☆☆☆
『幸さん』は、アタシがずっと想像していたような通りの人ではなかった。
小さな、花のような可愛らしい女の人、というよりは女の子と表わした方がいいくらい。
兄貴とは同い年だなんてとても思えないその可憐な人は、パパのグラスに笑顔でビールを注いでいた。
兄貴もちびちびとだけど今日に限って一緒にビールを飲んでいる。
「ぷはあ!幸ちゃん、本当に良い飲みっぷりだねえ!」
「そうですか?わたし、結構弱い方なんですけど、今日はなんだか楽しいんです♪」
『幸さん』がそう鈴が鳴るような音色で答えると、グラスを傾けて2杯目のビールを飲み干していた。
その細い喉がこくりと動く様を見ながら、アタシははっと我に返る。
(いけないいけない!アタシも『幸さん』と仲良くしなきゃ……!)
「あ、あの!幸さん!あにき……兄とは同じ大学だったんですよね?」
アタシが慌てて話しかけると、彼女はふわふわの笑顔で答えてくれた。
「そ、そうです!わたし、同じ講義を取ってる時に隣の席に座ったことがあって……」
彼女はそう言うと少し照れくさそうに顔を赤くした。
(それがはじめての出会いってかんじなんだ)
なんだか不純とアタシが思っていると、彼女の方が先に言葉を続けた。
「その時から努くんはとっても優しくて……わたしなんかにも声をかけてくれて」
そう言うと『幸さん』はうっとりとした表情で宙を見上げる。
『努くん』かあ、少し羨ましいなあ。
なんて、アタシは思いながら『幸さん』の横顔を見つめる。
「あの頃から努くんはずっと変わらず優しいままで……わたし今日ここに来れてすごく嬉しいんです」
そう言って『幸さん』は笑った。
その笑顔がなんだか可愛くて、まるで夏の日のヒマワリみたいな温かさを感じる笑顔で、なんだか胸に熱いものが込み上げてくるようだった。
でもアタシは、なんだか腑に落ちない点がある事に気づいた。
「あの……『幸さん』」
アタシが口を開くと、『幸さん』は笑顔のままアタシの方を見た。
「どうかしましたか?」
きらきらした眼差しを向けられて、少し言葉がつっかえながらも続けて尋ねる。
「フルネームで中山幸さんってお聞きしたんですが、同じ大学に『中山幸(こう)』さんって男の人は居なかったですか?」
そっちの中山さんはアタシのよく知る人だ。兄貴の男友達の。アタシは不自然に思ったのだ。
兄貴は男の人とばっかつるんでて、異性の知り合いなんてほとんど居ないように見えたから。
その疑問は『幸さん』の言葉によって解決されることになったのだけれど。
「は、はい!あの……こ、幸はわたしの……従兄にあたる人で、大学も一緒なんです」
なんだか、おぼつかないその物言いに違和感を覚えたけど、アタシはきっと気のせいだと自分に言い聞かせて『幸さん』に笑顔を返した。
「そうだったんですね!すいません変なこと聞いて……中山さんの親戚の方だったんですね」
そう言うと彼女は少しキョトンとして言った。
「いえ!お気になさらないで下さい!」
そんな彼女の優しげな笑顔を見つめながら、アタシは再び胸に湧き上がった変な気持ちを誤魔化していた。
確かにこうして見れば髪質の感じと言い顔つきと言い中山さんに少し似ている。
なんだかアタシは、中山さんが居たところに急に『幸さん』がスイッチして現れたんじゃないかって錯覚してしまった程だ。
でも、きっとそんな事は無いんだろう。
だって、パパだってママだって、兄貴だって『幸さん』を中心に笑顔が溢れている。
まるで向日葵みたいに大きな存在なんだ、この人は。
そう思うと少しホッとするけど、アタシの胸は何故かちくちくと痛んだままだった。
今日だって、なんでか知らないけどあの人がこの場に居た方がアタシはずっと気が楽だったかもしれないのに。
そんな私の様子に気がついたのか、『幸さん』が心配そうに声を掛けてくる。
「陽菜ちゃん……どうかした?」
そう言って彼女は眉をハの字にして心配そうな顔で見つめてくるものだから、アタシは慌てて笑顔を作って返事をした。
「大丈夫です!あ、すいませんなんか空気悪くしちゃって……ちょっと合宿の疲れが今になって出ちゃったのかも」
そう答えると『幸さん』は「そっか」と言って笑顔を向けてくれた。
でも、アタシの胸の中の痛みはまだ消えることが無くてアタシは彼女の優しい笑顔を直視する事が出来なかった。
