「え…ちょ…何あなた?」
『中身』のない狼の形をした着ぐるみが、私の眼の前にいる。
「僕たちは何者でもない。ただ誰かに『中身』になってもらわないと、僕たちは何も出来ないんだ。」
どういう仕組みなのか、人がかぶるフードの部分がもごもごと動いているものの、フードの中身は空っぽだ。誰がどうやって喋っているのか?
そもそもこの生き物は何なのか?
「ちょっと待ってよ。何でそんな事言うわけ?わたしがあなたを着るとでも?!」
「いやなら力ずくでそうするまでさ。抵抗しなければ悪いようにはしない。」
そう言うと着ぐるみはがしっ!と鋭い爪のついた手でわたしの腕を掴んでくる。素材は柔らかいらしく、痛くはないものの、ギュッと掴まれた手は離れない。
「いや!ちょっと…離してよ!」
ぎゅむっ!
その手を振りほどくように着ぐるみの手を掴むと、ぶにゅっ!とした手応えとともに、改めて中身が無いことに気づく。
「無駄だよ。僕たちは中身が『まだ』ないんだ。振りほどこうとしても、意味はない。」
もふっ。
今度は着ぐるみがわたしの身体に抱きついてくる。まるでぬいぐるみのように柔らかく、暖かくて気持ちいいけど……。
「わぷっ!?なにするのよ!離れなさい!」
「嫌だね。君は僕の中に入るしかないんだよ。」
着ぐるみから甘い匂いが漂ってくる。トロン…としてきて頭がぼーっとしてくる。
このままだとまずいと本能的に感じた私は、なんとか抵抗を試みる。
「あぐっ……」
着ぐるみの前部分のチャックがひとりでに開き、中から出てきたのは…
くちゃあ…
糸を引いた、肉の袋。それが『おいで』と言っているようにぱかぁ…と開くと、ヒクヒクと動きながら私を誘う。
「ひっ…!!」
中身無いって言ったじゃん!あるじゃん!気持ち悪いの…!
「おいで…怖くないよ。」
声は甘く囁きかけてくるけれど、その言葉の意味するところは明らかだった。
「ひぃっ……いやぁあああっ!!!」
ドゴッ!!
「だから無駄だってば」
着ぐるみを殴りつけるも、全く動じていないようで、私の拳はまるで風船を殴っているような感覚しかない。
それどころか逆に腕を掴まれてしまい、そのまま引き寄せられてしまう。
「うぅっ……」
もうダメだ。逃げられない。
「さぁ、優しく『包み込んで』あげるよ…!」
グニュゥウウッ!!!
「んぶっ……!?」
そして、肉の袋の中に頭を突っ込まれてしまう。
鼻と口を押さえられ息が出来なくなり、必死に抵抗するものの、着ぐるみの力には敵わず、ジタバタともがくことしかできない。
しかしそれも長くは続かなかった。
すぽっ!
「ぷはっ!!」
着ぐるみのフードの部分から顔を出すわたし。
「窒息されてはたまらないからね。これなら大丈夫だろう?さぁ、一緒に行こう?」
「い、行くわけないでしょ!」
着ぐるみの中なんてまっぴらごめんだ。
そう思って断ろうとした瞬間、肉の袋は、ぐいっ!ぐいっ!とわたしの身体を中に引き込んでくる。
「ちょ、ちょっと、やめてよ!」
胴体がぐいぐいと引っ張られる感覚。この調子じゃいずれ体まで入ってしまうに違いない。そうなったらどうなるのか想像しただけでゾッとする。
「怖くない、怖くないよ…」
着ぐるみは変わらずわたしの身体を引き込んでくる。
「怖くないのはアンタだけでしょ!…ヒィィィ…!」
ぐい、ぐい…と身体を引っ張る力が強くなる。胴体がもうほとんど着ぐるみの肉の袋の中に収まりつつある。
「い、嫌ぁああ……っ!!」
ぐもっ。
左腕が肉の袋の中に引き込まれてしまった。右手でどうにか脱出しようとするものの、力の差がありすぎて抜け出せない。
そして、右腕までもが肉の袋に引き込まれる。
「やめて…やめてよお!」
わたしはフードの部分から顔を出して叫ぶ。すると着ぐるみは突然動きを止めてこう言い出した。
「……そんなに僕と一緒になりたくないのかい?仕方がないな……。でも、君にも拒否権はないんだよ?」
「ど、どういう意味よ……」
「こういう事だよ」
ずりゅんっ!
