ユキシロの昇級試験と白山羊半獣伯爵

  ●

  早朝。

  ギルドマスターの場所を教えてくれた受付の女性が、ユキシロの顔を覗き込むように言った。

  「ユキシロさん、顔色悪いですよ。大丈夫ですか?」

  「ああ、ええ……はは、大丈夫です」

  その日は、緊張してあまり眠れなかった。

  まだ夜の気配を残す、朝靄で仄明るい空の下。白山羊の半獣、ユキシロは礼服を身に纏い冒険者ギルドへと訪れていた。

  既に賑わいを見せる――というよりは、夜を通して賑わいを保っているのだろうエントランスへと踏み入れたユキシロは、向けられる視線に肩を窄ませた。礼服を来て訪れる冒険者などいない。ギルド職員も制服があるにはあるが、実用性を重視した活動的な服装で、形式張ったそれとはまるで違う。

  そんな物を身に着けて現れるとすれば、直接の依頼をしにくる貴族の遣いか、昇進試験を受ける冒険者くらいだ。

  「おお、来たか。流石、似合うものだな」

  「お、おはようございます、フェンランさん」

  友人である狼獣人の姿と、見慣れた緑肌の腕が覗く大きな背を見つけたユキシロは、これ幸いと四肢を早足で動かして椅子に座ったその人物達へと駆け寄る。

  ユキシロも顔が知れた冒険者だ。もう彼の小柄な体躯にイチャモンを付けるような者は殆どいない。だが、人の性分とは中々に変わらないもので、好奇の視線に緊張を更に高めているユキシロは、もつれそうになる舌を辛うじて抑え込んで、緑肌の豚獣人の女性に頭を下げた。

  「おはようございます、ギルドマスター」

  オーク。それがギルドマスターの種族だ。椅子に座っていながらもユキシロが少し見上げる程の体躯。

  口の端から牙を覗かせる彼女がユキシロの強ばる表情筋に「仕方ないねえ」とでも言うような笑みを浮かべた後、ユキシロに向けられた視線の一つ一つを見回す。

  声一つ発さず、それこそ、視線が向けられた時間など一瞬だったにも関わらず、好奇の視線を向けていた冒険者達は慌ててユキシロから目を逸していった。

  アッケシの女傑。ギルドの中であれば、都市の名前を出せば彼女の都市か。などと謳われる程の逸物。ユキシロの友人である狼、フェンランが上級へと上がるより前は、ただ一人の上級冒険者としてこのギルドを文字通り支えていた人物だ。

  たとえ素手でも、中級程度の重装甲冒険者を軽く畳んでしまえる程の怪力を持ちながら、しかし、彼女の本質は治療魔法使いだ。戦闘サポートのエキスパート。生来、オークが苦手とする治癒、補助をマイナーな術式魔法をほぼ独学で上級に相応しい練度まで高め、その実力でギルドマスターとして一つの都市を任されるに至った正しく冒険者の鑑。

  ギルドに担ぎ込まれ、彼女の世話になった冒険者は少なくはない。ユキシロにとってはギルド教官の道を示してくれた恩もある。

  「おはよう、ユキシロちゃん」

  視線の檻から解放されたユキシロは、もう既に疲れた笑みを浮かべて会釈を返した。

  これから向かう先は伯爵の住む城だ。そこで失礼一つ働けば、簡単に彼女がギルドマスターの任を解かれる事もありえるだろう。恐れ、と言うよりは、そんな彼女の顔に泥を塗るわけにはいかないという責任を再認識して、顔が強張りかけるユキシロに、しかしギルドマスターはリラックスしきった様子で挨拶を返していた。

  「……なんだい、随分と硬い顔して。緊張しなくていいよ」

  「あ、はい……」

  「元々、家の金で遊びたくないとか言って、冒険者ギルドの雑用やら個人で手に職つけてたような奴さ。荒くれへの対処はなれてる。まあ、そういう面で言えば、あんたは心配いらないだろ?」

  「……ユキシロ『は』って、棘のある言い方だな。ギルドマスター」

  「さてね」

  フェンランの言葉を無視して励ますように、とんとんとユキシロの肩を叩いたギルドマスターは、言い切ってから目の前の端正な顔立ちを見つめる。女と身間違われる事はないが、男とだけ無骨に表するにはとても合わない。