☆☆☆
大量に出た皿を洗いながら、俺はちいさくため息をつく。
竹中母は『お客さんなんだからゆっくりしてて!』と言っていたが、準備も手伝ったし、それになにより陽菜ちゃんのあの何とも言えない表情を考えると皿洗いでもして少しでも気を紛らわせたくなってしまっている自分がいて。
(あー、絶対おれ、陽菜ちゃんに怪しまれてるよなあ……)
俺は、ぼーっとそんな事を考えながら皿洗いを機械的に続けていた。
ふとした瞬間にちらちらと陽菜ちゃんの様子を見ると、どこかよそよそしい様子で俺とは視線を合わせようとせずソファの上でクッションを抱き抱えて座っていた。
(まあ、仕方ないよな……急に兄貴が彼女?連れて来たらそうなるよな)
そんな事を思って俺が肩を落としていると、背後から竹中父に声を掛けられる。
「幸さん、後は私に任せて君もゆっくりしなよ」
その言葉に振り返ると、そこには酒で顔を赤くした竹中父が立っていて、俺は苦笑いを浮かべた。
「いや、そういう訳にもいかないですよお父さん、わたしだけのんびりしてるわけには行きませんから」
俺はつい口をついて出た単語に少しずつハッとしてしまう。
性急と言うか、距離の詰めと言うか……不味かっただろうか。
「ははっ、お父さんだなんてむず痒いなあ。幸さんは自分の家みたいにくつろいでくれていいんだよ?」
上機嫌そうだったのが更に機嫌をよくしたのか、竹中父は笑いながらそう言った。
お酒が入っているのもあるのだろうけど、この短時間で俺と竹中父はなんだか打ち解けたような気がする。
「それじゃ、お言葉に甘えて……」
鼻歌なんて唄いながら皿についた石鹸を洗い流し始めた竹中父を横目に、俺はテーブルのグラスに水を注いで陽菜ちゃんの斜め向かいに座る。
「ふう……」
俺がそう一息つくと、ソファに座っていた陽菜ちゃんが何故か俺の方をチラチラと盗み見る視線を送って来た。
目が合う度に慌てて逸らしてもじもじとしているのだが、何か俺に言いたい事でもあるのだろうか? そんな事を考え始めたら気になって仕方なくなってしまい、俺は思い切って彼女の方を向いて尋ねる事にした。
「どうしたの?陽菜ちゃん」
「え……い、いや!別に……」
そう言ったっきり陽菜ちゃんは黙り込んでしまう。
そんな様子が気になって俺は立ち上がり、彼女の隣の空いているスペースを一瞥すると、耳まで真っ赤にしながらクッションを胸に抱き抱える陽菜ちゃんの隣にぽすんと腰掛けた。
「陽菜ちゃん?」
俺が優しくそう声を掛けると、陽菜ちゃんは一層恥ずかしそうに体を縮こまらせている。
なんだか、その様子がいじらしくて俺の方もドキドキしてきた。
でもこのままでは話が進まないので、俺はゆっくりと話し始める。
「陽菜ちゃんさ……わたしの事、すごく不審に感じてる?」
「そ!そんな事……!」
そんな俺の言葉を否定しようと必死になる陽菜ちゃんを見て、俺はふふっと笑いを漏らした。
「努さんも、こんな気持ちだったのかも」
「え……」
俺がそう言った瞬間、陽菜ちゃんはキョトンとした顔をした。
(……やばい!俺今何言った?)
自分の口からつるりと出た言葉を思い返しながら俺は慌てて誤魔化そうと言葉を探した。
「あーいや、ほらそのー……努さんもわたしくらいの年の人を家に連れてくるのは初めてだったかなと思って!」
俺の口から出た言葉はそんな訳の分からない言葉だったが、それでも陽菜ちゃんの反応を見ると納得がいったのか、彼女はホッとした表情を浮かべたあと、唇を突き出してこう言った。
「……そう、その通りです。兄貴はいつも突然だから。『幸さん』が来るのだっていきなりだったし」
そう、ぷりぷりと怒っている様子の陽菜ちゃんを見ていると、俺はなんだか笑えてきてしまった。
そんな俺の態度を見て更に腹を立てたのか、彼女はクッションを胸に抱き抱えたまま顔を赤くする。
「だからなんで笑うんですかあ!」
俺がごめんごめんと両手を合わせながら謝ると、陽菜ちゃんは機嫌が直ったのかひとつため息をついた後、優しい笑顔を浮かべて俺に言ってくれた。
「でも……変な感じですね。幸さんとは初めて話すのに、なんだかそんな気がしないっていうか」
俺がその陽菜ちゃんの言葉に「そうだね」と相槌を打とうとすると、俺の返事を聞くよりも先にキッチンの方から竹中母がおつまみの載ったお盆をテーブルに持っていきながら俺達に向かってこう言った。
