ライカンスロープ 第13話

  (助けて・・・・・・和虎隊長!!)

  風丸は、恐怖に飲まれていた。

  仲間が近くにいることで得られる安心感も、兵士を継続するために戦果を上げねばという緊張感も、仲間を脚を引くべきでないという責任感も、全てが恐怖で上書きされ、戦意を失ってしまった。

  死にたくない。どんなことをしても生き残りたい。誰か助けてくれ。

  他者のことを考える余裕などなく、自分の命の事だけを考えて、しかしやることと言えば祈ることのみ。

  それほどまでに、風丸の胸に植え付けられた傷は深かった。

  (どうしよう・・・・・・隠れていても、いつかきっと、こっちに来る!どうしよう!?)

  身を隠してからは、狙撃が来ない。自分の姿は、狙撃手からは完全に見えなくなったようだ。

  しかし、狙撃手がいつまでも一か所にいるはずがない。自分を射殺せる場所に移動するはずだ。自分の姿が丸見えになる場所へと。

  一刻も早くこの場から自分も移動しなければならないのだが、足が震えて立つことが出来ない。死にたくなければ動かなければならないというのに、それさえままならないのだ。

  (どうすりゃいいんだよ・・・・・・どうすりゃ)

  「!!!!!」

  ふと、左に頭を向けた風丸は、恐怖が頂点に達して言葉を失った。

  リス獣人の亡骸が吊るされた枝の上に立つ、不気味なキメラを見つけて。

  緑色の乱れた長髪、枯れ枝のような皮膚、逆三角形の頭部には細い双眸と縦長の口、発達した筋肉を有する両腕。しかもその身には、狙撃兵が身に着けるギリースーツを纏っていた。

  つい先程賢士が仕留めたものと同種のキメラだが、体は一回り以上大きかった。

  そのキメラは、黙って何かを見下ろしている。風丸ではない、別の何かを。

  キメラの視線を追った風丸は、再び絶句した。

  そこには、気絶した亮太の姿があった。

  (あっ)

  狙撃から逃れようと大樹の陰に隠れた時、抱きかかえていた亮太を手放してしまっていた。そのことに、風丸はようやく気付くことが出来た。

  それを後悔する暇さえなかった。

  キメラは黙って、亮太の方へと飛び降りた。

  その手には、木を削って作った槍がある。

  (あっ・・・・・・)

  

  迷子の兄弟がいる。共に幼く、小学校に通う前である。

  弟は心細さのあまり、泣き始めてしまった。

  だが、兄は泣かずに弟の手を引き、両親を探し始めた。

  自分も泣きたい気持ちだが、弟の前で泣くわけにはいかなかった。

  精一杯の勇気を奮って、兄としての意地を張ってみせたのだった。

  

  自分より弱く、守らなければならない人が隣にいる。

  頼られることで責任感が生まれ、勇気が芽生え、力が湧いてくる。

  一人では抗えない恐怖にも、立ち向かえるほどに。

  

  強い仲間がいることで得られる安心感が無くてもいい。

  自分が強くなればいい。

  弱い味方も力になるのだ。

  (亮太あぁー!!)

  「のああぁー!!」

  亮太の存在により勇気を取り戻した風丸は、圧し掛かる恐怖を振り払うと奇声を上げつつ地面を蹴った。

  考える前に、体が動いてしまった。

  冷静さを欠いた行動だったが、その速度はすさまじく、キメラの槍より先に風丸の手が亮太に届いた。

  槍の切っ先が地面に突き立てられた時、風丸は既にキメラから5メートルも離れた位置にいた。

  (あぶねー!)

  亮太を右脇に抱え、風丸は立ち上がってキメラの方に向き直った。キメラは槍を地面から引き抜き、風丸を睨む。

  (なんつー不細工な面だ・・・・・・)

  その不気味な容姿に見とれた次の瞬間、キメラは腰の後ろに手を回した。

  (何だ・・・・・・何だ!?)

  風丸はキメラの動きを注視しつつ、バックステップを繰り返して徐々に距離を離していく。

  やがてキメラは腰紐に括り付けていた二つの武器を手にすると。

  「シイッ!!」

  それを風丸に見せぬよう、高速で腕を振って投擲した。

  「いっ!?」

  同時に放たれたのは、二つの刃だった。それらは一直線に風丸へと飛来せず、弧を描きながら風丸へと向かっていく。

  (え、何!?)

  高速移動が得意な風丸は、動体視力と反射神経に優れている。それ故に、キメラの手から放たれた両方の刃を、投擲直後は目で捕らえていた。しかし、刃の軌道は直線でなく曲線。左右へと展開したため、両方を視野に入れることは出来なかった。

  二つの刃は死神の鎌と化し、左右から風丸を襲腕。

  (やっべ!)

  風丸は右の刃に注意した。右の方が速く届くと判断したのだ。そして、それは正しかった。

  首へ飛んできた刃を、風丸はバックステップで躱す。

  (次はこっちだ!)

