AdAd
  
王国の救世主は、獣人少女とイかせ合う。──剣術は完璧だったのに、足の魅力にはかなわなかった件──

  

  [chapter: プロローグ]

  牢獄の中で、彼は誘惑されていた。それも、人間に見えて、人間ではない亜人──獣人の少女に。

  ──馬鹿な……!? この私が……。

  「人間さん……いいよ……?」

  白に近い銀髪、戦闘の時とは違う、不思議そうな青い両目。猫のような耳が、白い頭からは生えていた。無粋な囚人服は戻っていたが、靴も靴下も履いていない剥き出しの裸足は、彼をとてつもなく刺激した。

  「何の真似、だ。私はそんな遊戯には……」

  「遊戯なんかじゃ、ない」

  くすり、と猫耳獣人少女は、はにかむ。恥じらいを覚えつつも、男を誘う蠱惑的な笑みを醸し出していた。

  「お兄さん……足……好きなんでしょ?」

  直球な問い。

  獣人……いや、それ以前に捕虜の少女だ。そんな大前提すら忘れかけるほどに、実は動揺していた。

  

  「はい」

  と言って、少女は足の裏を見せる。たった、それだけの動作なのに、彼にとってはとんでもなくコケティッシュな仕草に見えてしまうのはなぜか。多分、合理的な理由なんてない。彼の性的嗜好だから。

  ──この……小さな、足の裏で、戦場を駆けていたというのか。

  彼は、生唾を呑んだ。土踏まず、踵、足指。不衛生な牢屋の中だったから、足裏は綺麗であるはずがない。にもかかわらず、彼は足から分泌されるであろう汗や脂の匂いを想像してしまい、嫌でも情欲を刺激されてしまう。それくらい、「足裏を見せられる」という行為は、彼の弱点とも言えた。まして、戦いの時以外でならなおさらその欲求に抵抗するのは難しくて。

  ──なぜだ、なぜ、私はこのような……!?

  彼の手が、少女の足裏へと伸びる。

  

  「ルエは、お兄さんに、純粋に、こうなって、ほしいから……」

  まやかしの言葉だ、と理性は確かに発する。が、彼は止められなかった。

  [newpage]

  [chapter:王国の救世主は、獣人少女とイかせ合う。──剣術は完璧だったのに、足の魅力にはかなわなかった件──]

  昼頃。

  対岸を挟んだ森の向こう、『獣軍』の陣地は屹立していた。

  平野にて陣を構える『王国軍』は、じわじわと戦線を押し上げつつも、将軍──ミオム=ヴァンデヘルスの指揮下、態勢を整えていた。

  ミオム=ヴァンデヘルス将軍。異例の若さで出世を遂げた将だ。ただでさえ『王国』から精鋭をそろえてきた『王国軍』の中では、当然出世競争は苛烈を極める。にもかかわらず、ミオムは三十にも届かない年齢で、『将軍』の地位を獲得。その優れた観察眼と、卓越した剣術は「十年に一度の天才」と称されるほど。

  ゆえに、此度の『第三次獣軍制圧作戦』においても、迅速な決着をしてくれる。と、『王』は期待していたに違いない。だが────

  

  王国軍駐屯地。

  王国軍の権威を見せつける意向もあるのか、王国軍を囲う陣幕と土塁は圧巻の一言だった。『獣軍』に対抗するための砦や塁は複数設置されていたが、ここはその中でも特に大規模な場だ。

  将軍の仮居住地として設置してある天幕にて、一人の青年と少年が話し合っていた。司令台にて座る、指揮官と思しき青年に、少年らしき剣士が報告していた。

  「将軍、物見より報告がありました。『獣軍』は牽制のためか、しばしば我が先陣へと攻撃を仕掛けている。しかし、積極的には打って出ようとせずに、進退を繰り返しているとのことでした」

  「そうか」

  

  青年は、両肘を台についた状態で掌を組んだ。その上に顎を載せ、しばし黙考した。

  「今のところ、『獣軍』は散開しつつ、我らの戦力分散を待っているようです」

  「当然だろう。それが彼らの戦いなのだろうからな」

  

  獣人。

  人間に似て、相反する亜人。だから、人間の常識で戦うことは悪手だ。こんなことは理屈の上では誰もが理解している。だが、実際にそれを実戦に反映できるかは別だ。それこそ、ミオムのような秀才肌でもなければ。

  「では、我が指揮下の部隊には、引き続き伝えよ。『獣軍』の挑発には乗らず、持久戦を構えよ。長期戦へと持ち込み、奴らの消耗を待て」

  「……はっ」

  少年──クリス=ロライナは頭を垂れる。ミオムを敬い、師として慕っている心が現れている仕草だった。

  クリスとミオムは、単なる「将軍」と「部下」という関係にとどまらない。元々同郷出身ということもあるが──ミオムの人格や強さに、特にクリスは惹かれていた。クリスの年齢で「将」の地位につくだけでも彼は相当な非凡なのだが、そんな自惚れすら許さないほどに、ミオムへの羨望は大きかった。だからこそ、クリスにはミオムの裏の意図まで理解できてしまう。

  「ミオム様、……余計な気遣いであれば申し訳ございませんが、『王』からの通達は……」

  「そなたが予想している通り、今朝早速届いたとも。書簡でな」

  複雑そうな顔をするクリス。ミオムは、その少年剣士をなだめるように微笑んでみせた。

  「相変わらずご立腹なようだ。さっさと数で制圧しろ、とな」

  「……」

  ミオムは表面上穏やかな口調と面持ちを保っているが、内心の葛藤は端々に滲んでいるように感じられた。

  『王』の立腹は、理屈の上では成立していなくもない。『王国軍』の勢力は『獣軍』の二倍以上の兵力を持つ。加えて、兵器及び物資の量も雲泥の差がある。つまり、数で圧倒しろ、というのはあながち間違いではない。実際、ミオムが総大将に任命される前、老人の前将軍はいくつもの攻勢を仕掛け、『獣軍』の拠点を数多く陥落させてきた。

  しかし、それは『獣軍』の激しい抵抗に遭ったことも意味する。敵味方共に多くの死傷者が出た。この「苛烈」とも言える作戦は「王」を通じて命じられたもの。ミオム就任後は、作戦を持久戦へと切り替えた。作戦の切り替え自体を「王」は禁じていなかったので、ミオムは命令違反というわけではない。が、「若きエリート」の名にふさわしい彼が「守り」の作戦へと変更したことは不満であろう、とはミオムも察していたのだ。しかし──

  「ミオム様。僕は、やはり納得がいきません。なぜ『王』は無茶な攻めを命じたのか。ミオム様に圧力をかけるのか。……国民としても、『王』の変化は受け入れがたいものがあるのです」

  戦争は当然膨大な物資がかかる。その税や物資の捻出の害を受けるのは、いつも決まって国民だ。

  「変化も何も、『王』自体が変わったからな」

  「先代の『王』であれば、こんなことはありませんでした。ただ前線の兵士たちを道具のように扱う……僕にはそう思えて仕方ありません」

  「クリス」

  ミオムは軍の、そして人生の先輩として、少年の声を止めた。真一文字に引き結ばれた唇は悔しそうでもあるし、歯がゆそうでもあった。

  「戦闘以外のことは考えるな、とは言わない。……が、今考えるべきは、いかにして勝つか。そして、こちらの損耗を減らすか。戦闘以外のことで精神を疲れさせては、やがてそなたにも害となる」

  「はっ、ミオム様」

  クリスには、ミオムの本当の意図がわかっていた。損耗を減らす。それは単に戦力の低下を恐れての行い……などではない。『王』と違って、ミオムは部下思いだ。ミオムは決して「部下」を道具のように思わない。クリスだけではなく多くの武官がミオムを「将軍職」へと推挙したことが、ミオムの人望の高さを示していた。

  「指示は追って出す。いずれ私が直々に『獣軍』との決着に出る。……それまでは、先ほど言った通りの案で構えよ。以上だ」

  「……はっ」

  

  少年剣士は最後に敬礼をすると、天幕から去った。少年が帳の向こうへと移動したのを見届けた後、若き将軍は深く溜息をついた。

  ──わかっているとも……『王』の噂は。

  『先代の王』は薨去し、その息子が後を継いだ。しかし、王位継承にわたって兄弟間での諍いがあったことは臣下の間でも囁かれていた。表沙汰になっていないだけで、兄ではなく弟になったのは、何やら裏工作が行われていたとか。とはいえ、証拠は何もなく、よしんばあったとしても、臣下の身で『王』を疑うのはもってのほか。重臣ですら、『王』への進言は慎重を極めねばならない。もっとも、こうした重圧でさえ、『先代の王』ではありえなかったことではあるが……。

  ──私は剣士。王族を疑うなど、あってはならないが。

  彼は真剣に国を愛するからこそ、憂慮してしまう。この国の行く先を、だ。『獣の国』との戦いは勝利させる。だが、その先は? 今の『王』は何を考えている?

  ──いや。

  かぶりを振った。

  もしかすると、形勢が有利だからこそ、戦いに関係のないことを考えているのかもしれないな、と彼は自戒する。それでは三流だ。『王国』では数々の先輩剣士から戦術を学んだ。自軍が有利な時こそ、漏れがないか細部まで気を配れ、と……。それがセオリーだ。

  少し外の風に当たっておこう、とミオムは席を立つ。将軍が浮足立ってしまえば、それは軍の命すら左右する。だからこそ、将軍である自分は堂々と構えていなければならない。

  それに。

  ──いずれ私が、決着をつけなければならぬからな……。

  自惚れではなく、予感。こう言うと、何を安直にと思われるかもしれないが、最終的に戦を決定づけるのは「運」だ。

  陣地にて兵士たちが、往来している。誰もがミオムを見つけたら敬礼を捧げてくる。ミオムもまた敬礼を返しながら、いずれ来るであろう決着をどうつけるか計算を働かせていた。

  だが、彼の胸中では、実は決戦の姿は思い描けつつあった。後は、それはいつ実行するかだけ──。

  

  [newpage]

  『獣軍』前線基地。基地、とは言ってもそこは『獣人』のエリア。高い柵を築き、石の壁にて防御機能を確保する。それだけなら、『人間』と比較しても前時代的には思うかもしれないが、そこまで奇妙と言うわけでもない。

  『人間』と大きく異なっている点があるとすれば、それは陣形と人数だろう。元々『人間』よりは野生動物としての本能が強い『獣人族』。加えて、『獣人族』はその身体能力も『人間』より高い。では、なぜ『獣軍』が押されているかというと……それは人口と技術力に差をつけられているからだ。『人間』たちは自分たちが力で劣るからこそ、武器と作戦に秀でている。実際、短期決戦が得意な『獣軍』は、鉄壁の守りを構える『王国軍』相手に徐々に消耗していった。特に指揮官が変わってからは──これは、『獣軍側』も得た情報だ──、『獣軍』はなかなか自分たちの調子に乗せられない戦闘に、苦渋をなめつつあった。『獣軍』としては何としてでも、『人間側』を決戦に持ち込みたいのだが、現状成功した試しはない。『人間』は浅薄な生き物で、『獣人』を見下している。だから、一時の優勢に驕ってきっと深追いしてくる──と、踏んでいたのに、完全に見当違いだったと言わざるを得ない。どうやら、『人間側』の指揮官は相当優秀であるらしい。と、『獣人の長』が臍を噛んだのは言うまでもないだろう。『獣人』の戦略、性質を読んでの『人間側』の動向か? そうなれば厄介だ。

  

  ──仕方あるまい。ならば、こちらも「変わり種」をぶつけねばならぬか。

  

  あまり気は進まない。何しろ、結果次第では「小娘を『指揮官』に選ばねばならぬほどに、『獣人』どもは人材が枯渇しているのか」と『人間』どもをさらに調子づかせてしまうだろう。

  だが、「彼女」の実力は本物。少なくとも「長」はそう評価していた。このままジリ貧を待つよりは、こちらの奇策を試してみるのが先だ。

  ──構わぬか。我らの矜持が傷つく程度で済むなら、安いもの。

  「長」の魂胆は、その程度のものだった。

  「お姉様!」

  高い柵で覆われた陣地には、いくつもの天幕が置かれている。枝と石で拵えた簡素な炊事場の近く。一人の獣人少女が、別の獣人少女に呼びかけていた。猫のような耳をはやした赤髪少女だ。ツリ目とミディアムヘアの、小生意気そうな雰囲気を漂わせる彼女は、白い猫耳少女へと駆け寄る。何やら急いだ様子だが、白の猫耳少女は切り株に腰かけて悠然としていた。今は戦時中であるにもかかわらず、だ。

  「お姉様! 大変ですわ……ってお姉様?」

  「……なぁに、ヴェルナ」

  赤髪猫耳少女は、ヴェルナという名前のようだ。ヴェルナも外見は整っている。が、「お姉様」と呼ばれた獣人少女は、「戦時中にいるには場違いだ」と思われるほどに綺麗な外見をしている。白を基調とした服にスカート。清涼感を思わせる青の刺繍が施されている。軽めの胸当てと小手が、かろうじて戦士らしさを醸し出しているが、それらさえなくなれば深窓の令嬢なのかと思うような淑やかな猫耳少女。

  だが、何を隠そう。この白猫耳少女こそ、『獣軍』の新たな総司令官──ルエリア=ファルケナーだった。可憐だがどこか、読めない人物像は──魅力でもあり脅威でもある。これは、『長』の評価だった。

  そして、このヴェルナと呼ばれた赤猫耳少女も、ルエリアを慕っている者の一人だった。「お姉様」という呼び方は別に血縁関係があるわけではないが、故郷を同じとする彼女らは、中途半端な親族よりも遥かに長い関係で結ばれていた。

  「いや、あの……何かお考えのように、お見受けしたので、お姉様が……」

  「風の匂いを、感じていたんだよ」

  戦時中に何を呑気に、と憤る奴がいたら、それはルエリアについて何も知らない証拠だ。ルエリアは身体能力も高いが、彼女の本命は「勘の強さ」にある。その優れた観察眼と誰も読めない思考力の高さは、他の『獣人』にはない才能だった。事実、『人間』との戦いではルエリアの率いる一団のみ、被害を最小限に抑えられた。血の気の多い者が多い『獣人』はよく言えば勇猛だが、逆に言えばルエリアのように「感情を保ち、冷静に事に当たる」人材は貴重なのだ。もっとも、その優秀な人材を抜擢できる『長』はさらに貴重とも言えるのだが。