「きゃあ!」
今度はおしりまで肉の袋に入ってしまった。足で踏ん張るも、地面にズリズリと虚しい跡が着くだけで、結局押し戻されてしまう。
「ひぃ……っ!!」
「そんなことしても無駄なのに。じゃあ、もうちょっとだけ頑張ってみる?」
着ぐるみがそう言うと、少しだけ引き込む力が弱くなる。
「ふんぬぅううう…!!」
ズリズリ、ズリズリ…
どれだけ力を入れようとも足はゆっくりと着ぐるみの中に引き込まれていく。そしてついに靴が地面から浮いてしまう。
バタバタ…
「うわぁぁぁぁぁ…!!助けてぇえっ!」
「おー!頑張るねぇ。無駄なことななのに。」
わたしは泣き叫びながら助けを求めるが、誰も来てくれる気配はない。
バタバタ…!バタバタ!
足を必死に動かし抵抗する。
「ほーら、早くしないと全身飲み込んじゃうぞぉ~」
ぐぐぐっ……
「ひぃいいっ……!たすけ……」
ずぼっ! とうとう太ももまで肉の袋に引きずり込まれてしまった。
ぐぐぐ…
太ももが固定されてしまったため、力を入れて対抗するも、全く足が動かない。
「さーて。よく頑張ったね。まだ頑張るかい?それとも諦めちゃうかい?」
「……!」
こんなところで死にたくなんかない。でも抵抗すればするほど状況は悪化していく一方だ。
私は、死ぬくらいなら……と覚悟を決めた。
「……分かったわよ!『着れば』いいんでしょ!」
「おっ。やっと素直になったね。『それ』が聞きたかったのさ!」
ぐちゅん!
「え…?」
すると一瞬で私の全身は着ぐるみの中に引き込まれてしまった。なんて力だ。
「ぼくは『無理やり』が好きじゃなくてね…『中身』の同意がないままは嫌なんだ。」
「中身って……何言って……」
「『きみ』のことさ。言っただろう?僕たちは初めから『中身』を持たないと。きみがぼくの新しい中身だ。これからよろしくね!」
「は?ふざけないでよ!勝手に決めないで……って、うっ!?」
ぎゅーっ!! 着ぐるみの中の肉の袋が私の身体を圧迫する。
「うっ……ぐっ……」
息ができない。苦しい……っ!
「苦しそうだね。もうちょっと強くしてあげるよ」
ぐぐぐっ……
「うっ……ううううっ!!」
さっきよりも強い力で圧迫される。呼吸が……できない……殺される…その時、
「はい、終わりだよ。これで完全に僕たちは『ひとつ』になった。」
ぷはっ!
はあはあ…
突然圧迫が止み、呼吸が楽になる。 ぜぃぜぃと肩で息をするわたしにかまわず、着ぐるみは続ける。
「腕を動かしてごらん?きっと上手くいくはずさ」
ぐっ……ぐっ……
「……!」
着ぐるみの中で腕を動かす。
ぐぐっ…!
着ぐるみの腕がわたしの思ったとおりに動く。まるで自分の腕のように。
「え?動く…あれ?なんで!」
わたしは着ぐるみのフードから顔を出して、恐る恐る手を伸ばしてみた。
「わぁ……本当に動いてる……すごい!」
「だろう?」
着ぐるみの声がどこか自慢げに聞こえる。
「歩いてごらん?」
ぐっ……ぐっ……
わたしは一歩踏み出す。
ぐぐっ……
わたしの思ったとおりに着ぐるみの足が動く。
「え?なんで!」
「言っただろう?僕たちは『ひとつ』になったって…もうこんな偽装も必要ないね。」
すると着ぐるみのチャックがバラバラと地面に落ちてしまう。もともとただ金属を貼り付けていただけのようだった。
「え!ちょっとまってよ!どうやって脱ぐのよ!これ!」
「言っただろう。『ひとつ』になったって…。ぼくを『脱ぐ』?そんな次元なんかじゃない。」
「は…?」
着ぐるみが言っている意味が分からない。
「君は今、僕の中に入ったんだ。そして君は僕の身体の一部となった。だから、君の身体はもう元には戻らないし、君は二度と外に出られない。」
「はぁああああっ!!?」
「そういうこと。」
「いやいやいやいやいや!!どういう事よそれ!」
「だから言ったじゃないか。『ひとつ』になったって。君は僕、僕は君。そういうこと。理解した?」
「いや、ちょっとまって…それって…!」
一生この狼の着ぐるみ姿で生きろというのか。
「そういうこと。」
「いやぁああああっ!!」
わたしは頭を抱えて絶叫した。
「安心しなよ。『擬態』なら出来るから。どう?今すぐやる?姿だけなら元の姿に変えれるけど」
『擬態』…?
「じゃあ……お願い……」
わたしはすがるようにそう呟いた。
「わかったよ。ちょっと気持ち悪いかもしれないけど、我慢してね」
すると…
ぐちゃあっ!!
