ライカンスロープ 第12話

  空を見上げれば、暗雲を背景にして空を飛ぶ虫の姿が映る。

  大きな獲物を抱えているためか、ふらふらを左右に揺れながら。

  羽音は大きく、バタバタと空気を震わせてこちらへと降り注いでくる。

  その飛び方も、不快な羽音も、こちらをあざ笑っているかのようだった。

  (くっそ、舐めやがって!)

  風丸は歯噛みしつつ、亮太を抱えて飛ぶカマドウマを追いかけていた。

  全力で走れば余裕で追いつける速度だが、カマドウマは地上から20メートルほどの高さまで高度を上げている。助走をつけてジャンプすれば辛うじて届く距離だが、迎撃される危険性や、亮太の安全を考慮すると、実行すべきではない。

  (空みたいな、ジャンプ力や射撃の腕があったらなー。しっかし、ふらふら飛びやがって。ちっくしょー。どーすりゃいいかな?)

  時間が経過すれば高度が下がると思っていたが、10分以上も飛び続けている。仲間の元から離れ続けており、しかも亮太はキメラに抱き着かれたままだ。

  (亮太、大丈夫だよな。血の臭いとかしてねーし。でも、あの虫野郎の群れが出てきそうでこえーな)

  風丸は、周囲を警戒しつつ走り続けている。今のところ、バールやカマドウマの待ち伏せは無いが、いつ他の個体が襲ってくるか分からない。亮太の身の安全も考えれば、急いで助けなければならない。

  「うっ!?」

  風丸は速度を緩めながら呻いた。

  舗装された道路の上空を飛び続けていたカマドウマが、不意に左に曲がったのだ。その先は、木々が生い茂る森林となっている。

  (あんな隠れるところがたくさんある場所に・・・・・・)

  一瞬躊躇った風丸だったが、それでも兵士としての使命感が勝った。

  (でも、俺が助けねーと!)

  風丸は減速し、体をカマドウマへと向けた。田舎道だが安全性のためガードレールは設置されており、そこを飛び越せば川幅4メートルほどの川が道に沿って流れている。その奥の森林へと向かおうとした風丸だったが。

  「おっ」

  減速しつつ、風丸はそれに気づいた。

  カマドウマの位置は、森の木の上。

  自分の位置は、道路の真ん中。

  その間にある、ガードレール。

  狭い小川の幅。

  自身の脚力。

  狩りの道筋が、目の前に現れた。

  自分なら、その道を駆けることが出来る。

  

  確信した風丸は、アスファルトを強く蹴り、その一歩で最高速度に達する。

  そして、二歩目でガードレールを踏み、勢いに身を任せて飛翔した。

  小川を高速で飛び越してしまい、手前の樹木の、最も太い枝へと着地する。

  (ここだ!!)

  三歩目で、枝から頑丈な幹へと移動し、四歩目で幹を蹴ってカマドウマへと向かう。

  地を走るような速度で標的へと肉薄した風丸は、カマドウマの左側を通過しつつナイフを振るった。

  空中での一振りは、地に足がついていないため、力が籠らない手打ちになりがちだ。しかし、風丸は十分な速度を備えていた。それにナイフの切れ味が加われば、カマドウマの脚の切断は決して困難なことではなかった。

  カマドウマは、中肢と、長い後肢で亮太を抱えている。風丸の一振りで、カマドウマはその左後肢を失ったため、亮太を落としそうになり体が傾き失速した。

  (もう一丁!)

  風丸は付近の木に着地すると、適当な位置にある枝を見つけ、それを蹴ってカマドウマへ跳び、再びナイフを振るった。

  流石は肉食獣と言うべきか、狩りに適した最短ルートの発見が、風丸はとても速い。

  次の一振りは、カマドウマの正面から、右側を通り過ぎながらの一振りで、右の中肢を切り落とした。

  脚を2本失い、ついにカマドウマは亮太を手放した。

  (間に合う!)

  風丸は再び、着地と同時に木々を飛び移り、落下する亮太へと向かった。そして、亮太が枝にぶつかる直前に、受け止めるとこに成功した。きわどいタイミングではあったが、自身の速度を知る風丸の心に焦りは無かった。

  (よっしゃ!あとはあいつをぶっ倒して、皆のところに・・・・・・)

  亮太を受け止め大地に着地した風丸は、カマドウマがいた上空を見た。すると、既にカマドウマは手が届く距離まで接近していた。亮太を奪われた後、すぐに風丸に向かって降下を始めたのだ。

  「うわ!」

  風丸は前方へ走って、カマドウマから逃れた。

  着地したカマドウマは、脚を2本失っているため、即座に追撃に移ることが出来ない。

  (このやろ!)