  風丸は左に視線を向けた。しかし、刃はどこにもない。

  (あら)

  すっぽ抜けたのかと思った直後、付近の樹木を両断し、風丸の眼前に刃が迫ってきた。バックステップで躱すことも想定していたらしく、絶妙な位置だった。

  「ぅえ!?」

  風丸は上半身を倒した。刃の位置は高く、また首が狙われたと思って。

  だが、刃は下段へと向かう。

  (え?)

  和虎が繰り出す袈裟切りが、風丸の脳裏に蘇る。

  バックステップは間に合わない。

  刃は風丸の足元を通過し、地面に深々と突き刺さった。

  「あっつ!」

  直後、左脚に灼熱を感じ、風丸を声を上げた。

  キメラの刃が、左大腿部前面の筋肉を切り裂いたのだ。

  骨には達していないが、傷は深く鮮血が流れ出る。

  風丸を襲った刃は、石を研いで作られた三日月形のブーメランだ。大きさはナイフよりやや大きい程度だが、肉厚で重量があり、切れ味は鋭い。投擲者の元へ戻ってくることは無いが、高速回転しつつ独特な軌道で飛来するため、回避や防御は難しい。

  歴史上、ブーメランは実際に狩猟用として使用されたこともあるが、命中率も殺傷力もさほど高くは無かった。だが、キメラが作成して使用すれば、人間はおろか獣人さえも仕留められるほどの危険度を持つこととなる。経験の浅い風丸が、初見で対応できる武器ではない。

  (いって!切れた!血が!やっば!脚!)

  当の風丸は、刃の正体などどうでもよかった。スピードを最大の武器とする風丸にとって、左脚の負傷は絶望と同義だった。これでは、華麗なフットワークでキメラの攻撃を避けることも、全力で走り逃げ延びることも出来ない。出血量も多く、失血死の危険性もある。

  跪き、傷の痛みに嘆きながらキメラを見ると、その手には槍が握られていた。キメラはそれを振りかぶり、風丸へと投げつけた。

  振りかぶる動きは遅かったが、投げるモーションは速い。

  「のあ!」

  風丸は左へと転がり、間一髪で槍から逃れた。すぐ右を、弾丸のような速度で槍が通過した。

  地面を転がった風丸は立ち上がると、キメラに背を向け走り出した。

  (舐めんなよ、ちくしょう!こんくらい、痛くねーよ、バーカ!)

  亮太を助けなければならない。その一心から生まれた勇気は、傷一つで消えるものではなかった。

  (でも倒すのはぜってー無理だわ!無理無理無理マジで無理!亮太抱えてたらぜってー勝てねーし!脚から血が出てるし!和虎隊長の言う通り、逃げねーと!)

  風丸の決断は早い。即座に撤退の策を選択した風丸は、キメラの次の動きを見ることなく逃げ出した。

  キメラに背を向け、ジグザグの軌道で木々の間を通り抜けながら高速で駆ける。軽快なフットワークが得意な風丸は、複雑な軌道であっても十分な速度を維持して走ることが出来た。本来ならば左脚に激痛が走るはずだが、極度の緊張感と集中力が痛みを忘れさせた。

  (森の中だといい感じで木が邪魔してくれるな!道路に出たら丸見えになるからやめておこう!あいつを撒いて、迂回して隊長たちのところに戻ろう!)

  風丸は向かう先は、和虎たちがいる亮太の家とは真逆の方向だった。だが、あのキメラの横を通り抜けられるほどの勇気を、風丸は持ち合わせていなかった。

  とりあえず、先ずはキメラから離れ、完全に撒いてやればいい。その後、大きく迂回して亮太の家へと向かう。風丸はそう決意すると、振り返らずに走り続けた。何も考えず、一心不乱に。

  下手にあれこれと考えたところで、自分の知能では良作は浮かばないだろうから。

  何より、思考することで恐怖に侵食されてしまうかもしれないから。

  (脚だけには自信があるからな。こんくらいの怪我、何ともねーし。逃げることに集中すれば、余裕で切り抜けられるだろ)

  全力で走れば、自分に追いつけるものなどいないはずだ。そう思い、風丸は森を駆け抜けた。

  しかし、走り出して数十秒後、風丸は異変に気付いた。

  (あれ・・・・・・なんか、スピードがでねーな)

  いつもの自分なら、数歩走ればすぐに最高速度に達し、視界は高速で流れて空気の壁が顔を叩くはずだ。しかし、速度が中々上がらない。いつもより遅く、その速度は全力には程遠い。足場の悪い森の中で、相手の飛び道具を警戒しジグザグに移動しているのだから、多少は速度が落ちてもやむを得ないだろう。だが、それを考慮しても遅すぎる。

  (何でだよ。もう疲れが出だのかよ。体力づくりは真面目にやったろ。しっかりしろよ!)

