王都の西に位置する切り立った岩壁に囲まれた軍事都市、ケモノ族の国『ベルーガ』
ここ数百年、王都との交流がほとんどないその国の入り口で、カイルは数人のトラの獣人たちに囲まれていた。
鋭い牙と爪をたて、捕食者特有のギラギラとした眼差しをカイルに向けたまま、グルグルと喉を鳴らして威嚇するトラ獣人たち。
その中の一人がカイルに対し、
「人間よ。ここから先は我らが女王ナハト様の領域だ。許可なく立ち入ることは固く禁じられている」
低い声でそう告げた。
「……あぁ、わかってる」
「ならば貴様、どのような要件があってこの地に来た? 返答次第ではこの場でその喉笛を切り裂くぞ?」
「……お前たちのような下っ端の番兵に話しても無駄だ。もっと上の者を出せ。それに……お前たちごときでは俺の喉笛どころか、手に触れることもできないだろうさ」
挑発するようにそう告げたカイルに対し、
「貴様っ!」
トラ獣人の一人がカイルの首筋にその鋭い爪を伸ばしかけたところへ、
「待てぇっ!」
耳をつんざくような怒号がその場の全員の動きをぴたりと止めた。
声のした方向へカイルが視線を向けると、そこには身の丈を越える大斧を背に担いだ、獅子の獣人が立っていた。
カイルの二倍はあるその体躯。
褐色の肌を無数の傷跡で飾り、鋼のような筋肉を持つ獅子の獣人のいでたちと全身から放たれるただならぬオーラに、トラの獣人たちとは明らかに格が違うとカイルも察する。
獅子の獣人はゆっくりとカイルの方へ歩み寄り、トラの番兵たちの前に立つ。
そしてそのまま低く唸るような声で言った。
「爪を収めろ。ここは戦場ではない」
その一言だけで、先ほどまでカイルを威嚇していたトラ獣人たちは一斉に背筋を伸ばし、まるで子どもが親に叱られたときのように静まり返った。
彼らのその態度から、この獅子の獣人が相当な地位にあることは明らかだった。
カイルはその様子を観察しながら内心で小さく息を吐く。
(やっと話の通じそうな相手が出てきたか)
獅子の獣人はカイルの前に立つと、鋭い金色の瞳でじっと見据えた。
「人間。名を名乗れ」
「カイル」
「カイル……俺はベルーガ王国軍の軍隊長、ザルガだ。女王ナハト様の盾にして牙だ」
ザルガは大斧を背から下ろし、地面に軽く突き立てた。
その動作だけで、周囲の空気がさらに重くなる。
「……さて、カイル。貴様がこの国まで来た理由を聞こう。虚偽は許さん」
その問いかけに、カイルはわずかに口角を上げて答える。
「女王ナハトに会いに来た。女王に伝えたいことがあってな」
その言葉を聞いたトラ獣人たちが一気にざわめきたつ。
「人間が我らの女王に会うだと?」
「無礼にもほどがある!」
「なんと不敬な。ザルガ様、今すぐここで食い殺すべきです」
ザルガはすっと片手を上げ、ざわついている部下たちを即座に黙らせる。
「女王に会いたい……それは貴様が伝えたいこととやらの内容次第だ。まずはここで話せ、人間」
「残念だがここでは言えない。女王本人に直接伝える必要があるのでな」
カイルの言葉にザルガの眉がわずかに動く。それは疑念と警戒、そしてほんの少しの興味が混ざった表情だった。
「……人間。我が国で女王に会うことが、どれほどの意味を持つか理解しているのか?」
「あぁ、もちろんだ」
「ならば、なおさら内容を明かせ。それでもなお拒否するというのなら、こちらも考えがある」
そう告げたザルガの全身から殺気が立ち上る。先ほどまでとは異なる明らかな敵意と威圧。
並みの人間ならばその威圧に耐え兼ね、気を失ってもおかしくない状況の中、カイルはその威圧を、柳に風と受け流し、右目の焦点を彼の眉間に合わせた。
【対象:ザルガ・ボルガ】
【紋章:金獅子(ゴルド・リオン)/色彩 黄金色】
【深層心理詳細:女王への忠誠の裏に隠された激しい飢餓感を感知。女王の影で終わる自分への嫌悪。女王の喉笛を食い破り、その玉座と褐色の肢体を力ずくで我が物にしたいという簒奪欲あり。半獣人による獣人に対する差別と支配に対する革命を切望している】
ザルガの右手に輝く金色の紋章を確認したカイルは、
「……忠犬の面皮を被った飢えた狼、いや、獅子か。非常に面白い」
そう述べながら不敵な笑みを浮かべる。そんなカイルに対し、
「貴様、何を笑っている……獣人を侮るなら、その首、ここで叩き落としてくれるぞ」
ザルガは全身から殺気を放ちながら、地面に突き刺していた大斧を再び振り上げる。
「おいおい、ここは戦場ではなかったんじゃないのか?」
「あぁそうだ。だが、たった今、貴様自身が戦場に変えたのだ」
振り上げられた大斧は今にもカイルの首を刎ねんとしている。だがそんな光景を目の前にしてもカイルは一切動じない。
カイルはザルガの目をじっと見つめたまま、
「ザルガ。お前のその斧、侵入者を屠るため、いや、女王を守るためにこれまで研いできたものか? 違うだろう? お前の本心はそうじゃないと思っているはずだよな」
そう問いかける。
「……」