  「風を、ですか。お姉様」

  「うん」

  まるでルエリアの言葉を裏付けるかのように、そっとそよ風が吹いた。風になびく白髪を軽く押さえながら、ルエリアは「じ……」とヴェルナを見つめる。ルエリアにとって、ヴェルナは

  「ちょっと……『人間』さんに危険な香りがする。ルエ、森の様子を見てきたんだけどね。……『人間』、慌ただしい。きっと、指揮官が動いてる」

  司令官が斥候まがいのことをするなどおかしい──などと考えるのは、『人間』側に偏った思考だ。危険であることは承知で、ルエリアは単独での調査、潜伏を厭わない。戦意を隠せる彼女だからこそ、できる芸当だろう。

  「お姉様」

  ごく、とヴェルナは苦い唾を呑む。ヴェルナ=ディ=スプラウトはルエリアよりは現実主義者だが、彼女の直感は本物だと信じていた。だって、ルエリアが言ったことはまさに──

  「……言う通りです。今朝、私の部下から報告がありました。『人間』たちの動きが慌ただしくなっている、と。特に、奴らの将である『ミオム』が不自然な単独行動を繰り返している、とのことです」

  「単独で……」

  ルエリアは瞬きをした。『人間』は卑怯で臆病だから、群れを成すことが多い。それが『獣人』との戦いになればなおさらだ。さすが、姑息な手段を好む『人間』らしいとは思う。そんな『人間』が単独で? それは相当な馬鹿か、こちらを侮っているのか────

  「『人間』さんにも、面白い人がいるんだね」

  「……」

  これが並みの戦士であれば、「人間が、舐めた真似を!」と憤慨するか、「馬鹿な『人間』が乱心したのか」と揶揄するかのどちらかだろう。だが、このルエリアという少女はどちらでもない。天気の話題でもするように、悠然とした口調。もし言ったのがルエリアでなければ、ヴェルナは引っ叩いたかもしれない。

  「ヴェルナはどう思う? 『人間』側の動き」

  「どう、って」

  ヴェルナは口ごもる。お世辞にも戦略に明るいわけでもないヴェルナは、その足りない──と、本人は認めたくないが自覚していた──知恵をどうにか絞り、

  「奴らの狙いは、こちらの戦力の分散かと思います。仲間には、『奴らの不審な動きに惑わされるな』と伝令していますが、どうにも衝突は完全には避けられないようで……『人間』側の意図に、乗せられている輩はゼロにはできません」

  「逆に、衝突くらいですんでいるだけでも奇跡だと思うよ」

  頷くヴェルナ。大規模な戦闘を回避できているだけでも、プライドの高い『獣人』としてはなかなか辛抱のいる話だろう。裏を返せば、それだけルエリアの「司令官」としての才能が行き渡っている証でもある。

  「お姉様、お姉様は『人間』側の狙いはどこにあると? 戦力の分散の末に、奴らは最終的に何を成したいと?」

  妹分の問いに、逡巡もないままルエリアはこう答えた。

  「きっと……ルエを誘い出したいんだと思う」

  「!?」

  顔を強張らせるヴェルナ。ルエリアは無表情に近いが、瞳の奥には切迫した色が宿っているように思えた。

  ルエリアを狙っている。そのためだけに、これまで過剰ともいえるような消耗戦を仕掛けてきたというのか?

  「ルエたちを焦らしておいて……ルエ本人を引っ張り出したい。それが狙いなんじゃないかな」

  「くっ」

  ヴェルナは歯噛みする。それは『人間』たちの狡猾さに苛立ったというのもあるが、その策を見抜けない自分の不甲斐なさも味わっていたからだ。

  

  「なるほど……あえて決戦を伸ばすことで私たちの焦りを誘い、分裂するのを待ち、指揮官であるお姉様をおびき出す、と」

  「うん」

  「卑劣な」

  ヴェルナは吐き捨てる。力で勝てないからこそ、悪知恵を絞って勝とうというのか。『人間』たちの嫌味な笑みが勝手に思い出され、渋い顔をした。

  「お姉様、奴らの策に乗ってやる必要はありません。お姉様の警護を厚くして──」

  「ううん」

  「お姉様?」

  言葉を遮られ、ヴェルナは戸惑う。が、姉貴分が続けてきた言葉に、

  「ルエは、あえて『人間』たちのお誘いに乗ってあげようと思う」

  「は、はあ!?」

  

  さらなる驚愕へと叩きこまれた。ルエリアは人を食ったような性格をしていながらも、戦時にふざけるような女ではないことは充分に理解している。が、さすがに今の発言には彼女の思考を疑わざるをえなかった。

  「お、お姉様! どういうおつもりですか!? むざむざ罠に引っかかるなどと……」

  「来て」

  ルエリアはそれだけ短く言い、己のテントへと向かい出した。判然としないものを抱えつつも、ヴェルナはついていく。あまり大きな声では喋りたくない、と思っているのだろう。

  入口代わりのカーテンをくぐると、ルエリアが個人スペースとして、布で仕切られている簡易部屋が見えた。そこにヴェルナたちは場所を移した。ルエリアが本当に信頼できる仲間しか呼ばない場所だ。

  木製の机には、周辺の地図とランプ、それに筆が置かれていた。机を挟む形で椅子が二つあり、二人はそこで会話を再開した。

  

  「焦っている、のはどっちも同じだと思う」

  「どっちも? 私たちと人間、どちらもが同じだと言うのですか?」

  「うん。だって、現にヴェルナは感情を乱されそうになった」

  「そんなことは……いえ、お恥ずかしながら」

  ヴェルナは俯いた。敵に感情を乱されるなどとは、精神的に未熟な証拠。

  ルエリアのおかげで被害が抑えられているのはよい。が、それは敵味方ともになかなか決着がつかない歯がゆい状況にずっと止められていることを意味する。ヴェルナも他の『獣人』に比べたらマシとはいえ、理性の沸点はルエリアほど高くはない。

  「ルエも、いつか来ると思ってた。いずれ決着つけないと、ずっとぴりぴりしたまま。部下を巻き込まずに、大将同士で戦おう。そう言いたいんじゃない?」

  「お姉様。私は、お姉様の考えを疑うわけではありません。が……卑怯な『人間』のことです。お姉様を誘い出して、実は袋叩きにしようとしている。お姉様が出撃した途端、これまでと違う戦術をかけてくるかもしれません」

  「そう、だね。それは警戒した方がいいと思う」

  ルエリアは、机上に広げてあった地図に手を置いた。片手で小石を摘まむと、それを地図に置く。どうやら「駒」として説明するようだ。

  

  「ルエは、この谷に位置する」

  「ここは……」

  峻険な峰に挟まれている谷。岩の通路か、と思うほどに狭く細い道以外は、とても『人間』では有利に戦えない地形だ。つまり、『人間』側の伏兵や奇襲を防止するという意味では、この地点は有力候補と言っていい。

  「しばらくこの地に部下を行かせて、ルエも待機するようにする。食料も運んで、敵には『ここ』が拠点になったと思わせる。それで、敵の目をこっちに向けさせる。そして、敵の将軍をこっちに向けるの」

  「なるほど……! 私たちの伏兵を忍ばせて、それで一気に決着をつけるのですね!」

  間違いないだろう、とヴェルナは目を輝かせた。が、ルエリアは静かに首を横に振った。

  「伏兵は最低限しか連れてこない。罠にしたって罠じゃなくたって、人間たちは『谷』に大軍は向けられないよ」

  ヴェルナは目を剥いた。どうやらこの白猫耳少女は、本気で自らを囮とする作戦を疑っていないらしい。

  「大軍を置けない、のはそうかもしれませんが……! でも、お姉様が一人に近い状態で『谷』に向かうなんて! やはりせめて少数の精鋭たちだけでも待機させておいて……そうだ! 私も行きます! そうすれば、お姉様の後方を────」

  「でも、そうやって、ルエたちの目を集めることが目的だったら?」

  「えっ?」

  す、とルエは『谷』とは違う道、『獣の里』へと続く道を指差した。この道は森に囲まれているが、『谷』に比べたら『人間』の進軍を許しやすい。だからこそ、この道は絶対に守りを外してはならない地形だ。

  「ヴェルナまでこの『谷』に来たら、『里』への道は誰が守るの? 少なくとも、ルエはヴェルナ以外には任せられない」

  「お姉様……」

  友。そして信頼できる部下だからこそ、ルエリアはヴェルナを真剣に見据えた。

  「わかり、ました……」

  折れたように、ヴェルナは顎を上下させた。

  「それに、ね。ヴェルナ」

  ルエリアは、複雑そうな顔をしているヴェルナに、さらに続ける。

  「ルエは、あの『人間』が策を打ってるとは思わない。本当に、ルエと一対一で勝負したいんだと思う」

  「『人間』が、そこまで正々堂々と戦う、と……?」

  「今の指揮官は、きっとそう出ると思う」

  「はあ……」

  不安がないと言えば嘘になる。ルエリアを信じたい気持ちはある。が、それと同じくらい『人間』のずる賢さを警戒する心理も働いていた。が、

  「たとえどんな結果になっても、ルエがこの戦いを終わらせる」

  「はい」

  ここまで断言するように言われては、ヴェルナは二の句が継げない。普段はほんわかとしていることの多いルエリアが、確信めいた表情をしている。知恵も覚悟も足りない自分では、進言しても無駄だ、とヴェルナは悟る。

  ──ま、この人の人格に惚れたのが私なわけだけど……。

  心の中で苦笑するヴェルナに、ルエリアは破顔した。

  「ルエは、大丈夫だよ。心配してくれるのなら、ヴェルナは優しいね」

  「……お姉様の作戦を承りました。詳細が決まり次第、他の部下にも伝達します」

  

  面映ゆいような、気まずいような気分になり、ヴェルナは社交辞令でその場を濁した。

  「以上だよ、ヴェルナ」

  「はっ」

  ヴェルナとルエリアは居住まいを正して起立した。次に左手を右肩に被せるように添えた。これは、『獣の里』で通じる「相手に敬意を表す動作」だ。その敬礼の後に、ヴェルナはテントを去った。その後ろ姿、スカートから出ている尻尾がふらふらと揺れていた。これは内心ヴェルナが納得していないものを抱えている癖。いつも変わらないな、とルエリアは懐かしい気分になる。

  ──ごめんね、ヴェルナ。

  嘘はついていない。けど、肝心なところはぼかしてしまったように思う。決着はつけてやりたいのは本当だ。ただ──

  ──『王国』と『里』の歴史、そろそろ食い違いを止めたいよ。

  こんな本心は、誰にも言えない。

  あまり戦士向きな性格はしてないルエリア。どちらかというと、本を読んだり、ひたすら日向ぼっこでもしたりしていたい。そう。昔読んだ「本」みたいに。

  

  ──ずっと大昔……『人間』と『獣人』、仲良くしてた。でも、『人間』が約束を破って侵攻してきた。だったら、大昔に戻りたい。でも、今のルエじゃそれはできない。

  いくらルエリアが浮世離れした性格でも、『里』の掟、そして異文化とはいえ『人間』の掟も知っている。

  結果が、全て。それは敵味方、どっちに転んでも共通だ。

  だからこそ、

  ──ルエがやる。やらなきゃ。

  ルエリアは人知れず、腰に提げたダガーに触れた。今は亡き父親の顔が追想される。

  昔読んだ「本」も思い出されてしまったし、父親のことも。

  「…………」

  ルエリアが歩き出すと、ライトアーマーとダガー同士が触れ、「ガチャ」と音を立てた。

  ──あの『人』は……。

  向こうが気づいていたかはわからないが、指揮官らしき青年を見かけた。美形、といってもいい顔立ちの男。

  彼が何を考え、罠にはめようとするのか。

  だが、ルエリアがもっともしっくりくる仮説は、「罠なんてない」だ。論理もないし、根拠もない。だが、ずっと、心の奥から発せられる本能の声は、「彼と正面からぶつかれ」と確かに命じてくる。

  「……」

  知らず、脈動が速まるのを感じていた。陣地の見回りをする彼女は、聞こえてくる戦闘訓練の音、剣と剣がぶつかり合う音、気合い声を、どこか遠くのもののように聞いていた。

  

  [newpage]

  『人間』と『獣人』の睨み合いは、十日にわたって続いた。その日数の間、『獣軍』司令官出没の情報はほぼ毎日のように続いた。

  当然、『将』たちはさっさと司令官──しかも、それが「少女」のような外見をしているのだから、彼らの侮りと驚きも相当なものだった──を討つべきだ、との声を上げた。だが、ミオムは相変わらず「守りを固めよ」の指示を崩さなかった。だが、当然それだけでは部下たちを不満にさせるだけ。だから、彼はこうも告げた。

  ──決着は、私が全てつける。

  『将』たちはぎょっとなった。確かに『総大将』同士が一対一の決闘を望むのは、古今東西そう珍しい話ではない。が、異種族たる『獣人』相手にそれを? 奴らの挑発に乗ってやる必要があるのか? 彼らの戸惑いを見て、ミオムは険しい顔でこう言った。

  ──逆だ。むしろ『獣人』相手だからこそ、正々堂々と応じねばならない。奴らはプライドの高い種族だ。奴らの企みを正面から叩き潰してやった方が、敗北感を奴らに植えつけることができる。二度と、『王国』に逆らえぬほどにな。

  叩き潰す。そんな過激な物言いは好きではなかったが、『獣人』相手との長期戦に苛立っているのはこちらも同じ。あえて語気の強い言い方をした。実際、「決着がつくならば……」と『将』たちは半信半疑ながらも納得した様子だった。────一番弟子とも言える、クリスはややつらそうな顔をしていたが。

