「ああ……!良かったなぁ、猫カフェ」
温かく柔らかな猫達の触り心地を思い返しながら、俺――――[[rb:菱崎斗真 > ひしざきとうま]]は感慨深くなっていた。
大都市圏を中心に展開されている様々な種類のアニマルカフェ。その店舗を毎週末に代わる代わる巡っては、種類を問わず動物達を愛でるのが俺の密かな趣味だ。
「先週のふくろうカフェも良かったけど、やっぱり王道はモフモフで人懐っこい猫だよな。店内の雰囲気も良かったし、リピート用にチェック入れておくか」
スマートフォンに入れた専用のマップアプリを使い、先ほど行った場所をお気に入り登録しておく。
人気の店舗なので次に顔を出せるのは数か月先になりそうだが、それはそれで楽しみも増すというもの。どこか太々しくも可愛い担当猫ちゃんの顔を思い浮かべ、少し顔がにやけてしまう。
「これで来週も仕事頑張れそうだ。よーし、明日に備えて――――ん?」
気分上々になりながら、ふと脇の細い路地をちらりと見た時だった。
賑やかで明るい大通りとは違う、どこか影を感じる裏の道筋。低階層の雑居ビルに掛かった看板の1つに『サファリカフェ』という文言を見つけた。縦長のパネルに収まったサバンナ風の絵に興味を惹かれ、自然と足が脇道へと逸れていく。
2本の通りに挟まれた場所を繋ぐように通る道のちょうど中間あたり、表に向けられた2棟が挟む空間を埋めるように建つビルにそのカフェは入っているようだった。いかがわしい店を一瞬疑いはしたものの、その手の歓楽街からは幾つも通りを隔てた場所。風俗の取り締まりが厳しい昨今、さすがに警察から目を付けられるような真似はしないだろう。
他の階のテナントも渋めな雰囲気の喫茶店と個人経営のファッションブティックで、そこまで変な雰囲気は感じられない。むしろ件の店が一番浮いているまである。入り口近くに掲示された開店時間をチェックすると、やはり昼のお店のようだった。
「ついつい近づいちゃったけど、ここまで来て引き返すっていうのもな……」
内容は気になるが、おそらくはアニマルカフェの類じゃないだろう。アプリを開いて確認してみると、案の定マップにこの店の登録はなかった。
しかし、このまま店先だけ見て帰るというのも面白くない。スモークガラスで覆われたドアの先は外から確認できないし、外壁も看板同様に風景が一面に大きく描かれているだけだ。
せめて中身を見ておきたいと思い、ドアの手すりに指を掛ける。施錠されていない入り口は大した抵抗もなく手前に開いた。
『――――いらっしゃいませ。間もなくガイドがご案内いたしますので、ロビーにてお待ちください』
機械の読み上げ音声を使っているのだろうか。どこか無機質な響きの声が天井のスピーカーから響いてくる。
無人のカウンターと革張りのベンチが置かれた室内は、7、8人ほどが入れば埋まってしまいそうなほどに窮屈だ。かつては別のなりわいをする店だったのだろうか、どことなく元あった設備を取り払うことなく使っているような雰囲気があった。
(それにしても、どうやって奥に入るんだろうか……?)
