ここは、妖怪とケモノが共存する世界。
ある夜、タケナワという島国のとある地で、何かが始まろうとしていた。
ザワザワ、ザワザワ…
普段はしんと静かな2つの領を隔てる森。しかし今日に限っては、領を切っての大騒ぎとなっていた。
辺りから騒がしく聞こえてくる者々の声。森の端に設けられた舞台の上では、太鼓隊が息を整えていた。
「せぇーのぉ…」
隊長の合図で、隊員が一斉にバチを上げる。全員法被姿の河童だ。
皆が息を整え、しばしの沈黙が訪れる。
賑やかな祭りの声には耳も貸さず、隊長がバチを一振りした。
ドン!
すると、水を打ったかのように群集の声が失せた。
皆が息を整え、しばしの沈黙が訪れる。誰かの声が爆ぜた瞬間…
ドンドン、ドドン!ド、ドンドドン!
太鼓の音が森中に響き渡り、歓声が辺りからどっと弾けた。
祭りの始まりである。
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普段は誰もいない森の広場。しかし今は祭囃子が響き、食べ物の匂いときらきら灯るランプの光があちらこちらに広がっていた。
「おっ、お前久しぶり!結構元気にしてるじゃねえか!」
「そう言うお前こそ、自分の手まで切っちまったんじゃないかと心配したぜ。」
片隅ではふんどしを締めた網切と、果実酒を手にした若いヒョウが握手を交わす。
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それから、両者は抱擁した。その周りでも、妖怪とケモノが仲良く談笑している。
今日はこの森がまたぐ2つの領──「妖怪領」と「ケモノ領」が10年に一度開く祭りの日であった。
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今では考えられない事だが、かつて妖怪とケモノは互いに憎み、蔑みあっていた。
生命を尊重するケモノは「死んだ者や命無き者が生きている事は、生命の摂理に反している」と言い、対して妖怪は「地の伝承や作法を重んじるケモノは堅苦しすぎてやっていられない」と言った。
それから長い戦いが始まり、その中で命を失ったケモノは妖怪となってよみがえる一方だった。そうなった場合、生きる事はもちろん死ぬ事すら叶わなくなり、国中をさまよい続けた。
夜になると墓場やかつての戦場から、「体を返せ」「命を返せ」と聞こえてくる。それが常となり始めていた。
ケモノの長が生命の重さを、妖怪の主が生命の軽さを嘆いた。当時の両者は、夜な夜な亡霊たちの声を聞きながらさまよっていた。
「なぜだ、なぜだ…」と嘆く長。「どこへ、どこへ…」と悔いる主。
ある日両者は偶然出会ったが、どちらもひどく疲れていた。
場を共にした両者は互いに足りない所を持つ相手に惹かれ、寝床を共にした。
やがて最良の友となり、戦いは終わる。それから、両者の誤解が解けていった…
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宴もたけなわ。広場に並ぶ者たちがまばらになり、いくつかの屋台が店じまいをした頃…
森の隅に生えている、巨大なご神木──ここには、神霊となったかつての主と長が宿っているという話がある。
その下に、1つの土俵が建っていた。ヒノキとアカシアで作られ、頑強かつ荘厳な屋根が付いている。石の1つも落ちていないほど上等だ。
その周りには何十、何百もの観客が集まり、今か今かと何かを待ち侘びているようだった。
観客の間にはぽっかりと道が開けていた。2名ほどが歩いて通れるような一本道だ。
ご神木の辺りから1匹の妖怪が姿を現した。油の溜まったできものを体中に蓄えており、紫の着物をまとった化け蛙だ。
「…今宵の酣。溺、喧騒が始まる…」
蛙は詞事を詠む様に呟くと、腰辺りにぶら下げてある瓢箪の栓を抜き、妙に丸く尖ったその口に付けた。
中身の酒を口に含み、勢いよく吹き上げる。その酒霧は朧げな幻影を帯び、刹那のうちに紫色をした無数の花びらと化した。それらは突然吹き始めた夜風にさらわれ、辺りに散らばっていく。
蛙は小さめの声で気味悪く鳴き、再びご神木の陰に隠れていった…
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ズシン、ズシン…
ワァアァアアアア!!!!
地を揺るがすほどの足音が観客の間を割って入ると共に、辺りからは興奮交じりの歓声が飛ぶ。
老若男女が揃う観客たち。その間を丸太のような脚で歩く者は、巨体の猪であった。
さも自信ありげな目の先には、まさに栄光在れと喝采を浴びる自分を見ているかのような観客たちがいる。
対して、土俵を跨いだ反対側の道では、凄まじいほどの筋肉と金色に輝く角を持つ巨大な雷神が、客を見下ろすかのように闊歩していた。
ケモノと妖怪。2つの異なる種だが、両者には大きな共通点があった。
1つは生気溢れるたくましい体の男という点。もう1つはまさに荘厳たる程の飾りが付けられたまわしを締めている点だ。
両者は熱狂の歓声を浴びつつ土俵に立った。巨大な2名が向かい合う様は、まさに竜虎だ。
「よぉ、雷。また筋肉が付いたんじゃねえのか?」
「お主は…ちと肥えた様に見えるがな。ああ、そのへそを喰ろうて遣りたいわ。」
確かに、猪はかなり大きな出べその持ち主だ。アンコ体形の彼にはよく似合っている。
「へッ、お前だって相当だろうがよ。雷様?」
雷神は白金のような歯を見せながらニヤリと笑い、ズシンと大きく四股を踏んだ。先程と異なり、観客達から「ヨイショッ!」と掛け声が上がる。
「へッ…相変わらず、酒落くせえ奴だ…っと!」
ドスン!!
猪も大きく四股を踏んだ。先ほどより大きな掛け声が上がる。
「ヨイショォッ!!」
それを引き金にしてか、2匹はご神木に一礼し、外側に向き直った。猪の頑強な脚が上がる。
グ、ググググ…ドスン!
「ヨイショォオ!!」
続いて、金棒のように太い雷神の脚が上がる。
グ、グゴゴゴ…ドスン!
「ヨイショォ!!」
寄席の心算であろうか、両者は四股を踏み始めた。
その光景を目にし、奮うように笑う者たち。いずれも、目を輝かせた力士たちであった…
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[chapter:1番目 鬼ヶ島(300) 対 熊ノ海(25)]
ワァー!ワァアーッ!
待ってましたと囃すように、歓声が辺り一帯を包む。
ズシリ、ズシリ…
足を踏み鳴らしながら、力士たちが入場してきたからだ。
「東ぃー!鬼ヶ島ぁー、鬼ヶ島ぁーぁ!」
「西ぃー!熊ノ海ぃーぃ、熊ノ海ぃーぃい!」
四股名が掛かると、さらに観客たちの声が増す。
東側からは、筋肉と贅肉を見事に蓄えた赤鬼の[[rb:鬼ヶ島 > おにがしま]]が来た。口元には牙を蓄え、腹には彼岸花の刺青が入っている。
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西側の力士は、ヒグマの[[rb:熊ノ海 > くまのうみ]]。体型は鬼ヶ島とよく似ている。
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両者は土俵に入り、仁王立ちで話し始めた。本来の相撲ならこのような事は起こらないだろう。
しかしこれは妖獣相撲。本来とは範疇が違った。
「よお鬼ヶ島、立派に太ってくれて嬉しいぜ?俺も…こんなに腹を蓄えておめえを待ってたんだ。」
熊ノ海は焦茶色の太鼓腹をつかみ、大きくブルンと揺らした。蓄えられた脂肪と、立派にそびえた饅頭のような出べそが揺れる。
「ぐわははっは…立派に肥え太ったなぁ…。へその肉もこんなについて、まるで狸か何かのようだ。」
「おめえもそうだろうよ…なあ、そろそろ触らしてくんねぇかい?おめえの言うように150まで太ったんだ。」
熊ノ海は太鼓腹をその曲線に沿ってなで、再び揺らした。
鬼ヶ島は舌なめずりをしてそれを凝視し、たびたび赤いまわしの前垂れを揉んでいる。
「な?もういい加減…いいだろ。」
待ちこがれた物を目の前に差し出されたように言う熊ノ海。まだ取り組みも始まっていないが息は荒くなり、頬にはほおずきのような赤みがかすかに差している。
鬼ヶ島は胸を突き出し、何ら躊躇せずに言う。
「よかろう。ほれ、触れぃ。」
熊ノ海は恐る恐る乳首に指を伸ばす。
「おぅう…」
若い女ほどありそうな乳房の中核を熊ノ海がクリクリといじる度に、鬼ヶ島はえとも言われぬ切ない声を遺憾なく上げた。やがて乳首がピンと堅くなると、今度は胸を揉み始める。
「あぁっ…」
「へへ、感じてんのかい鬼。もうまわしの中ガチガチだもんなぁ…」
熊ノ海が挑発するように言うと、鬼ヶ島は彼の出べそを指でこりっと刺激した。
「おぁっ…!」
「何が『感じてる』だ。へそモロ感の変態野郎よ?」
その言葉に強い何かを感じたのか、熊ノ海が強めに乳首をつかむと、鬼ヶ島は強い唸り声を上げる。
熊ノ海は真っ赤になった顔をグイッと引き締めると、そのまま両拳を土俵にドスドスと強く当てた。
しーん…
突然、辺りが静寂に包まれる。鬼ヶ島も、その姿を見て一動たりともしない。
急に取った行動に驚いているはずがない。それが何を意味するかは、もはや暗黙の了解だった。
──始まりだ。
いつの間にか鬼ヶ島も、音を立てず片方の拳を土俵にゆっくりと当てた。
それを感知したがごとく、ネズミの行司が土俵に上がってきた。鬼ヶ島の顔にニヤリと笑みが生まれる。
「…行くぜ、あんちゃんよ。」
彼が両拳を突くと、行司の声が爆ぜた。
「はっけよい…のこったぁああ!!」
すぐに互いの体がぶつかり合い、バヂィイィンッッ!! と破裂するような音を立てる。
「「ワァアアアアア!!!!」」
がっぷり四つに組むと、そのまま土俵の中央で互いに力を発揮し、グイグイと押し合い、引き合い…
12文、いや13文が如く大量の汗をかき、豪者の如くグゴゴゴゴッ!と肉を押しあう。
「ぐっ…!やるじゃあねぇか!腹に腹がこす…れてっ…!! 気持ち良いぜ!!」
熊ノ海は油断を突くが如く、相手の空いた溝に手頭を突っ込んだ。
だが、鬼ヶ島はそれを待っていた。逆にぐるりと回り、熊ノ海の空いた腰に強烈な押し込みを食らわせる。
「ガァアアァアアアアアア!!」
バッチィンッ!
汗が辺りに勢いよく飛び散り、鬼ヶ島の柏手が熊ノ海の腰肉に突っ張りを極める。たまらず象のような足もぐらつき、そこを一気に攻め立てられ、がっぷりと横腰に組み付かれる。
それに対して熊ノ海もなんとか立とうとするが、時すでに遅しとばかりにその何貫もあろう足がジュジュジュ…と砂の焼き切れるような音を立て、次第に運ばれていった。
だが、熊ノ海はある作戦を思いつき、覚悟を決めた。
手を伸ばし、全力で腰をつかんでいる鬼ヶ島のまわしを握る。
熊ノ海の鼻先から目に掛けて、大量の筋が一気に走る。修羅の様な顔の彼が足に力を入れると、鬼ヶ島の進撃は止まり、足の音も擦り切れる。
すると体力切れと見たか、途端に鬼ヶ島は体を起こし、またもや熊ノ海と四つになろうと腕を伸ばした。
だがその瞬間、熊ノ海の体が爆ぜた。足から肩の筋肉が、まるで風船の如く膨らんだ。
観客たちから驚きの声が漏れる。
「あっ…浮いた…!!」
鬼ヶ島の体が浮き上がった。まるで無理矢理首根っこをつかまれ、持ち上げられる猫のように。
その下には鬼のような体の熊ノ海がいる。鬼ヶ島は感嘆の息を漏らそうとしたが、その瞬間…。
「ヵ…!ぁ…あぁああ…!!! うぉぁあぁああああ!!!!」
「どぉおらぁああっ!!!!」
ぶぅううんっ!
鬼ヶ島の視界が一気に揺れ、一瞬の浮遊感が終わったと思えば、次の瞬間…
ごおおおおっ…!!
全力を出した熊ノ海により、外に向かって放り投げられ、背中から土俵外に勢いよく体を打ちつける激しい感触が襲った。
「熊ノ海ぃいいいい~!!!!」
行司が勝ち鬨を上げると、熊ノ海は腹をのけぞらせ、「ウォオオォオォオ!!!!」 と雄吼えを上げる。
「わぁあああああ!!!!」
観客たちも喉がはち切れんばかりに絶叫し、ある者は涙した。
「う、ぉお…」
体を打ちつけて立てない鬼ヶ島が呻いていると、途端に熊ノ海は溢れんばかりの歓声の中、酷使した肉体が徐々に食いしばっていく事も忘れ、土俵の外へ軽やかに飛んだ。体重をも忘れたかのように。
「おお!」
驚きの声が起こる中、彼は鬼ヶ島の傍に着地し、徐々に吊りつつある筋肉を酷使しつつ手を差し出した。
「こ、今年は俺が勝った…な!」
倒れこんでいる鬼ヶ島がニヤリと笑い、その手を力強くつかむと、更なる声援が両者を包んだ。
その中で両者は抱擁を交わす。彼らには、床の親交があった。
勝者:熊ノ海
決まり手:鬼熊無想 諸手投げ
[newpage]
[chapter:2番目 猫囃子(70) 対 山猫座(20)]
興奮褪め止まぬ中、次の力士が入場してきた。
西側は余分な肉の無いキジトラ猫の[[rb:山猫座 > やまねこざ]]。足音を1つも立てず、土俵に上がった。
辺りからは彼と同じ猫たちの声が聞こえてくる。民族衣装を身にまとい、鮮やかな鳥の羽で着飾っていた。
それらの声援が一段と大きく場に響くと、山猫座はそちらを向いてにこりと笑った。
彼の本名はラゥーク・リジュ・トゥーカ。若いながらもこの部族の族長であり、今回の大会に参加した理由も部族間の権利などが目的だった。
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対して、ヨロヨロとした千鳥足で東側に入ってきた妖怪は、横幅が山猫座の3倍近くあり、大きな腹をした猫又の[[rb:猫囃子 > ねこばやし]]だった。こちらもまた後ろに化け猫たちがいる事から、何かの族長らしい。
猫囃子は土俵前で大きな徳利から直接ぐいっと酒を飲み干した。
ゴクン、ゴクン…嚥下するたびに喉が波打ち、太鼓腹が揺れる。
見事な一気飲みを披露すると、空になった徳利を化け猫たちに渡して土俵に上がった。
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「猫囃子ー!族長ー!」
応援が飛ぶ事からして、彼もそれなりの力を持っているのだろう。
観客の方を向くと、猫囃子は真っ赤な舌をべろんと出して見せた。
「東ぃー!猫囃子ぃー、猫囃子ぃーぃ!」
「西ぃー!山猫座ぁーぁ、山猫座ぁーぁあ!」
同時に、周囲から部族の声が飛び交った。
それを聞いた2匹は力を奮わせたのだろう。ボッと毛を逆立て、互いを威嚇し始めた。
「ウォオオオオ!! 」
両者の取り組みを囃す声が響く中、山猫座が口を開いた。
「お前…酔っているのか?」
若い声が通ると、猫囃子はヒックと喉を鳴らし、グェエ~ップ…とげっぷをしてから言った。
「酔ってるに…決まってるにゃぁあぁう。こんにゃ祭り事に…酔わずに…ヒック!いられるかってにゃあぁ?」
酒の匂いが鼻に通ると、山猫座は嫌悪するように鼻を押さえ、声を落として言った。
「こちらも容赦はしないぞ。部族の…それがしの誇りが掛かっている。」
山猫座は土俵に拳を付けた。
「それがしは林猫族の長。貴君のような…不埒物に負ける魂ではない!」
「ぉおおお!!!」
部族たちが勝鬨の声を上げる。
グェップッ…
猫囃子はまたげっぷを吐くと、妖しい眼光を山猫座に向け、ゆっくりとしゃがみ始めた。
「あんさん達が力ぁ入れても…構わねぇにゃぁあう…。」
三毛模様の拳が土俵を突くと、ネズミの行司が高く声を上げた。
「はっけよいっ!」
(この戦い…自分としても負けられんっ!)
