マルノミスト

  昨今、界隈で変わった横文字が流行りだしている。

  具体的に言うと、『〜スト』というよく分からない横文字が多く並んでいるのだが、よく聞く言葉としては

  『フェミニスト』

  『デュエリスト』

  『サイクリスト』

  まぁこのあたりだろうか?

  フェミニストは女性の権利を守るための運動。

  デュエリストは決闘する人のこと。カードゲームで戦っている人たちは常に決闘していると思えばよい。

  サイクリストは自転車に乗る人のことである。決して自転車で旅をする人間のことではない。

  どれも意味不明な言葉だが、少しだけ意味が分かるのがまた面白い。また、間違った認識が多いのも、この国ならではと言っていいだろう。

  何故そのような流行が生まれ始めたのか。それは私にもわからない。だが、一つ言えることは…

  「いただきまぁす…!」

  目の前の少女が、わたしの目の前で巨大な蛇に変わるのは…なんと言えば良いのだろうか?

  ぱくり!

  ごっくん!!

  「うっ…………。」

  どちゃ!

  少女が、大蛇の腹の中に収まる。まるで巨大な蛇が口を開けたかのようにも思えるし、少女の体がその口に喰われたようにも見える。

  「……。」

  私は、その様子を黙って眺めていた。そうしなければならない気がして。

  やがて、大蛇は一人では満足出来なかったらしく、逃げる少女を次々と追っていく。

  その、巨大な蛇の口に次々と人間が呑み込まれていく姿は、まるでアニメに出てくる怪物が人間を食べているようだった。

  「……。」

  しかし、私はその光景を他人事のように見つめていた。恐怖を感じることもなく、ただぼんやりと見ていただけだった。

  やがて……全ての少女が大蛇に食べ尽くされた頃だろうか?

  「はぁーーー!!ごちそうさまでした!」

  大蛇がその口から、先程の少女と全く同じ声でそう叫んだ。

  「やっぱり若い女の子は美味し〜い。」

  大蛇の体がどんどんと小さくなり……やがて小さな少女へと変わっていった。

  「………味なんてわかるの?というか、貴女が飲み込んだ子たちはどうなったの?」

  洞窟内で出会った、金髪の少女。わたしたちは興味本位で大蛇がいるという洞窟にその足を踏み入れた。結果はこうだ。突然洞窟内で金髪の少女に出会ったかと思うと、私一人を残して、5人いた少女のみの探検隊は、いまやわたし一人だけ。

  「ん〜?どうなったかな?わたしもこの体になってだいぶ経っちゃったからさ?数百年ぶりの獲物見て…えーっと…。」

  金髪の少女は困ったように頭をポリポリとかくと、

  「あ!思い出した!たしかみんな消化しちゃったんだったね!」

  そう答えた。

  「……は?」

  あまりにも軽く言われたので、私は一瞬何を言われたのか理解出来なかった。

  「だからぁ〜!みんなこのわたしが呑み込んじゃったの!」

  金髪の少女は私の手を握って言う。

  「ほら、触ってみて?」

  いや、やめて欲しいのだが?その大蛇のお腹に手を当てるとか、マジで意味わからんのだが?今は少女の姿だけど。

  ―――だしてぇ!

  ―――だしてぇ!

  ―――くらいよ、せまいよ…

  ―――わたしたち、ずっと…このまま?

  「!!!」

  なんと、中から声が聞こえてきた!

  いったいどうなっているのか?少女達のサイズは今の少女と同等だったはず。それがなぜ、少女のコンパクトになったお腹の中から聞こえてくるのか?

  「へっへ〜♪ダマされたー!」

  くるん!と、少女がその場で一回転すると、いたずらっぽい笑みで私を見た。

  「人……じゃない?」

  私は思わず聞いてしまう。

  「ん〜?この体になる前のわたしがいたのは確かだけど、今は蛇かな!」

  「へ……蛇?」

  「そ!数百年前までは人間だったけどね?ある日突然こうなっちゃってさ?いやぁ〜!人間のときより今の方が楽でいいよ〜!」

  あははと笑う少女に、私は先程から感じていた違和感を聞いてみることにする。

  「なんでみんなの声が貴女のお腹から聞こえてくるの?」

  「気になるぅ〜?」

  つん。と金髪の少女は鼻を私の鼻に近づけた。

  「さっきから気になってはいたんだけど……貴女っていったい何者なの?」

  「何者?んー……。」

  金髪少女は顎に手を当てて考える素振りをすると、ニコッと笑った。

  「わかんない!」

  「……。」

  「自分のことは自分じゃわかんないもんだよ〜?わたしだって、なんで自分がこんな体になっちゃったかなんて、全然分かんないもん!でもま、どうでもいいよ〜♪」

  そう言うと少女はわたしの手をギュッと握った。

  「まずはヒトに質問するときはさ!名前を言い合うモンじゃないかな?わたし、カスミっていうんだぁ。よろしくね!えへっ!」

  金髪の少女はカスミと名乗ると、太陽のような笑顔を浮かべた。

  「わ……わたしは……。」

  「あっ!そうそう!ニンゲンって名前があるんだよね!人間の女の子だから……えっと……ヒトミちゃん?」

  「違うわ。」

  私は人間という名前ではない。そもそも人間ではないのだから。私が名乗ったのは、本当の名前ではないもの。

  「……えっ?じゃあなんていうの?」

  「ワタシは……」

  そう言いかけた瞬間、私の体に異変が起きる。

  ――――言うな…

  「えっ?今なんか…言った?」

  わたしは少女に確認する。

  「ん?なにも言ってないけど?それより…名前は?」

  すると、また…声が聞こえる。

  ―――言うな…言ってはならぬ…

  「……ワタシは……。」

  「ワタシは……なんだっけ?」

  わたしは頭を押さえて考える。おかしいな。名前……あれ?そもそも……わたしの名前ってなんだ?わたしは誰だ?あれ?思い出せない?なんで?わたしの名前はなんだったけ?

  「ねぇ!どうしたの?わたしの声……聞こえてる?」

  金髪の少女が心配そうに顔を覗き込む。

  ―――――マルノ…

  「……丸野?」

  「マルノ?ああそうか。日本人なんだね!」

  ――……マルノ。

  「……マルノ?」

  私はもう一度名前を口に出してみる。

  「え?なになに?」

  金髪の少女……カスミは嬉しそうに私の顔を覗き込んでくる。

  「ワタシの名前は、マルノというの?」

  「へ?」

  私の言葉に、カスミは唖然とした表情を見せた。

  「そ、それより!カスミ…ちゃん?どうして縮んだはずのあなたから、その…丸呑みにされたみんなの声が聞こえるの?」

  唖然とした表情をもどし、カスミは

  「ふっふーん…よくぞ聞いてくれました!」

  ぶいっ!と

  ピースサイン。

  「わたしはね?丸呑みにした女の子たちの肉体はすでに消化されちゃったけど…魂だけは消化出来ないの。で、次の産卵の時期になったら…産み直してあげるの!その子たちの体ごと!」

  カスミは両手を広げて、楽しそうに話す。

  「だから、丸呑みにされた子も、わたしの一部ってわけ!で、その時に……その子たちがどんな人生を歩んできたのか?どんな気持ちで食べられたのか?っていうのが伝わってくるの!だからこうして……他の子たちが食べられる瞬間を何度も見て来たわ!」

