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1 図書室
梅雨が思ったよりも長引いている。
しとしとと雨が降る昼下がり、後で換気をしなければ本に黴が生えてしまいそうな気怠げな空気。
羊竜ルベルは、魔王城図書室の片隅で、メモを取りながらカメラの技法書を読み込んでいた。
本と言えば白竜ヤナギというイメージだが、今日は不在だ。
彼はルベルの騎士ではあるが、四六時中一緒というわけではない。
ヤナギは専ら研究や調査のために読書をする。
自らの趣味のため、純粋に読書を楽しんでいるルベルの楽しみに水をさしてはいけないと考えたのだろう。
シャッタースピードの速さなどのカメラ本体の設定、構図の考え方などの使い手側の技法、それぞれ項目分けしながら書き留めていく。
旅館での聖王血鯱ニルグ襲撃事件以来自重していた趣味を再開してからというものの、ルベルの表情は大分柔らかくなった。
姿勢を正して1時間ほど集中した後、凝り固まった身体をほぐすために休憩しようと顔を上げる。
すると、信じがたいものが目に映った。
「随分と楽しそうじゃの~」
我を差し置いて……。
理不尽すぎる感情、怒りと羨望と愉悦の入り交じった兇暴な笑みを浮かべる火山のヌシ様こと溶岩竜リリーの顔が、図書室の窓の向こう一面を独占していた。
2 過誤
「我、降臨なのじゃ」
ルベルが窓を開け放つと、ヌシ様は無遠慮に、図書室の中にぬっと顔を突き出してきた。 どういう原理か不明だが、翼を優雅にはためかせながら、ホバリングして滞空しているらしい。
降臨とは口ばかりである。
「会いたかったです! リリーさん」
のっけから褒められて、ヌシ様は満足げにむふーと鼻を鳴らす。
我の名前を覚えておる。
こやつは間違いなく本物じゃ。
「何を読んでおるのだ?」
流石は気遣いのできる紳士的ドラゴン。
いきなり本題から入らずに、まずは持ち前の観察眼を発揮し、相手の行動に興味を持つのだ。
「カメラの本です。もっと写真が上手くなりたくて」
ルベルは喜色満面で、古びた本の小汚い表紙を見せつけてくる。
そんなもので本当に上手くなるのだろうか、とゲスの勘ぐりを働かせるヌシ様。
悪竜、世に憚る。
長生きドラゴンである割りには、勉学や芸術、武術などに関するコツというものは古今東西、千古不易であることを知らないようだ。
「ちょっと! 返してくださーい!!」
ヌシ様は、首を室内のもっと奥まで捩じ込ませると、ルベルの本を鋭い牙でくわえて取り上げてしまった。
本竜的には、ほんのじゃれ合いのつもりのようだが、客観的に見れば、典型的ないじめっ子の行動だ。
ルベルはカエデと同じでからかい甲斐があるタイプじゃな~。
ヌシ様は、ニヤニヤしながら本をパクリと口の中に入れてしまう。
「んぐぅっ!!」
焦燥したルベルが思わずマズルに手を当て、軽く電撃を流す。
バチッという軽くはない衝撃。
思わずゴクリと本を飲み込んでしまう。
「あっ…………」
沈黙の帳が降りる。
そんなつもりじゃなかったのに……。
ふたりの心は、今まさに通じ合っていた。
3 誘拐
既に雨は止んでいた。
どんよりとした曇り空の中、違和感の塊のような体躯のドラゴンが飛んでいく。
何度か大きく羽ばたいて高度を上げては滑空し、体力の消耗を押さえながら。
流石は我。
渡り鳥のように機能的かつ合理的な飛び方じゃ。
なのに、我が手のひらの中のルベルは、今にも握りつぶされるのではないかとオドオドしておる。
「おヌシも口の中に入れて運んでやろうか?」
「また電撃を……いえ、何でもないです」
反撃に出ようとしたルベルだが、我の威圧感に屈して何も言えなくなってしまったらしい。
愉快じゃ、がははと笑いたいところではあるが、確かにこやつを飲み込んでしまっては、本来の目的は果たせぬ。
自重せねば。
故郷に近付いてくるにつれ、手の中のルベルの表情が明るくなってきた。
カメラのシャッターをパシャパシャと切りまくっているおかげだろう。
無理もない。
雪原の向こうの火山など、滅多に見られるものではないのだから。
それが上空からの景色、空飛ぶドラゴン視点となれば尚更だ。
だが、流石にルベルを抱えたまま、いつもの近道をするわけにはいかない。
地下都市に到着するまで、いつもの洞窟の中を一緒に歩いてやるか。
ただし、面倒だからその描写はスキップするのじゃ。
4 出迎え
「お帰りなさい、ヌシ様!」
火山洞を抜けると、赤竜カエデがぱあっと表情を輝かせて出迎えてくれる。
流石は我が従者。
緋鳥騎士(自称)のヒエンとは大違いじゃ。
可愛い。
「また偽者じゃねえだろうな?」
地下都市市長赤竜グレンは、凄まじいまでの殺気を我に向けて放ってくる。
まるで心臓に爪を立てられているかのようじゃ。
恐ろしい。
「地下都市へ今度はどんなトラブルを持ち込む気ですか?」
グレンの金魚のフンのように付いてきた緋鳥騎士ヒエンは、我にだけ冷たい。
そのような特別扱いは何も嬉しくないのじゃ。
忌まわしい。
というか、何故グレンとヒエンがいるのだ?