(若造がぁ…「格の差」ってのを教えてやる…)
「…のこったぁっ!」
いきなり猫囃子の胸に鋭い突っ張りがパァアンッ!と入った。えづいた山猫座は、その溝上に頭を突っ込む。
「行けぇー!やっちまえぇーっ!」
辺りから猫たちの声がとどろき、山猫座はそのまま土俵の外まで足を進めた。
しかし、グッと力を入れて足を踏ん張ろうとも、猫囃子は一歩も進まない。歯を食いしばり、汗を滴らせて力を込めようとも、一歩も土俵外に体が動いてくれない。
「グゥウーッ!」
山猫座が苦し紛れの声を吐くと、猫囃子がやっと動いた。自分の胸を怒涛の勢いで押す山猫座の脇に、ぶくぶくと肥えた三毛模様の手を差し入れている。
それから、自分の顔に山猫座の顔を無理矢理引き寄せた。キジトラ模様と三毛模様が対面する。
山猫座が唖然としていると、いきなり猫囃子の腹がボコッと大きく膨れた。猫囃子はにやけ顔を浮かべて山猫座の顔を凝視し、いきなりその顔をベロンと大きく舐めた。
「うわあっ…」
山猫座は小さく悲鳴を上げ、その手から逃れようとする。しかし、自分には抗えない力で押さえつけられており、どうする事もできない。
「グ、グゥウ!さあ、やれっ!」
「んん~?そりゃああんさんを『すんなりガキのケツひっぱたくみてえ』に負かせって意味かにゃああ?」
「そうだっ!」
山猫座は威勢よく言うと、濁った猫囃子の目をその真っすぐな目で見つめ返し、悔しさに溢れようとも曲げていない信念を露にした。
「それがしが逆転することはできないだろう。今回は負けだ!」
山猫座の若い声が威勢良く響くと、途端に猫囃子はゴボゴボと音を立てる腹をさらに膨らませて言った。
「甘い。甘々だぜあんちゃんよぉ~。そんにゃ思いで族長のタマ張れると思うがぃ?」
ボコ…ボコッ…
猫囃子は腹の中で作られた何かを腹から喉、口へと流動させ、大量の吐息を山猫座目掛けて吹き出した。
ぶはぁあああぁあ…
とてつもなく酒気を帯びた息を吹きかけられた山猫座の瞳孔からは光が失せ、口梢は一瞬にして緩んだ。ガクッと膝が折れ、土俵に倒れそうだ。
「にゃふふぅふふふぅ…若造…」
猫囃子は力の抜けた山猫座の顎をガシッと持ち上げ、その筋肉に包まれた腹の中心…みぞおちにドスッと思い切り掌を埋めた。
「…!! が、がふぅっ!」
途端に山猫座の目に生気が戻り、えづき始める。だがそこでその体がふわりと宙に浮いた。
「ドリャアァアッ!」
猫囃子に放り投げられ、どしゃあああっ!と痛々しい音を立てて山猫座の体が土俵外に吹っ飛ばされた。
勝者:猫囃子
決まり手:酒香投げ
[newpage]
[chapter:3番目 風斬ノ座(年齢不詳) 対 鼬山(18)]
3番目が始まる前には、負傷した山猫座の体調検査がされた。土俵上には妖術医や薬草医が集まり、彼の体に青い汁を塗りつけている。
20分ほどすると、鼻に管を差し込まれた山猫座はゆっくりと目を覚ました。
頬はほんのりと赤く、目には酒の色が見える。彼はぼんやりとした顔で言った。
「ヒック…うぅ。そ、それがし…は…?」
「気がつかれましたか!あなたは酒香投げを喰らってしまって…」
同じく猫の薬草医が彼に言うと、山猫座は薬草医の肩を借りて立ち上がろうとした。
「あっ、だめです!族長!まだ酒気が…!」
すると、彼はまたガクリと肩を落とした。
「大変だ…急げ!」
数匹の猫が土俵に上がり、彼を特製の担架に乗せて運んでいった。
「…なんか、すげえ事になってんな。」
近くの柱に寄りかかっていた若いイタチの[[rb:鼬山 > いたちやま]]が、一言小さくこぼした。
しっぽが揺れている所を見ると、どうやらこのような事態への遭遇にはまだ慣れていないらしい。
「こえぇなー…」
彼が土俵に上がると、薬草医たちは即座に降り、代わるようにして大蛙の行司が入ってくる。
「さあて。」
青年にも満たないような風貌をした鼬山は、張り切るがごとく腕をくるんと回した。
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「しかし、妙だ…」
それから少し経った頃、彼は思った。
土俵周囲の灯で蛾が燃え、羽に火の付いた状態で飛んでいく様子を眺めていると、かれこれ数分は経っただろうか。鼬山は待ちくたびれたように息を吐いた。
「なんだってんだ。遅すぎるぜ。」
そう思った彼は行司に言ったが、相手は何も答えないどころか、それは禁句だと言いたげな顔でじろりとこちらを見た。
「けっ、蛙野郎…排他主義…」
彼はそうこぼすと、燃え立つ炎をまた見つめ始めた。
さらに数分後、鎖の音がどこからか聞こえてきた。
それに気づいて音のする方を見ると、同じくイタチの姿をした妖怪──カマイタチの[[rb:風斬ノ座 > かざんのざ]]が体と手を隠され、両肩を牛頭馬頭につかまれながら土俵の方へ向かっていた。
「いてえなぁ、もっとゆっくり歩いてくれよ。」
彼は言うが、牛頭馬頭は歩調を崩さず進んでいく。
鼬山がそれを見ていると、風斬ノ座と目が合った。まるで紅玉のような赤い目をしている。
すっかり夜に慣れた目にはそれがやたら妖しく見え、闇夜に浮かぶ血のしずくのようにも思えた。
鎖の音は、彼の手元から出ているらしい。周囲の観客たちは風斬ノ座が歩いてくる度におののき、辺りを開けて身を引いた。
軽い悲鳴が聞こえる様子を見ると、相当恐れられている妖怪らしい。
土俵前に行くと、体と手を覆っていた布が取られた。紫のまわしと黒鉄の手錠が目に入る。
手錠の枷はかなり大きく、馬の鐙のように太く見えた。実際はその鞭にも満たない大きさだっただろうが、そう見せる事が土俵の魔力。怪しい感覚と雰囲気に少しずつおかしな感覚を共有してくるようになった。
牛頭が服の胸元からいびつな髑髏の形をした鍵を取り出し、風斬ノ座に冷たく言い放つ。
「手を上げろ。」
そう言われた風斬ノ座はへっと余裕の態度で鼻をしゃくらせ、黒鎖が絡む諸手をすっと上げた。
その中…と言っても多数の鎖がくねり、絡み合っていて何が何だかわからない、まるでムカデがうじゃうじゃと絡みついているような所に鍵が挿し込まれた。
その光景の静けさ…
鍵が折れるような音がすると、めきめきと音が響き、鎖が崩れ始めた。
曲がり、歪み、腐り、かび…まるで何かの生物が腐っているかのような様態を現した鎖は、風斬ノ座の手を離れるとあっという間に風化して塵となってしまった。
「ウケケ、ウケケケ…」
「おい、まだ私語は慎め。」
「…ぁこりゃあ失礼…ウケケケ…なんせ久しくの娑婆ですからね、心地よいと言ったらありゃあしません。」
風斬ノ座は手錠の外れた所を懐かしむようになで、妖しい笑いを浮かべた。
「懐かしいぃ~…。ぁ…。ああ、愛おしき我が腕よ…。」
「…おい!腕を押さえろ!」
馬頭がハッとして言うと牛頭は眼を大きく開き、そのまま肩を握りつぶすかのようにつかむ。
それに続くように馬頭も肘辺りをもぐように諸手でつかむが、その瞬間、刀で素早く斬ったような音がした。
2頭の腕に赤い線が鮮やかに引かれ、そこから血桜が吹雪く。
「…ぁ、いやいや…これも一興一環…許しておくんなましょ。」
風斬ノ座は、まるで時が止まったかのように大口を開けて立っている牛頭馬頭の腕を、女のように柔らかい手で払い落とし、そのまま土俵に向かって歩いていった。その背後で2頭が倒れる。
腕から出ている白い刀のような物をシュッと振ると、地面に血しぶきが飛んだ。
「ちと、腕の三法を裂かせて頂きやした。死にゃせんでしょ?」
三法とは急所の1つ。ここでは語らないが、体には無数の急所がある。
悲鳴と恐声の中、恐ろしいような、雅なような様態で土俵へ歩いていく。
何とも妙な風格の妖怪だった。体はまるで粉雪のように白く、かといってそこまで柔らかな印象という訳でもなかった。その目は赤く光っている。
まるで何頭も喰らってきた大妖怪かと思えるほどの風格には、静かな深海を思わせる恐ろしさと、夜桜を思わせる可憐な美しさがあった。
先ほど塗ったのだろうか。その口元には紅が塗られ、白い雪の中に吐かれた喀血の如くそれを彩っていた。
それから、鼬山。
彼はいともちっぽけな存在だったが、今この場において、少しだけ通常と離れている感性を発揮していた。
いつのまにか土俵に上り終えた風斬ノ座は、行司に恐ろしくも鮮やかな微笑を湛え、手から突き出た白い刀を見せた。
「おいお前さん。この手は武器に入るのかい?」
「え、あ…武器に…入る。」
「…よろしゅう。」
すると奇妙な事に、握った拳の横に突き出しているくないのような刀が、しゅるり、しゅるりと手の内に納まった。
風斬ノ座は小さな笑いを湛え、その女とも男とも言いつかぬ艶かしい、耳の中に絡みつくような声で言った。
「これで、よござんすか?」
「…ぁ、あ、あぁ…」
フッと小さく笑みをこぼした彼は行司の足元にしゃがみ込み、小さく「それ」を存在させている膨らみに手をやった。
「ぁぅ、貴様、何…を…」
「うふふふふ…行司さんったら、あちきの『ナニ』でも想像しなかったんかい?」
バラの蕾をなでるように愛おしむと、膨らみが大きくなり、じわりと汁まで浮いてきたそれをピシッと指ではじいた。
「あっ…」
「うふふふ…あい、すまないねえ。ちゃあんと『ある』から大丈夫だからねえ?」
がくっと腰を抜かしてしまった行司を後にして、兎のように赤い目を鼬山に向けた。
「あんさんがこの風大斬ノ郎のお相手かぃ?」
──美しい。この美麗な妖獣斬りを前にして、鼬山は思った。
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[[rb:風大 斬ノ郎 > かぜのだい ざんのろう]]──元陰間(所謂、男の身売り)の売り子であったカマイタチ。
過去に裁判官、警邏、歌舞伎俳優などを計2357名程殺害。
うち、麗良な男児約32名を同喰。それらの胃腑、肺臓、膀胱、心臓を塩漬けにしている際、逮捕された。
判決は禁固7500年。だが、その中70回脱獄。その度に看守を大量殺害。
薬物、酒精の類は一切なし。精神鑑定では「正常」を受けた殺害犯である。
「どうした、腰が引けちまったのかい?」
声が頭上から響いてくると、鼬山は自らがおのずと構えを取っている事に気がついた。
「こ、これは相撲の構えです。『相手に敬意を表し、武器を使わない』という事を表すと…」
変に丁寧な口調で鼬山が説明すると、風斬ノ座はくすくすとほほ笑んだ。
「そいつぁあたしの無知が当たったねえ。なんせ相撲なんざ今まで見た事もやった事もなかったんだからねえ。」
「…えっ、相撲…始めてなのですか?」
「改まらなくていいさ、あたしの方が年は行ってると言えども…相撲の場じゃあおめえさんが先輩だねえ。」
「あ…じゃあ。」
鼬山が口を開こうとすると、途端に行司の声が鳴った。
「東ぃ~~!!! 風斬ノ座ぁーぁあ、風斬ノ座あぁあー!!」
辺りからわき出した観客たちの轟声に、風斬ノ座は耳を塞ぐ。
「うるさいねえ…これが相撲の行事なのかい?」
「あ、いえ…これは『妖獣相撲』なんで。おいらも、出場は初めて…」
「西ぃ~~!!! 鼬山ぁ~ぁあ、鼬ぃ山ぁ~ああ!!」
「何、おめえさんは鼬山ってえのかい?さぞかし名のある力士さんかねえ?」
「あ、いや、おいらは…」
それが、今はどうだろうか。
相撲を知らずと言った風斬ノ座も、今や真剣な顔で地に拳を突いている。
その顔には砂が付き、麗しい白い毛皮は今や野良イタチの様に泥に汚れ、真紅の目の奥には黒目を輝かせている。
「はっけよいっ…のこったぁっ!!」
ぐぐっと歯を食いしばった鼬山はすぐに駆け出し、そのまま風斬ノ座の胸板に大きな音を響かせて突っ込んでいく。
「ぎ、ぎぎぎぎ…!!」
胸の真ん中に鼬山を捉えた風斬ノ座も歯を食いしばり、そのまま後ろに成す術もなく下がっていく…かに思えた。
彼の細い脚はそのまま土俵に食らいつき、がくっと腰を下げ、そのまま地に押し付けられる。
足の関節が回転し、体も大きく回転していくと、2匹の位置が逆転する。
そのまま押し切る…かに思えた。
一戦目は始まるかに思えたが、途端、一度目にしてすぐに手から1本の刀が出てきてしまい、鼬山はそのままかわした。
それから少し経つと、2匹は勝負に没頭していた。
互いに力を押し入れ、出し切り、燃焼させる。そこに壁と言う物はなかった。
「うぉぉおぉお!!」
突然の怒号。白い体が宙を飛び、土俵の外に投げ出された…
勝者:鼬山
決まり手:うっちゃり
[newpage]
[chapter:4番目 河ノ淵(60) 対 川ノ関(21)]
夜も完全に更け、今にも落ちそうな大満月の下。いまだに熱狂冷めやらぬ観客たちがまた大きな声援を上げた。
土俵にはまた、妖怪とケモノが1名ずつ立っている。
その妖怪──河童の[[rb:河ノ淵 > かわのふち]]は持参した力水を頭の皿にぶち掛けると、黄色いくちばしをニイッと妖しく歪めて微笑を湛えた。