部屋の中には扉らしき物が見当たらない。壁の継ぎ目は幾つかあるものの、手で押し開けたりはできない雰囲気だ。兎にも角にも待ってみるしかないだろう。
『お待たせいたしました。メインゲートを開きます』
数分ほど待たされたところで再びスピーカーが鳴った。と同時に、部屋の奥側でガタンと何か動いたような音が響く。
継ぎ目の辺りを境目にして壁が割れたかと思うと、観音開きになるようにして奥への道が現れる。まるで子供の考えた秘密基地をそのまま現実にしたようなギミックだ。突然の演出に興奮を隠せなくなりながら、俺は目の前の穴へと歩みを進めた。
******
「ようこそサファリカフェ『セレンゲティ』へ。こちらでは可愛く美しい動物の皆さんと触れ合いながらお食事をお楽しみいただけます」
潜り抜けた先、丸木を加工し繋ぎ合わせたようなテーブルとベンチが並ぶ大広間の前で、ガイドであろう『それ』はにっこりと笑みを浮かべていた。ひらひらのエプロンドレスに身を包み、丸いお盆を腹の位置に両手で抱えるその人物――――いや、これは『ヒト』と言っていいのだろうか……。
特殊メイクでもしているのか、毛皮に包まれた獣人が接客のために立っていた。褐色の毛並みに黒や白の模様が入り混じった顔と手足は、おそらく草食獣のガゼルをイメージしたものだろう。ご丁寧に角まで生やしているが、天井や装飾を傷つけないようにするためか、表面にはレースのカバーが掛けられているようだった。
「おひとり様でよろしかったでしょうか?」
「あ、はい。大丈夫です」
聞かれるままに受け答えするものの、心は動転してしまってそれどころではなかった。確かにいかがわしい類ではないようだが、いわゆるコンカフェ――――コンセプトカフェという種類のお店だったらしい。それもだいぶディープというか、結構なキワモノの部類と来ている。
(ケモノのカフェか……。まあ、そういうものとして楽しむ分には良いけど正直キツいなぁ)
声に出さず呟きながら、俺はガゼルの店員に連れられて2人掛け用のテーブルへと向かう。樹脂製だろうか、柔らかな草の生えた上を歩く感触は実に独特で不思議だった。
「こちら本日のメニューとなっております。ご注文がお決まりになりましたらテーブルの呼び鈴を鳴らして下さい。それと――――こちら本日の御指名リストとなっておりますが、いかがいたしますか?」
「指名?」
「はい。本日お客様との楽しい時間を過ごさせていただきます、可愛いサバンナアニマルです」
彼女が笑顔で差し出してきたA4サイズのラミネートされたシートには、16人ほどのスタッフが顔写真と名前付きで並べられていた。全員ここでの名義なのか揃ってカタカナ表記。そして、そのどれもが例外なくケモノの顔をしていた。
(う、うわぁ……。本当にそういう系なのか)
思わず心の中で引いてしまう。マズルの伸びた面と獣耳がずらりと列挙されたそれは、冷静に見てしまうとかなりシュールに感じられた。
とはいえ、全員がケモノならあれこれ悩んだところで大して差はない。俺は適当に犬っぽい見た目の子を指名することにした。
「えーっと……それじゃあこの、ミライちゃんで」
「はい、ありがとうございます。すぐにテーブルまでお伺いしますので少々お待ちください」
そう言うと、ガゼルの店員は俺のテーブルを離れていった。
緊張と困惑で気づいていなかったが、見回してみると俺以外にも結構な数の客が席に座っていた。ケモノ店員と向かい合っているのもいれば、4人掛けや6人掛けのボックスでカップルや子供連れがわいわいとやっているのも見える。てっきりその手のフェチを相手にしているのかと身構えたが意外とそうでもなさそうだ。
少しだけ安堵しつつ、俺はメニューを手に取った。
(そうは言っても腹は減ってないんだよな……)
先ほどまで猫カフェに入り浸っていた関係で、少ないながらもそれなりに食事は胃に収めていた。猫ちゃん達と触れ合う前に食べたミックスサンドイッチが未だ腹に残っている感覚がある。
かと言って、こういう場所でコーヒー1杯だけというのも何だか失礼な感じだ。とりあえず軽めに行けそうなものを探してページをめくると、皿に盛られたプレーンのパンケーキが偶然目に留まった。
(うーん、ひとまずこれで良いか)
これといって盛り付けはなく、せいぜいバターを後乗せするくらいだろう。これなら無理なく胃に収まりそうだ。俺は店員を呼ぶために手元にあった呼び鈴をチリンと鳴らした。
「はーい!ミライちゃん今行きまーす」
元気の良い声が聞こえたかと思うと、注文票を手にした犬耳のケモノがテーブルに駆け寄ってくる。銀色を帯びた模様がふさふさの尻尾に入った彼女は、俺の横合いに立つと丸っとした瞳をこちらに向けてきた。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「このパンケーキと、あとはコーヒーを1つお願いします」
メニューの写真を指差すと、彼女は慣れた様子で紙に書き留めていく。コンセプトカフェであっても案外こういうところは業務的らしい。
「パンケーキのプレーンと、コーヒーですね?アイスとホットどっちが良いですか?」
「ホットで」
「はーい!それじゃ注文渡してくるので待ってて下さいねー」
彼女――――確かミライちゃんだったか――――は俺にウインクすると、キッチンカウンターのある奥へと再び駆けていった。足を動かす度左右に揺れる尻尾にほんの少しだけ心が揺らぐのを覚え、とっさに首を振る。
(かわいくない、かわいくない……!俺が好きなのは動物であってケモノじゃないから……!)
