トレーニングルームにいたバーナビーは扉が開き誰かが入ってきたことに気が付いた。
「よぉ、バニーちゃん」
鏑木・T・虎徹がにやにやした笑いを顔に張り付かせて、バーナビーに近づいてきた。
「バニーじゃない。バーナビーです」
半ばあきれ気味に、以前と同じように訂正する。
全く……この一回り以上も年の違うおじさんは、ちっとも変らない。
事件となれば無鉄砲に飛び出すところも、自分で何もかも背を負うとするところも、誰彼構わず自分が盾になってでもかばおうとするところも……。
一度死にかけたというのに、全く変わらない。
それがバーナビーには嬉しかったが、逆に辛いところでもあった。
相棒であるにも関わらず、虎徹はバーナビーを未だ対等に扱ってはくれない。
大切な相棒だと思ってくれているのは確かなのだが、対等には遠く及ばない、寧ろ保護者と庇護者のように思っている感がぬぐえない。
ウロボロスとの戦いで、バーナビーは虎徹に返しきれない大きな借りを作ってしまった為、当面の間はそんな関係でも我慢するつもりだった。
どちらがどちらを守っているか、などというのは口で論じたところで意味がない。実戦で実力を見せて初めて納得できるものだろう。
今回、虎徹がバーナビーの信頼を勝ち取ったように。
「おじさん、怪我は治ったんですか?」
いくらヒーローとはいえ、簡単に治るものではない。
他のヒーローとは違い、囚われて吊るされることなく、病院に救急搬送されたのだから、怪我の具合も知れよう。
バーナビーが顔を曇らせつつ尋ねると、虎徹は顎に手をかけ、視線を逸らす。
「実はな……」
深刻そうな表情と声に、バーナビーの体が強張る。
(まさか、今回の怪我が原因で……)
最悪の展開が脳裏に過るバーナビーに、虎徹が重い口を開く。
「お前の名前が分からないんだ」
虎徹の言葉に、バーナビーの脳裏に『記憶喪失』という単語が浮かんで、一瞬にして消えた。
「何を言っているんですか。今、僕のことを『バニーちゃん』って呼んだばかりでしょうが」
もしも本当に記憶喪失で、もしも本当にバーナビーのことが分からず他の誰かに名前を聞いたのだとしたら、バーナビーを『バニーちゃん』と呼ぶはずは絶対にないだろう。いくら他のヒーローがユーモラス精神に溢れていても、記憶喪失の人間に本名ではないあだ名を教えたり、一人でふらふらさせるはずはない。
その程度ならば、バーナビーとて他のヒーローを信頼していた。
「退院したばかりなのに、おじさんはもう一度入院したいみたいですね」
にこりと笑って、偶然持っていた凶器になりえる道具を持ち上げた。
「ま、待てってば、バニーちゃんっ!おじさんの話を聞いてくれ~」
慌てふためく虎徹の態度に、バーナビーは幾分か気をよくし、凶器を持つ手を下に下げた。
「これでいいですか?」
殺気を引っ込めたバーナビーが問いかけると、虎徹は「ホントのことなのに……」と呟いて、額に浮かんだ冷や汗を袖で拭った。
「本当のこと?」
虎徹の言葉に反応したバーナビーが再び凶器を持ち上げたため、慌てて虎徹が言い訳をする。
「待て!ちょっと待て!だからなっ!お前の本名を俺は知らないって言ってんだよっ!」
「バーナビー・ブロックスJr.ですよ」
一気に言い切った虎徹に、バーナビーが「何を今更」と冷たく返す。
「いや、それは俺だって知ってる。お前が『バーナビー・ブルックスJr.』だってのはな」
虎徹の言葉に、バーナビーは眉間に皺を寄せた。
目の前の男が一体に何を言いたいのか全くもってわまらなかった。
バーナビーはバーナビーで、他の誰でもなかった。
「けどな。『バーナビー』ってのは親父さんの名前だろ?」
その言葉に、バーナビーは漸く虎徹が言いたいことが分かり、静かに告げた。
「捨てました」
恐らく誰もが気が付いていただろう。
だが、誰も聞いてもなかった。
それなのに、この男は……。
「父の名を背負うと決めた時、僕は自分の名前を捨てました。今まで呼んでくれた父も母もいない。父の名を名乗る以上、今後は誰も呼んでくれないでしょう。だから、捨てたんですよ。幸せだった時間と一緒に」
バーナビーが告白すると、虎徹が近づいてきた。
まるで子どもをあやすかのように頭を包み込むようにバーナビーを抱きしめる。
「おじさん?」
戸惑うバーナビーに虎徹が耳元で囁いた。
「俺が呼んでやる」
神聖な誓いのように告げられた言葉には、バーナビーの告白を聞いた動揺は全く見られなかった。
「お前のことだから、そんなことだろうと思ったさ。けどな……俺だって親だからわかるが、名前ってのにはな、親の願いが込められてるもんだぜ」
バーナビーの脳裏に自分の名前を呼ぶ父と母の姿が過った。
「だからな……今すぐとは言わない。けど、お前の気持ちに整理が付いたら、ちゃんとに名乗れよ。それが、一番の親孝行だ。な?俺、良いこと言った」
確かに感動できる話なのだろうが、自分で言ってしまえば半減どころかマイナスになる。
自己満足している様にあきれながら、バーナビーは虎徹の抱擁から抜け出した。
「自分で言わないでくれませんか?危うく呆れすぎて石になるところでしたよ」
「えーーっ!なんで言っちゃいけないんだよぉ。良いことはいいことだろぉ?」
不平を言う虎徹に苦笑しつつ、バーナビーは虎徹に背を向けた。
「僕はトレーニングが終わりましたので、これで失礼しますよ」
「えーーっ!バニーちゃん冷たい!俺に付き合ってよ」
「バニーじゃない。バーナビーです!本当に勝手にしてください。僕の名前だって、知りたければ戸籍でも見ればいいじゃないですか」
「ヤダ。バニーちゃんの口から聞きたい」
「あなたって人は……」
「バニーちゃん、教えろよぉ」
「嫌です、あなたに教えません。けど……」
バーナビーは不自然に途中で言葉を止めた。
「けど?」
虎徹に言葉を鸚鵡返しに言われ、バーナビーは我に返った。
「とにかく、今は嫌です。それでは、僕は帰ります」
「え?ちょ、ちょっと待てよ、バニーちゃんっ!俺も帰るから、一緒に……」
「僕に送らせる気ですか?」
「ダメか?今、金欠なんだわ、俺。だからさぁ」
先日の事件でワイルド・タイガーが何を壊したのか思い出し、バーナビーは金欠の理由を悟った。
「本当に、あなたって人は……」
「いいじゃん。コンビだろ?」
「そうですね、思いっきり足を引っ張られていますが、コンビであることは間違いありませんね」
「バニーちゃん、冷たいっ!」
二人のやり取りはトレーニングルームの扉が完全に閉まるまで途切れることはなかった。
バーナビーが飲み込んだ言葉は、『今』ではない『いつか』の話。
そう遠くない未来で、バーナビーは虎徹に教えるだろう。
父の名を背負って生きると決めたときに捨てた名を。
告白された虎徹は、一瞬驚ろくだろうが、優しくバーナビーの名を呼ぶだろう。
バーナビーの父と母のように。
間違っても『バニーちゃん』のようにふざけたあだ名を付けることはない……そう、信じたい。
The end.