箱がある。
その金属製の箱は空気を通すための穴が数か所開けられている以外特徴がなく、尋問室の中央にただ放置されていた。
横になった大人の男がなんとか窮屈に入る事ができるその箱の中に何があるのだろうか?
ここが尋問室でなければ、それはなんの変哲もないただの箱だっただろう。
「開けろ」
制帽の尋問官が命じると、仕置き人の男が箱を開けた。
中から不浄を象徴する茶褐色の昆虫がぞろぞろと這い出て尋問室の床に広がったので、仕置き人は用意していた殺虫剤を撒いた。
「出してやれ」
尋問官が命じると仕置き人の男が箱の中に腕を突っ込んでそれを出した。
異臭と共に外に出されたそれは、イチだった。
「漏らしたか。冒険者の癖に、情けない女だ」
尋問官はすっかり気力を失ったイチを詰った。
見ると下着が汚れている。
半日以上箱の中に閉じ込められた為に失禁してしまったのだろう。
抗えない生理現象だが尋問官はイチの心をすり減らし自白を引き出す為に酷く棘のある声で笑う。
排泄を自由に行えないというストレスは想像以上である。
しかもまだ少女と言える年齢のイチにとり、失禁した姿を男に見られて詰られるその屈辱はとても耐えがたいだろう。
なにより、そのような状態に追い込まれるほどの長い時間をイチは箱の中で不快な害虫と密閉されて過ごした。
普通の人間であればそれだけでも気が狂っておかしくはない。
「どうだ? いい加減罪を認めたらどうだ」
しかしイチはギリギリの精神に追い込まれても決して罪を認めず「違う」とだけなんとか呟いた。
イチの限界を見極めるために身体を調べていた軍医が尋問官に目で合図をする。どうやら彼の見立てではイチの身体にはまだ余力が残されているようだ。
「そうか。そんなに箱の中が気に入ったか。ならば朝まで虫と一緒に過ごしていればいい」
尋問官の言葉に仕置き人が再びイチを箱の中に押し込めようと手を伸ばした。
「ひっ____、嫌だ、嫌だ、嫌だ! やめてくれ!! もうやめてくれ!! お願いだやめて!! いやだああああああああああああああああ!!」
イチは無我夢中で抵抗したが仕置き人の太い腕に叶うはずもなく、再び暗闇の箱の中に押し戻された。
箱の中からは内側から拳を打ち付ける音と、くぐもったイチの「出してくれ!! 出してくれ!!」という声が無情に響く。
まともな精神の人間であれば吐き気を催すような凄惨な状況だが、尋問官はそれが仕事だと言わんばかりに顔色一つ変えず軍医に小声で話しかける。
「思った以上にタフだな。どうする?」
「まったく、驚嘆に値します。何があの娘をあそこまで保たせているのやら。ともあれこれが終わったらしばらく休ませて、強度を上げましょう」
イチの身体も心も既に限界に近い。近いが、ギリギリのところで驚異的な粘りを見せているというのが軍医の見解であった。
その不屈がどこから来ているのかは恐らく当のイチでさえわからない。
結局、イチは朝まで放置され再び箱から出された時には殆ど死体のように動かなくなっていた。
しかしそれでも尋問官が自白を引き出そうとしたが、イチは無実の罪を認めようとはせず尋問は一時中断、体力の回復を待ち次の段階へ進む事にした。
「その汚れた下着は自分でなんとかするんだな」
疫病が発生しては厄介に思ったか、尋問官はイチを独房に戻すと下着を洗う為の水を張った桶を用意しその場を後にした。
イチは悪臭と屎尿で汚れた自分の下着を洗いながら泣いた。
下着は彼女がスウィートバウムでひいきにしている下着屋でかったもので、嫌でも自由に町で冒険者をやっていた自分を思い出し、惨めさに耐えきれなかった。
「もう、嫌だ________こんなこと、もう、耐えられないよ。スウィートバウムに帰りたい……」
確実にイチの心は折れかかっている。