  ──負けるつもりはない、クリス。

  クリスも含めた部下たちが解散する中、彼は少年に目だけで告げた。クリスにはそれだけで伝わったらしく、緊張を込めた顔ながらも頷いていた。一番弟子に不安を抱かせてはならない。ミオムは肝に銘じる。

  負けるとは思わない。

  部下たちが去った、天幕の中、彼は愛用の剣を見ながら、眦を鋭くした。

  仮に。そう、仮に、だ。

  もしも負けるようなことがあれば。

  ──私も、その程度の男だったということだろうな。

  ミオムは決して自信過剰な戦士ではない。自分が負けることであれば、所詮「油断して負けた男」に堕するというだけ。そんな男は、どうせ『王国』にとって惜しくも何でもないだろう。

  無論、ミオムだって最低限の警戒はする。奴らの「罠」も考え、後方に部隊を待機させるつもりでいた。ただし、その部隊にクリスはいない。彼には、『獣の里』──『人間』たちはその全貌を掴んでいるわけではなく、あくまで「らしき道」なのだが──に続くとされる『道』の牽制に当たらせた。最初は驚きを見せたクリスだったが、ミオムの意図はすぐ伝わった。信頼しているからこそ、離れた地点にいても大丈夫だ、と。

  あらゆる可能性を考慮し、『軍』の配置を最適化する。

  

  そして。

  「その時」はやってきた。

  ──おいでになったか……。まさか、本気での勝負を望むとはな。

  正直な心情を吐露しよう。

  ミオムは「謀略」への疑いを消した。いや、実のところ、最初から可能性はあまりないと思っていた。なぜなら……

  「はじめまして、……ではない、感じ?」

  「ああ」

  昼。壁と見間違うような、まさに天然の要塞というべき、『谷』に挟まれた道。

  岩場の陰から姿を見せた、白い猫耳少女。まとっている軽い鎧がなければ、戦いにはどう見えても無縁そうな少女。まさかその無害そうな外見も策のうちだとしたら、もうお手上げだ。

  「じゃあ、いつから気がついていたの?」

  「それはこちらの台詞だ」

  気がついた。あるいは、気がつかれていた。

  どちらが先というわけではないのだろう。それは猫耳少女の反応を見て察する。

  「君の姿は以前から観察させてもらっていた。気づかぬ素振りをした上でな。──もっとも、君のその顔からするに、私の小細工など気づいていたということか」

  「うん。でも、ルエもばれてるとは思わなかった」

  ──お互い、誘い出している素振りをしていながらも、お互いにおびき出されたわけか。まあ、悪くはない。

  ふ、とミオムは皮肉っぽく笑んだ。

  「ルエ、というのは君の名だな? ルエリア=ファルケナーよ」

  「知ってたんだ……。でも、ルエも知ってた、ミオム=ヴァンデヘルス」

  「なるほど。『獣軍』の情報網も大したものだな」

  

  嫌味ではなく、心からの賞賛だった。ミオムは「どんな敵でも侮らない」を信条としているが、『獣人』に謀略戦を仕掛けてくるような変わり者がいるとは少々驚かされる。もっとも、小細工もお互いにばれてしまえば、今のように一対一での勝負へと帰結する。まあ、過程は違うが狙っていたことではある。

  「あんまり、大勢の人を巻き込んでの戦いは、ルエは好きじゃないから。……こうやってあなたを誘い出した」

  「その信念は好きだ。さらに言えば、お互い『挑発』に気づいていながらも、あえて乗ってやったというわけか」

  

  ふふ、とルエリアはかすかに笑んだ。種族と立場の違いがなければ、友達になれたかもしれない。ミオムも、実を言えばこの白猫耳少女のような穏やかな人格は嫌いではない。

  「一応、聞きたいんだけど、『軍』を退いてくれる気はないの?」

  「君たちが武器を捨てるのならな。私たちは今すぐにでも撤退してやろう」

  「じゃあ、無理だと思う。ルエはともかく、『長』や『里』のみんなは納得しないと思うから」

  「結構」

  ミオムは武器を構える。ルエリアもまたダガーナイフを構えた。

  ──私も彼女も同じ、か。

  人格を憎んでいるわけではないが、ミオムもルエリアも己の「役割」を見失っていない。ミオムはその両肩に、大勢の命がかかっていることを承知しているし、ルエリアもまさか故郷を裏切るわけにはいかない。

  二人は言葉ではなく、視線と気だけで応じた。平時なら「友人」になれたかもしれないが、今は戦時。ならば、

  

  ──少なくとも、手加減することは彼女に失礼だろうな。

  争いは嫌い。でも、綺麗事が通用する世界ではないと知るほどに、お互いに現実を見ていないわけではない。

  「手加減、いらないよ? ルエは、強いから。『人間』さんも無事で済むかどうか」

  「手加減できるほどの余裕は、私にはない」

  葛藤ごと、切って捨てる。

  ルエリアの構える刃が、鋭く光っている。平らな湖面を思わせるような瞳をした彼女だが、身から放たれる戦意と覚悟は本物だった。

  

  「!」

  ルエリアが地を蹴った。瞠目するミオム。『獣人』と『人間』は似ているようで、相反する種族。そう。今この瞬間のように、卒然無言にて斬りかかってくることも。速度、狙い、いずれもさすがは『獣人』とも言うべき神業。

  だが────

  [newpage]

  がきいん! と金属音が、『谷』に反響した。

  弧を描くようにして飛ばされた

  剣の先を突き付けているのは────ミオム。尻もちをつき、唖然とした顔で彼を見上げているのが、ルエリア。勝敗は、誰が見ても明らかだった。

  「すごい……強い」

  「伊達に修行を積んだわけでもないからな」

  圧倒的な実力差。そう。ルエリアは生かされていた。戦闘にて相手を簡単に無力化する手段は、決まっている。「殺す」ことだ。殺さずに、しかも相手への損傷を極力少なくするということになれば……もはや「至難」という言葉では生ぬるく思うほどに、圧倒的な神業が必要になる。

  「そ、っか……」

  打ちひしがれたように、ルエリアは項垂れた。彼女はそこまで矜持があるわけではなかったが、それでも「戦士」としての自負はあった。ここまでの差を見せられるとなると、いくらルエリアでも無感情でいろというのは難しかった。

  「『里』の場所を教えてもらうのは難しいか?」

  「答えなかったら、ルエはひどい目に遭う?」

  不安そうな上目遣いを向けてくるルエリアだが、ミオムは凛然とした態度を保つ。

  「勝負は勝負。戦いは戦いだ。私が大規模な攻めを仕掛けないのは、私の部下だけに手を汚させるのが好きではないだけだ。……つまり、敵である君の安全までは保障できん。私たちからの条件を呑めないのならな」

  「……だよね」

  ルエリアはなぜか笑った。諦めを思わせる顔だった。敵とはいえ、そして異種族とはいえ、少女にこんな顔をさせてしまうのは、正直つらい。が、こんな偽善の感情が大きくなる前に、ミオムは次の行動に移る。

  「すまぬ」

  ミオムは片手を上げた。すなわち、「命令があるまでは決して乱入するな」と厳重に命令した後方部隊への合図だ。

  「ミオム様!」

  鎧を着こんだ、『王国軍』兵士たちが集まり出した。槍や剣を持っている兵士は下がらせ、縄を持った兵士たちがルエリアを囲んだ。

  「無力化はしている。不必要に傷を負わせることは避けよ」

  「はっ」

  忠実に命令を遂行しようとしている者が半分、『獣人』があまり傷を負っていないことに不満を持っている者が四割、残り一割の感情は不明といったところか。

  「っ……」

  男たちに囲まれて、ルエリアの姿が見えなくなる。その直前に、彼女と目が合った。

  敵同士なのだから、同情を抱くわけがない。よしんば抱いたとしても、それはきっとまやかしの類だろう。

  「おら、さっさと歩け、人間もどきが!」

  「やめろ、命令があったばかりだろ」

  兵士たちの間で、そんな荒っぽいやり取りが聞こえてくる。かろうじて直接的な暴力こそ振るわれていないが、その視線や手は『人間』を扱うそれとはいいがたい。

  残念ながら、『王国軍』は一枚岩とはいいがたい。もっとも、ミオムだって兵士の一人一人の感情まではさすがに記憶できない。『獣人』への悪感情はかなり濃淡の差がある。今の兵士たちは、まだマシな方だと思う。とはいえ、ルエリアからすれば不運なことには変わりないのだろうが。

  「他の部隊に伝えよ」

  ミオムは、ルエリアから落とされたダガーを手に取り、告げる。

  「敵の頭領は捕縛した。おそらく『獣軍』側も動きを見せるだろう。奴らが撤退するのを見送るのが最後、奴らとの交渉を呼びかける。それまで、少なくともこちらから攻めかけるのは一旦止めだ、と」

  「はっ!」

  これで戦は終わり。

  戦士がぶつかり合う段階は、一旦ピリオドを打てたはずだ。後は、『獣人』の『長』が相当な馬鹿か冷血漢でもない限り、「交渉」のテーブルにつかせることができるはずだ。

  それすらも可能性が持てないのだとしたら────。

  ──一人残らず殺し合い、であろうな……。

  兵士たちが引き上げるのを見守りながら、ミオムは憮然とした。殲滅戦。今の『王』なら、本当にやりかねない。ミオムがその任を命じられるかどうか、いやおそらくは命じられるだろう。それに反対することは、できない。

  ──私にできるのは、戦いを終わらせることだけだ。

  どんな形であれ、戦いが終わってくれるのなら、それでいい。

  この時は、茫漠とそう思っていた。

  

  

  [newpage]

  『獣軍』司令官ルエリア=ファルケナーの捕縛。この知らせは、敵味方共に衝撃を与えたことは想像に難くないだろう。

  『獣軍』は撤退した。……が、肝心の『長』──いや、さらに言えば、『獣人の里』すら隠されたままだった。『獣人』と『人間』は常識が違う。もしかしたら、その『長』とやらは仲間を連れて逃げたのかもしれないし、そもそも『人間』のように平地や盆地に住まないのかもしれない。

  『王』は不満にな思った。手柄を立てたはずのミオムを糾弾し、直接の処罰こそなかったものの、彼に与えられた褒賞はわずかだった。

  実のところ、ミオムは一縷の望みをかけていた。金や名誉などは端から期待していなかった。そんなものではなく、『王』の溜飲が下がるのではないか、と。『獣軍』の脅威を減退させることができれば、少なくとも『獣の里』侵攻の手は止められるはず。

  だが、無駄だった。

  ──司令官の捕縛だけで納得しろというのか!? ヴァンデヘルスよ、貴様がそこまでの無能だとは思わなかったぞ!!

  若き『王』は、顔を真っ赤にして「謁見の間」にて怒鳴った。

  具体的な行動までは指示されなかったが、これは大規模な軍事侵攻が高い確率で起きるだろうな、とミオムは宿舎にて思った。

  先代の『王』と違い、今の『王』は好戦的だ。なぜこうなった、などと不毛なことは考えない。ただ、虚無感は増してしまった。戦争を止めるために知恵を絞り、戦ったというのに、結局は『王』の機嫌一つで、大勢の人は命を張らねばならない。そんな理不尽な世の掟は、ずっと宙ぶらりんのまま放置されているし、今後もそうだろう。

  ──私は……何を考えているのだろうな。

  寝床についても、靄のかかったような思考はなかなか晴れなかった。

  少し前、それこそ先代の『王』であれば思いもしなかった。この漠然とした思考は、あの少女──ルエリアに出会ってからさらに強まった気がする。クリスや他の部下に見られたら、こんな躊躇いを抱えている自分にがっかりするだろうな、と彼はやや自嘲気味に思う。

  

  ルエリアの捕獲から、二日経った。今のところ、目立った指示こそないものの、確実に「侵攻」の一手は準備されつつあるだろう。もしかすると、ミオムの弱さに気づいた『王』は彼を解任するかもしれない。

  ──それだけで……済めばよいが。

  戦闘訓練の監督、『将軍』としての雑務、城周辺の警備責任、仕事は積み上げられる中、不吉な予感めいたものはどうしても消えてくれなかった。

  

  

  魔が差した、というものだろうか。

  彼の足は、『城』から遠ざけられた『牢獄』へと向かっていた。

  ──さて……ここに来るのも久しいな。

  

  『牢獄』を見上げる彼の両目は、やはりまだ何か割り切れていない色を漂わせていた。理性では、とっくに納得していたものと思い込んでいたのだが。

  普段のミオムであれば、こんな迷いを抱えたまま行動を起こすことは好まない。ルエリアの目、『王』の変化、部下への責任、……様々な好ましくない事態が消えそうで消えなくて、背中に重りでもぶら下がっているような気分だった。

  牢屋番と話をつけ、ミオムは『牢獄』──塔と見間違うような、石造りの建物へと足を踏み入れた。巨大で威圧感の漂うそこは、神経の弱い者だったら見ただけで回れ右をしたくなるに違いなかった。

  しん、と静まり返った、薄暗い通路。

  捕虜や罪人、そして彼ら彼女らを取り締まる『番人』たち。誰もが例外なく、陰鬱な目をしていたし、中には目をぎらつかせて傷ついた罪人たちを監視する『番人』もいた。十中八九、戦争や捕獲の際にひどく痛めつけられたのだろう。

  「ん……?」

  妙な音が聞こえてきた。

  肉体を叩きつけるような、乾いた音。小さな悲鳴。

  「おい!」

  「あ……っ」

  髭をはやした、粗暴そうな男。彼がこの檻の警備官らしい。彼の手には、鞭があった。そして、彼の後ろに倒されていたのは、傷や汚れで灰色に近くなった白猫耳少女。怯えた子猫よろしく体を震わせて、突然の乱入者──ミオムを驚いた目で見上げていた。

  「下がれ」

  ミオムは殴りそうになる拳をどうにか制御した。

  「後の始末は、私がつける」

  「へ、へい……」

  男は不満げな目をしていたが、すごすごと引き下がっていった。別に牢屋番の長でもないのに何を威張ってやがる──彼の目にはそう書いてあった。

  「大丈夫か?」

  「う、ん……」

  男が去った後、猫耳少女のあまりにも惨めな姿が彼の前に晒される。尋問と拷問の末に、着ていたと思われる服は破れ、ほとんど全裸に等しい姿だった。至る所に鞭打ちの痣が残り、腕には赤く腫れている箇所も。殴られた痕跡だろう。

