カエル・ライフ(前編)〜遺跡でトラップを踏んで、カエルの魔物と入れ替わっちゃった元・アサギの話〜
……王都から、馬車を乗り継いで一週間ほど。余人の訪れぬ離れた場所にある、古い遺跡群。 その内のひとつ、入り口が閉ざされ入るものの居ない建造物が、『古代遺跡フロエル』。その内部へと侵入する経路は秘匿されており、踏み入ったものは居ない。何処からか湧き出してくる遺跡の魔物は強くはないが、だからこそ遺跡には悪辣な罠がいくつも仕掛けられている、という噂。
そして、だからこそ、その中には手付かずの秘宝が数多く眠っており……そんな前人未到の遺跡のに足を踏み入れたのは、一人の熟練冒険者。
身のこなしは速く、手先の器用さに優れ、その恵まれた容姿と豊満な肉体から同業の男から人気のある……盗賊アサギ。その運命は、今日この日、大きく変わろうとしていた。
◆
「…………」
薄暗い通路の中を、アサギは慎重に歩く。
隠された入り口を発見し、どうにかこの遺跡に侵入することは出来た。魔物の強さも推測通りで、多少苦戦はすれど倒せないものではない――現に今も、アサギは警備用と思しきストーンゴーレムのコアを破壊したばかりだ。
「……それでいて、遺跡の中は手付かず。これは、アタリを引いたかも」
目にする魔物の殆どは、先述のゴーレムか、おそらく遺跡が建造された頃に『何らかの理由』で葬られたアンデッド……スケルトン程度。あとは、遺跡の中を流れる水路周辺には水棲種が居るだろう、という程度か。
罠の数や質に関しては未知数だが、それは入ってみなければ分からないことであるし……それに、アサギは『盗賊』。戦闘よりも、むしろそちらの方が本業だ。
落とし穴、隠し矢、毒ガス。地上から数えておよそ五層程度地下に降りてきたが、それらの罠を掻い潜り……この遺跡の中でしか見たこともない無い宝をいくつも手に入れている。
その中でも特に有用なのは、この『無限の革鞄』だろう。読んで字の如く、容積を無視してなんでも・いくらでもアイテムを収納できる魔法の道具。冒険者ならば誰だろうと欲しがるだろうが、盗賊であるアサギには尚のことだ。これを見つけたお陰で、今までの戦利品もすべて回収できている。
「っと……やっぱりね」
壁際に設置されていたスイッチを押し込むと、通路に掛けられていた松明に火が点る。その光に照らされた壁の一部が透ける――幻の壁、と呼ばれるトラップ。
正しい手順で点けた灯りの光を当てることで、実体化していた壁が消失する……その向こうには、宝箱。
「これは? ……服?」
布地やアクセサリーに魔力が含まれた衣服。効果は高そうだが……控えめに言っても布地がやけに少なく、最早踊り子か、あるいは夜の宿屋で仕事をする『そういう女性』の衣服のよう。アサギ自身軽装を好んでいるが、流石にここまでのものを着る気はない。
まあ、売るとしてもそれなりの値段にはなるだろう……鞄に収納。これでまたひとつ、この遺跡での宝物を手に入れたことになる。
「んー……そろそろ、戻ろうかな?」
このまま探索を続けるか、それとも戻るべきか。アサギが考え始めた時だった。
幻の壁のトラップの反対側、いつの間にか開いていた通路。奥には下に降りる階段と、水のせせらぎの音。
「……いや、もう一階層くらい探索しよっと。折角だしね」
アサギは灯りを受けて輝く金髪を翻し、通路へ向けて走り出した。
◆――ステータス――◆
■名前:アサギ
■種族:人間
■性別:女性
■職業:シーフ
■レベル:37
筋力:■■□□□:D+
耐久:■■□□□:D
魔力:■□□□□:E
速度:■■■■□:B
技能:■■■■□:B+
◆―――スキル―――◆
容姿端麗(パッシブ):
種族:人間限定スキル。
優れた美貌と肢体を持つことの証明。
交渉、誘惑、コミュニケーションを行う際に
大幅なプラス補正を得る。
早業Lv2&短剣術Lv2(複合スキル/パッシブ):
物理攻撃時、速度値、技能の値により
攻撃力に中程度のボーナス修正。
短剣を使用する際、更にボーナス修正。
ステップスラッシュ(アクティブ):
短剣技。敵の攻撃を回避し、その隙を
ついて懐に飛び込み斬りつける。
速度値が高いほど威力に高補正。
鍵開け(アクティブ):
技能値に応じた難易度の鍵を解錠できる。
危機回避Lv1(パッシブ):
既に発動したトラップを、速度値に応じて
回避可能。Lv1の場合、非戦闘時のみ有効。
生存術Lv2(パッシブ):
ダンジョンや危機より生還する能力。
Lv2の場合、身の危険から逃走する際の