  亮太をそっと地面に置いた風丸は、カマドウマを中心に円を描くように高速移動した。

  そして、風丸が動きを止めると同時に、残っていたカマドウマの4本の脚が全て胴体から切り離された。

  カマドウマはもがきながら羽を震わせた。それを見た風丸は、ナイフを収めて腰の拳銃を抜き、頭部に集中砲火して手止めを刺した。

  「ったく、てこずらせやがって」

  拳銃を収めた風丸は、ふきんの大樹へ移動し、抱き留めていた亮太の身体の状態を確認した。

  追跡の途中から泣き声は止まり、救出の瞬間も声一つ上げなかったた。最悪の事態も想定したが、それは杞憂だった。

  亮太の胸に手を当てると、心臓の鼓動も呼吸も伝わってきた。外傷はなく、体温も平熱のようだ。どうやら、泣き疲れて眠ってしまったらしい。

  (よかった。無事みてーだな)

  安心すると同時に、疑問も生じた。なぜ殺さず、ここまで丁重に運んだのか。

  (落ち着いたところまで運んで殺すつもりだったのか?ま、こんな化物の考えることなんか、知ったこっちゃねーけど)

  風丸は亮太を抱え上げて、周囲を見渡した。敵の気配はないが、敵陣の真っただ中で孤立していることは間違いなく、安堵と共に恐怖心が膨らんでくる。

  (こりゃ、急いで戻った方がいいな)

  風丸は、即座に引き返そうとしたが。

  「あっ」

  鼻を掠めた血の臭いに引き留められた。

  (これ、血だよな。しかも、キメラじゃないっぽいぞ)

  キメラ独特の臭気が混じっていない、血液の臭い。犬獣人の嗅覚でなくとも、それくらいは判別できた。つまり、この臭いの先には。

  (この町の人が!?それとも、08部隊かな!?)

  負傷している人が、この先にいる。無論、既にキメラの餌食になっている可能性もあるが、僅かな望みも残っている。生きて、助けを求めているという望みが。

  (だとしたら、行かねーと。ほっとけねーよ)

  恐怖心はあっても、仲間や市民を見捨てることは出来ない。若輩であり新米とは言え、風丸も兵士だ。人々を救いたいという良心と使命感を、しっかりと胸に秘めている。

  (生きててくれよ)

  祈りながら、風丸は亮太を抱えて臭いを辿った。

  周囲を警戒しつつ、ゆっくりと。

  (大丈夫だ。いざとなったら、逃げればいい。まだ体力は残ってるし、亮太を抱えたままでも余裕だし。それに、もし08部隊の生き残りがいたら、一緒に戦えるじゃん。やっぱ楽勝だし)

  自身を安心させようと、風丸は事態が好転することを想像した。

  (一般市民だったら、抱えて走ればいいよな。全力だせば、すぐ和虎隊長たちと合流できるだろうし。怪我はしてるかもしれないけど、意外と大丈夫なんじゃねーの)

  楽観的な思想を持ち、足早に木々の間を通り抜けていく。

  ポジティブと言えば聞こえはいいだろう。だが。

  「え?」

  戦場は甘くない。木々の中にぶら下がるそれが、風丸に現実を突きつけた。

  「嘘だろ・・・・・・」

  否定したくて、前に進む。しかし、近くで見ても結果は変わらない。むしろ、この光景が現実であるということを、噛みしめることになるだけだ。

  「うわっ」

  驚愕のあまり、声を抑えることは出来なかった。

  斜面を少し登ったところに、曲線を描くように伸びた大樹がある。その根は一部が地表に露出しており、巨岩に絡みついて太い幹を支えていた。

  弧を描き伸びる幹には、大蛇のような蔦が何本もぐるぐると絡みついており、枝から氷柱のように垂れていた。

  「うぐっ」

  風丸は、声と共に込み上がってきた吐き気を、何とか飲み込んだ。

  濃くなる血の臭いと死臭。そして、したたり落ちる赤い滴。

  風丸は足を止めて、それを見上げた。

  大樹から伸びる蔦が全身に絡みつき、マリオネットのように吊り上げられた獣人の亡骸を。

  体の至る所に裂傷が走り、衣服もボロボロになっている。特に腹部の傷は酷く、深く切り裂かれて、抉られていた。右腕は切断されており、その表情は苦悶に歪んでいる。

  自分と同様に小柄の獣人だ。顔を見れば、リスの獣人であることが分かる。そして、胸元の膨らみから、女性であることは間違いない。

  ヘリの中の無線で伝えられた08部隊の隊員情報と合致する。間違いなく、連絡が途絶えた08部隊の隊員だ。彼らの身に何が起きたのか、これで分かった。

  リスで女性の獣人なのだから、可愛らし人物であったに違いない。だが、見るも無残な姿になり果ててしまっている。

  「こんな、ひでーよ・・・・・・」

  隊員に死者が出ている。他3名の隊員の安否は不明だが、無事である可能性は低いだろう。

  ここまでする必要があったのか。

  風丸の頭には、真っ先にその疑問が浮かんだ。

  ただでさえ、死は悲しい。その人と、会えなくなるのだから。

  それなのに、その亡骸までもこのように破壊され、見せつけられるように吊り上げられて。

  (こんな・・・・・・これが戦いなのかよ・・・・・・)

  風丸の心には、怒りは湧いてこなかった。

  沸き上がった感情は、悲哀と重圧だった。

  仲間が殺されたことが、唯々悲しい。

  そして、自分が立つ戦場とは、このようなことが起こる場所なのだという現実が、ひたすら重い。

  (BATの職員も、ここに住んでる人も、獣人兵士も、殺されるかもしれないのか?)

  覚悟はできているつもりだった。

  だが、これほどの深さとは思っていなかった。

  風丸は、自覚が足りなかったと、自身の未熟さを痛感した。

  (せめて、下ろしてあげねーとな)

  風丸は、亡骸がぶら下がる大樹へと近づいた。

  一歩を踏み出した、次の瞬間。

  「いって!!」

  ガッ!!