  自分自身にそう言い聞かせる風丸だったが、速度低下の現象は疲労ではなかった。

  (あれ、なんか濡れてねーか)

  ふと、左脚に違和感を感じた風丸は、そちらに視線を向けた。

  「うわっ」

  驚きのあまり、声が口から漏れた。傷口から流れ出た血液によって、ズボンの傷口から下の部位が真っ赤に染まっていたのだ。

  速度が出ない原因は、太腿の負傷だった。戦意の高揚によって分泌された多量の脳内麻薬により、風丸はほとんど痛みを感じなかった。しかし、ブーメランによって切り裂かれた傷は深く、その切っ先は骨にまで達していた。当然、無傷の時ほどの速度が出るはずもない。

  (しかも急に疲れてきたような・・・・・・)

  出血量も多いため、徐々に息苦しくなり、体が重くなっていく。更に、傷の痛みはじわじわと強まりつつある。自身が負った傷の重さを把握した途端、症状が侵食を開始したのだ。痛みもじわじわと湧き上がってきて、無視できないほどになりつつある。

  (やっべ、これじゃ、あいつを撒けねーよ。それどころか、追いつかれちまうって。どーする?)

  亮太を抱える腕に力を込め、風丸は全力疾走しつつ策を考えた。

  (俺、頭悪いからな・・・・・・和虎隊長だったらどーする・・・・・・逃げずに倒すよな)

  思考を巡らせるが、妙案は思いつかない。その間にも出血は続き、風丸の体力は削られていく。

  ドッ

  焦り始めた風丸の耳に、衝突音が飛び込んできた。やや後方の、上の方から聞こえてきた。

  (やっべ、ぜってーあいつだ!近くまで来てる!木の上か!?)

  キメラが接近している。そう判断した風丸は、振り返らずにペースを上げた。最も、速度はほとんど変化していない。それでも、勝ち目はないと分かっているから、前だけ見据えて走ることしか出来なかった。相手の位置を確認したかったが、振り返ることで生じる僅かな減速さえも怖かった。少しでも速度が落ちれば、次の瞬間に仕留められる、そう思わずにはいられなかった。

  死神の鎌は、既に振り上げられている。切っ先が向かう先は、自分の首だ。

  どうすればいいのか。打つ手は残されていないのか。

  半ば諦めかけていたその時、打開策を記憶の中から探していた風丸の脳裏に、過去の事象が浮かび上がった。

  (そーいえば、この状況って・・・・・・)

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  幼少期のことだった。

  いじめられている友達を見つけると、風丸は迷うことなく走り出した。

  自分の身一つで、いじめっ子に飛び掛かっていった。

  運動神経が高い風丸は、苦も無くいじめっ子を圧倒し、友達を救うことが出来た。

  小学生の間は、何の問題もなかった。

  しかし、中学に入学する頃になるとそうはいかなくなる。

  運動神経は優れていたが、風丸は小柄だった。

  同年代の男子たちとの体格差は、年齢を重ねるにつれてより顕著に開いていく。

  大柄な上級生が数人で相手となると、逆にこちらが圧倒されてしまう。

  それでも、風丸は躊躇うことなく立ち向かっていった。

  家庭は貧しく、両親は共働きで毎日夜遅くに帰宅する。孤独を分かち合う兄弟もいない。

  そんな風丸にとって、友達は何よりも大切な宝物だった。

  宝物が理不尽な暴力で汚されているのを、黙って見過ごすわけにはいかなかった。

  大人を頼ろうともしなかった。

  激務に襲われている両親に、余計な負担をかけるわけにはいかなかった。

  親身になって相談に乗ってくれる教師に巡り合うことはほとんどなかった。仮に出会えたとしても、敵は狡猾で外面が良く、証拠を残さず、言い訳上手で罪に問われることはない。

  だからこそ、自分で立ち向かった。

  暴力では勝てない。しかし、友達は助けたい。

  風丸は、自分が実行できる最良の作戦を編み出し、それを実行した。

  「待てや、知多ぁ!!」

  「そっち行ったぞ!捕まえろ!」

  卑劣ないじめっ子たちの怒声を背中で聞きながら、風丸は学校の廊下を走って逃げた。

  すると、廊下の突き当りの曲がり角から、鬼の形相をした上級生が現れた。

  先回りしていたらしい。

  体格は大人顔負けであり、筋肉質で喧嘩慣れしている悪漢である。

  しかし風丸は慌てず上級生に向かって全速力で走っていく。

  そして、上級生が腕を振り上げた瞬間、右前方へと軌道を変えた。

  速度を維持したまま上級生の左脇を通過し、やや減速して上級生の背後に軽くパンチを入れ、再び走り出した。

  上級生の罵声を聞き、ほくそ笑みながら。

  風丸の編み出した戦術とは、ひたすら逃亡するだけだ。

  いじめの現場を目撃すると、そこへ走り出し、いじめっ子へ跳び蹴りを1発お見舞いし、言葉で挑発する。

  こうして自分自身を標的にし、あとはひたすら逃げるだけだ。

  自分が捕まってしまうと、集団で暴行されてしまうだろう。相手の凶悪さを効力すると、重傷を負うことになるかもしれない。最悪の場合、命も落としかねない。

  だが、風丸には捕まらない自信があった。足の速さだけでなく、瞬発力、動体視力、身軽さ等、逃走や回避に必要な才能を備えていたからだ。

  それらを存分に発揮し、風丸は逃げ続けた。

  相手も風丸を捕まえるべく、先回りをしたり、多勢で攻めてきたり、足が速い助っ人を連れてきたりする。

  それでも、風丸は捕まらなかった。廊下を高速で駆け抜け、人の波をすり抜け、階段を飛び降り、高い柵を軽々と飛び越え、逃げ続けた。追い詰められても、殴打や蹴りをあざ笑うように躱し、脇や股下を透り抜けて逃げてしまう。