判定に中程度のボーナス修正。
[newpage]
――数時間後。
アサギは幾度か階層を突破し、地上から数えておよそ地下八階程度の深さまで探検を成功させていた。
深く潜れば潜るほどに危険度は増すが、その分手に入るアイテムの質も上がる。特に、先ほど入手した『破魔の指輪』――発音によって起動し、魔力を消費するが聖なる障壁を展開し魔物を遠ざけるマジックアイテム――などは、濫用は出来ないが非常に有用だ。
これだけを見るならば探索は順風満帆。だが、アサギの疲労は溜まりつつある。その理由が、
『くふふ! そら、足元に気をつけよ……おっとすまぬ! 罠は壁にあったなぁ』
「ああもう! うるっさい!!」
『つれないことを言わんでおくれ。妾は退屈なのじゃ』
アサギから少し離れたところに浮かぶ、半透明の女性。アサギに負けず劣らずの美貌と豊満な肉体、それに見合わぬ色の褪せた不健康な肌の色。目には邪悪な意志が宿り、整った顔に浮かべた笑みは隠しきれない酷薄さを滲ませる。
『そら、魔物が来たぞ。ゴーレムじゃなあ』
「嘘おっしゃい! 水辺だからそんなの……って、やっぱりカエルじゃないの!」
ふわふわと虚像を宙に浮ばせながら、アサギを揶揄い惑わすその女性こそ……この古代遺跡フロエルの最深部に封じられたもの。
かつてこの地で人々を脅かした、人から変じた魔物……死霊使い。『リッチー』という魔物である。
この魔物は豊富な魔力を持ち、様々な魔法に精通している。しかし真に恐るべきところはその知識と知恵。そんな魔物がなぜ、この遺跡に封じられているのか。
『おや、何か聴きたいことがあるのかえ? 構わんぞ、答えてしんぜよう……一階層につき、ひとつな』
「……こいつの言うこと、本当に正しいのかしら……階段の場所を聴いたけど、これで無かったらタダじゃおかないわよ」
『くく、疑うでない。妾の知っていることなら何でも教えてやるとも。永いこと封じられてなあ、この遺跡はもはや妾の身体のようなもの。宝の位置も罠の位置も、隠し部屋も階段も。なんでも分かるわい』
その言葉は真実だろう。正確に罠の位置を知っていなければ、ああも的確に『罠のある場所』で『わざと間違いのヒントを出す』ことなど出来はしまい、
「……遺跡のことを訊くのはやめた方が良さそうね。次はあんたがどうやって無様に封印されたのか、聴いてあげるわ」
『ふうん? 構わんぞ……次の質問は次の階層じゃがな。そら、カエルが近付いてきたぞ。足元に気を付けておくのじゃな』
「うるさい! ったく……あれ、ジャイアントフロッグね。正直強くはないけど……」
ジャイアントフロッグ……文字通り、カエルを大きくしたような魔物。直立すれば1mほどの体高を誇るが、四つ足をついて土下座しているようなカエル特有のポーズであるため、せいぜい人間の膝くらいの位置に頭がある。
注意すべき攻撃は、大股を開いたようなカエルの骨格と折り畳んだ脚から繰り出す『飛びつき』と、自身の全長以上の長さの舌で遠くへ攻撃する『べろむち』。
メイスのような打撃攻撃を使うなら、全身にぬるぬると分泌する『ガマの油』も脅威だろうが、アサギの得物は短剣。影響はない。
「と、言っても……横は水路だし、左右にスペースはない。舌をまっすぐ伸ばされると面倒ね」
『ほれほれ、足元じゃぞ。……おっと、壁から矢じゃな。すまんすまん』
「ちぃっ!」
リッチーの声に惑わされながらも、アサギは飛び退いて矢を躱す。つぶれたような顔の、醜い蛙の魔物に目を向ければ……それはガマ口の頬袋を大きく膨らませ、ぎょろりとした黄色い目を忙しなく動かしている。
舌を吐き出す予備動作……気付いたアサギが敢えて立ち止まり隙を晒すと、魔物は好奇とばかりにアサギの顔目掛けて舌を伸ばす。
「見え見えなのよっ!!」
分かり切っていた一撃を、身を屈めて回避する。そしてそのまま、伸び切った舌の真下を潜るように、アサギは蛙へ向けて突貫し――
――かちっ。
「え……?」
魔物まで後一歩、というところで。足元からカチリ、と音がする。
『く、ふくくく! ほれ、言うただろうに。足元に気を付けろ、とな♪』
「な――」
踏み込んだアサギの、すらりと伸びる白い右足……その真下。罠を起点として、魔法陣が広がる。その中に居るのは、アサギと魔物……ジャイアントフロッグ。
これが戦闘中でなければ、あるいはリッチーが欺瞞であっても罠の存在を伝えていれば、アサギはその場から退避することも出来た。けれど戦闘用に切り替えていた思考は、不意をついて現れたそのトラップに反応できず……
――ぼふんっ!!