  右の頬に激痛が走った。同時に、背後で硬質な音が響く。

  「うおっ!!」

  風丸は左に飛び退いて、茂みへと身を潜めた。

  (なんだ!?なんだ!!?なにが!!??なにかが!!??)

  混乱する風丸に、追い打ちの一撃が飛来する。

  匍匐の姿勢を取った風丸の頭上を、何かが高速で通過した。

  カッ!!!

  「ひっ!!」

  風丸はさらに左へと転がり、大樹の裏に隠れて周囲を見渡した。だが、敵の姿は無い。

  (何!?狙撃!?)

  事態が呑み込めず、風丸はガタガタを震えながら周囲を見渡した。

  「あっ」

  そして、自分に飛来してきた武器の正体を見つけた。

  (棒?矢? ・・・・・・いや、槍か!?)

  太い木の幹に突き刺さったそれは、細長い木製の槍だ。

  風丸の場所からでは正確な長さは分からないが、全長は1メートル程度で先端は細く尖っている。

  (あれが飛んできたのか・・・・・・誰かが、俺を狙ってるのか)

  自分に迫った脅威を自覚した瞬間、風丸の胸に渦巻いていた悲哀と重圧が消えた。そして、別の感情が入れ替わる様に溢れ出て来る。

  (俺も・・・・・・殺されちゃうのか?あんなふうに・・・・・・)

  それは、恐怖だ。

  殺されることへの恐怖。

  命を脅かされ、死にたくないという感情のみが心を包み込む。

  生物ならば持つべき当然の感情ではあるのだが、風丸は恐怖に心身を支配されてしまった。恐怖のあまり、次の行動へ移ることが出来ないほどに。

  (あのリスみたいに・・・・・・)

  吊るされたリスの姿が、脳内で自分に切り替わる。

  (隠れていても・・・・・・あいつはきっとこっちに来て・・・・・・大勢で・・・・・・)

  さらには、初陣でゴブリンに囲まれた記憶さえも蘇ってきたしまう。取り囲まれ、襲われ、死にかけた記憶だ。

  (今は、誰も、助けてくれねーぞ・・・・・・)

  賢士の援護は、今は期待できない。たった一人で、この窮地を脱しなければならないのだ。

  だが、体が震えて、足が動かない。立つことさえ出来ず、呼吸も荒くなる。

  生き残るためには動かなければならないのだが、風丸はそれが出来なくなってしまった。

  (隊長・・・・・・和虎隊長!!)

  怯える風丸は、すがるように和虎を思い浮かべた。この場にいなくても、最も信頼でき、頼りになる存在に救いを求めて。

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  数日前。BAT07基地地下6階Dブロックにて。

  獣人兵士や科学者など、長期に渡って基地に泊まり込まなければならない職員のための施設が、このフロアに集中している。ショッピングモールや映画館、ボウリング場やバスケットコート、飲食店までもあり、ここに来れば都会の一角に来たのかと錯覚してしまう。

  時刻は午後23時を回ったが、深夜でも働かねばらない職員のため、閉店しない店が多い。

  「ありがとうございましたー」

  Dブロックの端にあるコンビニから、一人の獣人がビニールと財布を手にして出てきた。07部隊隊長である、工藤和虎だ。和虎は財布にdカードをしまうと、北の連絡通路へと向かい、その先の運動場へと歩き出した。その施設には、屋内スポーツを楽しめるための部屋があり、体育館とレスリング場がある。

  和虎がレスリング場へと入ると、そこには既に先客が座ってスマホをいじっていた。

  「お疲れ様でーす!」

  07部隊隊員、知多風丸だ。スマホを放り投げ、訓練用の模擬刀とゴム製のナイフを手にして立ち上がると、快活な笑みで和虎を迎えた。

  「疲れてないか?」

  和虎も微笑を返し、ボトルを置いて右手を差し出す。

  「大丈夫っす!準備運動もやりましたから!」

  風丸は模擬刀を和虎に放り投げ、屈伸をして見せる。和虎は刀を受け取ると、小さく頷いた。

  「じゃあ、すぐに始めるぞ」

  和虎も、瀞との特訓を終えたばかりなので体は温まっている。

  「うっす!」

  風丸は手の中でナイフを回転させ、身構えた。

  風丸が特訓の相手を和虎に依頼したのは、初任務の怪我が完治してすぐのことだった。

  多数のキメラを仕留められたものの、単独行動をしてスタミナ切れを起こし、辛うじて生還したという結果は、風丸にとっては苦い初陣となった。

  同じ失態を二度と犯さないよう、風丸はスタミナの強化を徹底して行い、さらにトレーニング後も和虎に鍛えてもらうため、特訓を依頼したのだった。

  和虎は快く引き受けた。普段のトレーニングに加えて隊長業務があり、しかも瀞の特訓にも付き合っており非常に多忙なのだが、それでも部下の意思を尊重した。強くなりたいという向上心を折るようなことはしたくなかった。