  

  「待っていろ」

  「えっ」

  「すぐ戻る」

  そう言い残し、彼は一旦檻を去る。言葉通り、すぐに戻ってきた。薬品の入った瓶や包帯を持っていた。

  「少し触るぞ」

  「うん……」

  戸惑いながらも、ルエリアは傷ついた腕や脚を差し出してきた。傷は負っていながらも、その白くて長い手足は美しさを秘めている──などと、場違いな感想を抱きそうになる自分を追い出し、彼は治療に専念する。

  

  「ありがとう」

  「構わぬ」

  もとより、私がこの状況を作り出したのだからな──とは、言わない。「戦」の掟では、勝者は敗者に従う。たとえ謝罪の言葉を口にしたところで、それは無用の長物だ。

  

  「一応言っておくが」

  ミオムはあえて冷たい口調を作り、続ける。

  「素直に番人の訊かれたことに答えるのが身のためだぞ。私でもよいのなら、今答えを聞いてやるが」

  「……」

  沈黙。

  苛立ちの感情は、あまりない。無力感のようなものが煙のように巻いただけ。決着さえつければ、命の奪い合い、あるいはそれに近い行いをしなくても争点を帰結させることができるかと考えていたが、夢物語なのかもしれない。所詮自分は、「拷問」という役割を持っていないからやっていないだけ。

  頭のよい人間なら、ここで少女を巧みに交渉し、口を割らせるのかもしれないが……残念ながらそんな才覚はなかった。

  と。

  「人間さん……」

  「ん?」

  冷たい床に座り込んだまま、もじもじと太もも同士をすり合わせるような仕草をした。

  その時──、ミオムは妙な欲を刺激されるのを感じた。いかん、と彼は心の中だけで首を振る。ここはさっさとその場を後にするべきだ、と背中を向けようとして、

  「やっぱり……見逃すのは、ダメ? ルエが死なないと『王様』は機嫌治らないの?」

  「答えはどちらも否定だ。『王様』のお気持ちなど、下々の私たちですらわからんよ」

  「前の『王様』は……こんな、ひどいことする人じゃなかった、と思う……」

  「『獣人』まで噂になっていたとはな」

  思わず自虐的な笑みを漏らすミオム。それほどまでに『王』の変化と悪政は知れ渡っていたとは知らなかった。

  「お兄さんは、優しい人、だから。きっと、『王国』を疑ってる」

  「私を情で絆す気か」

  

  今度こそ背を向けようとした彼の肩に、ルエリアはしがみついた。確かな温もりを持つその柔らかな感触に、彼の胸はどきりとなる。振り払おうとしたその手は、強くなかった。首元に巻かれたルエリアの両手に、そっと添えられただけ。今ここでルエリアが本気を出せば、彼の首を絞められるかもしれない。だが、彼女の腕が強まることはなかった。

  「違うよ。そんなこと考えてない。まあ、帰りたいのは本当だけど、……帰るのが無理なら、せめて戦いを終わらせてほしい」

  「終わらせる、か。それだけは同意しよう」

  「じゃあ……」

  ルエリアが、さらに身を押しつけてくる。汗や血の臭いが混じっていたが、少女特有の────しかも、『獣人』固有の獣っぽさも混じって何ともいえないよい香りが、ミオムの理性にさらに揺さぶりをかけてくる。

  「お兄さんに甘えるくらいは、いい……?」

  「何、を」

  もぞもぞ、とルエリアが身を摺り寄せるように、ミオムの前に移動する。こうして見ると、本物の猫みたいだ。微笑みながら、潤んだ目を上目遣いに向けてくる。ミオムは視線を逸らそうとするのに、理性に反して彼女の眼差しに釘付けになっていた。

  「んっ……」

  「……っ……」

  艶やかな輝きを持った唇が、彼のそれを奪った。一瞬の出来事だった。

  

  ──誘惑……されている?

  淫らな涎の糸が彼女の唇から滴り落ちるのを、彼は夢の中にでもいるかのような気分で見ていた。

  

  「違う種族とこういうことするのは、嫌?」

  「……知らぬ」

  自分を試しているのか、とミオムは睨む。が、彼の眼光に今一つ力が入らない。ルエリアの真意は──まさか本当に邪なものなどないのか? いや、そんなはずは……と、内面のぐらつきを読んだかのように、ルエリアはさらに抱きつき、柔らかな二つの膨らみを押しつけてくる。

  「んっ、……お兄さんの体、素敵、かも?」

  落ち着け、と彼は自制する中、気づく。いや、確信した、と言った方がいいか。

  この獣人少女は、何か必死になっている。ぴくぴくと動く猫耳、尻尾、いずれも感情が何か揺らめいている証。所詮は本で得た知識だったが、間違いでもなさそうだ。

  ならば、

  「なるほどな。それが君の挑戦なわけか?」

  「えっ……?」

  何のこと? とでも言いたげに、ルエリアが首を傾けた。密着していた彼女の体を離しながら、ミオムは続ける。

  「私の淫乱なところを見て満足したいのだろう? それで自分の立場を有利にしたいという魂胆か? 私がここに来た目的は、君が必要上に痛めつけたくなかったから、君が情報を吐いているかを確認したかっただけだ」

  「魂胆、なんてない……『人間』、とルエは違うから……」

  ルエリアは、股を広げてみせた。

  「そういうことはやめろ」

  ミオムは膝立ちの姿勢になると、ルエリアの華奢の肩に手を置いた。

  「君がそこまで望むなら、『王』に進言してやろう。私を乱して満足などと、不毛なことは考えるな」

  「違う、って言ってるのに」

  ミオムは拒否するが、ルエリアは何となく、ミオムの「性癖」を見抜きつつあった。

  

  ──意固地になってる……のかな……。

  彼に、彼女なりの感謝を伝えたいのは本当。

  ルエリアは、言葉や態度を選んでいられるような猶予はないと思えた。多少、強引にでも……感謝を伝えたい。

  そして、彼女が選んだのは。

  [newpage]

  ──馬鹿な……!? この私が……。

  「お兄さん……足……好きなんでしょ? ……はい」

  ルエリアが、裸足の裏を見せた。

  ────そう。ルエリアの誘惑は、特殊な形となって表れていた。

  

  「ルエは、お兄さんに、純粋に、こうなって、ほしいから……」

  まやかしの言葉だ、と理性は確かに発する。が、彼は止められなかった。

  裸足の裏へと、伸びる手を。

  「いつから、……気づいていた?」

  「何を?」

  猫耳少女の足を揉むと、「ん……」となまめかしい声が唇から紡がれた。たったそれだけの反応で、ミオムの心臓はやかましいほどに高鳴った。

  「私が、その……君の足を見ていたことだ」

  「ルエは、『獣人』の中でも結構敏感なんだよ?」

  と、悪戯っぽく笑いながら、足指を閉じたり開いたりした。それがミオムをさらに惑わすようで、彼はルエリアの足からますます目が離せなくなる。

  「それに……お兄さんの、『ここ』も、ほら、元気あるみたい」

  「あ……」

  怜悧な態度を心掛けているミオムの口から、間の抜けた声が漏れた。

  騎士のズボンが、テントよろしく盛り上がっていた。ちょん、ちょん、と敏感な物を触る足つきで、それを刺激する。淫乱な情感が彼の「そこ」から一気に伝播していき、もっと刺激を求めて「それ」は剛直さを増した。

  「ほら、遠慮しないで」

  「…………」

  催眠術でもかけられたように、彼の手は勝手に動いていた。ファスナーを下ろし、彼の「モノ」を取り出す。それを挟み込む、小さな両足。自分では絶対に不可能な行為に、彼は思わず厭らしい声を上げそうになった。歯を食いしばり、どうにか耐えた。

  「お兄さん、やっぱり好きなんだ……♡」

  「知らん……。君が、やりたいと思ったからだ」

  ルエリアは、足による愛撫を続ける。雄としての象徴は、天を向いた状態でがちがちに固まっていた。ルエリアが徐々に足の力を強め、足裏を擦り合わせるようにして、肉棒を挟む。

  「く、ううぅぅ」

  痛い、……と言うほどではないが、これまで味わったことのない足による圧迫感。それがペニスへとのしかかると、中毒めいた寒気が彼の背中へ駆け抜けた。歯を食いしばったが、刺激には抵抗できず、荒い息が口を突いて出てきた。

  「す、ごい……『人間』さんのコレ……こんな」

  「見るのは、初めてか?」

  「パパのは、何回か、見たよ」

  「微笑ましい記憶だな」

  今更ながら思うが、ルエリアの口調はややたどたどしさが目立つ。『獣人』と『人間』では微妙に言葉が食い違うこともあるが、ルエリアの場合は精神的な幼さがあるのかもしれない。その割には戦術、戦闘力に長けていることは、『獣の里』の特殊性を物語っているのかもしれない。

  ──問題はその健気そうな獣人少女が、足で奉仕してくれるのがとても病みつきになってしまいそうなことだが。

  ルエリアの足の扱きは続く。ぎゅ、ぐ、と肉棒が足の温かみや固さ、柔らかさによって圧迫される。びりり、と電流のような痺れが「それ」から伝わってくる。

  「『人間』さん、には、変わった、せーへきを持った人が多い、って聞いたから。お兄さん、こーいうのが好き、なんでしょ……」

  「む……」

  凄まじく気まずかったが、否定はしない。言葉に出さなくとも、彼の特殊な性癖は露呈したも同然だろうが。

  「そういう君はどうだ?」

  「……?」

  だらだら、と亀頭からは透明の液体が零れ始めていた。それが、獣人少女の裸足を汚している。何とも背徳感が漂う淫靡な景色。しかし、そのエロチックな光景に感じているのは彼だけではないようで、────そう。忘れているようだ。彼女の姿が裸に近いことを──!

  「濡れているだろ、ここが」

  「あっ、……ひゃ」

  慌てて隠そうとしても、遅い。ミオムの手は「くちゅ」と音を立てる、獣人少女の秘部へ。この辺りの構造は、ほとんど『人間』と変わらない。すなわち、感じやすいポイントも共通なようで、

  「あぅ……、あ、は、恥ずかしいよぉ……」

  「感じているのが私だけでは、不公平だろう?」

  あえて悪そうに笑った彼は、今までいじられたきた分を、彼女の性器へとお返ししてやった。どうやらルエリアの感度は高いらしく、早くも愛液の洪水が出来上がりつつあった。川の底に手を突っ込むような感覚で、ミオムは肉の割れ目を指で往復する。

  ルエリアも足で反撃する。ミオムは尻もちをついたような状態のまま愛撫を続け、彼の股間は適度に広がって「モノ」を晒したまま。

  二人はさらに身を寄せ合い、「あそこ」をお互いに刺激し合った。

  淫らな息、熱っぽい息、水の音、湿った肌が触られる音、いずれもが絡み合い、響き合い、官能的な背景音楽となって奏でられていく。

  「んっ……♡ は……♡」

  「くっ……」

  この子は本当に初めてなのか、と思うほどに足のテクニックが絶妙だった。

  痛い、と言うほどではないが、気持ちいいという表現では物足りない。歯を食いしばっていなければ、彼は剣士しからぬ喘ぎを漏らしてしまいそうだった。

  ぐい、ぐ、ぎゅうううう。と、肉と足裏がサンドイッチ状態になる独特な感覚。迸る快感に、ミオムは目の前が点滅しているかのような錯覚に陥っていた。

  が、快感の洪水に呑まれているのは、彼だけではない。ルエリア当人もまた、顔を赤く染めてぶるぶると震えていた。肉の割れ目は、男の指によって開拓され、死ぬような快感を味わっているに違いなかった。

  「くっ、うぅぅ」

  「んん……♡ あっ♡」

  男根と女性器、いずれもが液体でぐしょ濡れになっていた。牢獄の中には似つかわしくない嬌声と水音が、消えることなく続く。

  ミオムは、そしてルエリアも気づきつつあるのかもしれない。特に、男根の方はそう。欲望の塊が飛び出ようと、今か今かと待ち構えていて──膨張の末に、

  「くう!」

  「……っっ♡♡」

  

  ミオムは、一瞬自分がどこにいるかも忘れた。それほどまでに、圧倒的な「白」が彼の脳を埋め尽くした。ルエリアもまた、自分に何が起きたかもわからなかっただろう。ぷしぃっ、という音が出そうなほどに勢いよく潮が吹いた。それとほぼ同時に、彼のそそり立っていた「それ」から、白の情欲が放出された。どぴゅどぴゅん、という音がぴったりくるほどの半固形の液体が、これでもかというほどに放たれるのを、ルエリアは不思議そうに見つめた。

  「……♡」

  「……」

  自分たちは何をやっていた──という自覚を、今更ながら阿呆みたいに思った。それぞれが恥部を晒し、絶頂の瞬間を見せ合った。同じ種族であっても、こんな特殊なプレイは披露したことがなかったのに。

  「エッチ……」

  「君に言われたくない」

  

  ぽかん、とした感じで見合っていた二人だったけど、ややあって二人ともばつが悪そうに横を向くのだった。

  

  [newpage]

  その後。

  興奮が冷めてくる頭で、二人は会話を続けた。

  単純に頭を冷やしたかったというのもあるが、純粋に知りたいというのもあった。この「知りたい」という気持ちに義務感が入るかは……微妙だ。捕虜である人物から情報を──目的は、何であれ──得ることは重要だ。

  でも──。

  ──なぜだ……私は、この少女との会話を、楽しんでいる?