魔法陣の放つ、不可視の爆風。トランポリンのように下から上へ突き上げるそれに、アサギは浮遊感を覚え、僅かに浮き上がる――否。アサギの『肉体』は、罠を踏んだ態勢のまま変化はない。
変化があるのはアサギと、蛙の真上。それぞれの頭部の上に浮かぶ……半透明な、アサギと魔物。
『っあ……う、私、どうなって……?』
『おお、気が付いたか。ほれ、下を見よ』
『な、下って……っ!?』
アサギの眼下には、踏み込んだ態勢のままぴくりとも身動きをしない『アサギ』の姿。自身はその真上に、青白く光る半透明な状態で浮かんでおり、位置的にはちょうどジャイアントフロッグの放った舌に、自身の下腹部を貫通されているような状態。
周囲を見回せば、ニヤニヤとへらついた笑みを浮かべるリッチーと、自身と同じようにふわふわと浮遊する、薄赤色で半透明な蛙。
『こ、これ……』
『ふむ。聴いたことはないか? ……で、あろうの。これは『ソウルバウンス』というトラップじゃ。効果は名前の……いや、体感しての通り、魂を身体から跳ね上げる、それだけのトラップじゃな♪』
『っ! あんた、知って……!?』
『当然であろう? 言ったはずよの、この遺跡は妾の身体のようなものと。故に罠も、その効果も知っておるとも。……ああ、そうそう。これはただ魂を身体から弾き出すだけの罠じゃ。身体は空っぽになるが、その空の身体に触れれば中に入れるぞえ』
『な、なんだ、なら……』
アサギは顔色を僅かに戻し――魂となっている今は全身が薄青色になっているが――、自身の身体へ向けて移動を始める。ふわり、と身体を動かそうとして、
『……えっ?』
その魂は、びんっ、と空中で静止した。まるで、首にリードをつけられた犬のように。
『う、動けないっ! なんで……!?』
『く、くふふ! くふははは!! ふはははは!!』
『っ……! あ、あんた! また余計なことを……!』
アサギはふわふわと浮かんだまま、同じく自身の目の前で馬鹿笑いをしているリッチーの霊体に掴み掛かろうとし――やはり、動けない。その場に縫い留められたように身動きの取れないアサギの声から、余裕が薄れてゆく。
『な、なん……』
『ふ、くくく♪ いやあ、しかし。妾の目を以てしても見抜けなんだのう――ぬしがそれほどに! 自身の身体から飛び出てすぐさまに……そんな、カエルの身体に入ろうとするとは、のう♪』
『は? ……っ!? ま、まさか……!?』
アサギはそこでようやく首を動かし、下を見て……気付く。己の半透明な霊体が、カエルの舌に触れたところから、その中へ吸い込まれつつあることに。
『い、嫌っ!! 嫌ぁっ!?』
『くく、これこれ。そんな照れて、嫌がるふりをせずともよい。ぬしはこの人間の身体より、カエルの身体で生きたかったのであろう? 妾には理解できぬが、まあ人の好みなぞそれぞれじゃものなあ♪』
『ち、違っ!? たす、助けて……!!』
『くふっ……しかしぬしも残酷な女よの。いや、残酷なカエルと呼んだ方が良いかえ? ぬしのせいで、ほら、ここに。入る身体を無くした哀れなカエルの魂が漂っておる』
アサギの目の前に突き出される、半透明なカエルの霊体。そののっぺりとした不細工な顔に、アサギはひっ、と息を呑む。
『くく……おやおや。そう言えばもう一つ、哀れなものがあったのう。元の主人に見捨てられ、乗り換えられ。戻る魂のなくなった人間の身体がの』
『――は、っ? あんた、まさか』
『おっと、説明が忘れておった。この罠じゃが、時間経過か……浮遊しておる魂が無くなった時点で効果が無くなる。つまり、両方の魂が肉体に接触した時点で、その魂は身体に引き摺り込まれるという訳じゃ』