相手はカワウソの[[rb:川ノ関 > かわのせき]]。彼の背丈は横にある柱の半ばほどで、まだ成長半ばと言った所だろうか。河ノ淵の体が余りにも大きいため、余計に小さく見える。
河ノ淵は深緑色の表皮をぐあんっと振るい、水を周囲に跳ね飛ばし始めた。そのうねる大蛇の様な艶めかしさ、するすると形を変形させる筋肉…
両者は土俵を踏んだ。暗黙の了解で周囲も声を潜める…
「東ぃーいーぃー!河ぁノぉ淵ぃ~~ぃいぃい、河ノ淵ぃ~!!」
四股名を呼ばれた河ノ淵は、泥や汗で汚れた黒いまわしを叩いた。湿った音と共に、その腹も少し揺れる。
河童という種族が川に住むように、元来はずいぶん呑気らしい。その長身のせいか筋肉も付いているが、それよりも脂肪の量が多い。
うまい物をたらふく食ってきたようで、へそもそれなりに──いや、並以上に膨らみ、突き出ていた。
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「西ぃーい!川ぁノぉー関ぃーいぃ、川ノ関ぃーい~!!」
「よし。」
若い声を1つ上げた川ノ関は、そのまま首や手をぐるぐると回し始めた。
少し緊張を背負っているようで、油の滑っているような上質な毛皮には、汗のしずくが浮かんでいた。
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それから相手を見据え、息を吐いた。河ノ淵が目を向ける。
「何だ、おいらじゃ不安ガッパ?」
そう言うと、川ノ関は相変わらず首を左右させながら言う。
「そうだ。」
すると、おおっという声があちらこちらから聞こえ、河童の口角がわずかに上がった。
「ほう?お前さん、相応の気勢と気合があるらしいパァ~?それとも、単なる気勢かグワ?」
「…お前の方こそ。ほら、右肩を痛めてるだろう。」
「…なぜ分かったッパ?」
「さあな。」
川ノ関はその場にしゃがみ、拳を地に付けた。
「…[[rb:qua > 野郎]].」
河ノ淵も河童語で言い、拳を片方突いた。
「見合って…はっけよい…のこった!」
両者は互いにぶつかっていく。すると何という事か、河ノ淵ががくっと横に寄った。
「おあぁっ!!」
感嘆と驚愕の混じった声が飛び交い、河ノ淵はまたしても川ノ関に突っ込んでいく。
頭の皿がある河ノ淵は胸板から突っ込むが、激しくぶつかる音が鳴っても彼の体はまた横に反れる。
ギギッとくちばしを食いしばる中、川ノ関は余裕の表情でそこに居た。
すると、河ノ淵が両手をバッと広げた。相手をつかんでしまうという算段だろうか。その試みは成功し、小豆色の毛皮を手に捉えた。
細い胸板に水かきのついた手が食い込むと、一言口の中で呟く。
「que.」
それから、ガッチリとつかんだまま土俵際まで押し出そうと足を踏み込んだ…それがいけなかったのだろうか。
川ノ関はつかまれながらも余裕の表情を浮かべ、河ノ淵の内側に向けて体を押した。
(押されていながら、中に──?)
より手の内へ届くように体を沈ませると、土俵際ギリギリの所でやっと初めて気合の入った顔を見せた。
すると鮮やかとばかりにその細い体が、手の中からぬるりと抜け出た。
勢い余って、河ノ淵の体が大きく揺れ、自らの力で土俵外へと投げ出されてしまった…
「どぅぁぁああぁああ!!!!」
ばぁっ…ズシィイィイイィン!!!!
「…勝ちだな。」
川ノ関が元の位置に戻っていく。油のような毛皮の表面を汗が伝い、まるで体が光っているように見えた。
勝者:川ノ関
決まり手:皮流流し
[newpage]
[chapter:5番目 稲成山(700) 対 飯杜狸(46)]
ごう、ごう…
土俵からかなり離れた森の中。遠くからわっと聞こえてくる歓声に混ざって、1つの大きないびきがこだましていた。
今宵「妖獣相撲」の覇気を感じてか野生の動物は巣穴に引っ込んでいるものの、飛ぶコウモリや少ない鳥たちはそれを聞いてか早々と巣からも去る。それほどそのいびきは響いていた。
その主は、サルスベリの木に寄り掛かって眠り込んでいる大きな狸の[[rb:本太郎 > ぽんたろう]]だった。四股名は[[rb:飯杜狸 > いいもり]]だ。
ゆるりとした浴衣を着ているもののずいぶんとはだけており、はだけた合わせからは太鼓腹と出べそが、下はずるりと下がって少し黄ばんだふんどしが見えていた。
どうやら彼はだいぶ前からいたようで、その緩んだ腹には数枚の木の葉が乗り、呼吸に合わせて揺れていた。
ボーン!
火薬の爆発したような音が突然響き、狐の[[rb:今乃助 > こんのすけ]](四股名は[[rb:稲成山 > いなりやま]])が白煙をまとって現れた。
こちらはきちんとした祭服を身に纏っており、口の横にはちょこんと紅を差している。
本太郎とは相反するようなその薄金色の毛並みが揺れる度に、しゃらん、しゃらん…と鈴の音が辺りに鳴った。響き渡るいびきとは雲泥の差だ。
今乃助は品のある仕草で、よだれを垂らして眠っている本太郎のしっぽを踏みつけた。
「ぎゃっ!」
本太郎は慌てて飛び起きた。目覚めて早々、彼の髭が狐火で焦げた。
「ぐぁあちちちちち!!!」
「これ狸!お前、なんだその様は!それでも我が宿命の敵か!」
今乃助が言っている間にも、本太郎はさぞ熱そうに髭や肉の垂れた頬を扇ぎつつ騒いでいる。
「あちい、あちい!」
「おい!聞いているのか本太郎!」
「ってて!てめぇ聞いてるわけ無いだろうが、このスットコドッコイ!いきなり俺の髭焦がすなんざ!てめぇ泣かされてぇのか坊主!」
「なんだと?お前はいつも私をガキ扱いするが、お前より何倍も生きているのだぞ!」
「やかましい!」
本太郎は少々不機嫌そうに立ち上がり、キュッと帯を締める。
その顔にはいらだちの色が見えるが、今乃助もそれに相応しい顔をしていた。
「祖先がなんだといつも言ってるがよ!おめえはいつもお袋のすねかじってる仲かい!へぇ!そりゃあ身分のいいこって!」
「はあ!? 私はなあ、お前がまだ草の間で小便をする頃から貴様を知っているのだぞ!格下も言い所とは言ったものだが、お前のような格下はいらん!」
「小便がどうした!小便くせえガキが!酒も呑めねぇガキは寝小便ちびんだろぉが!」
「誰が小便ちびりだと無礼者!腹周りと背ばかり大きくなりおって!大体貴様のような下品な狸が…」
彼らは育ちと生まれは違えど、はるか昔から因縁のある血の元に生まれた2匹であった。
もともと狸は「化け狸」と「妖力を持たない普通の狸」の2種に分かれるが、本太郎の祖先は一級の化け狸。今乃助の祖先と互いに鎬を削る中だったという。
今でこそ妖力を持たずに生まれた本太郎だったが、妖力を持って生まれてきた今乃助といがみあっていた。
不思議な事に本太郎は大きく成長し、でっぷりとした腹や山のようにこんもりとした体格を手にした。
しかしその精神はやや子供じみており、妖怪である事から40年経った今でも少年の姿を保っている今乃助にとってはいつでも同世代のように思えていた。
その甲斐あって、古来から化かしあうと言われるこの2匹は、今でも均等に互いを牽制しあい、火花を散らしていた。
「けっ!このスットコドッコイのトンチキ狐野郎が!そのしっぽの先の白い部分は、どうせしっぽで鯉でも釣って先の毛をちぎられたんだろうよ!」
「ふんだ!きさまのその目の隈こそ、やたらと風呂を覗きすぎてふやけてしまった色なんだろうよ!」
「んだと、この油揚げ狐ぇ!!」
「やかましいぞ、天ぷら狸ぃ!!」
騒いでいるうちにずいぶんと時が経ち、彼らの頭にはある共通の事項が徐々に浮かび上がってきた。
それは、自分たちの出場する取組の開始時刻が来た事だ。
「おい狸、今何時だ。」
「あぁ?…げっ!」
本太郎は浴衣から錆びた懐中時計を出すと、まずそうに呻いた。それを聞き逃さんとばかりに今乃助も文字盤を目に入れ、うおっと声を上げる。
「…な、南無三宝!! すっかり遅れてるじゃあねえか!!」
「なっ!! ほ、本当だ!!」
そう言うと2匹は風のような速さで森を出て、歓声の止んだ土俵へと向かった。
その最中もしっぽを揺らし、へそを出し、競っていた事は言うまでもない。
「東ぃ~い、ひがぁしぃい~~い!稲成山ぁ~、稲成山ぁ~~!」
「西ぃ~、にぃ~しぃい~~!飯杜狸、飯杜狸ぃい~~!」
行司が言うと、歓声が響いた。1匹の狸がニッと笑みを浮かべて土俵の西側に立っている。
無論彼の友も歓声の中に入っており、狸も数多く来ている。それらを見つけると飯杜狸はポンと腹鼓を打ち、ますます歓声を沸かせた。
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その反対には、彼の好敵手であるシュッとした体格の狐が立っている。まるで修行僧の練習のごとく、豪勢な声がその後ろより湧き上がった。
それに一瞬飯杜狸への声援も止まりかけるが、怯む事など知らぬとばかりに狸たちがポンポコポンと腹太鼓を打ち始めた事によって、また威勢がついたようだ。
声援が復活した。それに負けぬように狐の神族たちも仰々しく応援の言を吐く。
それを背に受けながら、飯杜狸はへへっと笑っていた。
「何がおかしい?」
稲成山が言うと、飯杜狸はその減らない口で彼に返した。
「わからねえのかい。おいら達のお陰でよ、こんなにも皆が一丸になってやがる。」
そう言われた稲成山ははっと気づかされたような表情を一瞬浮かべたが、すぐに元通りの誇らしげな顔に戻って言った。
「当たり前だ。貴様に分かって、私に分からんものか。」
飯杜狸はまるでそれを待っていたかのようにへへっと笑うと、汚れたまわしをなで、太鼓腹をポンッ!と大きく打ち鳴らし、普通より多少大きく膨らんだ前をなでて言った。
「へへ、お前は相変らずだぜ。」
それからしゃがみ込んだ。それを待っていた稲成山は、偉そうな態度で太ももに手を当てている飯杜狸を嫌そうに見下ろして言った。
「何年たっても、お前は嫌な奴だ。
…う、ぉ、お、ぉ、おおぉぉおおおぉお!!!」
突如、稲成山が吼えた。周りがワッと沸く中飯杜狸はニヤリと笑い、稲成山は遠吠えする狼のように土俵の天井を見上げる。
すると、手足の筋肉がボッと爆ぜた。少年ほどだった背が見る間に伸び、飯杜狸と同じほどの身長と化した。
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「これで、戦う準備はできたか?」
「…愚問だな。」
稲成山は筋肉で膨れ、強靭な狼のようになった肉体をゆっくりとしゃがませる。妖術によってまわしは取れず、そのまま仕立て上げられたかのような正確さをもって体に張りついていた。
「見合って見合って!」
それを見ると、飯杜狸は滑稽な気分になってへっと笑ってしまう。
「はっけよい!」
(だが、それもいいかもな。)
そう思うと、両者はゆっくりと拳を土俵に付けた。
「…のこった!」
行司が声を挙げると同時に、2匹の間にバチンッ!と鋭い肉の爆ぜるような音が響いた。
その痛みか、両者は顔をゆがませ、互いのまわしに手を回して食いしばる。
「妖獣相撲」への参加は初であったが、彼らの相撲には普段から技や搦め手が一切なかった。
「ぐぅうぅうぅうぅう…!!! っ…おぉおぉ…!!」
両者はがっぷり四つのまま、互いに引き合うことなくそのまま、まるでカブトムシの相撲のごとく、互いにまわしをつかんで後ろにある足の筋肉を支えつつ、力の限りに相手を押しあう。
足の筋肉はギ、ギギ…と悲鳴を上げつつ、両者の激しくも静かな闘いを支えていた。
彼らが土俵の中で押しあっていると、相も変わらず互いの勢力が雄たけびともいえる叫びを両者ともどもに浴びせていた。
「ウォオオオオォオオ!! 本太郎ぉお!! 言わしてやれぇええ!!」
「怯むなぁ!! 我が稲荷の力ぁあ!! 見せてやれぇえ!!!」
「行け、やれ、ぶちかませ!」
「押せ、引け、頑張れ!」
それを聞くたびに「やらねば」と言う気持ちが込み上げ、今にも折れそうな力がさらに引き出される。
厚い布のまわしをつかんでいると、自然に指の皮が裂け始め、まるで針に刺されるような痛みが走った。
だが、それぐらいでは怯まない。今にも食らいつきそうな野獣のように、そのまま相手の体を外へと押し出す力を更に引き出そうとする。
「ぅ、おぉお…!!」
すると、稲成山の足がジリジリと焦げるような音を上げ、少しだけ前に進んだ。
それを聞いてか「おぉおおお!!」と大きな声が上がり、飯杜狸には「負けるな!」と必死の声が寄せられる。
「ぐ…!! ぬ、ぅうぅぁあぁぁ!!」
足が止まった。稲成山はぐうっと痛恨の顔を浮かべるが、時すでに遅し。
「おぉおっ、お、ぉ、おぉお!!!」
「うォお…ぁああぁ…」
必死で堪えている足が、後ろへ下がっていく。
稲成山は歯を食いしばってその腕や体を逸らそうとするが、まわしをつかまれていてどうしようもない。
彼の足は土俵の中から進み、とうとう土俵際まで来てしまった。
(まずい、負ける、負けてしまう…!)