何も履いていないように見える足の肉球なんて、改造したブーツを履いて誤魔化しているに決まっている。毛に覆われた手だってどうせ作り物だ。本物の毛並みには、温もりには勝てるわけが――――。
[newpage]
「よーしよしよしよし!可愛いねぇミライちゃん」
感情を否定してほんの数分後。毛に覆われた顔をわしゃわしゃと撫でながら、俺は完全に表情を緩めていた。全く作り物とは思えない手触りと温もりに負けた心が、目の前のミライちゃんを全面的に受け入れてしまっている。対するミライちゃんはと言えば、どことなく気持ち良さそうな顔をして俺の為すがままに上半身を預けていた。
「斗真さん、もっと撫でてくださぁい。とっても気持ち良いですぅ」
「そうかそうか!おーよしよし」
まるで大型犬をあやすような感覚で彼女を甘やかしている俺は、どこからどう見てもケモノの魅力に堕ちてしまっていた。
それにしても、とても良くできた変装だ。ふさふさとした毛皮は身体をぴっちりと覆っているが、着ぐるみのような厚ぼったさや表層だけ浮いた感じがない。マズルの伸びた口と鼻先も、そういう特殊なマスクを貼り付けているとしたら随分綺麗な仕上がりと言えるだろう。それこそ映画の撮影にでも使うレベルで、徹底的に作り込んでいるかのようでさえある。
「ミライちゃん、この格好になるのって大変じゃない?」
この手の店ではある意味御法度のようなことをわざとらしく尋ねてみる。初見の客ということで、多少は大目に見てくれると思ってのカマかけだ。しかし――――。
「えぇ、何言ってるんですか?ミライは生まれた時からこの格好ですよ?」
「は、ははは。そうだよね、ごめんね変なこと聞いちゃって」
ボケられたというよりは、素で疑問に思っているかのような口調で答える彼女。その冷たい眼差しの前に曝されて、思わず声が震えてしまう。それだけケモノとしての演技に熱が入っているということなのだろう。
(ひょっとすると、店員の側がその手のフェチの人って可能性もあるな……)
彼女の真剣さ、そして他のケモノ店員達の芯から馴染んでいるかのような振る舞いに、何となくそんな印象を抱く。
もしかすると、彼らが上手いこと欲求を満たすための手段としてこの店が経営されているのかもしれない。勿論、客の側にそっちの趣味がないとは言い切れないが、どちらかと言えばそこにこだわりはないかのように映る。
おそらくミライちゃんも、それ以外の子達も、この姿でいること自体に大きな満足を得ているのだろう。ロールプレイというよりは生き方そのものの具現。そうとしか言いようのないものを何となく感じた。
「ミライちゃん、お客様に料理を運んであげてー!」
「はーい!」
キッチンから呼び出しがかかり、彼女が立ち上がる。尻尾をフリフリと揺らしながら通路を歩く姿に、俺は思わず見惚れてしまっていた。
それにしても、あの尻尾ってどうやって動かしているんだろうか。多分モーターか何かが入っているんだろうが、駆動音が一切聞こえてこないことを考えると、だいぶ工夫を利かせた設計になっていそうだ。そういうところにもこだわりを欠かしていない辺り、やはりいろいろな意味でプロフェッショナルということなのだろう。
「お待たせしました!プレーンのパンケーキとホットコーヒーです」
テーブルに置かれたパンケーキは思っていたより一回り以上サイズが大きいが、この程度なら何とかなりそうだ。クリームの乗ったものにしなくて良かったと密かに胸を撫でおろす。
「それじゃ、シロップ掛けますね。とろとろとろー」
声に出しながらメープルシロップの入ったポットを傾けるミライちゃん。濃厚な琥珀色がパンケーキの上に落ちると、俺の鼻にも甘く香る匂いが漂ってくる。熱い表面に溶かされたバターを広げながら、俺は切り取った一切れを口の中へと放った。
「んんっ!美味しいな、これ」
「でしょでしょ!ミライもこのパンケーキ大好きなんだぁ!」
向かい合ってはしゃぐ彼女の姿についつい微笑ましい視線を送ってしまう。とろけるような味わいのパンケーキ以上に、目の前のジャッカルの少女は可愛く甘酸っぱい存在に見えてしまっていた。
(いや、まさか……落ち着け俺!一時の迷いに流されるな!)
