夢を見ていた。
貴方と笑っていた頃の夢を。
「貴和、この世界にはね、美しいものが沢山あるんだよ」
美しいもの?
「うん。
何も変わらない日常も、いつも同じの風景も……こうして、貴和が隣にいる、この瞬間も」
……
「私は、美しいと思う」
“貴和に出会えてよかった”
そんな言葉を、あなたは言った。
そして、『愛してる』と、キスをしたんだ。
とてもやさしいキスだった。
…忘れないくらい、幸せな、時間だった。
「……」
目を覚ました時、それが夢だと分かった時、どうしようもない程、悲しくなった。
変わらない現実。
見せられた夢。
一体いつまで続くだろうか。
いつまで、耐えられるだろうか……。
[newpage]
〔……オモイダシテ……〕
誰かが言った。
〔オネガイ……オモイダシテ……〕
寂しそうに。苦しそうに。
〔ダイスキダカラ……シンジテルカラ…〕
その言葉が、何故だかよく聞こえた。
〔…ダカラ……モウスコシ…アトスコシダケ…マッテイタイヨ……〕
声は泣いていた。
泣きながら訴えた。
〔オネガイ……オネガイ…チアキサン…
オレノコト…オモイダシテ…?〕
俺はその声を知らないけれど、声は俺をよく知っているようだった。
真っ白だった景色に、薄らと男の子がしゃがんでいるのが見えてきた。
その背中は震えていて、膝を抱えて泣いているようだった。
声を殺して泣くその子の、小さく漏れる嗚咽が辛そうで、その背中に、手を伸ばそうとした。
その時だった。
男の子は立ち上がり、一瞬だけ俺を振り返った。
「思い出して。」
赤く腫れた瞳で俺を見るその顔は、沢山の写真に写っていたあの子だった。
呼び止めようとして口を開き、俺は硬直した。
頭の中が真っ白に塗りつぶされていく。
何も浮かばず、何も言葉に出来ない。
待って、待って…もう一度……
おれのなまえをよんで。
「っ……」
目を覚まし、上半身を起こす。
傍に付き添っていたらしい涼介が、俺を見て横の椅子に座った。
「……どうした」
涼介の言葉に、反応しなかった。
「……喉が痛いのか?」
違う
「…声が出ないのか?」
少し焦ったその声に、首を振ることも出来ず、俺は喉に手を添えていた。
頼むからなんて、祈るように口を開き、閉じた。
何も出ない。
最初の1文字。
忘れちゃいけないもの。
きっと、最も……
言葉に出来ないもどかしさや辛さが、涙となって頬を伝う。
涙が溢れてもなお、俺の口は必死に答えを出そうともがいている。
「…千秋…どうした……」
涼介の困惑した声に、俺はようやく、酷く掠れた声で言った。
「……あの子の名前が…思い出せない………」
俺の言葉に、涼介が息を呑んだ気がした。
ボロボロと涙を零す俺を、涼介は黙って抱き寄せた。
「…お前のせいじゃないよ」
その言葉に、嗚咽が漏れたのはなんでなんだろう。
なぁ、神様?
何で俺は、忘れちゃったのかな
何で俺は、覚えてないんだ?
なぁ……かみさま…
あの子の名前を…教えてくれよ………
[newpage]
千秋が、目を覚ましたあと、喉を押えたまま固まっていた。
声が出なかったり、喉が痛かったりするのかと問い掛けても、答えは返ってこない。
やがて千秋はそのまま、涙を流し始めた。
俺は困惑して、手をのばすにも伸ばせず、どうしたんだと聞いた。
千秋の口から零れ落ちた言葉は、予想外のものだった。
『あの子の名前が、思い出せない』
そう言って千秋は泣いた。
その言葉に、俺は驚いたし、胸を打たれた気がした。
千秋が貴のことを思い出そうとしていることに喜び、2人の想像もできないほどの痛みに、美しいとさえ思った。
こんなにも、想い合っているのに。
どうして神様は、2人を引き裂いたんだろうな…。
…そう思いながら、千秋を抱き締めていた。
続く