  「ひぃ・・・・・・ふっ・・・・・・」

  10分後、レスリング場の中央で跪く風丸を、和虎は黙って見下ろしていた。息が切れている風丸とは対照的に、疲れている様子は全くない。

  「いつまでも休んでいるんじゃない。立て」

  「う、うーっす」

  和虎から鋭い口調で言われた風丸は、ゆっくりと立ち上がった。突き放すような言い方だが、和虎だからこそ、不快な気持ちになることなく、風丸は立つことが出来た。

  風丸が体勢を整えた直後に、和虎は踏み込んで模擬刀を振るった。

  「ちょっ!」

  風丸は後方に飛び退いて躱すが、和虎は遠慮することなく追撃を打ち込んでくる。

  上段から唐竹割、切り上げ、即座に逆袈裟と、絶え間ない連続攻撃だ。

  「いや、待っ、うあっ!」

  休憩したばかりの風丸は、文句を言いながらも和虎の太刀をバックステップで避け続ける。

  しかし、後退を続けていたため部屋の端まで来てしまい、背中が壁にぶつかった。

  和虎は、下段の構えを取り、姿勢を低くした。

  必殺の切り上げを予想した風丸は、左へステップで逃れる。

  「あ」

  すると、今度は左半身が壁にぶつかった。

  和虎は、考えもなく攻撃を繰り返したわけではなかった。風丸を徐々に部屋の隅、袋小路へと追い込んでいたのだ。

  恐怖で風丸の動きが止まる。

  和虎は、刀を上段に構えなおして風丸に体を向けた。

  「ひっ!」

  風丸の引きつった声と共に、和虎の太刀が振り下ろされた。だが。その刃は風丸の頭上で停止し、まるで拳骨のように頭に落とされた。

  「いっ!!」

  風丸はナイフを落とし。

  「てー・・・・・・」

  跪いて悶えつつ、弱々しく呻いた。脳が揺さぶられ、叫ぶことも転がりまわることも出来ず。

  「目を閉じる奴があるか!」

  そんな風丸に、和虎はとどめの叱責を放った。

  「動きに無駄が多い」

  和虎は汗を拭きつつ、端的に弱点を伝えた。

  「は、はい」

  痛みがようやく引いた風丸は、頭をなでながら水分を補給し、叱られた子供のように委縮して頷いた。

  「一歩下がればいいところで、お前は二歩下がる。相手から離れ過ぎだ。反撃する時も、余計に踏み込まなければならなくなる。そもそも、反撃の機会さえも失うことになる」

  「そっすね」

  自覚していた弱点を指摘されると、自責の念に襲われる。それでも風丸はそれに耐え、和虎の言葉に集中した。目をそらしてはならない現実なのだから。

  「無駄な動きが多いから、体力の消耗も激しくなる。スタミナを鍛えても、これじゃ意味がないぞ」

  「ですねー」

  「瀞と試合をする時を思い出してみろ。お前は激しく左右に動いて瀞の死角に入るだろう。その戦法も、相手との距離が近い方が都合がいい。視界は遠のくほど広くなるからな。相手との距離が近ければ、一歩左右に跳べば簡単に視界に入れる。離れていれば、三歩は必要になるだろう」

  「はい」

  「分かったのか?」

  「はい!今のは分かりました!」

  「絵を描くか?それとも、実践してみるか?」

  「いえ、本当に分かりましたって!流石に!俺そんなバカじゃないっすよ!?」

  「お前の大丈夫は、大丈夫じゃない」

  「でもでも!瀞よりはマシでしょ!?」

  「いい勝負だ」

  「えー!?」

  「いや、お前の方が心配だな」

  「嘘でしょ!?つーか、何で1回引き分けみたいなこと言って、後から突き落とすんですか!?」

  「冷静に考えたら、やっぱりお前だと思ったんだ」

  「ひでーし!」

  「それより、よく瀞よりマシと思えたな。瀞を過少評価しているのか、自分を過大評価しているのか」

  「どっちも違いますから!」

  風丸は物分かりが悪く、訓練中は作戦の誤認が数回あったため、和虎はしっかりと言葉を選んでいる。

  もっとも、和虎自身難しい説明は苦手である。説明しやすく、かつ聞き手が理解しやすい言葉を選んでいる。だからこそ、風丸も理解できた。

  「それで、だ。何で無駄な動きが多いのか、分かるか?」

  不意に真面目な調子に戻った和虎から問われ、風丸は苦笑しつつ思案した。

  「え、いや、何でって言われても・・・・・・安全を考えて?」

  「違うな」

  「俺、目が悪いし」

  「視力はいいだろう。空間把握や動体視力は成績優秀だったはずだ」

  「じゃあ、なんでですかね?教えてくれたら、嬉しーんすけど」

  微笑の風丸に、和虎はきっぱりと言い放った。

  「怖いんだろう」

  風丸は笑みを消し、和虎から視線を外した。

  「いやー・・・・・・」

  消え入りたい気持ちになった。自責を上回る羞恥で。

  本心を見抜かれ、突かれ、悔しくて、悲しくなった。

  同時に、怒りも生まれた。

  自分を叱る和虎にではない。和虎は尊敬できる、大好きな隊長だから。

  怒りの矛先は、自分だった。

  「どーなんすかね」

  「その口ぶりじゃ、自覚があるみたいだな。話が早くて助かる」

  「今の和虎隊長の方が怖いですよ」

  「冗談はいい」

  「すんません」

  風丸の心には、初陣で味わった恐怖が今もなお消えずに残り、心身を蝕んでいた。湖の底に沈殿したタールが、中に住む生き物たちを苦しめているかのように。

  「めちゃくちゃ怖かったです。ゴブリンどもに切られて、すっげー痛くて。しかも疲れて動けなくなって、取り囲まれて。このあと、なぶり殺しにされるんじゃないかと思いました。リンチされて、苦しんで、自分は死ぬんだって・・・・・・」