「ひっ!」
狼の着ぐるみの左腕が『ぐちゃっ!』と圧縮され、小さくなる。大きな手首と比べるとすごくアンバランスだ。
ぐちゃっ!
ぐちゃっ!
「ひ…ヒィィィ!!」
左手、手首、二の腕、肩とどんどん縮んでいく腕を見てわたしは悲鳴をあげる。しかし、不思議と痛みはなかった。
「サイズはこのぐらいでいいかい?」
確かに、人間くらいのサイズになった左腕がそこにはあった。青いふわふわとした毛を纏ってはいるが。
「う、うん…いいけど…」
「よかった!じゃあ続けるね!」
すると左腕の毛がするすると左腕に吸収されていき、代わりに腕が元の人間の肌の色に戻っていった。
「はい、これで左腕は完了だよ。」
「あ、ありがとう……」
しかしその指先には鋭い爪がついている。人間とは思えない鋭い爪。
「あ、でも着ぐるみだからやわらかいのか…」
「柔らかい?ふふふ…。じゃあそこにあるものに振り下ろしてごらん?」
ふと顔をあげると、10mほど先に放置された自転車が置いてある。のしのしと着ぐるみの身体を動かし、人間の手に擬態した左腕を振り下ろす。
ザン!!
カラーン…カランカラン…
「!!!」
放置自転車は左手の爪に沿ってバラバラに切断されてしまった。
「え…えええ!」
さっきわたしに触れられたときは柔らかく、ぶにぶにした感触の爪が今は鋭利な刃物になっている。
「な、なにこれ……すごい……!」
「はは、気に入ったみたいで良かったよ」
「いや!そうじゃなくて!」
キラリ。
なんだこの爪は…形だけは人の形をしているのに、鋭い爪はいとも簡単に自転車をバラバラにしてしまった。こんなの、危なすぎる。
「言っただろう?『擬態』だって…柔らかくすることも、硬くすることも出来る。調節は出来ないけどね。」
「そ、そうなの……?」
「じゃあ、もう一度触ってごらん?」
わたしは左手の爪を着ぐるみの右手で触ってみる。ぶにぶにと弾力のある柔らかさだ。先程の硬さは微塵もない。これなら危険はないだろう。
「…なんでもありなのね。」
「そうでもないさ。ベースはあくまで取り込んだ『中身』…そう、君自身さ。あとは僕の『力』によって、多少のことはできるってだけさ。」
「そう……。」
「じゃあ、分かってくれたところで一気にやるよ。」
するとわたしの全身がぐちゃぐちゃと音をたてて変わり始める。
「ひっ!ひぃぃ!」
「大丈夫。痛くはないよ。」
あっという間に粘土細工のように着ぐるみの身体は縮み、わたしのもとのサイズにまで縮んでいく。身体が縮むと、今度は毛がするすると体の中に取り込まれる。
「うわぁ…」
わたしは全身を見回すと、手も、足も、体もわたしの元の姿のように見える。大きかった体は年相応の女の子の身体になっていた。
「……よし、完成だね。」
「……って!なんでハダカ!!わたしの服は!?靴は!カバンは!?ねぇ!!」
「うるさいなぁ。僕たちにはその形は必要ないからぐちゃぐちゃにつぶしておいた。今や僕たちとひとつになっているはずさ。」
「えええ!?」
わたしのスマホも、充電器類もこの体の中に…?ていうか靴も?服は!?
むにむにと自分の体を触ってみるが、何も違和感がない。まさか本当に……?
「嘘でしょ……?」
「本当だよ。」
……まじか。
「ちょっとまってよ!スマホ高かったのよ!?」
「知らないよ。取り込んだ時に分子レベルまで分解したと思うから、もう取り出すことはできないだろう。君がその『スマホ』とやらの電子部品のひとつひとつまで完全に再現できるなら擬態出来るだろうけど…」
「一介の女子高生にそんなこと覚えられるわけないでしょ!」
「だろうね。まぁ、その『すまほ』とやらは諦めるしかないだろうね。『くつ』とやらも無理だろう。」
「うぅ……なんてこった……」
「で、もう質問は終わりかな?」
「え?」
「まだ聞きたいことがあるなら、また聞いてくれればいいよ。」
「そうね……あの、あなたは一体何者なの?」
「さっきも言ったけど、僕たちは『中身』を持たない存在……」
「中身を持たない…ねぇ。」
中身がないのにひとりでに歩く着ぐるみはなかなかにホラーだとおもうけど。
「そうだよ。僕は『狼』の着ぐるみ…出会った人間はそう呼んでたね。君は……なんて呼べばいい?」
そう言えば自己紹介すらしていないことに気がつく。
「『真弓(まゆみ)』…マユミよ。」
「『マユミ』……分かった。じゃあ改めてよろしくね。」
「ええ、よろしく……で、あなたのことはなんて呼んだらいいの?」
「僕の名前?好きなように呼べばいいじゃないか。僕たちには特に決まった呼称は無いからね。出会ったことのある人間は『着ぐるみ』…そう呼んでたけど。」
「でもひとつ言っておくわ…『人間』を取り込む着ぐるみなんて聞いたことがない。」
そもそもアンタみたいな喋る着ぐるみがいるか!
