居場所

  「おはよう」

  この声で目を開けると最近見慣れた人族の顔。

  「おはよう・・・」

  「もう朝だぞ!」

  「もう起きるよ」

  そう言うと上体を起こして伸びをする。

  俺の名前は桜田 満(さくらだ みつる)十六歳。白地に黒縞の虎獣人だ。

  さっきの奴は人間族の高畑 卓(たかはた すぐる)で俺は『タク』と呼んでいる。背はオレと同じ165cmだが、89kgの俺に対して56kgとお手頃な数字・・・羨ましい限りだ。こいつとはここに来てからの仲だ。何も知らない不慣れな地でのあれこれを教わった。

  ここはどこの病院だったか、精神病棟のB棟男性専用の棟だ。他にもA棟があり、そこは結構な人がいるらしいが、これはタクから聞いた話だ。自分で見たわけではない。

  俺はここの入院患者としてこのB棟に二か月ぐらい前に入った。

  そして『精神病』という肩書を付けられた。

  

  今の季節は春と夏の微妙な境目にある五月の丁度真中あたり。

  ここに入った切っ掛けは簡単。傷害事件を起こして警察側の精神鑑定を受けたところ、その検査に引っかかった。そして、流れるようにここに連れてこられた。

  傷害事件といっても殴っただけだ。

  俺が殴ったのは、何とも自分勝手でこっちの事を考えもしない発言ばかりする奴だった。偶然俺はクラスの虐められっ子を虐める場面に出くわし、そいつを殴り飛ばしたのだ。

  『助けたかった』

  ただそれだけ。そして、殴りあいと発展。でも、それだけならまだ喧嘩ですんだだろう。

  そいつは次の日、俺自身に喧嘩を吹っ掛けてきた。子分も添えて・・・

  喧嘩が得意じゃない自分はボコボコに成りながらもなんとか返り討ちにしたが、それが巡回中の警察官に見つかったのが運の尽きだった。警察と学校側の取り調べは俺の不利な状況で終わった。

  なんせやり過ぎたのだ。その時の自分は頭が真っ白で殴ることに夢中になっていた。今でもその時の事を思い出すと寒気が走る。

  ここに入ることを警察の精神鑑定士に勧められ両親は猛反発したが、警察からと世間の視線には耐えられずここに入れるのを了承した。

  すまない気持ちでいっぱいだが自分は自分の行動に非があるようには思えない。その考えはこの病院に入った今でも変わらない。こんなことが起きなければ、新しい高校生活の勉強・部活に時間を費やして楽しく過ごしていたのに・・・

  「朝飯食おうぜ」

  「すぐ行く」

  タクの言葉にそう答えるとタクは部屋を出ていく。

  俺はパジャマを脱ぎ捨て、洋服箪笥から黒のジーパンと白のTシャツを出してそれに着替える。部屋を出ると近くの手洗い場に行き、そこで軽く寝癖を直すと食堂に向かう。食堂は一階で、俺の部屋は二階にあるためわざわざ階段を降りる。なんでこんな構造にしたのか疑問だ。

  食堂には人がそんなにはいなかった。壁にある時計を見ると時刻は九時を回り、もうほとんどの人が食事を済ませたらしい。

  満は卓を見つけるとそのテーブルに向かう。テーブルにはすでに料理が置かれ香ばしい匂いが遠くからでも感じられる。その料理を前に卓は満に「早く!!」と言わんばかりの視線を投げかける。満は笑いをこらえながら席につき食事を始める。

  朝食はいたってシンプルで、レタスの上に目玉焼き、その横に二本のウィンナーと小さいパンが二つに野菜ジュースと洋風の朝食だ。ここでの朝食は質素なものだが味は悪くない。

  「やぁおはよう、お二人さん」

  朝食を終えると後ろから声を掛けられる。後ろを振り返ると、白と黒のパンダ獣人がこっちに手を振りながら歩み寄ってくる。

  この人は三月 幸田(みつき こうた)さん。今年で29歳とこのB棟では一番の年長者だ。良く相談に乗ってくれるし親切で気のいい人だ。年が離れている割にはすごく話が合う。

  そうして、三月さんが加わった俺ら三人は他愛もない話で盛り上がる。

  こうして今日一日の始まりを迎える。

  

  

  「こんにちは、気分はどうだい?」

  「悪くないです」

  そう椅子に座るずんぐりとしたゴールデンレトリバーに、俺は答える。

  このゴールデンレトリバーは俺の担当医の金山 利次(かなやま としつぐ)。金色の毛のレトリバー種の犬獣人で金山の苗字に相応しい大きな体で小さく細い目が特徴だ。利次と頭が良さそうな名前だが失礼ながらそうは見えない。いわゆる『名前負け』というやつだろう。あと先生にはさらに失礼だが全然医者のオーラが感じられない。

  実は最初に会った時、金山先生が医者だとは思わなくてずっと黙っていたことがある。俺が先生と気づいたのは胸のネームプレートを見つけてようやく気付いたのだ。俺が先生と知って、先生だとわからず黙っていたことを謝ると、先生は「よく間違えられる」と言ったが、すごく落ち込んでいた。尻尾は元気なく垂れ下がり、目がウルウルしていたのは見なかったことにしているが正直悪いことした。きっと他の人にも間違えられていたに違いない。

  こんなにデカイ人が先生とはこちらの方はすごく怖い。しかし、そんな出来事があったからか先生には好意を持てる。今では緊張することなく面談をすることができる。

  先生との面談は週に二回の一時間。

  「最近、この環境に馴れたみたいだけどどんな感じ?」

  「楽しいです。タクや三月さんと話したり、先生とこうして話すのも楽しいですよ」

  「僕との会話が楽しいのかは置いといて、他の人とは仲良くやっているようだね。ここにいてなんか不安に感じたりイラついたりしたことはない?」

  俺は質問をなんなく答えていく。

  ・ ・ ・

  一時間後

  「じゃぁ今日はこのあたりでやめましょうか」

  「はい・・・先生」

  先生を見るとちょうど目が合う。

  「俺はいつ頃ここから出られるんですか?」

  ここでの生活は確かに楽しい。だけど俺は早く出たい。

  「出られるかどうかはまだ解らないよ。出られるにしても病院からのOKも必要だからね」

  俺は静かに舌打ちをする。これを聞いたのは二回目。最初の面談と今回で二回。聞いたところで返答が変わらないのは分っていた。別に聞いたわけでも知っていたわけでもない。

  ただ、なんとなくだ。

  「わかりました」

  「ハーイ、またねー」

  

  

  「さぁどうしようか?」

  今は食堂。タクと一緒に昼飯を食べている。面談が終わり他の人と一緒にテレビを見て過ごして今に至る。

  「なにがだ?」

  返ってくる答えは知っている。

  「この後の予定だよ」

  ほら来た。昼になるとこいつは必ずこれを言う。確かに退屈ではあるが毎日言うのは勘弁してもらいたい。

  「俺は昼飯食べ終わったら図書館に行く。」

  「えーまたかよ。少しは外に出ない?一週間に一回の外出なのに・・・」

  「出ない」

  外に出ても面白い事はなにもない。

  俺はそう言うと味噌汁とご飯を同時に口に含む。これは俺流の食べ方で、ご飯と味噌汁が良い具合に混ざっておいしいのだ。残念なことにこれはあまり共感の得られない技だ。個人的にこの食べ方はおいしい。特にここの味噌汁の味は絶品で食が進む。そのせいなのかはわからないが、最近洋服がきつくなったのは内緒だ。

  「そう言えば知ってる?今日誰かがここに来るらしいよ」

  「そうなのか・・・」

  そんな事を聞き流しながらご飯を食べることに集中する。

  新しい入居者・・・どんな人だろう。

  

  

  「ここが、これからあなたが住む場所よ」

  俺が図書館から帰ってくると、B棟の玄関に猫獣人の女の人と小柄な熊獣人がB棟の職員と話をしているのを見つけた。どうやらあの熊獣人が新しい入居者の様だ。

  その熊獣人は小柄過ぎて外見では性別がわからないが顔立ちから見て男だろう。白いTシャツに真新しい青のジーンズ。Tシャツの上に赤と青のチェックが入ったシャツを着ているが、サイズが合ってないのか半袖にも関わらず袖が肘まであり下は太ももあたりまである。もう少しまともな洋服はなかったのか?

