第四章 実験の開始 ―淡い青に潜む澱み― 3

  それから数刻。

  農村の周囲はすっかり夕闇に飲まれていた。

  カラスの鳴き声で、アニスは目を覚ました。

  「……あ、れ? ここは?」

  ぼんやりとした意識の中、最初にアニスの視界に飛び込んできたのは、

  「目を覚ましたか? アニス」

  「……リンド、様?」

  かつて村を訪れたときから、アニスのひそかな憧れの存在になっていたリンドの姿だった。

  兵士を導く、勇猛果敢な女騎士。

  しかしながら、アニスの目の前にいるリンドは、白銀の鎧に身を包んだ凛々しいイメージから大きくかけ離れていた。

  「ふふ。久しぶりだ、アニス。元気そうじゃないか」

  肌をほとんど覆い隠していない、黒く卑猥な鎧を身に着けたリンドの姿にアニスは驚きの声をあげる。

  「リンド様! いったいどうされたのですかその姿は……それに、そんなにも毒々しい光を目にも宿して……」

  目の前にいるのは自分の知っているリンドではない。

  驚嘆するアニスに対し、

  「ふふふ。いいえ、アニス。これが私本来の姿なんのだ。王国の命運を握る騎士という重責を捨てて、たった一人のご主人様のために尽くす忠犬。どうだ? 前の私よりも素敵になったと思わないか?」

  そう言いながら、アニスの目の前でくるりと一回転して見せるリンド。

  露出したリンドの女裂や臀部を見たアニスは、そのあまりの変わりように絶句してしまう。

  「リンド様……一体、何を言って……どうなされたんですか」

  「お前とはたくさん話をしたいところだが、時間がない。これからカイル様の魔術実験が始まるのだからな」

  「魔術実験? カイル、様?」

  「あぁ、そうだ……カイル様。実験体を連れてまいりました」

  リンドの呼びかけに、部屋の奥の椅子に深く腰掛けた男、カイルは、初対面のアニスを凝視した後、

  「よくやったリンド。後でたっぷり虐めてやるから楽しみにしておくんだな。いや、今は淫乱メス犬のリンドと呼ぶべきか」

  そう述べるカイルの右目が黒紫色に明滅し、リンドに刻まれた『黒紫色の紋章』を捉える。

  「あぁ、ご主人様のその眼……そのお言葉……あっ! それだけで、もう、あっ! ああぁぁっ! んあぁぁぁっ!」

  カイルの言葉を聞いただけにもかかわらず、リンドは小さな絶頂を迎えた。

  とろとろと白濁した愛液が女裂からあふれ出し、右内腿の紋章の上を垂れ落ちていく

  「言葉だけでイキやがったか、この変態女が……さて、初めましてだね、アニス。俺の魔術実験への協力、感謝する。君のその澄み切った青い紋章が、これから俺の色に染まっていくのが、実に楽しみだ」

  「あ、貴方はいったい何を言って……リンド様、目を覚ましてください! こんな得体の知れない男に付き従うなんて、貴女らしくないです!」

  アニスの叫びに、ぶるぶると絶頂の余韻に浸っていたリンドが低く、愉悦に満ちた笑い声を上げた。

  「……ふふ、アニス。君は何も分かっていない。私は今、人生で最も『自分らしく』あるのだ。カイル様にこの身の全てを捧げる。それがどれほどの栄誉か……あぁ、これまでそれを理解できていなかった私が愚かだった。お前もそうだ、アニス」

  アニスを威嚇するようなリンドの言葉に、アニスは身体を震わせる。

  「だが安心しろ。お前もすぐに理解できる。カイル様の素晴らしさ。自らの本心をさらけ出す快感が……な」

  狂気じみた微笑みを浮かべながらそう話すリンドの姿に、アニスの顔からさっと血の気が引いていく。

  「リンド様……そんな」

  「アニス、残念だが君の言葉はもうリンドには届かない。今ここにいるのは、君の知っている白銀の騎士リンドではない。俺のためだけに生き、俺の言葉にだけ従う、忠実なメス犬のリンドだ」

  そう言いながらカイルは椅子から立ち上がると、廃屋の床にぺたりと尻をついているアニスへとゆっくりと近づいていく。

  「い、いや……来ないで」

  じりじりと間を詰めてくカイルに、アニスは尻をついたままず後退する。

  すぐに追いついたカイルはアニスの顎をつかむと、その澄み切った瞳を覗き込みながら、

  「……アニス。君はリンドが自分より先に俺に『選ばれた』ことが、実は許せないんじゃないのか?」

  そう尋ねた。

  [newpage]