  昔はなよっとしていたが今は芯の通っている瞳をするユキシロに、ギルドマスターは少し考える素振りをした。

  「ああ、でも」

  とギルドマスターは、数秒ユキシロの顔を見つめて、唸るような声を上げてから渋い顔をしてみせる。

  「……それくらいガード固めてた方が、いいかもしれないね」

  「えっと、それって……?」

  「いいかい、ユキシロちゃん――」

  人差し指を立てて何かを言おうとしたその時。

  とてて、と軽快な足音がユキシロ達に向けられて、二人の意識はそちらへと向けられた。

  「あ、いた。ギルドマスターっ」

  駆け寄ってきたのは、ギルドの受付職員だった。

  「どうしたんだい、メルタ」

  「お話中にすみません……、ユキシロさんの迎えの方がもういらっしゃっていて」

  「え、……っ?」

  と先に反応したのはユキシロだった。

  「まだ約束の時間じゃない、ですよね?」

  「はい、ですが伯爵様のお遣いの方をお待たせするわけにもいかず、どうしようかと……」

  メルタは耳をへにゃりと萎れさせるようにして困った表情を浮かべていた。貴族相手に「時間が間違っていますよ」なんて言えるはずもない。そもそも冒険者ギルドも貴族からの支援を受けて成り立っている、いわばスポンサーようなものだ。

  ギルドマスターは、これみよがしに大きなため息をつく。

  「全く、こういう時は権力を便利に使うんだよね。仕方ない」

  彼女は愚痴一つを零すと、椅子から立ち上がった。のそりとした動きからは、しなやかな柔軟性も見て取れる。

  「ユキシロちゃん、準備しな。お貴族様を待たせるもんじゃないよ」

  そう零された言葉に頷いたユキシロは、何故か『お貴族様』という言葉が『やんちゃ坊主』と同じ響きに聞こえてしまっていた。

  

  ●

  迎えは、三人の鹿タウルの半獣人が引く馬車だった。

  伯爵の紋章が掲げられた馬車は作りも豪奢とは言わないまでも、貴族としての名を汚さない程に立派な造りになっていた。遠征で使う乗り合い馬車とは明らかに揺れが少ない。余程荒れた道でない限りは、道というより緩やかな川を渡っているような心地になる。

  そんな快適な空間でユキシロは、ギルドマスターに送り出される直前に言われた言葉が引っかかっていた。

  「さっき途中で遮られちゃったけど、短くこれだけ……伯爵様には気をつけな」

  それは、その寸前まで語っていた伯爵への忠告とは真逆の言葉で、ユキシロはその意味を掴みそこねていた。

  「ねえねえ、ユキシロさん……だっけ?」

  と、どういう意味だったのかと考えていたユキシロの前方から明るい声が飛んできた。顔を上げれば、馬車を退く女性鹿タウロスが、興味に目を輝かせて車内のユキシロに振り返っていた。

  「あ、はい。なんでしょう?」

  「そろそろ着くけど、大丈夫そう?」

  「え?」

  とユキシロは視線を向かう先へと向ければ、はるか遠くに見えていただけの城が前方にそびえているのが見えた。海沿いの湿地帯を見つめて、考え事をしていたユキシロは気づかぬ内にもう半日程も過ぎてしまっていた事に気付いて、急に緊張の汗がどっと溢れ出した。

  「だ、だ……大丈夫です!」

  「うん。衛兵さーん、お願いしまーす」

  とユキシロから門へと向けられた鹿タウロスの声に、鷹鳥人の衛兵が馬車を手早く改める。とはいえ、伯爵が持つ馬車を改めるというよりも、ユキシロの荷物に問題が無いかという確認のようだった。

  「ユキシロ様、ですね。失礼、お荷物を改めさせていただきます」

  「はい、お願いします」

  と仰々しい手続きに、今更に貴族の城に来てしまったのだと、どうにか緊張を解そうとしている間に。

  「……」

  いつの間にか、ユキシロは客間へと案内されてしまっていた。

  「朝早くから済まないね」

  カチャリとティーカップの底がソーサーに触れて小さな音を立てる。暖かな紅茶が注がれたカップはユキシロの目の前にもあるが、緊張でそれを手に取るのも難しいままに放置していた。