  「……。」

  カスミから出てくる情報の多さに頭がパンクしそうだ。いや……まぁ、まず前提として理解すべきことがあまりにも現実離れしている。

  「じゃあ、あなたはそもそも…この世界の理…そのものの『外』からやってきたってことなの?」

  「ん〜……そうとも言えるし、違うとも言えるかな!」

  カスミは首を傾げる。

  「そもそも、ニンゲンが住む世界とわたしたちの世界では成り立ちが違うんだよねぇ。」

  「成り立ち?」

  「そ!あなたたちニンゲンはさ?これまでの歴史の中で何度も滅んできたでしょう?あれって……世界がリセットされているからなの。」

  ――――違う、そうではない。人の世には人の理。そして、この世界から人が生まれたとき…人は一度も滅んでなど、いない。

  また声が聞こえる。

  「ねぇ、カスミ…なにかいった?」

  「いや?」

  「そう。」

  「え?何?」

  「……ううん!なんでもない!」

  一瞬聞こえた声が、私の幻聴だったのだろうか? いや……幻聴にしてはあまりにも明瞭だった気がするが……。

  「話を戻すよ?……まぁ、だから滅ぶたびに世界はリセットされちゃうのね。」

  「じゃああなたはなんなの?」

  わたしはカスミに聞いてみることにした。

  「ん〜?わかんない!でも……少なくともニンゲンじゃないかもね!だって蛇に変身できるニンゲンなんて聞いたことないでしょ?だから、まぁ……違う世界から来た!ってのが一番近いかな!」

  「はぁ……。」

  なんとも大雑把な答えが返ってきた。

  「それで?マルノちゃんたちはどうやってここまで来たの?ここって外界から隔絶されててさ?まぁ……正確には隔絶ではないんだけど、うん!外界からは存在も認識されないところだからね〜?だからマルノちゃんたちがここにいるのが不思議なんだよ!」

  私は、ここまでの経緯をカスミに説明した。

  「……へぇ〜。なんか不思議な話だねぇ……。」

  「信じてない?」

  「まさか!信じるよ!だってマルノちゃんはわたしに名前を教えてくれたし!それはつまり……わたしにマルノちゃんのことを教えていいよ!ってことでしょ?だから、信じる。」

  「そ、そう……。」

  あっけらかんと、カスミは話す。

  「わたしねぇ……ずーっと前からこの世界に住んでてね?自分の事を知りたいって気持ちもあったんだぁ!だからマルノちゃんの話……信じるよ!」

  「ありがとう。」

  「それで?これからどうするの?」

  カスミが尋ねる。

  「ん……。」

  正直、私にも分からない。行き当たりばったりでこの洞窟に入ってしまったが、どうやったら元の世界に帰れるのか?そもそも戻れる場所があるのか?わからないことが多すぎる。

  「歩くしか…ないんじゃないかな」

  「どこに?」

  「わかんない。でも、きっとどこかにはあるはずだから。」

  「……そっか。」

  「うん。」

  二人して、ため息をつく。

  「あ!そうだ!」

  するとカスミが何かを閃いたように声を上げた。

  「なに?」

  私は尋ねる。

  「マルノちゃんが元の世界に帰るまでさ?わたしが一緒にいてあげるよ!」

  「え?」

  突然の申し出に私は驚いた。

  「わたしさ!この洞窟にはずっと前からいるからさ!ちょっとなら詳しいよ?」

  ――――ならん!『蛇』の言うことに耳を傾けては!『蛇』は他人を簡単に騙し、欺く。そなたも存じておるだろう!

  また声が聞こえる。

  「……うるさい。」

  「え?」

  「あ、ううん。なんでもないわ!」

  私は頭を振るとカスミに向き直った。

  「ありがとう。じゃあ……お願いできるかな?」

  私がそう言うと、カスミは笑顔で答えた。

  「うん!任せてよ!」

  こうして私とカスミは手を取り合い、この世界に投げ出された孤独な少女二人。不思議な冒険が幕を開けたのだった。

  「ねー!マルノちゃん!」

  「なぁに?」

  「この先にさぁ?すっごいキレイな湖があるんだよぉ〜!!行ってみようよ!!」

  湖?地底湖だろうか?そもそも…湖が近くにあるとしたら、なぜこんなにも…

  「……湿気が…ないわね…。」

  「どうかした?」

  カスミが不思議そうに尋ねてくる。

  「ううん。なんでもないよ!」

  私は笑顔で答えた。

  ―――湖…確かに湖かもしれぬ。だがそこは…火山湖と呼ばれる、火山性物質が溶け込んだ、濃硫酸の湖だ。確かに、鮮やかなエメラルドブルーは見るものを魅了させるが…

  「うるさいといったは…ちょっと待った。今、なんて…?」

  頭の中に聞こえてきた声。聞き逃してはならない一言が、聞こえたような……?

  「え?どうかした?」

  「う、ううん!なんでもない!」

  「そう?」

  私は慌てて誤魔化した。なんだか……今頭に思い浮かんだ事を口に出したら……良くないことが起きそうな気がしたから。

  ――この洞窟に出口はない。そして、ニンゲンよ……そなたはこの世界に長く居すぎてしまった。その肉体が朽ちるまで……そなたはこの世界で暮らすしか道はないのだ。魂だけならば、元の世界に返すことが出来るやもしれぬが…!

  また、声が頭に響く。

  「魂だけならば……元の世界に返すことが出来るやもしれぬ?」

  私は、声の主に聞き返す。

  ――そうだ。だがそなたは『蛇』の甘言に耳を傾けてはならん!あれはニンゲンを欺く為に生まれた存在。ニンゲンの味方などではない!そなたが『蛇』の言葉に耳を傾けた瞬間……それは破滅への道と繋がる!

  「……あ!」

  「今度は何ぃ?さっきからマルノちゃん、独り言多いね!ひょっとして………」

  ぎくっ!!

  「な、なんでもないわ!」

  危ない危ない!今の独り言……カスミに聞かれなくて良かった……。

  「そっかぁ!あ!ほら!ついたよ!!ここが『地底湖』だよ!」

  「わぁ……!」

  私は目の前に広がる光景に思わず声を漏らした。そこは洞窟内とは思えないほど広大な空間が広がっていて、さらに驚くべきことに美しいエメラルドブルーの湖がそこにあった。

  「すっごく綺麗……」

  私は思わず呟く。まるで、南国の透き通った海を思わせるようなその色は、不思議と心を落ち着かせてくれる。

  「でしょ!?ほら!こっちこっち!」

  カスミが私の手を引っ張っていく。

  「あっ!」

  私はバランスをくずし、カスミに引っ張られるまま、湖へと落ちそうになった。

  「うわわわっ!!」

  そのとき、カスミの口元が一瞬、つり上がったように見えた。

  「ふんぬっ!!」

  体は左に傾く。しかしわたしはその場で左回りにくるりと一回転。バレリーナのように華麗に着地。

  「ふっ!やったわ!!」

  私はポーズをキメる。

  ちっ……。

  「今、舌打ちした?」

  私が聞くとカスミは首を横に振った。

  「いや?わたしはしてないよ?」

  「そう……。まぁいいわ!」

  わたしは地底湖に歩み寄ると、しゃがみこんで湖面を見つめた。キラキラと輝くその美しい水はまるで宝石のようだ。

  (濃硫酸の湖……。)

  見た目にはそうは見えない。アニメやゲームでは、もっとボコボコと沸き立っている。静かな水面。金属か何かあれば、その正体が掴めるだろうが…。

  「そんなに気になるなら、入ってみたらどーお?」

  いたずらっぽく笑みを向けてくるカスミ。

  ――わかっていると思うが…

  頭の中の声は警告を促す。

  「わ、わかってるわよ!」

  わたしは立ち上がり、カスミに向き合う。

  「どうしたのぉ?」

  カスミは不思議そうに首を傾げる。

  「ううん!なんでもない!じゃあさ、カスミが先に入ってみてよ!わたし、後から入るからさ!」

  そのとき、マルノはカスミの表情が変わるのを見逃さなかった。

  「え?えっ〜と。どうしようかな?あはは……?」

  カスミは困ったように頰をかいた。

  「ほら!どーしたの!?怖いの?」

  わたしはからかうようにカスミに言う。

  「えっ!?そんなことはないよぉ?」

  「じゃあ、入ってみてよ!ね?」

  わたしが言うと、カスミは困ったような表情を浮かべたあと、口を開いた。

  「わかったよぉ……マルノちゃんがそんなに言うなら……しかたないなぁ……。」

  (やった……!)

  私は内心で舌なめずりする。あとは湖に入るのを見るだけ…。

  ちゃぽん…。

  静かに、脚、腰、肩…と湖に浸かっていくカスミ。しかし…?