危うく冷静さを欠きそうになっていたところで我に返ると、俺はぐっと自分の表情を引き締めに掛かる。
こういうところから沼に落ちることだけは避けなくてはならないのだ。あくまで俺のアニマルカフェ巡りは癒しを得るためであって、恋心を育むためのものじゃない。
――――いや、そもそもここはアニマルカフェですらないんだが。
「斗真さん、どうかしました?」
よほど変な顔をしていたのだろう。ミライちゃんが怪訝な面持ちで俺の方を見ていた。
「ああいや、何でもないよ。うん、美味しい」
「そう?なら良かった。冷めないうちにどんどん食べてね」
ここに浸りかけていたことへの迷いを誤魔化しながらパンケーキを口に運ぶ。そんな俺を、彼女は優しく微笑んで見守っていた。
******
『ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております』
機械の声に見送られ、俺は外の世界へと帰ってきた。あれから1時間余り、ミライちゃんと共に盛り上がって食事を楽しみ、最終的にツーショットでチェキまで撮ってしまった。その分だけ支払いはそこそこ高くついてしまったが許容範囲だ。
『また指名して欲しい』と言われて送り出されはしたものの、さすがに2回目を経験する気にはならない。
確かに可愛い存在ではあったし、ケモノという異質なものに心を惹かれないわけではなかった。しかし所詮は偽の毛皮。どれだけ気合の入った変装をしても、本物の動物達とは似て非なる存在に過ぎない。
(まあ、もし仮に。仮に予定の変更が起きたり時間が余りでもすれば、その時はまた来ても良いとは思うけど……)
どこか言い訳のようなことを思いつつ、俺は来た道を戻ることにした。
[newpage]
あれから3ヶ月。俺は毎週欠かすことなく『セレンゲティ』に通っていた。
最初の1ヶ月は偶然が重なって、どうしても時間を潰す必要に駆られてのことだ。予約していた筈の店舗でブッキングミスが起き、仕方なしにまた店を訪れることとなった。色々と考えるのが面倒だったので、ミライちゃんを固定で指名して、メニューも彼女のオススメに任せて選ぶように。
そんなことが3週ほど続き、俺は気が付けば彼女の望むがままに食事とレクリエーションを楽しむようになっていた。他の店にハシゴするのを自然と減らし、その分の時間を彼女のいるサファリカフェに充てる。俺が休日に遊び出る理由はもはやアニマルカフェ巡りではなく、『セレンゲティ』のためだけに存在してしまっていた。
勿論、それ自体は決して悪いことでも何でもない。気まぐれのように料理を選ぶ彼女のおかげで自分では絶対に頼まなかったであろう献立を色々御馳走になったし、彼女とミニゲームで遊びながら楽しいひと時を過ごせた。そこにはちゃんと良さを感じている。
だが――――。
(何かおかしい。どこか違和感はある筈なのに、何故か受け入れてしまっている……)
今日も気持ち良く店を出たところで、突然我に返ったようにそんな感覚が湧き上がってきてしまった。
まるでこの店を――――いや、ミライちゃんを疑うかのような意識が、退店した途端にどうしても働いてしまうのだ。あくまで気のせいだと思いたいが、こうも毎度続くと本能的に何かを恐れているのではないかと疑いたくなってくる。
「そういえば、彼女達が店の外に出てきているのを見たことってないな……」
いつもの通り不愉快な感覚に苛まれていた時、俺はふとそんなことに思い至った。
ミライちゃんに限らず、ケモノの姿をしたスタッフ全員が内側の扉から先に出てきたことは、この3ヶ月の間にたったの一度すらなかった。来店時に迎えてくれるのは機械の音声だけで、扉を開くのも自動のシステム。彼女達が客を出迎えるのは決まって扉の先の通路を越えた『セレンゲティ』のホール内だ。
コンセプトカフェとして、お店の世界観を壊さないように心掛けているという可能性は十分あり得る。だがそれを差し引いても、彼女達が閉店後にどうしているかは少し気にかかってしまった。もし店を閉めた後も通り側に人が出てこないとしたら、彼女達は一体どこでどのように過ごしているというのだろうか。
(……いや、だからって潜り込んだりするのは絶対無理だろうし)
一瞬思い浮かんだ手段に全力でノーを突き付ける。第一、そんなことをすればただの犯罪者だ。彼女達の置かれた状況に不安があったとしても、社会法規が俺の行動を肯定してはくれないだろう。
「うーん……。何とかしてこの店の秘密を知るにはどうすれば……」
両手を組みながらひたすら考えを練る。どこまで行っても部外者である限りは情報を得られない。それなら――――。
(この店で働けば、何かわかるんじゃないか?)
