや、逃げたくなかったのかもしれない。

  「我慢してるとこ、可愛いな……どうされたいの?」

  指先が銀郎の喉元にそっと触れ、そこから鎖骨、胸元へとゆっくりと撫でる。その動きは慎み深くも、どこか確かな意図を感じさせた。

  まるで、心の奥深く、誰にも見せたことのない場所をそっと覗こうとしているかのように。

  銀郎の呼吸は少しずつ浅く、そして熱を帯びていく。鬼灯はそれを静かに見つめながら、耳元で囁いた。

  「……ねえ、“ヌシ様”になら、きっと心を許せるんだろう?」

  その声は、夕陽の声に似ているけれど、どこか別の色を含んでいた。

  銀郎の喉がかすかに震え、指先は襟元に触れ、柔らかな布をそっと滑らせていく。肌が少しずつ現れるたびに、銀郎の体に微かな震えが走った。

  「ん……っ、……それは――」

  言葉にならない気持ちを、鬼灯は優しく、そして静かに受け止めた。

  「だめ。もう始めたんだから、最後まで付き合ってよ」

  その声が囁かれると、唇は優しく頬に、顎に、そして首筋へと滑り落ちていく。

  形としては愛情を伝える仕草に似ているけれど、その眼差しにはどこか支配的で遊び心のある色が混じっていた。

  銀郎の心の奥にある複雑な想いを、そっと掬い上げていくかのように。

  「……ほら、ここが……もう、言うことを素直に聞いてるよ?」

  鬼灯の手が、そっと衣の内側に滑り込む。

  触れられた部分からじんわりと温かさが広がり、銀郎の背中に力が抜けるのを感じた。

  「夕陽様のフリ……してあげる。ずっとね。……お前だけに、するから」

  その低い声は、まるで静かな約束のように銀郎の胸の奥に響いた。

  ――本物の“夕陽様”が、こんなふうにそっと触れてくれる日は、きっと来ないだろう。

  だからせめて、この幻に身をゆだねてみる。ほんの少しでも、心がやわらぐ気がした。

  だめだと思う自分と、心がほどけていく感覚が交錯しながら、銀郎はまぶたを閉じ、静かにその気配を受け入れた。

  鬼灯の声は甘くやわらかく、耳の奥に優しく溶け込んでいく。

  まるで、真夏の夜に咲く花がそっと風に揺れるように――

  それは穏やかで、じんわりと銀郎の心に染み入っていった。

  「……力を抜いて」

  触れる指先は、かつて慕い焦がれた主の手のようで。

  けれど、その温もりの奥には、どこか違う、異なる何かが感じられた。

  肌がじんわりと温かくなっていく。

  まるで「鬼灯」という名の小さな灯が、銀郎の胸に静かに火をともしたかのようだった。

  「……んっ……あ」

  かすかな声が漏れる。

  「可愛い声だね、無理しなくていいよ……ねえ、銀郎」

  その言葉はどこかからかい混じりで、でもどこまでも優しかった。

  偽りの優しさが込められた手は、静かに銀郎の心の奥へと触れていく。

  嘘だと分かっているのに、銀郎の胸は否応なく高鳴った。

  (違う……これは、夕陽様じゃない……)