  机の向こう。銀にも見える白髪の壮年男性。40はいかないだろう伯爵はどこか上機嫌な様子でユキシロを迎え入れていた。

  「それじゃあ、早速面接を始めようか。ああ、でも、何が出来てないから減点、何かをしたから減点、みたいなことじゃないから安心してね。上級冒険者として続けられるかどうか、っていう適正を見るだけだから」

  「は、はい」

  うんうん、と緊張するユキシロをそのままに、伯爵はそれじゃあ、まず初めにと、質問を問いかけてきた。

  「まず、ユキシロくんはどこ出身?」

  「え? えっと……」

  最初に投げかけられた質問にユキシロは思わず面食らってしまった。てっきり上級冒険者にふさわしい戦歴があるか、戦闘面での貢献やらを問われるものだと思っていた。

  貴族と接するには田舎出身だと不都合があるのだろうか。ギルドマスターやフェンランは否定していたが、実際は気になるのかもしれない。そんな事を考えながら、ユキシロはそれでも正直に答えていた。

  「北の……ポルロイの村です」

  「へえ、あの辺り。寒いよね、風除けの魔法は今も使われてる?」

  「はい。私が子供の時から改良されて、無駄な領域を削減して継続難度を軽減しているそうで」

  よく知っているな。とユキシロは驚いていた。

  ユキシロの出身のポルロイは村の名前ではない。その辺りの周辺をまとめて指す地域名だ。アッケシの街のように大規模な都市が近くにない、謂わば、田舎。

  伯爵領でもない土地の風土をさも当たり前の様に語る伯爵に、ユキシロは舌を巻く。下手に見栄を張った所で手痛く突かれるだけなのだろう。あまり曖昧な返答はできない。

  一通り会話を終えた後、次の質問へと移る伯爵にユキシロは身構えて挑むのだった。

  「じゃあ、そうだな。家族はいるの? 恋人は?」

  「食べ物は何が好き? 海沿いだから海鮮物が美味しいんだけど、食べたことある?」

  「アッケシで最近出来たお店とか知ってる? できればスイーツの店がいいな」

  「あー、ギルドマスター。僕の悪口言ってなかった?」

  そんなユキシロの覚悟に反し、伯爵から放たれる質問はどれも世間話のような軽いものばかりだった。

  きさくな伯爵の言葉に、ユキシロも次第に緊張が解れていく。時々笑い声を交わしながら、まるで気の合う友人を見つけたような心地で、時間を忘れて会話に没頭していた。その最中。

  「おっと、しまったな。もう暗くなってきてしまったか」

  と伯爵が傍らに控えていた侍従に「そろそろお食事予定の時間ですが」と言われて、思い出したようにそう呟いた。その後に、伯爵は机の裏から何か、重厚そうなものを机の上に取り出していた。布に包まれた板のような形状。

  (遮断布、それも上質な)

  ユキシロは、その布が魔力に馴染まない素材でできている事を見抜いて身構える。そんなもので包まれているとなれば、人が無意識に発する魔力でも反応してしまうような危険物である可能性もある。

  だが、伯爵は特に危険を示すこともなく、その布に手をかけた。それを包んでいる魔力の遮断布が解かれ、その中身が姿を見せる。

  盾だ。いや、それは明確には盾ではないことはひと目で知れた。

  輝き。

  まるで己の内から光を生み出す事を覚えた黄金の如き、眩い輝きのようなものがユキシロの神経を圧倒する。

  全容を現したそれは緑苔た岩が剥離した一部のようにも見える、古びた盾のような何かだ。見た目だけで言えば、山中に転がる岩そのものではあるが、ユキシロにはそこに内包される膨大な魔力を確かに感じられていた。

