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研究所への招待

  イヤな予感ほど的中して喜べばいいのかうろたえればいいのかわからないものは、おそらく存在しない。

  「おい[[rb:那仂 > なりき]]といったな。所長権限だかなんだか知らないが俺たちをからかうのもいい加減にしろ」

  [[rb:余市 > よいち]]は椅子から立ち上がって、那仂の白衣をひっつかみ不機嫌そうに声をすごませて盾つく。

  「ほほう? 研究員に任命されてすぐこの私に刃向かうとは中々血の気が多いではないか。こちらとしては魅力的な提案をしたつもりなのだが、なにがそんなに気に食わないのかな?」

  「だからお前に話すことなどないといっただろう。無論、お前の指図を受ける覚えもない」

  誰が見ても一触即発なこの状況。本来であれば三八か陸斗が止めにかかる場面だけど先ほど宣言を受けた内容をどう解釈すべきなのか誰もわからず、まったく飲み込めない事態に僕らはただただ困惑を隠せないでいた。

  パンパン

  「はいはーい、そこのお二方。互いに納得ならないのは理解できますけど一旦落ち着きましょ」

  このままでは危険だと判断したのか、ヤゲンさんが手を打ち鳴らしてブレーキをかける。那仂につかみかかっている余市を引き剥がしてなんとか椅子に戻るよう押しとどめた。

  「いやーうちの所長がホント言葉足らずですみませんっす。余市さんも異論があるとはいえ暴力に訴えるのはダメっすよ」

  「言葉足らずにも程度があるだろ……とはいえついカッとなって悪かった」

  余市はたしなめられた様子で、バツが悪そうにそっぽを向いてボソッとつぶやく。

  「すまないカヲリ、予定していた順に説明を開始してくれ」

  「わかっているっすよ。では皆さん、これより研究員制度の詳細についてお伝えしますんで眼前のホワイトボードに注目して下さいっす」

  そういってヤゲンさんはいつの間にかエントランスに設置されたホワイトボードを回転させる。

  語り出された内容とは以下の通りだった。

  所長である那仂に僕たち四人が研究員として認可されたこと、それはすなわち[[rb:片南 > ひらみなみ]]研究所にあるほとんどの施設への出入りが自由になったことを意味している。また各施設の利用に関しても基本お金がかからず良識の範囲内であればなにをしても構わないとのことだ。更につけ加えると実験のアシスタントをしてくれるのであれば少額ながら報酬まで用意するともいう。

  「これが施設それぞれに共通の[[rb:IC > アイシー]]カードっすね。これと皆さんに割り当てられた暗証番号により大体の施設を開錠することが可能になったので、後ほどご確認よろしくっす」

  ヤゲンさんが白のカードを四枚、[[rb:三八 > さんぱち]]、[[rb:陸斗 > りくと]]、僕、余市へと順々に配る。一見なんの変哲もない[[rb:白亜 > はくあ]]の電子カード。しかし蛍光灯にかざしてみると本体である集積回路にこの研究所のロゴマークであろう精巧な掘り込みが透けて見えた。ご丁寧に四桁の暗証番号が貼りつけられたテープに印字されている。

  「一応マスターキーは所長と私が共有して保管しているっす。たぶん出番はないでしょうけどもしカードに不具合が見つかりましたらご遠慮なく報告して下さいな」

  ふと那仂に目をやるとやたら得意げそうに黒のカードをチラつかせている。あれがマスターキーみたいだ。見せびらかすものでもないだろうにと思いつつ、研究所の秘密へ一歩近づくにはどうもあのカードが必要らしかった。

  「これでガイダンスは終わりっすね。皆さん、なにか質問はございやすか?」

  質問……といわれてもはなからどうやって穏便に断るべきなのか、といった考えしか僕の頭には浮かんでこない。“研究員”の単語に当初は仰々しい役職を想像していたもののこれだとまるで自らこの場所を秘密基地にして下さいとでもいっているようなものではないか。これほどゆるい条件を提示する理由もわからない上に、向こうの目的も依然として不明のままだ。絶対この話にはなにかウラがあることは明白だった。得体知れずの怪しさが中学生男子をそそのかしてとんでもない闇に今にも引きずり込もうとしているのを感じる。ここは確実に危ない、早いところ逃げなくては。

  「ハイ!」

  そんな疑念と危機感なんてどこ吹く風とばかりに威勢のいい一声がすぐさま発せられた。

  「なあなあ、ホントになにをしてもいいんだよな? オレらでなんか作ったりとかそれで遊んだりとかさ!」

  ——ああ。アホの三八が例によって[[rb:焚 > た]]きつけられている。元より好奇心が旺盛なことはわかっていたけれど、こうもデカい釣り針に引っかかるとは情けなくないのかと苦言をこぼしたくなった。いつもなら駆け引き上手なくせして面白いものが待っているとなれば疑うことを忘れてしまうのはいかにもヤツらしい。