  彼の意識において、ルエリアは『獣人』ではなく『少女』として認識されていた。それは、あまりにも彼女の両足が魅力的だったから? 悔しいが、否定はできない。だが、それ以上に────

  「お兄さん、は優しい……ルエを、傷つけなかったから」

  「わかっているのか……? 君を捕らえたのは、どう見ても敵対行為だろう?」

  「ルエ」

  「?」

  拗ねた顔になっているルエリア。その色っぽい上目遣いと、ぴょこ……、ぴょこ……、と揺れている猫耳は、何かを訴求している。

  「きみ、じゃなくて、ルエにはルエリア=ファルケナーって名前がある」

  「ファルケナー、と呼ぶのか?」

  「……ルエ」

  「……ルエリア」

  「それでもいいよ」

  「そ、そうか」

  よくわからなかったが、どうやら呼び方にこだわりがあるようだ。これが彼女なりの距離の縮め方なのだろう。

  ルエリアはミオムの肩にもたれ、ゆっくりと話を続けた。

  興味深い話ではあった。ルエリアの父親、母親、森、友人、どの人であっても大切だ、と彼女は優しいながらも確固たる意志を込めた口調で語った。特に父親については、『人間』との共存を真剣に考えていた、と彼女は誇らしげに語った。

  それを知ると、やはり『亜人』と『人間』は違う種族ではあっても、『人』なのだなと実感する。だからこそ、「上」に立つ者の采配で運命が左右されるというのは、ありふれた話であろうともやるせない気分を覚えてしまう。

  

  ミオムもまた身内や仲間について話した。勿論、軍事に関することは伏せて、だが。

  興味深そうに相槌を打つルエリアの姿を見ていると、そして彼女の心の動きに続くように揺れる耳や尻尾を見ていると、子猫を愛でているような気分だった。

  もしかしたら、種族の違いを超えて分かり合えるのか。

  そう思いかけた。

  

  だが────

  

  「ルエリア……その話は、本当なのか?」

  「うん」

  ルエリアが語った『獣人の里』と『王国』の歴史は、彼の認識とはまるで異なるものだった。

  ミオムは『獣人』を差別していたわけではない。が、差別意識があるないは別にして、『王国』に『里』の『獣人』が侵攻した。『王国』の住人であれば誰に訊いたとしても、同じ答えが返ってくるだろう。

  

  「ルエたちや……ルエたちのお父さんのさらにお父さんとかは……『人間』たちと仲良くしようとしてた。でも、『王国』は何度も攻め込んできて、森は奪われた」

  「ありえぬ。確かに、『王』による戦争はあった。が、そもそもの歴史では『獣人』による侵攻があった」

  ミオムの歴史教養は、並程度の知識しかない。さすがに千年にわたる──と、されている──歴史を丸暗記しているわけではないが、大抵『獣人』と『人間』が争う時は『獣人』よる挑発があったからだ。だからこそ、今の『王』が侵攻を自ら侵攻を仕掛けたのは──表向きは、これまで受けてきた「屈辱」を晴らすため、とあるが──、衝撃的だったわけだが。

  「押しつけようとは、思わない。でも、『人間』と『獣人』じゃ、知ってることが違うんだね」

  「そう、だな」

  ルエリアは押しつけてこないだけ、まだマシという見方もできなくもないか。

  「ルエリアたちには、ルエリアたちの認識があり、私たちには私たちの歴史がある……」

  ふ、とミオムは諦めのような笑みを浮かべた。

  「その差に加えて、『王国』の変化もあれば、戦いが起きるのも必然か」

  「ルエたちは、ルエたちが正しい、って信じてるよ……」

  自意識過剰になるつもりはないが、ルエリアがミオムを──痴態を晒せるほどには──感謝しているのは確かだろう。が、それと同じくらいに『里』を思う気持ちも本物といったところか。

  「もちろん、お兄さんは好き、になっちゃったけど……」

  「それとこれとは話が違う、と言いたいのだろう?」

  「っ……」

  「よい。私も同じだ。すまぬが、ルエリアのために国を裏切るわけにはいかぬ」

  嘘は言っていない。

  だが、彼としても感情の落としどころがなかなか見つかりそうにない。それがとてつもなく、もどかしい。

  「裏切ることは、あんまりよくないと思う。って、ルエが言うのも変だけど……」

  ミオムは眉を顰める。彼女からすれば「敵国」から離れてほしい、と言うかと思ったが。

  ルエリアは膝を抱えた。もじもじ、と膝頭同士を擦り合わせていた。

  「『王国』と『里』、どっちもが仲良くしてくれるのが、一番いい」

  「はは、本当にな」

  とんでもなくシンプルで、そして困難な帰結。でも、ミオムとしては嫌いではなかった。同僚の、特に保守派の文官や武官に聞かれたら、「おまえの頭はお花畑か」と嘲弄されることは確実だろうけど。

  「ルエリア、君は今すぐにでも『里』に帰りたいのだろう?」

  「うん。でも、お兄さんも困らせたくない」

  ルエリアの、心変わりだろうか。諦めたくないのだろう。『獣人』と『人間』、共存の道を。そもそも両者の関係は、決して不俱戴天というわけではない。融和と敵対を繰り返す、曖昧で複雑な関係。遺憾ながら、ミオムとしては『先代の王』と『王』の治世しか知らないから、それよりも前の歴史となると難しいが。

  ──この子は……いや、この子だけではなく、『獣人』というのは一族や仲間とのつながりを大切にするのかもしれん。

  ルエリアは前の治世を見てきたわけではないはずだ。が、彼ら彼女らに残された伝説は、『人間』よりも濃密に描かれているのだろう。でなければ、彼女が強固な信念を持っていることの説明がつかない。

  ──それに比べると、『人間』側の結束はもろいかもしれぬな。いや、私もそうだが。

  ミオムは口元を曲げた。何を考えている。自分だって、今まさに『今の王』に疑いを持っているではないか。

  「どうかした?」

  「いや」

  

  首を振り、ミオムは腰を上げた。さすがに牢屋番か、他の部下が不自然に思うだろう。それだけで済めばまだよいが、ルエリアと行為に及んだことを知られるのはまずい。

  「……行っていいよ。お兄さん、お仕事あるんでしょ?」

  「なるべくよい報告ができるよう、善処する」

  『獣人』と『人間』の共存。

  所詮は『王』の剣としての役割にとどまると思っていた彼だが……まだ諦めるのは早かった。

  ──『先王』様。

  今は亡き『先王』のことを思い出す。こんな感傷めいた記憶は、思い出さないよう努めてはきたが。

  

  「お兄さん、……また来て」

  「ああ」

  まだ言いたいことはあっただろうが、お互いの別れ際のやり取りは、それだけ。

  愛しく思う気持ちはあるけど、今は欲求に浸っている場合ではない。

  二人ともそれがわかっているからこそ、引き止めることはなかった。

  [newpage]

  その日の夜。

  王宮図書館に、ミオムは来ていた。

  すっかり自分はあの獣人少女に振り回されているな、と彼は格好悪いような、羞恥を味わっているような気分を抱えていた。

  ただ、幸運と言えるかは微妙だが、その日の責務は終わっていた。『王』の不満を買ってしまった彼が、仕事を減らされたといった方が適切かもしれないが……とにかく、ある程度時間の余裕はあった。

  天井に吊るされたランプが、室内を照らす中、ミオムはとある棚を探していた。

  王宮によって管理されている図書館なのだから、建築もさることながら、本の量ときたら圧倒的だ。

  美しいステンドグラス風に彩られたドーム型の天井に届かんばかりに、大きな本棚が連立している。一生かけても読み切れないだろうな、と誰もが同じ感想を抱くに違いなかった。

  夜ということもあって、利用者はあまりいない。一人二人とすれ違った程度だ。今の『王』になってからは、「とにかく訓練を優先せよ」の指針に変わり、利用する者は──兵士か国民かは問わず──確実に減ったと思う。今夜はその傾向が顕著に表れていた。

  ──この辺だったか。

  読書の時間が減っていたミオムとしては、迷路よろしく広い図書館の図面はおぼろげにしか記憶していなかった。だから、見つけるのに手間取ってしまった。

  ミオムが見上げる先──年季の入った書物が詰められた棚があった。読了した物もあれば、初めて見る物、読む価値はないと判断した物、様々だがどれもこれも『国』の歴史を綴った本だ。

  彼が

  と、ミオムの意識は聞こえてきた足音に向けられる。明らかにこちらに向かってくる音。そちらを向くと、見知った顔があった。

  「ミオム様」

  「クリスか」

  直属の一番弟子が、ミオムを見ていた。この図書館で会うのは、久しぶりだと思った。

  「珍しいな。そなたはあまり図書館に来ないものかと思っていたが」

  「僕だって時によっては来ます。ミオム様、あなたが教えてくれたはずです。武だけではなく、知も深めることが『将』としての素質を高める、と」

  「そうだったな。珍しいと言うのは失礼だったか」

  「いえ。場合が場合です。一時的に収まったとはいえ、戦時中です。ミオム様が疑問に思うのは当たり前のことです。でも、ミオム様、それはあなたも同じでは?」

  かすかだが、ほんのかすかだが、クリスの目には猜疑心が込められていた。なぜ彼はこんな目を──いや、当たり前か。捕虜とはいえ、敵と淫らな行いをやったのだから。

  一瞬、迷った。

  隠し事は嫌いだ。だが、訊かれてもいないことを言うのは違うと思った。

  だから、彼が選んだのは──今するべき話を、淡々とするだけ。

  「知りたいことがあってな」

  「知りたいこと?」

  「ああ」

  頷く。

  これからする話も、正直なところあまり気は進まない。が、これすらもなあなあにしてしまうのは、さすがに論外だと思う。

  「『獣人』と『王国』の歴史についてだ。少し、私の理解では引っかかることがあってな。両者の認識の違いだ」

  「……なぜそれを今?」

  歴史を学ぶことで、『獣人』をより知れるだろう? 次の戦いに備えるためだ────須臾の間、そんな作り物の答えが脳裏をよぎった。

  だが、その答えは即座に却下された。クリスを信頼している部下だと思っているからこそ、やはり隠すことなどできないと思った。

  「捕虜と会ってきた」

  驚くか、と思ったが、クリスはほとんど無に近い反応だった。そうだろうな、とでも言いたげな乏しい変化。ミオムが続けるよりも前に、クリスの方が先に喋る。

  

  「捕虜というのは当然あいつですね? 確か、司令官のルエリア=ファルケナーと言いましたか」

  「そうだ」

  クリスの勘は鋭い。実は確認するまでもなく、ミオムの心の変化に気づいているのかもしれない。

  「なるほど……それでファルケナーの言葉に耳を傾けた結果、ミオム様は何か迷うものを抱えた、と」

  「……さすがだな」

  降参だ、の意味も込めてミオムは薄く笑んだ。クリスは眉間に皺を寄せた。『獣人』に情を抱きつつある師匠を前に、瞋恚を持ったのだろうか。

  「僕を、誰だと思っているのですか。あなたの一番弟子です。あなたが何かもやもやとしたものを抱えている時など、すぐにわかります。今だから言いますが、ミオム様。あなたが僕に防御の命令を出した時から、あなたはずっと割り切れていなかった」

  ミオムの口の中に、苦いものが広がった。クリスの勘が優れていることは知っていたつもりだったが、ここまで見抜かれていたのか。クリスは師匠に不信感を抱いていたことだろう。そして、クリスのそんな葛藤をくみ取れなかった自分の鈍さも情けないが。

  「すまん、クリス」

  ミオムは頭を下げた。

  「そなたのことは信じている。そのつもりだった。だが、そなたに不信感を持たせるようなことを、私はしていたのだな」

  「僕の尊敬するミオム様は、ただ『王国』の言いなりになる駒ではなかった。あなたはあなたの真実があり、研鑽を一直線に重ねる。僕はそんな人格に惚れていた」

  クリスの目つきがさらに険しくなる。

  「だけど、今のあなたは迷っておられる。いえ、迷っていることが悪いなどとは言いません。ただ……僕はあなたに叱責されたことがあります。迷いがあるうちは、納得できないものがあるようでは、命を張って戦えない、と。仲間を思うのなら、些細なことでも言え、と……。ミオム様、僕ではあなたの話を聞く相手としては不足ですか?」

  ミオムはクリスの視線を、まっすぐに受け止めた。一番弟子の真剣な眼差しを見ていると、つい先ほどまでの自分を殴ってやりたい衝動に駆られた。

  「僕の尊敬するミオム様は、たとえ迷っていても、いずれは正しい方向へと歩み、導いてくださる御方だった。『将』や『王』のことがあるにもかかわらず、『獣人』との大幅な衝突を避けるよう作戦を進めてきたあなたのことです。きっと、何か思ってのことだろうと僕はずっとそう考えていました。けれど、……いつまで経っても、あなたは真相を言わない。『王』にあなたが進言しようとして、けんもほろろに排除されたことも、ずっと黙ったままだ。まさか、部下にそのことがばれないと思うほど、あなたは愚かではないはずだ!」

  「クリス……」

  ここが図書館であることも忘れたのか、クリスの声は大きくなる。が、そんなことを咎める気分にはならなかった。むしろ、責められるのは当然自分の方だ、と彼は忸怩たる思いだった。

  「せめて、僕だけでも……信用できる部下だと思われてほしかった。あるいは、全て僕の考え過ぎだ、とわかれば楽だと思っていましたが」

  一回だけ視線を下に落としたクリスだったが、すぐにまた熱のこもった目をミオムに向けた。

  「今のあなたからすると、僕の杞憂ではなかったようですね」

  「……その通りだ」

  「僕はミオム様の一番弟子です。あなたが僕のことを見通すように、僕もまたあなたのことがわかるようになってしまいました」

  そこでやっとクリスは表情を和らげた。戦いの場以外で、しかもこんな不器用な形で弟子の成長がわかるとは、夢にも思わなかった。

  ミオムは、クリスの肩に手を置いた。

  「全て話そう。しかし、それが今になるとは予想していなかった」

  「話せる範囲だけでも、……無理にとは言いません。僕はただ、ミオム様の力になれることを望むのみです」

  「うむ」

  クリスの真剣さは充分に伝わってきた。ならば、ここからは……自分もまた剥き出しの言葉を選ばねばならない。

  「単刀直入に言おう、クリス。私は『王』に疑いを持っている」

  「……っ」

  クリスの目が驚きに見開かれる。内容によっては、クリスを大いに失望させるかもしれない。『王国』に疑いを持つなど、やはりこの『将軍』は乱心したのか、と。

  すう、とミオムは深呼吸をする。

  誤魔化しは、ミオムもクリスも蛇蝎のごとく嫌っている。

  全て、話し出した。

  ルエリア=ファルケナーを手当てしたこと。

  彼女から打ち明けられた歴史が、『人間』側の歴史と食い違っていること。

  直近の『王』の変化が、偶然とはどうしても思えないこと。

  全ての話を、打ち明ける頃、意外にもクリスの顔は穏やかだった。少なくとも、憤っているようには見えなかった。

  