頭にそんな突飛過ぎるアイデアが思い浮かんだ。
実際に雇用されるかはともかく、ひとまず面接くらいまで漕ぎ着けることができれば、現状で掴みきれない違和感を払拭できるかもしれない。ただし、問題はどうやってその状況に持ち込むかだ。
(求人なんてまず出てないし、人伝に相談するとしても店内でないと無理……うーん)
『この店で働きたい』なんて話をミライちゃんの前でできるかと言えば、少し――――いや、かなり難しい気がする。そもそも、彼女相手にそういう話を持ち掛けること自体に抵抗があるのだ。
もし頼むとしたら、ホールの案内役に回っているガゼルの店員の方が良い。あちらの方がまだスムーズに対応してくれるような印象がある。
「まあ、今日はもう帰ろう。作戦は帰ってじっくり考えればいい」
ひとまずそう決めると、俺は帰路を急ぐのだった。
******
時間が過ぎるのはあっという間だ。平日の5日間を淡々と過ごして、俺はまた『セレンゲティ』のある通りへと戻ってきていた。
今やこの店の方が我が家と感じるほどに馴染みつつあることに少しだけ怖さを覚えてしまう。それだけ俺は彼女達の毛並みと愛嬌さの虜になってしまっているということか。
何なら――――俺自身があの獣人めいた姿に惹かれ始めているまである。これまでアニマルカフェのペットを羨むことはあったけれど、ケモノに憧れることなど一度もなかった。同じ異種でもまだ手が届きそうな位置にあるから、そんな欲求が生まれてしまっているのだろうか。
「……よし」
入口の扉の前で気合を入れる。俺が例の話を振るのは、あくまで彼女達の秘密を探るためだ。そこを履き違えてはいけない。
『――――いらっしゃいませ』
機械の音声に迎えられ、エントランスで店内への通路が開くのを待つ。やがて何事もなく奥の隠し扉が開くと、ホールへと続く細い道が眼前に現れた。
少し緊張が身体に伝播している気がする。若干硬さを感じるような挙動で装飾も何もない通路を歩き、俺は彼女の待つ店内へと向かう。いつものように微笑みを湛えたガゼルの店員が寄ってきたところで、俺は意を決して話を切り出した。
「あの、実は――――」
「はい、菱崎さんのご要望は伺っております。早速『[[rb:園長 > ディレクター]]』と面談頂くことになりますが、よろしいですか?」
用件を伝える間もなく、彼女はニッコリと笑ってそう言った。
(伺っている……?俺、いつの間にそんな話してたっけ)
一瞬疑問が頭に浮かんだが、すぐに霧散して違和感は消え去る。
――――そういえば、いつだったかの来店時にそんな話をした気もするな。ミライちゃんが冗談扱いをして笑っていたような。
「うん?ええ、大丈夫ですけど」
「ありがとうございます。ではこちらへお進み下さい」
戸惑い気味に答える俺を、彼女は慣れた様子で普段と違う道に案内した。バックヤードに続いている通路を抜け、殺風景な部屋に通される。そこには壁面に嵌め込まれた大型モニターと、向かい合うようにしておかれたパイプ椅子が1つあった。
「こちらの部屋でしばらくお待ち下さい」
そう言われたきり、ガゼルの店員は俺を部屋に置いていなくなってしまった。接客の仕事があるから仕方ないのだろうが、何だか扱い方が淡白だ。せめて『園長』とやらが現れるまでは一緒にいて欲しかったなと思いつつ、俺はパイプ椅子に腰を下ろした。
『――――ようこそお出で下さいました』
唐突にスピーカーから声が響く。いつも玄関で出迎えてくれるあの機械音声だ。
『ワタクシがサファリカフェ『セレンゲティ』のオーナー、『園長』と申します。本日は当店への就職を希望されて訪ねて来られたと聞いていますが、ワタクシの認識は合っていますかね?』
「は、はい。俺――――いえ、私はここで働きたいと思って、採用面談を受けに来た次第です」
なるほど、リモートでの面接というわけか。俺は改まって声に答えた。
モニターに電源が入り、映像が出力される。顔面を覆い隠すような真っ白な仮面を被る黒スーツの男が、こちらを見つめるような姿勢で大きく映し出されていた。
『なるほど。お客様から就職を望まれる方が現れることはたまにありますが、アナタは少し変わったタイプかも知れませんね』
「変わった……?」