  満は本を片手にその二人に近づくと職員がこっちに気づく。満は小さく会釈を交わすと改めて熊獣人を見る。しかし、さっきから顔を上げずに床ばかり見ている。

  俺が見ているのに気づいたのか職員が話始める。

  「満君、この子は今日からここに住むことになった川崎 圭介(かわさき けいすけ)君だよ。初めてだからいろいろと教えてあげてね」

  そんな話をしていても依然と顔を上げない川崎。強情だなぁ

  「俺、桜田 満。よろしくな!」

  握手を求めて右手を差し出してみたが握手は出来ず、代わりに顔を少し背けられてしまった。

  「じゃぁ部屋を案内しましょう」

  そう職員の人が誘導すると猫と熊は階段へと消える。

  少しぐらい反応示してくれてもいいのに。

  怒りが湧くが、そこは理性で何とか抑えていく。よくよく考えてみれば辛いことがあってここに来たのだからこんな反応が起きても不思議はない。それにすぐに感情的になるがためにここに入れられたのだ。

  

  

  適応障害、俺はそう診断された。

  適応障害とは、日常の中の個人的重大事件(たとえば進学・就職・結婚・離婚・失業に死別といった出来事)にうまく対処できず、社会生活を続けられないといった支障が出ること。(ストレスの原因が明らかに出来る場合のみ適応障害と診断される。)

  症状として行動に障害が出やすいようで、暴走・暴力・破壊などの行動をとるようだ。まさしく俺がとった行動に沿った診断というわけだ。

  ストレスの原因とは大方、高校受験と中学の卒業だろうか。受験は確かに厳しかったが、卒業にはストレスどころか嬉しくも感じた。その原因の半分以上があのいじめっ子といじめられっ子の二人組のせいだ。

  どうゆうわけかあの二人は知り合いだった。中学は知り合いがいない、皆どんな人も初めての人ばかりなのに二人だけは違った。それは俺のクラスの中だけだったのかもしれない。そうでないのかもしれない。しかし、確実に二人は仲がいいとは言えなかった。二人の間だけ不仲だったものがいつの間にかクラス全体に浸透し、そして学年にも馴染みだした。三年に上がって気が付けばそれが日常に染み込んでいた。俺は一年から三年までその二人とずっと一緒のクラスでその姿を見続けてきた。

  助けるべきだったのかもしれない・・・しかし、『巻き込まれたら』『標的が自分になったら』と考えているうちにいつの間にか学校では表情と態度を作りあげ、自分の心を表に出さず周りと同じ反応をするロボットのような存在に成り下がっていた。歪んだ学校生活で、家に帰ればため息が出ない日はなかった。

  『今日も何も起きなかった・・・』

  自分の部屋に着けばそう溜息をつきながら思うのだ。安堵の溜息か、疲労からくる溜息かは今もわからない。

  どうしようもない。そう考えて三年間を過ごしてきた。

  仕方がない・・・担任さえ手が出せなかったのだから。

  気が付くと自分の部屋の前に立っていた。俺は過去を振り払うように首を振ると中に入って後ろ手にドアを閉める。昔は昔だ。

  俺はベッドに座ると図書館で借りた本を読む。

  ゴソゴソ...

  隣の部屋から小さく物音がする。俺の部屋は角部屋で、右の壁は他の部屋とは異なり窓がある。物音が聞こえたのはもちろん反対の左隣の部屋。しかし、今は誰も居ない筈・・・

  コンコン...

  「はい?」

  「入るよ~」

  入ってきたのはタクだ。

  「隣に新人さんが入ったみたいだね。もう会った?」

  「あぁ玄関のところで・・・」

  音の正体は川崎だったのか。

  「そっかぁ僕まだ会ってないんだ、だから一緒に来てよ」

  「なんで!!」

  「心細いし、二人の方が何かと便利でしょ?」

  まぁ行ってやらなくはないか・・・何が便利なのか分からないが。

  「しゃぁない、ホラ行くぞ」

  俺とタクは隣の部屋の前に行き、俺はドアをノックしてみる。返事は無い。

  「いないのかなぁ?」

  「そんなはずは・・・」

  すると、静かにドアが開き熊人の顔が現れる。俺と一瞬目が合うがすぐに逸れて、顔を伏せてしまった。

  「こんにちは!僕、高畑 卓。タクって呼んでね。よろしく」

  簡単に自己紹介をすると、手を差し伸べるタクだがその手を握られることはなく空に浮いたままだった。

  「まぁ今後ともよろしくね」

  苦笑いしながらも手を収める。

  「俺は玄関でも言ったけど、桜田 満だ。隣の部屋に居るから何かあったら来てくれて構わないからな」

  俺がそう言うとコクリと頷く。するとドアを閉められてしまった。

  「何だよ。挨拶に来たのに随分と素気ないな」

  「きっとなにかあんだろ・・・」

  なんだか引っかかるものを感じる。それを無視して俺達は部屋の前を離れた。

  

  

  夜・・・

  コンコン、カチャ・・・

  「まだ起きてたの?早く寝てくださいよ」

  「はい、わかりました」

  そう見回りの職員に言われるとベッドサイドのスタンドを消す。

  今のは夜の見回りだ。深夜の十二時~二時まで見回りが行われる。それ以降はその階の受付に二人の職員がいる。最初はなぜするのか分からなかった。金山先生に聞いたところ『事故』防止のためだそうだ。過去になにかあったのだろう。そこまでは聞かなかったものの安易に想像できる。

  俺は机にさっきまで読んでいた本を置くと布団に入る。壁の時計を見ると既に一時を回っていた。さすがに夜更かしが過ぎた。寝ようと思い布団に入ると音が聞こえる。耳を立て、神経を耳に集中させると外からだと気付く。俺は格子の嵌められた窓に近づくと静かに窓を開ける。声は隣の部屋からで、格子の間から顔を少し出して見てみると音の主は川崎だ。

  彼は泣いていた。

  何があったのか知らない。でも辛い事があったのだろう。今の俺にはどうすることも出来ない。そう、関係ない事だ。

  満は静かに窓を閉めると床についた。

  「・・・」

  ・・・が、眠れない。あの子が気になる。窓からはまだ嗚咽ではない鼻をすする音が聞こえる。話掛けてみようか?

  「なぁ・・・あの、大丈夫か?」

  俺がそう話掛けると熊の少年はこっちを向く。すると小さく首を縦に振る。

  「あの・・・眠れないならこっちに来いよ。俺、まだ眠れそうもないから」

  そう言うと熊の少年は部屋に戻ってしまった。慣れ慣れしかったかな。

  コンコン

  見回り?でも、ドアは沈黙を保っている。見回りなら勝手に開けるのに・・・まさか。

  ドアを開けると熊の少年がドアの前に立っていた。来てくれたのか・・・

  「どうぞ、入って」

  そう言うと熊の少年は静かに部屋に入る。

  「なにか飲む?まぁ水しかないけど・・・」

  首を横に振る。無言のままこっちを見る。そんなに見つめられても困る・・・

  「あの、なんで泣いてたの?」

  聞いてみるが顔を伏せてしまった。え、泣いちゃう!?