  それほどの魔力を秘めた岩。いや、岩じゃない。

  人工の盾でも、無機的な岩でもない。

  これは、鱗だ。

  「……要塞竜」

  山一つ程もある巨大な竜。ユキシロは、そう断じた。

  息を吸う、それだけで海が荒れる。羽ばたく、それだけで山が切り崩される。寝返りを打つ、それだけで城が容易く崩壊する。

  ただ生命活動を行うだけで、人々の暮らしが破壊される程の影響力を持つ竜がいる。天敵もなく、基本的に温厚とされるが時折その暴威を振るう時がある。

  「ああ。これは災竜、と呼ばれるその一角、要塞竜の鱗だ」

  ユキシロは直接見たことがないが、要塞竜と称される魔物が多くの冒険者達によって討伐隊が組まれていたことは知っていた。これは、その時の戦果の一つなのだという。

  伯爵は先程までの穏やかな雰囲気を一切しまい込み、触れれば切れてしまうような鋭い圧をユキシロへと向ける。その視線をユキシロは知っていた。その鋭さは、死線を知る戦士の目だ。

  上級となるならば、これ程の怪物と対峙することもある。鱗一つですら膨大な魔力を秘めた存在に、生死を賭けた戦いを挑むことになる。

  その言葉はそう言外に告げていた。

  この存在が街を押しつぶさんとしているその時。ユキシロは。

  「戦う覚悟はあるか」

  「……あります」

  逡巡した間に、ユキシロは既にどうその鱗を貫くかを考えていた。戦う選択肢のその先から、ユキシロは一歩引き返し、頷いた。

  街を――家族を害そうとするのであれば、持てる力を全て費やそうとも、それに抗おうと。

  「よろしい、それでこそだ。上級冒険者」

  伯爵は、そんな返答に拍手とともに賛辞を送った。

  「え?」

  「ああ、そうだとも」

  立ち上がる伯爵が机の向こうから姿を表す。

  机に遮られて見えていなかった、伯爵の全身がユキシロの視界に入る。

  「……」

  白い髪を持つ整った顔立ち。少し大柄な体躯を格式高い服装が包む。だが、ユキシロが思わず声にならぬ声を上げたのは、そこから下だった。

  見慣れた体、山羊の四肢がそこにあった。

  彼の白い毛並みを損なわないように四肢の全てを包む服装は、貴族であることと、山羊タウロスであることを誇りにしている事が分かる。

  伯爵も、白山羊の半獣人であったのだ。

  「驚いたかな」

  その事に驚くユキシロに、伯爵はくすくすと肩を軽く揺らして笑っていた。

  「ギルドマスターには、私の種族については黙っていてもらっているんだ」

  意外と驚く者が多くてね。

  フェンランくんはまるで興味がないようだったけれど。と少し不満そうに言いながら伯爵はユキシロへと、黄金のギルドカードを手渡した。

  「共に戦おう、ユキシロくん」

  そう微笑む彼に、ユキシロはギルドマスターが『お貴族様』と含みを持たせた理由が分かった気がして、笑顔を返しながらそのギルドカード受け取った。

  

  

  ●

  「すっかり遅くなってしまった。今日は泊まっていくといい」

  食事の準備も出来ているようだからね。と伯爵の勧めに従い、ユキシロはその日は伯爵城の一室を借りる事となった。

  面接の中でも語っていた通り、この辺りは海鮮物が豊富で、その新鮮な海の幸をふんだんに使用した夕食でもてなされたユキシロは、そのまま、広い浴室に通されていた。

  「広い……」

  「それでは、私は失礼いたします。何かございましたら呼び鈴を鳴らしくださいませ」

  「あ、はい」

  客人として招かれる、という事に慣れていないユキシロは、男性が頭を下げて浴室を辞していった後、ほっと息を吐いた。服を脱ぐ所まで見られていれば流石に恥ずかしさが勝る。

  「ふう……気持ちいいな」

  海を望む浴室は、百人同時に入ったとしても窮屈しないような広さだった。直接、海の望むバルコニーへと繋がっているにも関わらず温度が逃げないように結界が施されている。

  気を張っていたからか、暖かな湯に包まれる感覚が心地良い。食事で腹も膨らみ、上級のギルドカードも受け取れた。まるで湯気に溶けていくように安堵するユキシロは、ただただ心地よさげに目を細めていた。