リッチーは嗜虐的な笑みを浮かべ――握っていたカエルの魂を、アサギの空っぽの肉体へ向けて蹴り飛ばす。
ふよふよと漂うだけの、知能の低いカエルの魂はそれに抵抗することもなく……アサギの、豊満な双丘の間へと飛ばされてゆき、そして。
『っ、あぁぁ……!? わ、私の……っ!? い、や!? 引っ張られ、る……!』
『ぬしも早いところ、その身体で生きたかったじゃろ? 感謝してくれても構わんぞ――♪』
アサギは霊体の手を伸ばし、舌を掴んで自身をそれから引き剥がそうとし……掴んだ手が、カエルの肉体の中へ沈み込む。
あっ、と声を漏らすも後の祭り。どこを掴むことも出来なくなったその魂は、勢いよくその中へ吸い込まれ。
『……く、ふふ♪』
魔法陣の光が収まり――長く長く引き伸ばされていた一瞬が終わる。
その一瞬で、一人と一匹の意識は寸断していた。冒険者アサギの頭部を狙って放たれたジャイアントフロッグの舌は、それによりべちょっ……という鈍音を立てて砂だらけの床にへばり落ち。
それを回避し、眼前の醜い魔物にナイフを突き立てるべく駆け出そうとしていたアサギは、ナイフを鞘から引き抜くことも、踏み出すこともせずにぽかん、と間の抜けた顔で硬直し。
その中で、先に自分を取り戻したのは……やはり、精神的に優れた素養を持つ『アサギ』であった。
(ん、んん……私、どうなって……)
『おや、ぬしの方が早う起きたか。肉体は何処にでも蔓延る低級魔物のそれじゃが、やはり精神耐性は魂に由来するものなのかのう』
その暫しの硬直の後。アサギはぼやけた視界をリセットするために幾度かまばたきを繰り返す。
目の前……否、些か上方には相も変わらずリッチーの霊体。また余計なことをされてはならぬ、とアサギは思考を巡らせる。
……ふわふわと浮かんでいた頃に比べて、視線はやけに低い……低すぎる。もしかすると、魂が抜け出ていた際に倒れていたのかもしれない。どうにも、四つん這いになっているような感覚がする。
視界はやはり、フィルターがかったような、というか……水の中のようにぼやけている。物理攻撃はハナから効かない相手だ、逃げる他ないだろう。
そう決めたアサギは、一度後方へ飛び退こうとして、
「――ェ、ロッ!? ゲ、ゲロッ、グェゲ……!?」
(っ、て、ぅぉえっ、げぼっ!? なんで舌が身体の外に……ひっ!?)
顔の側面に位置する口角をぽっかりと開け、そこから出しっぱなしにされていた、長くぬめった舌を地面に引き摺って。
その先端にまで神経が通っているという違和感と、異様に長い舌に砂と塵が絡みつく不快感。そして『その肉体の前の持ち主』が全力で舌を伸ばした反動による嘔吐反射でえずき――その喉奥から、醜い鳴き声を発した。
『く、くふははは!! どうしたのじゃ、そんなに慌ておって……?』
「ゲロゲッ、ゲッ……!? ゲコォッ!!」
(嘘っ、この手……カエルの、いやぁっ!!)
『ジャイアントフロッグ』……アサギは、四つ脚で地面にへばりついた体勢のまま、黄色くぎょろぎょろとした瞳で己の手を見つめた。
指は四本。その間には水掻きが生えており、先端は丸くぷにぷにと膨らんでいる――どう見ても、人間の手ではない。
アサギは、その手で身体を引き摺って通路脇の水辺へと向かう。……歩くたびに地面と擦れてしまう大きな腹、『歩こう』と意識すれば両足ではなく自然に前脚と後ろ脚が交互に動いてしまう、否、そもそも直立歩行の出来ない肉体……未だ仕舞い方の分からないピンク色をした肉厚の舌。
そのどれもが『アサギ』の優れた肉体にはなかった感触であり、
「ゲ、ゲコッ……グェッゲッ、ゲロゲッ、ググッ……!?」
(ひ、いやっ……わたしっ、私の顔っ、カラダっ、カエルに……!?)