「あらあら?早速女の子二人して秘密のお話?」
そうにんまりした顔で言われてしまうとさすがに俺も陽菜ちゃんも照れくさそうに視線を交わすしか出来なかった。
(だから女の子ってのは……いや、『幸さん』は女の子!そうしとかないと)
そんなことを思いながらも俺はそんな気持ちをおくびにも出さずに竹中母に答えた。
「なんでもないですよお母さん。ね?陽菜ちゃん」
「はい!」
そんな俺達の様子を見て、竹中母は嬉しそうにうんうんと頷くとおつまみの乗ったお盆を配りながら黙々と酒を煽るだけの竹中に声を掛けた。
「努も、飲んでばっかじゃなくて少しは陽菜とお話しなさい!ずっと話したがってたでしょう?」
「俺はいい。もう少し、飲んでいたい……」
竹中はぶっきらぼうにそう言うと、そのままグビッと手に持ったグラスの中身を飲み干し再びお酒を注ぎ始めた。
(なんか……いつもの感じと違うな)
そんな事を思いながら俺はじっと竹中の顔を見つめる。
今日の目的としては、俺がこの家に厄介になることよりも、陽菜ちゃんから同級生の『魔女』の事を聞くのが最優先なわけで。
(まあこの場じゃ聞けそうにないのは分かるけど……)
陽菜ちゃんも竹中の様子を伺っているので、どうやら話をしたいとは言ってあるようには思える。
なのに上機嫌で料理を作っていたかと思えば、なんだかおかしな様子で酒を飲み進めるばかりで。
まるでこれでは、魔女の話を陽菜ちゃんから聞くのを避けている様にしか見えなくて。
(なんでなんだよ竹中……)
そんな俺の気持ちをよそに、竹中母は上機嫌におつまみを勧めてくれた。
「さ!女の子同士積もる話もあるだろうし、沢山食べてね!」
「あ……ありがとうございます」
「ありがとママ♪」
そんな俺と陽菜ちゃんの言葉を聞いて、竹中母は顔をほころばせて席を立つ。
竹中はあんな様子だし、陽菜ちゃんもしばらくはリビングから動きそうにない。
それならばと、俺は少し身を乗り出してガールズトークに興じる事にした。
「陽菜ちゃん、部活は陸上部って言ってたよね」
「はい!中学のキャプテンなんか任して貰ってるんですよ♪」
そう言うと、陽菜ちゃんは持っていたクッションを椅子に置いて両手を膝の上にちょこんと揃えて座り直した。
その様子を微笑ましく思いながら俺は次の言葉を投げかける。
「すごいなあ、天ノ原学園の陸上部って全国大会に出るくらい強いんでしょ?」
俺がそう言うと、陽菜ちゃんは照れたように俯いてしまう。
「えへへ……一応、ですけどね」
頬をかきながらそう言った陽菜ちゃんを見てるとなんだか心が温かくなってくる。
きっとキャプテンとしての責任感と周囲からの期待に押し潰さそうになりながらも頑張っていたんだろう。
そんな俺の考えとは裏腹に、陽菜ちゃんは打って変わって満面の笑みを俺に向けると嬉しそうに話し始めた。
「でも……そのキャプテンって肩書きも、高等部に進学したら意味が無くなっちゃうんですけどね」
「え?」
俺が思わずそう言うと、陽菜ちゃんは少し寂しそうな顔で視線を落としてしまう。
そんな様子に俺は何か悪い事を言ってしまったかと慌てて言葉を探した。
「あ、いや……!でも、これからの陸上部をひっぱっていくのはやっぱり陽菜ちゃんなんじゃないの?」
俺がそう声を掛けると、陽菜ちゃんは顔を上げ笑顔で言った。
「高校からは、特待の子とか、推薦貰って来る子も居ますので……アタシってチビですし、毎日皆に付いて行くので精一杯なんです」
「そんな……」
そんな事はない!と思わず口から出そうになったが、俺はぐっと堪えて口を噤んだ。
この背丈にまで縮んで初めて気が付いた自分も居たが、陽菜ちゃんは確かに歳の割にはかなり小さい方だ。
きっと本人は気にしているんだろう……そんな事を考えながら俺が黙ってしまうと、陽菜ちゃんは慌てて笑顔を取り繕って言った。
「あ!でもぜんぜん気にしてる訳じゃないんです!走る事は楽しいですし、部活の皆も優しくて」
そう言って俺に笑顔を向ける陽菜ちゃん。そんな彼女の顔を俺は真っ直ぐに見る事が出来なかった。
『何も気にしなくていい』
そんな言葉を掛けてあげられない自分が悔しくて仕方ない。
俺が悔しそうに下を向いていると、陽菜ちゃんが俺に向かってこう言った。