  何度も喉の奥でそう呟こうとするけれど――

  “その声”が呼びかけるたび、銀郎の心は少しずつほどかれていった。

  重なる影。

  触れられた箇所から、ひんやりとした違和感がじんわりと広がる。

  抗おうとすればするほど、深く引き込まれていくような感覚。

  それは、静かに心を満たす、不思議な力だった。

  「……夕陽様……」

  漏れた声は、祈りのようで、静かな懺悔のようでもあった。

  与えられる温もりに身を任せ、銀郎は小さく震えながら、ゆっくりと心の奥へと沈んでいった。

  その様子を見守りながら、鬼灯は静かに呟く。

  「好きだよ、銀郎。……大好きだ」

  その言葉は、銀郎が何よりも求めていたものだった。

  甘く、そしてどこか切なさを帯びたその言葉に、銀郎は逆らうことができなかった。

  呼吸が整わぬまま、唇が首筋に触れる。

  まるで夢の続きを辿るかのように、名残惜しそうに肌を撫でていく。

  鬼灯が夕陽の顔で微笑む。

  夕陽の声で囁き、夕陽の香りを纏って、まるで誘うように手を差し伸べる。

  「……おいで」

  それがいけないことだとわかっていた。けれど、銀郎はもう抗えなかった。

  欲しくてたまらない。あの温もりが――声が、肌が、呼吸が。

  銀郎は、夕陽の身体に寄り添うようにして、深く口づけを交わした。

  その唇は柔らかく、舌が絡まり合い、夕陽の瞳には微かな潤みが宿っている。

  深く、すべてを包み込むような熱に満ちた口づけ――触れる肌、重なる吐息。

  すべてが“夕陽”のはずなのに、どこか少しだけ違う気がした。

  銀郎は迷わず、夕陽の着物の襟元をそっとずらした。

  露わになった肩に唇を落とし、なぞるように、優しく愛おしむように触れた。

  「……夕陽様……」

  その名を呟くたび、胸が締め付けられた。

  けれど、返される吐息は、確かに温もりを帯びている。

  夕陽の柔らかな肌にそっと触れながら、銀郎の指先は慎重に輪郭をなぞっていく。

  「……っ」

  微かに漏れる息遣いが、静かな空気を震わせた。

  体温を感じる距離で、銀郎はそっと夕陽を抱きとめる。

  布の合わせ目を解く指は、慎ましくも確かな意志を持って動いていた。

  ――それでも。心の奥には、形にならない違和感が静かに潜んでいた。

  鼓動の高鳴りと共に、距離が縮まっていく。

  交わる視線、近づく吐息――

  銀郎はその反応を、まるで答えを探すように丁寧に感じ取る。

  「夕陽様……」

  呼んだ名は確かに彼のもの。

  けれど、その瞳に浮かぶ淡い色彩が、ほんのわずかに“何か”を宿しているように見えたのは――気のせいだったのだろうか。

  銀郎は、その疑念を振り払うように、そっと夕陽の身体を抱き寄せる。

  互いの体温がじわじわと重なり合い、鼓動と呼吸が同じリズムを刻んでいく。

  「……っ……ぁ……」

  漏れる息遣いが、静かな部屋に溶けていく。

  触れ合うたび、熱が深く染みわたり、意識の輪郭すら霞んでいった。

  肌と肌の間に流れる熱は、言葉にはできない何かを確かに伝えていた。

  そして銀郎は、その温もりに溺れるように、ひたすらに夕陽を抱きしめる。

  神々しいほどに、美しいその姿。

  けれど――その美しさが、どこか「完璧すぎる」ようにも思えた。

  それでも銀郎は、ただ――その温もりを求めた。

  胸の奥がぎゅうっと締めつけられるようで、触れていなければ壊れてしまいそうだった。

  「……夕陽様……」

  そう呼ぶ声は、まるで祈りのように震えている。

  夕陽がそっと微笑んで、銀郎の頬を包み込むように撫でた。

  「大丈夫。ここにいるよ」

  その言葉だけで、涙が出そうになる。

  銀郎は夕陽の首に腕を回し、そっと抱きしめた。

  ふたりの間に、確かな熱が流れる。

  唇が触れ合うたび、時間が止まったような静けさが満ちていく。

  何度も重ねた口づけは、ただただ愛おしく、優しく――

  そのたびに、心が満たされていくようだった。

  鼓動が重なり、呼吸が交わり、ひとつになっていく。

  夜の静寂の中、世界にはふたりだけしかいないように思えた。

  ふたりが寄り添い、心と心が触れ合った瞬間。

  銀郎の胸の奥から、ふわりと淡い光が立ちのぼる。

  それは魂の揺らぎ。

  恋しさと想いがないまぜになった、柔らかく温かな“命の灯火”。

  ──いただくよ。

  夕陽の姿を纏った鬼灯が、銀郎の耳元でそっと囁く。

  その声には優しさと、どこか祈るような静けさが宿っていた。

  銀郎の背を抱きしめながら、鬼灯はその心の奥へと、静かに意識を沈めていく。

  (ヌシ様のために。あの人の熱を、この胸の奥に届けるために)