と言いかけたが、なんとか飲み込んだ。
「それは仕方ないよ。僕たちは元々『中身』を持っていないんだからね。」
「はぁ……そうですか……」
もうこの話を続けるのも疲れてきた。
「じゃあ、これからどうしようかしら……」
ひゅうう…
風が吹く夜の公園。近道しようとしたわたしが悪かったのか。こんな目に合うなんて…少し肌寒い風が…ん?
「あれ、寒くない…?」
季節は5月。まだ夜は肌寒いはずである。
「ああ、それかい?そんな『寒い』とか『暑い』感覚なんて必要ないだろう?ただ苦しいだけだし。」
「え……?」
「暑い、とか寒い、とか感じたいかい?残念ながら僕たちにはそんなもの必要ないんだよ。」
「…………そう。」
マユミは改めて思った。これは人間の姿を真似ているだけで、中身は別物なのだと。
「めんどくせぇことしてんなぁ…!」
顔をあげると、眼の前には『虎』の形をした着ぐるみが立っていた。
「あ、あなたは……」
「よぉ、久しぶりだなぁ。」
ニヤリ、とその着ぐるみの顔が歪む。フードの部分には穴が空いており、正面にはチャックのようなものがある。もちろん、中身は空っぽだ。
「やぁ、君かい?」
「ああ、久しぶりだな?お前とも…」
2人?は顔見知りらしく、わたしの頭に被ったフードと虎の着ぐるみが会話している。
「その様子だと、『君は』まだ中身を見つけていないようだね?」
狼のフードは虎の着ぐるみに対して何かを知っているようだった。
「ああ?うるせぇよ。そのうち見つけるさ。お前のやり方がまだるっこしいって言いに来ただけだ。」
「これは僕の『流儀』でね。一応、『同意』を取らないとひとつにはならないようにしているんだ。」
…半分無理やりだったけどな!とマユミは心の中でツッコミを入れた。
「へっ……どうでもいいぜ。俺は俺で勝手にやるさ。」
「……そうかい。」
どさっ!
音のする方を見ると、買い物帰りなのか、顔を青くした若い女性がそこにいた。
「着ぐるみが…しゃべってる…!!」
その非現実的な光景を見て、女性はその場に立ち止まる。
「おお!早速『中身』が来たか!」
すると虎の着ぐるみは素早く女性に近づく。
「ひっ!」
瞬きする間に女性の眼の前に移動した虎の着ぐるみは、音もなく女性の背後に立つと
ぐぱぁ………がぼっ!!
「ひうう…!!ぷはっ!なに!」
女性はいつの間にか虎の着ぐるみのフードをかぶらされてしまった。ぐいぐいと大きな力で女性の身体は着ぐるみの中へと押し込まれていく。
「いやぁああっ!!助けて!」
しかし、悲鳴をあげる女性を気にすることもなく、着ぐるみの中にある肉の袋は容赦なく彼女を吸い込んでいく。
「いやだ!出して!」
ずりゅり…ぴしゃっ!
チン…チン!