「えっと……幸さん?」
そんな様子の俺を心配して声を掛けてくれたのだろう。でも俺はそんな優しい陽菜ちゃんに余計な気を遣わせたくないと精一杯の作り笑いで大丈夫と答えた。
「なんでもない、ほんとになんでもないよ」
それでも心配そうな顔を向けてくる陽菜ちゃんに、俺は作り笑いではない笑顔を見せた。
「たださ、陸上部で頑張ってる陽菜ちゃんの姿を想像してたら……何だか眩しいなあって思って」
俺の言葉に最初は不思議そうに首を傾げていた陽菜ちゃんだったが、俺の言葉の意味を理解すると嬉しそうに微笑む。
「ありがとうございます!アタシ、幸さんみたいにかっこいいお姉さんが出来て嬉しい♪」
その言葉を聞いた瞬間、俺はどきりとした。
俺を『姉』だと言ってくれる女の子を、俺は騙している。そんな考えが一瞬頭を過ったからだ。
そんな俺の気持ちを知る由もない陽菜ちゃんはクッションをぎゅっと抱きしめてあどけない笑顔で俺に尋ねてくる。
「ねえねえ幸さん!」
「うん?」
俺がそんな風に聞き返すと、陽菜ちゃんは「うーん」と小さく唸った後、決心したように俺に言った。
「兄貴の方から告白したんですか?それとも……幸さんから?」
そのあまりにまっすぐな質問に、俺は少しどころじゃなく動揺した。
そんな俺の反応を見て陽菜ちゃんは少し不安げな表情を見せる。
「あ……ごめんなさい幸さん、嫌なら答えなくても……」
そんな様子の陽菜ちゃんに慌てて俺は笑顔で答えた。
「んーん。ちょっとびっくりしただけだから、大丈夫」
俺がそう言うと、ほっとしたように顔を綻ばせて陽菜ちゃんは言った。
「実はさ、告白なんて一度もされた事なくって」
俺はそう言って苦笑いを浮かべる。
きっと、こう言ったら陽菜ちゃんは、『幸さん』が告白をしたんだと信じて疑っていないんだろう。
だから俺はそんな陽菜ちゃんを安心させるためにこんな嘘でも本当でもないことをついてしまう事にした。
俺がそう言うと、陽菜ちゃんは目をキラキラさせて俺に言った。
「やっぱり!そうだと思ったんですよー♪」
そんな様子に俺は罪悪感が押し寄せて来る。
(ごめん陽菜ちゃん……)
そんな気持ちを抑え込みながら俺は作り笑いを浮かべた。
俺のぎこちない作り笑いにも気がつかない陽菜ちゃんは、楽しそうに話を続けてくれた。
「兄貴ってすっごい奥手だから、絶対自分からは告白出来ないんだろうなって思ってたんですよー。それがこんな綺麗な人連れてきて、てっきり『魔法』でも使ったのかなあ、なんて♪」
魔法。思いがけないところで向こうから『魔法』という言葉が出てしまった俺はドキッとしてしまう。
だけど、俺が陽菜ちゃんの方を見ると彼女は上機嫌な様子で鼻歌なんかを唄っていた。
(まだ決まった訳じゃないよな……)
俺は自分のグラスに酒を注ぎながら陽菜ちゃんに尋ねた。
「『魔法』だなんて、陽菜ちゃん意外と夢見がちなんだね。誰か好きな人とかいるの?」
俺がそう聞くと、陽菜ちゃんは照れたように笑いながら言った。
「えへへ……アタシにもいますよ、『魔法』でもなんでもいいからすっごく振り向いて欲しい人」
(それって……)
テーブルでまだ無表情で酒を飲み続けている竹中を一瞥した後、俺は陽菜ちゃんに改めて尋ねた。
「そうなんだ……。あ、じゃあさ!『魔法』でも使って陽菜ちゃんの好きな人を振り向かせる事が出来たら、告白するの?」
俺がそう聞くと、陽菜ちゃんは少しだけ驚いた顔をした後小さく頷いた。
「そうですね……。そう思っていたんですけど……」
そこで陽菜ちゃんは俺から視線を逸らすと、少しだけ寂しそうに下を向いてしまった。
そんな様子を見て俺は何だか切なくなってしまい、思わず尋ねる。
「どうかしたの?」
俺がそう聞くと、陽菜ちゃんは慌てて両手を左右に振った。
「あ!いや!別にどうって事もないんですよ!ただちょっと考え事をしてただけで!」
慌てて取り繕うようにそう言う陽菜ちゃんの姿を見て、俺は何となくだけど今がチャンスなんじゃないかと気付く。
「あ、あのさ陽菜ちゃん」
俺は思いきってそう切り出した。
「その……さっき言ってた『魔法』だけどさ」
俺がそう言うと、陽菜ちゃんはいつもの様子に戻ったのか顔を輝かせて俺に言った。
「はい!もしかして幸さんもそういうのに興味あるんですか!?」