  光のように淡く、小さな魂の欠片がそっとすくい上げられる。

  銀郎はその瞬間を、痛みではなく、微かな温もりの変化として感じ取った。

  まるで春風に撫でられたような、優しい余韻。

  何かを失った気がしたけれど、それ以上に、誰かに触れられた幸福感が胸に広がっていく。

  鬼灯は、その欠片を自らの内に受け取り、そっと目を閉じる。

  そして、ひび割れた主の魂へ、それをやさしく捧げた。

  (ヌシ様。……ちゃんと、届いて)

  銀郎が「夕陽様」と呼ぶたびに、その光はやわらかく揺れ、溶けてゆく。

  鬼灯は静かに見守りながら、ただ一心に、愛する者のために祈り続けた。

  「夕陽様……大好きです」

  切実な声に、夕陽は優しく銀郎を抱きしめ返した。まるで、その言葉をずっと待っていたかのように。

  何度も何度も、ふたりは温もりを確かめ合うように、心と心を重ねていく。

  「ああ……銀郎……」

  「夕陽様、もっと私の名前を呼んでください……」

  「銀……郎……」

  「夕陽様……!」

  やがて、夕陽は静かに身を委ね、深いため息をついた。

  その穏やかな余韻に包まれて、銀郎もまた、心から安らぎを感じていた。

  ――しばし、静かな時間が流れる。

  離れの部屋には、二人の名残を映す静かな吐息だけが、穏やかに響いていた。

  しっとりと汗ばむ肌のぬくもりを感じながら、銀郎はまだ繋がったままの夕陽の姿を見つめる。

  そのとき――

  見つめ合った夕陽の顔には、いつもの穏やかな微笑みはなく、代わりにどこか不思議で、冷たい影のような表情が浮かんでいた。

  「……どう? 夕陽様の“ふり”、上手くできたでしょ?」

  その言葉は、銀郎の胸に小さな氷のような冷たさを落とした。息を止めて、銀郎は身を硬くした。

  耳元で囁く声は、いつもの夕陽とは違い、どこかいたずらっぽく、けれど優しい響きを帯びていた。

  「俺も……君の魂に感謝してるよ。夕陽様のために、特別な贈り物をしよう」

  その言葉とともに、夕陽の身体からふっと力が抜け、静かに安らぎが広がった。

  「……ん……」

  銀郎はしばらく動けずに固まっていた。夕陽はまぶたを震わせ、ゆっくりと目を開ける。

  視界に映るのは、乱れた髪に少し赤らんだ頬、そしてうっすら潤んだ銀郎の瞳。

  (……ここは……?)

  夕陽はぼんやりと息を呑んだ。頭の中は霞がかかっているようで、身体の中に残る温もりとほのかな余韻に戸惑っていた。

  銀郎と目が合う。その瞳には、どこか不安と迷いが混じっている。

  (……まさか……)

  胸がきゅっと痛む。まだ手のぬくもりが残っているような気がして、銀郎の体温を改めて感じる。

  断片的に蘇る、あの声。確信ではないけれど、自分の中にあった渇きが少しだけ癒えたように思えた。

  (……私が、望んでしまったのかもしれない……)

  (触れたいと、願っていた――あの子に、そっと寄り添いたいと……)