  「もちろんっすよ。機械工作からソフト開発まで一通りのことが可能な設備がここには[[rb:揃 > そろ]]っておりますんで、どうぞお気に召すままいじくり回して下さいっす」

  「よっしゃー! そうと決まればこの夏は研究所に入り浸ることにするぜ!」

  嬉しさのあまりその場でピョンピョン跳ねる白いオオカミの少年。ってより『この夏は研究所に入り浸る』という発言、はたからすればホントに正気のそれなんだか甚だ心[[rb:許 > もと]]ない。

  「ところでヤゲンは普段なにを研究しているんだ?」

  「うーん、説明が難しいんですけど生体制御ってわかりやすか? その一分野で私はPh.Dを取得していて機関誌に論文を掲載するため日夜実験をしているわけっすね」

  「生体制御が専門ってことはバイオメカトロニクスなんかも対象だな。オレ将来は身体機能を拡張したようなロボットを設計したくてオカルトや先端科学をかじっているんだけど、今から勉強して間に合うもんなのか?」

  「ふむふむ。いずれにせよ多趣味はいいことっすね、[[rb:一 > いち]]ケンタ・フラダイトの意見でよろしければ進路の相談にも全然乗りやすよ」

  三八はこんな機会そうそうないと思ってなのか興奮ぎみに幾度となく質問を繰り返す。これじゃ余市も陸斗もてんで[[rb:呆 > あき]]れかえっているに違いない、そう考えて隣左右をうかがうも同席している面々のリアクションは予想と大きくかけ離れていた。

  「でへ、でへへ……」

  陸斗はあからさまな笑みを惜しげもなくこぼしていて、これからなにしようかという妄想に脳内を埋め尽くされた様子を見せている。ぎこちなく漏らす笑い声を素直にかわいいと思ってしまった自分がすこし[[rb:癪 > しゃく]]だ。一方で余市はといえば——。

  「…………」

  あのモロにいかつい形相もとい万象一切を貫くような鋭い眼光はどこへ行ったのやら、あたかも新しいオモチャを買い与えられた子供みたいにひどくクリクリした瞳を見開いて半ば放心しているようだ。おそらく感動しているのだと推測されるその表情は本来の性格が現れたものか、とにかく普段との末恐ろしいギャップになぜだか心臓が縮み上がる気分になった。

  「諸君、ようやく理解していただけただろうか? この研究所の研究員に選ばれることが、いかに名誉で素晴らしくあるかを。任期はもったいぶらずに一年八ヶ月としよう。中学を卒業するまでに各々がどれほど成果を挙げてくれるか、所長として陰ながら期待している」

  なにが任期だクソッタレ。この状況下において自分以外マトモな判断ができる[[rb:奴 > やつ]]がいないことに心底うんざりする。いや、もはや[[rb:辟易 > へきえき]]を通り越して頭が痛くて仕方がない。腹の虫が治まらなくてヒゲをバリバリ[[rb:掻 > か]]きむしりたくなる衝動を無心で[[rb:堪 > こら]]えた。しかし一人もだえる僕をよそにアホどもの[[rb:行軍 > こうぐん]]は一向に止まる気配を見せないでいる。

  「さて。解説も終わり、より深くこの研究所の魅力を知りたくてたまらない頃合いだろう。ならばこれより研究所案内ツアーを催そうではないか! 私が先頭に立って直々に各施設の紹介をさせていただくとする。恐るべき可能性を秘めし諸君よ、私に続きたまえ」

  「おうおう! よろしく頼むぜナリキ!」

  「ぼ……僕も行きます!」

  「……俺も行く。機械が作れる場所なら、どこでもいい」

  一匹、また一匹と[[rb:瘴気 > しょうき]]にあてられた獣がエントランスを後にして外へ飛び出してゆく。残されたのは、今や己の感覚が異常なのか正常なのかさえもわからなくなってしまった哀れな黒猫だけだ。

  「[[rb:一朔 > いっさ]]さん大丈夫っすか?」

  うつむいて動けないでいる僕の視界に、サッと周期表が描かれたマグカップが差し出される。

  「インスタントのコーヒーで申し訳ないっすけど温かいものでも飲んで、ここは一旦ゆっくりして下さいっす。そうお[[rb:身体 > からだ]]がこわばっていちゃ[[rb:二進 > にっち]]も[[rb:三進 > さっち]]もいかないっすよ」