  トラウマを語る風丸の身体は、震えていた。無理もない。訓練をした獣人とは言え、少し前までは学生だったのだ。加えて、戦場での命のやり取りは初めての経験だった。それだけでも重圧だというのに、命の危機を味わわされてしまったのだから。そこから生じた恐怖は、簡単に消すことなどできない。

  「寝るとき思い出して震えたりするのは、カウンセラー受けたりして大分マシにはなったんすけどね」

  「だが、被弾を恐れるようになってしまった、というわけか」

  「ですねー。前に和虎隊長から注意されて、気を付けるようにしていたんすけど」

  「実際に、初任務直前の訓練では、かなり改善されていたぞ。俺との試合では相かわらずだったが、瀞や空が相手の時は、いい距離感で戦えていた。最も、今は前よりも酷くなってしまったがな」

  「でしょうねー。初任務のせいで、癖が悪化しちゃったみたいで」

  「賢士も気づいているだろうな」

  「あー、絶対気付いてますよ。目、良いから、あの人」

  風丸は、顔は笑っていたが、目が笑っていない。

  「訓練の時点でここまで恐怖心を持ってしまうとなると、やはり実戦が不安だな」

  「そっすね」

  「分かっているだろうが、実戦とは比較にならないほどの恐怖が付きまとうことになる」

  「そーなると、さっき和虎隊長が言ったみたいに、無駄に動いて疲れて、やられちゃうと。けっこうスタミナはついてきたと思うんですけど」

  「身体的な要因だけじゃない。強い恐怖を感じると、精神的な疲労も倍増して、余計に疲れやすくなる。心身共に疲労がたまると、判断ミスも増えるだろう」

  「うわ・・・・・・我ながら、最悪ですね」

  「それだけじゃない。スタミナに余裕がある段階でも、さっきのように恐怖で動きが硬直してしまうことがあるかもしれん」

  「いや、あれは、追い詰められたから」

  「実戦では追い詰められるなんてこと、ざらにあるぞ。諦めたら死ぬだけだ。冷静さを失わず、即座に最善策を考えて実行しなければならない。いい考えが浮かばなくても、諦めずに足掻くくらいの根性が要る」

  「で、す、ね」

  風丸は、小さい体を更に萎ませて、和虎に同意するしか出来なかった。

  和虎は、そんな風丸を見下ろして、口調を変えずに言い放った。

  「そんな兵士を戦闘に参加させるわけにはいかない」

  風丸は、驚くことなく、その宣告を聞いた。そう言われても仕方がないと、自覚していたのだ。

  「そーなりますよね」

  風丸は顔を上げ、和虎から目をそらさずに本心を告げた。

  「でも、和虎隊長。俺、獣人兵士をやめたくないです。次の任務にも、連れて行ってください」

  「・・・・・・もし、兵士を続けていくなら、次の任務には」

  「出させてください!」

  「最後まで聞け」

  「あ、ごめんなさい」

  「兵士を続けたいなら、次の任務には必ず出るべきだ」

  「え、いいんですか!?」

  「出すとは言っていない。いいから聞け」

  「あぅ、ごめんなさい」

  「話すぞ。上層部でも、お前を次の任務に出すべきか否か、意見が割れている」

  「え?一人の兵士が任務に出るか出ないかで、そんなに大ごとになるんですか?」

  「獣人は貴重だからな」

  「あー。なるほど」

  「たった一人だろうが、任務に参加するのか、そして、今後も兵士を続けていくのかについて、隊長の俺を含めて話し合いが進められている」

  「まさか、兵士を辞めさせろって意見も出てるんすか?」

  「3割程度だな」

  「多いような、少ないような」

  「三人に一人、だな」

  「けっこー多っ!」

  「安心しろ。貴重な獣人を辞めさせるべきではないという声もある」

  「そ、そっすか」

  「今はトラウマの払拭に専念させるべきで、戦闘には参加させてはならない。精神が回復した後に復帰させればよい、という意見が多いな」

  「じゃあ。しばらくは、お休みってことっすかね?」

  肩を落とす風丸に、和虎はドリンクで口を湿らせて説明を続けた。

  「だが、兵士を続けていきたいなら、次の任務に必ず出るべきだと俺は思う。荒療治になるが、すぐにでも実戦に出て恐怖を完全に払拭すべきだ。下手に間を開けると、かえってトラウマを染み込ませてしまうだろう」

  「じゃあ、次の任務に出られるようにしてくれるんすか?」

  「そうしたいところだが、だからと言って簡単に出すわけにはいかない。危険が大きすぎる」

  和虎は鋭い眼光で、風丸を射貫くように見つめた。緊張をほぐそうと、風丸もドリンクを口に含んだ。しかし、甘みはほとんど感じられず、心身は固く強張ったままだ。

  「すぐに疲れるし、判断ミスするし、ビビッて動けなくなるから、死ぬ可能性、高いですよね」

  「そうだな。だが、死ぬ可能性が高まるのはお前だけじゃない。動きが止まって的になったお前を、瀞や空は全力で庇おうとするだろう」

  「それは、その・・・・・・」

  風丸は言葉を失った。自分のせいで仲間に危険が及ぶことを、全く考えていなかったのだ。

  「任務に出す以上、お前も一人の戦力として扱う。リハビリ期間中だから、常に誰かと一緒に行動して、一対一でキメラと戦うようにする・・・・・・そんなことは出来ないんだ。必要以上にお前一人をサポートするわけにはいかない。状況次第では、前回のような一対多数の戦いを強いられるかもしれない」