  「ふ、ふぅ!冷たくて気持ちいいよ!マルノちゃん!」

  引き攣った顔で、苦笑いをしながらマルノに促すカスミ。

  しかし、ここでカスミはミスをしたことに気づく。今洞窟内は『寒い』のだ。寒いのに地底湖に入りたがる馬鹿がいったいどこにいるというのか?

  (や、やばい…皮膚が保たない…!はやく!はやく、マルノちゃん…!)

  じんわりと熱くなっていく表面の皮膚。神性を持つ身とは言えど、長くは保たない。するとマルノは…

  「そ、そうなんだ!でもカスミ?いまわたし、寒いからさ?やっぱ辞めとくよ!」

  湖岸から聞こえてくる無情な言葉。でもそりゃそうだ。この湖が強酸性であることを知っているのは…わたしだけだし。

  「じゃ、じゃあわたしも上がる!!」

  ざばぁっ!!

  慌てて上がってきたカスミの体は、特に変わりはなかった。白くきめ細やかな肌は、どうにもなっておらず、そのままのように見えた。

  「ご、こめんね?カスミ…?ウソついたみたいになっちゃって…。」

  慌てておろおろとしながら、カスミに駆け寄るマルノ。

  「う、ううん…気にしないで。わたし、ちょっと向こうでカラダ乾かしてくるね?」

  だだっ!!

  「あ、ちょっと!!」

  マルノは闇の中へと消えていくカスミを見て、ただ呆けていた。

  ―――危ないところだったな。あの『蛇』があそこまでタフだとは思っていなかったが、今頃慌てて『脱皮』しているはずだ。見に行くか?

  頭の中の声は恐ろしいことを口にする。

  「やめとくわ…。武器もない、出口もわからない。今の状態で大蛇になられたら…わたしの命はないでしょう?」

  マルノは冷静に答える。

  ――ふっ……それもそうだな。まぁ、せいぜい後悔のないように過ごすことだな……。

  すると声は聞こえなくなった。どうやら頭の中から消え去ったらしい。

  (それにしても、さっきの声……聞き覚えがある気がしたんだけど……?)

  マルノはカスミが消えていった闇を見つめ、考えていた。

  「くそっ…くそっ!」

  カスミは慌てて衣服を脱ぎ捨て、一糸まとわぬ姿となる。そして…

  ぼこっ!

  背中の肩甲骨がボコリと蠢き、皮膚を突き破って姿を現したのは……おぞましい…緑色の鱗。

  「は、はやく脱皮しないと…!」

  強酸の湖はわたしの表皮を徐々に蝕んでいく。酸はタンパク質と反応し、手遅れになると内部の筋肉までも溶かすのだ。

  「は、はやく!早く!!」

  ぼこっ!ぼこっ!

  背中、腕、下腹部と大きく膨れ上がり、裂けた白い肌の下から緑色の鱗が顔を覗かせる。

  「ううぅ…!!遅い!」

  ばりり!!

  華奢な腕が白い皮膚を掴み、力任せにバリバリと引き裂く。

  「はあっ!はあっ!」

  びりびり!! どくんどくん!! 筋繊維の千切れる音が響き渡る。そして、皮一枚まで引き裂かれた白い皮膚の下からは……想像通り……深緑色の鱗が姿を見せる。

  「うう…仕方ない!」

  ジャキン!!

  右手の白い皮膚を弾き飛ばし、中から現れたのは、鋭い爪を持った緑色の鱗に覆われた腕。本来行う変化ではないが、緊急事態だ。

  バリバリ!!バリバリ!!

  白い肌を爪で引き裂く度に、中から現れる緑色の鱗。まるで脱皮のようだ。緑色の鱗自体は侵食速度がそうでもないが、その中の真皮にまで酸が浸透すれば、筋肉が溶け、想像を絶する痛みが襲う。

  「くっ……ふぅ……」

  肩で息をしながら、自らの皮を破き続ける。一糸まとわぬ姿のカスミは、その白く滑らかな肉体に似つかわしくない異形の姿を晒していた。

  「はぁ……はぁ……あっ」

  どさっ! 爪が皮を切り裂きながら、カスミの左腕の表皮を裂く。その瞬間、傷口からドロリと流れ出た液体は……血ではなく、粘液。脱皮をスムーズにするためのもので、カスミにとっては決して不快なものではない。

  「はやく……戻らないと!」

  ぼとっ! 傷口から落ちた、粘液にまみれた左腕が地面に転がる。その傷口はみるみる間に再生し、そして次の瞬間には異形の怪物の腕へと変化していた。

  「よし…なんとかなったわ…」

  その姿は蛇と人を合わせた姿。顔は湖に漬けていないから、そのままでも問題ない。少女の顔から下は、全身緑色の鱗に覆われ、腹部から下半身の正面だけは乳白色の鱗におおわれている。

  蛇なのに両手、両足がついており、その先にはキラリと光る鋭い爪。ただこれは武器として使えるほどではなく、切れ味もせいぜいカッターナイフ程度のものだ。あくまで『人の身』に蛇の力が備わったものと思えば良い。

  「くそっ…なんだあの女?まるで、どこかから知識を得ているような…?」

  ヘビ型の怪人が、まるで少女の顔の皮を文字通り被ったような姿で悪態をつくカスミ。

  そもそも、数百年前からここにいるというのも嘘っぱちだ。わたしがここに来たのは、せいぜい1ヶ月前。前の『選別』で生き残ったから、この世界で、この力を手に入れた――

  ―――『選別』に恵まれたお前には、この『隔絶された世界』と『蛇の力』を授けよう。

  「へ……蛇の力?」

  傷だらけの少女は天から聞こえてきた声に、驚きの声を上げた。

  「ああ、そうだ。この世界で生き残るための力だ……。特別に名前も授けよう」

  声はそれだけ言うと、それ以降聞こえなくなった。そしてカスミの目の前には、2つの選択肢が浮かび上がっていた。

  1.『蛇』の肉体と力を得る代わりに、人間の肉体を失う。

  2.『魂』だけを元の世界に返すかわりに、ここでの記憶は失われる。

  すなわち、『怪物』となるか、何もかもを忘れ『転生』するか。

  この世界に来た時点で、ここに来た者たちの肉体は、すでに変質が始まっており、生き残った者に与えられるのは、残酷な二択。何れにせよ、すでに肉体はこの世界によって喰われ始めており、喰われた箇所から徐々に『蛇』へと変質するとのことだった。

  「た、食べられた子たちは…?」

  頭からトラップで串刺しにされた大蛇を指差し、少女はふるふると

  しながら、声を震わせる。

  「彼の者たちは、すでに『転生』の準備へと入っている。『蛇』の体内によって肉体を浄化された者たちは、『魂』だけの存在となって『蛇』の体内に囚われていた。だが、それをお前が解放したのだ。今代の『蛇』を上手く騙し、欺いたお陰で、『蛇』は斃れ、お前が生き残った。生き残ったお前は、この世界に充満する『呪い』によって肉体を蝕まれ、やがては『蛇』へと成り果てる。ゆっくりと変質するよりも…さっさと変質したほうが都合が良かろう?どうだ?」

  声は、まるでカスミの心を見透かしているように語りかける。

  「断ったら…?」

  「この世界では、『苦しみ』は存在するが、『蛇の体内』以外によって死ぬことは許されない。『蛇』はそこにおるように、致命傷を受ければ斃されるが、『蛇』となっていない者は別だ。それは死ぬまで苦痛と空腹に苛まされるということを現している。」

  声は無情にもそう告げた。

  「それって…今断ったら…『蛇』になるのは確定で…『蛇』になるまで空腹に耐えろってこと?」

  ざり…!と少女は足元の土を

  爪で抉り、その小さな手から土を溢しながら、声に対して声を荒げる。

  「そう捉えて貰って結構だ。」

  声は少女の心を見透かしているように返事をする。

  (くそっ……くそっ……!!)