女性の身体はあっという間に虎の着ぐるみの中に引き込まれてしまった。チャックを模した金属が外れ、境目が無くなる。現在はフードから女性の顔だけが出ている状態だ。
ぐぐぐぐぐ…
みしみし…
「かっ…!?」
息が苦しい。身につけた着ぐるみがぎりぎりとわたしの身体を圧迫してくる。
「がぐっ…くうう…」
息が出来ない。このままでは窒息してしまう。
「がふ……!ごほっ!」
突然、締め付けていた着ぐるみの力が弱くなると、呼吸が楽になる。
「おらっ!いっちょ上がりだ!」
虎のフードが叫ぶ。
「ぐぶっ……!ごぽおっ……!!」
それと同時にわたしの口からも空気の塊が吐き出される。
「げほっ……ごほごほ!!」
やっとまともに息が出来るようになったわたしは大きく咳き込んだ。
「無理やりだねぇ…嫌われるよ?そんなやり方は…」
「うるせぇ!てめえがまだるっこしすぎるんだよ!こうしてやればすぐに『ひとつ』になれるだろうが!おら!人間!さっさと身体動かしてみろ!」
わたしは言われたとおりに身体を動かす。身につけた虎の着ぐるみが思い通りに動く。
「え!ちょ、何よ!なにこれ…脱げな…?」
「脱げるわけねぇだろうが!てめえはおれと『ひとつ』になったんだからよ!そのまま家に帰るなり好きにしやがれ!」
「はぁ!?こんな姿で帰れるわけ無いでしょ!」
虎の着ぐるみにフードの部分から女性の顔だけが出ているという奇妙な姿になってしまった。
「ちっ…うるせえな…!『擬態』してやるからちょっと待ってろ!」
ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ…
「ひっ…ひぃぃぃぃぃ…!!」
女性の着ている虎の着ぐるみがぐちゃぐちゃと蠢き出す。わたしの視界は真っ暗になり、やがて元に戻る。
「ほれ……これで大丈夫だ。」
「なにが……」
わたしは自分の手足を見る。先ほどまで虎の着ぐるみに包まれていたはずのわたしの手と足は、人間のものに戻っていた。
「うそ……!?」
「じゃあ、いっちょ上がりだ。これからよろしくな!」
「え…ああ。うん。て?服は!!」
ぎゃーぎゃーと騒ぐ女性と虎のフード。その光景を見ていたマユミは
「私のときもああだったのか…」
「僕はそんなに無理やりじゃなかっただろう?」
「一緒じゃない!」
「そんなことないよ。君だって最後は僕を受け入れてくれたじゃないか。」
「あのときはまだ何も知らなかったから……」
「……まぁいいよ。じゃあ、もう質問はないね?」
「え、あ、そうね……」
「じゃあ帰ろうか。」
「て…待ちなさい!こんなカッコで帰ったら通報されちゃうから!」
遠くの女性を見てみると、裸にフードという奇妙な格好…どうやらわたしもあんなふうになっているのだろう。あれ、あの女性の持っていた袋…
よく見ると、巷では有名な衣料品店のロゴが紙袋には記載されており、中にはおそらく衣服の類が入っているのであろうと思われる。
ざざざ!
裸足でわたしは女性のそばに駆けると、袋の中身を見る。砂や小石を踏んづけているにも関わらず、痛いとすら思わないということは、ホントに人間じゃなくなってしまったんだと思った。
「あ!ちょっと、あなた…!」
突然現れた狼のフードを被った裸の少女。女性は買ってきた袋の中身を勝手に見られ、慌てている。
「あった……!良かった……!」
そこには寝巻きに利用しようと思ったのだろうか?スウェットとズボンのセットが2つ入っていた。他にも下着類が3つずつ入っている。なぜかスリッパまで。
「あの!これ貸してもらっていいですか!洗濯してお返ししますんで!」
「え……あ、はい。て、ええ!」
いきなり『服を貸してほしい』と裸の少女に言われる女性。頭に被らされた虎のフードとぎゃあぎゃあと口論していたら、突然現れたハダカの少女に自分の服を貸してくれと言われたのだ。混乱するのは無理もない。
「ちょっと!それどういうこと!」
「このままだと私、家に帰る前に警察に通報されちゃいます!」
「それはあなたの都合でしょうが!なんで私があなたの分まで……」
「お願いですから……あ、お金は後できっちり払いますから!」
わたしは必死に懇願する。こんな状態で家に帰っても、家族から白い目で見られるのは間違いない。最悪、警察沙汰だ。それだけは避けたかった。
「はぁ……もう分かったわよ。」
「ありがとうございます!」
わたしは、袋の中から着替えを取り出し、その場で着込む。サイズは問題なさそうだ。
「ほら、あなたも…」
着替えを虎のフードを被った女性にわたすマユミ。
「え…ちょ…?」
「そんな姿じゃ帰れないですよね?」
そう言えばわたしの身体は裸に虎のフードを被った珍妙な格好だった。こんなカッコで帰れば、間違いなく通報されてしまう。
「う……確かに……仕方ない……けど……」
渋々ながら、女性もその袋に入っていた衣服を身につけ始める。
「人間ってのはめんどくせえな。それなら元の姿に戻ってやろうか?んん?」
虎のフードがニヤニヤしながら言う。
「あんなカッコのほうが嫌よ!」
虎の着ぐるみなんて着て帰って、もし知り合いにでも見られたらなんて言われるか…考えただけでも恐ろしい。
「そうかい。じゃあ俺の気が変わらないうちにさっさとしな。」
「言われなくても着るわよ!」
かくして、マユミと女性はお揃いのスウェットとズボンの姿になる。それに動物を模したフードを被っているという珍妙な格好だが、『人間より大きいサイズ』の着ぐるみ姿で帰るより、はるかにマシであった。
「あの…フード…」
マユミは女性に対して促す。
「ああ、そうね、忘れてたわ。」
ばさっ。
そう言うとフードを上げた女性の顔を見て、マユミは言葉を失う。
(髪が…トラ柄に…!)