  「でも、こんな広いお風呂独り占めしてるって思うと、ちょっと申し訳ないというか」

  「そうか、なら良かった」

  と、独り言ちた言葉に返事が返ってきてユキシロは、肩を跳ねさせながらその声が聞こえてきた方へと振り返った。

  「は、伯爵様……!?」

  「うん、これで独り占めじゃないから、申し訳なくはないよね」

  入ってきた伯爵様は当然のごとく裸だった。濡れた床に蹄を置いて、まっすぐにユキシロの元へと歩いてくる。

  「ゆっくり温まると良い」

  伯爵様と入るなら、一人のほうが申し訳無さは少ない。という事を言えるはずもなく。困惑から抜け出せないままでいるユキシロの隣に脚を浸けた伯爵は「十分温まったので」と喉元まで出かけた言葉を封じる。

  「息子も娘も、王都に行ってしまってね」

  「そ、そうなんですか……」

  「ああ、軍人になると言ってね。自分が跡継ぎになる事を考えていないのかと思ってしまうよ」

  流石に許可なく王都に飛び出した訳はないとは思うが、その口ぶりだと反対を押し切って行ったようにも聞こえる、とユキシロはますます困惑していた。

  「だから、少し寂しいんだ」

  伯爵と一緒に入浴するのは失礼かと、上がろうとしたタイミングをそんな遮りづらい会話で邪魔され、挙げ句、隣に体を浸けた伯爵に少し憂う表情を見せられてしまえば、それを邪険にも出来ない。

  「まあ、息子代わりにされて良い気はしないだろうけど、少し付き合ってくれると嬉しいよ」

  「いえ、そんな事は……」

  とはいえ、ユキシロ自身、伯爵がどんな人物かは少し理解していた。初めに考えていたような毅然とした権力者、という印象はもはや無い。

  寂しいというのも本心なのだろう。

  「食事はどうだった?」

  「美味しかったです。特に牡蠣のレモンソースが特に。牡蠣も大ぶりで濃厚で」

  「それは良かった。良い牡蠣が採れたということでね。今日のために用意したんだ」

  「そうだったんですね、恐れ入ります。牡蠣料理が多かったのは、多く採れたからですか?」

  とユキシロは並んだ料理を思い出して、その時に少し疑問に思っていた事を切り出した。

  「ああ、それもあるけどね。牡蠣は体に良いからね、冒険者は体が資本だろう? それに私にとってもその方が良い」

  「その方が……?」

  少し不思議な言い方をする伯爵の言葉を反芻したユキシロだったが、伯爵はそれが聞こえていなかったようにユキシロの腕を手に取った。

  「ユキシロくんもちゃんと鍛えられているようで何よりだ」

  と細いながらにしっかりと筋肉が蓄えられる腕をなぞり、伯爵はウンウンと頷く。

  魔法をメインにしているとはいえ、一端の冒険者ともなれば戦闘を行う事は多くなる。採取だけであっても冒険者にわざわざ依頼するとなれば危険な地帯である方が多いのだ。ある程度の体力がなければやってはいけない。

  そういう意味では鍛えている、というよりも否が応でも鍛えられてしまう。という方が正しいのかもしれない。

  「ふむ」

  と伯爵は、少し擽ったい感触にそろそろ離してくれないかと考えていたユキシロの腕に何か思うように呟く。

  「……やはり少し筋肉が張ってしまっているね」

  「え、そうでしょうか?」

  「ああ、自覚は無いかもしれないけどね。少し体を庇う歩き方をしていた」

  恐らく、気を張っている状態で馬車に乗っていたからだろう。と言われてしまえば、ユキシロとしても思い当たる事がなかったわけではない。

  だが。

  「よし。私がマッサージしてあげよう」

  と伯爵が言い始めて、そんな納得など吹き飛んでしまった。

  「い、いえ……っ、伯爵様にそのようなことを……」

  「なに、こう見えても、按摩師としても生計を立てていた身だ。腕は信頼してもらって構わないよ」

  「いえ、そういう事ではなく、その……っ、恐れ多いです、ので!」

  「……そうか」

  必至に言葉を選ぶユキシロに、さすがの伯爵も折れてくれたのか。すう、とその手を離してくれた。

  「いや、久々に息子に会えたような心地になって、はしゃいでしまっていたようだ」

  悲しげに言う伯爵に、ユキシロは良心がずきずきと痛みを感じるのをひしひしと感じていた。

  「いえ、あの……」

  「……済まなかった、ユキシロくん」

  言いつつも、伯爵はちらりとユキシロに視線を向けてくる。既に落ち込んでいるようにしか見えないのに「本当に落ち込んじゃうよ? いいのかい?」と声が聞こえてきそうな視線。