  「ですよねー・・・・・・」

  「お前が取りこぼしたキメラが、一般市民に襲い掛かる可能性だってある」

  和虎は、厳しい言葉を続けた。

  「恐怖で動きが硬直し、すぐに疲弊するような兵士は足手まといだ。そんな兵士を戦場に出すと、本人だけでなく、仲間や市民の命が危険にさらされることになる。だったら、お前抜きで作戦を立てて任務に当たる。それが正しい選択だ」

  「んんん・・・・・・」

  風丸は再び顔を下に向けて、黙り込んでしまった。

  自分の弱さを徹底的に解明され、叩かれ、“戦闘に参加すべきではない”と告げられてしまった。

  和虎の言う事は正しいと、自分でも分かる。

  だが。それでも。

  「でも、和虎隊長。俺は、兵士を続けたいんです」

  風丸は、再びそう言った。自分が戦場に出ることで発生するリスクを、理論的に説明されても、諦めることは出来なかった。

  和虎は鋭い視線のまま風丸の目を見つめたが、風丸は視線をそらさなかった。

  「何故そこまで兵士にこだわる?こんな危険で、恐ろしいことを。BATという組織の中で、兵士以外の道を選ぶことだってできるんだぞ。どの仕事も、人々を守ることに貢献できる、立派な仕事だ」

  「分かってます」

  「例えば・・・・・・失敗したままじゃ格好悪いから挽回したいとか、裏方の仕事より前線で戦う兵士が一番凄いとか、そういう思いで戦うというなら」

  「違うし!」

  風丸は、声を上げて否定した。

  「そんな気持ちじゃないっすよ!俺は!皆を守りたいっす!」

  風丸は身を乗り出して続けた。

  「キメラみたいな化物を倒すには、獣人じゃないとだめじゃないっすか!だったら、獣人になれる俺らが戦わないと!俺らが戦わなかったら、誰が戦うんですか!?キメラを倒す度に、自衛隊がヘリや戦車を出すわけにはいかないでしょ!?」

  「その通りだが、選ぶ権利はお前にもある。獣人になれるからと言って、戦いしか道が無いわけじゃない」

  「そりゃそーだけど、実際は獣人って、戦うしかないじゃん。レスキュー隊とかになれないでしょ、こんな姿なんだし。獣人の能力って、戦いしか使える場所がねーよ。キメラと戦うくらいしか」

  「・・・・・・」

  「まー、そりゃ、戦いって死ぬかもしれないし、怖いからやりたくないって言う人がいても、その人を責めたりしねーけど。実際、俺も怖かったし。もう嫌だって思ったし。でも、俺は、戦わないと。だって、俺は馬鹿なんだし。戦うくらいしか、役に立てねーんだから」

  本音を吐き出した風丸は冷静になったようで、荒げていた声を抑え、静かに語りだした。

  「獣人になれた時、すごく嬉しかったんです。人を傷つけるような悪い奴らを倒す力が、自分にはあるんだって。選ばれた存在なんだって・・・・・・ちょっと、上から目線というか、偉そうな感じですけど。でも、こんな俺でも、皆を守れるって、役に立てるって思うと、ほんとーに嬉しかったんです。だから、これからも、獣人を続けていきたいんです」