カエデとふたりきりでハートウォーミングな写真を撮りまくってもらい、後で自慢するつもりだったのに……。
5 提案
ルベルが本物であることに関しては、カメラの機種の違いや、我の真名、リリーというぷりちーな名前を知っていることで簡単に証明できた。
我が魔王城くんだりまで行ってルベルを連れてくることは、カエデが喜び勇んでグレンとヒエンに話してしまったらしい。
「前回の無念を晴らすために、写真撮影会をもう一度」という趣旨に聞こえてしまっていたようだ。
口止めをしなかった我も悪いのだが、都合良く解釈しすぎである。
カエデも結構したたかだ。
「復興は結構進みましたね。安心しました」
市長邸市長室で歓談しながら待っていた我ら4名のもとに、ルベルが帰ってきた。
我のワガママによる撮影会ではなく、グレンとルベルの意志を尊重して、現在の地下都市の情景、市民たちの様子や建物などを撮影して回ってもらっていたのだ。
では、この後は、カエデとふたりきりで……。
「今度は俺たちを魔王城に連れてってくれないか?」
我に正当なる権利主張をさせる暇もなく、グレンが手前勝手な提案をする。
その「俺たち」に我とカエデは勿論当然入っているのであろうな?
6 遠出
魔王城と聞くと、真っ黒な暗雲が立ち籠め、不穏な雷鳴が低く重く轟いている剣呑な風景を一般的には想像するだろう。
私も実際に来てみるまでは、そんなイメージだった。
だが、それはやはり、ただの偏見だったようだ。
空全体を雲が覆っているのか晴れ渡っているのか、どちらなのか判別しかねるような恐ろしげな雰囲気ではあるが、それは火山近辺でもそう変わらない、梅雨時独特の情景だ。
駄々を捏ねるヌシ様を主にグレン様の力で追い返し、ルベルさんの案内で、私とグレン様とカエデさんの3名で魔王城に乗り込む。
「我を体の良い足代わりにするとはな。覚えておれよ貴様ら-!!」
ありがちな捨て台詞を残し、きらきらと涙らしきものを振り撒きながら猛スピードで去って行くヌシ様。
また帰りに迎えに来ていただくのだから、体力を温存しておいていただきたい。
魔法の紙コップの振動数は、しっかりと手帳に控えてある。
それに、意地悪で追い払ったわけではない。
市長御不在の間、ヌシ様に復興途中の地下都市の護衛をお任せしたいという、グレン様の御英断なのである。
ヌシ様は実力的にはグレン様には遠く及ばないが、カエデさんはともかく私よりは圧倒的にお強いのだ。あれでも。
7 気晴らし
それにしても、グレン様の意図が判断しかねる。
何故、遙々このような場所まで。
てっきり、あの後ふたりきりの写真撮影会でも始まるのかと思ったのに。
それどころか、私たち4名の写真も撮らせず、地下都市の状況だけの撮影だけで終わってしまった。
確かに写真なんてどうでもいいとは仰っていたが……。
最近、どうも心の中が不遜で良くない。
恐らくヌシ様に植え付けられてしまった闇の烙印の悪影響だろう。
もっとグレン様の騎士として、姿勢を正していかねば。
とはいえ、あのときの治療行為のせいで、私の血液を介して闇の烙印がグレン様にも共有されてしまった。
グレン様のお気持ちが理解できるとまでは言えないが、少し察せられるようになってしまって気がして、若干やりづらい。
ルベルさんを先頭に、魔王城敷地内を進んでいく。
華美すぎず簡素すぎず、棲みやすいよう、よく考えられている構造だ。
庭園の庭木はよく手入れされ、いくつかの彫像によって必要最低限の装飾がなされている。 本丸の建物の中に入り、ロビーを抜け長い廊下を歩く。
地下都市に慣れた身では、城内に窓が多すぎて、ちょっと不安になる。
「グレン様。魔王城へはどのような御用事で?」
歩きながら、素朴な疑問をぶつけてみる。
強気すぎるかもしれない。闇の烙印のせいで……と思いたいが、これくらいは聞いておくべきだろう。
「別に。ただの気晴らしだ。楽しめ」
素朴な質問には素っ気ない答えが返ってきた。
内情視察などではないのだろうか。
喜ぶべき答えなのかもしれないが、あまり本気にするわけにもいかない。
グレン様の騎士として、いつでも御守りできるよう、油断なく構えておかねば。
先ほどから観光気分できょろきょろしているカエデさんが羨ましい。
8 食堂にて
「美味しいです、したっぱさん!」
魔王城秘伝のクリームシチューを食べながら、カエデさんは相変わらずエンジョイしている。
確かに美味しい。
だが、クリームシチューの味の違いが、私には良く分からない。
カレーのように明確な辛さの違いなどがあればと思うのだが。
魔王城のしたっぱさんは嬉しそうにカエデさんと料理のレシピを教えあったりしている。
仕事以外に趣味があれば、あんな風にすぐ友だちができたりするのだろうか。
