鏑木・T・虎徹事件――去年の12月に発生したサマンサ・テイラー殺害事件から始まったシュテルンビルト中を巻き込んだ事件は現在そう呼ばれている。
この事件をきっかけに、バーナビー・ブルックスJr.は失踪し、最前線で活躍していたヒーローたちは全員引退を宣言した。
彼らの言い分は
「殺人犯ひとり捕まえられなくて何がヒーローだ。やってられるか」byロックバイソン
「だって結局犯人には逃げられちゃったじゃない? それにやりたいことできちゃったしね」byファイヤーエンブレム
「だって、みんな辞めるんだもん。僕一人でやっててもつまんないよ。本国のお父さんとお母さんも僕の好きにしていいって言ってくれたし、これからも美味しい炒飯食べたいしね」byドラゴンキッド
「私……好きな人と同じ人生を歩みたいんです」byブルーローズ
「引退? いや、引退ではないよ。これからはみんなで悪の道を突き進むんだ。さぁ、レッツ……むぐっ」byスカイハイ
「えっと……これからは見切れるんじゃなくて、テレビに映らないで活躍したいと思って……え? えっと……その……」by折紙サイクロン
彼らは様々の理由でヒーローを引退し、それぞれの道を歩くことになった。
一部ヒーローの引退を切っ掛けに二部ヒーローが一部に上がるかと思いきや、代わって新しくヒーローと名乗る存在が現れた。
司法局に認可されたH型アンドロイド。
H型とはヒーロー型。
H-01ーワイルドタイガータイプから始まりH-08までのナンバーが付いたアンドロイドは、それぞれが一部のヒーローの特性を持っていた。
こうしてシュテルンビルトはマーベリックの魔の手に落ちた。
[newpage]
ジャスティスタワー。
シルバーステージ近くのワンフロアに、一部のヒーローたちが使っていたトレーニングセンターそっくりの設備がある。
トレーニングセンターをそのまま移築したかのような作りだが、少しばかり違うところもある。ヒーローたちの休憩室にあたる部屋にあるのは、所狭しと並べられているコンピータ、壁いっぱいのモニタ。モニタには常にシュテルンビルト中の景色が映し出され、時折警察の通信を傍受したと思わしき声が聞こえてくる。
「ちーっす」
一人の男が何食わぬ顔で指令室に入り、モニタの前に陣取っている金髪の青年に話しかける。
「おはっよー、バニーちゃん」
「おはようございます、虎徹さん」
バーナビーはモニタから目を離し、今入ってきた虎徹に満面の笑みを浮かべる。
「おつかれさんっと。で、どうよ?」
近くの屋台で買ってきたホットドックと珈琲の入った袋を差し出して、虎徹がモニタを覗き込む。
バーナビーはホットドックと珈琲を受け取ると、近くのモニタが一切ない小さなテーブルに座り、袋の中身を広げて食べ始める。
「特には。今のところマーベリックも大人しいものです。初期のころと違って、アンドロイドの暴走も少なくなりましたし、このままでいけばヒーロー事業は軌道に乗るでしょうね」
「へぇ~……このままでいけば、か?」
含みのある言い方で、虎徹がバーナビーをキラリと光る眼で見つめる。
「えぇ。このままでいけば、です」
バーナビーも口の端を上げ、虎徹の期待に応える。
「んじゃ、まぁそろそろ動きますか?」
「そうですね。そろそろ頃合いかと」
二人でくすくすと笑っていると、扉が開いて段ボール箱が現れた。
「お前等っ! 笑ってないで手伝えっ」
段ボール箱、改め、クロノスフーズの箱を抱えたアントニオが現れた。
「おっ! 牛、差し入れご苦労さん」
「ありがとうございます。今日も美味しい料理期待してます」
「お前らなぁ……自分で作ろうって気はないのかよ……」
大きな段ボール箱を下し、アントニオが愚痴ると、虎徹とバーナビーがきっぱりと「あるわけないじゃん。俺たち忙しいの」「ありませんよ。僕は忙しいので。流石に虎徹さんの炒飯が美味しくても毎日なので飽きました」と答えが返ってくる。
盛大に脱力をしかけたアントニオだったが、臀部に嫌な感触を感じ一気に飛び退いた。
「あんら~、逃げられちゃったわ」
アントニオの尻を撫ぜようとしていたと分かる手の位置に、虎徹とバーナビーが笑みを零し、アントニオが距離を取って、警戒態勢に入る。
「おっはよ~」
「おはようっ! そして、ただいま」
「おはようございます。そして、行ってきますっ!」
パオリンとキースがイワンが入ってきて、全員が挨拶をしたが、イワンだけは慌ただしくロッカールームに入ると七つ道具を手に指令室から飛び出してしまう。
「折紙先輩、今日も元気ですね」
「あいつ、諜報で才能発揮してるよなぁ」
嵐のように去って行ったイワンに朝の挨拶ができなかった虎徹とバーナビーがそれぞれの感想を述べている横で、パオリンがアントニオに今日の献立を聞き、ロッカールームで着替えたキースがトレーニングセンターに向かう。