1m程度のぬめった緑色の身体を引き摺り、水面に顔を写した『アサギ』の視界に飛び込んできたのは――醜くひしゃげた頭部、大きく開いた蝦蟇口、そこから覗くピンク色の舌、ぎょろぎょろと忙しなく動く、人間味を感じさせない黄色の目。
十人に聞けば十人が答える、紛れもない魔物……『ジャイアントフロッグ』の顔が、そこに写っていた。
「ゲッ……グェェッ……ゲッ、ゲゲッ!?」
(そ、そんな……っ、て、何コレ? 股の間に……っ、まさか、このカエル!?)
あまりの絶望に腰が抜け、その場にでっぷりとしたカエルの尻を下ろすアサギ。そこで地面と身体の間に押し潰された、股の間に主張する、かつてのアサギには無かった『オス』の証を覚え……ようやく、今の自分が性別すら違うオスガエルの身体に囚われたことを正確に理解した。
『くく、どうじゃ? 人間の身体よりお気に召したかのう、その身体は』
「ゲコッ、ゲコゲコッ!!」
(っ、そんな訳ないでしょ!? いいから、早く元の身体に……!!)
『おやおや、これは困ったのう。ゲロゲロとばかり鳴かれても、流石の妾も言葉が分からんではどうしようもないぞえ?』
「ゲッ……?」
(えっ……?)
一方的に捲し立てていたアサギの鳴き声がぴたりと止まる。確かに、自分とこのリッチーが交わしていたのは言葉、言語だ。しかし、こうしてそれを正面からぶつけられて初めて、今の自分が言葉すら話せないのだと気付く。
『否、もしや既に頭の中までカエルになったかえ? 側から見ているだけではどちらか分からんでな……何せ、どこからどう見てもカエル以外の何にも見えぬ♪』
「――ッ!! ゲーロッ、ゲロッゲゲッ!!」
(――っ!! こんのっ、いい加減にっ!!)
『おや、言葉がわかるということは……まだ知能は人間並みかの。じゃが、しかし言葉交わせぬ。妾は寂しい、そしてつまらん……おおっとおっと、そうじゃった。ならばこやつを目覚めさせれば良いのう――【起きよ】』
瞬間……ぼうっと硬直していた『アサギ』の全身がぴくりと震え、虚ろだった瞳に光が戻る。ぱちくり、と形の良い目を二、三度まばたきさせ、それはゆっくりと背筋を伸ばした。
「あ、ぅあ……お……?」
『ふむ、流石に元がカエルではいきなり人間になったところで十全にはカラダを活用できんか。ま、それも十分に愛いが……』
「あ……?」
『それでは詰まらんな。おい、貴様に命じる。その脳を使って【人語を理解し、使えるようになれ】』
瞬間、『アサギ』の肉体ががくんっ、と震え、仰け反り気味になる。たわわに実った胸部をばるんっ、と揺らしながら幾度か……十秒ほど身体を震わせ、それが収まれば――『アサギ』は徐に口を開いた。
「あ、う……わかり、ました」
『くく、良い良い。よく妾の命に応えた……む?』
「ゲロォッ……!? ゲコ、ゲコゲコッ……!?」
(はぁっ……!? なんで、そいつが喋れるのよ……!?)
『おお、ぬしは知らなんだか。妾は……言ったであろう? この遺跡の主人のようなものだ、と。故に此処に棲む魔物どもは、その魂の底から……誰が自身の上位者か理解しておるのだ』
魔物を従える魔物。それも、群れのボスであるとか、その魔物の上位種であるとか、そのような理由ではなく、ただ存在の格だけでそれを成す規格外。
今まで自身を揶揄っていた相手がそんなモノだったとはつゆ知らず、震えると同時……自身にその『命令』が下る可能性に戦慄する『ジャイアントフロッグ』。
それを見て、魔物たちの主がにたりと笑う。
『くく、安心せよ。妾の威が届くのは魔物の魂までよ。その肉体へも影響力が無いとは言わぬが、此奴のようになんでも、とは行かぬ』
「ゲロ……」
(それなら……)
『くくっ、だが逆もまた然り、ではあるがの♪』
「ゲコ……?」
(……?)
