18.痛く切なく

  夢を見ていた。

  貴方と笑っていた頃の夢を。

  「貴和、この世界にはね、美しいものが沢山あるんだよ」

  美しいもの?

  「うん。

  何も変わらない日常も、いつも同じの風景も……こうして、貴和が隣にいる、この瞬間も」

  ……

  「私は、美しいと思う」

  “貴和に出会えてよかった”

  そんな言葉を、あなたは言った。

  そして、『愛してる』と、キスをしたんだ。

  とてもやさしいキスだった。

  …忘れないくらい、幸せな、時間だった。

  「……」

  目を覚ました時、それが夢だと分かった時、どうしようもない程、悲しくなった。

  変わらない現実。

  見せられた夢。

  一体いつまで続くだろうか。

  いつまで、耐えられるだろうか……。

  [newpage]

  〔……オモイダシテ……〕

  誰かが言った。

  〔オネガイ……オモイダシテ……〕

  寂しそうに。苦しそうに。

  〔ダイスキダカラ……シンジテルカラ…〕

  その言葉が、何故だかよく聞こえた。

  〔…ダカラ……モウスコシ…アトスコシダケ…マッテイタイヨ……〕

  声は泣いていた。

  泣きながら訴えた。

  〔オネガイ……オネガイ…チアキサン…

  オレノコト…オモイダシテ…?〕

  俺はその声を知らないけれど、声は俺をよく知っているようだった。

  真っ白だった景色に、薄らと男の子がしゃがんでいるのが見えてきた。

  その背中は震えていて、膝を抱えて泣いているようだった。

  声を殺して泣くその子の、小さく漏れる嗚咽が辛そうで、その背中に、手を伸ばそうとした。

  その時だった。

  男の子は立ち上がり、一瞬だけ俺を振り返った。

  「思い出して。」

  赤く腫れた瞳で俺を見るその顔は、沢山の写真に写っていたあの子だった。

  呼び止めようとして口を開き、俺は硬直した。

  頭の中が真っ白に塗りつぶされていく。

  何も浮かばず、何も言葉に出来ない。

  待って、待って…もう一度……

  おれのなまえをよんで。

  「っ……」

  目を覚まし、上半身を起こす。

  傍に付き添っていたらしい涼介が、俺を見て横の椅子に座った。

  「……どうした」

  涼介の言葉に、反応しなかった。

  「……喉が痛いのか?」

  違う

  「…声が出ないのか?」

  少し焦ったその声に、首を振ることも出来ず、俺は喉に手を添えていた。

  頼むからなんて、祈るように口を開き、閉じた。

  何も出ない。

  最初の1文字。

  忘れちゃいけないもの。

  きっと、最も……

  言葉に出来ないもどかしさや辛さが、涙となって頬を伝う。

  涙が溢れてもなお、俺の口は必死に答えを出そうともがいている。

  「…千秋…どうした……」

  涼介の困惑した声に、俺はようやく、酷く掠れた声で言った。

  「……あの子の名前が…思い出せない………」

  

  俺の言葉に、涼介が息を呑んだ気がした。

  ボロボロと涙を零す俺を、涼介は黙って抱き寄せた。

  「…お前のせいじゃないよ」

  その言葉に、嗚咽が漏れたのはなんでなんだろう。

  なぁ、神様?

  何で俺は、忘れちゃったのかな

  何で俺は、覚えてないんだ?

  なぁ……かみさま…

  あの子の名前を…教えてくれよ………

  [newpage]

  千秋が、目を覚ましたあと、喉を押えたまま固まっていた。

  声が出なかったり、喉が痛かったりするのかと問い掛けても、答えは返ってこない。

  やがて千秋はそのまま、涙を流し始めた。

  俺は困惑して、手をのばすにも伸ばせず、どうしたんだと聞いた。

  千秋の口から零れ落ちた言葉は、予想外のものだった。

  『あの子の名前が、思い出せない』

  そう言って千秋は泣いた。

  その言葉に、俺は驚いたし、胸を打たれた気がした。

  千秋が貴のことを思い出そうとしていることに喜び、2人の想像もできないほどの痛みに、美しいとさえ思った。

  こんなにも、想い合っているのに。

  どうして神様は、2人を引き裂いたんだろうな…。

  …そう思いながら、千秋を抱き締めていた。

  続く