女性の髪は黒から金髪に変わり、トラを模した縞模様に変わっていた。耳はゲームに出てくるエルフのように尖り、ふさふさとした毛が生えている。
「どした?なに驚いてんのよ…?」
ギョッとしているマユミに気づき、女性は怪しげな視線を送る。
「い、いえ……なんでも……ありません……」
「ふぅん?そう?あ、服は返さなくていいわ。お互い住所も素性も知られたくないでしょ?」
「は、はい……分かりました。」
「じゃ、さよなら。」
「あ、さようなら……」
女性はさっさと歩き出し、公園を後にする。
「さぁ、僕らも行こうか。」
先程の女性の頭を見て、マユミもフードを下ろし、耳を触ってみる。
……長い…明らかに、長い…!
そしてふさふさとしている。おそらくは髪の色も青くなっているに違いない。
ガバッ!!
狼のフードを深く被りなおすマユミ。
「……どうしたんだい?」
「な、何でもない!」
「ふむ……まぁいいか。」
狼のフードは、身体から生えているのか、引っ張ったときに背中の肉のが伸びるだけで、フード自体は伸びなかった。
[newpage]
「ただいまー!」
「おかえり。あら、どうしたの?そんなにあわてて…?」
マユミは玄関にスリッパを放り出すと、一目散に洗面所に向かう。
バタン!ガチャ! 勢いよく扉を開け、鏡を見る。
「やっぱり……!」
そこに映っているのは紛れもなく自分である。しかし、その顔はいつもと違った。
「髪の毛が…」
フードを外すと、セミロングの髪の毛が真っ青になっていた。まるでアニメに出てくるキャラのようである。
「耳も…」
耳もエルフのように長くなっており、ふさふさとした青い毛が
生えていた。
「ちょっと!これどうにかならないの?」
狼のフードに語りかけるマユミ。
「言っただろう?ある程度はできるけど、出来ないこともある。と。毛の色までは変えられないよ?あくまで『擬態』だからね?」
「……分かったわよ……」
はぁ……とため息をつくと、とりあえず部屋に戻り服を着替えるマユミ。
(明日学校に行くまでに元に戻ればいいんだけど……)
マユミはその日、一日中部屋の中で過ごしたのだが結局戻ることはなく、翌日もそのまま登校することになるとは夢にも思わなかった。
――――
「イメチェン?アキ?」
アキと呼ばれた女性は同僚に対して顔を向けずに話し出す。
「うん。そーいうことにしといて…」
あのあと鏡を見ると髪の毛の色が金髪になり、虎を模したメッシュがかかっていた。耳もエルフみたいに尖っており、ふさふさとした金色の毛が生えていた。
(………言ってよぉ…。)
少女が驚いていた理由はこれか。そりゃ道ゆく人に奇異な目で見られてたけど、格好のせいだと思ってた…
まさかこの姿が原因だったとは……
「なんかイメージ変わったねぇ。」
「そうかな……そうかも……」
「ま、いいんじゃな~い。似合ってるよー。」
「ありがと。」
同僚の女性に適当に返事をしながら机に突っ伏すアキ。服飾業界じゃなかったら、なに言われてたかわからん…
「あ、そういえば今日、新しいバイトの子来るらしいよー」
「へぇー」
「女の子だってー」
「ふーん」
「可愛い子だといーなー」
「はいはーい」
「あーもう!ちゃんと話聞いてる?」
「聞いてまーす…」
ふりふり…
手を振って答えるアキをみて呆れる女性の同僚だったが、その手には『虎』のマークがついた手袋がつけられており、アキの頭をぽんっと軽く叩くと仕事に戻るのであった。
「あーあー……疲れた……」
ようやく仕事が一段落した。夕方には新しいバイトの女の子がくるんだったか…頑張って教えてあげないとなー…そんなことを考えつつ、早めの夜ご飯を食べるアキだった。
―――――
「ああ!」
「あああ!」
「…なに?知り合い?にしてもキレイな青い髪よね。まるでアニメのキャラみたい。そう思わない?アキ」
指を差し合い、驚く2人に対して同僚は不思議そうな表情を浮かべる。
「う、ううん。違うよ。なんでもない。」
「そ、そうそう。」
慌てて取り繕う2人。
「あ、そうだ。紹介してあげるよ。新しく入った子。」
「あ、よろしくお願いします!狗賀真弓( くが・まゆみ)です!本日からよろしくおねがいします!」
「お、よろしくね。狗賀さん…」
今は初めて会ったフリをしよう!とマユミに目配せするアキ。
「私はアキ。横山アキ。よろしくね!」
ぎこちない笑顔。同僚にバレてないといいな…と祈るばかり。
「え、ええ。こちらこそ。」
「じゃあ、2人とも、仲良くしてあげてね。」
「「は、はい……」」
「じゃ、またね…!わからないことがあったら、横山さんに聞くんだよー?」
そう言うと同僚は去っていった。
「あ!あの…服…!」
「あ、いいっていいって。それよりも…」
アキは自分の頭を指差し
「なんで教えてくんなかったのさ!」
「え、なにをですか?」
「この髪のこと!」
トラ柄の金髪。今どきファッション雑誌でもなかなか見かけない。
「え……ええ!あれってそういうことだったんですか!?」
しどろもどろになるマユミ。
「どういうことさ!」
「てっきり、コスプレの趣味でもあるのかと……」
「あるわけないでしょ!」
「あ、やっぱりそうですよね、あははは…」
マユミは顔を背けながら
苦笑いをする。