そう言った後に「大丈夫ですよ!」と胸を張る陽菜ちゃんを見て苦笑いを浮かべながら俺は彼女にこう告げた。
「……ううん、違うの。興味はないっていうか……まあちょっと気になるだけなんだけどね。陽菜ちゃん、心当たりない?」
「え?心当たりですか……?」
そう言って首を捻る陽菜ちゃん。
そんな様子を俺は黙って見守った。
(少し無理やり過ぎたかな……)
と、そんな心配をしながら陽菜ちゃんの言葉を待っていると。
「うーん」と唸りながら首を捻っていた陽菜ちゃんは小さくポツリと呟いた。
「……幸さんになら、話してもいいかもしれないです」
そう言った陽菜ちゃんの目は、さっきまでとは打って変わって真剣なものだった。
そんな様子に俺は内心驚きつつも冷静を装って尋ねる。
「どういう事?」
俺の問いに陽菜ちゃんは「実は……」と切り出して話してくれた。
「アタシの同級生にいるんですよ、『魔女』の子。兄貴にも前話したじゃん?」
そうテーブルで酒をかっくらうだけのブーメランが突き刺さった竹中に向かって言うと、陽菜ちゃんは俺にこう告げた。
「その子の事なんですけど……」
(まさか……)
俺がそんな風に思っていると、陽菜ちゃんの話は続いていく。
「名張ぺとらちゃんって言うんですけど……。その、ちょっと問題というか……」
言い淀む陽菜ちゃんに続きを促すと、彼女はゆっくりと話し始めた。
「その子って学校では同級生の皆が気味悪がって距離を取ってるっていうか……まあ友達いない子で」
「それは……なんとなく分かるかなあ」
そんな俺の言葉に陽菜ちゃんは苦笑いして話を続ける。
「はい、そうなんですけど学校で恋の悩みとかあると『魔法』で助けてくれるんです。もちろんお代はいるんですけど……。アタシもぺとらちゃんに悩みを解決して貰おうかなーなんて思ってたんですけど」
そこまで言った後、陽菜ちゃんは少し声のトーンを落として呟いた。
「……その必要は、なくなったみたいです」
そう言って寂しげに笑う陽菜ちゃんを見て、俺は彼女の言っている意味がすぐに分かった。
(あの馬鹿……)
俺たちの話を聞いているのいないのか、竹中は先程から持ってきたお酒を飲んでいるだけ。
そんな様子に陽菜ちゃんは何も感じていないのか、気にせず俺に話をしてくれた。
「あの、幸さん?」
俺が難しい顔をしてしまっていたのだろう。おずおずと陽菜ちゃんが声をかけてくれた。
俺はそんな陽菜ちゃんの様子を見て笑顔を繕うと明るく返事を返す。
「あ!ごめんごめんちょっとぼーっとしちゃってた!へえー、名張ぺとらさんね。なんて言うか会ってみたいなあ」
俺の言葉に陽菜ちゃんは少し困ったような笑顔を浮かべた。
「そうですか!あっでもすみません、ぺとらちゃんスマホ自体持ってないんです。ですから『お願い』の連絡手段は手紙で、今は事情があって学校の寮に居るから捕まらないかも……」
そう言って申し訳なさそうに謝る陽菜ちゃんを見て、俺は慌てて首を横に振った。
「そんな謝らなくていいよ!ちょっと気になっただけだからさ」
そんな俺を心配してくれたのだろう。陽菜ちゃんは優しく微笑んで言ってくれた。
「夏休みが明けたら会えると思うんですけど……あっ、そういえばあの子、部活に入ってるって噂聞いたかも!変な人がいっぱいいるって話題で」
(変な人がいっぱいって……)
俺は陽菜ちゃんの言葉を聞いて苦笑いするしかなかった。
「そっか……じゃあしょうがないかなあ……」
夏休みが終わるまでこの身体だったら多分俺、生きていけない気しかしない。
俺の苦笑いに気が付いたのか、陽菜ちゃんが俺に謝ってくる。
「ごめんなさい……力になれなくて」
そう言って申し訳なさそうに頭を下げる陽菜ちゃんの頭を俺は軽く撫でた。
「いいのいいの!ありがとうね。……因みになんて名前の部活なの?変な人がいっぱいいるって……」
「えっと、『お嬢様部』です!変な名前ですよね!」
そう笑顔で答える陽菜ちゃんに、俺は「あー」と曖昧に返事を返す事しか出来なかった。
(なんで魔女が『お嬢様部』なんかに……)
俺の疑問は膨らむばかりだったが、それはいくら考えても答えが出ない事だろう。
俺は早々に考える事を諦めた。
(うーん、一歩前進ってとこかなあ)
そんな俺の気持ちに気が付いたのか、陽菜ちゃんが「ふふっ」と笑顔を浮かべながら言った。