カイルの問いかけに、ザルガの斧を持つ手から一瞬力が抜ける。
その瞬間を見逃さず、カイルはさらに続けた。
「お前の心の奥底に眠る本音。国民の前に立つ女王ナハトの背中を見つめるたび、お前はその白い牙を彼女のうなじに突き立てたいとずっと願ってきた。その気持ちが俺には手に取るようにわかるぞ。女王に跪くのではなく、己の本能のまま、女王に食らいつきたい。そうだろう?」
「……貴様」
「隠す必要はない。お前は女王の高慢さが昔から鼻について仕方がないんだ……ナハトのことを『女王』としてではなく、自分の下で絶叫し助けを乞う『一人の女』として屈服させたい……それがお前の本音だ」
「お、俺は」
揺らぐザルガに対し、カイルが右目の出力を上げる。ザルガの深層心理が音を立てて崩れていく。
「俺はお前と敵対したいわけじゃない。話し合おうじゃないか」
そう言いながら、カイルはその右手をそっとザルガに伸ばす。
すでに黒紫色の血液に染まった掌でザルガの巨大な体躯に触れる。
「我が血に流れる穢れた因子よ。この者の『本音』を現実にしろ」
「ぐっ……あっ」
その瞬間、ザルガの眼光が忠誠心という名の理性を失い、獣本来の「略奪の輝き」へと変質していった。
「……ハ、ハハッ。そうだな。ここは正直に語り合おうか」
カイルがザルガから手を離すと、ザルガは振り上げていた斧を地面に再び突き立て、野卑な笑いを浮かべた。
「おい、番兵ども。少し席をはずせ。俺はこの客人と胸襟を開いて話し合いたい」
「し、しかしザルガ様」
「去れっ!」
ザルガの咆哮に、トラ獣人たちは身体を小さく震えさせながらその場を去っていった。
トラ獣人たちの背中を見送りつつカイルが、
「……いいのか? 番兵を全員下がらせても。女王に誰かがこの件を報告でもしたら」
と、ザルガに言いかけたところで、
「問題ない。そもそもこの国にいる獣人たちはみな、俺の指示に従っているだけだ。女王のためでも国のためではない」
そうザルガが食い気味に答えた。
「ほぉ。それはまたどうして?」
「獣人たちは皆、女王をはじめとする半獣人たちにさんざん煮え湯を飲まされているからな。忠誠心などとっくの昔に消え失せている」
「……それはナハト女王の政策のせいか?」
「あぁ、あのアバズレ女王のやつ、数年前から思い付きだけで半獣人を優遇する政策を始めやがった。俺のような獣人たちは使い捨ての道具としか思っていない。
戦場で死ぬか、多くの税を支払う国の糧。俺たち獣人は、半獣人たちを養うための奴隷なんだ。俺はいつか、あの女王の褐色の肌をこの爪でズタズタにして、俺の足元で鳴かせてやると決めている」
強い口調でそう述べるザルガに対し、カイルは喉の奥で笑いをこぼす。
「素直に自分の本心を吐き出せるようになったじゃないかザルガ。そうだ。俺はお前のその本心が聞きたかったんだ」
カイルの言葉に、ザルガは黒紫色の紋章が光る右腕を見やりながら、
「……なぜだろうな。不思議と貴様には、自分の本心を打ち明けても良いという気持ちになる」
そう告げた。ザルガはそれからカイルの目を見つめ、
「それで? お前の本心は? なぜここに来た?」
そう尋ねる。カイルはくくく、と再び喉奥で笑いをこぼした後、
「お前の望みを叶えるためさ。半獣人を優遇するナハト女王の失脚。そしてこの国に革命をもたらす。それが俺の目的だ。ザルガ、俺に協力しろ。俺が女王の『弱点』を全て暴き、お前の望みを全て叶えてやるぞ」
そう述べた。その言葉にザルガは疑いのまなざしを向けたまま、
「……その見返りは何だ?」
そう尋ねた。
「俺の望みを叶えてくれる。が、何かしらその見返りを求めるのだろう?」
「ふふ。さすがは軍団長。話が早いな……俺が王都を襲撃するための軍を貸してもらいたい」
「ほう! 王都を襲撃するつもりか貴様。見上げた根性じゃないか。だが、女王の失脚程度では、俺の大事な軍を貸すわけにはいかんな」
「もちろんだ。貸してもらう対価として、お前にナハト女王を蹂躙し、奴隷にする権利を保証してやる」
カイルのその言葉にザルガの目がきらりと、野生身を帯びた光を放つ。
「……ほぉ。女王が俺の奴隷に……だが、ナハト女王には『宝具』の魔術がある。女王にはそう簡単には近づけないぞ? それをどう無効化するつもりだ?」
「それは問題ない。俺には百年にも及ぶエルフの知恵がある」
「エルフ? 貴様、エルフを味方につけたのか?」
ザルガが驚きの表情を浮かべる。
「お前の懸念する、ナハト女王を守る『宝具』の魔術は近々無力化する……そうすれば女王もただの女にすぎない。ザルガ、お前はもうすぐ使い捨てされる将軍から一国の主、そして女王の『飼い主』へと昇格するんだ」
「……ククッ、それは最高だな……いいだろう、貴様の作戦が成功したら俺の軍を好きなように使わせてやる」
その述べたザルガがカイルに右手を差し伸べる。
その手を取ったカイルは、狂ったように笑うザルガのその右手に刻まれた、不気味な黒い紋章の明滅をじっと見つめていた。