◆
イチにとって幸運だったことがいくつかある。
まず連邦法によって市民権を持つものへの拷問や虐待は厳しく規制されていた事である。身体に不可逆の損傷を生じさせる事を許さず、尋問が必要な際は連邦法に記載された範囲内で行う事が義務付けられている。
ふたつめ。そうは言ってもその決まりが守られない事も少なくなく、場所によってはそんな法など知った事かという連中もいたがイチが一旦囚われたシベースの基地では比較的良識を持った軍人が多かった。
みっつめ。それでも女に飢えた男達に囲まれても無事でいられたのはこの時たまたま基地に滞在していたジハック将軍が特に軍律に反した行いを良しとしていなかったことである。
だがこのジハック将軍がなんの乱心か、イチに処刑命令を突然下すことになるのだが、それは本章を追って読んでいただきたい。
ともかく、イチは捕らえられた。
そのイチを救おうと言う動きも当然ある。
スウィートバウムにいる彼女の冒険者仲間たちである。
◆
イチが囚われて3日目の昼。
スウィートバウムの冒険者通りから外れたところにある女性冒険者の為の寮、ルーナハイムの居間でイチの仲間6人は悩んでいた。
イチをどう助けるか、ではない。
イチを助けられるかどうか、である。
多くの伝記ではこの時6人の仲間は迷うことなく「イチを助けよう」と立ち上がったと書かれているが、筆者はそう見ていない。実際のところはそう単純に決まらなかったという見方が正しいだろう。本小説では中間的な書き方をするが、とにかくイチが囚われた事を仲間たちに知らせたのは魔法使いの少女、シーナ・アハトゼヘルである。
普段話し出したら止まらないほどお喋りな彼女が血相を変え短い言葉でイチの危機を知らせたのを聞いて、みなそれが馬鹿げた悪ふざけではない事を知った。
この時偶然ではあるが6人は全員ルーナハイムに揃っていた。
「マズイ事になったね。いくらなんでもマズすぎる。ギルドには報告したのかい?」
彼女らの家で最年長のエルビアニカが苦り切った顔でシーナに聞くと、シーナは報告したと言う。
だがギルドが軍に働きかけてくれる可能性が低いのは皆知っている。仮にギルドが交渉を請け負ってくれたとて、イチが解放されるのはいつになるか。それより、エルビアニカは当然軍が冒険者を憎んでいる歴史を知っているので酷い仕打ちを受けている可能性を嫌でも考えざるを得なかったし、その考えは残酷なまでに当たっていた。
「助けに行くわよ。準備しましょう」
タオ・メイメイは勇者であった。
このハーフエルフの小さな少女は考える事を好まない。
それが正しいと思えば即座に行動するだけの強いシンプルさがある。
「行きましょう。イチさんが危ない」
イルハも勇敢であった。
彼女はイチと変わらぬ歳頃の少女だが、騎士の誓いを立てた騎士道に生きる者で、自分の言っている事がどんな無茶か解っていながら魂に刻まれた騎士道の精神が「友を助けよ」と命じている。
「待ちな。私たちだけで何ができる? 良いやり方を考えるんだよ。ともかくまずは状況を正確に把握すべきだ」
しかしエルビアニカは冷静であった。
彼女はイチの仲間たちの中で最年長であるのもそうだが、それ以上に軍と敵対する困難を知っている。
万一自分たちが動くにしても正面からでは絶対に無理で、なにかしらの工作をして僅かな可能性を握るしかないと思っていた。
彼女は斥候や密偵役として影働きを務める事が多かった事も関係しているだろう。
「交渉の余地はないでしょうか? 軍の人たちだって、何かの勘違いでイチさんを一応拘束しているのかも。ちゃんと私が証人になってイチさんに非がない事は言えばわかってくれるはずです」
シーナは我に返った。
はじめシーナはそれこそ例え単身でもイチを救いに行くつもりではあったが、人間そこまでの覚悟は中々決められない。