手脚を地面に突き、後ろ足を大股に開いた状態で座るカエルの魔物。水際に座り小首を傾げる姿は、最早その中身が人間であるなどと、言ったところで誰が信じるか、と言った有様。
『で、だ。貴様……貴様よ』
「あ……はい。貴様、です」
『む? ……ふむ、名は無いか。当然と言えば当然よな。ならば……よし』
そんな『ジャイアントフロッグ』に一瞥をくれ、喜悦を隠し得ないリッチーは続けて言葉を紡ぐ。
『その身体の名は『アサギ』と言う。冒険者よ。貴様はこれよりその身体で生き、その名を名乗るがよい……く、ふっ♪』
「ゲ……ゲコッ!?」
(な……なんですって!?)
「あ……はい。アサギ……この身体で、生きます」
『よい、よい。ならば……いや、基本的なところから仕込んでいくべきじゃな? で、あれば……アサギよ。貴様の目の前のソレ。見えるかえ?』
リッチーが『ジャイアントフロッグ』を指差し、その指の動きに合わせて『アサギ』がそれを見下ろす。
かつての自身の、慣れ親しんだ顔。それが自分の意思で動かず、あまつさえ冷たい無機質な目で睨め付けられることに、アサギは後ろ足をじり、と下げる。
「はい……」
『うむ。それを持ち上げて妾に見せよ。前脚を持ち、ぶらんと吊り下げて、ソレの腹を妾の方に向けさせるのじゃ』
「ゲコッ……!? ゲッ、ゲロォッ!!」
(なっ……!? ちょっ、やめなさいっ!!)
ずい、と伸ばされるかつての自分の手に、アサギは咄嗟に身を翻そうとする。お世辞にも速い、と言えない『アサギ』の動作は本来の彼女であれば余裕を持って回避し切れる程度でしかないが……悲しいことに、今のアサギに許された速度は、それ以下だった。
抵抗らしい抵抗も出来ず、アサギはあっさりとその両腕……否、二本の前脚を掴まれ、宙吊りにされる。
ぎちり、と、人間で言う手首のあたりが締め付けられる感覚、自身の背に感じる、押し付けられた……自身のものだった豊かな乳房の感触。
じたじた、と身体を動かそうとしても、折り畳まれたカエル脚がぴょこん、ぴょこんと伸び縮みするだけ。その様は、夏の暑い日にレンガ造りの道の上でひっくり返り、死を迎えようとしている乾いたカエルによく似ていた。
『くふ、くふふ……なるほどのう。貴様の元の身体はオスじゃったか。ならば貴様、これよりは自身を指して俺……いや、似合わんな。僕と呼称せよ』
「はい……っ、ぅ。僕は、アサギです……」
「ゲッ、ゲコッ、グェッ!!」
(やっ、やめっ、離せっ!!)
「……っ、ぅぇ……」
『……ふむ? どうした。何かあるかえ?』
『ジャイアントフロッグ』を吊り上げたまま眉間に皺を寄せる『アサギ』。リッチーはそれを見咎めようとし……直ぐにその原因に思い至り、口元を歪める。
「……はい。この、今持っている、これ。……ぬめぬめしていて、生温かくて、ぶよぶよしていて……ぴくぴく動くし、動くのが胸に擦れて。油が僕に掛かって……」
「ゲッ……ゲッ!?」
(なっ……何よ!?)
「弱くて、汚らしくて……鳥肌が立つくらい気持ち悪い、なと。……僕が、この身体にいたなんて、認めたく、ないなと」
――かつてジャイアントフロッグだった『アサギ』は、魔物であったころの自我と記憶を保っている。
けれども、記憶はともかく、その自我は、カエルボディの貧相で劣悪な脳ではろくに育っていなかった。
思考は常に食べること、寝ること、番を孕ませること……三大欲求に従い、本能のままに生きる。それだけの存在だった。
それがアサギという冒険者の肉体を得ることで、かつてカエルだった魂は知識と、確かな人格を手に入れた。故に、認識してしまう。
人間の身体がどれほど素晴らしいもので、カエルの魔物の身体がどれだけみすぼらしいものだ、と。
だから、『アサギ』はこう言う。その魂に記憶された、今だからこそ感じる惨めさを二度と感じないために。
「……ご主人様。僕は、アサギは、二度とこんな身体に、カエルになんて戻りたくありません」
「ゲッ、ロォ……!?」
(なに、言って……!?)
