二話

  ウォルカの同行宣言が落ちた瞬間、室内の空気がわずかに凝固した。

  ティーガの黄金の瞳が一瞬、言葉を失ったように揺れた。テーブルの上では、リューゴが明らかに不機嫌そうに小さな羽根を震わせ、喉を鳴らした。

  「……待てよ、ウォルカ。お前、本気で言ってるのか?」

  ティーガの声は穏やかだったが、その奥には拭いきれない困惑が滲んでいる。

  ウォルカは無言でティーガの前に立ちふさがった。

  紅い瞳をまっすぐに見据える。白い尻尾は低く、重苦しく揺れ、その一振りごとに部屋の空気を支配していく。

  「本気だ。お前一人で、ましてやその得体の知れないトカゲと二人きりでなど、行かせるものか」

  「我とティーガの旅に貴様など不要だ! 邪魔でしかないわ! めんどくさ……もがが!!」

  跳ね回るリューゴの口を、ティーガが素早く手で封じる。だが、その視線はウォルカに向けられたまま、逸らされることはなかった。

  「リューゴはちょっと黙っててくれ。

  ウォルカ、お前は伯爵の護衛騎士だろ。この領地を支える立派なお前が、そんな簡単に仕事を放り出しちゃぁいけねぇ」

  ティーガの声音は、どこまでも慈悲深かった。

  だが、その正しさが今のウォルカには何よりも冷酷に響く。

  「俺は……こいつの神使になると決めた。これは俺が背負うべき選択だ。

  お前まで巻き込んで、その安泰を捨てさせるわけにはいかねぇんだよ」

  安泰、という言葉にウォルカの紅い瞳が暗く濁った。

  「そんなもの、お前がいなくて、一体何の価値があるというんだ」

  声は低く、地を這う雷のように重い情念を孕んでいた。

  ウォルカは一歩踏み込み、獲物を逃さぬように距離を詰める。肩を掴み白い指が黄金の毛に食い込むほど力を込めた。

  「お前は俺の恋人だ。二十年の時を経てやっと手に入れたんだ。お前を危険な旅へ、再び俺の目の届かない場所へ行かせるなど……認められる訳がない」

  ティーガはウォルカの手を、痛みを分かつように優しく払い、自嘲に満ちた苦笑を漏らした。

  「……馬鹿たれ。お前は相変わらず熱いな。でもな、……恋人か。俺はまだ、そんな言葉を肯定した覚えはねぇぞ」

  その一言は、刃物のように鋭利だった。

  ウォルカの耳が、折れるように後ろへ倒れた。

  (肯定した覚えがない、だと……?)

  あれほどまでに狂おしく求め合い、互いの体温を分かち合ったというのに。

  だが、ウォルカには見えていた。ティーガが自分を突き放すその瞳の奥で、どれほど深い葛藤と愛情が火花を散らしているかを。

  自分をこの平穏から引き剥がしたくないという、あまりにも不器用で残酷な優しさ。その事実に気づいてしまうからこそ、ウォルカの執着をさらに加速させる。

  「ほら見たことか! 思い上がりも大概にせい、この負け犬が!」

  「黙れ、トカゲ。お前さえ現れなければ……」

  「やめろって。これ以上、騒ぐな」

  ティーガが二人の間に割って入るように、重い溜息とともに手を挙げた。

  「ウォルカ、お前がどうしてもって言うなら……まずは領主に相談してこい。主君に背を向けて勝手に辞めるなんて、お前の矜持が許さないだろ」

  ウォルカは言葉に詰まらせた。

  主君、ハクラ伯爵。新婚の幸せに包まれているあの人に、この二十年の執念と、恩義を捨ててでも守りたい男の存在を打ち明けるのか。

  胸がざわつき、視界がわずかに歪む。だが、ティーガの言う通りだ。筋を通さずして、彼と並んで歩む資格などない。

  「……分かった。主様に、すべてを話してくる」

  リューゴは不満げに羽根をバタつかせ、急かすように鳴いた。ティーガはそれを肩に乗せ、ウォルカを見つめる。

  「お前の信じた主人だ。優しいヤツなんだろ。……ちゃんと、話してこいよ」

  ウォルカは静かに頷き、私室の扉へ手をかけた。

  背後から感じるティーガの気配。それを失う恐怖が、足取りを重くさせる。主君の幸せな顔を思い浮かべるたび、己の独りよがりな熱情が身勝手に思え、罪深く感じられた。

  それでも――ティーガという唯一無二の光を二度と手放さないためなら、たとえ全てを捨てることになろうとも。

  ウォルカは迷いを断ち切るように扉を引き、主君の部屋へと続く廊下を歩き出した。