  「な、何を言って……っ!」

  「君の胸元の紋章……この『青』は気高さの象徴なんかじゃない。『自分こそがこの日常から抜け出すべき唯一の特別な存在だ』という、他者への徹底的な見下しが生んだ色だ。自分もリンド様のようになりたい? 違うね。君は『自分だけが特別になる』ことを渇望している。誰も彼も蹴落として、自分だけが認められたいと願っているんだ」

  カイルの右目が徐々に濃い黒紫色に染まっていく。

  「そんな、そんなこと……私は……私は思ってない!」

  カイルの囁きにアニスは懸命に頭を振って抵抗する。

  だがそんな彼女の意思とは裏腹に、胸元の澄んだ青い紋章はくすんだ色へと徐々に変化していた。

  『[b:心触(クラック)]』

  対象の隠していた本音に触れることで、精神的な防御壁を破壊する高等魔術。

  それが再び発動したのだ。

  (なるほど……リンドのときもそうだったが、自分の内に秘めたる欲望を言い当てられると、心理的な防壁が破壊され、それにより紋章の色に変化が生じるのか)

  その様子を見ながら、カイルは冷静に分析を始めていた。

  (右目であらかじめ『[b:視認(サーチ)]』し、対象の深層心理を把握。心の奥底に秘めた対象の真の欲望を言い当てることにより、その心理的防壁にひびを入れる『[b:心触(クラック)]』が発動するという仕組み。

  そのひびから、俺の魔力を直接対象者に流し込むことで相手を変質させる。そういう魔術か……なるほど。この力の使い方が何となくつかめてきた)

  カイルは右目の魔力の出力を限界まで引き上げ、アニスの目をゆっくりと覗き込んだ。

  「……我が血に流れる穢れた因子よ。この者の『本音』を現実にしろ」

  その言葉を言い終えるや否や、アニスに直接、カイルの邪悪な魔力が流し込まれ始めたらしく、

  「あ、が……っ! あ、あああぁッ! や、やめて……っ! 何かが……何かが、私の中にっ! 流れ込んでくるっ!」

  苦悶の表情を浮かべながら悲鳴を上げるアニスに、

  「正直になれ、アニス。憧れのリンドなんか追い抜いて、自分だけが特別視されたいんだろう? 他の奴らなんか自分よりも下等だと思っているんだろう? 自分だけが選ばれた存在だ、そう思っているんだろう?」

  そう囁くカイル。

  「いやぁぁ! やめてっ! 言わないで! お願い! 大好きなリンド様の前で、私の……私の一番汚い願いを暴かないでっ!」

  アニスは地面に伏し、両耳をふさいだままカイルに懇願する。

  「ごまかしても無駄だぞ、アニス。俺には視えるんだ。お前の心の奥底にある、邪悪で汚らわしい本心がな」

  「いやぁぁぁっ! 覗かないで! 醜い本当の私を覗いちゃ、いやぁぁぁっ! あぁ、こんな私を見ないでください! リンド様ぁぁっ!」

  「ふふふ……アニス。今のお前はとても素敵だぞ。自分の気持ちに素直になるのは、とても素晴らしいことなのだ。さぁ、早く本音をさらけ出し、私と共にご主人様に身も心も差し出そうじゃないか」

  「そうだアニス。ほら、正直になれ。自分こそが真に選ばれた存在になると、強く願え」

  冷徹な言葉をアニスに囁きながら、カイルは自らの右手を手にした小刀で切り裂く。

  トクトクと吹き出す赤黒い血。

  邪悪な色に染まったその掌を、カイルはゆっくりとアニスの胸元へと近づいていく。

  「認めるんだアニス。君は俺のような男に支配されることに対し、最高級の『選民的快楽』を感じる人間だ。君はもう、ただの村娘じゃない。俺の野望のために動く駒。君は世界で最初の『青き影』として選ばれた。これからは俺の手となり足となり、動くんだ。そうすれば君の望む『特別な存在』に俺がしてやる」

  「いやぁぁぁっ! だめっ! やめてぇぇぇっ! そんなものになんかなりたくない! なりたく……」

  「我が血に流れる穢れた因子よ。この者の『本音』を現実にしろ!」

  言い終えるよりも先に、赤黒い血にまみれたカイル右手がアニスの胸元の青い紋章に触れたその瞬間、

  「あ、が……ぁああああああああああああああッ!!!」

  アニスの絶叫が廃屋に響いた。

  アニスの脳内で、これまでリンドに抱いていた憧れや、尊敬の念がバチバチと黒紫の火花を散らしながら爆砕していく。

  その代わりに構築され始めたのは、カイルへの狂信と盲目的な隷属心。

  そして、自分は他人とは違う、特別な存在なんだという選民的思想だった