  「……」

  このままでは、伯爵の方から「先に上がるね」と言ってきそうな雰囲気に耐えかねたユキシロは……。

  

  

  ●

  「ほら、腰のバランスが崩れている。庇うような歩き方はこれが原因かな」

  「ん、う……っ」

  結局、ユキシロは伯爵にマッサージをお願いしていた。

  施術はユキシロが想像していたよりも本格的で、そして何よりその技術は確かなものだった。そういえば、ギルドマスターが「手に職をつけていた」と言っていたのはこれの事だったのか。

  「うん、遊ぶ金は自分で稼ぎたかったからね」

  問いかけてみれば、あっさりとそんな答えが返ってきた。やはり、考えていた貴族像とはずれた方だ、と思いながらユキシロは伯爵の手を受け入れていた。

  タウロス形態の腰はヒトと動物の境の上腰と、後ろ脚の付け根の下腰とがある。歪みを矯正するように圧力を掛けているのは、その下腰だ。

  じんわりと軽く痛みを感じる程度の力加減で筋肉を解され、骨格を整えられる感覚は、今までのマッサージと呼ぶものとは全くの別物だった。これが職人の技というものなのだろう。

  腰から脚の筋肉を揉み解しにかかられて、ユキシロは心まで解きほぐされていくような心地よさを感じていた。

  そんな時。

  (……、あれ……?)

  とユキシロは腰の中心に、よく知るもどかしさが灯り始めるのを自覚した。

  (あ、……まずい)

  ムクリと、ユキシロの下腰の中心に血が集中していく感覚。

  太腿周辺の血流をよくされているからか、それともこの所抑えられていた性欲が安堵で開放されたせいなのか。ユキシロの性器が勃起を始めていたのだ。

  ただのマッサージをしているだけなのに、性欲を滾らせている。そんな羞恥があったが、しかし、体を揉みほぐされる

  快感は抗い難く、意識すれば意識するほどに、屹立は誤魔化しようがなくなっていってしまう。

  「は、伯爵様、……あの、そろそろ……?」

  このままじゃまずい。と判断したユキシロは伯爵の手を止めて、もう十分だと礼を言おうとしたが。

  「動、かない?」

  「うん。まだマッサージの途中だから」

  自分の体が動かなくなっている事に気づいた。

  (拘束術……、それも、これは……)

  伯爵の言葉に、彼の仕業だと確信して魔力を辿る。そして、まるで自分がその魔力操作に気づかなかった理由を目の当たりにした。

  術理が壮大過ぎる。まるで釣り糸を垂らした水紋で湖中の魚を選別して針に誘導するような繊細で、そして無駄に過ぎる遊びに満ちた術理。

  適当にばらまいた破いた紙の紙片が、自然と狙った場所で元と同じ形に集合するような、術式だ。

  感知能力の高いユキシロが気付けないほどの隠密、緻密性。

  上級にすら劣らないという伯爵の能力に、感心すると同時に、焦りが生まれる。

  「あ、あの……っ!?」

  「大丈夫。このまま、私に身を任せると良い」

  「ん、ぁ……っ、伯爵、様……っ?」

  悪意は感じない。それは子供の頃から敵視と蔑視を多く浴びてきたユキシロには分かった。是が非でも、拘束を破り逃げ出そうとしなかったのは、伯爵の手から確かな慈しみを感じていたからだ。