  「あぁごめん。辛いことなんだよな!言わなくていいよ。あぁ、じゃぁ名前は、って知ってるしなぁ」

  どうしよう。噛みまくってる上に何がしたいのかわからなくなってきた。これじゃ変な人になってしまう。

  満が狼狽える姿を見て川崎は少し笑った。それが満の、川崎が初めて笑った顔を見た瞬間だった。満も釣られて顔を赤くしながら笑う。

  「よかった、笑ってくれて。ずっと悲しい顔のままなのかと思った。笑った方が得するぜ」

  俺がそう言うと、顔をこっちに向けて頷いた。

  「お前なにかしたいことないか?ゲームなら少し持ってるぞ。と言ってもオセロと将棋だけど」

  顔を横に振る。そう言えばこいつの声を聞いたことが無い。

  「川崎に何があったのかわからない。でも、励ますぐらいなら出来ると思う。言いたいことがあれば聞くよ?」

  急に川崎に答える質問を出してみる。川崎は困ったような表情で周りを見て、なにか探しているようだ。すると川崎は掌に何かを書くような仕草をする。もしかして

  「まさか、喋れない?」

  川崎はゆっくりと頭を縦に振る。そうだったのか、悪い質問しちまった。俺は鞄からノートと筆箱を出して川崎に渡す。川崎はしっかりとした字を白紙のページに書いていく。

  〔喋れなくて ミサキ先生からホワイトボードを渡してくれるらしい でも明日になった〕

  そう紙には書いてある。そうかじゃぁしばらくは筆談だな。

  「うーん、そうか。じゃぁ言葉が要らなそうな遊びがいいなぁ~

  戸崎はオセロと将棋どっちがいい?」

  俺がそう言うとペンを走らせる。

  〔今日はもう寝るよ ありがとう〕

  「もう寝るのか?そうか無理なこと言って悪かった」

  首を横に振るとドアに向かう。俺は川崎をドアまで見送りドアを開ける。

  〔また来てもいいですか?〕

  「あぁいつでも来いよ。大抵は暇だからよ。それと、敬語じゃなくていいぞ」

  〔これ ありがとう〕

  そう言って俺のノートとペンを返してもらう。別に返してくれなくてもいいのに。

  そう思いながら川崎からノートとペンを受け取る。川崎は俺にお辞儀をすると自分の部屋に帰っていった。

  川崎が帰って俺はベッドに入る。なんだか話せたことで距離が短くなったような気がする。

  

  

  パチッ

  「お前の番だよ」

  スッ・・・

  〔王手〕

  静かに俺の飛車を桂馬で奪い去ると俺に王手をかける。

  「はぁ?タンマ!!」

  今、川崎と将棋を指しているところなのだが強い。やり方を教えたのは俺なのに全然勝てない。そして、王手をかけられてはタンマを使う。飛車が桂馬で取られてたまるか!

  〔タンマ無しじゃないの?〕

  「無理!三手戻っていい?」

  〔覚えてないよ 一手までなら〕

  一手でどうしろと?こいつと将棋をして勝てた回数は指で数えられる程度だろう。どうしたものか・・・

  川崎と会って一週間・・・

  毎日会って毎日遊んでる。気が合うのか一緒にいて退屈しない。

  あれから川崎はタクとも仲良くなったし、ホワイトボードも来たから紙の心配はない。ペンのインクの問題はあるが不便さはなんとか解決した。

  筆談だが話していて楽しい。昔のことや自分のことについては語らないが、それは仕方がないこと。ここにいる人はそれなりの『理由』があるからだ。それを無理に聞こうとは思わない。それはここでの暗黙の了解だ。

  「あれ、また負けたの?」

  そうタクが言うがこいつも勝てたためしはない。大きなお世話だ。

  「うるさいな・・・・」

  <困ります!お帰り下さい!!>

  いきなり部屋の外から大声が聞こえてきた。声の方へ行ってみると、職員と一人の男が言い争いをしていた。帽子を被っていたが茶色い獣毛が見えるから獣人で、声から男だと推測できる。

  「そこを頼みますよ!あいつが勝手にやらかしたことなんですから」

  「そうは言われましても、無理なものは無理です。お引き取りください」

  暫くそのやり取りを見ていると、傍らに川崎が来ていた。どうしたの?と書いたホワイトボードを俺に見せる。

  「わかんね。誰かに会おうとしてるのは間違いない」

  すると、帽子の男がこっちを向く。帽子で暗い目元がこっちを向く・・・正直怖い。

  男はこっちに近づき川崎の腕を掴む。

  「圭介!探したぞ。さぁ一緒に帰ろう。こんなところから出て一緒に暮らそう」

  「あの~どちら様ですか?」

  俺が訪ねても見向きもせずに川崎に言いよる。川崎はさっきから嫌そうに首を振っている。少なくとも、二人の間柄は良いとは言い難い。

  「川崎さん。この騒ぎはなんですか!」

  そう言うのは、この間川崎がここに来た時傍らにいた猫獣人の人だった。何やら複雑な話のようだ。二人が言い争っている間に、俺は川崎の手を引いて部屋に逃げ込む。後ろから怒鳴り声がするが関係ない。俺は自分の部屋に入るとドアを押さえるようにドアにもたれ掛かる。

  「大丈夫か?」

  尋ねる俺に首を縦に振る川崎。今気づいたが川崎の顔が少し青い。知り合いだろうか?でも野暮な事は聞けない。どうしたものか・・・

  コンコン・・・

  ドアがノックされ、開けてみるとさっきの猫獣人が立っていた。逃げた際に落としたのか、脇に川崎のホワイトボードを持っていた。

  「圭介君、居るかな?」

  そう言われ、中の川崎を呼ぶが反応は無い。

  「ごめんなさい、二人で話してもいいかしら」

  「はぁ・・・」

  そう言われて部屋を出る。自分の部屋なのに他人が居座るのはなんだか変な感じ・・・

  しょうがないのでタクと食堂で話して時間を潰した。

  俺が部屋に戻ると川崎と猫人は既におらず、川崎の部屋のドアをノックしても返事は返ってこなかった。無理矢理開けるのも気が引けるので自分の部屋に戻った。

  気にはなるがどうしようもない・・・

  

  

  夜

  俺が寝ようとした時、ドアにノックがされる。どうぞ、と答えると職員の人が顔を見せる。見回りか。

  「見回りですよ」

  「はぁ・・・」

  「・・・」

  「あのー なにか?」

  係員の人がこっちと廊下をチラチラ見る。なにかあるのかな?

  「圭介君がドアの前に立ってるんだけど、どうする?なにか用があるみたいだけど・・・」

  「え?」

  急いでドアの外を見ると川崎がドアの後ろに隠れていた。ホワイトボードを抱えて立っていた。

  「・・・」

  「どうした、入らないのか?」

  「・・・」

  黙ったまま立つ川崎に声を掛けるが依然として立ったままだ。どうしようもないが立ち話もなんなので、取り敢えず部屋に入るよう促すと素直に入った。部屋には入ったものの人形のようにただただ立っていた。どうした?

  「何かあったのか?」

  そう言うと、川崎はこっちを見上げる。身長が低い川崎は見あげる形でこっちをみるが、なにかあったのは明らかだ。暗い部屋で窓からの月明かりは、俺達のお互いの顔を照らす。川崎はなぜか元気が無い。

  「どうし・・・」

  俺が声を掛けようとすると目に涙を浮かべ俺に抱きついてきた。どうしたんだ?