  少女は心の中で悪態をつく。今断ったら……『蛇』になる。そして人として死ぬことは叶わない……と声は言っているのだ。

  しかし、この世界に入った時点で、わたしの肉体はすでに変異を始めている。今は自覚がないが、『人』としての人生をやり直すなら、今選べ…ということなのだろう。ここであった…全てのことを忘れて。

  「残酷な選択ね…。そうやって、ここに来た人たちの絶望する顔を、ずうっと見てきたんでしょ?」

  ははは…と乾いた笑い声を小さく出しながら、少女は皮肉めいた口調で言った。

  「ここは『隔絶された世界』。外部からの干渉は受けないが、全てのことはわたしの耳に届く。お前たちが悲しみ、怒り、絶望し……その魂を燃やすとき……わたしはその魂に再び転生の機会を与える。」

  声は、どこか懐かしむようにそう言った。

  「『蛇』になったら、どうなるの?」

  「お前の仲間がされてきたことを、今度はお前がするだけだ。『禁忌』を冒してまでここに入ってきた大馬鹿者達を…お前が死ぬまで転生させつづける。『禁忌』を冒した時点でそのものの肉体と魂はここに囚われ、決して『外』に出ることはない。先程話した通り、ここに入ってきた時点でそのものの肉体は『呪い』によって、やがて『蛇』へと等しく成り果てる。それが憐れで仕方ないから、そこにおる先代の『蛇』も次々とこの世界に来るものを『慈悲』でその腹に入れていったのだ。『蛇』が『産卵』すれば、そのものは新しい世界へと、新しい姿で送り届けられるからな。だが、肉体が『蛇』になってからでは遅い。」

  「産卵…。」

  そういえば、ここで迷っていたとき、『空っぽの人間大の卵』がたくさんあったことに、今更ながらに少女は気がついた。

  「じゃあ、誰かが『蛇』になるまで、先代の『蛇』が代わりに産んでくれてたってこと?あと、『禁忌』って、まさか…!?」

  『大蛇が出る』とウワサのあった、森の奥の奥の奥深く。切り立った山に連なる森。その山と森との境目に…突然現れる、洞窟の入り口。

  「あそこまで森の深くに封印して、それでもやってくる大馬鹿者どもに、いったい他にどうしろと?わかっていると思うが『蛇』の力は強力だ。それこそ、お前たちの言う『国』など相手にもならんだろう。だからその『力』ごと外界に隔絶したのだ。干渉できぬようにな。」

  声は荘厳な口調でそう答える。

  「だったら、なんで私達の世界から行けるようにしてるのよ!!しかも、一方通行という最悪なカタチで!!」

  顔を真っ赤にして叫ぶ少女。悪いのは自分たちなのだが、それにしたってこの仕打ちはひどすぎる。

  「『管理』する者が必要なのだ。この隔絶された世界は、入ってきた者に与える『呪い』を持っているとともに、強大な『蛇』の力によって保たれている。その『蛇』の力を持ち出そうとした瞬間に…この世界は崩壊するようになっている。崩壊した世界で、『蛇』は時空の狭間を永劫さまよい、その魂は二度と元の世界には

  戻れない。」

  声は悲しげに、そして寂しそうにそう語る。

  「『蛇』自身によってこの世界が構成されていることはわかった。じゃあ、『管理』って?『管理』しないとどうなるの?」

  「『隔絶』するためには、その『隔絶』を続ける『力』が必要だ。その力が―――」

  「わたしたちの…世界ってわけ。」

  エネルギーがどうとかはよく分からないが、この世界を隔絶し続けているエネルギーは、わたしたちの世界にある『なにか』らしい。なにか神的なものとか、オカルトじみた…なにかそういうものなのだろう。

  「良くできてるじゃない。『蛇』自身が、『元の世界』に帰ろうとしたら、永遠に時空の狭間に取り残される。誰かが『蛇』の力を持ち出せないように、外界と隔絶し、それでも入ってきた者には一方通行。隔絶をし続けているエネルギーはわたしたちの世界……。」

  「ようやく理解できたようだな。つまり、お前には選択肢を選んでいる暇がないことにも…気がついたか?」

  ゴゴゴ…!!

  「!?」

  洞窟全体が揺れ始める。そこにいる致命傷を負った『蛇』の命が…失われようとしているのだ。

  「もたもたしていては…時空の狭間に取り残されるぞ?魂だけ、永劫にな…。」

  声は荘厳な雰囲気ながらも、どこか嘲笑っているような…そして、どこか寂しげにも聞こえる声でそう言った。

  「う……うう……」

  少女は悩み始める。選択肢は2つに1つ。

  『蛇』となり、この世界を維持するか。

  この世界での記憶を失い、新たな人間として『転生』するか。

  「わたしは………わたしよ……?わたしだけが……わたしの思い出を……記憶を…持っているの…。」

  ガタガタと震え、自分の体を抱きしめる。『蛇』になるのもいやだ。だけど、これまで生きてきた記憶…その全てが…なかった事にされる。

  恐ろしい。元の世界に転生したとして、そのわたしは、『わたしであって、わたしでない』のだ。わたしのこの記憶が呼び起こされることはない。それは……『死んだこと』と、何が違うのか?

  「さぁ、時間はないぞ?小娘よ…?」

  ゴゴゴ…!!

  グシャン!ドガン!!

  天井から岩が次々と落ちてくる。目の前の道が崩れ去り、虚無へと

  吸い込まれていく。

  「わたしは……わたしだから…わたしだけだから…わたしでいたい……。」

  少女は涙を流しながら、震える声で呟いた。

  「ふふ……ふふふ」

  そして少女はゆっくりと笑みを浮かべる。まるで『蛇』のような、ギザギザの牙が覗く笑顔。その微笑みに隠された真意は、誰にもわからない。

  「決断したようだな……。」

  声は満足げな笑みを浮かべているかのような声色だった。

  ドガン!!ゴシャン!!

  岩が次々と虚無へと落ちていく。壁が崩れ、虚無が顔を出す。何も見えない。光すら、認知されない…本当の―――――闇。

  「どうすればいいわけ?」

  少女は、虚無を見つめながら声の主に問いかける。

  「なに、簡単なことだ。そこにおる先代の『蛇』の血を飲め。飲めば飲むほど、お前の中の『蛇』は目覚めていく。『蛇』の『肉』を食えば、さらに変化は劇的なものとなる。

  「『肉』?わたし、こんな硬い鱗なんか―――」

  少女はそこで、言い留まった。そうか、そういうことか――。

  「理解が早くなってきたな。そうだ。『蛇』の血を飲み、『蛇』に近い存在になってから、バリバリと噛み砕けば良い。完全な『蛇』には噛み砕く牙こそないが―――『蛇』の力を備えた『ヒト』ならば――?」

  声はもはや、わたしをヒト扱いしていない。『蛇』の力を持ったヒト……言うなれば『蛇の獣人』となれと言っているのだ。

  「………あんた。気に入ったわ。確かにそんな力を持ったヤツが、わたしたちの、元の世界に現れたら―――国だけじゃない。いまの、なんの力ももたない、わたしたちの世界の人間は――全く歯が立たない。」

  少女はそれだけいうと、にいい…と

  笑みを浮かべた。

  「行くわよ……。」

  少女は、意を決して…ダラダラと流れている、串刺しにされた、大蛇の元へと赴いた。

  「ふーん…多分これは…先代の『蛇』の力によって…この空間だけ…保たれている。そういうことね?」

  トラップによって串刺しにされた大蛇と、その周りの地面。ここだけはなぜか『崩壊』の影響を受けておらず、わたしと大蛇の成れの果て。そこにある地面。それだけが、虚無の中に、ぽっかりと浮かび上がっている。

  ダラダラの串刺しにされた体から流れる血は、虚無へと流れ落ちていく。この血が全て流れ落ちたとき…この保たれている僅かな空間も、崩壊へと向かうのだろう。

  「察しがいいな。まもなく、この空間も―――そうだ。お前の考える通りに、この空間は崩壊するだろう。」

  声は、わたしの考えていることをズバリと当てて見せた。

  「そういうことね…。」

  先程声は、わたしが大蛇の血を飲めば飲むほど、わたしのなかの『蛇』は覚醒すると言っていた。

  「うっ………。」

  ドロドロと大蛇の体から流れ出ていく赤い液体。それは当然だが、濃い鉄のニオイを孕んだ、生臭い血液。

  少女はそんな液体を前に、顔をしかめる。

  (こんなものを……飲めっていうの?)