『――――まあ良いでしょう。まずはアナタの志望理由について、簡単に聞かせて下さい』
――――なんだか怪しい感じの人だ。けれども、嫌悪や恐怖は殆どと言っていいほど感じられない。俺は肩の力を抜くと、彼に向かって話しかけた。
「私は元々動物のことが好きで、アニマルカフェ巡りを趣味にしていました。そんな中こちらのお店を偶然見つけて通うようになりまして」
『そして、通っているうちにアナタ自身がスタッフの姿に憧れ始めたというわけですね。実に素晴らしい経緯です』
最後まで答えるまでもなく、『園長』は俺の言葉を汲み取っていた。
察しの良い人なのだろうか。少し不気味さはあるが、表向きの理由で納得してくれていることに少し安堵を覚える。
『ところで。アナタの志望理由、それだけではないですよね』
「――――え?」
油断していた。相手は真意に気づく筈がないと。
唐突に発せられた言葉に思考が停止する。何も言い返せずに口を噤んだ俺に、『園長』は優しい声音で話を続けた。
『知りたくて来たのでしょう、この店の秘密を。隠さなくても大丈夫ですよ、もうちゃんとわかっています』
「いや、俺はそんな――――」
『誤魔化さず正直に答えて下さい。もう、アナタはワタクシ達の仲間なのですから』
彼にそう諭され、俺は自身の浅はかな行動に恥ずかしさを覚えた。
――――そうだ、何と失礼なことをしてしまったのだろうか。ミライちゃんや他の子を疑うような真似をしようとするなんて。
「すみませんでした。彼女達が全く店の外に出てくる気配がなかったので、ここに何か良からぬものがあると思って真相を突き止めようとしていたんです」
『アナタが疑いたくなる気持ちも理解できます。彼女達がどう暮らしているか興味を持つことも仕方のないことでしょうからね』
俺の懺悔に理解を示しながら、『園長』は顔の前で両手を合わせる。白手袋に覆われたそれは数度擦り合わせるかのように動くと、互いに包むような形で指先を絡ませた。
『ですが心配は要りません。これからアナタも一緒に経験していくことになるのですから』
「……!はい!」
彼の優しい言葉に、俺は感激しながら応える。
もう既に心の中から不安は消えた。ミライちゃん達と共にここで働けるという事実に喜びを覚え、俺は――――。
『ではまず『準備』を進めるとしましょう。少しの間お眠りいただくことになりますが、ご了承ください』
「え、何――――」
その場にくずおれる。全身から力が抜けるような感覚と強烈な眠気に襲われて、俺はその場で目を閉じた。
誰かに優しく抱えられるような感触を最後に意識が落ちる。そうして暗闇の中で『菱崎斗真』は終わりを迎えたのだった――――。
[newpage]
オレは、誰だ。
いつの間にか寝かされていたベッドから起き上がる。
腰をついた瞬間、尻とは違う離れた場所に接触の感覚を覚えた。が、それもすぐ気にならなくなる。オレに尻尾が生えているのは当たり前のことだ。何故ならオレは人造の獣人――――『ファーリーノイド』なのだから。
小さな個室のような場所。鏡のついた洗面台へと歩み寄り、自分の顔を確かめる。そこに映っていたのは――――頑丈なデザインの首輪を嵌め、獣の耳と尾を生やして全身が毛むくじゃらになった1頭のオスだった。
茶色や黒、銀がかった灰や白の毛が模様を作るジャッカルの姿。明るいブラウンに染まったセミショートの髪に少しだけ人間らしさは漂っているが、マズルの伸びた口と動物らしさを帯びた褐色の瞳が明確に動物の側であることを主張している。凛々しさのある顔立ちを視界に収め、俺は眉を顰めた。
「――――いや、そうじゃない」
思わず口走る。
――――オスじゃダメなんだ。ミライちゃんと一緒に働くためには、可愛らしく接客するにはそっちじゃなくて。
認識を訂正するのに合わせて、鏡の中のオレはみるみる姿を変えていく。鋭い顔立ちは少し険しさを減らして柔らかくなり、平らだった胸は大きく盛り上がって突起が浮き上がる。骨格も全体が軋むように変形し、若干の痛みと違和感を身体の隅々まで走らせながら、メスのそれへと最適化されていった。
「があっ……ぐ、ううっ……!?」
そして変化はオレの局部――――最も大切な部分にまで及んでいく。