  混乱しながらも俺は川崎をベッドに座らせ、自分もベッドに座る。不器用ながらも背中を擦ってやるが、目から零れる涙はなかなか止まらなかった。ちょっと肩を寄せてやると、向こうも俺に寄り掛かる。

  「・・・」

  川崎が泣いているのを見ていると、なにか別の衝動を覚える。他人が泣いているのはこんなにも嫌なものか・・・なぜかひどく悲しい気持ちになった。

  暫くそんな状態が続いたがなんとか泣きやんだ。

  「落ち着いたか?」

  震える手でホワイトボードに大丈夫と書く。

  「どうかしたのか?」

  もう一度同じ事を聞いてみる。今度は泣かずにホワイトボードに書いていく。

  〔ここを出るかもしれない〕

  「え、急な話だな。でも、家に帰れるんだろ?ならいいじゃないか。」

  そう言うが首を横に振る。

  〔戻りたくない〕

  「それまたなんで?家が嫌いなのか?」

  〔嫌い〕

  即答されたが、そうハッキリと答えられても困る。

  「それなら帰らなければいいじゃないか。例えば他の身内に引き取ってもらうとか。」

  〔お父さん お母さんしかいない〕

  まずい事を言った。でも、なんで家が嫌いなんだ?

  「言いたくなかったら言わなくていいけど、なんで家が嫌いなんだ?」

  「・・・」

  言いたくないのか、俯いて黙っている。またもや地雷を踏んだようだ。

  〔怖いの〕

  静かに走らせるペンは戸惑いを見せるが、しっかりとした文字で書き綴る。

  〔お父さんとお母さん 仲が悪くて僕がここに入る前に離婚した

  その後 いらない子だって 刺された〕

  「!!」

  地雷以上の爆弾を踏んだようだ。穏やかではないと思っていたが、親に刺されたのは俄かに信じがたい事態だ。何があってそんな事態に陥ったのだろうか・・・

  そう思って一つのニュースが脳裏に浮かぶ。

  「お前のかぁさんは犬獣人か?」

  頷く。やはり・・・

  親子殺傷事件・・・タイトルが生々しく、俺と同い年だから記憶に残っている。

  テレビで見た限りでは、親が子供の存在に飽き飽きして殺人未遂を犯した。

  が事件の流れだが、どうやらそこまで単純な話でもないみたいだ。その子供が腹を刺されたものの、比較的軽傷で済んだらしいが・・・親が犬獣人なのは新聞やテレビで顔が出て、名前も出ていたから知っている。今思えばその人も川崎だった。

  それじゃぁかなり辛いだろう。育ての親に「いらない子」などと言われ挙句殺されかかる。悪夢のような出来事。

  川崎に目を戻すと、なんで知っているのか不思議そうな眼をしている。ニュースになったことは言わないでおこう。

  「そうか、辛かったな」

  そう言うと、頭一つ分低い戸崎の頭を撫でてやる。一瞬ビクッとするがされるがままになる。

  俺はこいつになにが出来るのだろうか?

  慰める?

  励ます?

  頭が悪いのはこんなところに響くんだな。なんて言っていいのかわからない。

  こいつのこんなに悲しい顔は見たくない。笑ってほしい・・・

  「あぁ・・・ほら嫌になったら俺のところに来いよ。いつここを出れるかわからないが、それまでは確実にここに居るからよ!

  だから・・・その、いつでも守ってやるよ!だからそんなに塞ぎ込むなよ」

  川崎はこっちを見る。目には涙を浮かべるものの顔は笑っている。

  恥ずかしい言葉だったけど言った価値はあった。

  〔ありがとう〕

  「どういたしまして。もう泣くなよ?」

  〔こんなの久し振りで ごめん〕

  「そうか・・・」

  〔もう一回 やってもらっていい?頭撫でてもらうの〕

  そう言われ、また撫でてやる。川崎は眼を細め、小さい丸い尻尾をピコピコ動かしている。そんなにうれしいのか・・・肩に寄り掛かる川崎は眠たそうだ。

  「川崎?眠たいのか?」

  〔大丈夫〕

  沈黙が部屋を支配するが心地よい沈黙・・・

  〔この前から言おうと思ったんだけど〕

  「?」

  〔川崎って呼ぶのやめない? かたくるしい〕

  「なんて呼べばいい?」

  〔けいすけ〕

  でもまさか今、呼び名について指摘を受けるとは思わなかった。

  「そうゆうのは早めに言おうな・・・」

  でも、なんだかおかしくて夜なのに二人で暫く笑っていた。

  その日の月明かりは寝付くまで二人を照らし続けた。

  

  

  「ほわ~」

  間抜けた欠伸を出して俺は伸びをする。カーテンを閉め忘れて、太陽の光が問答無用に俺を照らす。寝起きの目には少し痛い光が部屋を照らしていた。ベッドを見ると圭介が気持ちよさそうに寝ていた。起こすのも気が引ける。

  時計を見ると十時を回っていた。こんなに遅くに起きるのは久しぶりだ。いつもはタクが起こしてくれるため遅くても九時には起こしてくれる。それが今日は無かった。

  疑問を覚えながら服を着替え、俺は取り敢えず食堂に行くことにした。

  

  食堂はちらほら人がいるが、朝ごはんは終わってしまったようだ。

  起床時間は決まっていないのに、朝ごはんの時間が決まっているのはここに入った時から納得がいかない。しょうがない昼まで待つとするか・・・

  近くのテーブルに着き、食堂にある水をコップに注いで飲む。

  「おはよー」

  一息付いていると、タクが俺の席の向かい側に座る。なぜか顔がニコニコしている。

  「おはよ。

  なんだ、朝からニコニコしちゃって・・・なんかあったのか?」

  「ムフフ・・・知りたい?」

  気持ち悪いぐらいに笑みを浮かべるタクは、明らかに俺を見て言っている。後ろに何かいるのかと思って後ろを見るが特にそれといった人はいない。

  「何だよ?全然わかんねぇよ」

  「いつの間に川崎君と抱き合って寝る仲になったの?」

  「えーーー」

  お、俺抱き合って寝てたのか・・・でもなんで知ってるんだよ。

  「抱き合ってたのか!?それと何で知ってるんだ!?」

  「何って、起こそうと思ったら仲良く抱き合って寝てるじゃないですか!僕はそんな幸せな場を壊す野暮な人じゃないからさ」

  なんか全体的に酷い勘違いをしているようだ。

  「なにか勘違いしてないか?ただ一緒に寝ただけだぞ」

  「まぁまぁ隠さないでいいから!でもなぁレアなカップルだよね、俺応援するから!!」

  「オイ、勝手に決めるなよ。ただ・・・」

  「恥ずかしがり屋さんめ☆」

  「恥ずかしがってない!」

  全く、人の部屋に勝手に入って勝手に勘違いするなんて困ったものだ。

  〔どうしたの?〕

  「おおっと!フィアンセのお出ましか・・・」

  〔?〕

  「気にするな!」

  タクの口を塞ぎながら圭介にそう答える。圭介は不思議そうな顔をしているが深くは聞いてこなかった。

  

  

  それから一週間後、圭介は父親と一緒に病院を去った。短い間だったが、かなり寂しかった。でも、圭介とは会えないわけじゃない。きっと、いい生活が待っているはずだ。

  しかし、この考えは大きく裏切られることになる。

  

  

  

  一ヶ月後

  「お前の番だぞ」

  「むぅ・・・」

  圭介と別れて既に一ヶ月。寂しいけどそれなりに生活しているだろう。あいつが笑って暮らせているならそれでいい。

  将棋の盤に目を戻すが全然変わっていない。タクはさっきから固まったままだ。もう少し時間がかかるかな・・・

  「満くんに卓くん」

  「はい?」

  横から名前を呼ばれ声の方を見ると三月さんがいた。右手に缶コーヒー。左手に雑誌を持ってやってきた三月さんは、一口コーヒーを啜ると近くの椅子に座る。

  「こんにちは。対局中悪いけど、満くん。さっき係りの人が君を探していたよ」

  「へ?なんでだろう・・・」

  「わからない。取り敢えず近くに居る係りの人に聞いてみたら?」

  突然の呼び出しに不安になるが行かないわけにはいかない。

  三月さんに礼を言って、タクに席を外す旨を伝えると俺を探す職員を探す。その職員の人はすぐに見つかった。

  「どうしたんですか?」

  「あぁ君に会いたいって人が来てるよ」

  「誰ですか?」

  近くの時計を見ると十二時を少し回っていた。

  両親のどっちかだろうか?可能性としては母親の方が強い。父さんは仕事だし・・・

  「川崎 圭介って人だよ」

  「え、なんで!!」

  今更ここに来るなんて・・・ここに来てもしょうがないのに。それに今の時間は学校じゃないのか?