  ギルドマスターの忠告は、きっとこの事だったのだろう。伯爵は、絶対に許せないラインを踏み越えず、その手前で向こうからラインを下げさせてくる。

  本来、触られる事を嫌がるようなそこに、触れてもいいと思わせられる。人心掌握、交渉術。

  耳を擽るような優しい声をユキシロの耳元で囁いた伯爵の手が、ユキシロの張り詰めてしまった雄茎へと伸ばされる。細く長いその全体を、初めは柔らかく指先で触れるように。次第に、芯を持つその屹立の内部を刺激するような手付きに

  変わっていく。

  「ぁ……っ、ぅ」

  片手でユキシロの屹立を撫でながら、もう片方の手は足回りを揉み解していく。血がその中心へと集まるのを補助しているように、ユキシロは自分でも驚くほどに硬く膨らむ雄茎から感じる、深い快感に酔いしれていた。

  「……っ、伯爵、さま……っ」

  「イきそうかい?」

  いつの間にか逃げ出せない程度に拘束が緩んでいた。コクリと首を動かす。

  伯爵はユキシロの答えに尻から腰までを撫で上げながら、強めに山羊の男根を握り擦った。内側から温まりきった体が性欲を満たそうと震えるのを感じる。

  そんな所へ与えられた刺激に、白い毛を纏う睾丸がキュウと引き絞られるような感覚の直後。

  「あ、っ、……イキ、ます……んんっ」

  伯爵の手の中で、ユキシロは勢いよく果てた。

  溜まった白濁を先端を包むようにしていた伯爵の手に吹きかける。

  「よく出たね」

  嫌な感情は一切ない。雄である事を弄ばれている訳では無いという理解が、半ば無理やりだというのに脳が快楽を肯定的に受け入れていく。ドクンドクン、と跳ねる心臓が心地よいと全身に波を発していた。

  「ん、ぁ……は、はい。伯爵様の手に……すみません……」

  「謝ることはないさ」

  「ひゃ、ッ」

  優しい笑みを浮かべた伯爵はそう言いながら、ユキシロの精液に塗れた指をそっと彼の肉茎へと絡ませる。絶頂したばかりの敏感なそこに粘る液体とともに刺激を与えられ、ユキシロは思わずに高い声を漏らしてしまった。

  「可愛い声だ、もっと聞かせてくれるかな」

  「ん、っ、伯爵、さま……っ、出た、ばかりで……ッ」

  「そうかい? ここはまだ満足しきっていないようだけども」

  伯爵は、ユキシロの精液を潤滑剤代わりにして、なめらかにその硬くなったままの雄茎を扱き上げる。

  「感じてくれて嬉しいよ、気持ちいいかな?」

  「っ、は……っぃ……でも、ぁ……ッ、ま、……だっ!」

  伯爵のストロークはマッサージと同じく、いやそれ以上に巧みだった。まるでユキシロの性器にどう触れればより感じるか、ユキシロの性欲をどう刺激できるかを熟知しているかのように、瞬く間に高ぶらされていく。

  「さあ、出していいよ」

  「ん、ふッ……ぁ、あッ!」

  ぐちゅ、ぐちゅと鳴るのはユキシロ自身が吐き出した精液が泡立つ音に他ならない。反響するその音が、ユキシロの雄欲を開放していき、伯爵の手にまた雄種を吐き出す。

  その繰り返しは、ニ、三度では収まらず。

  「三度目なのにこれだけ出るなんて、マッサージのしがいがあるね」

  ユキシロの絶倫が満足するまで、ロワンは何度も射精を繰り返させれるのだった。

  

  

  ●

  「ロワンには言えない……」

  ユキシロはそう呟いた。

  朝、用意された部屋で目を覚ましたユキシロは、自室に用意された朝食を食べている最中も、昨夜受けたマッサージが頭に過ぎっては赤面と青面を繰り返していた。

  初めて男性に体を許した。いや、許したというにも手淫のみではあったが、女性経験もロワンしかないユキシロにとっては、寧ろそれだけだったからこそ強く印象に残る結果になっていた。

  「……」

  今は友人となっている、元ユキシロのストーカーもこういう事を望んでいたのかと思うと、必至に止めてくれていた周囲に今更ながらの感謝をしたくなってくる。仕事は丁寧で的確、嫌いな感情は無いがそれはそれとして、昔の勢いで迫られたとすれば彼に深手を負わせる事くらいは反射的にしてしまっていたかもしれない。