何となく目を逸らすと、グレン様と魔王城守護獣のコマノさんが仲睦まじく、というほどではないが、歓談していた。
どうやら、したっぱ君と私の自慢話で盛り上がっているらしい。
先日のグレン様とヌシ様によるファッションイベントを思い出す。
何だか、居たたまれなくなってしまう。
離れた席に移動しようと思って立ち上がりかけると、向かいの席に誰かが座った。
「食事を楽しめと言われても、困りますよね」
9 カレーVSクリームシチュー
この御方は鳥族のフィンクさんというらしい。
冷厳なる雰囲気と鋭い眼光が特徴的で魅力的だ。
話を聞くと、闇竜の御弟子さんらしい。
私の中の闇の烙印と親和性があるのかもしれない。
「そもそもカレーやクリームシチューって、1日寝かせれば美味しくなると言いますけど、だったら最初から美味しくあれよと思いませんか?」
やはり共感性が高い。
物理法則を捻じ曲げてでも、合理的に食事は摂りたいものだ。
「ですが効率的な栄養補給という観点からすれば、あらゆる食材を1つの鍋に放り込み煮るだけという調理方法は、広く推奨されるべきものです」
負けじと応酬する。
フィンクさんは、したり顔で深く頷いている。
「カスタマイズ性が高いのも魅力です。カレーならば福神漬けやラッシー、ナンなど、付け合わせの幅が広い」
フィンクさんは、大きな翼手を虚空に構え、壺をさするかのような動作で語っている。
食事に集中すればいいのに、と思いながらも、そうカレーばかりを褒められると、こちらとしてはクリームシチューを上げざるを得ない。
「クリームシチューは、そもそも調理方法の時点で選択肢が広い。ルーを使わなければ簡単にクラムチャウダーにシフトすることもできる」
批評家ぶって好き勝手なことを言い合っているだけのような気がする。
実際に料理を作ってくれているしたっぱ氏のことももっと気遣うべきではないだろうか。
フィンクさんもそれに気づいたのか、後の時間は、ふたりでカニ料理を食べているかのように静寂に包まれていた。
10 友だち
「良かったな。友だちができて」
グレン様がいつものように、獰猛にニヤリと笑いながら私の鶏冠を鷲掴みにしてぐりぐりと押さえつけてくる。
優しく撫でてほしいと思わないでもないが、これがらしさなのだ。
料理に関して知ったかぶった批評合戦をしただけで、友だちと認定してしまうのは些か気が引けてしまうのだが。グレン様にそう言っていただけるのなら、それでいいのかもしれない。
手帳に控えた魔法の紙コップの振動数が一気に増えた。
今日は良い日かもしれない。
恐らくその大多数は一度も使わないと思うが……。
「今度は泊まりで遊びに来てくださいね!」
ルベルさんは無邪気な笑顔で手を振ってくれる。
その隣にはフィンクさんが、若干憮然とした表情で同様に手を振ってくれている。
コマノさんとしたっぱさんは、早々に仕事に戻ってしまった。
結局、遊びに来たということで良かったのだろうか。
聖王とのこととか、地下都市の今後とか、もっとたくさん気にするべきことがあるだろうに……。
フィンクさんのお師匠様の闇竜さんのことも詳しくお聞きしたかったが、必死の形相で止められてしまった。
自分の意志で闇竜に弟子入りしたフィンクさんと違い、私の場合は強引に闇の烙印を植え付けられた。
「貴方はクリームシチューなんでしょう?」
と言われてしまった。
よく意味が分からない。
ルベルさんとフィンクさんも魔王城内に戻っていき、庭園でグレン様と私とカエデさんの3名は帰りの足ことヌシ様の到着を待つ。
良く整備された場所だからこそ、ちょっとした汚れが目立ったりもする。
庭の芝生の中に落ちていた小さな石ころを軽く蹴り、石畳の中、目立たない場所へ戻す。
特に会話はない。
気心の知れた仲だと、だからこそ居心地が良かったりもする。
夜空を見上げると、下弦の月にはまだ及ばないくらいの月が、それでも明るく輝いている。
月の良く見える夜は、雲の動きが速く感じられる。
雲の影になって、出たり消えたりする月を飽きもせずに眺めている。
すると、弱くはない力で背中をグレン様に叩かれてしまった。
軽くよろめいてしまう。
グレン様もカエデさんも、思い思いの表情で笑っている。
おふたりも楽しかったでしょうか。私もそういう風に自然に笑えるくらい、自分のことが好きになりたい。聖王との戦いは今後どうなるのでしょう。言いたいことはたくさんあるのに、何も言葉にならない。友だちが増えても素直に嬉しいとは思えない。
とりあえず、帰ったら今日のことをヌシ様に自慢することにしよう。
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