シーナは育ちが良く、人を性善説で見るので平和的に解決する方法がないか考えた。
当然、イチがこうしている今も酷い尋問を受けているなど知りもしない。
「ギルドの力を借りたほうが良いのではないでしょうか……。どうするにしても私たちには手に負えないような気がします」
「あーしもそう思う。ギルドと話して助けを借りたほうが良いだろ」
ミュルガルデとヘルヒャンは難色を示した。
無理もない。軍事基地を襲撃して無事に済むはずがない。
ミュルガルデはミノタウロス族の女性だが治癒魔術師を志している。荒事を好まない。
ヘルヒャンはハーフコボルト族の少女で手先の器用さからクラフターとして冒険者を助けている。不良に憧れているらしいがミュルガルデと同じく戦いには向いていないし、小心でもある。
「じゃあどうするの? イチを見殺しにするっていうの!?」
メイメイは36歳ではあるがハーフエルフの年齢は他の種族より3倍成長に時間がかかるためまだまだ子供である。生の感情で言葉を口にしてしまう。メイメイの視点から見てイチに命の危機があるかどうかわかるはずもないが、彼女は自分の直感を頭から信じている。
「そうは言ってない。他の方法を考えるべきだって言ってるんだよ! シーナの言う事も一理ある。今は情報を集めるべきだ」
エルビアニカはメイメイを嗜めるように言ったが、メイメイを納得させるような良い方法を閃いている訳ではない。
イチが過酷な扱いを受けている可能性も当然考えている。それでも軽挙妄動が事態をより悪い方に進ませる事を恐れているのだろう。
「僕はたとえひとりでもイチさんを助けに行きますよ」
イルハは決意を秘めた響きで宣言した。
万一、シーナの言う通り軍がイチの身柄を丁重に扱っていたとしたらそれはそれで良い。騎士として正面から軍と話すだけだ。
最悪の可能性を考えてすぐにでも駆けつけるのが騎士であり友の務めだと思っているのだろう。
「イルハ! 無茶だよ! 死にに行くようなもんだって!」
ヘルヒャンは慌ててイルハを制した。
彼女は勿論イチも大切に思っているが、それ以上にイルハに強い感情がある。
ヘルヒャンも冒険者として軍に甘いイメージは持っていないので、どうしてもイルハが軍と衝突する未来を考えてしまうのだろう。
「もっとちゃんと話し合いましょうよ! しっかり方針を固めないと、何も上手く行きませんよ! エルビアニカさんの言う通り、まず情報を集める事を優先すべきです!」
シーナは叫んだ。しかし、話し合ったとて皆が納得する答えが出るのはいつの事か。
____こんな時、イチさんがいてくれたら……。
ミュルガルデは心の中で栓なき事を思った。
いつもであれば何か困難に直面した時、イチが良い打開策を打ち立ててくれる。だが今はそのイチをどう救出するかを議論しているのであってイチはこの場にいない。
結局話し合いは行き詰まり、気まずい沈黙が流れ始めた。
このままでは痺れを切らしたメイメイが真っ先に飛び出し、イルハもその後を追うだろう。
そんな時である。
突如、屋根の方から何か重量物が落下してきたような響く音が。
屋根には彼女らが洗濯物を干す為の屋上があるだけで、物干し竿が倒れた音では決してない。
何か異常が起きたに違いなく、皆顔を見合わせて屋上へと急いだ。
屋上には冒険者ギルド某支部の制服を着た、一本に結った黒髪を肩に垂らした女が月の光に照らされ不気味に立っていた。
女は静かだが異様に通るどこか身の毛のよだつような声色で口を開いた。
「よぉ。諸君、事情は聞かせてもらったぜ」
その女はイチを冒険者として育てた張本人であり、世界に10人しか許されていない髑髏のバッチを持つ伝説級の冒険者。リャン・ハックマンその人であった。