起きがけで赤く充血していたモノが急速に縮んでいき、体内にみるみる吸収されていく。代わりに体を底から穿って抉じ開けていくような痛みと共に、股の間へと亀裂が入る。今まで持ちえなかった新たなものが生じながら、周辺の臓腑をも強引に書き換えていく感覚に、オレは内股に脚を折りつつ屈み気味の姿勢で耐え抜いた。
そうして、数分の苦痛を経てようやく痛みと疼きが収まっていく。毛皮の奥でぴっちりと閉じられた内臓の開口部。備わったばかりの機能を確かめるかのように、その割れ目から粘り気を帯びた白濁気味の体液が一筋床へと垂れ落ちた。
「んっ……これが、正しいんだ。これこそがオレの本来の姿なんだ……♡」
変化し終えたばかりの肉体の熱に少し感じ入りながら、納得を噛み締めるように呟く。そして、もう一度鏡の前に直立してみせる。
「ああっ……なんて可愛いんだ」
鏡の前に立つ理想通りの姿を得たケモノ。犬のような耳をピコピコと動かし、長くふさふさの尻尾を元気に揺らす、メスのジャッカルのトーマがそこにいた。感嘆し漏れ出る声も元あった特徴は失われ、完全な女性の声色へと変化している。
『おはようございます、トーマさん。今日がアナタの初出勤日でしたね』
見惚れていたオレの頭上、天井に設置されたスピーカーから声が響いた。
『セレンゲティ』のオーナーであり、オレ達をここで飼ってくれているヒト。『園長』はいつも通り、機械仕掛けの音声を使ってオレに話しかけてきていた。
『接客方法は一通りインプットし終えていますが、細かいルールやそれぞれのお客様への対応はアナタにお任せします。先輩スタッフに聞いたりしながらアナタらしいおもてなしをして下さいね』
「はい、『園長』。今日からオレ、頑張ります」
彼に元気よく答えながら、俺は自分のために用意されていたコスチュームを身に着けていく。フリルのついたドレスなんて初めて着る筈なのに、体が自然と着付け方を思い出しては形にしていくようだ。
たちまちホールスタッフとして相応しい装いになった俺は、鏡の前で一回転してみせた。どこからどう見ても違和感のないケモノの少女だ。そこに人間のオスのようなむさくるしさは欠片もない。
『それと、トーマさん。アナタの一人称は『ワタシ』の筈ではありませんかね?』
「あっ……。すみません『園長』、すっかり忘れてました」
慌てて認識を擦り合わせる。粗野な感じもある意味で良いけれど、やっぱり可愛い方がオレ――――もといワタシの方に合っている。
「今日からホールを担当するトーマですっ。みんなよろしくね!……こんな感じ、かな」
明らかに高く華奢になったトーンで、ワタシは鏡の前の自分に今一度認識を擦り込ませた。まだ油断していると『オレ』が顔を覗かせてきそうな気もするが、それはそれでご愛嬌という奴だ。
『始業前のミーティングが始まりますから、そろそろホールへ向かって下さいね』
「はーい!今日も一日頑張ります!」
指示を出す『園長』に応えると、ワタシは自分用に宛がわれた『保管室』から廊下へと飛び出した。
******
「――――今日はミライちゃんだけじゃないんだね」
いつもの席に案内された男性客は、そう言ってワタシの方に目を向けている。
どこか懐かしさを覚える眼差し。それもその筈、今こうして向き合っているのは、理想の姿を手に入れる前のワタシだった。
(まあ、正確にはワタシの複製なんだけどね)
全く知る由もない相手を前にして、そんなことを脳内で呟く。
ナノマシンでの置き換え加工中に排出される搾りカスを使って作られた、かつてのワタシそっくりに動き続けるダミー人形。人間としての機能を一通り再現され、記憶も元のワタシから全て移植されているから、本人どころか周りさえすり替わった事実に気付くことはない。都合の悪い部分だけがカットされた彼は店の真相を追うこともなく、単なるケモノ好きな『セレンゲティ』の常連として生き続けていくというわけだ。
かつての場所を奪われてしまったことに思うところがないわけではない。けれど、今のワタシにとってはこの店こそが天国のような場所。憧れのミライちゃんと共に働けるということが、私にとっては何よりも嬉しいことだった。
だから悔んだり惜しむような気持ちはちっとも存在しない。むしろ、ワタシが縛られ続けてきた場所に放り込まれ、無自覚に引き継いでしまっている彼への憐憫の情が激しく湧き上がってくるほどだ。