  「端的に言うと、人々を守りたいから、か」

  「はい!」

  「そう、か・・・・・・」

  和虎は1秒ほど黙り、風丸の真剣な表情を見て、頷いた。

  「分かった。次回の会議では、お前の次回の任務に出動できるよう、頼んでおく」

  「え、いーんですか!?」

  即座に了承が出るとは思っていなかった風丸は、喜びを上回る驚きのあまり、素っ頓狂な声を上げた。

  「ああ。正直、どうするか悩んでいたんだが、お前の話を聞いて決めた」

  「本当ですか!?いやー、俺説明とか苦手だから、説得できるか不安だったんですよ!」

  風丸は子供のように、飛び上がって喜んだ。兵士失格を宣告されるのではないかと、気が気でない状態だった分、喜びも大きい。

  「俺は面接官じゃないんだ。重要なのは話し方とか、理屈じゃない。お前の気持ちは十分伝わった」

  「はい!」

  「だが、お前の出動が確約したわけじゃないぞ。俺の意見だけで決定を下すわけにはいかない」

  「あ、やっぱ、会議でちゃんと、BATお偉いさんたちが、OKださないとだめなんですか?」

  「ああ。現状では、五分五分と言ったところだな」

  「いやでも、そこは和虎隊長が説得してくださいよ」

  「俺も口下手だからな」

  「ええっ!?隊長のくせに!?」

  「そこは関係ない」

  「でも、大切なのは気持ちというか、心意気というか」

  「それを重要視せず、現実的なことを考える奴もいるぞ」

  「じゃあ、和虎隊長がそのおっかない顔で、無理矢理意見を通すとか」

  「出来るわけないだろうが」

  「す、すんません」

  がっくりと項垂れる風丸の肩を、和虎ががっしりと掴んだ。

  「落ち込んでいる場合じゃないぞ。出動する可能性がある以上、今のうちに恐怖心を克服しなければならない。当然、やる気はあるだろう?」

  「もちろんですよ!」

  風丸はナイフを取って元気よく立ち上がり、後退して身構えた。

  「続き、しましょう!」

  「生半可なやり方じゃ、恐怖心は消せない。厳しくいくぞ」

  和虎も立ち上がり、模擬刀を風丸に向けた。

  「お願いしゃーす!」

  風丸は、自分から前に出た。もう一度、戦場に立つために。

  深夜の特訓は、1日も途切れることなく続けられた。

  恐怖心を払拭することが目的であるため、和虎は容赦しなかった。加減はしつつも、殺気を込めて模擬刀を振るい、防具を着けていない風丸に何度も打ち込んだ。

  風丸は心身の痛みに耐え、和虎へと立ち向かった。何度も恐怖で体が強張り、模擬刀で叩かれても、風丸は特訓を止めようとはしなかった。兵士を辞めさせられることの方が、遥かに怖かったからだ。

  それは自分自身にとって、無価値だと宣告されること、存在を否定されることだと、そう思っていた。

  特訓の甲斐もあって、体が硬直することはなくなり、無駄な動きも減り、必要以上に間合いを取ることもなくなった。結果、全力で動ける時間も増え、技量や判断力も以前より飛躍的に向上することとなった。

  和虎はそれらの事実を会議で報告し、風丸の兵士続行と、次回の任務への参加を強く推した。結果、BATの上層部にその意見は認められ、晴れて風丸は間を置くことなく戦闘に参加することが出来た。

  だが、和虎の不安は消えたわけではない。訓練で出来たからと言って、実戦でも出来るとは限らない。

  特訓では、どんなに殺気を込めた一撃を打ち込んでも、それは真の殺気を孕んでいるとは言えない。訓練は、どれほど実戦に近づけたとしても実戦には成り得ないのだ。

  戦闘にて、キメラが放つ攻撃を、真の殺気が込められた一撃を仕掛けられて、風丸は動けるのだろうか。

  和虎にとって、それが最大の懸念だった。

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  数時間前、瀞と空が各々、七里ビルの東口と北口の前でキメラの群れと戦っていた時。

  (無事でいてくれ!)

  七里ビルでの戦闘で西口にいた和虎は、部下たちと同様に、ビルから飛び出してくるリッパーとブラックハウンドの群れと戦った。賢士の援護を受けられない位置だったが、和虎は苦も無く全て斬り伏せ、直ぐに風丸がいる南口へと向かっていた。

  おそらく、南口からもキメラの群れが雪崩のように飛び出しているはずだ。果たして今の風丸が、あれだけの数のキメラ相手に対応できるのか。能力を発揮できれば問題ないはずだが、それが出来なければ討伐どころか、生還も難しい。賢士の狙撃があれば安心と言いたいところだが、風丸ばかりを援護していると、瀞と空の身が危なくなる。

  今自分がすべきことは、風丸の救援に向かう事と判断した和虎は、ひたすら南口へと走った。

  (やっぱり!)

  和虎の予想は当たっていた。南口周辺も、数えきれないほどのリッパーとブラックハウンドがいる。

  (風丸、逃げていないのか!)

  風丸の姿は見えないが、リッパーもブラックハウンドもこの場に留まっている。つまり、そこには獲物がいるということだ。密集したキメラの中心、そこに風丸がいるはずだ。

  「ガアアッッ!!」

  和虎の存在に気付いたブラックハウンドが、方向転換して向かってきた。

  それを斬り倒し、和虎は近くにいるキメラを片っ端から斬りまくった。群がる羽虫を叩き落とすかのように、次々と屠り去っていく。二の太刀は必要とせず、必ず一刀で仕留めた。

  「むっ!?」

  キメラの垣根を斬り進むと、風丸はすぐに発見できた。

  ナイフを両手に持った風丸は、ブラックハウンドとリッパーに囲まれている。その刃には、血が付着していない。周囲にはハウンドとリッパーの死体が何体も転がっているが、切り傷を受けた個体は見当たらなかった。

  (賢士がやったか)

  和虎の推測どおり、風丸はまだ1体もキメラを仕留めていなかった。

  怒涛のように迫りくるキメラの群れを前にして、風丸の中に生まれた恐怖は、出撃前に固めた勇気をあっさりと飲み込んでしまった。

  リッパーに切り刻まれ、ブラックハウンドに噛みつかれ・・・・・・。

  (こ、殺される・・・・・・)

  獣の爪牙により嬲り殺される自分の姿が、リアルに脳内で構築されてしまった。

  「いざという時は、全力で逃げろ」

  キメラとの距離が縮まっていく最中、風丸の脳裏に浮かんだのは和虎の助言だった。しかし、風丸から戦意が完全に消え去ることは無かった。

  自分はまだ兵士でいたいという意志と、和虎と特訓をして得た自信が風丸を支えた。

  だからこそ風丸は、和虎がいる西口や、BATの機動隊が待機している場所まで後退せず、南口に留まりキメラの攻撃を避け続けた。少しでも多くのキメラを、この場に留めようとしたのだ。戦闘にも退避にも徹しきれない中途半端な行動だが、風丸にはそれしか思いつかなかった。