  別の意味の不安がよぎる。

  「取り敢えず玄関横の面談室に居てもらっているけど、会うかい?」

  「はい!」

  何かあったのだろうか?不安で堪らなくなり背中がムズムズする。

  

  ムズムズを気にしながらも面談室のドアの前に着く。

  職員さんがどうぞと言って、ドアを開けてくれる。部屋のソファーに圭介がこじんまりと座っていた。近くに行くと圭介と目が合うが、頬のあたりが不自然に盛り上がっている。

  「どうしたんだ?何かあったのか?」

  「・・・」

  黙ったままだ。

  初めに会った時もこうだった。何かあったに違いない。

  「圭介、どうした?」

  そう言って、圭介の横に座ると圭介が泣いているのを知った。少し硬めの獣毛を濡らしながら涙を流す。

  「ちょっと!どうしたんだよ」

  「・・・」

  そう言えばこいつ、何でホワイトボード持ってないんだ?

  「おい、ホワイトボードはどうしたんだ?」

  顔を背ける。どうしようかねぇ・・・

  「そうだ。外歩かないか?天気もいい日に部屋で話すのもなんだろ?

  どうだ、行かないか?」

  聞かれたくないことを聞き過ぎたようだ。泣いてる姿を見たく無いがために話を逸らす。圭介は頷いたが依然として暗い。どうすればいいのか・・・

  取り敢えず俺は職員の人に言って外出の許可をもらう。

  

  外は夏が過ぎてもまだ暑かった。病棟内はクーラーの効いた環境なだけに外の環境は辛い。

  外に出るとゼェゼェ言う自分が情けない。体中から汗が出る。

  「あ、暑い・・・圭介、暑くないか?」

  圭介の方はそこまで苦しくなさそうだ。どうなってるんだ?

  「どんな体の作りしてるんだか・・・」

  圭介はこっちに背を向け、鞄を漁るとノートを取り出す。サラサラとペンを動かすとノートを俺に見せる。

  〔大丈夫? 中に戻ろうか?〕

  「いや、大丈夫だ・・・それに外もそんなに悪くない」

  そう言うと、二人は木陰になっているベンチを見つけそこに座る。

  日影がこんなにありがたく感じるなんて久しぶりだ。

  「んで、今日はどうして来たんだ?」

  〔ダメだった?〕

  「そんなことない!ただ、何で来たんだろうなって思って・・・」

  〔久しぶりに会いたいって思ったから〕

  それを読むと顔が赤く感じる。よくこんな言葉書けるなぁ

  「そ、そうか。ありがとな」

  沈黙が俺達の間に流れる。

  話す言葉が無い。聞きたい事はあるが圭介が言わないのなら無理に聞く必要はない。外出時間の一時間ギリギリまで二人は外のベンチで座りながら会話をしては空を見上げた。

  太陽の光がさんさんと降り注ぐのを眺めながら、二人はベンチになんの会話も無く座っていた。

  

  「えぇー ケイスケ来てたの!?なんで教えてくれなかったの?」

  「お前に話してもうわの空だったじゃないか!それに圭介は俺に会いに来たの」

  「ったく・・・んで、何話したの?元気そうだった?」

  「いや、大した話は・・・元気そうだった、って言われると・・・」

  タクは夕飯後に俺の部屋に来ていた。それで夕方の事を聞いてきた。事のあらすじを聞くと溜息をつかれてしまった。

  溜息を吐いた卓だが、満の最後の言葉を濁したのが気になった。

  「元気そうじゃなかったのか?」

  「あぁ・・・だから少し聞きづらくて・・・」

  「そうか・・・」

  何も言えない。そんな自分が情けない。

  例え圭介の辛い顔、辛い事を言わせたくない。と考えていても、あいつの心の叫びを聞いてやらないといけなかったのに・・・

  「まぁどうせまた会えるだろ。そんなに気を落とすなよ。何悩んでるのかわかんないけど、そんなに考え込んだって先には進まないよ?じゃぁな!」

  そう言うと、タクは部屋から出て行った。それを見届けるとベッドに横になる。

  あいつの事が頭から離れない。大丈夫なのだろうか・・・

  満は積もる不安を抱えながら眠りについた。

  次会った時の事を考えて・・・

  しかし、満が思うほど遠くない時期にチャンスはやってくるのだった。

  

  

  二週間後の朝

  夏も終わり、段々と寒くなるがまだ残暑が残る九月。

  今日は三月さんが退院する日だ。これまでに相談をしてもらっていたために心細くなる。玄関前に俺とタクは見送りに来ていた。他にも話したことが無い人もいた。どうやら三月さんはいろんな人と交流があったようだ。

  「いろいろとお世話になりました」

  「君たちも頑張るんだよ」

  そう言うと、みんなにお辞儀をして三月さんはここを後にした。俺達は玄関先まで行くとそこで手を振る。

  その後ろ姿をタクと眺めながら言う。

  「淋しくなるな・・・」

  「そうだね。

  さぁ!僕らも頑張ろうか!ここを出るためにさ」

  「あぁ」

  そう言って、戻ろうとするとタクは一般病棟の玄関の方を凝視している。

  「何見てるんだ?」

  「あれ、ケイスケじゃないか?」

  タクが指さす方に目を細めて見ると、確かにそれらしい影が見える。

  どうして病院に?

  「怪我でもしたのかな?」

  「・・・」

  「どうしたの?」

  「俺やっぱり圭介のことすごく気になる」

  「はぁ?」

  この間とは違うハッキリとした不安は行動をさせるには十分だった。

  驚き顔のタクを尻目に俺は一人、脱走の計画を頭の中で練り始める。

  

  そして二日後

  俺の頭をフルに使った計画を練り、単純にかつ成功確率の高い方法を選んだ。

  週一回の外出許可を使って、職員の目が逸れた隙に逃げるものだ。この二日間に職員の監視ルートも把握した。そして時間帯は昼。夜と朝の警備は厳しいが、昼になると少し緩くなる、そこを突く!