  空想上の怪物とはいえど、その血はかなり生臭い。そして濃い鉄のニオイ。当然だが、これまで少女は生物の生き血など口にしたことはなく、あったとしても、せいぜい自分の口を誤って切ったときだけ。他には擦り傷を作ってしまったときに、絆創膏も水場も何も無いときに、仕方無しにペロリと嘗めていただけだ。

  「迷うのはお前の勝手だが、今迷えば、この世界が崩壊するか、または虚無の中で、お前がイチから新たな『蛇』として、この世界を作り直すか…それには数えきれない時間を要するだろう。」

  「うっ……ううっ……」

  『蛇』になるのも嫌だ。かといって、この空間が崩壊するのを待つのは論外。

  (ええい……ままよ!!)

  少女は意を決し、大蛇の血だまりの中に、口をつけた。

  (うっ……臭っ!!)

  生臭い鉄のニオイが一気に口の中に広がる。これまで味わったことのない異臭に、少女は吐きそうになる。

  ぴちゃっ!ぴちゃっ…!

  「おえっ……。」

  少女は血溜まりの上に身を伏せ、犬が水を飲むように、舌をぴちゃぴちゃと動かす。

  「うっ……ううっ……。」

  口を一旦離し、また近づけてぴちゃぴちゃと動かす。そんな行為を何度か繰り返したあと――。

  (あとは……ガブリと行くだけ……!!)

  意を決し、少女は牙を突き立てる。がぶっ!!

  「う……っ!」

  やはり硬い。弾力性のある皮膚に阻まれ、まだ上手く歯が刺さらない。

  「そんなもので間に合うと思っているのか。『ヒト』は何かを飲み込みながらでも『呼吸』が出来るのだろう?ならば…」

  声は促す。わたしは顔を挙げる。

  ドクドクと流れ出る大蛇の血液。それはバイキングで見かけるチョコレートフォンデュのように絶え間なく流れ出しており…明らかに流れ出た血溜まりを舐めるよりは、体の中に入れたほうが『力』は手に入るだろう。

  「うっ……ううっ……!」

  わたしは意を決し、未だ歯が立たぬ大蛇の鱗から口を離し、ドロドロと流れ出る血液の奔流に…顔ごと突っ込んだ。

  「ぐっ……うううっ……」

  生臭い血の味、そして鉄のニオイに、思わず吐き出しそうになる。

  (うう……っ!)

  なんとか血溜まりの中に顔を沈める。そのまま、先程と同じ要領で、血を飲み始める。

  どくどくと流れ出る血液を顔に浴びながら、ぐびぐびと飲んでいく。

  「ううっ……うっ……」

  流石に体が大きいだけあり、その血液の量も凄まじい。そして…!

  めきっ………。

  小さく、わたしの身体が軋む。

  「ううっ…?」

  同時に感じる悪寒。寒い!なんだ?なんだこれは?とても…とても寒い…!!

  「『蛇』は変温動物だからな」

  声が嘲るように告げる。

  「う……っ!うっ!」

  寒さと、生臭い血の味にむせそうになりながらも、わたしはなんとかそれに耐えて血を飲み続ける。

  (寒い寒い寒い……っ!!)

  だが、寒さは増していくばかり。みるみる手足がかじかんでいくのがわかる。しかもそれは、手足だけにとどまらず――。

  「うっ……ぐ……っ!!」

  ピキッ!パキパキ!ゴキゴキ……! バキッ!!ゴギッ!! 身体中の骨が軋む。「痛覚」のないはずのこの世界でも、体のあちこちが痛み始める。

  「あ……く……う……っ!!」

  (い、痛い……痛すぎる……)

  体中を突き刺すような激痛に、思わず血溜まりから顔を上げたくなるが……『蛇』になると決めた以上、ここでやめるわけにはいかない。この空間を崩壊させるわけにはいかない。時空の狭間で永遠に彷徨うことなんて絶対に嫌だ。

  「う……っ、うう……」

  グギッ!!メキメキッ!ゴキャッ!!

  (痛い、寒い、痛い、寒い、痛い……)

  パキパキパキッ!!メリメリ……!

  (体のあちこちが……壊れていく……。でも……『蛇』になって……元の世界に戻っても……)

  メギャッ!!グギュゥ……!!

  (『ヒト』としての生活なんて……出来るわけない……。)

  仮にそうしようとしたら、この世界は崩壊し、虚無に放り出されたわたしは…永遠に時空の狭間を彷徨うこととなる。そもそも、この世界に迷い込んでしまった、その時から、もう―――。

  めぎぃっ!!

  「あうっ!!」

  背中に強烈な痛み。皮膚が避けているのか、ばり、ばり…と奇妙な音がする。

  「うああっ!」

  べり!ぼこ!びきっ!

  右腕が膨れ上がったかと思うと、皮膚がバリリと裂け、その下から現れたのは――緑色の鱗。筋肉が膨れ上がるように、わたしの腕が内側から変化し―――そのまま手のひらの皮膚まで切り開いた。

  べちょっ…。

  「ゔっ…………!!」

  わたしはその腕を見て恐ろしくなる。人のような腕に、緑色の鱗がびっしりと隙間なく生えている。『声』の言ったとおりに変化は進んでいるようで、普通の蛇には存在しないはずの、鋭い爪が指先から伸びており、手のひらは今や緑色の鱗に覆われている。

  「うあっ……うっ!!」

  めきっ……めきっ!ぼきっ!!

  (体も……どんどん蛇に近づいてる……!!)

  体のあちこちで起こる異音。骨の軋み、筋肉の盛り上がる音。それはまさしく、わたしが『蛇』へと近づいている証拠に他ならない。

  「うあああっ!!」

  叫ぶように悲鳴をこぼす。

  同じように目一杯開いた左手の皮膚が、バリバリと裂けたかと思うと、そこからも緑色の鱗が覗く。

  「うっ……うう……」

  ググッ……!メキメキッ……!! バキバキ!ゴキャッ!!バリッ!バリバリッ!!

  わたしの体の一部であったはずの足は、一瞬にしてわたしの白い肌を裂き、蛇の足に変化する。もはや人間の肌色ではなく、エメラルドグリーン色の鱗が生え揃ったその足は、人間ではなく、そして蛇でもない。

  べちょっ!!

  避けた皮膚が血溜まりへと落下する。わたしが人間であった証が、大蛇の血を飲めば飲むほど、わたしの体から失われていく。

  「うぐうぅぅぅぅっ!!」

  めき!めき!

  身体中が膨れ上がる。そもそも『蛇』の力はこんなものではないはず。まだわたしの『ヒト』の部分と『蛇』の部分が混ざり合っているのだ。それは『蛇の肉』を喰ってからということなのだろう。

  ずしゃつ!!

  「はああああ………♡♡♡」

  四肢が大きく膨れ上がり、蛇とヒトの混じり物となったわたしは、さらにゴクゴクと大蛇の血を飲み込み続ける。

  ゴキュ!ゴキュッ!!ゴク……ッ!! 大蛇の血を飲み込むたび、体はますます膨れ上がり、鱗も濃くなっていく。

  ぐっ!ぐぐっ!!

  ばり……!!

  内側から膨れ上がるわたしのバスト。白い肌を裂き始め、その下から乳白色の鱗を覗かす。

  「はああ……♡♡♡」

  気持ちいい。痛みも、寒さも、生臭い血の味も、もうどうでもいい。この快感に比べたらそんなもの、取るに足らないものにまで成り下がる。

  ゴク!ゴキュッ!! ごくっ……!ごきゅっ……!!

  「あふ……♡♡うん♡♡きもひいぃぃ♡♡♡」

  びくんっ!びくん……!ビクビクッ!!ビクビクビクゥッ!!!

  「ふうううっ!!」

  股間から熱いものが垂れるのがわかる。まさか…発情しているのか?こんな…生臭いモノを飲んで?