「今日から働き始める新人で、実は斗真さんと名前がそっくりなんです。ビックリでしょ?」
「へぇ、そんなことってあるんだね」
楽しく喋っているミライちゃんの隣で、少しだけ緊張が募る。
どう接客すればいいかは考えずとも体が既に理解している。だが心の方はまだスタッフとしてホールに立つことには慣れていないのだ。落ち着けるように呼吸を整え、ワタシは彼らの意識がこちらに向くのを待った。
「ほら、トーマちゃん。ご挨拶して」
「は、はいっ」
優しく促され、つい声が裏返ってしまう。軽く咳払いをしてから、ワタシは改めて『俺』に向かって自己紹介した。
「今日から『セレンゲティ』に入ったトーマです。よろしくお願いしますね、斗真さん」
「ああ、よろしく……」
お辞儀をするワタシに掛けられる声音はどことなく熱に浮かされるかのようだ。まさか、自分自身に見惚れてしまったのだろうか。
(それはそれで滑稽だよね。まさか目の前にいるのが同一人物だなんて)
人間であることを求められ、そのようにしか振る舞えない『俺』。そんな境遇に憐れみを覚えながら、ワタシは手にした盆をエプロンの前に提げて待機の姿勢を取った。
「それにしても君って何だか可愛いね。少し毛並みに惹かれるというか、まるで俺の『憧れ』を形にしたみたいだ」
「え――――?」
さして意識する訳でもないように放たれた言葉に思わずドキンとする。『俺』自身が憧れていたもの――――その言葉が再現された思考から発せられたものだっただけに、ワタシの根底を見透かされたように感じてゾッとしてしまう。
――――そう。今の私は彼にとっての理想。心の奥底に燻ぶっていた、獣に対しての一種の羨望が形を成したものなのだ。
それを解放された本能がはっきりと理解しているからこそ、何気ない彼の言葉は私の本性を暴いてみせたかのように強く響いてしまっていた。
「い、いやだなぁ。ミライちゃんを差し置いてそういうこと言っちゃダメですよ」
「そうだよ斗真さん!他の子にそうやって鼻の下伸ばされたら、ミライ嫉妬しちゃうなぁ」
何とか言葉を取り繕ったワタシに合わせ、わざとらしく不機嫌そうな仕草を見せるミライちゃん。その姿に、『俺』は慌てた様子で謝った。
きっと指先の小さな震えを見逃していなかったのだろう。彼女の気配りに感謝しながら、ワタシはその場のリードを任せることにした。
「ごめん、今のミライちゃんに失礼だったよね。何とか機嫌直してくれないかな……?」
「知らなーい。まあでも、『なでなでオプション』頼んでくれるなら許してあげても良いよ」
「わかりました!好きなだけたっぷり撫でてあげるから、それでどうかお願いします!」
両手を合わせて深々と頭を下げる情けない姿。ワタシだったらきっと恥ずかしくて耐えられなかっただろうし、そもそもそんな行動を選びさえしなかっただろう。けれど、形だけを模したそれは何の躊躇もなく彼女に傅き誠意を尽くそうとしている。
あくまで『俺』であって、ワタシが捨て去ったかつての自分ではない。その事実を前にして少しだけ安堵した。
「斗真さん。ミライね、トーマちゃんが独り立ちできるまで面倒を見ることになったの。だから暫くはダブル指名ってことで良いかなぁ?」
「もちろん。2人と一緒に楽しい時間を過ごせるなら何よりだよ」
遠慮なくねだるミライちゃんを前に、『俺』は逡巡する間もなく提案を受け入れる。
指名料が乗るといっても研修期間だから半額だ。料理が1品増える程度と思えば、きっと彼からしても大した負担ではないだろう。
――――もっとも、そうやって全面的に肯定してしまうのも彼がシステムに管理された存在故のことなのだが、きっと自身は知る由もない。所詮、こちら側に堕ちたワタシをカモフラージュして支えるためにある複製品。現世に置いてきたワタシの抜け殻でしかないのだ。働いて稼いでくれるなら、その分だけ自分のために貢いでもらおう。
「やったぁ!良かったね、トーマちゃん」
「はい!ありがとうございます」
感謝を伝えながら、ウインクをして自分の可愛さをアピールする。
己自身の末路に心を奪われ頬を染める『俺』を前にして、ワタシは言い知れようのない快感を密かに覚えるのだった。