  町中で追いかけられても、路地裏や塀の上を走り、屋根から屋根へと飛び移り、橋から飛び降りて逃げ続ける。

  その姿は逃亡者、ひいては曲芸師のようだった。

  逃げ続けるという行為はかっこいいものではないと、風丸は実感していた。

  それでも、これこそが自分の戦いだと思っていた。

  友達を守るための戦いだと。

  自分が出来る唯一のことなのだと。

  ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  走りながら風丸は思う。学生時代と同じだと。

  勝つために、守るために走り続けていたあの頃に。

  (最も、相手は化物だけどな)

  懐かしみたいところだが、現状がそれを許してくれない。重くなった両脚を何とか動かして前に進むが、やはり速度は落ちていく。風丸は、自身の限界が近いことを悟った。

  しかし、窮地に立たされ自分の原点を思い出した風丸は、諦めずに走った。不規則なジグザグの軌道で、キメラから逃れようと全力で地を蹴り走る。

  (走ることは出来そうだけど、スピードは落ちる一方だな。こんなときどーするか・・・・・・あっ!!)

  過去を振り返っていた風丸の脳裏に、この場で有効と思われる対処法が浮かび上がった。

  中学生の時のことだ。大勢の上級生から長時間追い回され、スタミナが尽き果ててしまった風丸は、廊下を弱々しく走っていた。すると背後から、自分よりやや背が高い上級生が走り寄って来る。もう全力で走ることは出来ないため、逃げられない。

  自分の肩へ上級生の手が伸び、数秒後に捕まえられることを悟った直後。

  (おりゃ!)

  逃走が不可能と判断した風丸は、急停止して後方へバックステップをした。

  急停止から逆方向への移動は両脚への負担が大きく、身軽とは言え疲労がたまった風丸の身体では容易な動作ではなかったが、最後の力を振り絞り上級生へと後ろ向きに体当たりを放つ。

  「ぶっ!」

  上級生にとっては、完全に想定外の攻撃だ。しかも、全力で走って風丸を追いかけていたので、急停止はもちろん急旋回もできない。

  そして、上級生の顔面に風丸の後頭部が衝突した。風丸も痛かったが、鼻に硬い頭蓋骨が直撃した上級生の方が、味わう痛みは何倍も強い。上級生は涙目になりつつ、鼻を抑えてその場に座り込んだ。指と指の隙間からは、鼻血が漏れ出ている。

  風丸はそんな上級生を一瞥すると、逃走を再開した。

  (そうだ!急に方向転換して、反対側に走り始めりゃいいんだ!)

  風丸は現在、和虎達がいる亮太の家とは正反対の方向へと走って逃げている。しかも、キメラはすぐ近くまで迫っている。そこで、キメラが自分に接近した瞬間、予備動作無しで方向転換してやればいい。

  逃げている獲物が急停止して、即座に反対方向へと走り出すことなど、相手は想定していないだろう。実行すれば、完全に裏をかくことが出来る。

  (あの野郎が驚いて急停止している隙に、振り返って右手のナイフを投げる!隙だらけだから当たるはずだ!そして相手が痛がってる隙に、猛ダッシュで引き離す!)

  風丸は走りながら、亮太を左脇で抱えなおし、右手で腰の裏に取り付けてある投擲用の投げナイフを取り出した。拳銃の腕はからっきしだが、こちらの命中率には自信がある。

  携帯と投擲に特化しているため小型であり、キメラを仕留めることは難しいが、傷を与えることは出来る。緊急時の武器のような存在だ。

  (傷を与えて動きを鈍らせないと、追いつかれるからな。でも、亮太がいるから直接攻撃は難しいし、拳銃は多分当たらねーし。こいつでやろう)

  風丸はヘルメットを脱ぎ去った。キメラの接近を、しっかりと耳で聴きとるためだ。亮太に見られたときのことなど、今は考えなかった。

  木々を蹴る音は、確実に近づいてくる。風丸は意図的に速度を落とした。流石の風丸でも、全力疾走からの急旋回は難しい。加えて、今は左脚を負傷している。

  敵に追いつかれる程度に。しかし、不自然に遅くし過ぎてしまうと策がばれてしまう恐れがあるため、徐々に速度を落としていく。

  (よし、来い・・・・・・)

  風丸がそっと後ろを見ると、偶然にもキメラを捕らえた。真後ろの樹木の上に、ギリースーツを纏ったキメラが、こちらを見下ろしている。

  次の瞬間、キメラは風丸の右側へ回り込むように跳んだ。空中で、ブーメランを投げつけながら。

  (やばっ!)