そう思った彼はかっと目を見開き、また足に力を集めて耐える事はせず、そのまま反撃に転じることにした。
ギギギギギ…牙がこすれ、歯が粉になってしまうと思うほどの音を立てると、なんとその足が止まった。
「「「「「おぉぉおぉおおおぉおおおおお!!!!!」」」」
「ハァッ、ハァアッ!ちっ、くしょ…!!」
「ハッ、ハァッ!! あ、悪態をつく…!暇はないぞ!」
再び互いのまわしをガシッとつかみ、バチンッ!と首と胸を強く叩き合わせた。
ちょうど胸と胸が交差する体勢。2匹は、最後の力比べをするつもりだった。
「ぅぁあおっ…!お、ぉおお…!!!!」
「ぅああっ、あぁっ!ぁああぁ、ぁあぁあああぁ!!!!」
互いに雄たけびを上げ、純粋に力比べを始めるなど、普通の相撲ではありえないだろう。
だが、この「妖獣相撲」ではそれが起きた。
2匹の目が深紅に染まり、鼻血がドロドロと出始めた頃…まるで1本の糸が切れたような音がした。
[newpage]
ブチッ!
一筋の音が辺りに鳴り響くと、辺りからうわあっと声が上がった。それに交じって女たちの悲鳴も聞こえる。
その視線の中に立つ2匹はふとその声に気づき、互いの胸から体を離す。
「うぇっ!?」
「うわわっ…」
次の瞬間、両者は急いで股間を隠した。互いの腰に巻かれていたまわしが、どちらもちぎれてしまっている。
それにそぐわないとばかりに、行司もあわてて鬨の声を打つ。
「ひ、引き分け!」
「えっ、引き分けだぁ!? 納得いかねぇぞこの野郎!」
「まぁ待て!股間の『それ』をしまわんことには格好もつかんぞ!」
啖呵を切ろうとしている飯杜狸に稲成山が言うと、飯杜狸は股間でぶらぶらとしている玉をたちどころにばっと手で隠す。
「へ、へっ!こりゃかなわん!」
「だが、まあ良いではないか!今年はこれでしまいだな!」
「そ、そうだな…!おい、頼んだぜ!」
ドロン!
稲成山は指を組んで煙を上げ、飯杜狸と共に消えてしまった。
土俵外からはあっと声が続くが、土俵からは何の声もしなかった。まるで化かされたように…
[newpage]
[chapter:奇夜から来た狸]
「やれやれ。観客達は妖術を知らないと見たか、てっきり化かされたとばかりに困惑している。これならあと10分は時間が稼げそうです。」
「おう、いつもながら見事な身消しだ。」
相撲会場から幾分か離れた野原。今乃助がそこにいるもう1匹の狸に向かって言うと、本太郎も腹を鳴らして言う。
「へっ、誰が化かすもんかよスットコドッコイ。勝負をやらぬは男の恥ってな。」
「おいおい本太郎、『シモ』出したまま恥はねえんじゃねえかい?」
「おっとと…確かにそうでさぁ。
しかしまあ、叔父貴にはいつも助けられっぱなしだな…恩に着るぜ、[[rb:禄衛門 > ろくえもん]]の叔父貴。」
「よせやい本太郎!おいらはもう足を洗った身だ…叔父貴じゃなくて、旦那とでも呼んでくれ。」
そう言うと藍紫の甚平を着た狸は2匹と肩を組みつつ、そのままニヤリとした。
彼の名は禄衛門。この辺り一帯で名を轟かせた化け狸だ。
「しかしまあ、おいらもそれって所でしか呼ばせてないもんで…家中の奴らにもそう呼ばせてた所存…」
「やっぱし禄さんはどっかしらぬけてんだよなあーっ。この前も茶店でがま口が無いと探し回ったばっかりだ。」
「ニョホホ…おまけに、財布はてめえの尻の下ときたもんだ…おいらも、ちょいと運動するべきかねえーっ。」
この2匹は同じ狸とあってか仲が良い。おまけに放浪癖のある禄衛門は好奇心旺盛な本太郎を連れ、砂漠でもどこでも行ってしまうという困った癖がある故に、本太郎に懐かれてしまった。
「しかし禄衛門殿、拙からも御礼申し上げる所存…」
「おいおい、そんなに堅くなるなよって…まったく狐は堅くていけねえ…」
「うむ…ですが我々稲荷も貴殿には重々たる御礼を…」
「何、ちっとおいらもいらついてただけよ…」
そう言うと禄衛門はしゃがみ込み、足元の草を抜き始めた。それに向かって呪文を唱えると、プスプスと草が焦げるような音がする。
「さ、これ着な。」
禄衛門はその一遍の草を両方の指でつかんでぐいっと伸ばす。するとそれは次第に伸びていき、それを手の中に納めて激しく揉み解すと、何がどうなったか掌には1着の大きな浴衣が鎮座していた。
帯で上下畳まれたそれを本太郎に投げると、一糸纏わぬ姿の彼はそれをドジョウ掬いのように受け取り、帯を解き始める。
「さて、次だ。」
禄衛門は何を思ったか、畦道に生える草の切れ端を口に放り込んでいき、腹を太鼓のようにぷくっと大きく膨らませた。
解けた帯の向こうから出べそが甚平の外に出ると、そのまま空中に炎を吹き出す。
すると、炎の先から細身の半纏がもう1着吐き出された。
炎を吹きつつ指を十手の形にすると、それがまたもや空中で回り、帯が蛇のように絡みついた。
今乃助の手元に落ちると、彼は仰々しく礼をしてその帯を解く。
「ったく、旦那はいつでも派手なんだ。だから山姥にだって目をつけられる。」
本太郎がふんどしを締めつつ禄衛門に言うと、彼は香具師のように妖しく笑って言う。
「せっかくこんな面白おかしい力を持ってるんだ。遊ばにゃそんそん!」
シュボッ。
「ありがとよ。」
火がついた場所は今乃助の指先だ。狐火と言い、青白い炎を体から出すことができる。
禄衛門はその狐火を指でつかむと、口にくわえたキセルの中に落として吸い始めた。
「…ぐあちちち!」
熱くないとでも思ったのだろうか、キセルの受口を触った本太郎は指を押さえて声を上げる。
「あーあー…おいすまねえ。その酒を貸しちゃあくれねえか。」
禄衛門が前の席に座っている二つ首から酒をスッとくすね取ると、2つの首がギョロリとした目でこちらを向いた。
「あぁ?おめえ、死にてえのかぁ!?」
「…ひっ!ろ、禄衛門の旦那!お前っ、止めろ…!」
「あ?…あぁ、てめえは香具師のクソ外道か…おい、元気か?おいらが切り落としてやったもう1つの首はよ。ほれ、これで指冷やせ。」
二つ首の一方は怯え、もう一方は怒っているという異常な状況の中、横に座る禄衛門に冷えた酒を手渡す。
「今晩は祭事だからてめえとは会わなかった事にしてやるぜ。ま、さっさと…消えな!」
本太郎の拳がひゅっと宙を切り、二つ首の一方にめり込んだ。
「ひっ…!ひぃいぃ…」
「あっ、酒…!」
「放っておきな。ド外道に手など差し伸べるんじゃねぇぜ。」
「…」
禄衛門に言われる本太郎。冷たい酒の中に指を突っ込むと、淡い紫の煙がふわりと風に舞い、土俵の方から吹いてきた。
「やれやれ。」
それを見た禄衛門は立ち上がり、客席から力士席の方に向かっていく。
「あ、叔父…いや旦那、どこに行くんで?」
「…あ、ああ、いや。ちょっと忘れてた。」
「何用でございましょうか?よろしいなら拙らが承りまする…」
「あー、いや、おいらが行かにゃだめだ。おいらも出るって事、すっかり忘れてたぜ。」
「「えぇえぇえぇえ!?」」
この紫煙は紫鏡とも呼ばれ、一種の暗号だ。いわゆる、特異な選手を呼ぶ為の合図である。
「どぉれ…軽くひねってやりますかね。」
禄衛門が甚平の紐を外すと、その腹から大きな出べそがぼよんっと飛び出した。まるでびっくり箱のようだ。
「ほほう…」
「おお…」
それを見た周りの妖怪やケモノたちが、声を切に上げる。
「ん、悪いが見せてる暇はないかもな…取組なんだ。」
禄衛門は尻軽男のように指を振って自信気に言うと、周りの者も少々困り気味に頷く。
聴けば祭り会場であった場所に力士が着替える場所などなく、急遽設置されたゴザの外からは、相撲観戦や祭りの後腐れとして来た者たちがすっかり興奮して、次なる力士の登場を待ち望んでいる声が相当聞こえていた。
一応力士の管理と言う事で、牛か何かの皮が張られているゴザに座る禄衛門。妖獣相撲関係者には周りを囲んでいる観客や、その向こうのゴザにいる者が分からない。
つまり、力士たちは自分と当たる相手が誰か知らないまま、勝負に挑んでいる事になる。
しかし、禄衛門は余裕綽々と言った面向きでいた。
時折茶色い毛皮の生えた顔を手で扇いだり、その尻にキュウキュウと締め込んでいるまわしから狸ならではの大きい金玉がはみ出していないかしきりに股間を揉んでいた。
周りの誰かに見られれば、ニョホホ…とごまかし笑いで事を得る。まさに余裕綽々。
今、行司が土俵に立った…
[newpage]
「えぇー、これより両者代表による親交行事としまして…前大会優勝者の[[rb:獣ヶ里 > じゅうがさと]]と、獅子族代表の[[rb:力石丸 > りきいしまる]]による模範取組を始めます。」
伝令が流れると、あちこちからざわめく声、指や腹を鳴らす音、酔っているのか囃し立てる声も上がる。
そうこうしている内に双方に張られた幕が今、ひらりとはためいた。
「東ぃーぃいい…獣ヶ里ぉ~お、獣ヶ里ぉ~ぉお!!」
行司が四股名を上げると、獣ヶ里(禄衛門の四股名)がしゃがみ込んだ。
バサッ、バサッ…塩をつかんで撒き、この状況を楽しんでいるようにも見える面向きで大きな腹をポンッ!と叩いた。
[uploadedimage:18288451]
すると思い出したかのように、土俵に上がった1匹の猛者を讃える勝ち鬨の声が、腹の底にびりびりと響くほどの音量で、周囲一帯から上がり始めた。
「叔父貴ぃーい!! 気張っておくんなせぇー!!」
獣ヶ里がふと目を横に遣ってみると、白みがかった金狐を供にして1匹の狸がいた。
そちらに向けてニヤッと妖し気に微笑むと、一際大きな歓声が耳に入ってきた。
「…ん…!彼奴は…?」
「西~ぃい、力石丸ぅ~、力石丸ぅーう~!」
「キャァアアア!」
聞き慣れない甲高い声があちらこちらから急に上がりだしたため、獣ヶ里は耳に指を突っ込み、その相対する獅子の力石丸を見る。
[uploadedimage:18562547]
どうやらその声は女たちが発した物らしい。見るといつの間にか女たちが他の客を押しのけ、観覧席を埋め尽くしていた。
(ヒェ~ッ…おっそろしーぜ…)
獣ヶ里が何とも味わい深い絶妙な顔をしていると、力石丸の方から話しかけてきた。
「禄衛門様、お会い出来て光栄です。私はケモノ領の現統領、ロードの息子のウェイと申します。」
「ほーぉ、あんさんがあのロー坊のガキか。確かに、チョコッと似てらあ。」
「謙遜致します。父上も貴方様には大変お世話になったと聞かされております。」
「そりゃあ嬉しいね。褒美の酒は一升からと言ってやってくれ。」
「ハハハ…はい、必ずや父に伝えて参りましょう。では、そろそろよろしいでしょうか?」
力石丸は、しっぽが地面に着きそうになるほど尻を下げる。目の奥にはギラギラとした金のような鈍い光が灯っており、対称的に黒い目をした獣ヶ里はその輝きを反芻し始める。
「…いい目だ。きっと大層な野望が有るに違いねえ。」
「ふふ、私どもは勝負事には一層熱くなってしまう体質でして、狩りには3日おきに行かないと血が騒ぐのです。」
「…その爪を使うのか?」
獣ヶ里は、綺麗に切られた獅子の爪をやれやれとばかりに見下ろした。
「いえいえ、とんでもない!あなた方と同じく弓ですよ。」
「ああ、そうかい。」
「…」
一瞬、従順で正しい者の象徴であったように見えた獅子の顔にさっと影が走った。
光を浴びせた際にできる影の事ではない。隠している性格が露呈したようなおぞましい表情だ。
目の奥に見える猫科特有の鋭い殺気、その佇まい、体つきから分かる経験。何匹かの鹿に野獣の如く生身で齧りつき、溢れ出る血を顔中に浴びる姿がぼうっと頭に浮かぶ。
「ま、いっか。さあやろうか。」
(…ケモノと妖怪の、その隔てより生れる「溝」は、いつまでも残る)
「はっけよい…」
獣ヶ里の思考を冷たい縄でピシリと縛るかのように、平静を保っている行司の声が響く。
(おいらの見立てだとこいつぁ…「クロ」だ。今ここで会うべきじゃ無かった…!)