  「なぁどうかしたのか?」

  「いや、別に・・・」

  タクには言えない。タクはあともう少しでここを退院になるからだ。退院を前に迷惑は掛けられない。もしかすると退院が先延ばしになるかもしれない。

  「少し頭がボーッとするだけ」

  「眠いんじゃないの?早く寝たら?」

  「あぁ・・・そうするよ。明日は起こさなくてもいいから・・・」

  そう言うと、俺は自分の部屋に戻った。

  明日に備えて・・・

  

  朝、目が覚めるとすぐに着替える。

  時計を見ると午前十一時。少し早く起きてしまったようだ。十二時ぐらいにならないとうまくいかない。

  俺は取り敢えず食堂に行くことにした。いつでも行けるように装備を整え外に出る。

  部屋を出ると部屋の前の窓に背の低い男の子が背伸びをして外を見ている。

  「なぁ、どうかしたのか?」

  「人形が・・・」

  一緒に眺めると確かに人形が下に落ちていた。

  「君のかい?」

  少年は静かに頷く。腕時計を見るとまだ時間には余裕がある。

  「じゃぁ俺が職員の人に言ってやるよ。それでいいか?」

  また頷く。

  俺は少年を残し、玄関近くの職員に話をするべく歩み始める。

  

  玄関ホールの事務所の窓口に着くと男の職員の人が一人で事務の仕事をしていた。

  「あの・・・」

  「はい、何か用ですか」

  少しぶっきらぼうに聞こえる職員の声を無視して話を続け人形を落としたことを告げる。

  「じゃぁすぐ取りに行くね」

  そう言うと、外に出て行ってしまった。そして気が付く。

  今は玄関ホールにも受け付けにも誰もいない。普段は最低でも二人はいるはずの事務所も今は空っぽだ。

  (これはチャンスなんじゃないか?)

  思いがけないチャンスに戸惑いを感じるものの今を逃したらこのチャンスは二度とやってこないだろう。決心をつけると俺は周りを確認して、走って外へ身を投げる。そして、近くの駐車場まで全力疾走して車の陰から様子を窺う。まだ気づいていないようだ。

  それを確認すると、満は平然を装いながら足早に病院を後にした。

  

  病院の近くの駅まではかなり時間がかかってしまった。病院を離れて少々遠い駅前に着くと、辺りを見回しながら本屋を探す。

  地元でないので右も左もわからないまま彷徨う。しばらくしてひとつの大型本屋を見つける。

  どの学校に通うのかは圭介から聞いていた満は、中学生の受験参考書の棚へ行き圭介の言っていた高校の参考書を見つける。その学校の参考書はすぐに見つかり、本を開いて住所を見つける。そしてその住所を周辺地図で確認する。学校は駅からざっと2・30分の所と少し遠い所にあるが、徒歩でも行ける距離だった。

  満は素早くそこの住所を暗記して、本屋の入口前にあるアンケート用紙の裏に今覚えた住所を書き、足早に本屋を立ち去った。

  

  二時間ぐらい迷ってその学校・青院高校を見つけ出す。まだ学校は終わっておらず仕方が無いから近くの自動販売機で缶コーヒーを買う。なけなしのお金で買う缶コーヒーは思ったよりうまく、一気に飲まない様にチビチビとコーヒーを飲む。

  満は学校の校門が見えるところに行くと道路のガードパイプの上に座り、コーヒーを飲む。すると、ふとした疑問が浮かぶ。

  何でこんなことしてるんだろう・・・見捨てようと思えば見捨てられたはずなのに。

  そこまで考えると、頭を振って考えを捨ててまた校門に目を向ける。

  どう思って今ここに居るのか、別に説明を自分にする必要はなかった。

  

  一時間経った。既に授業は終わり、たくさんの制服を着た生徒が出てきていて、今ではもうまばらになっている。しかし、探している小さな熊は未だに現れない。

  どうしたんだろう・・・まさか今日は来てないのか!?取り敢えず今日来てるかどうか確かめねば・・・

  そう考えていると一人の制服を着た人間の女性が校門から出てきた。この学校は学年によって校章の一部の色が赤・橙・藍色と学年が上がるにつれ色が暗くなる。

  一年の色は赤。今出てきた人のバッジも赤。

  急いでその人に話しかける。

  「すいません!」

  「?」

  その人は一人で話しかけやすかった。すごく緊張するけど今はそんなこと言ってる場合じゃない。

  「青院高校の一年の方ですよね?」

  「はぁ・・・」

  「川崎圭介君ご存知ですか?」

  「はい・・・」

  ビンゴ!!知らないなんて言われたらどうしようかと思った。

  「まだここに居ますかね?」

  「え?!いや、さっき帰ってましたよ?」

  そんな!!ずっと出口は見てたが圭介は通らなかった。同じ種族は居ても圭介はここを通らなかった。なぜ?

  「ここに居たけど、見なかったんだけど・・・」

  「じゃぁ裏口ではないでしょうか?さっき裏口に向かってたのを見てたんで、今追えば間に合いますよ・・・」

  「そうですか、どうもありがとうございます」

  そう言って頭を下げると平然を装いながら歩き出し、後ろを見て今の人がいなくなるのを見ると走り出す。

  暫く探して裏門を見つける。裏門は小さくこじんまりしていてそこから伸びる道も三つに分かれていてどこに行ったのかわからない。それに自分の知らない土地で無闇に動けば迷う。

  ここの住宅街は結構入り組んでいて小さな小道が所々走っていて、どこにつながっているのかわからない。でも、ここで迷ってるわけにも行かない。全部行ってみるか・・・

  「すいません!!」

  声の方を見るとさっきの女の人が来た。走って来たのか息が荒い。

  「どうしたんですか?」

  「あの、川崎くんのお知合いなんですか?」

  「はぁ・・・まぁそうですよ。それでなにか御用でも?」

  「さっき昇降口で川崎君と見かけた時、何か捨ててたのを見たんです。

  それで今それを拾ってみたんです」

  そう言うと小さな紙を差し出す。

  「なんでこれを?」

  何もゴミ箱から発掘してこなくても良かったのでは?

  「川崎くんはいつも正門の方から帰っているのを知ってて・・・それでおかしいと思いまして・・・」

  自分で聞いておいて失礼だと思った。情報を提供してくれたんだ、それでいいじゃないか

  「そうだったんですか・・・ありがとうございます」

  それにしても思い切った行動をしたもんだ。一度捨てられたものを拾ってきたんだから。

  ぐしゃぐしゃに丸められてた紙を広げると知らない場所と時間・金額が書かれていた。金の催促の様だ。でも、穏やかではない。最後には『一人で来い』との事。しかし・・・

  「どこだ、ここ・・・」

  地域を知らないってすごく不利だ。この場所がどこなのか分からない。最後に公園が付いてるから多分公園だと思う。

  「ここがどこの公園か知っていますか?」

  紙を拾って来た彼女に紙を見せながら訊くと静かに頷く。

  「この公園は向こうの川沿いにあります。結構木が茂っている公園なので分かりやすいと思います」

  それを聞くと、俺は指差された方角へ走り出す。最後に振り向いて礼を言うとまた走り出す。

  かなり迷いながらも川に辿り着き堤防に上る。少し見渡すと木が生い茂っている場所を見つける。あそこに居るはずだ。走り出すと同時に紙の文面が思い浮かぶ。

  圭介がまだ着いていないことを祈りながら満はスピードを上げる。

  

  

  木の茂る所に着くと傍の看板を見る。看板には紙に書かれた公園名と同じ名前が書いてあった。どうやらここの様だ。

  息苦しい胸を何とか落ち着かせる。

  寝たきりの生活でなくても大した運動もなく、腹に脂肪が付くほど運動していない怠けた生活をしていた満にとっていきなりの運動はかなり負担になった。右の足の付け根は痛く、左足首は走っている時に捻ってしまいかなりズキズキと痛む。