  ブーメランの軌道は直線ではない。

  回避のために動いた地点も、その軌道上かもしれないのだ。

  風丸の動体視力ならば軌道を見切ることは不可能ではないが、ブーメランは木々に隠れて飛来してくるためそれも出来ない。

  (こっちだ!)

  風丸は右へ、つまり投擲者であるキメラの方へ移動した。

  ブーメランの投擲者と相対した場合、下手に左右に動いたり後退したりするより、前に出た方が危険が少ないと判断したのだ。

  賢さが足りないと馬鹿にされる風丸だが、その判断は的確だった。一度負傷したことで、本能が回避方法を教えてくれたのだ。

  樹木を切り裂きながら進んだブーメランは、木々を切り裂きながら地面に突き刺さる。

  (あっ、やば!)

  しかし、回避を喜ぶ余裕が風丸にはなかった。

  樹木に着地したキメラが、即座に幹を蹴って風丸へ降下してきたのだ。

  ブーメランからは逃れることが出来たが、キメラとの距離は10メートルを切っていた。

  一足飛びで届く距離だ。

  左脚の負傷により急停止は間に合わず、ナイフを投げ付けてもその突進は止まらないだろう。

  キメラの手が獲物の首に伸びる。

  だが、その手は空を切った。

  風丸は右脚で地を蹴り、進行方向へ加速してキメラから逃れたのだ。

  そして、キメラが着地すると同時に、身を翻しつつナイフを投げつけた。

  それは正確に、キメラの右大腿部へとスーツ越しに突き刺さった。

  (っしゃー!!)

  風丸は右脚を地に着けて踏ん張り急停止すると、左脚を踏み出した。

  (いっっっったくねー!!!)

  痛みに耐え、そのまま走り出す。跪いたキメラの後ろを通り過ぎて、一気に加速する。

  (やった!やったし!ざまーみやがれ、くそキメラ!このまま一気に行くぞ!!)

  作戦成功に歓喜しつつ、風丸は最高速度まで加速を続けようとした。

  ガガガガガガガッ

  「は?」

  聞いたことが無いフルオートの銃声が、風丸の耳に飛び込んだ。

  「あじっ」

  銃声が止むと、左脚に再び灼熱が走る。

  右肩もだ。ブーメランの時よりも熱い。

  「ぁやっ」

  躓いてしまう。反射的に、亮太を抱え込んだ。

  右腕に力が入らず、取り落としそうになったが左腕で何とか抱きしめる。

  地面を転がる。速度が大きかったため、何度も転がる。地面に打ち付けた膝が痛い。

  「ぃだっ!!!!!」

  左脚と右肩の灼熱が激痛に変わる。過去に味わったことが無い痛みだ。

  転がりながら、血が顔に掛かる。

  熱い。

  痛い。

  しばらく転がりようやく止まった。だが、体が動かなかった。

  (なんで・・・・・・なにが・・・・・・)

  風丸から離れた場所にて、キメラはまだ跪いていた。

  その手には、ギリースーツの下に隠された短機関銃が握られていた。発砲したばかりで、銃口からは煙が立ち上り、足元には空薬莢が転がっていた。

  それは、キメラが獲物から奪った銃、PP2000だ。徹甲弾を使用しており、その殺傷力は極めて高く、防弾ベストも貫通してしまう。

  キメラは風丸の逃すまいと、逃げる風丸の背に向けて発砲した。

  跪いたままでも、引き金を引くことは簡単だ。ジグザグで高速移動していようと、弾幕を張れば当たる。振りかぶらなくても、正確に狙わなくても、獲物をしとめることが出来る。銃とはブーメランや投げ槍より、殺戮に特化した兵器だ。その性能を、PP2000はいかんなく発揮して射手の敵に致命傷を与えることに成功した。

  元の持ち主にとっては味方だが、銃に意思は無い。使う者によって、傷つける対象をあっさりと変えてしまうのだ。

  キメラは立ち上がり、弾が切れた銃を投げ捨てて右足に刺さったナイフを抜き去ると、風丸へと歩き出した。

  足音でそれを察した風丸は、左側へと体を転がした。

  この森は小さな丘の一角にあるため、緩やかな斜面になっている。風丸は転がって斜面を下り始めたのだ。今の自分には、それしか移動手段が無かった。

  (撃たれたのか、俺。銃なんか持ってたのか。そーいや、最初のミッションでも撃たれまくったっけ)

  風丸に命中した弾は2発。1発は左太腿、ブーメランでつけられた傷のすぐ上を通過していた。もう1発は右肩に命中し、貫通する際に鎖骨を破壊していた。

  幸い、内蔵には命中していない。だが、徹甲弾であるためたった2発でも肉体の損傷は大きい。弾頭が通過した場所の筋肉は抉り取られ、骨は砕かれている。運動機能を著しく低下させるには十分なダメージだった。

  (このまま下って、川を越えて道路に出て、来た道を戻る・・・・・・)

  斜面は徐々に急になっていく。時折樹木にぶつかるが、体を丸めて痛みに耐え、亮太だけは落とさぬよう注意する。風丸は転がりながら、今後の作戦について考えていた。自分が取るべき行動について。

  (出来るのか、そんなこと。この体で)

  無理だろ。

  怖くて動けないとか、そうじゃねーし。

  打つ手がねーんだ。

  自分の力ではどーにもできねー。

  どーにも・・・・・・。

  「うわ」

  転がっていると、地面が消えた。いつの間にか丘を下り切り、小川まで到着したのだ。

  2メートルほど落下して、派手な飛沫と音を上げながら着水する。

  (ぐいい!!)