「これは、魔物。なら、冒険者である僕が、討伐しても……」
『アサギ』はそう言って、持ち上げていた『ジャイアントフロッグ』を床に叩きつける。それが痛みに藻搔いているのを横目に、アサギにとって慣れ親しんだ相棒である得物……アサシンダガーを鞘から引き抜く。
松明の明かりを受けてぎらりと煌めくそれを振るわれれば、身体もろくに動かせない貧弱な魔物であるアサギに逃れる術はない。
それが振り下ろされ。カエルの醜い声で、文字通り言葉にならない断末魔の悲鳴をあげる、その直前。
『くふ。止まれ、アサギよ』
「……?」
『いまコレを殺しては、飛び出た魂がその身体に戻るかも知れんのう』
「……!!」
カエルの目の前に突き出された刃がぴたり、と静止する。
『それに、もしかすれば返り討ちに遭うやもしれん。こやつは手練れの冒険者……元、じゃが。不意を突いてくるやもしれん……それは、貴様の望むところではなかろう、アサギよ』
「……、はい」
リッチーは満足げに頷くと、次いで、腰を抜かして地に伏せるカエルに目を遣る。
『故に捨ておけ。貴様には、やって貰わねばならぬ事がある。妾の為にな』
「……? それは……?」
『この遺跡の最下層に封じられた、妾の封印を解く。それは人間にしか解けぬ術でのう、魔物を操ったところでどうにもならんと諦めておったのじゃが……』
「……僕が、この身体を手に入れて、それが出来るようになった……」
『然りじゃ。なに、罠の場所は教える。他の魔物も襲わぬようにさせる。貴様はゆぅっくり、その身体の使い方を学びながら下へ降りるのじゃ』
「……、」
『アサギ』はちらりと――かつて自分の身体であった、醜い魔物を一瞥し。そしてこれ見よがしに両手を組んで、大きく伸びをする。
すらりとした腕、思うがままに動く指。きゅっとくびれた腰に、ばんと張り出す尻。
むっちりと艶やかな太腿、人目を惹きつけて止まない豊満な乳房。
整った顔立ちも、しゃらりと流れる金髪も、何もかも――期せずして奪い、自身のモノとなった素晴らしい身体を、呆然と自分を見上げる『カエル』に見せつけて。
「……分かり、ました」
『く、くく! 貴様は忠犬よの。褒美に、そうじゃな……人間の、オンナの身体。どこをどうすれば善いか、あとで教えてやろう……♪』
「ゲッ!? ゲロ――」
(はっ!? なに――)
『そして』
リッチーの霊体がふわりと宙を舞い、カエル……アサギの顔に、顔を突き合わせる。アサギのものとなった黄色い目がぎょろり、とリッチーの顔を捉えるも、彼女はアサギの顔の気味の悪さを感じていないふうに微笑む。
『哀れなカエルよ。妾の支配下であるべき魔物よ。水底に潜むジャイアントフロッグよ。ぬしにも、一つチャンスをやろうぞ』
「グェ……?」
(えっ……?)
『これから、妾とアサギは最下層へ向かう。あれの身体を弄び、使い方を学ばせ、馴染ませながらの』
「……ゲロッ!」
『ま、どう見ても妾たちの方が先に下に着く。封印を解かせ……そこから暫くの間だけ、ぬしをそこで待っておいてやる』
アサギは、緑色の瞼をぱちくりと瞬かせ、驚いた、と言わんばかりに首を傾げた。
『そうじゃの。およそ一日……いや、二日ほどの。その間に、ぬしも最下層を目指せ。妾たちが脱出するまでにそこへ到達できれば……アサギとぬし、二人の勝負を認めるとしよう。報酬は、勝ったものに『アサギの肉体』を与える……どうじゃ?』
「ゲッ……!? ゲロッ、ゲコゲコッ?」
(えっ……!? 有難いけど、なんで?)
『……何を言っておるか分からんが、理解しておるものとして話を進めるぞ』
アサギは、憮然とした表情をして――したつもりで、頭を一度だけ下げる。理解していると示す為に、今のアサギは身振りしか手段を持たない。
『むろん、負ければぬしにも代償を支払わせるし、最下層にてぬしを待つ間もアレには訓練を積ませる。人間の身体の動かし方、武器の使い方……性感によって魂を肉体に馴染ませるのもな』
「グェッ……!」
『勝ち目は薄かろうが、ぬしが身体を取り戻すには最早それしか機会はないぞえ。故にぬしも、精々それまでにその身体を馴染ませ……カエルとしての生き方を身につけておくがよい』
アサギはゲロッ、と怒りの鳴き声を漏らす……が、その内心では理解している。奪われた自身の身体と、押し付けられたこのカエルの身体。性能の差が大きすぎて、せめて満足に動かせなければどうにもならないと。
『話は終わりじゃ。後は……ぬしが刻限までに最下層へ辿り着けなかったり、途中でその矮小な脳の本能に支配されたり。そうすればぬしの負け。代わりに……道中で奇襲をかけて、あれに一撃でも入れられればぬしの勝ちを認めてやろう』
「ゲッ!?」
(えっ!?)