  怖くて、でもそれ以上に、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。

  けれど、すべてが終わった今になって――銀郎が怯えたように目をそらす姿が、夕陽の胸をひどく締めつけた。

  逃げるように震える肩。  それでも、もう二度と――この腕から離したくはなかった。

  夕陽はそっとその手を伸ばし、銀郎の肩に触れる。そして迷いのない動きで、彼を静かに引き寄せた。

  触れるだけの、やわらかな口づけ。深くはない。ただその温もりを伝えるだけのものだった。  けれど、そこに込めた想いは、きっと――

  銀郎の瞳が驚きに見開かれる。  怯えと戸惑いの奥に、一瞬だけ……確かに、やわらかな安堵が灯った。

  「……やっと、お前に触れられた……」

  それは、長く心に抱えてきた渇望の果てに、やっと紡がれた言葉だった。  触れてはいけないと、自分に言い聞かせてきた。けれど、どこかでずっと、願っていたのだ――この手で、白銀の温もりを抱きしめることを。

  過ぎた出来事の名残が、まだ肌に残る気がしても。  今はただ、この瞬間だけを信じたかった。

  夕陽はそっと目を閉じて、すべてを包み込むように銀郎を抱きしめた。

  大きな身体が、小さく震えていた。

  喉の奥から漏れた嗚咽。頬を伝う、熱い涙。

  ――泣いているのだと、夕陽は静かに気づいた。

  「夕陽……様……っ」

  掠れた呼び声が胸を刺す。

  その声には、愛しさも、痛みも、長い葛藤のすべてが滲んでいた。

  夕陽は、何も言わず、そっと腕に力を込めた。

  ぬくもりを確かめるように、ただ抱きしめる。

  汗ばんだ肌、震える肩、静かに漏れる呼吸――

  銀郎の存在が、まだそこにあることだけが、今の夕陽を支えていた。

  「……苦しかったな」

  低く、掠れた声が銀の髪に落ちる。

  まるで、自分自身に言い聞かせるように。

  奪われたものは多く、まだ癒えぬ傷もある。

  それでも今は、ただこの時を重ねていた。

  寄り添い、繋がるぬくもりの中で、ふたりは言葉では語れない想いを確かめ合う。

  だが――たとえすべてが欺かれたものだったとしても。

  いま、こうして腕の中で泣いているこの存在だけは、何よりも、誰よりも、愛おしかった。

  過ちを犯したのは自分かもしれない。

  けれど、それでもなお、抱きしめずにはいられなかった。

  銀郎の中に残る、かすかな痛みや傷跡。

  それすらも、抱きしめて、赦して、すべて受け止めたい――心から、そう思った。

  「……もう、大丈夫だ。私がいる」

  静かな囁きが、銀郎の涙にそっと触れる。

  互いの温もりに包まれて、張り詰めていた心が、少しずつほぐれていく。

  ――ああ、触れたかった。

  こんなにも、こんなにも、お前に。

  ふたりは寄り添い、静かにぬくもりを重ねる。

  過去の痛みも、偽りも、優しい想いでそっと塗り替えるように。

  肌越しに伝わる鼓動と息遣いは、まるでひとつの心のように響き合っていた。

  そして今なら――ようやく言える。

  何度も喉まで出かかっていたのに、怖くて言えなかった、あの言葉を。

  「……銀郎……愛してる」

  その声に、銀郎の瞳が大きく揺れる。

  けれど、しっかりと見つめ返してきた。頬を染めながらも、真っ直ぐに、心の奥を伝えるように。

  「……っ……はい。私も……ずっと……誰よりも、あなたをお慕いしております」

  互いの想いが重なり、夜の静けさに溶けていく。

  ふたりだけの誓いが、心に、魂に、静かに、けれど深く刻まれていく――。

  ふたりが交わした想いと、頬を伝った涙のぬくもり。

  それが、夕陽の魂の奥深くを、たしかに潤していた。

  (……まったく、ヌシ様は世話が焼ける)

  銀郎の愛情も、揺れる想いも、すべてをその器に注ぎ込んでいく。

  満ち足りた安らぎに包まれながら、鬼灯の意識は、深く静かな影へと沈んでいった。

  (あんたが壊れそうな時だけ、目を覚ます――)

  (それが、“約束”だったろ、ヌシ様)

  またいつか、と祈るように。

  けれど、できることなら、もうこのまま……。

  満たされた影は、何ひとつ乱すことなく、静かに、そっと闇へと還っていった。

  第十二話:鬼灯の揺り籠 完