「まったく……で?あんたもどうするの?その髪…」
マユミの青い髪を指差し、尋ねる。
「あ、これは……ヘアスプレーで染めます。それしか方法がなさそうなんで…」
すると首の後ろについたフードが喋り出す。
「全く…人間は不思議だ。髪の色なんてどうでもいいじゃないか。ねぇ?」
するとアキの後ろについたフードも喋り出す。
「だよな?むしろ誇ってほしいぜ?見ろよ。オレの立派な縞模様…!」
「「良くない!!」」
日本人は黒髪って基本でしょうが!とアキとマユミは声を揃えて叫ぶ。
「ふむ……そうなのか……?まぁいい。君たちの好きにするといいよ。」
そう言うと狼のフードは黙り込む。
「人の気も知らないで…」
アキは小さく呟き、マユミは
「はい……そうさせていただきます……」
と力なく答えた。
―――
「うわっ!」
カランカラン…
「どうしたの?」
乾いた金属音がしたのでアキはマユミのもとに駆けつける。すると、金属のハンガーが床に落ちているのを見つけた。
「なぁんだ…まだ緊張してんの?」
そう言ってハンガーを拾うアキ、するとハンガーは金属の部分が真っ二つに切れていた。
「………!!??」
ぶらん…とぶら下がる金属部分。その断面は刃物で切ったように鋭利で綺麗なもの。
「……?」
その光景を見て首を傾げるアキ。
「………すいません…」
「あ?いいよいいよ。古かったんでしょ。」
「いえ、違うんです!」
そう言うと、壊れたハンガーをアキから奪い取り、木の部分に爪を立てるマユミ。
ガリガリ…!
「……え?なに、それ…?」
深々と入り込むマユミの爪。そして次の瞬間! バキッ!!
「嘘……!?」
なんとそのハンガーは真っ二つになったのだ!まるで木を割るように簡単に!
「ええ…どういうこと…?」
するとマユミは割れた破片をアキにぐい、と押し付け、
「……横山さんもやってみてください」
「は?こんなもんそんな簡単に…」
さくっ。
「…………」
その光景を見て絶句するマユミとアキ。
「……え?そんな……私がやったときは……」
すると首についた狼のフードが喋り出す。
「あーあ。やっちゃったね。気をつけないと。」
「え!ちょ、これどーいうこと?」
何度もサクサクと自分の爪を壊れたハンガーの木の部分にサクサクと爪を刺すアキ。いとも簡単に爪が深々と刺さってしまう。
「どうなってんのよこれ……!」
その様子を見て狼のフードが口を開く。
「……だから言ったろう?あくまで『擬態』だ、と。どうする?『しごと』とやらが終わるまで、爪を柔らかくしておくかい?そしたらもっと上手く扱えるよ?」
「…………よろしく頼むわ」
「……だ、そうだ。君のほうもよろしくね。」
「けっ!人間はいちいちめんどくせえな…」
すると2人の爪がさっきとは異なり、ぶにぶにとしたゴムのような感触となる。
「……これなら商品を傷つけることはなさそうね…」
ぶにぶにとした爪の感触に、アキは(プルタブ開けにくそうだな…)
と心の中で思うのであった。
――
「ふんぬぅうううう…!!」
ぶにぶにとした爪で頑張ってジュースのプルタブを開けようとするアキ。
「おい、人間。爪の硬さをもとに戻してやろうか?」
「それしたら今度はプルタブが真っ二つになっちゃうわよ…ふんぬぅうううう…」
「なぁに。気にすんな。だったら上の部分を切り裂いてしまえば…」
「ちょっと……黙っててくれない?」
「はいはい」
そう言うと、ぷしゅ!とプルタブが開く。
「ふぃー……疲れたー…はい。狗賀さん。」
プルタブを開けると、マユミに手渡すアキ。
「ありがとうございます!助かりました!」
自身は持ってきたパックのジュースにストローを差して飲むアキ。
ちゅー。
「んー……!美味しい!」
「良かったですね。」
「うん!」
アキは満足げな表情を浮かべる。
「どう?仕事は?覚えられそう?」
ニ!と笑顔でマユミに尋ねるアキ。しかし、マユミは申し訳無さそうな表情を浮かべる。
「それが……まだ全然……」
「あー……まあ、最初はそんなもんだよ。私だって新人の頃はミスばっかりだったし。」
「そ、そうですか……?」
「うん。大丈夫。焦らずにゆっくりやっていこう?」
「は、はい!」
そう言うと、アキは優しく微笑みかけるのであった。
(可愛い……)
その笑顔を見て、マユミは少しドキリとする。
――
「お疲れ様でした〜!」
「お疲れ様でした!」
時刻はPM8時、学生の身分であるマユミは、アキに見送られながら帰宅することとなった。
「あ、ちょっと待って」
アキはマユミにメモを渡す。
「それ、私のラインのアドレス。何かあったら連絡して。夜中でも構わないから」
「あ、はい!」
するとマユミはスマホを取り出し、早速アキのアドレスを打ち込んでいく。
「これでいいかな……よし!」……ピロン♪メッセージを送信しました!という文字が表示される。アキはその画面を見ると、かわいいスタンプが送られてきていた。
「じゃ、また明日ね!」
「はい!おつかれさまです!」
マユミは手を振り、アキも手を振って見送るのであった。
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――
「ただいま〜」
誰もいない家に、アキの声だけが響く。
ドサッ!