「…のこったぁ!!」
(それよりも早く此奴をどうにかしなくては。)
行司の声が轟くとまず先に力石丸が突っ込んだ。獣ヶ里の腹にドスッ!と這いこみ、そのままグイッと押し込む。
喧しい群衆の中で、腹やその中に詰まっている脂肪と内臓の感触にどくんっと心臓が高鳴る。
思わずガッと爪を立てると獣ヶ里がすくみ、腸をえぐられた獲物のような顔を浮かべる。
(なんだ、ただのデブじゃないか。見損なった…)
そう思った瞬間。
「おぉっと坊ちゃん、どこ狙ってんだい?」
途端に後ろから声が上がった。ありえないはずの声の方にばっと振り向くと、そこには何食わぬ顔で腹に手を当てて呑気に立っている獣ヶ里がいた。
「えっ!? こ、これは…」
「狸の十八番、化け術!相手の個性も知らなきゃそんそんだぜ~?」
力石丸は化かされた事が癪だったらしく、そのまま張り手の構えを取る。
牙が擦れてガギッと音を立てる。その顔の余りの恐ろしさ、その内在的な残忍さ…
切ったはずの爪をぐわっともろ立て、獣ヶ里に向けて全力で張り手を打ち込んだ。頬が歪むが、力石丸はまた驚愕した。
「まだ…まだ、まだだねぇ~…」
本来ならあご下を捉え、関節をやるつもりでけしかけたはずの自分の手が、この場には決してありえないはずの物に大きく包まれている。爪はその強靭な黒い皮膚にぴったりと食い込んで刺さらず、止まっていた。
「ニョホホ…ほれ、どうした?」
獣ヶ里…いや、忌々しいほど大きく堅い体の「黒牛」は、獣ヶ里と寸分変わらない声で力石丸に言った。
ギギギギギ…
筋肉を存分に使って、ほぼ全力で獣ヶ里が化けた牛の手に爪を突き刺そうとするも、全く刺さらない。
「ぅうっ…!! くっ…!」
「これも化け術さ。さ、とっとと終わりに…しようなっ!」
シャッと伸びた鋭い爪を絡めとり、ドロンと狸の姿に戻る。何を思ったかその爪の生えた腕を絡め取り…
「どぉおりゃぁああぁあああああ!!」
一瞬、世界が浮いた。すると途端にドガッ!と強烈な衝撃と痛みが全身を襲い、力石丸はくらくらする頭とぼやけた視界の中で意識を手放した。
相撲には見えぬ、綺麗な一本背負い。元々妖怪の合間にあった柔術の技であった。
勝者:模範試合の為、正式な形ではなし
決まり手:一本背負い
勝者を讃える歓声の中、綺麗に投げ飛ばされ、気を失った力石丸を抱えて土俵を下りた禄衛門。1匹の妖怪が話しかけた。
「あ、禄さん。あんたどこ行くんだ。模範試合が終わったら席で見物じゃないのかい?」
「…いや!おいらはすまんが行けねぇ。お前から言っておいてくれ!」
禄衛門は事もないかのような軽い笑みを見せると、そのままドロンッ!と姿を消した。
「あっ、ああ、消えちまった。まぁた叱られちまうよ…」
[newpage]
[chapter:6番目 鬼ヶ関(296) 対 黒ノ香山(17)]
次の取り組みが始まった。
ケモノ領から参加した[[rb:黒ノ香山 > くろのかやま]]は、スカンクの少年。相撲には大して興味がないが、親からの勧めで参加する事になった。
ぽっちゃりした体に、新品の真っ白なまわしを締めている。
それは割と似合っているが、表情は不安げだ。
「ああ、相撲の事はあんまり知らないのに、あんな大きな相手に勝てるかな…」
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「東ぃ~ぃい!鬼ヶ関ぃ~、鬼ヶあ関ぃい~!」
対戦相手の[[rb:鬼ヶ関 > おにがせき]]は、彼よりはるかに大きい青鬼だった。
身長は角を除いても彼の倍はあり、手足は丸太ほどの太さがある。
体は相当太っており、太鼓腹の中心にはスイカ並みに大きい出べそが鎮座している。その体型から出べそには手が届かないようで、ゴマが溜まったバッテンの部分は茶色くなっている。
また彼は体力自慢で、鬼同士の相撲では何度も勝った経験を持つ。そのため、まわしは使い込まれて濃い茶色になっている。
ちなみに、鬼ヶ島は彼の兄だ。兄と違って、彼は桔梗の刺青を腹に入れている。
[uploadedimage:18288462]
「西ぃい~!黒ノ香山ぁ~、黒ノ香山ぁ~!」
呼び出しの声がかかると、客席から声が飛んだ。
「あんな新米スカンクが勝てるわけないだろ!」
「そうだそうだ!鬼ヶ関はとんでもなく強いんだぜ!」
それを聞いた黒ノ香山は、果たして自分はここにいて良いのかと考えた。
山猫座や川ノ関などは、細身ではあるもののやる気と強さが感じられた。
自分はぽっちゃりしてはいるが、相撲の経験はこれが初で、力はあまりない。
「ああ、こんなの勝てるわけないよ…」
黒ノ香山は涙まで流している。
「はっけよーい…」
ネズミの行司による合図で、両者は構える。
「のこった!」
両者は土俵の中央で組み合ったが、鬼ヶ関がすぐに黒ノ香山を突っ張りで跳ね返した。
「うおっ!」
転びそうになったものの、なんとか耐えた黒ノ香山。
「良かった…でもこれからどうしよう…」
彼の緊張は激しくなり、腹も痛くなってきた。
「うう、なんかお腹が…」
その時、鬼ヶ関による2回目の突っ張りが来た。
「わっ、来た!」
思わず後ろ向きになってひるんだ黒ノ香山。そのため当たらずにすんだ。
「よし、もう1回!」
構える鬼ヶ関。黒ノ香山の緊張と腹痛は最高潮になった。
鬼ヶ関が突っ張りをしようとした時。
ブブウーーーッ!
黒ノ香山の尻から爆音と共に、濃い黄色の煙が炸裂した。スカンクの武器として知られる屁である。
あまりにも猛烈な勢いで炸裂したため、まわしの後ろが破けてしまった。黄色の煙は土俵一面に広がっていく。
「ああ、やっちゃった…」
黒ノ香山は恥ずかしさで消え入りたくなった。
何も成果が出せない上にこんな失態を犯し、まわしも破いてしまったから、絶対負けるだろう…
しかし、事態はその予想とは逆に動き始めた。
「うぐっ…俺の鼻が…」
スカンクの屁は並みのケモノや妖怪が比較にならないほど、猛烈な悪臭を持っている。強い鬼も苦しむほどだ。
「ああ…そんな…」
轟音を立て、土俵に倒れこむ鬼ヶ関。苦悶の表情を浮かべている。
ネズミの行司が鼻をふさぎながら言った。
「そこまで!この勝負、黒ノ香山の勝ち!」
「えっ、僕が…勝った!?」
想定外の結果に、彼は喜んだ。
「予想と違ったけど、勝てたならいいか!」
気を失った鬼ヶ関は兄の鬼ヶ島に運ばれて退場したが、悪臭が取れていないため、鬼ヶ島や観客たちは鼻をつまんでいた。
一方、黒ノ香山は誇らしげに退場した。土俵入り時とは対照的だ。
その破れたまわしは、かすかに黄色く染まっていた。
勝者:黒ノ香山
決まり手:黄幕葬
[newpage]
[chapter:7番目 殿油田(68) 対 梵原ヶ関(24)]
次の取り組みが始まった。
「東ぃ~、殿油田ぁ~!殿油ぅ田ぁあ~!!」
「西ぃ~、梵原ヶ関ぃ~!梵原ヶ関ぃ~!!」
[[rb:梵原ヶ関 > ぼんはらがせき]]は狼の青年。細身だが背が高く、筋肉質で力が強い。
大会への参加は初だが相撲経験はそこそこあり、自分より大きな相手に勝った事もある。
まわしは薄茶色。そこそこ使い込まれているようだ。
彼はやる気に満ち溢れ、得意げな表情を浮かべている。
「あんな奴には余裕で勝てそうだぜ!」
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対戦相手の[[rb:殿油田 > とのゆだ]]は、妖怪ガマガエル。
一般的なそれと比べてかなり大きな体をしている。力士らしく腹もかなり出ているが、へそはない。
彼は梵原ヶ関と対照的に無表情だった。
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「はっけよーい…」
ネズミの行司による合図で、両者は構えた。梵原ヶ関は勢いよく、殿油田はのっそりと。
「のこった!」
梵原ヶ関はしっぽを激しく揺らしながら素早く立ち上がり、動きの遅い殿油田のまわしをつかむと土俵際まで押し出した。相手は抵抗する様子も見せない。
「もう一息…」
その時、殿油田は手から粘液を発射した。それは梵原ヶ関の両足にまとわりつき、彼の動きを封じた。
「い、いったい何をする…」
無表情だった殿油田はおもむろにニヤリと笑い、低い声で語り始めた。
「わしが何よりも好きな事。それは誰かが太っていく姿を見る事だ。ゲッゲッゲッゲ…」
「お、おい、それはどういう意味だ…まさか…」
「さあ、この油を飲むがいい。お前は飲まずにいられなくなるはずだ…」
「やめろ!やめてくれ!この鍛え上げた肉体に何をするんだ…うぐっ!」
殿油田は梵原ヶ関の口に手を突っ込んだ。その先からは非常に味の濃い油が流れ出てくる。
「今すぐやめろ…やめろ…」
そう騒いでいた梵原ヶ関だが、次第に顔つきがとろけたようになっていった。
「やめなくていい…続けてくれ…こんなにうまい油は…ずっと飲み続けたい…」
梵原ヶ関は恍惚とした表情で油を飲み込んでいく。
この油は殿油田の武器。脂肪分と栄養分の高い油を飲ませ、相手を太らせる。
また催眠効果もあり、口にした相手は飲む事をやめられなくなる。そのため、彼が満足するまで相手は太り続けなければならない。
「はあ、うまい、うまい…」
そう言いながら油を飲み続ける梵原ヶ関。
6つに割れていた腹筋は既に消え、腹は風船のように膨らんでいく。顔は肉が付いて丸くなり、頬もシマリスのように膨らんでいる。
筋肉質だった手足は脂肪で覆われ、たちまち太くなった。そこまで食い込んでいなかったまわしも、今ではかなり尻に食い込んでいる。
殿油田は興奮と感動を同時に味わい、笑い声を上げている。
「ゲッゲッゲ…ああ、素晴らしい光景だ…」
梵原ヶ関が油を飲み始めて、5分が経過した。
体格は全方位に大きくなり、力士らしい見た目になった。胸や尻も豊満だ。
風船のように丸くなった太鼓腹。肉に埋もれかけていたへそが震えたかと思うとポンと押し出され、バッテンの付いた出べそになった。
ビリビリ…ブチンッ!
まわしも限界を迎え、弾け飛んだ。
「よしよし、ここまでにしよう。」
殿油田が油の供給を止めた途端、梵原ヶ関は自重でひっくり返った。足は粘液から離れたが、太り過ぎて起き上がれない。
妖怪側から歓声が上がる中、殿油田は得意げに土俵を降りた。
「フッ、わしはこの戦法で何度も勝ってきたのさ。」
一方、梵原ヶ関は行司に起こしてもらう事でなんとか立ち上がれた。
「ああ、俺の体がこんなになるなんて…どうしてあんな油を飲んでしまったんだ…」
何も入っていないが膨らんだ頬、丸太よりも太い手足、女のように大きな胸と尻、脂肪を詰め込んだ太鼓腹、その中央に鎮座するリンゴほどの出べそ…取り組み前とは大違いだ。
まわしが破れたため全裸になっているが、股間は腹肉で隠れるため問題ない。しかしそれ以上に、動きにくくて仕方がない。
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「ああ、俺はデブ狼として生きていくのか…」
「気にするな。俺も昔その油を飲まされてこうなったんだ。信じられないだろうが、これでも昔は豚にしてはシュッとしてたんだぜ。」
梵原ヶ関は、豚の[[rb:飄 > つむじかぜ]]に慰められた。彼もかなりの肥満体だ。
勝者:殿油田
決まり手:肥育油
[newpage]
「なあ、太ってるのもなかなか悪くねえって…ほら、泣くなよ兄弟。飲み物買ってやったろ?」
「ヒック…ヒク、うるせぇよぉ…」
土俵から少し離れた所。「妖獣相撲」に便乗してもう幾分か稼ごうとしている屋台の前に、全身がパンパンに膨らんだ狼と豚が座り込んでいた。
飄は麻の服を着ているものの、梵原ヶ関は満月の刺繍されたゆったりとした丹前を着ている。ケモノには珍しい格好だ。
取組前に着ていた服が着られないと嘆いていた所に禄衛門が現れてその服を拾い、代わりにその丹前姿に化けさせてくれた。
「この服は質屋にでも払ってくらぁ。何、その丹前と交換ってのはどうだい。その術は3日は続くはずだからよ。」
禄衛門はそう言うと、少しばかり濡れた甚平で土俵の方の群衆へと混じっていった。
「なぁ、そんなに泣くなよ。確かに前のお前は手足も筋肉がパンパンで、腹筋も綺麗に割れていて…」
「うわぁああぁあ!そんなに言うなよぉおお!」
飄が言うと、梵原ヶ関はまたワンワンと泣き出してしまった。どうやら相当自分の体に自信があったらしく、先ほどからずっと泣いている。
おかげで飄は屋台の妖怪に「失恋した友をなだめているのか?」と言われてしまう。
「新しい出会いが在りますように。」
通りすがりのケモノからは、お守りらしき首飾りを貰うはめになった。
おまけに首が太すぎるため、掛けようとするとちぎれてしまい、より泣き方が激しくなっただけだった。
まるで子供のように泣いているため、少しは落ち着かせようと思い飲み物を買ってやったが…
「うっうっう…もう俺は終わりなんだ。力仕事も出来やしないし、この図体じゃ女にもモテない…俺はもう死ぬんだぁあああ…うわぁああぁああ!!」
「はぁ…太った位じゃ死にゃあしねぇよ…それに大体、おめえはつがいなんてできた事あるのかよ?」
「…ない。」
「ほら見ろ。いいか?つがいができようが太ろうがおめえの命にゃなーんも関係ねえ。それにつがいなんざ自己満足だろうが。腰振ってガキができて…」
「わっ、わーっ!! お、お前なんて事言ってんだ!!」
飄が「営み」について言おうとすると、梵原ヶ関は垂れ下がりもせずに膨れ、曲線を描いている頬を震わせながら、相手の口を必死に押さえる。
「んっ!? んんん、んーんんんん!!(お前、なーにすんだ!!)」
口を押さえる手を退けようとするが、あんパンの様に丸くぷくぷくとしている手指だ。退けようと思っても口の周りの肉に引っ付いて取れない。
「クスクス…おい、見ろよあれ!デブのつがいが夫婦喧嘩だ。」
「どこが夫婦喧嘩だよっ!!」
通りかかった子供の戯言にさえ、この調子と来ている。
[newpage]
[chapter:8番目 酎天酎(478) 対 飄(37)]
今、飄は梵原ヶ関の元を離れて土俵に立っている。「旋毛風」と長くせずあえて1文字にまとめている洒落た四股名だ。
よく見ると締めている紫のまわしはあちこちに汚れが付き、股の部分が特別に茶色くなっている。
(飄?あの見た目で「風」と名乗るなんざ、お里が知れるぜ。)
梵原ヶ関が力士用ゴザに座って飄を見ていると、ついつい心の中で悪態をついてしまう。一見良くしてくれたように見える彼が、少しばかり鼻についていた。
(…周りにばっかりいい面見せる奴には、大抵ろくな奴がいないんだ…見てろ。今に相手に負けて、汚え悪態吐くにきまってら…)
[uploadedimage:18288482]
反対側に相手の[[rb:酎天酎 > ちゅうてんちゅう]]が登ってきた。彼は全身が真っ赤な龍で、その口からは大きなげっぷが何度も出ている。
(下品な野郎だな…でも痩せてるが所々に筋肉がモリモリついてやがるし…)
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「ひがぁあしぃ~!酎天酎ぅ~う、酎天酎ぅう~!!」
「にぃしぃい~!飄ぇ~、飄ぇえ~!」
「うっ…酒臭ぇっ、あんた、飲んでんのかぁ?」
飄が鼻を押さえて言うと、酎天酎はヒックと喉を鳴らして言った。
「ヒック!いかにも。ヒック!わしゃあ、酒香拳の使い手だからな…ヒック!」
「酒香拳?…ああ、2番目で猫又が若ぇのにやった『酒霧』の事かい?」
「おぬし…よく『霧』だと分かったのぉ…フェッフェッフェ…あのガキゃあわしの誓いも守らず侮りおって。本来ならあんな小僧相手じゃ酒香投げは数秒掛からん…」
「ほう?じゃああんたの拳法とやらは『酔わせる拳法』って考えていいんだな?」
「フェフェ…ああ、いいんじゃないんか?わしはお主に勝ろうがな…ヒック!」
「見合って見合ってぇ!!」
土俵の上で向かい合った両者は、鋭く相手を見据えていた。
飄は殿油田に負けてから、かれこれ何年か相撲や他の格闘技を学んだ身であった。
それ故に妖怪の間に伝わる物も少しは知っていたが、どうやら彼も「酒香拳」に関する知識はないようで、そのまま相手を慎重に見据える事しか方法がなかった。
(恐らく酔わせると言ったからには俺の体に何か仕込むのは確実…だとしたら、一気に片を付けるか、それとも技で惑わすか…)
口を真一文字にしつつ静かに考えていると、酎天酎が先に拳を土俵に付けた。
その赤い体はゆらりゆらりと揺れ、押したら今にも倒れてしまいそうな身のこなしだ。
(へっ…だったら…)
飄はピタリと考えをまとめ、そのまま拳を付けた。
「はっけよぃ…のこったぁ!!」
行司の号令が掛かると共に飄は体の力を逃し、そのまま突っ込む。
(早い!あの筋肉だ。おそらくあの脂肪の裏には、脂肪の量に比例して筋肉が蓄えられてやがんだ!)