  満はその痛みを無視して中に入る。中は季節も手伝ってか肌寒く、子供もいなくて不気味な雰囲気だ。この公園は広く遊具の向こう側にさらに敷地が広がっていた。

  静かな公園を暫く歩いていると、どこからか人の声が聞こえる。その声を頼りに俺は音が鳴らないように足元に注意しながら進む。その声は公園の草むらの中から聞こえる。

  しばらく進むと開けた場所に出る。円になってそこには四人の人物がいた。一人は地面に倒れ、他はそれを囲む形になっている。その中には俺の知っている奴が二人いた。

  地面に倒れてるのは圭介。もう一人は中学の同級生だった、山内 涼(やまうち りょう)あのいじめっ子だ。シェパード種で体躯はいいものの心は意地汚く小さい。

  俺が近づくと山内の方がこっちに気が付く。

  「あ、おめぇは」

  「また会ったな、山内・・・」

  自分でも聞いたことが無い低い声で唸る様に言葉を発する。

  「ふん、ようやく病院から出れたのか?それとも抜け出してきたのか?」

  せせら笑うそいつに歩み寄る。

  「圭介から離れろ」

  「ケイスケ?・・・あぁこいつ?ダメだね、頼んだものも持ってこれないこいつをどうするつもりだ?」

  そう言いながら、山内は圭介の手を足で踏みにじる。

  「もう一度言う。離れろ」

  「お前の指図なんか受けねぇよ」

  「離れろ」

  「人の話聞けよ!」

  「離れろ・・・」

  「うるせぇ!」

  山内の声で場の空気が止まるのを感じるが、そんなんじゃ俺はひるまない。俺は右足を半歩後ろに下げると拳を作る。

  「なら力づくだ!!」

  「この状況でそんなこと言えるのか?」

  ここにはこいつも含めて三人。無理過ぎるってことはない。でも今は走ったりして疲れているため不利だ。でも、ここは引くわけにはいかない。

  右手の方から子分が近づき攻撃を仕掛けてくるがそれを避け、右肘で顔を殴ってやる。一人が怯んでいる間に俺は他の子分を無視して山内に神経を集中させる。右足に力を入れ、飛びつくように山内との距離を詰める。山内の右ストレートが左の頬をシュッと横切り、左手で腕を捕まえ右手で脇腹を狙うが、脇腹に山内の膝蹴りをくらう。飛びそうになる意識を保とうとするがあちこちから追撃を受ける。

  何も分からず、気が付けば俺は川への転落防止用の金網に叩きつけられていた。錆びついているのかギシギシと軋んだ音とメリメリと悲痛な音が背中を通して聞こえてくる。

  「ったく、余計な手間掛けさせるなよ」

  そう言いながら首根っこを掴みながら腹を殴る。遠のきそうな意識を留めるには結構な刺激で、殴られる度に頭痛がする。

  「あれー?お前、腕鈍ったんじゃねぇの?デブったからか?ハハハッ!!」

  「はなせ・・・」

  「口応えするな!」

  首を解放され力無く地面に倒れる。衝撃に備えて目を瞑るが、何も起きない。うっすらと目を開けると目の前に圭介が両腕を広げて立っていた。

  「どけよ!」

  山内の苛立つ言葉に首を横に振る圭介。

  お願いだ。どいてくれ・・・お前に怪我を負ってもらいたくない。

  「喋れない奴がしゃしゃり出てくるな!!」

  そう言って、左手の甲で圭介の横っ面を殴り飛ばす。

  「てめぇ!」

  意外にもまだ声は出せた。まだ動く右手で何かを掴み、それで山内の足のつま先を潰すように叩く。

  力を入れてヨロヨロと立ち上がり、山内を睨みつける。山内は痛みからか顔を顰め、こっちを睨むがこっちも負けずに睨みつける。

  「お前みたいな・・・クズみたいな・・・奴に圭介を、傷つけさせてたまるか・・・圭介は俺が守る!!」

  「うるせぇ!」

  「ゴハッ」

  立ち上がった俺の胸に蹴りを浴びせる。肺の中の空気が一気に抜け、息苦しくなり頭に白い靄がかかる。後ろのフェンスにまたぶつかり、跳ね返り強制的に前に出る。

  「終わりだー」

  そう言って、パンチを繰り出す。その時、圭介がまた俺と山内の間に割り込んでくる。圭介はその攻撃をくらって、俺の方に飛ばされる。圭介が間に入っていくらか衝撃が弱まったと言ってもボロボロの体には小さな力も耐えられない。

  俺は圭介の体を抱える形でまたフェンスにぶつかるが、今回はフェンスにぶつかったにも関わらず後ろに倒れる。

  どうやら錆びたフェンスには幾度の衝撃には堪えて来たけど今回の衝撃には耐えられなかったようだ。小さな破裂音が耳に届いた後に、俺と圭介は後ろに倒れる。

  ゴボン!

  鈍く湿気のある音と共に、俺と圭介は金網と共に川へ頭から落ちた。

  川に落ちると、空気中とは違いものすごく寒い。手を握った圭介を抱きよせ水面に顔を出す。秋服で少し厚着なため服が重い。意外にも川の流れは速く、水で完璧に開けられない目で岸を見るとどんどん流されているのがわかる。流れる水に逆らいながらも、あるか分からない理性でどうするのかを我武者羅に考える。

  だ、誰か・・・

  何か捕まるものを探して闇雲に手を伸ばすと、何かを掴む。それは人の手の様だ。

  俺はその手に必死にしがみ付く。普段、ゆっくり流れる川は水中になると早く、差し出される手が今にも離れそうになる。必死にしがみついていると服を掴まれ一気に陸に引き揚げられる。ゲホゲホと水を吐き出し、顔を上げると三月さんとさっきの女子高生に金山先生も居た。

  「大丈夫!?」

  俺は金山先生の問いになんとか答えると地面に突っ伏す。気絶はしてないが疲労で自分の体を支えることができなくなってしまった。

  

  その後、俺と圭介は呼ばれた救急車に運ばれ治療を受けた。

  治療を受け所々包帯を巻かれて医者に『無茶はしないように』と安静の宣告を受け、その後すぐに精神病棟の最高管理者と金山先生からお小言をくらった。

  その時の金山先生は今までに見たことが無いほどの形相で、普段は何か見えない仮面でも付けてるんじゃないかと思うほどだった。病み上がりに説教をしてもいいものなのかとふざけて言ったらさらに怒られ、一時間もお小言を貰った挙句に退院が一か月延びてしまった。しかし、それは承知の上でした事。後悔はない。

  こうして、一日もしないで精神病棟に引き戻され、満の半日脱走生活に終止符が打たれた。

  

  

  

  ガチャ

  「具合はどう?」

  僕が部屋に入るとベッドの主は不機嫌そうだった。

  「包帯をしてる所がすごく痒いです」

  「包帯はそうゆう物だから仕方ないよ」

  そう言いながら近くの椅子を引いてきて、ベッドの横に座り満くんを見る。

  この子はどうゆうわけかあの事件の事を話そうとしない。いや、実際は話してくれた。でも、その内容は現実的だが嘘に感じる。

  そこで今回、個人的に話を聞きに来たのだ。

  「突然だけど、何であんなことしたの?」

  「この間言った通りですよ」

  「そうかなぁ?僕にはそうは思えないな。

  外に出たくて外に出てフラフラあてのない旅をしていたら、川崎くんが絡まれていたのを見つけて、助けようとしたら川に落ちた・・・

  うん、なかなか悪くない話だとは思うけど、違うんじゃないかな?」

  「どうしてですか?」

  「青院高校のあの女の子に聞いたんだけど、君は元から川崎君を探していたんでしょ?」

  「・・・」

  しかし、青院高校の子に聞いた話と三月さんの話を重ねても空白の時間がある。僕はそこが知りたい。どうして、満くんが川崎くんを探しに行ったのか・・・

  川崎くんが虐められっ子で公園に呼び出しされたと言うのは聞いた。きっとそこでいじめっ子と対立したのだろうが、二人の表情を見る限りそれだけではない。

  野次馬精神なのかもしれない。でも、聞けるなら聞きたい。拒否されたらそれまでだけど・・・

  「助けたかった、から・・・」

  すると、小さな声でそう言う。その表情は少し暗い。

  「守ってやるって言ったのに・・・」

  「・・・」

  「あいつは傷ついてしまった」

  「そうかな?」

  僕がそう言うと、俯きながらも満くんは上体を起こす。

  「彼を助けてあげる事は出来たんじゃないかな。って、僕は思うよ」

  「違う!あいつは傷ついた!