「『魔法』の話の次は幸さんのお話し聞きたいです!」
そんな陽菜ちゃんの言葉を聞いて俺も笑みを浮かべる。
「いいよー!どんな話が聞きたい?」
そうして俺の人生初のガールズトークは、まだまだ続いていくのだった。
☆☆☆
すっかり夜も更けて、竹中父母と陽菜ちゃんも各々の寝室に消えていってから、俺と竹中はただ黙ってテーブルを挟んで向かい合っていた。
「陽菜ちゃんに話があるって来てたのにお前、何にも喋らなかったじゃん」
俺がそう軽く責める様に言うと、竹中は「まあな」と気の抜けた返事をした後、一瞬だけ神妙な表情を浮かべてからポツリと俺に言った。
「怖くなった……」
「何が?」
俺がそう聞き返すと、竹中は下を向いたまま俺を見ないで言葉を返してくる。
「俺が『魔法』に頼るような人間だと陽菜に思われて、あいつに幻滅されるのが怖い」
こんな弱々しい姿を見るのははじめてだったと思う。
そんな姿に俺は思わず言っていた。
「大丈夫だって。別に魔女に会いたがったからって『魔法』で良からぬことを考えてるとは限らないだろ?陽菜ちゃんだってそう思うだろ普通」
俺がそう言うと、竹中は俯いたまま首を横に振った。
「そうじゃない……。俺は卑怯だ……」
「え?」と俺が聞き返すよりも早く、竹中は部屋から出ていってしまった。
「なんなんだよ……あいつ」
結局よく分からなかった俺はそう独り言を呟くことしか出来なかった。☆☆☆
そんな翌日のこと。
朝食を囲む席の中、俺が黙々とパンを食べていると竹中父母が顔を見合わせるのが目に入った。
そして、意を決した様子で竹中母が口を開く。
「ねえ幸ちゃん、あのね。もし幸ちゃんと努が嫌じゃなければなんだけど……」
そんな風に前置きをしてきた竹中母を見て、俺はぽかんとした顔をする。
俺が訳が分からずにいると、竹中父が一つ頷いてからこう言った。
「努と幸さんさえ良かったら、予約してた民宿に代わりに行って貰えると助かるんだが……どどうだい?」
急な用事が入ってしまってね、と付け加えて苦笑いする竹中父。
「俺は構わない」なんて竹中は即答してるけどやばい、なんか気を遣われてるぞ……。
「そうなのよ〜急で悪いんだけどお願い出来るかしら?明日から1泊2日の予約なの」
竹中母は俺の返答を急かす様にそう言ってきた。
これは……断れそうにない。
「え、ええ。別に大丈夫ですけど……」
俺がそう答えると、竹中父と母はお互いを見合ってから嬉しそうに俺に言った。
「ありがとう!海も綺麗で最高な場所だからきっと気に入ると思うよ!そうだな、泳げるビーチも近くにあるし!」
海、水着。まずい。この身体じゃとてもじゃないけど水着なんて着たら隠しきれない。
「あー、すみません。わたし泳げないので……」
俺がそう答えると、竹中母は「あらそうだったの?」と少し残念そうな顔をした。
「どちらにせよとても良いところだから。陽菜、お留守番出来るね?」
「はーい。それだったら幸さん、明日までに必要なの一緒に買い物行きません?パパ、お小遣い出して!」
「いいぞ。努も家の車使っていいから三人で行ってきなさい」
そう竹中父が言うと竹中はこくりと頷いた。
「やったね!幸さん行きましょー!」
なんだか俺の心配とはよそにすっかり懐いてる様子の陽菜ちゃん。
こうして俺は、いきなり降って湧いた旅行を前に竹中兄妹と買い物に行く事になってしまった。
☆☆☆
「あっ見てくださいよ幸さん!あれ!新作のシューズ!」
「おー」
俺は陽菜ちゃんに促されるまま、首を何度も縦に振る。
今俺たちがいるのはアウトレットモールだった。
明日の旅行の準備もあるけれど、留守番を買って出てくれた陽菜ちゃんのご機嫌取りも兼ねての買い物だ。
意外にも車の免許を取っていた竹中の運転は危なげなくスムーズで、問題なくアウトレットに辿り着く事が出来た。
「おい、竹中」
陽菜ちゃんの後ろ姿を見守りながら、俺は隣の大男に小声で話しかけた。
「なんだ」
俺と同じ様に陽菜ちゃんに視線をやったまま、竹中が答える。
「明日から泊まりなんだから、その前にお前陽菜ちゃんとしっかり話せよ。そう自分でライン送ったんだろ?」
「分かっている」
そう言ったきり、竹中は黙りこくってしまった。
(なんなんだよ……まったく)
俺は夢中でランニングシューズを選ぶ陽菜ちゃんを見ながら、小さく溜息を吐いた。