  「生物の血には微量の催淫成分が含まれていると聞く。それは同族ならば、それこそ生き血を全て取り込まないと、発症にも至らないだろうが……」

  声は語る。しかし、大蛇の血の量は膨大。それに、かなり『濃い』。まるでバーボン入りのチョコレートをドロドロに溶かして、さらに濃縮したような…そんな濃度。

  わたしが血を取り込めば、取り込むほど催淫成分とやらの効き目は増していく。

  「はああ……♡♡♡ふうう……♡♡♡」

  (きもひいいぃぃ……♡♡♡)

  びくびくびくっ!ビクビクビクッ!! 既にわたしはヒトを超えた身へと変わりつつある。下腹部がうずく。全身の筋肉が発情に震える。

  ばりっ!べちょっ!

  「ふわぁ………♡♡♡」

  また血溜まりの上に、わたしの剥がれた白い肌が落ちる。

  ついに、わたしの首から下が全て…『蛇』とヒトが混じり合ったものとなる。

  『尾』はまだ生えない。

  『尾』は『蛇』を『蛇』たらしめる象徴であり存在だ。『蛇』とヒトとの混じり物であるわたしには、まだ相応しくないということなのだろう。

  ごくっ!ごくっ!ごくっ!

  身体が変化したことで、さらに血を取り込みやすくなった。蛇の胃は伸縮が可能であり、そのために肋骨が退化していく。必要無い。肋骨以上の硬さを持った、乳白色の甲殻がわたしの臓器を守ってくれる。

  「あ……はあ……♡♡♡」

  (気持ちいい……♡♡♡)

  頭がボーッとしてくる。血を飲んでいるだけなのに……何でこんなに気持ちよくなるの? ごくっ!ごくっ!!ごくん!! グチュグチュグチュッ……!!

  股間に潜り込んだ蛇の右手が、わたしの中をかき回す。溢れてくる愛液をものともせず、ぐちゅぐちゅと音を立て続ける。

  (あっ……!だめっ!そんなとこイジったら……!!)

  武器として使うには役不足で、おそらくはカッターナイフ程度しかなさそうな、調整された切れ味。おそらくはわたしの脱皮や変身をイメージして、調整したのだろう。だからわたしの『ナカ』もそう傷つかず、さらなる快感と変化をわたしに促していく。

  興奮することで血流が増大し、体の隅々まで取り込んだ『蛇』の力が

  行き渡っていくのがわかる。

  「はああ……っ♡♡♡」

  (だ、だめっ!♡)

  ひときわ強い快楽の波を味わいながら、わたしは蛇の血を飲み込んだ。

  バリバリバリッ!!ビキビキビキッ!! 体の奥から音が響く。骨が伸びる音、鱗が生える音。その全てが快感となり、わたしを突き動かしていく。

  (気持ちいい♡♡♡気持ちイイよぉ♡♡♡♡)

  全身を駆け巡る激しい痛みと快感。ついには血を飲み続ける顔面が、もこっ!もこっ!と内側から変化していく。背中はボコボコと背骨が盛り上がり、わたしの背中をいま、見ているものがいれば、そのおぞましさに失禁をもよおすかもしれない。

  メキッ!!メリメリッ!!ググッ!

  (痛いぃ……!!)

  しかし痛みもまた、快感に変換されていく。

  ゴキゴキ……ベギッ!!

  「うああっ♡♡♡」

  背骨の更なる変化に、わたしはたまらず嬌声を漏らす。そして…モゾモゾとむず痒い顔面に両手を当てて鷲掴みにすると、一気に力を込めて引っ張る。

  バリリリィッ!!

  「んはぁぁぁぁっ♡♡♡♡」

  メキメキと音を立てながら、『ヒト』としての最後の皮膚が引き剥がされていく。この脱皮もまた快感に変わる。わたしの体を、ヒトという殻から解き放つためのプロセス。

  ずるっ!!ずるるっ!! そのまま強引に皮膚を引っ張る。メリメリと音を立てて変わり果てていく顔面。

  蛇のように口の上下左右に牙を持っただけの寂しい口ではなく、『蛇』と『ヒト』とが合わさった、鋭い牙の歯列。びっしりと生え揃ったそれは、まだ『蛇』でもなく、かといってヒトのように脆弱でもない。『蛇』の鱗を噛み砕くため、そしてその中にある肉を丸呑みするのではなく、咀嚼するための歯。

  べりべりべりっ!! 最後の皮膚が、乱暴に引き剥がされる。そして……わたしは顔から手を離した。

  「あふっ……♡♡♡」

  わたしの顔面は、『蛇』のそれへと変わっていた。人間の頃のそれとは比べ物にならないくらい巨大な顎には鋭い牙が生え揃い、メキメキと伸び上がるその口は、さらに大きく開けば人間など簡単に飲み込んでしまえる大口を形作るだろう。しかしそんなものはわたしたちの世界にいる蛇のやることだ。

  「シュルル……!!」

  舌が二股に割れる。わたしは『蛇』の舌を手に入れたのだ。

  そして、その口内には、無限の食欲と、血に対する欲求が渦巻く。

  「あは……♡♡♡」

  ぺろり。わたしは自らの唇を舐める。この世界に迷い込み、大蛇の血を飲んだことで手に入れたもう一つの能力――。

  めきっ!!

  めきっ!めきっ!めきぃっ!!

  身体が呼応する。もはや人間の少女の姿はどこにもない。小説やゲームの中でしか見かけない『蛇』とヒトとが合わさった怪物。それがさらに…血を飲むことで巨大化していく。

  大蛇の血を取り込んだことで、わたしの身体と意識は、さらなる変化を迎えようとしている。

  めきめきっ!!ぼこっ!!ぼこぉっ!! 体中から骨が盛り上がる音。筋肉が際限なく強化される音。そして、バランスを保つために、体全体がそれに合わせていくこと。

  「………あぁぁぁぁぁ……♡♡♡」

  チロチロと舌を出しながら、最初は頭上高くにあった大蛇の傷口が、みるみるうちに近づいていく。鯉が滝を登るように、わたしの視点が高くなっていく。巨大な蛇獣人となったわたしの体重を支えるのは、もはや人間の華奢な骨ではない。大蛇の血と、わたしが変化したことにより、それを支える強靭な筋肉がついたのだ。

  ごきごきっ!!めきぃっ!! 鱗が生え変わる音。さらにそれは巨大化していく。わたしはもう、完全に大蛇と同じ大きさへと変貌していた。

  (あふ……♡♡♡)

  ぐつぐつと煮立った血液がわたしを誘う。もうすぐだ。もうすぐ大蛇の『肉』を喰むことが出来る。

  「すでに事足りておろう?もはや、先程歯が立たなかった硬い鱗にも、お前の牙は届くはずだ。いや…顎かな。だが、その前に…」

  ゴゴゴッ!!

  「!!」

  急に空間が不安定になる。大蛇の頭上にある虚無が徐々に迫ってくる。

  「なにがっ!なにがおきているのっ!!」

  耳をつんざくような大声で、わたしは声に語りかける。

  「先程お前が思った通りだ。今のこの空間は、先代の『蛇』によって保たれていると。はやくお前が空間を安定させねば、この空間は崩壊を迎えるだけだ。」

  ゴゴゴ…!!ゴゴ……!!

  さらに虚無が迫ってくる。

  まもなくわたしと、この大蛇の成れの果てを飲み込もうとするだろう。

  「早く『蛇』を取り込むがいい。さもなければ、『蛇』による力で保たれているこの空間は……崩壊をまぬがれまい。」

  「くっ……!!うぅっ!!」

  わたしは言われるがまま、大蛇にかぶりつく。その巨大な牙で、大蛇の肉を噛み千切り、飲み込む。

  ごぐっ……ごきゅっ!!ごくんっ!! 血を飲む音が響き渡る。さらに巨大化していく体。肉を取り込むにつれ、身体中を血液が駆け巡るのがわかる。

  しかし……足りない。わたしの体はまだ、満たされない。そうだ、何かが足りない。この現代兵器をも蹴散らすほどの完璧な身体に足りない、なにかとは、いったい―――?

