11話 イチと精神病院(10) よせあつめ外伝21

  「ガーク!」

  「ぐ……………………う!」

  2度、3度。

  ブツ、ブツと肉を裂くような音が鈍く響きガークは倒れた。

  その白衣が背中から赤く染まっている。

  「あわわわわわわわわわわわわわわわわ! あうううううううううう!!」

  ヤルマンだった。

  ザルツキーが握っていた短いナイフを手にしている。

  人を刺した事に興奮ているのだろう。

  泣き笑いを同時に作っているような奇怪な表情でイチを見た。

  その表情はまるで20世紀に流行したキュビズムで描かれた人物画のようだ。

  ____くそ! 正面からやるしかないか!?

  ナイフを構え向かってくるヤルマンを見てイチは奥歯を嚙み締めた。

  ヤルマンは両腕を手錠で封じられているが、図体が大きい。

  生身で戦って勝てるかどうか。

  「ふいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」

  「この野郎!」

  ナイフを出鱈目に振り回すヤルマンはまるで刃の嵐だった。

  一太刀でも受ければあとは滅茶苦茶に切りつけられてしまうだろう。

  しかしイチの閃光を捉えるような動体視力が痛烈な回転蹴りをヤルマンの手に食らわす。

  「いぎぎッ!?」

  「静かにしろ!」

  ナイフを弾き飛ばすと同時に回転を活かし追撃の蹴りをヤルマンの鳩尾に突き刺した。

  しかし、

  「あわわわわわわわわわわわわうううううう!!」

  「!?」

  履きなれぬ靴と体格差の為だろうか、興奮状態のヤルマンを制止させるには威力が不足している。

  「うぐッ!」

  そのまま足を捕まれ乱暴に引きずり倒されてしまった。

  

  「あわううううううううううううううう!!」

  「ち、ちくしょう!」

  ヤルマンはイチを引き倒すやいなやイチに馬乗りになり、イチのドレスを引き裂こうと手を伸ばす。

  そうはさすまいと思いつく限りの格闘術を駆使し攻防を繰り返すイチだったが、

  「あっ____!」

  ヤルマンのでたらめに繰り出した拳がイチの横っ面を強打した。

  その衝撃でイチは一瞬抵抗を失い、ヤルマンの手がイチのドレスの胸元を引き裂いた!

  守りから解放された純白のブラに包まれた乳房が跳ねるように飛び出す。

  「きゅいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」

  「ぐッ____、く……………そ………………」

  永らく目にする事がなかった女性の乳房を目にし、ヤルマンの興奮は最高潮に達した。

  このままイチを犯すつもりだろう。

  石灰で穢れた両手がイチの首を絞め始めた。

  下手をすると、イチが生きていようといまいと関係ないのかもしれない。

  喉笛をつぶすような締め付けに、イチは呼吸を失い視界が闇に包まれてゆくのを感じる。

  「かッ________ぎゅッ________」

  なんとかヤルマンを遠ざけようと気力を込めていた腕の力が徐々に抜け始め、苦しみに見開いた目は焦点を失い、空気を求めて開いた唇が紫に染まる。

  イチの冒険はこのまま終わろうとしていた。

  だが、

  「おと、おと! ち! ち! しーーーーーーーーーー

  ッ! し、しーーーーーーーーーーッ!!」

  屋上に新たな影が現れた。

  血を流すガークを泣き出しそうな顔で見ているその巨漢はザルツキーであった。

  「やる! やるぅうう! しーーーーーーーーーーッ!!」

  イチは消えそうな意識の中で見た。

  まるで感情らしきものを感じさせなかったザルツキーの顔が憤怒で歪んでいる。

  体中の切り傷はもしかするとヤルマンにやられたのかもしれない。

  ザルツキーは血だらけの体を爆発させヤルマンに突進した。

  「しーーーーーーーーーーッ! やる! しーーーーーーーーーーッ!」

  「あわわわわわわわわわ!! ぶいいいいいいいいい!!」

  ザルツキーのおかげでなんとか危機を脱したイチは咳き込みながらも見た。

  行害者ふたりが取っ組み合っている。

  その応酬には格闘術などが入る余地はなく、子供同士の喧嘩を最大限に残酷にしたようなあまりにも生々しい闘争であった。

  互いが互いに噛みつき、耳を引きちぎり、目を潰そうとする。

  とてもではないがイチの入る余地などなかった。

  「………………ガーク! ガーク院長!」

  なんとか呼吸を整えながらイチはガークに走り寄る。

  見ると腰のあたりから真っ赤な血が溢れ出している。

  イチは考えるよりもさきにガークの白衣を利用し止血を試みた。

  「ザルツキー………………ザルツキーは………………」

  「喋るな! 傷は深くない! 止血さえ、止血さえなんとかなれば!」

  しかしイチの目から見てガークの出血は楽観視できぬ勢いだ。

  こんな布を当てるだけの止血ではとても足りない。

  何か手を尽くさねば失血死は免れないだろう。

  「………………………………だ」

  「だから、喋るんじゃあない!」

  誰か助けを呼ぶことはできないか、止血の為の医療器具を取りに行くことはできないか、考えるイチにガークは何を言おうというのか。

  ガークは弱弱しい声で、妖精に縋るように言葉を漏らす。

  

  「………………わ、わたしは。 どうすれ…………ばよかったんだろうか。 わたしは………………………………行害者たちは………………」

  「………………ガーク」

  顔色を失ってゆくガークの言葉に、やはりイチは答えることができなかった。

  そのイチの背後では、ついにザルツキーがヤルマンの首を絞めて殺してしまっていた。

  夜霧の中にザルツキーの咽び泣く声が響き、それは連邦に確かに存在する行害者たち、そしてその介護を背負う者の嘆きの声のようであった。