  「『獣人』の娘が、感謝を示したと言うのですか」

  「信じられなくても仕方ないだろうな」

  「いいえ。ミオム様はこんなくだらない嘘を言う御方ではないですから」

  クリスの視線は、ミオムの横、本棚へと移った。

  「真の歴史を知りたいからこそ、この図書館を探していた、と」

  「端的に言えばな」

  ミオムが言うと、クリスは黙考した。何か思い当たるものがある、という顔だ。

  「確かに……今の『王』になられてから、今までより一層武断政治の傾向が強まったのは事実でしょう。特に図書館や学問所から遠ざけているかのように思えましたが、これは偶然でしょうか」

  「書庫……」

  「え?」

  「書庫ならば、可能性はあるかもしれぬ」

  書庫の存在はほとんど忘れかけていた。おそらく図書館の主でもなければ、誰も近づかないような場所だからだ。

  今すぐにでも行こうか、と考えた彼だが、残念ながら閉館の時間が迫っていた。それに、今興奮状態に近い脳で調べ物ができるは怪しい。もしかしたら、自分がとてつもなくルエリア側に偏って思考をしていないとも言い切れないのだ。

  「では、明日……書庫へと向かいましょう、ミオム様。僕もこの後、夜の巡回任務がありますので」

  「ああ。しかし、クリス……」

  「何でしょう」

  「……いや、何でもない。そなたのことだ。覚悟を持って今動いているのは伝わった」

  クリスはミオムに敬礼を捧げた。

  「僕は剣士であり、『人間』です。心から信じられる人の元でしか、動きたくない。誰かの言いなりになって駒になるためだけに、僕たちは修練を重ねるのではない。……そうでしょう?」

  曇りのないクリスの目に、ミオムは強く頷いてみせた。

  この時は、まだ気づいていなかった。

  彼らの価値観すら根底から覆しかねない政変が、起ころうとしていることを。

  [newpage]

  翌日。

  念には念を入れて、牢獄のルエリアと面会した。彼女は元気とは言い難かったが、ミオムと再会すると、目の輝きを取り戻した。そのことに確かな安堵を覚えるミオムがいた。

  ルエリアとの面会を終えると、ミオムはすぐにクリスと合流して、王宮図書館へと行った。

  館主は訝しんだが、ミオムとクリスの言い分は通った。どうしても今後の作戦方針を確かめるために、古い戦術本、歴史本にも目を通したいと。

  黴の生えたような臭いに、埃が風化したような独特な臭いが漂う書庫。まだ朝を過ぎた程度の時間帯なのに、格子戸から差し込む光だけが頼りなく照らすだけの、狭くて寂しい空間だった。

  

  ミオムとクリス、それぞれ別の本棚を探すことにした。二人とも、書庫に来ることは稀。それゆえ、ほとんど手探りでの調査だった。難解な書物、しかも窮屈な空間での調べ物だったから、難儀してしまった。それでも知らなければならないことがある、の一心で彼らは書物と格闘した。

  彼らは、食事も忘れて本に集中した。

  一刻も早く真相を知りたい。あるいは、──まさか、そんなことはとは思うが──ルエリアの言ったことが偽りの可能性を排除するため。その使命感と義務感が、特にミオムに休むことを許さなかった。

  やがて。

  

  「クリス、これを見ろ」

  クリスを呼び、ミオムは一冊の古びた歴史書のとある頁を指差した。

  クリスもミオムも、学者ほどではないが古文書にはそれなり明るい方だった。『先王』は勉学も推奨していたから、その恩恵といっていい。

  彼らの目つきは鋭かった。

  ──真逆の歴史だ……これは。

  そして、ルエリアの語った歴史と、多少の脚色の違いはあれどもほぼ同じだった。ミオムの脳内で、警鐘が響き始めた。

  「ミオム様、実は僕も」

  仮にこの一冊だけが、『獣人』寄りの歴史を書いていたという線もある。しかし、ミオムだけではなくクリスが発見した書物のどれもが、『獣人』の歴史の正しさを証明していた。すなわち、争いの火種は『人間』から撒かれたのだ、と。

  ──考えてみれば。

  ミオムは軽い頭痛を感じ始めていた。指でこめかみを揉み、黙考する。

  

  ──私たちが熟読した歴史書……あれが編纂されたのは、いつからだ? その時から、『現王』が関与していた可能性は? 『現王』は当時『王』の後継者候補の一人。仮にその時から、ご自身の理想のために動き出したとすれば……。

  「ミオム様!」

  クリスが指さした箇所には、さらに決定的な記述があった。耳の裏が、どくん、と脈打った。

  『この記録を残すことは、我々の命と引き換えになるだろう。だが、それでも忘れてはならない。我らの過ちを罪を』

  『人間』側も自覚していたのだ。隠蔽された歴史と真実は、こうして隠されていた。

  「すまぬ。私は行く所がある」

  「……はっ」

  クリスもミオムを止めるのは不可能だと思ったのか、かけられた声は最低限だった。元々はミオムの感情で始まった騒動。

  おぼろげな形をしていた疑念は、確信に変わりつつあった。図書館を飛び出し、牢獄へと走った。

  が────

  「ルエリア!!」

  檻の中は、もぬけの殻だった。ミオムは愕然とする。手を打つのが遅すぎたのか。いや、不自然だ。いくら『王』であっても罪人──と、表向きはされている人──を命令一つで連行することなど不可能だった。というのが、常識だったのに。

  ──その不可能ですら、強引に可能にするのが『王』だというのか……!

  牢屋番の話によると、少し前に兵士がやってきて、ルエリアを連行したとのこと。

  行動が遅すぎたか、とミオムは歯噛みする。だが、『王』の下す手があまりに早いことはもはや異常とも言える。

  

  クリスと合流するか。束の間迷ったが、彼は単独で向かうことにした。部下を巻き込むことはできない。『王』に反逆……とまではいかないが、今の王政は進言、反対意見を述べるだけでも首が飛びかねない。『国』は大切だ。だが、だからこそ、間違っているものは間違っていると言う権利を消してはならない──!

  牢獄から出たミオムは、「処刑場」へと駆けた。『王』は、罪人、あるいは我が意にそぐわない者を「反逆者」として断罪するのが極めて好きだった。しかも、大勢の国民を集めて衆目に晒す。一つの余興として、『王』は病みつきになっていた。

  即興の余興──処刑にもかかわらず、広場には国民が集まっていた。誰もが不安がるような、恐れるような顔をしていた。当たり前だ。悪政を敷く『王』に人望など集まるはずがない。ましてや、この人の波の先には──その『王』が控えて、国民を見下ろしているのだから。

  「すまぬ、どいてくれ!」

  人の海を縫うように、彼は大衆をどかしながら進んだ。迷惑そうに眉を歪める者が多かったが、彼がミオムだとわかるとすぐに驚いた顔で道を作った。ミオムが「王国の救世主」と称賛されるほどに、『王国』では有名人だ。

  

  ───あれは……!

  

  ミオムは瞠目した。

  

  処刑台に吊るされている、白い猫耳少女。彼女は喉が裂けんばかりに、泣き叫んでいた。彼女は目隠しをされた状態で、木の台だけにかろうじて支えられている状態だ。これを破壊されれば、彼女の首へ縄が締め付けられるだろう。

  「うえええぇえええんっ!!」

  今のルエリアは、ただ傷つき果てていたか弱き少女だった。

  「何をしている。早く終わらせんか」

  絞首台の傍、豪奢な椅子に腰かけて、下卑た笑みで見つめる三十路の男──『国王』だ。

  ミオムは目の前が真っ赤になるような憤りを、確かに覚えた。腐敗しきった『国王』の悪行に? 止められずに悠長に構えてしまった自分自身に? 両方だ。

  「お父さぁあん!! お母さぁあん!! ヴェルナぁああ!! お兄さぁあん!!」

  家族を、そして、ミオムにはわからない友の名を叫ぶルエリア。

  瞬間。

  ミオムの憤激は、足の先から頭の天辺までを貫いた。

  「うおおおおおおおおおおおおおおああああああああ!!」

  ミオムは咆哮した。ルエリアが吊るされている処刑台に向けて、彼は猛獣のごとく突進した。

  『王』は驚愕する。従順な駒と思っていた男が、まさか処刑を邪魔してくることはさすがに予想していなかったのだろう。水を差された『王』は、その顔を醜く歪めた。

  「何だ、騒々しい! ヴァンデヘルスよ! ここが余の前であると知っての狼藉か!」

  「っ……!」

  殴りそうになる衝動を、直前で抑えられた。

  処刑人たちが目を丸くしていることなど歯牙にもかけず、ミオムはルエリアを縛る縄を切り、彼女を解放した。怒り心頭、といった顔で睨む『王』。

  広場は騒然となっていた。乱入がまさかの『将軍』。

  叛逆────そう見られても、仕方ないのかもしれない。それでも、ミオムはまだ諦めなかった。必ず命の奪い合い以外で解決の糸口はある、と。

  「国王様!」

  ミオムは叫ぶように言った。あえて国民にも聞かせるように、そしてこれまでの激情をぶつけるように、声を上げた。

  「無礼を承知でお尋ねしたいのです! 国王様、この『国』の歴史について、あなた様は何をご存じなのか!? 『人間』が『獣人』と共存することは不可能だと、そう教え込まれてきた! しかし、そもそも争いの火種はどこから起きたのか!? 今一度、私は確かめたいのです!!」

  ミオムの精一杯の叫びは、──残念ながら、『王』に対して火に油を注ぐだけの結果になった。す……、と『王』から表情が消える。ミオムは下唇を噛んだ。人は、怒りの頂点を超えるともはやあらゆる感情が消えて「無」になる。気に食わない者を処断する時、『王』は決まってこういう顔をする。

  「ヴァンデヘルスよ……そこまで『獣人』の首を庇うというのなら、貴様が代わりにその首を差し出すか!?」

  「……それで、国王様の怒りが鎮められるのなら」

  「ミオム!!」

  目隠しを外され、ミオムの両腕に抱えられているルエリアが、悲痛そうに叫んだ。涙で顔を歪めているルエリアを見ていると……ミオムは不思議な気分に包まれた。

  ──私は……どうしてしまったんだろうな。

  確かに、『現王』や『王国』に対して、色々と思うことはあった。それでも、まさかこんなにも早く『王国』に逆らう運命が来るとは思っていなかった。

  「何をしている、ヴァンデヘルス! 自らその首を斬らぬというのなら、余が直々に手を下してやろうか!?」

  『王』の声に導かれるように、脇で待機していた処刑人や兵士が武器を構えた。だが、全員迷ったような顔をしている。誰だって味方同士で戦いたくない。それがミオムほどの強者になればなおさらだ。自惚れではなく、人望はずっとミオムの方が上。しかし、『王』に逆らうのは────と、彼らは葛藤しているに違いなかった。

  ──何か……、何か、いい方法はないか。

  背中に、汗が流れた。

  無計画に強行した自分は愚かだ。が、計画を練る間もないままに『王』の決断が早すぎたというのも事実。

  あまりにも、あまりにも、荷が重すぎる。仮に運命の神などという存在があるのなら、明らかに裁量を間違えている、とミオムは神を呪いたくなった。

  後ろで、国民たちの騒ぎ声が大きくなっていった。これ以上事を荒立てるのまずい。一旦ルエリアを置き、兵士と処刑人たちを無力化するしかないか────と、ミオムが苦渋の決断をしようとした時。

  「こ、国王様!!」

  「何だ、騒々しい」

  広場に駆けこんできた兵士が、血相を変えて『王』の前に跪いた。

  「大変でございます! これまで動きを見せなかった『獣軍』が攻撃を仕掛けてきました!」

  「何だと」

  その知らせには、ミオムも耳を疑いそうになった。

  

  ──今になって、なぜだ?

  だが、兵士のもたらした報告は本物だった。ここからは遠く──けれど、広場よりずっと西、『獣人』のような怒声が聞こえてきた。民衆に避難を知らせる警鐘も、同じくらいやかましく鳴っている。

  「ミオム様!」

  聞き慣れた声が聞こえた。クリスが、ミオムの傍まで駆け寄ってきた。

  「ここは僕たちにお任せを。──国王様、今は事態の収束が先です。どうか避難を」

  クリスは目だけで何かを訴えかけてきた。クリス……どうやらこの少年は、ミオムが思うよりもずっと先に、そして自分たちのために尽力してくれている。

  ミオムは頷いた。恨みがましい目で見る『王』に礼を捧げ、背中を向けた。

  「頼んだぞ!」

  「はっ!」

  ごたごたに便乗しての逃亡。剣士としては恥ずべき行いなのかもしれないが、今はそんなことを考えている場合ではなかった。

  彼らの逃避先は、郊外の山奥。戦術の要になることもない、資源にも乏しい、痩せた山だ。

  獣道を駆け、岩場を抜けるように上へ上へと目指し、ようやく二人が身を隠せるであろう洞窟を見つけた。

  「ミオムっ! 本当に大丈──」

  「今は静かにしてくれ」

  人気はないとはいえ、追手に見つからないという保証はない。今のミオムたちにとって、『獣人』と『王国』の両方、見つかってしまってはまずい相手には違いないのだ。

  ──さて。

  まだ恐怖が抜けきらないルエリアを座らせ、ミオムは次のことを考える。

  何しろ、考える時間もないままに救出したのだ。『王国』が頼れないとなれば、次はどこへ? 『獣の里』に? まさか、「敵」である自分が許されるとは思わない。よしんば『里』に行けたとして、その先は? 『王国』は見捨てるのか? クリスや他の部下たちを放置して?