  水深は1メートルほどしかなく、勢いもついていたため、風丸は川底に激突した。

  落下の衝撃は強く、さらに傷口に水が沁みて、痛みがさらに増した。風丸は心の中で叫びつつ、痛みから逃れようと必死にもがいた。

  視界は落下の際に発生した泡だらけだが、流石に上下は分かる。動かないと思っていた手足も、意外と動いてくれた。亮太をしっかりと抱きしめ、両脚を川底につけて立ち上がる。

  「ぶはっ!!」

  風丸は水面から顔を出し、大きく息を吸った。

  「りょ、亮太・・・・・・」

  風丸は、左腕の中で眠る亮太に呼びかけた。

  「ごほっ!!ごぼっ!!」

  亮太はせき込んだ後、うっすらと目を開けた。

  「大丈夫か?」

  「う・・・・・・ん・・・・・・」

  亮太は風丸の質問に答えず、再び目を閉じた。

  (あれ、大丈夫なのか?くっそ、分からねー)

  亮太がどのような状態かは分からないが、呼吸はしている。ひとまず安心した風丸は、河原へと歩き出した。

  一歩踏み出すたびに、左脚に激痛が走る。傷口からは、煙のように血が立ち上がっていた。

  「やべ・・・・・・これ、やべ」

  風丸は河原に上がると、敷き詰められた小石の上に亮太をそっと下ろした。そして、たまたま近くにあった岩にもたれかかると、力なく座り込んだ。

  服も体毛もぐっしょりと濡れている。だが、そんなことはどうでもいい。

  「いて・・・・・・」

  左脚についた、切り傷と銃創を見下ろす。銃弾は貫通したため、銃創は太腿の正面と裏側、両方にある。

  同様の銃創は、右肩にもある。加えて、鎖骨は折れてしまい右肩が上がらない。

  痛みもすさまじく、出血も激しいため、心を折るのには十分だった。

  「どーしよ・・・・・・」

  そして、作戦の失敗が心の修復を阻害した。

  今の自分が編み出せる最善策を考え、能力を最大限に発揮して実行したにもかかわらず、失敗してしまった。

  相手の方が、1枚も2枚も上だった。

  屈辱感、無力感、敗北感。

  あらゆる負の感情が雨のように降り注ぎ、その雨粒一つ一つが銃弾のように心を貫いてゆく。

  身体だけでなく、精神までもが重傷だった。

  あんな奴が相手じゃ勝てないと、そう思わずにはいられないほどに。

  (ちくしょー・・・・・・なんだよ、こんなにボロボロにされて・・・・・・)

  その双眸から、涙が零れ落ちてきた。痛みではなく、悔しさで。

  獣人になって悪い奴らをやっつけようと頑張っても、結果がこれだ。

  自分はなんて弱いんだ。キメラを倒せず、子供一人満足に守れないなんて。

  自分が情けなくて、涙を堪えられなかった。

  (せめて、亮太だけは・・・・・・)

  河原に横たわる亮太を見て、風丸は辛うじて闘志を繋ぎとめた。

  (どうにかして、連れて行かないと。亮太一人じゃ家までたどり着けない。俺がやらなきゃ)

  傷口から生まれる激痛に襲われ、更には出血により自身の生命に危機が迫っている。

  それでも風丸は兵士としての使命を忘れなかった。自分が死ぬことも怖いが、亮太が殺されることの方が恐ろしかった。だからこそ、自分が救わなければならない命を、亮太を抱きかかえようと、必死に左手を伸ばした。

  すると、それを阻もうとするかのように、キメラが茂みから飛び出してきた。そして、風丸が寄りかかっていた岩の上に着地すると、風丸を見下ろし槍を振りかぶった。

  (やっべー!)