場外の梵原ヶ関ははっと脳裏に情報を走らせ、そのまま飄を見守る。
酎天酎が反応するより早く、飄は腰に巻いた浅葱色のまわしをがしっとつかみ、その体をカブトムシのように勢いよく持ち上げた。途端、脂肪で丸く太った脚が吼える。
素早く内ももに入り込むと上半身を回転させ、大きく円球を回すがごとく酎天酎を放り投げた。相撲の中でも珍しい決まり手「櫓投げ」である。
その必殺とも思える快心の投げが決まり、酎天酎の老体が余りに呆気無く、大きく回転してゆく。
(ほ、ほう。鋭いな。)
呆気なく決着が決まってしまう…誰もがそう思っていた。
次の瞬間、飄の顔が大きく歪むまでは。
何者たりとも脱出不可能と思われたその回転から、なんと酎天酎は風の中を揺れる一糸のようにするりと難なくすり抜け、地に着いていた足を使い、大きく跳ねた。
筋肉の無いように思えた老体が土俵に立つと、飄は大量の汗を流し、自分の手を垣間見た。まるで肉が捩れてしまったようにぐるりと大きく曲がり、あさっての方向を向いている。
周りから悲鳴が聞こえ、行司が慌てて寄ってくる。
「飄、平気ですかっ!」
「…ぐうぅっ!!」
彼は、脂汗を垂らしながら捩れた腕を持ち、無理矢理外された関節をゴキゴキと元通りに戻して見せた。
「ほう、骨法じゃな?じゃが…所詮は忍の戯技、その外れた腕の骨は完全には治らんじゃろう…?」
「ぐっ…!うぅっ…!へ、へへっ…!痛みが怖くて闘えっかよ…!」
飄は腕の関節をベキッと鳴らすと、また行司を振り切り、まるで何かを待ち構えるかのように両手を半開きにして胸の前に構えた。
「来な!所詮なんでもありの妖獣相撲!どんな武道であれど結局は勝ちゃあ勝ちだ!!」
脂肪まみれのその体からは到底思えないような気負う闘気が、周囲を覆う。
その中で酎天酎は笑みを浮かべ、まるで宙をさまよう湯気のような怪しい動きで、その腕を巧みに上下させ始めた。
「だったら…ヒック、いっそ、戦いに死ぬかね…」
「へへ、俺は踊りじゃ勝てんぜ…クソジジイィ…!」
その一言が引き金となったか、酎天酎が再び大きく跳ねた。
「はぁああっ!!!」
音もなく飛び込んでくる怪しき手が飄の手を撫でようとしたその瞬間に、彼は片手を付き出し、まるで受けるかのような手つきで横にずれる。
「相撲じゃあ受けはご法度じゃぞぉおああ!!」
飛び込んできた酎天酎はたちまちゆらりと逃げる手を再びつかみ、骨を外そうとする。だが、そこで飄の目に鋭さが増した。
「ずぉおりゃぁああぁあ!!!」
すると逆に、つかんだ酎天酎の体がたちまち宙に浮く。
(合気かっ。)
その状態からさらに跳躍し、脚1本で空高く跳ぶ。
「チッ…」
渾身の合気が外れると、そのまま飄は手を構え、同じぐらいまで跳び上がった。その肥満体からは想像もつかない動きだ。
会場が沸く中、空中にて2匹は見合っていた。
「…ッ!!!!」
飄は、酎天酎の脇腹にどっと強烈…だが、まったく力を込めていないように見える動きで何か打ち込んだ。
「手刀かっ!」
少しざわめく観客たち。酎天酎は強烈な衝撃の中、それが古武術の1つ「発頸」と確信していた。
余りに隙を見せすぎてしまったが故か、内部まで振動し、臓物全てが打ち震えるかのような吐き気と衝撃に襲われる。
それを吹き飛ばすかのようにカッと1つ吼えると、そのまま飄の腰に手をやって、素早く手を抜いた。
「があ、あっ…!!」
飄の瞳孔が一瞬ぶれ、意識が飛ぶ。腰の中枢、即ち背骨全てを支える重要な骨、骨盤に直接強い攻撃が加えられた。
口から胃液が飛び出る中、一気に土俵へと落下するその瞬間…酎天酎の頬が風船のように膨らんだ。
「ッッッッッゥッ…!」
目の焦点も未だ合わず、極度にぼやけた視界の中…
落下していく恐怖と、今から起こりうる惨劇。それに堪えつつ飄は待っていた。
どっ…と奇跡的か足でギリギリ耐えた中、限界まで頬を膨らませた酎天酎はまだ目の焦点が合わない飄の肩をつかみ、うっと声を出す。
すると放たれる超濃縮酒精の吐息…酒香投げの決め手である。
「あぁっ!!…」
場外で梵原ヶ関の声が響く中、その吐息に包まれた飄はゆっくりと、その身を倒れさせた。
それに対して酎天酎は格段と喜びに満ちた笑いを浮かべ、最後に飄のまわしを格段に強い力でつかみ、思い切り外に放り投げた…
泥酔状態、酩酊状態をもはや大きく通り越した視界には、超高速で振り回されているかのような余りに強すぎる速度…
だが、そこでカッと意識が目覚めた。
思うより早く、今では観客や技を掛けた自身でさえど、その技が何たるかをわかっていなかっただろう…
余りに危険で、余りに破壊力が高く、余りに勝利へと導く為の力となる技を…
ブンと放り投げられた瞬間、飄はふと目覚めた片目だけで酎天酎の体を視認。僅か0.2秒…
それから投げられて空中に全身が浮いたまま、まるで何物をも喰らうかのような血走った目で、酎天酎を見た。
すべてを壊さんとするかのような勢いで、その力が開放された後、完璧なる脱力状態の酎天酎をそのままがしっと持ち上げた。
「っっしゃああああ!!!!!」
タイガー・ドライバー。
かつて、死傷者が出たとさえ言われるほど余りに恐ろしすぎる南蛮渡来のこの技は、そう呼ばれて恐れられている…
「おい、意識が戻らんぞ!!」
「脳震盪だな…担架を持ってこい!!」
薄れゆく意識の中、飄と酎天酎は同時にその声を聞いた。
飄は骨盤と脊髄への強烈すぎる衝撃。酎天酎は脳髄からの垂直落下に加え、落下と投げ飛ばされた勢いが加算された余りに強すぎる衝撃で、共に意識がなくなりかけていた。
両者は薄れゆく意識を振り絞って聞き、確信した。
「俺/わしは…勝ったのだな。」と。
勝者:引き分けのためなし
決まり手:タイガー・ドライバー/酒縊死乱
[newpage]
取組後ともども救急搬送。通常の相撲ではありえない事だろうが、「妖獣相撲」では当たり前の事だ。
取組が終わり、飄と酎天酎は担架に乗せられ、重症患者として特設の医療小屋に担ぎ込まれた。
「おいっ、てめぇ、目ぇ覚ませよ!」
「梵原ヶ関、患者に触らないでください!脳震盪を起こしています…急いで!」
梵原ヶ関は全身に付いた脂肪を揺らしつつ、車輪付きの担架に並走し、倒れこんでいる飄に必死で声をかけていた。
ドスドスと重い足音を立てているが、足の速さは相当な物だ。やはり太っても狼であるためか、4名がかりの速さでも汗をだらだらとかきつつ必死に追いついている。
「おいっ!はぁっ、おい…!ゲホッ、てめぇ、待ち…やがれ!んがう!」
途中でその重さの余りか、派手に転んでしまう。それを良いことか医療係は棟の中に閉じこもり、中から鍵を閉めて完全に誰も入れないような体を取った。
「あっ、おいっ!うぐぐっ…!この…!んあぁっ!くそっ!」
立ち上がろうとするも、自分の体があまりにも重すぎてまともに立てない。
筋肉質だった体が一瞬にして肥満体となったため、慣れないのも当然だ。
その腹や胸は垂れ下がる程もなくパンパンに張り詰めている。転倒時に汚れてはだけた丹前からは、同じく張り詰めた出べそが飛び出ていた。
先端のバッテンの堀からは油がにじみ出て、ぬらぬらとした脂汗が全身の毛を伝い、滴り落ちている。
「おい、もうよせ…若いの。傷に響いたらどうするんでえ?」
傍にいた烏天狗が梵原ヶ関の肩を持つが、脂汗が玉のように落ちるばかりで何も答えない。
「なぁ、若いの…」
「…るせぇよ…」
「困ったねぇ、こいつぁ…」
烏天狗はそう言って立ち去った。
梵原ヶ関は手足で腹を起こしてゆっくりと立ち上がり、そのまま扉の横に座り伏せた。
まるで「待つ」と頑なに言っている通り、他の妖獣が周りから去っても、そのまま待っていた…
[newpage]
[chapter:9番目 吾郎兵衛(900) 対 菊昭琴(37)]
ずしゃり。
砂を踏み躙り、芥さえも潰さんとするような音。観客たちがすくみ上がり、まるで誰もいないような静寂の中に鳴り響いた。
パリッ、パチッ…何かが弾けたような音が鳴り、その中心に立つ妖怪はニヤリと妖しく笑う。
「者ども、そこまで怯えんでもよいぞ。わしゃあ、今日は機嫌が良い。」
妖怪はぐっと手に力を籠め、バチッ、バチッと小さな稲光を放ち、物音を殺す観客たちがか細く声を上げる様子を観察し始める。
「…グフフフ…なぁーに、今日はお前たちのへそは取らんでやる…」
土俵を見ると、そこには立派な黒まわしを締めた猪が立っていた。彼が[[rb:菊昭琴 > きくしょうごと]]だ。
がっちりとした足腰。覇気を籠めた目つき。手足には長年かけて培われたと思しき筋肉が浮き出ていた。
しかし、土俵下の妖怪にはその体躯よりも、腹の中心に位置する物が特に色濃く映っていた。
「お主、やはり良い体躯じゃの…」
妖怪はゆっくり土俵に足を掛け、のしのしと上に登っていく。
「その腹、その目…わしに食ってくれと言っているようなものではないか…」
土俵の外に置かれている盆から塩をつかみ、勢いよく撒く。
「然るに、据え膳食わねど雄冥利に尽きる。その前に…」
ドドンッ!
空から突然太鼓の音が響き渡り、雲1つなかった夜空に雷鳴が轟く。
「貴君のへそ…頂こうかのう。」
ビシャゴロォオン!!!