  決意した風丸は、回避に集中した。

  相手に向かって踏み込むことは、とてもじゃないが怖くてできなかった。

  しかし、逃げることならできた。

  和虎との訓練を思い出し、相手の動きをよく見て、華麗なステップで爪牙を躱し続ける。

  包囲されないよう、四方八方にも気を配りつつそれを継続した。

  攻撃のチャンスもあったが、欲張ることはしなかった。

  下手に手を出そうとして、恐怖で動きが鈍ったら終わりだ。

  「あっ!」

  そうやって逃げ続けるチーターと、キメラの命を刈り取りまくる虎の目が合った。

  (やはり、無理なのか)

  和虎がそう思った次の瞬間、風丸の姿が視界から消えた。

  同時に、風丸の前に立ちはだかっていたリッパーが、首から血を噴きたてながら倒れ込んだ。

  (なっ)

  和虎と目が合った直後、回避一辺倒だった風丸は、一転して積極的に攻撃を仕掛け始めた。

  キメラたちの隙間を駆け抜けながら、ナイフを振るう。和虎との特訓の成果が十分に発揮されており、ナイフ捌きは的確で、動きの無駄は少ない。ハウンドもリッパーもその速さに、先程まで逃げ腰だった獲物の変貌ぶりに対応できず、次々と倒れていく。

  和虎の見立てでは、それはまだ風丸のベストパフォーマンスには及ばない動きだったが、それでもキメラを仕留めるのには十分だった。

  見てください隊長、自分は大丈夫ですと、言わんばかりの猛攻。それに和虎が加わったため、賢士は瀞と空の援護、そして機動隊の包囲網へと向かったキメラの掃討に専念することが出来た。

  一人では勇気が奮わなかった。孤立した状態で追い詰められ、蹂躙された記憶が蘇ってしまったのだ。賢士の援護があったとはいえ、手が届く範囲に仲間がいないという事実は、風丸にとって大きな重圧となってしまった。

  しかし、近くに仲間がいれば安心感が生じ、恐怖を和らげて余裕を持たせてくれる。それが最強たる和虎なら尚更心強い。しかも和虎は、自分の戦果を見定めて上層部に報告する存在でもあるのだから、戦果を出さねばならないという緊張感も生まれた。

  また、仲間に迷惑をかけたくない、足を引っ張りたくないという責任感も風丸の戦意を上げてくれた。

  それらの要因が重なった結果、風丸は勇気を振り絞り、攻撃への一歩を踏み出すことが出来たのだ。

  (扱いにくいな)

  和虎は七里ビルから飛び立ったヘリの中で、風丸の現在の戦闘能力を評価し、これからの戦闘における立ち位置について思考していた。

  (誰かと常に一緒なら戦えるだろうが、孤立してしまうと危険だな。いや、仮に孤立しなくても、窮地に立たされると動けなくなるかもしれない)

  精神的に余裕がある状況ならば、訓練通りの動きが出来る。しかし、余裕がなくなると一転して逃げ腰になる。精神状態によって戦果が大きく異なってしまうのだ。

  (どんな兵士も精神状態で動きが変わってくるものだが、風丸の場合はそれが極端すぎる。1か10のどちらかしか出せない。ここまでムラがあると、やりづらいな)

  08部隊は音信不通になり、市民が避難していない区画にキメラが到達したという報告を受けた。この危機的状況下では、少しでも多くの戦力が必要となる。当然、風丸にも任務に参加してもらわなければならない。

  (獣人が一人いるかいないかで、戦局は大きく変わってくるからな。能力を完全に発揮できる風丸がいてくれれば心強いが・・・・・・今のままじゃ、爆弾だからな。しかも、市民や08部隊の安否といった、特殊なプレッシャーがかかるような状況だ。目は離せないな)

  和虎の双肩には、市民だけでなく部下の命も乗っている。その重さを、和虎は改めて実感した。

  (いずれにせよ、この任務が風丸の今後を左右するだろう。吉とでるか凶とでるか・・・・・・いや、俺が吉へと導かないとな)

  隊員達から気付かれないよう、固く拳を握りしめ、秘かに闘志を燃やす。

  (清美隊長。貴方も、こんな気持ちだったんですね)

  静かに、しかし猛々しく。

  風丸を一人にしてはならない。

  そう判断した和虎はヘリから降りた後、風丸に一つ指示を出した。

  「孤立したら全力で逃げろ。今の状態では、一人で戦うことは危険すぎる」

  風丸は首を縦に振った。自分の弱さを理解しているからだ。自分は大丈夫だと胸を張って言いたいところだが、その気持ちを抑えて素直に従った。

  皆から離れるつもりは無かった。

  単独行動をさせるつもりは無かった。

  それでも、戦場では何が起こるか分からない。

  風丸と和虎の祈りは通じず、風丸は一人になってしまった。

  亮太がカマドウマに攫われた時、風丸は躊躇せずに追いかけた。子供を見捨てることなど出来るはずがない。孤立する恐怖など、全く感じなかった。

  和虎はすぐにでも風丸を追いかけたかったが、綾子とその姉妹や従弟たちの救出を選択した。救える命が多い方を優先しなければならないからだ。隊長として和虎は、苦渋の決断を下さなければならなかった。

  (戦わなくてもいい。亮太を救出して、すぐに引き返せばいい。お前の速さなら出来るはずだ。恐怖に飲まれるんじゃない。どんな時状況に陥っても、活路を見出して、そこを走り抜けるんだ。頼むぞ!)

  和虎は部下の身を案じつつ、群がる蟲を斬り続けた。