  風丸は亮太を掴み、右脚で地を蹴りその場から逃れた。

  ほぼ同時に、風丸がいた場所に槍が突き刺さった。

  「いっ!!!」

  そのまま駆け出そうとした風丸だったが、左脚を踏み出した瞬間、痛みに耐えられず転倒してしまった。

  突如迫った危機から脱しようと、本能が無理矢理肉体を動かしたものの、それは長く続かない。

  (こんなにいてーのかよ。いや、痛覚は同じとか言ってたけど、でも、獣人ってもっと丈夫なんじゃねーのかよ。たった2発くらっただけで、動けねーのか)

  亮太を手放してしまい、河原の上を転がって仰向けで倒れた風丸は、映画やゲームの世界で多少の被弾を気にせず戦うことが非現実的であることを痛感した。

  風丸は寝転がって仰向けになり、キメラの方に視線を向けた。

  まだ岩の上にいたキメラは風丸と目が合うと、岩から飛び降りて地面に刺さった槍を掴んだ。

  (もう、だめなのか)

  キメラとの距離は5メートル程度。数秒後、キメラは自分にゆっくりと歩み寄り、この身に槍を突き立てるだろう。

  あるいは、投げつけて来るだろうか。この距離なら外さないだろう。そして、避けられないだろう。

  風丸はキメラから、亮太へと視線を移した。1メートル先に倒れている亮太へ手を伸ばしても、もう届かない。

  初陣のように賢士が来てくれることもないだろう。

  (本当に、もう・・・・・・え?)

  風丸は諦めかけていたが、亮太を守らなければならないという責任感があったため、微かながらもまだ闘志が残っていた。

  だからこそ、気付くことが出来た。キメラが着地した岩の表面を伝って、赤い滴が流れ落ちていることに。

  それは正に、暗雲立ち込める空から漏れ出た一筋の光明だった。

  (あれ、血?でも、俺の血じゃねーよな。ってことは)

  それは紛れもなく、キメラの血だった。岩の上に着地した時に流れ落ちたのだろう。

  (けっこうな量だな。俺の投げナイフだけじゃ、あんなに流れねーだろ)

  風丸がキメラに与えたダメージは、投げナイフを命中させた右脚の傷のみであり、その程度であれほどの出血は考えられない。

  さらに戦闘を振り返ってみると、不審な点が他にもあった。キメラは飛び道具を多用し、接近戦をなかなか仕掛けてこない。また、着地後の硬直がいちいち長く、他のキメラのような攻撃性が感じられない。

  (こいつ、まさか・・・・・・)

  それらの情報を踏まえて思考した風丸は、確信した。

  (怪我してやがるのか!?そうだ、絶対に!間違いねーよ、これ!そう考えりゃ、合点がいくってもんだぜ!)

  風丸が出した答えは的中していた。キメラの背中、腰のやや上の部位には深い刺し傷があり、それをギリースーツで隠していたのだ。その傷は筋肉だけでなく臓腑にまで達しており、刃が引き抜かれた際には多量の血が流れ出てた。縫合されていたのだが、風丸を追跡する際に開き、再び出血していた。

  最も風丸は、08部隊の隊長が命と引き換えに負わせた傷であることまでは分からなかったが。

  (勝てるかも!ぜってー勝てる!立て!しっかりしろ!相手が怪我してるんなら、いけるかもしれねーだろ!)

  たとえ微かなものであっても、それは紛れもない希望の証だ。それを見た途端に、風丸の心に残っていた勇気が闘志となりが再び燃え上がった。一陣の風と共に、消えかけていた火が巨大な炎へと成長するかのように。

  (獣人は頑丈だ!立てる!いける!立てって!出来るから!)

  両脚に力を込めると左脚に激痛が走るが、それを闘志でねじ伏せ、風丸はその場で立ち上がった。

  風丸の思っていたとおり、獣人の肉体は頑強だった。切り裂かれても、被弾しても、立つことは出来るのだ。痛みさえ我慢すれば、まだ戦える。

  (いってー!!いてーよくそったれが!!ちくしょー!!)

  歯を食いしばって心の中で叫びつつ、動かなくなった利き腕に代わり左手でナイフを抜く。

  そして逆手に持ち替え、切っ先を相手に向けて、両脚の砂利を蹴って地面を極力平らにした。

  たとえ使わないようにしても、些細な動作で負傷箇所は激しく痛むが、今はそれを無視して切っ先と共に意識を相手に向けた。

  一方のキメラは、慎重に風丸を狩ろうとしていた。獲物からの反撃で負傷したからこそ、同じ失態を犯さぬよう、十分に距離を取って槍を振りかぶる。

  相手は待ってくれない。だが、風丸は既に準備が出来ていた。

  反撃の準備が。

  風丸は、ふと思い出した。

  中学1年生の夏、校内で有名な不良生徒に追いかけられたときのことを。

  巨漢で暴君、ボクシング経験者で喧嘩の経験も豊富。

  目を付けられ、追いかけられ、取り巻き達によって追い詰められて。

  相手の拳が伸びてきた。

  その時、奴の動きが少しだけ遅く見えた。

  次の瞬間、低い姿勢から股の間を走り抜け、危機を脱出した。

  大柄な相手、小柄な自分、その体格差を逆手に取ったルートを使った。

  チビと馬鹿にされていたからこそ、これが成功した瞬間は嬉しくてたまらなかった。

  走り出しながら一瞬だけ振り返ると、相手と目が合った。

  いつも相手を見下す笑顔や、不機嫌そうな顔、激しく怒った顔をしていた奴が、驚いた顔をしていた。

  それがたまらなく痛快だった。

  疲労は溜まっていたが、“ざまーみろ”という喜びが加速を生み、そのまま一気に奴らを置いて駆けていった。

  狙い時は、相手が勝ちを確認し、こちらに仕掛けてきた瞬間。

  心身の隙を狙う。

  (ここだ!!!)