突如雷鳴と共に稲光が走るとその緑の表皮が閃光に靡き、金のような目が妖しい光を湛えてキッと光る。
その者は雷神の[[rb:吾郎兵衛 > ごろうべえ]]。古から妖怪の最高位として扱われる存在だ。
[uploadedimage:18288491]
彼は土俵に足を踏み入れると、ぎらりと牙を見せて笑い、相手はそれに応えるようにフッと鼻で笑った。
「へっ、天下の雷神様が俺の相手かい。それじゃあいい相撲を取ってくれるだろうなあ?」
「くふふふ…小童ぁ、随分と肝っ玉が据わっておるのぉ…」
菊昭琴は大きく地を揺らすほどの強烈な四股をズシン!と踏む。周囲から鬨の声が上がった。
「むっ…」
「俺には長年の経験があるのさ。あんた、相撲は何年やってる。」
少し挑発気味に聞いた菊昭琴は、名誉の汚れが付いたまわしの食い込む尻をゆっくりと下げる。
「俺は…もう30年になる。元来肉の多い猪族…俺のように筋肉質な体型の者が生まれるのは、天賦の才だったらしい。
果たして…俺の30年、あんたの妖術で打ち崩せるかな?」
[uploadedimage:18288496]
「うぉおぉおぉおおおぉおおおぉおおおお…!!!!!!!!」
「ぐっ、うぅっ…!」
「ほらぁっ!どうしたどうしたぁ!!」
まるで嵐のように打ち据える突っ張りが、吾郎兵衛の体を激しく打っていた。
体内の物を絞り出されるような感触に襲われるほどの圧力や、強烈な突き伏せるパワー。吾郎兵衛の顔はそれらに歪み、血の跡が付いた顔が光に映える。
(嘗めおって…!しかし…!)
バチンッ!強烈な張り手が入り、吾郎兵衛の顔が横にずれる。
「おぉぉぉおぉおぉぉぉおおおおお!!!!!!」
周りからは妖獣諸共ひっくるめたような歓声、轟音が両者を覆うように響く。
「うがぁっ…!? ながぁっ!!」
途端、胸に強烈な突き上げが入り、胸の中の空気を全て逃がされる。
「い、息…!!」
もがき、みるみるうちに顔が真っ赤になってゆく吾郎兵衛の胸に、ざっと身を引いた菊昭琴がたちまちその頭を突き刺す。
「ぐぁあっ!! がっ、ぁあああっ!!」
吾郎兵衛の命乞いにも似た声が虚しく空を切って、素早く土俵際に押し寄せられた。
力と言うものは絶対的だ。あらゆる生命を屠り、あらゆる物体を蹂躙する。
今に至っても、もはや「神」と崇められた存在が、その絶対的な力によって屠られようとしている。
最後の足掻きと言ったものか。駄々っ子のようにその爪や手を背中に伸ばすが、まるでつかみどころがない肉の壁のような背中には届かない。
「うぉおぉおお…!」
諦めかけたその時、まるで悪を倒す勇者を賛辞するような奇跡の声援が聞こえた。その中に一条。
「雷ぃいぃいいぃいいい!!!! 頑張れぇぇええぇえええっ!!!」
君は、いた。
「た、狸っ…」
「何負けてやがんだよぉっ!! んな猪、ぶん投げちまえばいいじゃねえかよっ!!」
嵐のように轟々と叫ぶ観客の中、大声でがなり立てていた者は、模範試合に登場した禄衛門であった。
「言わしたなあ!! おいらのへそ、取るんだろ!!」
「…っっっ!! う、うぉおぉおぉおおっ…!」
すると…
「…うっ…!?」
ずっ。
やすりで思い切り骨を擦ったような重く鈍い音がした。肉が軋み叫ぶ音と共に、菊昭琴の進撃が止まる。
(か、堅いっ…?)
ギ、ギギギギッ…まるで骨と肉の安定が崩壊しかけているような音だった。
うぉぉおおっ…!と野獣じみた唸り声を吾郎兵衛が上げる…
ぐらり、ぐらり、ずざざざぁっ…
「う、うぁおぁあっ…!?」
「どぉおぉおっ…りゃあ!!」
菊昭琴の体が大きく持ち上がった。血管が張り詰めるその腕は膨らんでいるように見える。
「いいぞぉおーっ!! その調子ぃーっ!!」
「さっきからうるせぇぞお前!」
「そうだそうだ!うるせえんだよ狸が!」
「あぁ!?この禄衛門に意見を垂れんのかぁ!?」
「くっ…!…っ!! き、貴様らぁ、あ!!!」
吾郎兵衛がぐあっと修羅として怒声を上げると、その隙を狙ってか、菊昭琴はすかさずその肩口をがしっとつかんで突き離す。
「…!?」
「甘い」とでも言うかのように、強烈な押し出しが腹、胸、腰に入る。
「…うっ…」
スポン!
「…え…?」
まるで、何かが抜けたような音…その刹那、菊昭琴の動きが一瞬にして止まり、ぽかんとした顔でその場に静止する。
「…あっ…!」
「え…嘘っ…!」
「…っ…か、雷の野郎…やりゃあがった…!」
吾郎兵衛が高々と天に掲げる手の先には、まるでサザエかハマグリか、あるいは何かの臓器のようにふっくらとした曲線を描く物があった。その先端には大きなバッテンが刻まれている…
「へ、臍取…」
菊昭琴はその場に倒れ伏した。
勝者:吾郎兵衛
決まり手:臍取
[newpage]
[chapter:緊急事態 雷様の怒り]
「お主ら…」
「にっ、逃げろっ!! 怒ってるぞ!!」
誰かが叫んだ途端、まるで蜘蛛の子を散らすように声を上げつつ、観客も力士もたちまちその場から脱兎のごとく逃げ出した。垂れ込めている雷雲も気にしている場合ではない。
ビシャン!ビシャッ!
餓鬼のような雷神と共に雷が次々に落ち、当たった者たちの腹がピカッと輝く。
ムクムク…ポコッ!ポコッ!
へこんでいたへそが腹の底から隆起しはじめ、手で押さえようとする者の健闘空しく、次々と大きな出べそになってしまった。
「嫌、やめて!」
さらにその状態でまた動き始める。
ムクムク…スポンッ!
「嫌ーっ!お母さーん!!」
たちまち、下級の雷神にへそを奪われてしまう。
「うわぁあぁあああぁ…!」
「こいつめ!離れやがれってんだ!なあ鬼の旦那!あいつらどうにかならねぇか!」
「ほいよぉ!だめだ!鬼と雷じゃ妖力が違いすぎる!そら、もう1匹来たぞ!」
「何やってんです族長!とっとと逃げましょうよ!」
「まぁ待てにゃぁあう…いや、雷雨の中の酒も…ヒック!これ美味美味!ニャハハハ!」
「へッ…天下の雷様も…斬り伏せちまえば単なる肉塊…そぉれっ!」
「うわぁああ、危ないから早く逃げましょうよぉおおっ!!」
「ふっ…!おい河童っ、倒すのが遅いぞ…」
「おぉらぁああっ!! やかましいガキぃ!おめぇはただ避けてるだけだろうガッパァ!! どりゃあぁあっ!!」
「燃えよ!火之輪の術!本太郎っ、まだ無事か!」
「おらよっと!てやんでぃべらぼうめ!このお狸様をなめんなよってんだ!」
「お前…禄衛門様に似てきた…なっ!! おい、今だ!」
「ほい来たっ!! そいつぁ…良いこったぁぁ!!」
「うわぁああっ!来ないでぇええっ!!」
ブゥウウウッ!!
「うぅっ…!このワッパの屁は…!た、たまらんわいっ!!」
(…飄…っ!)
「てめえら…こっからは…行かせねぇえええ!!!!」
「やめてくれ雷!皆が苦しんでる!!」
「狸ぃ…わしゃあ…堪忍袋の緒が切れたぞ…」
先程とは打って変わってまさに地獄絵図となってしまった夜の土俵。そこに禄衛門が刹那現れたが、怒り狂う吾郎兵衛からバリッ!といかづちを落とされた。
(…てめえ…!)
禄衛門は懐から数枚の葉を取り出し、辺りに散らす。するとそれは鉄製の避雷針と化し、ドドドッと地面に突き刺さる。
ビシャゴロロォオオ…ン!!
「避雷針…!小癪な…」
「癪なのはどっちだ!なあ、やりすぎだぜ雷!」
禄衛門が言う間にも、落雷が続く。
「黙れい…わしは雷神…雲の上の神じゃ!こやつらの食う草や生物はわしの起こした雨によって育てられる。飲み水だってそうじゃ…
しかし、なんじゃ!? この有様はっ!喝っ!」
吾郎兵衛が怒号を発すると、強烈な閃光と共に稲光が彼自身に落ちた。
「うわっ!」
声を上げて回避した禄衛門は土俵の外へ身を投げ、咄嗟に葉を額に付け、ドロンッ!と一化けする。
「わしをよってたかって怪物扱いしおって!おのれぇい…!」
強烈な電気と、背中にそれらを結集させた純粋なる雷の源「雷太鼓」を呼ぶと、手にした電気のバチで威嚇するようにドンドン!と2つ打つ。
ビシャ!ビシャアアン!
2つの電気が土俵の上に走り、当たった地面はバチッ!と大きく黒く焦げる。
「お前らのへそ、皆々取ってやる!」
「そんな事は…させねえぜ!」
突然ゴーッと突風が吹き荒れ、吾郎兵衛は手を顔の前に広げて堪え始める。
バチが手から離れたその瞬間、空に浮かぶ無数の暗雲が暴風で吹き飛ばされ、雷神たちもまとめて森の向こうに飛ばされた。
バリッ、バリッ!
電流を放つが、それも同じく風の勢いには勝てずにまとめてかき消され、飛ばされていく。
「く、くぁあっ…!うわっ!」
「う、おっ…!! す、凄え風…!…あぶねえ!」
本太郎がその豪風に煽られていると、突如、4番目に出場した川ノ関(本名は河太郎)が吹き荒れる突風に耐えきれなくなり、彼の元にびゅうっと飛んできた。
本太郎は自慢の太鼓腹を使ってがっちり捕まえ、さらに両手をつかみながら彼に言った。
「うおっ…くくく…!だ、大丈夫か…!」
不思議な事に、河太郎は本太郎の胸に抱かれながら、ぽっと頬を赤らめていた。
「ん?あ、転んじまったのか!? つかまってな…!!」
次々と湧き出してくる雲を彼方へと吹き飛ばすその風に、本太郎は身を張って耐える。
その胸の中、まだ18の少年は…
[newpage]
[chapter:風神雷神決戦図]
「おい、雷っ!」
土俵の上で雷太鼓を携え、雷雲が吹き飛ばされていく様子を見据えていた吾郎兵衛に、同等かと思えるほどの強い妖気を持った者がじゃりっと土俵の砂を踏んで言う。
「…狸…貴様…風神…か。」
吾郎兵衛が仰々しく言う。雷神と対を成す者…風神がそこにいた。太いしっぽに太鼓腹と出べそ、顔の隈には狸の面影が残されているが。
「そうさ…狸の能力は変幻自在。知ってるものならば、何にだって完璧に化けられる!訓練は必要だがな。」
鬼と狸を7:3で分けたような見た目の風神に化けた禄衛門は、手にした袋を携え、吾郎兵衛に向けて言った。
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「もう降参しな。雷!おめえの雷も雲も、全部まとめて吹っ飛ばせるんだ!」
「グッフッフッフ…何を?」
「おいらは…本気だぜ!」
びゅうぅうううっ…
強めの風を袋から発射し、吾郎兵衛の髪や電撃、砂を巻き上げる。
ゴロゴロゴロ…
「…」
吾郎兵衛もバリバリバリ…と電気を放ち、禄衛門へとそれを近づけていく。
だが、その雷と風の勢いは拮抗しており、吾郎兵衛は髪をなびかせ、禄衛門は髪を焦がした…
…静寂が続いた。
まるで両者の間に乱気流でも発生しそうなほど睨み合い、風雷を緩やかに鍔競り合わせていると、先に吾郎兵衛が口を開いた。
「…よかろう。では、勝負をつけようではないか?」
「相撲でか?」
禄衛門が言うと、周りから「あぁっ…!」と一触即発を予期するような声が轟き、逃げる準備をする者も出た。
「…いや…雷すら受け止める最大の我が友には正直に言おう。わしは相撲が弱い。望むなら別の物で勝負をつけたいのだが。」
「…いいだろう。」
「な、なぁ今乃助…あれ、ろ、禄の伯父貴…だよ、なぁ…?」
「あ、ああ…恐らく、そうだろう…」
「だが…あの妖気…どちらも凄まじい物…もし、この場で闘いなぞしたら…森ごと消滅してしまう…!」
「…ゲッ!お、おいおい!そいつぁごめんだぜ!…あ。」
「このたわけ狸!声が大きいぞ!…はっ…」
本太郎と今乃助の両方が声を荒げてしまうと、風神と雷神は共に鋭い視線をぎょろりと向ける。
禄衛門はその一瞬の隙を突いて狸の姿に戻り、言った。
「…なあ。腹、減んねぇか?」
[newpage]
「じゃんじゃん放りこめーっ!! 生でもいい!全部だ!全部鍋にぶち込んで煮るんだー!!」
グツグツ…ボチャン、ボチャン!ゴトン!グツグツグツグツ…
もうすでに朝日が昇っている中、力士のほぼ全員が集まり、巨大な鍋に切った野菜やその他もろもろ、とりあえず食べられそうな物を大量にぶちこんでいた。
味噌、醤油、砂糖、その他諸々を大量に入れて煮詰める巨大な鉄鍋。それを3名がかりで鍋に移して運ぶほどの巨大なお玉…すべて禄衛門と吾郎兵衛が用意した物だ。
両者が見つけた物を次々と祭りが開かれていた広場に送り、ただちに調理して鍋に放り込む。
大量の野菜や肉が、吾郎兵衛の雲に乗って送られてくる。今や皆が一丸となってそれらを切り、もぎ、むしり、一生懸命仕込んでいる。
「うへぇ~、うまそうな匂い…イデッ!」
「鬼ヶ島!おめえつまみ食いする気だろうガッパ!おいらだってもう頭の皿がこの鍋でいっぱいになりそうなんだッパ!」
鍋の横では、鬼ヶ島と河ノ淵が鶏の羽をむしりながら言い争いをしていた。
しかし空腹のため、すぐに腹の虫が虚しく鳴いた。
「こんな事をしているのだったら…」
両者は言い争いを止め、一心不乱に食材の仕込みを続けた。
「急げーっ!!! また来たぞーっ!!!」
フワフワと浮いてきた雲から、巨大なワニが落ちてきた。しかも見事に頭と骨が切り離され、うろこもきれいに離されている。
「うへぇ…叔父貴の『村正』だ…ありゃ、よく切れるんだ…」
「あちきの鎌と、どちらが切れるかねぇ…クスクスクス…」
風斬ノ座が笑いながらワニの肉を鍋に放り込むと、たちまち地を揺らさんばかりの轟音がズシンズシンと響き、妖獣たちはすぐにご神木の方を向いた。
すると、そこには疲れきったようで顔面の狸隈がより大きくなり、すっかり汗だくになって大猪を何匹も担ぐ禄衛門と、同じく疲れきった姿で熊を3体背負っている吾郎兵衛が歩いていた。
「ふぇええ~っ、疲れたぜ~…でも、ちっとは不満の解消になったろ?なあ?」
「フゥ、フゥ…あ、案外…じゃっ!どおれ、わしらの仕事は終わりじゃて…そろそろ、休むとするかのぉ!どっ…せぇええいっ!!!」
ズズーン、ドス、ドス…
両者は大量の獲物を肩から降ろし、そのまま大あくびをした。
露天風呂と見間違うほど大きな鍋を放っておいて、全員が両者に駆け寄る頃には、両者の姿はドロンッ!バチッ!と煙と電気の中に消えていた。
そこへ、1枚の葉が落ちてきた。
「…お?何か書いてあるぜ?」
本太郎がそれを拾う。彼を中心に幾重もの群衆の輪ができると、彼はできるだけ大声で叫ぶように読み上げた。
「お、『おいらたちが起きるまでに、できていなかったら…』!」
「おいらたちが起きるまでに、できていなかったら!?」
そう考えた瞬間、全員が真っ青な顔で叫び、さっさと熊と猪の解体に取り掛かることにした。
今や禄衛門と吾郎兵衛はこの場において神格化されているも同然であり、おまけに全員がひどい空腹にあったからだ。
一方、こちらは森の中。
ガー…ゴー…ガー…ゴー…
雷のようないびきを上げつつ眠っている禄衛門と吾郎兵衛。その陰で笑う者があった。
「ゲッゲッゲッゲ…」
[newpage]
[chapter:大団円]
ようやく待ちに待った瞬間が訪れた。
禄衛門と吾郎兵衛が再び現れた時、森中に広がるほど巨大なゴザが引かれ、一同は大歓声を上げた。
その中央には、ほわほわと湯気を立てる大鍋が1つ。
余りにも大きいため、少し小さいがそれでも十分大きい鍋に分け、さらに小さい鍋に分け…
結果的に力士は1名につき普通の鍋1つ、観客は各々の量という事になった。
「さあ、座ってください!雷神様、貴方様もこちらに…」
恐らく調理の一員だったであろうネズミの行司が吾郎兵衛の手を引いて言うと、彼は少し驚いて言った。
「わ、わしが怖く…ないのか?」
「怖いもんですか。だって、あなたは私たちにいつも豊富な恵みを与え、こんなにもおいしそうな食べ物を育んでくださるではないですか。むしろ、ありがたいですよ!」
吾郎兵衛の目に、一筋の涙が伝った。
「へ、へへ…さ、座ろうぜ!おいら腹減っちまった!」
ぐぎゅるごごぅぉ~っ…
強烈な音が禄衛門の腹から響くと、つられて吾郎兵衛の腹も高鳴る。
「あっ…」
吾郎兵衛が頬を赤く染めて言うと、一同はつられて笑いだす。
恥ずかしがっていた彼も次第におかしくなり、共に笑い出した。
「では禄衛門様、音頭を…」
「おう。」
全員に鍋が行き渡った。森、海、川の幸を一斉に凝縮し、すべて入れたかのようで、大きく、豊潤で旨そうな鍋。
その前に禄衛門が音頭を取ることになった。「妖獣相撲」自体はまだ決着がついていないが、特別賞としてまた表彰される事になっている。
供えられた熊の骨の上に立った禄衛門。そこから大きく息を吸い…
「諸君!いただきますっ!!!!」
腹も同じくして、ポン!と大きく鳴らす。
謝辞としても、音頭としても、あまりにお粗末な物だった。だが…
「いいぞー!! 狸ぃい!! うぉおおおおおおおお!!!!!」
満場一致。それから一斉に箸を動かし始めた。
[newpage]
[chapter:大縁満]
「はふっ!ほふっ!! やっぱキノコはこれに限るっ!なあ雷ぃ?」
「うむ、愚問!こちらの魚などまるで人魚のへそのごとくよ!」
ガブガブ!バクバク!ムシャムシャ!