  ちょうどタイミングを見計らっていたように話しかけてきたその人はヤゲンさんだった。マグを手に取り湯気を立てる褐色の液体を口に含む。ホッと一息ついてかすかに緊張がほぐれた。

  「いやはや、一朔さんもあんな連中のリーダーをやっているなんて大変っすね。まとまりもなにもあったもんじゃなくて、さぞ骨折りも絶えないでしょうに」

  ヤゲンさんは宇宙論において標準模型を表す数式が記されたマグカップ片手に、陸斗がいた椅子に腰かけて僕と向かい合う。……あれ? 以前は猫の耳だった部分が犬のそれに置き換わっている気がした。いくらケンタ・フラダイトとて種族が可変というのはあり得ない話だ。

  「えっと。まず、別にリーダーってわけじゃないです。毎度ザッパたちに巻き込まれているだけでリーダーっぽいことなんて自分に務まりませんし……」

  「ははぁそりゃあ失礼しやした。てっきり皆さんが一朔さんを慕ってのことだと思っていたんですけど、違ったのであればホントすんません」

  「それと耳が——」

  一瞬、ヤゲンさんの瞳孔が大きくなって途端に言い知れぬ殺気が身体を通り抜けた。そして僕は忘れていたことをふと思い出す。目の前に相対する人型実体は、紛れもないバケモノなのだと。

  だけど一瞬とは本当にごくわずかな時間のことだ。息さえ忘れ[[rb:呆然 > ぼうぜん]]と被食者のふりをする僕へ、ヤゲンさんは照れくさそうな表情をしながら言い辛そうに返す。

  「一朔さんは[[rb:特別 > ・・]]っすから構いませんけど……いや、でもやっぱ秘密っすね。お答えしかねやす」

  ほんの数コンマ前に襲いかかった幻を振り払おうと、努めて言葉をひねり出そうとした。

  「あ、……ああ変なこと聞いてすみません。コーヒーありがとうございました!!」

  「へ? 気分転換になったならまあ良かったっすよ」

  ヤゲンさんは空いたマグカップをお盆に乗せ上階の研究室に戻ろうとしてか階段に足を運ぶ。

  「そうそう。一朔さん、これだけは聞いて欲しいっす」

  背中を凝視することしかできない僕へと振り向かず、そのケンタ・フラダイトはこう続けた。

  「本日お集まりいただいたのは先日の一件を所長に謝って欲しかったのと同時に、所長を皆さんの輪に入れてもらいたかった私の要望でもあるんす。出会いの形はともあれども、あの歳で私以外に話す相手がいないと中々寂しいものがあるわけっすね。研究員に任命するだなんて大そうな御託を述べましたけど要するに友達になって下さいってことなんで、所長を[[rb:何卒 > なにとぞ]]よろしくお願いしやす」

  (これも方便のうちか? でも……)

  正直いって[[rb:鳥居越 > とりいこし]]那仂という人物はいかなる性格の持ち主なのか、そして三人との[[rb:噛 > か]]み合わせがどうなるのかほとほと予測がつかない。でも初対面より悪い印象でないことは確かだった。

  もしもこれが本気のお願いで、もし本当に那仂が耐えがたい孤独に心をさいなまれているのだとしたら?

  『悩んでいらっしゃるなら肩にぶら下げたヘッドフォンに聞いてみればいいんじゃないっすか? きっと、アナタの追い求めている“答え”を教えてくれるはずっすよ』

  え。

  今、一体どこから声がしたんだろう。ハッと視線を上げてみたところでとっくにヤゲンさんの姿はそこになく、僕一人がエントランスに取り残されている状態が判明したのみだ。ヘッドフォンのヘッドバンドを肩にかけたままギュッと握りしめ、目を閉じて立ち尽くす。…………。

  「おいイッサ、そんなとこでなにボケーッとつっ立ってんだ? アイツら先に周ってんぞ」

  突然投げかけられた言葉に、[[rb:冴 > さ]]えわたっていた直観は心ともなく離散してしまう。無意識に堆積した情報の断片が組み合わさって弾き出された結論だけを残して、不思議そうに僕を見つめてくるヤツへと僕の意識は集中する。……まったく気づかないのも大概だけどわざわざ戻ってきたのか。

  「ほら手ぇ出せって。さっさと合流するぜ!」

  そう言われ手を引かれてようやく外に連れられてもなお、胸の奥に生じた“結論”に対して、考え出した自身すら理解が及ばないことへの不可解さに、僕はかすかな気味の悪いものを感じていた。

  どうしてヘッドフォンから三八の気配がするんだ?

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