  キメラは一瞬の静止の後、腕を振り槍を投げた。

  その、槍がキメラの手から離れる直前、風丸は地を蹴った。

  相手の動きが、何故か遅く見えたため、その瞬間を見切れることが出来た。

  最大の激痛が脚に走るが、想定内であったため耐えられる。

  風丸の身体が、責任感と使命感を帯びて、高速で相手へ向かう。

  通常の戦闘では、相手からの想定外の攻撃などを警戒し、不意の方向転換が出来るようにしなければならない。

  また、スタミナ切れが起きないように、余力を残しつつ戦う必要がある。

  そのため風丸は、無意識のうちにブレーキをかけて動くようになった。

  だが、今回はそれが無い。

  負傷により軽快なフットワークは封じられており、左右に動いて回避することは出来ない。

  さらに相手は格上であり、余力を残す戦い方では勝利することは不可能だ。

  だからこそ、最速で、“先の先”を取るしかない。

  一直線に、最大速度で相手へ突き進むことだけを考えた。

  さながら、放たれた矢のように、風丸は飛んだ。

  無意識のブレーキが利かない、アクセル全開の状態で。

  負傷のため肉体の状態は万全ではなかったが、精神の状態は最高の状態だった。

  風丸自身の意識、そして獣の本能が背中を押した。

  手負いとなることで、その凶暴性が増すように。

  「ギアッ!!」

  そして、槍が手から放たれた瞬間に、キメラは背後にあった岩に背中から激突していた。

  あたかも突風に吹き飛ばされたかのように。

  突風の正体は、槍が放たれる前に飛翔した風丸だ。

  全力による速度はすさまじく、一瞬でキメラへと肉薄しナイフを胸へと突き刺した。

  そして、その勢いを維持したまま風丸はキメラに衝突した。

  身体も武器も軽量だが、速度が強大なため威力も高まる。

  ナイフは刀身全てがキメラの胸へと食い込み、風丸の体当たりでキメラの体は岩へと叩きつけられた。

  「いづっ・・・・・・・」

  「ギィィ・・・・・・」

  キメラは風丸のスピードに反応できず、何が起こったかも分からないまま激痛に襲われた。だが、キメラはまだ生きていた。ナイフが突き刺さった位置は心臓のすぐ下だったため、まだ絶命には至っていない。とは言え重症には変わりなく、背中の負傷もあるため動くことは出来なかった。縦長の口から吐血しつつ、風丸を睨みつけるだけで精いっぱいだ。

  一方の風丸は、全身全霊の攻撃を繰り出した直後であり、両脚の筋肉が悲鳴を上げていた。左脚は負傷で、右脚はそれをカバーするためより大きな負担を掛けたことで、満足に動かせない状態になっている。また、高速でキメラに衝突したことで、体がバラバラになりそうなほどの痛みに襲われ、立っているのがやっとの状態だった。

  (いてー!!!いてーよ!!!!でも!!!決まった!!!やった!!!!勝ったし!!!)

  気を失いそうになりながらも、何とか堪えて勝利を確信し、風丸は一人、心の中で喜び跳び上がっていた。全速力から打ち込んだ一撃には確かな手ごたえがあり、キメラを仕留めることが出来たと確信していたのだ。

  しかし。

  (え?あれ)

  キメラの胸が上下に動いた。

  (息してる!!死んでねーし!!生きてる!!)

  気付いた時には、キメラの左手が拳を作り、自分の顎へと迫っていた。

  さっき、キメラが槍を投げた時と同じく、スローモーションのように遅く見えた。

  相手の攻撃は見切れていても、体を動かず体力は残っていない。

  (あ、当たる・・・・・・)

  もう、考えることも出来なかった。

  ドゴッ!

  キメラの左アッパーが、風丸の顎を打ちぬいた。

  軽い風丸の身体は放物線を描きつつ宙を舞い、砂利が敷き詰められた河原に落下した。

  強烈なパンチと落下の衝撃、2度の強い衝撃により風丸の意識は彼方へと消えた。

  何度も立ち上がり続けた風丸だったが、もう立つことは出来ず、亮太とともに動けなくなった。

  二人は陸に上げられた魚も同然。後はとどめを刺すだけ。

  しかし、キメラは動かなかった。否、動けなかった。

  胸に突き立てられたナイフの刃は心臓の下部に掠り、僅かだが裂傷を与えていた。

  風丸の牙は、届いていたのだ。

  そしてキメラは、積み重ねられたダメージに耐えきれず、その場に崩れ落ちた。

  手負いの獣同士の戦いは、互いが余力の全てを込めた一撃を放ち、相打ちという結果となった。

  激戦を終えた二体の獣は動かない。傷口からは血が流れ出て、河原の石を赤く染めていく。

  凄惨な光景が広がる河原のすぐ隣を、いつもと変わらぬように水が流れていった。赤く、生暖かく、粘りを帯びた血の池とは対照的な清流となって。