☆☆☆
陽菜ちゃんの趣味はやっぱりスポーティなようで。
ランニングシューズにショートパンツにパーカーなどなど。
確かに酔った竹中が嘆くのもわかる。
陽菜ちゃんはよく言えば健康的、悪く言えばちょっと少年っぽい服装だ。
(竹中にも妹離れは必要だよなあ……)
そんなお節介な事を考えながら俺は陽菜ちゃんの横に並んだ。
「えへへ、いっぱい買っちゃったー!」
「良かったね」
本当に嬉しそうに笑う陽菜ちゃんにつられて俺も笑みを溢す。
すると陽菜ちゃんが俺のそんな様子に気付いたのか少し訝しげな顔で俺を見てきた。
「……どうかしました?」
「いや、陽菜ちゃんの笑顔見てたらやっぱりこう……癒されるかなって」
俺が素直にそう答えると、陽菜ちゃんは急に笑い出した。
「幸さん面白いこと言いますね!あはははは!」
俺はそんな陽菜ちゃんの反応にポカンとしていたが、少ししてつられて笑ってしまう。
「ふふっ、ほんと」
そんな風に二人して笑っていると、俺たちの少し先を歩いていた竹中が行く中、俺はある店の前で足が止まった。
「ん?あれ、幸さんどうしました?」
そう言って首を傾げる陽菜ちゃん。
俺の目に映ったのはガラス張りの店内の色彩豊かな水着のディスプレイだった。
「い、いや別になんでも」
俺はそう答えると、陽菜ちゃんに向かって首を振ってみせた。
(水着……かわいいなあ)
そう思って言葉を濁したが、俺が足を止めた水着店から目を話さないのを見てか陽菜ちゃんが言ってきた。
「幸さん、見て行きます?」
「え?いやいやいや……わたし泳げないし……それに似合わないから」
またまた嘘が積み重なっていくが、似合いようがないのだけは事実で。
そんな陽菜ちゃんの問い掛けにぶんぶんと首を振った俺だったが、そのまま足は止まってしまっている。
「兄貴、幸さんの水着見たらきっとビックリしますよ!泳げなくっても、見せたらイチコロ確定ですって!」
陽菜ちゃんはニヤニヤしながら俺の顔を下から覗き込み、そうからかう様に言った。
「陽菜ちゃん……」
俺は観念した様に一つ溜息を吐くと、苦笑いを浮かべて陽菜ちゃんに聞く。
「じゃあ……ちょっとだけ見て行ってもいい?恥ずかしいし、努くんと先に行って待っててよ。二人でお話ししたい事とか……色々あるでしょ?」
「はいっ!お言葉に甘えて行ってきます!」
陽菜ちゃんは嬉しそうに微笑むと、そのままパタパタと竹中の方へ駆けていく。
(あの調子なら大丈夫そうかな)
そんな後ろ姿を見送った後、俺は静かに水着店の扉を開いた。
(へえ〜、色々あるんだ……)
女性用水着売り場なんて実際立ち寄るのが初めてだった俺は、興味深げに店内を見回す。
竹中が陽菜ちゃんとしっかり話せるかどうかも気がかりだったけど、ただ水着を見ているだけなのにわくわくする気持ちは隠せなかった。
でも今の俺の股間の巨大なアレに合う水着なんてあるのだろうか? そう思いながらも足は店内に陳列された水着の方へ向かっていく。
(あ……これかわいい)
目に止まったショーケースの中、見惚れる
俺は竹中が見たらどんな顔をするかな、なんて想像しながらそれを手に取ってしまった。
「お客様、ご試着なさいますか?」
店のエプロンをつけた若い店員がにっこりと微笑んでそう言ってくる。
俺は少し逡巡しながらも「お願いします」と頭を下げた。
☆☆☆
(結局買ってしまった……)
水着選びで時間を取られ、すっかり陽菜ちゃんたちとは別行動になってしまった。
まあ少し位遅れても大丈夫だろう。そう思って俺はスマホの画面を確認したが竹中から連絡は入っていなかった。
(大丈夫なんだろうか……)
そう思いながら歩いていると、カフェスペースでお茶をしている陽菜ちゃん達の姿が目に入った。
でも、なんだろう。少し雰囲気が悪い気がする。
「陽菜ちゃんお待たせ〜。ごめんね時間掛かっちゃって」
俺がそう声をかけると、陽菜ちゃんがハッとこちらを見て笑顔を向けてきた。
「さ、幸さん!おかえりなさい。どうでした……?」
「うん、バッチリ♪」
俺がVサインでそう答えると、陽菜ちゃんは一瞬固まってから少し沈んだ声で返してくる。
「あ……そうですか……」
竹中もいつもの仏頂面でコーヒーを飲んでいる。
俺はそんな二人に笑顔を向けながら、何があったのかなんて聞く事は、出来なかった。
