「ヤル、ヤル………………しーーーーーーーッ。しーーーーーーーッ」
現れたザルツキーは口元に建てた人差し指を当てながら意味不明の言葉をつぶやきながらイチにのしかかったヤルマンに距離を詰める。
右手には小さなナイフを握っていた。
「うううふううううううううう! あふうううううううう!!」
ヤルマンとザルツキーは巨漢同士だが、それでもヤルマンのほうが頭ふたつ大きい。
ヤルマンはザルツキーに怯えているようだった。
「ヤル、ヤル………………しーーーーーーーッ。おん、しーーーーーーーッ」
ヤルマンの突き出した切っ先がゆっくりとザルツキーに近づいてゆく。
「むいいいいいいいいいいい! ひひいいいいいいい!!」
ヤルマンは恐怖にかられ逃げ出した。
ザルツキーは残され意識を失いかけているイチのそばにしゃがみこみその顔を覗きこむ。
「おん、ぬぐ、こう、つれれ……ぷううううううううう」
すると突然ザルツキーはイチの体に手を伸ばし、服を脱がそすつもりか、拘束衣のベルトに手をかけた。
「ぬぐ、ぬぐ……ぷうううううううううう」
だが手元がおぼつかず、上手くベルトを解くことができない。行害者ゆえだろう。
そのため故意か過失か、延ばされた手がイチの乳房を揉みしだき、太ももと尻たぶを揺すった。
イチは抵抗する力が戻らないのか。ザルツキーの乱暴な手にまさぐられるがままだった。
「しーーーーーーーッ、うぐううううううう。ぷううううううううう!」
しばらくベルトと格闘していたザルツキーだが、結局ベルトを解けない。苛立たし気に唸ると手にしていたナイフをベルトに刃を当てた。
強引にイチの拘束衣を切り裂くつもりだろうか。
____ちくしょう! 結局、相手が変わっただけか!
実はこの時イチは意識を取り戻していた。
ザルツキーという不測の要素が自分の状況を有利にするか不利にするかを見極めるために気絶したふりをしていたのだが、結局ザルツキーも自分の身体を弄ぼうとしているように思えた。
しかもザルツキーのほうが身体が大きい。
もし無理矢理に押さえつけられればもう後は好き放題にされるしかないだろう。
____そうはいくかよ!
ザルツキーのナイフがイチの拘束衣のベルトを切り裂き、体の自由が戻った瞬間である。
「おぐっ!! いだああああああああああああああああああ!!」
イチは渾身の力でザルツキーの股間を蹴り上げた。
いかに身体が大きく屈強であろうと弱点は弱点である。
ザルツキーの身体が浮いた瞬間にイチは回転しながら後方に転がり、竜巻のような動きでザルツキーの右手につま先を叩き込む。
狙いは握ったナイフだ。
「いだ! いだ! いだあああああああああああああ!!」
ザルツキーの右手から弾かれたナイフは廊下を転がる。
イチの狙いはナイフを奪うことだったが、ナイフは遠くに飛びすぎ、拾うには床にうずくまり涙を流すザルツキーの身体を乗り越えねばならない。
イチは舌打ちをするなり立ち上がると駆け出した。
走る先には階段がある。
2段飛ばしに駆け上がった先、屋上への扉は開いていた。
____ままよ!
イチは一瞬扉の先にガークが待ち受けている可能性を考えないではなかったが、もしそうだとして後ろから追ってくるであろうザルツキーに挟み撃ちにされるよりはマシだと考えた。
そのまま駆け抜け屋上に出た。
イチは屋上の縁から暗黒の地面を見て、落下しながら各階にある窓の鉄格子にしがみつけば降りられると踏んだ。
握力で鉄格子をつかんだ瞬間に足を壁に接地させ衝撃を逃がすのだ。
尋常ではない思考だが、過去にも似た状況で一か八かで成功している。
イチが息を吸い、覚悟を決めた時だった。
「まさかそこから飛び降りるつもりかね? 医師として言うが、お勧めはできんな」
背後からの声はガークであった。
「ガーク……!」
左手で杖をつきながらもイチから奪ったファンクル護身拳銃を向けている。
「どうだったかね? 私の病院は」
イチはゆっくりとガークに振り返る。
ガークは片手持ちではあるが狙いはしっかりとイチに向いている。
ファンクル護身拳銃はその隠匿性故に装弾数は1発しかない。
しかし近距離で当てさえすれば一撃で敵を無力化できる制圧力がある。
「あなたは、こんな地獄を生み出してまでこの病院を続けたいのか?」
イチの口から出た言葉は、ガークの隙を生み出すための揺さぶりというよりも、心の底から出されたものであろう。
しかしガークはイチの言葉に冷笑する。
「私が生み出した? あんたはなにもわかってない。この地獄はあんたらが生み出したんだよ」
「____世迷い事を」
「それより、息子をどうした?」
「悪いが股間を潰させてもらったぞ。襲われかけたんでな」
イチの言葉に一瞬ガークの顔が歪み、そして吐き捨てるように言った。
「ザルツキーが君を襲おうとした? 馬鹿を言え。あいつは同性愛者だ」
「…………嘘を言うな!」
確かにイチもザルツキーの様子から男性的な興奮を感じなかったのは冷静に思い返せばその通りだった。
しかし、イチの状況に立てばそうとしか見えなかったのだろう。
「何も見えていないんだよ、結局あんたたちは」
そしてガークは語り始めた。
ヅィーコプカイン精神病院がこのようになってしまった経緯を。