  あいつがここに来た時、あいつは泣いてた。わかってたんだ!苦しいんだなって。辛いんだなって。でも、俺はそれに気付かない振りをした!

  ・・・知っていたのに避けたんだ!!

  だから・・・間に合わなかった

  わかっていたのに・・・

  防げたのに・・・」

  「でも、大事には至らなかった」

  「それでも、守れなかった!!」

  「守れたよ」

  僕は感情に流されないように冷静に声を出すように心掛けながら言葉を紡ぐ。

  「確かに防げることだったのかもしれない。でも君は確かに守れたんだよ」

  「でも・・・」

  僕は“ストップ”と片手で制して発言をやめさせる。これ以上彼に言葉を言わせたら、満くんはずっと自分を責め続けうだろう。

  「君は最初、川崎くんの事に関わろうとはしなかった。でも、君から彼に関わろうとした。つまり、助けようとしたんだ。現に君は川崎くんに会って、困っていた彼の前に現れた。

  川崎くんは喜んでいたよ?『来てくれてうれしかった』って」

  満くんに会う前に僕は川崎くんとも会って来た。彼には詳しくは聞けなかったが大まかな内容は聞けたし、満くんへの感謝の言葉も聞いた。だからこそ、僕も満くんに話さなきゃいけない。

  「結果も大事だけどそこまで辿りつこと、過程も大切だよ。

  一度無視しても君は無視し続けることなく川崎くんと正面から向き合った。真っ正面から向き合って君は彼の話を聞いてあげようとしたじゃないか。それだけでも助けることは出来るんだよ。

  それに君が思っている以上に川崎くんは感謝しているんだよ」

  「そうですか・・・」

  そう言うと、満くんは目をごしごしと手に巻いた包帯で拭く。

  涙を隠すなんてこの子らしい。

  「じゃぁ僕は帰るね」

  そう言って、部屋を出る。部屋の外には・・・

  

  

  「じゃぁ僕は帰るね」

  そう言って金山先生は部屋を出ていく。

  すごく元気づけられた。

  自分のしたことが圭介を助けることが出来たんだ。

  そう思うと救われた気がする。何も出来なかった自分に誇りが持てる。

  そうわかると早く圭介に会いたい。そして、無視した事を謝らないと!

  コンコンッ

  「はい?」

  金山先生が出ていってすぐにノックがされる。ノックされたドアは静かに開き、そこには圭介が立っていた。

  「圭介!!」

  圭介の姿を見て俺は飛び起きる。少し体が痛むが気にしない。俺の脇腹あたりに立ってこっちを見る。謝らなきゃ・・・・

  俺は言わなきゃいけないことを言う。

  「圭介・・・ごめんな・・・」

  そこまで言うと、口を手で塞がれた。

  「もう・・・謝らないで」

  「!?」

  俺は圭介を見る。圭介もこっちを見てお互い目が合う。少し幼さが残る様な小さく高い声が俺の耳に入る。

  「お、おまえ・・・しゃ・・・」

  「うん。声出るようになったんだ。ありがとうね満」

  そう言うと、俺に抱きついてきた。俺も抱き返す。

  「よ、よがっだ・・・ありがどう。ありがとう、けい、すけ・・・」

  俺は堪えられず泣き出してしまった。泣きながらでちゃんと喋れないが気にしない。あとからどんどん溢れる涙は圭介の頭に落ちていく。抱きつく手は力が入る。

  「泣き過ぎだよ・・・」

  「うるざい!!」

  そう言いながら、顔を上げる圭介の眼も赤くなっている。なんだよ、お前も泣いてるじゃんか・・・

  俺達はしばらくの間抱き合ったまま動かなかった。

  二人で慰め合うように・・・

  

  

  「じゃ行ってきます」

  俺は家を出る。

  あの事件から既に一年の月日が経っていた。昨日のことのように思い出せるあの時の出来事。

  あの後、俺は罰として退院を一か月延ばされたが、なんとか無事に退院を果たした。

  今は高校の代わりの通信制の学校に通っている。ビルの一階を贅沢に使ったところで、環境的に言えばいい所だが学校のように体育が無いのは困ったものだ。自分の体重が重くなっているのを今は数字でなくても視覚で分かってしまうのが困る・・・

  病院に着き俺は病棟に向かうと、玄関には圭介担当の猫獣人の岬さんが立っていた。あの事件以来からの知り合いで、金山先生とは同期らしい。

  「早かったのね」

  「そりゃ、遅れるわけにもいきませんから」

  俺は一礼しながらそう答える。今までは文通でしか圭介に触れられなかったから、一年ぶりの再会に俺は緊張していた。

  次会うときは圭介が退院する時。

  二人で決めて一年。お互いどんな姿になっているかわからない。そう思うとより緊張感が高まる。

  岬は満の感情を読み取ったのか、笑いながら話しかける。

  「一年ぶりの再会なんですもの、緊張しても不思議じゃないわ。

  そんなに力まずに力を抜いて堂々としてればいいのよ」

  そう言って背中を優しく叩く先生は、腕時計を見て「そろそろだわ」と呟く。

  玄関を見ると黒いシルエットが玄関の窓越しに見え、扉が開くとそこには大柄な熊が一人佇んでいた。だが、俺には見覚えのない人だ。

  「え・・・だれ?」

  俺の伸長を超え、横にも幅があり。それでいて逞しい体つき。

  圭介ではなさそうだ。

  「圭介は?」

  「え?今出てきたじゃない」

  「えーー!!」

  昔の面影が見えない。その熊はドスドス走って来て俺に抱きつく。

  「ミツル~お久しぶり!」

  「圭介なのか?!」

  抱きつかれ振り回されながらも尋ねる。熊は不思議そうな顔をしながら答える。

  「? そうだよ?

  確かに昔とは変わったけどね」

  「変わり過ぎだろ!!声は太くなったし、何よりも体型が・・・」

  「体型の事は言わないでよ。これでも気にしてるんだよ」

  そう言いながら苦笑いを返す圭介。俺よりも背が小さくて、声も細く、痩せてた圭介はいまや背は俺を超え、声も太く、横にも縦にも大きくなっていたら驚くに決まってる。

  「そっか・・・でも、元気そうだな」

  「うん」

  話を変えると嬉しそうに圭介は嬉しそうに笑いながら病棟を振り返る。

  「ここにはすごくお世話になったよ」

  懐かしむ顔には寂しさが映っていた。

  「岬先生。お世話になりました!」

  勢いよく頭を下げ、岬先生にお礼を言う。先生は微笑みながら握手を求める。

  「いろんな事があったけど、これで万事解決。

  これからがあなたの新しい一歩の始まり。厳しいかもしれないけどあきらめずに頑張ってね」

  「ありがとうございます」

  お互い握手を交わす。すると・・・

  「圭介・・・」

  いつの間に後ろに居たのか圭介の父親がいた。

  「お父さん・・・ただいま」

  「おかえり」

  そう挨拶を交わす。久しぶりの会話なのだろうけど、それで十分の様だ。

  「これからどうするんだ?」

  「久々に自分の家に行くよ」

  「じゃぁこれでお別れかな・・・」

  「そう・・・かもね」

  俺の答えに圭介が悲しげな顔をする。

  「そんな顔するなよ。一生会えないわけじゃないんだからさ」

  「そうだね」

  「じゃ!またな」

  「うん」

  そう受け答えすると俺は出口の方へ歩いていく。

  また会えることを感じながら・・・

  

  完