『嘘は言わんぞ、嘘は……ただし』
リッチーはそれを最後に再度浮き上がり、『アサギ』の後方少し上に浮かぶ。そして、その耳へ何事かを囁いて――瞬間。
「グェ……ロッ……ッ!?」
「遅い……それに、ぬるぬる、ぬめぬめ、どろどろで、どうしようもない身体」
『アサギ』が、『ジャイアントフロッグ』を踏みつけにする。ブーツの底でカエルのひしゃげた頭をぐり、ぐりと踏み躙る。
「お願いです。この身体は僕にください。お願いです。二度と僕の目の前に現れないで、最下層にも来ないで。ご主人様の課したゲームに負けてください」
「ォゲッ、グワッ……」
(ぉえっ、ぎぃっ……)
「お願いです――一生、カエルとして生きてください。アサギの名前も身体も、力も能力も、未来も人生も、僕にください。代わりに、あなたは、カエルの身体で番を作って、メスに卵を産ませてください。僕がこの遺跡の外で輝かしい生を生きる代わりに……あなたはこの遺跡の奥、じめじめした水場で、僕を……『アサギ』を羨みながら暮らしてください」
『アサギ』は、魔物の頭の上に置いていた脚を強く振り抜く。矮小で醜悪な魔物である『ジャイアントフロッグ』……それに身体を奪われた哀れなアサギは、何もできずに吹き飛ばされ。
「グワッ、ゲロゲロッ、グワッ――」
(いやっ、わたしのっ、身体っ――)
咄嗟に伸ばした手は緑色。
踵を返し、アサギのほうを振り向く素振りすら見せず。
真横に浮かぶリッチーに唆され、人間の両手で自身の乳房を揉みしだきながら暗がりに消えてゆくかつての自身の身体を見ながら――ぼちゃん、と、『ジャイアントフロッグ』は通路脇の水路に落下し、流されていった。
■ジャイアントフロッグをたおした!
■『アサギ』は150の経験値を得た!
■『アサギ』の熟練度が上がった!
◆――ステータス――◆
■名前:アサギ
■種族:ジャイアントフロッグ
■性別:オス
■職業:魔物
■レベル:2
筋力:■□□□□:E
耐久:■■□□□:D+
魔力:■□□□□:D(E)
速度:□□□□□:E-
技能:□□□□□:E-
◆―――スキル―――◆
カエルボディ(パッシブ):
種族:フロッグ系の魔物限定スキル。
カエル同様の特性を持つことの証明。
打撃攻撃と水属性に耐性を得る代わりに、
斬撃攻撃と雷属性が弱点となる。
飛びつき(アクティブ)
前後の脚に力を込め、敵に飛びつく。
飛びついた敵はそのまま押し倒して拘束する。
体重と筋力値が大きいほど威力に高補正。
べろむち:(アクティブ)
自身の全長以上の長さを誇る舌を伸ばして
敵を攻撃する。遠距離攻撃。
命中後、技能値に応じて拘束判定を行う。
ガマの油:(パッシブ)
全身からぬるぬるとした油を分泌している。
メイス、拳等の打撃武器のダメージを常に
中程度軽減する代わりに、炎属性が弱点となる。
討伐時、炎属性攻撃を行っていない場合、
戦利品アイテムとして獲得可能。
生存本能Lv3:(パッシブ)
弱い魔物に備わった本能。
敵を発見した際、そのレベルと
自身のレベルが離れているほど悪寒を感じ、
敵対を思い止まらせる。
また、逃走・隠密判定に大補正。
人間の魂(パッシブ):
魔物の肉体に人間、アサギの魂が入っている。
人間の頃と同様の魔力値、知能、意思の
ステータスを参照できる。
また、意思判定に成功すれば人間の頃の
スキルを模倣して使用できる。
このスキルは他者に開示されず、魂の
形が人間でなくなることで消失する。