「美味いなぁ~、今~!」
「そうだな本!この稲荷寿司!コンコーン!」
モグモグ!ガツガツ!ゴックン!
1つの大鍋を囲んだ大きな朝食。まるで世界が1つになったようだ。
皆が同じ物を食べながら、垣根もなく話し合っていた。
大きくなった腹もまるで気にしていない。たがが外れてしまったかのように…
「ぶへっ、ばふっ、ばふ!ほっ、うんめぇ!どうした~狼!食わんのか?」
奇跡的に目を覚ました飄は、ある一角で鍋をつついていた。
だが、隣に座る梵原ヶ関の顔は赤らんでおり、時折自身の腹を少し恥ずかし気に触っている。
「…いや!ちょっと、な…」
「なんだぁ、まだ太っちまうなんて考えてんのか?」
「ち、違うに決まってんだろ!ただ…」
「…ただ?」
そう言うと、梵原ヶ関は自らの鍋を一気に両手でつかみ、そのままゴクンゴクンと一気飲みならぬ「一気食い」を始めた。
たちまち張っていた腹はよりパンパンになり、吾郎兵衛に取られた後で元の形に戻してもらったへそもぶにゅっ!と出てきた。
「んぐ、んぐ…ぶはぁあっ!食った、食ったぁーっ!! 腹一杯だぁー!!!」
梵原ヶ関は何かが吹っ切れたように言うと、文字通りの太鼓腹をポコンと叩いた。
「お、狼ぃ、お前大丈夫か…?」
飄の声に彼は笑い、耳を引き寄せてささやくように言った。
「お前と一緒なら…デブでも、いいかな…って…」
「狼ぃ…♡!」
「クソッ!このデブ豚!責任取れよっ!」
2匹は汗と脂肪に塗れた暑苦しい姿でぼにゅんっ!と立ち上がり、おかわりをせがみに行った。
「そういえば、ガマガエルの姿が見えねぇな…あの油野郎、1発ぶん殴りたかったんだが…」
「まあまあ、いいじゃねえか。それより…な?」
「…は、はぁ!? バ、バッカ!腹触んなって!…きゃん♡!」
「んー…♡」
「…なぁ、河太郎…?おめえはあの河童と一緒にいた方が…」
本太郎が言うと、河太郎は彼の腹を触りながら言った。
「いいだろ、別に…それより、おかわり…持ってきてやるよ。」
「…?あ、ありがとよ…」
河太郎は本太郎に、特別な感情を抱き始めていた。
「なぁ~お前ら、つがいなのかぁ~?」
「バカ言ってんじゃあねえやい!鬼の旦那は大工の棟梁やってて…!俺はその下請けだよっ!」
「まぁまぁいいじゃねえか!夜は…俺が『下』だろ…?」
鬼ヶ島がニタリと妖しく笑うと、熊ノ海は顔を真っ赤にした。
「クワックワックワ!」
それを聞いていた河ノ淵は大きな笑い声を上げ、危うく皿の水をこぼしそうになった。
「所詮男はグズ。あちきの様な流罪獣がいっちゃん分かってるのさ…」
風斬ノ座は肉をつかみ、骨ごとゴキッと噛み砕く。
「にゃっはっは…分かる気がするにゃぁぁ~う。おいらも、信じられんもんが多すぎだぁ~…ヒック!」
(あ、あわわ…僕、ここにいちゃいけないんじゃ…)
「おい、スカンクの小童…どこぞへ行くのだ…」
「へっ!? な、なんでもないですっ!!」
少し危なっかしい妖獣も集まり、そこにも話の花が咲く。
各々は食指を進めていった。
風の噂によると、どうやら大量に作りすぎて食べきれないため、その鍋は何日にも渡って食べ続けられたらしい…
[newpage]
[chapter:外話とその後]
・鬼ヶ島と熊ノ海
相も変わらず付き合っている。最近一緒に相撲の稽古をしているようだ。
・猫囃子と山猫座
山猫座はあれ以来、すっかり酒嫌いに。
部族間で飲酒は法度となったが、それを知ってか知らずか猫囃子から度々酒が送られているという。
・風斬ノ座と鼬山
風斬ノ座は再び投獄された。だが、鼬山は「待っています」と頑なに誓っている模様。
現在は脱獄なども企てず毎日を穏やかに過ごし、時折面会にやってくる鼬山には、まるで恋愛相手を見るような視線を送るらしい。
・河ノ淵と川ノ関
河ノ淵は川に戻り、ますます相撲の稽古に励み始めた…
と言いたいところだが、最近はケモノ飯が忘れられないらしく、なんとケモノ領に移住。「カワトラ」と名を変え、幸せに暮らしている。
一方、川ノ関は…
・飯杜狸と稲成山
彼らはなぜか、ぱっと姿を消してしまった。まるで初めからいなかったように。
…と思っていたら、あらぬところから手紙が1通。
なんと禄衛門に連れられ、すっかり飯杜狸こと本太郎に惚れてしまった川ノ関こと河太郎と共に、旅に出ているらしい。
手紙には「今、砂の城に居ます。」と書かれていた。楽しそうな4匹の写真も同封されている。
・鬼ヶ関と黒ノ香山
黒ノ香山は、相撲を始めた。強くなるためだと言ってむしゃむしゃとご飯を平らげており、体はどんどん大きくなっている。
鬼ヶ関は、その相撲の教官だ。あの後、彼には困った癖が目覚めてしまった。
稽古の終わりには黒ノ香山の蒸れた尻に顔を当て、屁の臭いを嗅がなければ気が済まない。一度は自分を気絶させた屁も、今では良い香りに感じられるようになっていた。
・殿油田と梵原ヶ関
殿油田は完全に姿を消した。あの日から彼の姿は見えず、どこにもいないという。
梵原ヶ関は、飄と一緒に暮らし始めた。
毎日彼らはお互いの腹を愛であい、まるでつがいのような暮らしをしているという。
梵原ヶ関は趣味だった運動と走り込みをやめ、その代わりに駄菓子屋を始めた。近所の子供たちからは「太っちょ狼さん」として慕われている。
・酎天酎と飄
酎天酎は、なんと最近祖父になった。彼の弟子である龍が子を産んだためだ。
彼はデレデレになり、最近は他妖の子ではあるが、溺愛のあまり本当に「おじいちゃん」と呼ばれている。
飄は相変わらずだ。仕事に行き、家に帰り、また仕事に行く。
だが、体が太った。幸せ太りだろうか?
最近、彼には「結婚相手」ができた。同性でありながら、信頼できる者が…
・吾郎兵衛と菊昭琴
吾郎兵衛は、全くと言っていいほど変わってしまった。
最近は禄衛門と共に行動するようになり、ずいぶんと態度が柔らかくなってしまった。
だが今度は彼のへそを狙っているらしい…相変わらず油断がならない。
菊昭琴は相変わらず力士を続けているが、その腹にへそはない。吾郎兵衛に取られた後も、結局元に戻らなかった。
だが、彼はそれをバネにしてとことん成長した。その後、公式の試合で金星を取ったらしい。
[newpage]
10年後、時期は訪れた。再び「妖獣相撲」が始まろうとしている。
だが、ここである問題が生じた…
「お、おめえら…」
それは、旅から帰ってきた禄衛門たちの一言から始まった。
「お、禄さんっす!久しぶりっす~!」
「おい、稽古の途中…おっ、禄衛門と雷じゃねぇか!おーい!みんなー!!」
旅支度のままの一行。「妖獣相撲」が再び始まると風の噂に聞き、大急ぎで帰ってきた。
故に禄衛門たちは、あの鍋を連続して毎日食べ続けていない。
来た場所は出場者が集まって稽古をしている、ご神木の下に建つ土俵。
そこは以前よりも熱気にあふれ、熱い汗の落ちる音が常に鳴っていた。
「おめえら…太ったな!」
10年の間に、皆は限りなく太りきっていた。
胸は豊かに膨らみ、腹はそれ以上に突き出し、へそは大きく飛び出ている。頬は丸く膨らみ、顎は3、4重にも及ぶ段ができている。
かつて使っていた南蛮渡来の体重計に乗ると、ミシミシと音を立て、派手につぶれてしまうそうだ。
妖怪もケモノも、全員が極度の肥満になったらしい。話によると、犯妖獣がいるようだ…
[uploadedimage:18466182]
「…はぁ。」
禄衛門はまるで夢見るような顔になり、タバコに火をつけた。
「やらかしやがったなー…こりゃ。」
その光景の裏では、また殿油田が皆を見つつ、紫煙をくねらせながら「紫鏡」を行使していた。
「げっ、なんだよ河童、この腹は!へそもおいらよりたぷたぷじゃねぇーかっ!!」
「いやぁ、それが…食いもんがうまくてついつい食べ過ぎちまうガッパ。へへ、特にキュウリはいくら食っても飽きないッパ!」
「あちゃー…」
本太郎が息をつくと、河太郎がしっぽをつんつんと突く。
彼が指さす方を見ると、そこでは[[rb:翻矛関 > ぽんぽこぜき]](梵原ヶ関の新たな四股名)、飄、黒ノ香山が汗を垂らしつつ、ドスンドスンと四股を踏んでいた。
その腹は成長し過ぎて、まわしを完全に隠している。顔も以前より膨らんでいるが、表情はきらびやかだ。
[uploadedimage:18484504]
それを見た本太郎は、少し嬉しそうにフッと笑った。
「…これで良かったのかもな。」
「…うん。でも、俺は本太郎さんのお腹が一番好き…」
「お前、飽きないねぇ…河太郎…」
それから、幾日かが経った。
[newpage]
ザワザワ、ザワザワ…
普段はしんと静かな2つの領を隔てる森。しかし今日に限っては、領を切っての大騒ぎとなっていた。
辺りから騒がしく聞こえてくる者々の声。森の端に設けられた舞台の上では、太鼓隊が息を整えていた。
10年前に比べて肉の量が増した太鼓隊。全員バチは持たず、ふんどし姿で大きな腹を見せている。
また、前回は全員河童だったが、今回は隊長を除いて化け狸になっていた。
「せぇーのぉ…」
皆が息を整え、しばしの沈黙が訪れる。誰かの声が爆ぜた瞬間…
ポンポン、ポポン!ポ、ポンポポン!
腹太鼓の音が森中に響き渡り、歓声が辺りからどっと弾けた。
[uploadedimage:18380517]
妖獣相撲の再開である。
[chapter:つづく]