はぁ〜。
今日も疲れた……アキはカバンを床に放り投げると、ベッドに飛び込んだ。
ピロン♪
「ん?」
マユミからのメッセージだ。
「あ、もう返信来た……えーと……」……なになに?「今日はいろいろと教えてくれて、本当にありがとうございました!」ですって?
「いいっていいって!またなんかあったらいつでも相談乗るよ!」……っと。
「ふふっ」
嬉しさのあまり、思わず笑みをこぼしてしまうアキ。……ってか、私もまだまだ甘ちゃんよね。まさかバイト初日でこんなに仲良くなるとは思わなかったわ。
「これから、楽しくなりそうね……」
ピロン♪
またマユミからメッセージが入る。
「やっちゃいました…」
画像には真っ二つになったジュースのプルタブが映っていた。とんでもないな、わたしたちの爪…!……でも、なんだか楽しそうね。
ぶにぶに…
ゴムみたいになっているアキの爪。
「ねぇ。」
「なんだ?人間…」
「爪の硬さ、元に戻してくんない?」
「ああ?なんでだよ?」
「ちょっと試してみたいだけよ」
「はいはい……まったく……」
するとアキの爪がカッチカチに硬くなる。狙いをつけて…
「やぁ!」
スパッ!!
ぷしゃっ!!
いとも簡単にチューハイの缶が真っ二つになる。断面から炭酸が吹き出し、テーブルを汚く汚す。
「おお……」
やばい切れ味だ。アルミ缶に振り下ろしただけで真っ二つに切れてしまうなんて……!しかも爪は無傷ときている。なんて恐ろしい能力……!
「その程度でいちいち驚くなよ…」
虎のフードは呆れた様子でそう言う。
「いや、現実離れし過ぎだから!」
包丁どころか、もはやダイヤモンド並の硬度ではないか…?
「これ、何に使うの?」
「さぁな。オレに聞かれてもわからん。身を守るための武器なんじゃないか?」
「武器…。」
こんなもので切り裂けば、人間の体など容易に切断できそうだ。はっきり言って、勝負にならないのではないか?
「やばいな…。もういいよ、さっきの硬さにもどして頂戴。」
「はいはい。」
するとアキの爪は元の柔らかさを取り戻す。ぶにぶにと再び柔らかさを取り戻すアキの爪。
「ふんぬぅうううう!!」
チューハイの缶が開かない。
「おい、どうすんだ?諦めるか?」
「いや、やる……!絶対開けてみせる……!」
ぐぬぬ……!プルタブに爪を食い込ませるがビクともしない。プルタブが持ち上がらないのだ。
「真ん中がほしい…」
とんでもなく硬いか、ゴムのように柔らかいか、その2択しかない。
一体どちらなのだろう……? ぐぐぐ……!ぐぐぐ……!
「おい、無理すんなって」
「うるさい!私は負けられないの!開けるまで止めないから!ふんっっっっぬぅうううううううう!!!」
すると力が入りすぎたのか、
ぐしゃっ!
ぶしゅう!
チューハイ缶を缶ごと握り潰してしまうアキ。中身が溢れ、アキの指を濡らす。
「あ……やっちゃった……」
すると虎のフードが喋り出す。
「あーあーあーあー……ったく……」
ボタボタとテーブルの上を汚す中の液体。
「………明日百均行こ。」
まさかこんなことでプルタブを開ける専用の道具を買うことになるとは……アキはため息をついた。