昼にアントニオの美味しい手料理を食べて、夕方に近づくころに学校帰りのカリーナと諜報活動を一時的に終了させたイワンが現れ、モニタ越しではわからない街の状態を教えてくれる。
元ヒーローたちは今もシュテルンビルトの平和を陰ながら守り続ける。
そしてーー
『ポンジュール』
アニエスの声に全員が反応した。
『オリエンタル銀行ジャスティスタワー前支店で銀行強盗発生よ。犯人はモノレールでブロンズステージに逃走する模様。さぁ、今日も盛り上げてくれるわよね、Eroica』
バーナビーが立ち上がる。
「さて行きますよ、おじさん」
「おう!」
勢いよく答え、立ち上がった虎徹だったが、勢いがあったのはそこまでだった。
「あのさ……」
「なんですか?」
「エロイカってやめねぇ?」
「何でですか?」
「なんか、エロっぽい」
「虎徹っ」
「ちょっとタイガーっ!」
「え? なんで?」
「エロ、いいじゃないか、えろっ」
「え? いいんですか? スカイハイさん」
「良いじゃないエロスなんて。愛よ、愛っ!」
[newpage]
鏑木・T・虎徹事件ーーそれは去年の12月に合ったヒーローの在り方を変えてしまった。
ジャスティスタワーの最上階で行われたH-01vsワイルドタイガー&バーナビー戦は、バーナビーがH-01の武器を使ってワイルドタイガーが押さえつけていたH-01を破壊したことで幕が下りたはずだった。
だが、ワイルドタイガーが瀕死の重傷となり、その原因が自分だとバーナビーが気付いた瞬間、勝敗は決した。
力尽き力なく横たわるワイルドタイガーを抱きしめ、バーナビーは敵前逃亡を果たした。親の仇と目の前で消えてゆこうとしている相棒の命、天秤は考えるまでもなく相棒に傾いた。バーナビーの頭には、数秒後には駆け付けるであろう仲間のことも、彼の愛娘の存在も、そして親の仇であるマーベリックの存在さえも消えていた。腕の中にある命をつなぎとめるためだけに、バーナビーは残り時間少ないハンドレットパワーを使い、トランスポーターに戻り、現場を離れた。
結果、大量投入されたH-01を前に、ヒーローズは降伏するしかなく、虎徹の娘である鏑木楓の安全と引き換えに、全員が今回の事件に関する記憶とヒーロー人生を諦めざるを得なかった。
ネイサンの経営する【This is the エロスルーム】。ショッキングピンク一色のカラーリングの店は、既に何の店か体裁が整ってない。一応飲食店のようだが、あっちでもこっちでも濃厚なピンクの空気が発生しているため、独り身には居心地が非常に悪い。
「ヒーローを辞めてなきゃ、今頃俺だって……」
「このピンクレモネードは実に美味しい! そして、おかわりだっ」
「アンタたち、何しに来たのよ?」
「俺はスカイハイに拉致られたんだっ」
「私はバイソンくんとピンクレモネードを飲みに来ただけさ。そう、ピンクレモネードの為さ!」
「お帰りはあちらよ」
[newpage]
事件後、六人のヒーローと楓の記憶改竄が行われ、楓は自身がNEXTであるという記憶とも消され、オリエンタルタウンに返された。
迎えに来た叔父も祖母も何も言わず、楓だけを連れてシュテルンビルトを後にした。楓を引き取る際、ほぼ有罪が確定した身内よりも何も知らない子どもの方を優先するとマーベリックに語っていた。娘の今後のことを考えれば当然な判断だった。
こうして、マーベリックの懸念はバーナビーとワイルドタイガーだけになったが、恐らくあの怪我ではワイルドタイガーは助かるまい。そして、バーナビー一人では何も出来ようはずがない。ウロボロスの件とて、色々と調べてはいたようだが、結局マーベリックが指針を示さなければ何も知る事が出来なかった。そんなお子様一人に何かが出来るわけがない。
マーベリックはそう高を括っていた。
マーベリックは知らない。
親を奪われた子どもの恐ろしさを。だからこそ、自身が殺した親友の息子であるバーナビーを傍に置くことが出来、楓を記憶改竄を行っただけでオリエンタルタウンに返してしまったのだった。
数日後、楓は再びシュテルンビルトにいた。
「は、はじめまして、鏑木楓です」
「ポンジュール、フロイライン。アニエス・ジュベールよ」
その後、無事に虎徹とバーナビーと合流することが出来た楓が、元ヒーローたちと新たなるヒーローになるのは、この数か月後の話である。
[newpage]
ジャスティスタワーに設けた指令室で虎徹がバーナビーに小首を傾げる。
「へるでん?」
「ドイツ語でヒーローズという意味です」
「一人だとヘルデ?」
「違います! ヘルトです!!」
ほのぼのとした雰囲気に、笑顔で見守るヒーローたちだったが、一人ナワナワと震える女性が一人……。
「ちょっとハンサム、そこどきなさいよっ! あんたたち距離近すぎっ!」
バーナビーが席を立ったかどうかは見守るヒーローたちだけが知る。
Helden――英雄たち
「ほーんと、あんたたち、見てて飽きねぇなぁ」
「貴方は黙っててくれませんか」
「ライアン、へるぷ!」
End.