  そのとき、わたしは臀部に違和感を覚えたのだ。

  ヒトのようにぱっくりと2つに別れた、大きな臀部。

  ヒトとしては、それでいい。

  もし、兵器として扱うとしても、この身体に対抗できるのは、せいぜいミサイルやロケット砲…あとはやりすぎだが、核兵器ぐらいだろう。実際に喰らえば、流石にカタチも残らず消し飛ぶだろうが。

  だが、『蛇』としては?

  『蛇』には手足などない。それに、長い『尾』が存在する。

  この身体にはまだ必要無いものが存在し、必要なものが足りていない。

  「――――気づいたようだな。」

  声は告げる。

  「そうだ。『蛇』は脱皮をすることで、より巨大な体を手に入れ、そして真実の姿に近づく。」

  「つまり……?」

  わたしは尋ねる。

  「その身体で、新たな『脱皮』をしろと言うことだ。」

  ズズズッ………!!

  虚無がわたしの頭上に迫ってくる。飲み込まれれば一巻の終わりだ。

  一刻も早く、脱皮をせねばならない。

  しかし……どうすれば?

  「この空間は、お前が『蛇』の血を取り込んだことで保たれている。」

  「?」

  突然の言葉に、わたしは驚く。

  「『蛇』と言えども、このような巨大な脱皮をひとりで行うことはかなわん。そのためには協力者が必要だろう?それが私だ。」

  「……??」

  わたしは混乱する。そもそも、あなたはいったい、どこに…?

  「わたしはすでにお前を取り囲んでいる。」

  「!!まさか…!!」

  わたしは巨大な身体で、血まみれの口の周りを手で押さえる。

  「そう。私自身が…『虚無』だ。」

  ぐわああああっ!!

  「うぐうううううっ!!」

  虚無自身がわたしの皮膚をバリバリとはがしていく。虚無はひたすら待っていたのだ。わたしが…巨大な『蛇獣人』自身が、新たな『蛇』となり得るほどに、力を蓄えていくのを――――。

  ばつん!!

  ばつん!!

  「………あぎゃっ!!」

  必要の無い両腕が、彼方へと

  落ちていく。

  すでに大蛇と一心同体となっていたわたしは、大蛇の脱皮に協力して……いや、『協力させられて』いる。

  「はあっ!はあっ!!」

  もがく腕でかろうじて残っている頭を押さえつけようとする。わたし自身の腕だというのに、感覚はもうすでに無い。なぜならば、もうその身体に、両腕は無くなっているからだ。

  ずずずっ……!!ばきばきっ!!

  虚無がわたしを飲み込む。全身がひしゃげて千切れていくような痛みとともに、身体中の鱗が、皮膚が、削ぎ落とされていく。それはまるで、ピーラーでジャガイモの皮を剥くように…必要のなくなった両腕をもぎ取り、両足は癒着させていく。ぷりんとした立派な胸も、お尻も…みな、『必要無い』と見なされ、削り落とされていく。そして…まさに『蛇』となった姿に…新たな鱗が芽生え始める。

  「はああ……♡♡♡」

  わたしはその姿を、見下ろしていた。血と肉片にまみれた大蛇の成れの果てが、虚無によってゆっくりと『脱皮』していく姿を……。

  ばきばきっ!!ごりっ!!ごりぃっ!! 新しく生えていく鱗が、徐々に硬くなっていくのがわかる。鱗を剥がされて、白化していた身体に、新たな新緑の鱗が張り巡らされていく。

  「はああああ……♡♡♡」

  私は……『蛇』になったのだ。大蛇と、虚無という力ある存在によって、さらなる巨大な存在へと生まれ変わることが出来たのだ。

  ばきんっ!!ばぎんっ!!めきぃ! 大蛇の尻尾がちぎれる。その血肉のひとかけらまでが、この体に吸い取られる。それでも余った血液は徐々に大きくなりつつある新緑の鱗に覆われていくわたしの体に吸収されていく。

  ぼろっ!ぼろっ!

  『蛇』に『歯』は必要ない。必要あるものは、上下左右、4つの『牙』のみ。抵抗するものには毒液を注入するが、この牙は毒液を注入するものではなく、獲物に『噛みつく』ためのもの。

  噛みつかれた獲物は、なすすべなく、『蛇』の腹へと送られていく。

  そして、退化した肋骨は、胃袋が膨らんでも、自身の動きを阻害しないように、筋肉の鎧によって守られていく。

  ばきっ!!ばきっ!!めきぃっ!! 大蛇の骨格が砕け、新しい骨と融合していく。今まではせいぜい10メートル程度の体長しか持たなかったわたしが、さらなる巨大化を果たそうとしているのだ。

  すでにわたしの背丈は、さきほど飲み込んだ大蛇を超えていた。すでに大蛇が寝そべっていた血だまりは干上がり、かわりに巨大になったわたしはそこを『蛇』の身体でどっしりと構えていた。とぐろを巻き、鎌首をもたげ、そしてわたしは―――新たな『蛇』へと成り果て、その役割を受け継いだ。『蛇』という種族そのものに、わたしは転生を果たしたのだ。

  「ふふふ……はははは……♡♡♡」

  わたしは笑う。今までさんざんいたぶり続けられてきた狩人を、自身の体内に取り込んだという達成感と喜びで一杯だった。

  「どうだ?『蛇』になった気分は?」

  どこからともなく、わたしに語り掛ける声がある。この空間を作り出している、虚無だ。もはやその姿は見えず、声もまるで受話器から聞こえるようなものとなっているが気にしないことにした。

  「最初はおぞましいと思ったけど………なかなかいい気分ね。」

  「それは結構。」

  虚無は淡々と告げる。

  「この空間も、もはや用済みだ。じきに崩壊するだろう。その前に……やるべきことがあるんじゃないか?」

  そう言われて、わたしは自分の姿を再び見下ろす。血肉で出来た『蛇』の身体。先程までのヒトの姿よりも遙かに巨大になった体。そしてなによりも……強靭な筋肉のついた、長い尻尾がそこにあった。

  「……そうね。まずは…空間を再構成しないと………でしょ?」

  シュルル…!!わたしは長い尻尾を大蛇の成れの果てへと伸ばした。すでに崩壊が始まり、虚無によって維持されているこの空間は、いつ崩れ落ちてもおかしくない状態だ。急がねばならない。

  ズシャッ!!バキンッ!! 大蛇の鱗や牙は硬いものの、『蛇』と化したわたしの尻尾にとっては、たやすく破壊することが出来た。

  「いい姿ではないか。」

  虚無が告げる。確かにそうだ。生物としては異様なその姿も、今となっては『蛇』としての自然の姿のひとつ。

  ズシャッ!!バキィン!! バラバラになった大蛇の鱗と牙を、わたしは『蛇』の体に取り込んでいく。取り込まれていくごとに、新たな鱗が生え揃い、強靭な筋肉がそこに備わっていくのがわかる。

  (あぁ……わたし……『蛇』に成れてよかった……♡♡♡)

  ただただそう思う。この姿と能力をもってすれば、すぐにでも迷い込んできた人間を狩ることが出来るだろう。しかし今はそれよりも先に――。

  バキィッ!!ボギッ!! わたしは残った大蛇の体を、骨ごとバラバラにしていく。巻き付き、あらん限りの力を込め、破砕する。

  もうお前は用済みだ。だから…

  「どうか、安らかに…。」

  『蛇』となったものだけは、致命傷のみによってこの世界を去ることが出来ると言うことは…身体をバラバラにしてしまえば、その肉体も、魂も、ようやく解放されるということだ。

  少なくとも…この大蛇はわたしを『守って』くれた。この世界が崩壊するのを…血の一滴、肉の一片に至るまで、その身が朽ちようとも、わたしが新たな『蛇』に成り代わるまで……。

  「わたしの友達、みんな飲み込んだんだから……感謝はしないわよ?」

  ズズズッ…!!

  破砕した血肉を取り込みながら、わたしは鎌首をもたげる。そして、すでに空間が崩落しつつある虚無の胎内から、脱け出して行く。

  「早く……ここも崩壊する。」

  虚無は告げる。わたしは無言で頷くと、『蛇』の体を使い、その血肉を飲み込んでゆく。

  (さようなら……ありがとうね……!!)