☆☆☆
「竹中あ。お前、陽菜ちゃんとしっかり話したんだよな?」
元は竹中と陽菜ちゃんの二人で使っていたのだろう2段ベッドの特等席の布団に寝転びながら俺は言った。
「ああ、話した」
俺に背を向けて寝転がり、そう答える竹中の声を背中に感じて、俺は溜息を吐く。
(一体全体、何話したらあんなにギクシャクするんだよ……)
そう思った矢先、まさかと顔が真っ青になる。
「お、おい、まさかお前……陽菜ちゃんに俺の正体とか話したんじゃ……」
俺が2段ベッドから身を乗り出して頭を逆さにして慌てて聞くと、竹中は「いや」と否定してくれた。
「それは言っていない。もっと違う話だ」
「あ、そ……ならいい」
俺がほっと胸を撫で下ろしていると、竹中が話を続けた。
「どうしても、陽菜には話さなければならなかった」
含みを孕んだ言い方に、俺は訳が分からず呆然とする。
「なんだ、おにいちゃんは陽菜ちゃんには言えてもわたしには言えない話なの?」
俺が竹中にそう尋ねると、「そうだ」とぴしゃりと言い返された。
(こ、こいつ……)
さすがに少しムッとした俺だったが、続けて聞こえてきた竹中の言葉にそれは解消された。
「魔女を見つけてお前をなんとかしたら話す」
竹中はそう言ったが、俺としてはあまり期待をしていない。
「んな事言ったってさあ、名張ぺとらが見つかる保証なんてねーし、夏休みだってまだ長いんだぜ?」
そう俺が言うと、竹中は少し間を置いてから口を開いた。
「確かにな」
そのぶっきらぼうな答えに俺は嘆息してしまう。
俺の飲んだ自称『惚れ薬』は訳の分からない肉体の変化をもたらすばかりでなんの張った惚れたの兆しもない。
薄い胸は張って母乳が滲み出るし、あそこはやたらと大きくなってトイレの度大変な目に遭っている。
竹中家にトイレが二つあったのは幸いだったが、声を抑えるのはまたひと苦労だ。
それにこの男。
いつも無愛想で話も皮肉気でおまけに筋肉までムキムキだから、そりゃあコイツに惚れるなんて……。
(いけないいけない、やっぱりなんか変だ)
俺はそんな頭の中に浮かびかけた言葉に首を振って、雑念を振り払うようにスマホを
いじった。
竹中父母の行く筈だった民宿は小さいながらも料理が評判で、地元の海産物をつかった豪勢な食事も味わえるらしい。
「竹中は行った事あんのここ?」
「いや、ない」
「ふーん。どんなとこかな?」
そんな風に俺は気もそぞろで近くにあるというビーチの情報をひたすらに漁っていた。
(これって……)
その風景に惹かれるものを感じながらも、俺は恐る恐る竹中にそれを告げた。
「ねえ、おにいちゃん♪ここのビーチとっても綺麗らしいよ。ねえ、折角だから行かない?」
俺が竹中にそう言うと、「そうか」と気のない返事が返ってきた。
俺はその事にぶすっとふくれっ面を作ってから、ふとある事が気になってあるワードを検索する。
「まじか!?」
俺はその答えを見て思わず声を漏らす。
「どうした」
そんな俺の様子に気付いたのか、竹中がのっそりとベッドの2段目に登ってきた。
俺が顔を上げてニッと笑うと、竹中は訳が分からないといった顔をした。
そんな様子の竹中に俺はスマホの画面をズイっと見せつける。
一見豪奢な感じのフォントやけばけばしい色合いはどこかレトロでどうかしてる印象すら受けるページ。
でかでかと書かれた『天ノ原学園お嬢様部ホームページ』の文字を認識するなり、竹中は眉を顰めた。
「幸、これは……」
呆れた様な声を漏らす竹中に俺はスマホの画面を指差しながら答える。
「まあお嬢様部はともかく良いから見てよ。ここ」
俺がそう言って指をさしたのはビキニ姿の金髪美少女がグラビアみたいなポーズを取ってる画像だ。
竹中は俺の顔とスマホの画面を何度も見比べて言った。
「で、これがどうした」
「よく見ろ!『お嬢様部夏の強化合宿 参加者募集中!』って書いてあるだろ?ここに書いてある泊まり先の別荘なんだけどな……」
俺の説明に、竹中は「まさか」と眉を寄せた。
「そのまさかだよ!俺たちの民宿のすぐ近く、大当たりだ!」
期間もちょうど被ってる。この一泊二日で全てを終わらせてしまおう、俺はそう思いながら、興奮から胸を弾ませていた。
そうはしゃぐ俺の顔を見る竹中が、どんな顔をしていたのか。
この時の俺はまだ、全く気付いちゃいなかった。