  そんな事を考えながら気を紛らわせていると、送迎の準備が出来たとユキシロは呼び出された。

  「また相談がてら来ると良い、……精の付く食事と温かい湯でもてなしてあげるからね」

  身支度を整えたユキシロに、そう言って伯爵がウインクする。

  傍らで侍従が澄ました顔に少し呆れた色をにじませているので、何があったかは把握しているのだろうが、その意味を間違いなく理解して顔を真赤に染め上げたユキシロには気づくことも出来ず、なんと返事をしたかも覚えていないまま案内の衛兵の後ろを付いていく。

  「あ、行きの時の……」

  「はい、よろしくお願いいたします!」

  と快活な声でユキシロを出迎えてくれたのは、アッケシギルドから送ってくれた鹿タウロスの三人だった。お乗りください、と促されるまま乗り込むと、馬車は変わらず驚くほどの滑らかさで動き出した。

  (この馬車の感覚には慣れそうにないな……)

  馬車は、もっとガタガタと揺れるものだ。中身が詰まっている箱だと思ったら空箱だった時のような肩透かしの感覚に思わず苦笑していると、またしても前の鹿タウロスの三人から声を掛けられた。

  「そうだ。上級冒険者になったんですよね、おめでとうございます!」

  「あ、はい。なんとか朗報を持ち帰れそうです」

  「良かったー! すごく緊張してたから、大丈夫かなって話してたんですよ」

  「そうだったんですね。ありがとうございます」

  そういえば、門に入る前に「大丈夫か」と声を掛けてくれていた事を思い出す。あの時は、準備が出来ているかの確認だけだと思っていたが、ユキシロの緊張具合を心配してのことだったらしい。

  その気遣いに遅ればせながらのありがたさを感じていた、その時。

  「それで、お風呂楽しかったですか?」

  「え……?」

  「え? 伯爵様とお風呂入ったんですよね?」

  思わず思考がフリーズしてしまった。

  「え、っと、なんで……それを?」

  「城の中じゃ有名ですよ。伯爵の変態なところ」

  「行きじゃ絶対に言っちゃダメなんです。ごめんなさい」

  「まあ、ウチの主人の悪口言いふらす意味だってないしね」

  何があったかを知っている口ぶりに、完全にどういう事をされたか事実から遠くない予想を立てられている事に焦り始めるユキシロに。

  「私達もマッサージしてもらったこと、あるしねー」

  という言葉が耳に入ってきて、思い出していた伯爵の手付きの先にいたユキシロ自身の姿が、鹿タウロス達が妖艶にその快感に踊っている姿に移り変わった。

  「……ッ!」

  瞬間、頭の中で何かが弾けるような音がして沸騰したように顔が熱くなる。

  「絶対伯爵様ユキシロさんのこと気にいると思ってた」

  「でも、フェンランさんはすぐ帰っちゃうのよね」

  「自分で帰ったほうが早いからって送らせてももらえないしー」

  と続く話を聞きながら、ユキシロは馬車の壁に額を押し付け、淫らな妄想を頭から追いやるように、昨日の伯爵の術理を思い浮かべて現実から目をそらす。

  「また相談がてら来ると良い」

  という伯爵の言葉が浮かんでくる。

  魔法の事で教わりたいことは幾らでも出てくるだろう。いや、そうでなくても、フェンランがギルドマスターの代わりに届け物をしているのは知っている。だが、その度タダで返してくれるとは到底思えない。門番から給仕まで、ユキシロが『マッサージ』を受けただろうと知られている中で、門を通らなければいけない。

  そう思うと、金色のギルドカードが少し疎ましく思い、それと同時に少し抗えない自分もいて、何故か恐らく何も知らないらしいフェンランを羨ましく思った。

  いや、用意された食事すら断って、即日帰還をするフェンランを見習おうとは一切思えないけれど。

  ユキシロは鹿タウロス達の姦しい会話を聞きながら、火照った頬を冷まそうと壁に顔をつけたまま。

  「ロワンには絶対言えない……!」

  再度そう呟くのだった。