  ──くそ……。

  心の中で、悪罵をつく。

  己の無力感に腹が立ってきた。守りたいものがある。だが、結局は『国』の機嫌一つで運命が決められるのか、と思うと憤懣はたまる一方だった。

  「お兄さん……ううん、ミオム……」

  「あ」

  怒りで沸騰しそうになっていた感情が、一気にほぐれていく。ルエリアがミオムを抱きしめたのだ。母が子供を包む時のように、優しく。

  

  「助けてくれて、ありがとう」

  「……」

  ミオムもまた、救われた気分だった。無鉄砲と非難されてもおかしくはない逃走だっただろうに、こうして感謝されれば少しは無駄ではなかったと実感することができた。

  願うことなら、こうしてルエリアの温もりに身を任せていた。頼りなく揺れる猫耳や尻尾を見ていると、ルエリアを求める気持ちがまた起こりそうだった。目の前の愛情も大切だが、ずっと先にある「平和」のために戦うのが、剣士の役割だと理解していたはずなのに。

  「────お取込み中、悪いわね」

  不意に飛び込んできた、聞き慣れない──ミオムにとっては、だが──声に、彼ははっとなった。

  洞窟の入り口、『人間』に似ているが、『人間』ではないそいつ──『獣人』だ。ルエリアと同じ、猫のような耳をはやした少女だ。ルエリアとは違い、ツリ目とミディアムヘアが、好戦的なオーラを持っている少女だ。背中には、リュックを負っていた。ミオムに、棘のある眼差しを送っている。

  「何者だ」

  「あんたこそ。……と言いたいところだけど、状況が状況みたいね」

  何が言いたい、とミオムが眉根を寄せた時。

  

  「待って! ……ねえ、ヴェルナ、だよね?」

  「……お姉様」

  ヴェルナ──。 ルエリアがその名を叫んでいた。この二人、旧知の仲のようだ。ヴェルナ、とその名を呼ばれた途端、赤髪猫耳少女が表情を和らげた。親愛を思わせるような、涙ぐんだその顔は、とにかくルエリアと再会できることを待ち望んでいたかのよう。

  「お姉様、……今すぐにでもあなたを抱きしめたいですが、残念ながら、私も今は悠長にはしていられません」

  「うん……」

  ルエリアも微笑みつつも、状況がわからないほど馬鹿ではない。ヴェルナが率いる『獣軍』が、『王国』の混乱に乗じたのだろう。ただ、あまりにタイミングがよすぎる。ここに裏工作、内通を疑うなという方が無理がある。訊きたいことは山ほどある。が……

  「ヴェルナ、と言っていたか」

  「……ええ」

  頷くヴェルナ。再び彼女がミオムを見る時、どう接したらよいかわかりかねているといった目をしていた。

  

  「いつから、私たちに気づいた?」

  「『獣人』の感覚を舐めるんじゃないわ。私たちの嗅覚は、あんたたちのそれよりずっと優れてるのよ。比較するのもアホらしいくらいにね。自慢じゃないけど、私は特にその感覚が得意なの。……まして、お姉様の匂いを、私が忘れると思うわけ?」

  なるほど、と彼は舌を巻く思いだった。どうやら自分たちが隠れたところで、『獣人』には通用しないらしい。改めて、種族の差を思い知らされる。

  ミオムは今、警戒の念を抱いていた。いきなり襲ってくることはなくとも、ヴェルナの態度は読めない。それはヴェルナも同じらしく、得体の知れない『人間』の男が旧友と共にいることに、やはり行動を決めかねているようだ。

  「それで」

  息が詰まるような沈黙を破ったのは、ミオムだった。

  「君は、ルエリアを取り戻しに来たのか?」

  じ、としばらくミオムを睨んだ後、脱力したような嘆息したヴェルナ。

  「それも考えたんだけどね……『人間』なんて野蛮な生き物だから、お姉様を無理矢理連れ回してるようなら、今すぐにでも取り返してやろうかと思ったけど」

  ヴェルナはそこで言葉を切り、担いでいたリュックを置いた。ミオムにしがみついているルエリアを、どこか難しそうな顔で見やった。

  「お姉様、食料と物資はここに詰めておきました。当分は持つと思いますけど、しばらくしたら信頼のできる仲間と合流してください。……私は、すみません。あんまり時間がありませんので」

  「ヴェルナ」

  友の名を呼んだが、ルエリアはそれ以上言葉が続かなかった。いつの間にか、『獣人』と『人間』の行く末を左右しかねない戦いが始まってしまっていた。この目まぐるしく変わる状況に、戸惑うなという方が無理のある話だった。

  

  「……今は何も訊きません、お姉様。私も今は退けない立場なのです」

  「ヴェルナ、気をつけてね」

  「はい」

  居住まいを正したヴェルナ。次に左手を右肩に被せるように添えた。本で見たことがある、これは確か『獣人』の敬愛の動作だった。

  「では、私はこれで。……お姉様、私はまだやることがありますので。それから、ヴァンデヘルス」

  じろ、とヴェルナはほとんど「睨んだ」と表現してもよいような鋭い眼光を向けた。

  「お姉様の身に何かあったら────承知しないわよ?」

  「心得た」

  様々な思いがこもっているであろう彼女の目を受け止め、彼は真剣に頷いた。

  「……そ。激しく気に食わないけど、あんたはまだ死なれちゃ困るわ」

  「そなたも、ルエリアのために生き残れ」

  「何でそんなことが言えるわけ?」

  「誰であろうと犠牲を増やすわけにはいかないからだ。不快だったら忘れてもらって構わん」

  「ふん」

  ミオムにはそれ以上何も返さず、最後にルエリアに恭しく敬愛の動作を捧げた後に、洞窟から去っていった。

  彼女の姿が完全になくなった後、リュックを回収した。

  「ひとまず休もうか、ルエリア」

  「うん。あの、でもね……」

  「どうした?」

  口の中をもごもごとさせた後、ルエリアは上目遣いを向けてきた。

  「ヴェルナのことは……信じてほしい。あの子は、とてもいい子だから」

  「わかっている」

  時間が時間だから、ヴェルナについて多くを知ることはできない。それでも、ルエリアが彼女を信じていることは、ルエリアの目を見れば伝わった。

  ──信じている相手、か……。

  ミオムはクリスの顔を思い出していた。クリスはミオムが思うよりも遥かに考え、自分のためを思って今も戦っているのかもしれない。そして、あのヴェルナという猫耳少女も、おそらく────。

  「私たちは、よい仲間に恵まれたのだな」

  「うん……」

  

  ぎこちなく頷くルエリア。彼女の頭を撫でてやると、恥ずかしそうにルエリアは目を細めた。

  「あのね……ミオム」

  「ああ」

  ぎゅ、と彼の服を掴んだルエリアは、

  「こんな状況で、こんなことを言うのはおかしい、と思うけど……」

  ルエリアの尻尾が、求愛するように揺れているのを見て、彼は何となく察してしまった。

  「ミオムには、もっと別の形でも、お礼をしたい、から……」

  [newpage]

  

  ヴェルナの持ってきた食料で夕飯を済ませ、リュックに入っていた毛布や簡易ランプでその日を過ごすことにした。

  ミオムとルエリアは、やや特殊な形で性交に興じていた。

  必然的に、ミオムはルエリアの尻尾の近くを見つめる。──といっても、本命はその「密壺」だが。ルエリアは、その小さな口でミオムの肉の竿を愛撫することに。

  「は……っ♡ あっ♡ ミオム……♡」

  「ルエリア……」

  「んっ……♡」

  ミオムの肉棒が、ルエリアの唾液と舌で濡れる。彼女の口は、濃厚な雄の臭いと味で一杯だった。

  ミオムも、ルエリアの肉の割れ目から分泌される液を吸っていた。

  「じゅるっ……」

  「ひゃ♡」

  ルエリアの風味が満点の、不可思議な液体だった。甘酸っぱく、しょっぱく、ほろ苦く、飲んだだけで頭がくらくらとなる。しかも、彼が愛液を吸うタイミングで、彼のペニスが口で刺激されるのだから、ルエリアを欲する気持ちは強まる一方だ。

  そして、好きな人を求める気持ちは、ルエリアも同じであり──

  「れろ……ちゅぶ……んっ」

  「っっ……!」

  脳が溶けるほどに、快楽が襲ってきた。ルエリアの口によって亀頭が吸われ、カリ首が舐められ、ルエリアの涎によって性器全体が揉まれているかのよう。この感覚は、たまらない。息すらも忘れるほどに、ぞくぞくとした電流が走ってくる。

  「もっと、ルエリアの『ここ』を、見せてくれ……」

  「あ……恥ずかしい……」

  ルエリアの瑞々しい肉を掴み、くぱぁ、と割れ目をさらに開ける。ぽたた、ぴちゃちゃ、とまた愛液が馬鹿みたいに溢れてくる。その一滴も逃すまい、とミオムは貪る。情欲に何もかもを任せることが、こんなに爽快だとは知らなかった。必然的に彼の「それ」も勃起してしまうのであり……

  「もごごっ、んっ……ちゅぶ、ぶっ、ぶぶ……」

  ──しゅ、しゅごい……ミオムの、男の人の「コレ」が、こんなにもおっきくて、ぶっとくて……。

  呼吸が困難になるほど大きくなったミオムの竿。肌を重ね合った時もそうだが、口でするとなれば、その大きさを目の前で実感することに。

  「ぶむううううう!!」

  ミオムの肉棒から、白濁液が噴出した。

  それとほぼ同時に、ルエリアの体が震え、液体が割れ目から潮よろしく噴いた。

  ──イったのか、ルエリアが……。私の、「それ」で……。

  愛液の洪水を目の当たりにして、ミオムは不思議な気分、そして幸せな思いに浸っていた。ルエリアも、彼と同じようなピンク色の情欲に溺れているに違いなかった。

  彼は、彼女は、疲れを覚え始めた体を重ね合った。

  その状態になるまで、二人はどれほど性器を舐め合ったのか、考えるのも切りがない────。

  [newpage]

  月光が、辺りを夜にもかかわらずに淡く照らしていた。

  ミオムとルエリアが営みをしている時より、少し前。

  混乱に混乱を重ねた『王国』だが、ひとまず国民と軍を分断することに成功した。もし接触を許していては、今頃暴動へと発展したに違いなかった。『王』そのものは取り逃がしてしまったが、ひとまず負傷者は最小限にとどめられた。

  率いたのは、クリスとその仲間。しかし、『獣軍』と『王国軍』──『王国軍』といっても、『王』の支持者たちはすぐに逃亡してしまった。己の保身しか考えない、こいつららしい悪徳な行いだ──は大規模な衝突は防げた。なぜ? 決まっている。彼、あるいは彼女の尊敬する指揮官は、命と命の奪い合いによって得られる平和など好まないからだ。

  

  クリスは、『王国』を囲う林にて、目を凝らして辺りを警戒していた。とはいえ、半ば予想していた。「敵」というか「客人」は、姿を潜めつつも、クリスとの会話を望んでいるのだろう、と。動きがわざとらしい。

  「いるんだろう? いい加減姿を現わせ」

  「……っ」

  憮然とした様子で、赤髪猫耳少女──ヴェルナが姿を見せた。腰にナイフを提げているものの、それを構える気配はない。

  「『人間』なんぞに気づかれるなんて、私も焼きが回ったのかしら。……いや、どっちが言い出したか忘れたけど、こうやって手を組んでいる時点で今更かしらね」

  「つまらぬ意地を張っている場合ではないだろう」

  腕を組んだクリスは、渋い顔をしながらも話を続ける。ヴェルナと話すのは決定事項だ、といった雰囲気。

  「どちらが言い出したかは、それはこの際関係ない。貴様も僕も、尽くしたい人のためにじたばたしている最中だろう。ファルケナーが不自然な動きを見せる中で、ミオム様も歯切れの悪そうな判断をしていた」

  「お互い様、だったものね。お人好しの上司を、あんたも私も持ってた」

  妙なところで共感してしまうのだな、とクリスはやや気になった。

  「そうだったな……これは、もしかしたら、双方同じことを考えているのかと思ったのだ。確信するまでは長かったがな」

  「……ま、そうだったわね。『人間』と組むのは短期的には嫌だけど、これもお姉様や、さらにその先の人たちのためだわ」

  「その点だけは同意だ」

  はあ、と二人は同じように吐息をついた。

  「意外ね。『人間』ってのは浅はかで、数で囲んで殲滅ばかり考えて、敵味方問わず死なせるのが好きかと思っていたけど」

  「そんな奴ばかりではない。少なくとも僕が尊敬するミオム様を信じる者は、そんな野蛮なことは考えない」

  『獣人』と『人間』。お互いの種族の違いはあれども、尽くしたい人がいるというのは共通。そして、その「大切な人」のために下働きをずっと、人知れず続けていたことも同じ。ミオムもルエリアも、知る由もないだろうけど。

  「……で? そろそろ本題に入ってもらえるかしら? 『王国』と『里』の融和のために協力する代わりに、『王国』の情報を提供してくれる約束だったでしょ。私とおしゃべりするために呼んだの?」

  「元よりそのつもりだ。何で僕が雑談のためだけに苦労しなきゃならんのだ」

  クリスはやや不機嫌な口調で、顛末を語り出した。

  『王国』、厳密には『現王』に不満を持つ国民や兵士は多かったこと。

  『現王』打倒のためには、「混乱」に乗じてしまうのが一番よい。だが、そのきっかけに欠けていた。

  その起爆剤となったのが、ミオムの突撃。

  もっとも、その「反抗」には、ヴェルナやクリスといった、『親獣人派』あるいは『親人間派』が気が遠くなるような裏工作──内通も含めて──をしなければならなかったわけだが……。