  完全に大蛇の身体を飲み込んだとき、わたしの身体がぐらりと揺れ始めた。

  ゴゴゴゴゴゴ……!!

  虚無の胎内だけでなく、空間にひびが入り、そして新たな空間へと繋がる。そこは…新たな『蛇』である、わたしが創り出した…新たな、『隔絶された世界』。

  「気をつけてな。」

  虚無は告げる。

  「……なにを?」

  わたしは応える。

  「行けば……わかる。『カスミ』。…それが新たな世界での、お前の名だ」

  虚無は告げる。そして……

  「さらばだ、友よ……」

  ズズッ……ボガアアアン!! 虚無が崩落した。同時に、この『隔絶された世界』へと繋がる空間も崩壊し、虚無の世界は閉ざされていった。

  (ありがとうね……!!)

  わたしは心の中でつぶやいた。そして、新たな世界へと進んでいくのだった。この手で――。

  それが、1ヶ月前。

  この世界での。

  そう、1ヶ月前の出来事だ。

  「じゃあ、わたしはなぜ、あの少女を未だに飲み込んでいないの?」

  ぴきっ!ぴきっ!

  緑色の鱗が白く変化していき、柔らかな肌へと擬態していく。

  この世界は私の世界。わたしのかつての心を投影したかのように、様々なものが散りばめられている。

  濃硫酸の湖。

  エメラルドブルーの湖面は見るものを魅了させ、そこに入ることが自然かのように、誘われてしまう。

  しかしその水は、人肌には致死性の猛毒だ。

  私がこの世界で復活したとき、湖が血で染まっているのを見て、とても驚いたものだ。しかし今となってはいい思い出だ。

  骨のかけらになってしまった湖の中から、彼女の魂を救い出し、永遠の痛みから解き放ってあげた。その方法は、丸呑みしかないと言うのも『蛇』らしいと言えば『蛇』らしいのだが。

  彼女はもはや、泣くことも飽きていた。何もしなければ、身体を溶かされる痛みも、苦しみも、自然と耐えられたのだという。

  わたしにとっても猛毒だ。入れば表皮が酸によってタンパク質が変性し、細胞が壊れていく。

  それでも……わたしは彼女を受け入れた。わたしの唾液には『癒し』の力がある。酸によって変質したタンパク質も、彼女の肌や髪も、時間を巻き戻すかのように元に戻っていった。

  「ありがとう……!!ありがとう……!!」

  とすんっ……!!と彼女は私の胸に頬をすり寄せるようにして泣き始めた。そしてわたしは彼女を飲み込んだ。

  ずぶずぶという音を立てながら、わたしの腹を満たす彼女の身体。肉体は瞬時に『浄化』され、魂だけがわたしの身体に囚われる。これは仕方がない。次の『産卵』までは我慢してほしいと彼女に告げた。

  こうしてわたしは、『蛇』の本能に抗うことなく、『人間の少女』を丸呑みにしたのだった。

  その他にも、猛毒キノコが群生する『火炎の花畑』や美しい鍾乳石が天井に生え揃う『悪魔の胃袋』など、前の『隔絶された世界』とは異なるものが多く制作された。その度に、その場所で永遠に苦しむ犠牲者を見つけては、丸呑みにすることで彼女たちを『救い出す』日々。

  「ならなぜ、わたしはあの子を救うことを躊躇している―――?」

  べき!ぼこ!!

  蛇の獣人のようになっていた身体が、徐々に人間の姿へと戻っていく。尻尾は、身体に吸収され、鱗もするすると消えていく。そして肌色の皮膚が全身を覆ったとき、私は人間の肉体を取り戻したのだ。

  ぐっ!ぐっ!

  皮膚がめくれてしまわないか、手を開いたり閉じたりして確認しながら、私は考える。

  「……考えても無駄だ。」

  そう結論付けた私は、ぱん!ぱん!と両手で顔を叩き、気合を入れ直した。

  いそいそと脱ぎ捨てた服を身に着けていき、またあどけない少女―――『カスミ』としての姿を取り戻すと―――『マルノ』と名乗った少女のもとへと、パタパタと駆け出していく。

  「おまたせー!!マルノちゃん?ごめんね。寒い中湖に入れとか、どうかしてるよね?」

  両手を合わせてヘコヘコと

  頭を下げるカスミ。

  「ううん。わたしも楽しませてもらったし、全然平気だよ。」

  マルノちゃんはにっこりと笑ってそう言った。なんていい子なんだろう!私は心底そう思った。

  「そう言ってくれると助かるよ〜?」

  まただ。なぜかこの少女の前では、『なんていい子なんだろう』と訳のわからない感情が生まれてくる。他の少女を『救った』ときは、このような感情など微塵も感じなかったのに……。

  この世界での『いい子』とは何か?

  5人の少女の中で、唯一残されたことか?

  しっかりと自分の意見を持ち、結果として『濃硫酸の湖』に入らなかったことか?

  何と言っても、肯定するところか?

  それとも……まさか……。

  (私みたいに…新しい『蛇』になろうとしてるとか?)

  ぞくり…!!

  カスミは背中に寒気を覚える。決して変温動物になってしまったからではない。彼女―――いや、彼女の『裏側』に―――なにか得体のしれないものがいるような―――?

  「どうかした?カスミちゃん。……すっごい汗!!」

  じゅうっ!!

  「!!あつっ!!」

  変温動物である『蛇』は、温度差のありすぎるヒトの体温にすぐには対応出来ない。まるで焼け火箸を押し付けられたような痛みに、カスミは顔をしかめる。

  「大丈夫!?」

  マルノはそう言うと、自身のポケットからハンカチを取り出し、カスミの額から流れる汗をぬぐう。

  (あぁ……この娘もか……)

  それは、かつて『蛇』が人間を丸呑みにしていたときに見た……あの表情だった。

  やがて、カスミは知ることになる。

  この少女たちが、どのような思いでこの世界に迷い込んできたのか?そして、このとき外の世界はどうなっていたのか。

  この世界での1ヶ月が、外の世界ではどれぐらいの時間が経っていたか…

  先代の『蛇』と同じくトラップによって串刺しにされ、そして『蛇』の力を、カスミから、この世界から持ち出すことに成功したマルノは…やがて元の世界すべてを丸呑みにしてしまう、『災厄』となることを。

  ―――――なぁ、そなたよ。

  声はマルノに問いかける。

  「なに?またあんた?」

  ―――――まぁそう言うな。黙って聞いてくれ。目の前の『蛇』の悪行から、そなたを護りきったとき、そなたはわたしを信じてくれるだろうか?

  「そ、そりゃあさっき、護って…くれたしね?わたしだって、さすがに命の恩人は、信じるわよ。」

  ――そうか。その言葉……覚えていてくれ。

  声は寂しげに言う。

  それすらも演技で。

  マルノにやがて、この先行わせるのは…『蛇』の力によって、元の世界を崩壊させることだと言うことを伏せて。

  ―――マルノミスト。

  いい響きだと、思わんかね?

  フェミニストやデュエリスト、サイクリストのように、突然現れては、世界を圧巻する。そして、よくわからないまま、間違った意味だけが、世界へとまん延していく。誰かが作ったような造語。しかしそれは確かに過去に存在する。わたしは、それをこの現代に作り上げ、『崩壊』というカタチで世界を圧巻するのだ。

  「何いってんの?あんた」

  マルノが答えると

  「あー!また独り言言ってるー!マルノちゃん。ひょっとして、元の世界では…友達、いなかったり?」

  カスミがからかうように笑う。

  「あ……いや!これはその……」

  マルノは口をあわあわさせる。

  「あぁー!いいんですよ、いいんですよ?わたしは気にしませんからねー?」

  カスミはニコニコしながら言う。

  『蛇』として呑み込むのではなく、なぜかすべてを肯定させてしまう、その存在に――――

  それ自体が、『マルノ』という名もなき少女に施された、いにしえの呪術だと言うことも、知らずに――――。