  ────一連の騒動について、終始ヴェルナは口をへの字に曲げて聞いていた。せわしくなく揺れる尻尾が、彼女の焦りのような感情を代弁しているようだった。

  クリスが全て話し終えると、ヴェルナは大仰肩を竦めた。

  「今でも信じられないわ」

  「何がだ?」

  考えるような間を置いた後、ヴェルナは言う。

  「だから、あんたたちから交渉を持ちかけてきた時よ。私たちからすれば、何しでかすかわからない『人間』が、まさか『獣人』と組むなんてね。それも裏工作なんかとんでもないと思った。……けどまあ、このくだらない争いを止めて、お姉様のためになると思うなら、悪くはなかったわ」

  「それは僕も思う。……が、さっきも言ったように、貴様も僕も、慕う人がいることは同じだったからな。まあ、貴様が素直に協力するのもちょっと予想外だったよ」

  ヴェルナは短く笑った。夜間を通じて、お互いに使者と書簡を送り合っていた甲斐があった。

  「皮肉なものね。私もあんたと同じことを考えてたわ。……なるほど、あんたって『人間』にしては賢いし健気なのね。ちょっとだけ見直すわ。あんたに関しては、ね」

  「よせ。僕は少しでもミオム様のお力になりたかっただけだ」

  「私だって」

  皮肉げにヴェルナは唇の端を曲げた。それは「笑み」と呼べるかもわからない微妙な変化だった。

  そろそろ話を切り上げる時間帯だった。お互いに作戦の首尾を確認した後、解散することに。

  「じゃあ、最後までうまくやりなさいよね」

  「そっちもな」

  いけ好かない奴、というのはクリスとヴェルナ、双方向に思っているに違いなかった。

  それでも、話が何とか通じなくもない相手がいることには、少々の希望を感じていた。

  二人の遠ざかる足音が、木立の奥へと響いていった。

  [newpage]

  性交で疲れ切った体は、朝になる頃には回復していた。

  目が覚めて、しばらく恥ずかしそうな思いに浸っていた二人だったが、落ち着いた頃にはルエリアは重要なことを切り出してきた。

  

  「それは……本当なのか?」

  「うん。『里』のみんなは、きっと受け入れてくれると思う」

  そう。

  ルエリアの先導の元、『里』を目指すこととなった。最初にルエリアからそう切り出された時は、耳を疑いそうになった。

  「それに……ルエが言うのも変だけど、ルエが言うことなら、みんなは信じてくれると思うよ」

  しかつめらしい顔で、ルエリアは言う。彼女の言う通り、彼女が『里』において重要な人物であることは今更疑うまでもないが。

  す、とルエリアはミオムの両手を取った。温かな手の温もりを感じつつ、ルエリアの透明感のある瞳がミオムの顔を映していた。

  「きっと、大丈夫」

  「……では、頼めるか、ルエリア」

  「うんっ」

  にこりとしたルエリア。この笑顔を見ていたら、彼女に任せたいという思いは強まった。それに他に手がないというのもあった。自分たちはまさに『獣人』と『人間』の運命を左右しかねない岐路に立たされている。そう実感すると、肩に重いものがのしかかる気分だった。

  「この道が……『獣人の里』へとつながっている、か」

  「……ついてきて」

  森の奥、深い、深い、奥へと続く道に、二人はいる。ミオムはそんな茫漠な想像しか持っていなかったが、予想より遥かに鬱蒼とした森を進むことになった。

  道中には複数の罠が仕掛けてあったが、そこはルエリアの「故郷」へとつながっている森。我が庭同然の道を進み、罠から逸れるように進んだ。

  「気をつけて。……この辺も、道になってるから」

  「ああ」

  一見すると、道がないように見えた茂みであっても、ルエリアは我が家同然にすり抜けていく。改めて、ルエリアの身体能力には仰天するばかりだった。独特の雰囲気を持っている彼女でも、やはり『獣人』の精鋭といったところか。

  草のカーテンを抜け、長い長い蔓に守られた道を進み、途中で何度も大蛇に遭遇しつつも、ルエリアの先導により彼らは着実に前進した。

  ──さすがは『獣人』だな……。森との親和は、『人間』とは比較にならん。

  「ついたよ」

  「む」

  ミオムは目を見張った。

  丘から見下ろす中、広大な草原が見えた。緑一色に染まった平野と、対照的に広がる青い空、雄大に連なる山脈。それらに囲まれるように、いくつかの家屋が集落の形となって連なっていた。

  「ここが?」

  「うん。ルエの故郷だよ」

  『獣人の里』。

  よく目を凝らして見ると、家屋や壁は、『人間』の集落と比較すれば前時代的な物に見えた。田畑は『人間』のそれに比べたら、やはり技術的に劣っている。が、彼らの野生動物的感覚すれば、これでも手をかけすぎている方なのかもしれない。

  「こっち……」

  ルエリアは、集落の中でも一際大きな、瓦葺の建物を指差した。『長』の住居だろう。ルエリアの顔にも緊張が滲んでいた。

  道中、何人かの『獣人』とすれ違う。どいつもこいつも胡乱げな目をミオムには向けてきたが、その隣のルエリアを見れば戸惑ったように『獣人』同士で顔を見合う。『獣人』の一人に話を聞いてみると、「ヴェルナから聞いていた」との返事がもらえた。仮にヴェルナの口添えがなければ、今より険悪な空気に巻き込まれたかもしれない。ミオムとルエリアは、心の中だけでヴェルナに手を合わせた。

  『長』の館。

  彼らを出迎えたのは、『人間』で言うなら五十を超えているかいないかといった壮年の男。彼の従者と思しき男たちも、彼の脇を固めていた。大半は男だったが、何人かは戦闘員として訓練されていると思しき女もいた。見知った顔、ヴェルナもそこにいたことは面食らったが。

  『長』も含めた幹部たちとは、主にルエリアが交渉した。

  といっても、ミオムも棒立ちになるわけにはいかない。『人間側』の情報を、──無論、何もかもを教えるというわけでは決してないが──彼らに有利になり過ぎないよう、慎重に言葉を選びながら、時には威圧的な『長』たちとの舌戦にも怯むことなく、交渉に参加した。

  

  『獣人の長』は、驚きを隠せなかった。むべなるかな。信頼できるルエリアが、敵将軍を案内したということに加え、交渉まで切り出したのだから。

  やがて──ミオムにとっては、息苦しい交渉の末、結論に落ち着いた。

  最終的にはミオムとルエリアの言説を信じた。ただし、それには『国王』の捕縛と、『里』への不可侵を約束することが条件として突きつけられた。

  「ああ。覚悟はいるが、私が先頭となって、『王』を捕縛しよう」

  それはミオムにとって、精神力を要する宣言だった。彼としてはこれでも妥協と譲歩を重ねた帰結だ。いくら悪徳とはいえ──この時点で、ミオムは『王』の異常性を認めていた──、『王』の首を刎ねることは、ミオムが崇拝する『先王』も哀れむと思ったからだ。

  「ミオム……」

  ミオムを見上げるルエリアは、少しつらそうだった。

  

  「私なら大丈夫だ。そもそもこうして相談に応じてもらえるだけで、私にとってはありがたいのだからな」

  微笑みかけたミオムに、ルエリアはまだ煮え切らない顔をしていたが、

  「お言葉ですが……その必要はないと思います、お姉様」

  当然とばかりに、ヴェルナが前に出てルエリアに告げた。

  「お姉様の作戦を、そして私たちのために動くのが私たちの役目。……『人間』側にも協力を取り付けておきました」

  「……協力? それは、まさか」

  目を剥いたミオムに、ヴェルナは意地悪そうに微笑みかける。その悪戯心に連動して、彼女の尻尾が動く。

  「察しがいいのね? そ。あんたの大事な部下は、あんたが思ってるよりも動いてくれてたわけ」

  大事な部下、と言われてミオムの顔には真っ先に少年剣士の顔が思い浮かんだ。

  なるほど……、とミオムは皮肉っぽく笑む。自分が思うよりも、ずっと、ずっと、弟子は成長していたということを思い知らされた気分だった。

  [newpage]

  『獣人』の協力を得て、さらにもとより『王』への反抗を狙っていたクリスたちの協力もあり、『王』の発見から確保は成功した。

  『王』は最後まで醜く喚き、罵り、抵抗したが、最後はミオムの元に捕まることになった。

  『王国』と『里』は合併され、臨時の『王』として、『長』がその座を占めることが決まった。それぞれの住人との合同で『王』を選挙するが、それまでは『長』が治めるだろう。

  必然的に、正しい歴史が暴露されることになった。その真実は、多くの『人間』にとって衝撃的なものとなった。中には、この事実を受け入れがたいものとして、反抗する者もいたことは言うまでもないだろう。

  だが────ミオムを代表とした『親獣人派』が働きかけた。

  ──恨み言は、私に言うがよい。私が謝罪をし、そなたたち国民に不利がないようにする。

  ミオムは威風堂々とした人物として国民の間でも知れ渡っていた。そんな彼とその支持者が、国民の前で頭を下げた。国民たちからすれば、あまりにも予想外のことが多すぎだ、ともはや驚きすらも忘れたかもしれない。

  

  粘り強い協議の上に協議を重ねた。

  上に立つ者同士でも、『里』と『国』の摩擦は大きな問題として立ちはだかるのに、そこに国民感情が混ざれば問題はさらに大きくなる。

  気の遠くなるような回数の話し合いの末、ひとまず『獣人の長』の統治を試す。しかる後、両種族の選挙によって次の『王』を目指すということで落ち着いた。──と、文字だけなら簡単だが、その裏でミオムたちが寝る間もないほどに働いたことは語るまでもない。

  平和が続くのか。それとも、新しい争いの火種となるのか。

  それは彼らの行動次第。

  それでも、ミオム、ルエリア、クリス、ヴェルナの四人の目が黒いうちは、争いは絶対に起こさせない気でいた。

  [newpage]

  『国王』打倒の後、二人はまた肌を重ね合うことを続けた。

  よく尽力した。その労いをしたい。ルエリアの言い分はそうだった。が……、やはりお互いがお互いを求める気持ちには抵抗できなかった。

  

  『王宮』の一室。今となっては仮の『種族合同の城』の一室。幸いと言えるかは微妙だが、一室はミオムにあてがわれた。

  

  ──今まで我慢した分、たくさんシよ……?

  と、熱のある上目遣いに誘惑されてしまっては、ミオムはただ頷くことしかできなかった。

  とある夜。

  ルエリアとミオムの営み。ランプによって妖しげに照らされる室内、肌と肌が触れ合う独特の音、淫乱な水音が飛び交っていた。

  ルエリアが下、ミオムが彼女に覆い被さる形だ。ルエリアが色っぽい顔をしてミオムを受け止める中、彼はルエリアの火照った顔が愛しくて仕方なかった。

  「……っ♡ ……ミオム♡」

  「ルエリア……」

  情欲に潤んだ瞳、火照った頬、汗で濡れて光っている肌、獣人特有の耳と尻尾がぴょこぴょこと揺れている様子……これは、ルエリアが興奮している証だ。

  

  「くっ……」

  「んんっ……♡♡」

  ミオムの肉棒が、ルエリアの「穴」を激しく侵攻する。ぬらぬらとした肉の襞が、ミオムの「モノ」を掴んでは離さない。その強引さと必死さがルエリアそのものを代弁しているかのようで、ミオムはたまらなく嬉しく、気持ちがよかった。その温かさと湿り気が、この上ない寒気を届けてくれる。

  「ルエリア……まだ、いくぞ」

  「うんっ……♡ 来て」

  ルエリアは、ミオムを抱きしめた。それに反応して、ミオムもまた強く腰を振る。ぶるる、と背中が震える。彼女の「穴」をさらに開拓し、彼女の「奥」へとどんどん進んでいく。

  「あっ……くぅっ……」

  「ん~~……♡♡」

  ルエリアの「密壺」へと、ミオムの先端がタッチした。そこに行き着くまで、ぬらぬらとした肉壁にずっと分身を包まれているのだから、その快感ときたら筆舌に尽くしがたい。何より愛しい人とつながっていることは、彼らをたまらない多幸感で満たしていた。ルエリアの尻尾や猫耳も、さっきから振動を止めない。

  やがて────。

  「んんっ」

  「ああぁ…………………………………………っっ♡♡」

  声も出ない感覚、とはまさに今の瞬間だろう、と二人は言葉にせずとも実感した。

  白濁液が、ルエリアの膣内へと注がれ、赤ん坊の部屋になるであろう「そこ」まで満ちていきそうだった。

  「ミオム……♡ 私、ミオムのがいっぱいだよ……」

  「よかった」

  二人はお互いの体温を、直に触れながら微笑し合った。

  

  二人は、今『国』が抱えている苦境を忘れるほど蒙昧ではない。

  明日になれば、きっと山のように働かないといけないことは確実。『獣人』『人間』問わず、彼らの明暗を決めるための道のりは、まだ始まったばかりだ。

  でも。

  この時だけは。

  お互いの欲に、わがままでありたかった────。

  [newpage]

  [chapter:エピローグ]

  数年後。

  戦いは決着がついたとはいえ、それでも両種族に生まれた溝は完全には埋まらない。

  けれども、ミオムたちの活躍により、格段に争いは減った。

  ミオム、ルエリア、そして二人の縁の下の力持ちとして働いてきたヴェルナ、クリスらは──当の二人は、賞賛を拒否しようとした。が、ルエリア、ミオムから感謝を伝えられると、彼らも真摯に受け取った──『国』と『里』の救世主として表彰された。

  だが、ルエリアも、ミオムも、名誉などどうでもよかった。

  大切な人、そして自分を信じてくれる人のために生きていけるのなら、それでいい。そして、これ以上『国』の意向だけで人が傷つく世があってはならない。彼らが目指すべき理想郷は、まだ時を要するだろう。決してあきらめない願望だけれども。

  「ミオム、と会えてよかった」

  「私もだ」

  ルエリアとミオムは、裸のままお互いを抱きしめ、肌を重ね続けた。

  彼女の揺れる耳と尻尾は、喜びに満ちていた。

  二人の交わりは、やがて次の奇跡を生むかもしれない。

  すなわち、次の世代へと。

  『獣人』と『人間』の垣根を超えた、新しい可能性を宿した子を授かるために──。

  (FIN)

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