AdAd
  
欲望のグリモワール

  「……よし。ここまで書いたし、今日はもう寝るか」

  都会にある小さな家の一室で、20代後半と思わしき男性が静かにキーボードを打ち続けていた。彼は何やら文字を打ち込んでいたようだ。そこには、何千何万といった文字数の小説らしき文章が書かれている。そう、この男の趣味は小説を書くことなのである。

  「明日には仕上げてサイトにアップしよ。みんなどんな感想してくれるのかなぁ」

  ぶつぶつと独り言を呟きながら寝る準備をする男。彼の名前は[[rb:木 > き]][[rb:島 > じま]][[rb:仁 > ひと]][[rb:志 > し]]。地方の会社で働くしがない社会人だ。

  彼にはこれといった取り柄はなく空虚な人生を送っていた。――小説を書くという趣味を除いては。

  「久々にフェチいやつが書けそうだし、このノリのまま書き上げよう」

  そして仁志はいつものように妄想をしながら眠りについた。彼のフェチズム。それは普通の人間とは少し趣向が異なるものだったのだ。

  その夜、彼は静かに眠っていたため気がついていなかった。玄関のポストに、ひとりでに何かが投函されていた事に。

  [newpage]

  次の日、仁志は書き上げた小説を投稿サイトにアップしていた。SNSにリンクも貼りフォロワーに宣伝もした。仁志の小説はぽつぽつとだが早速ブックマークがつきはじめていた。

  「結構シコいのが書けたと思うんだよな。ブクマもついてるし、もっと“TF”の良さをみんなが知ってくれればいいんだけど」

  仁志が書いている小説、それは人間が動物や人外などの別の生物の変身するという内容のものであった。仁志は数年前からずっとそのテーマで18禁小説を書き続けている。

  特に仁志が好きなのは、「TFした後、人間だった頃の人格を精液に変換して射精する」というシチュエーションだった。性的要因で自己を全て捨てて生まれ変わるという背徳感が、仁志を興奮させていたのだ。昔から仁志はそういうシチュエーションが好きだったのだが、あまりにもニッチかつマイナーなシチュエーションのためそれと同じような内容の作品がなかなか見つからなかった。だから自分で書く事にしたのだ。そういったシチュエーションの小説を。

  絵心のなかった仁志はイラストや漫画を描くのは諦めて小説を書く事にした。最初は素人ながらに努力して書き続け、今はそれなりの文章を書けるようになって「TF小説書き」としてそこそこの地位を獲得している。

  これも皆に「TF」や「人格射精」の良さを知ってもらうため。仁志はそれにひたすら行きどころのない情熱を注いでいた。

  「あ、そうだ。最近ポスト見てなかったから確認しないと。面倒くさいけど……」

  ものぐさな仁志はポストを確認するの頻度が一週間に二回くらいだ。どれだけ溜まっているのだろうと億劫そうに外へ向かう。

  そこで仁志は、普通の手紙や封筒とは違う、異質なものを発見する事となる。

  「何だよこれは……本?」

  仁志のポストに投函されていたのは、表紙絵やタイトルなど全く描かれていない、両面が黒い不気味な本であった。それは辞書や小説のように分厚く、持ってみるとずしりと重い。

  「誰かが配達し間違えたのか?」

  などとぼやきながら仁志は無意識にその本を開いてしまっていた。まるで家の中にある本を読むかのような、そんな気楽なノリで。

  (待てよ? このシチュエーション……)

  その時、仁志は自分が書いている『TF小説』を思い返していた。

  そういえば、自分が書いている小説には、よくどこから来たかわからない不思議なアイテムが出てきたと。そして、それは大抵『TF』のトリガーとなるものだという事も。

  「これ、もしかしてまずいんじゃ」

  そう思った時にはもう遅かった。開かれた本から、コールタールにも似た一筋の黒い液体が飛び出し、仁志の口に入り込んだ。

  「んぐっ!? か、かはっ!」

  異物を取り込んだ仁志は慌ててそれを吐き出そうとしたが、それはスルスルと仁志の口に入っていき、そして仁志の体内に入っていった。

  明らかに「まずいもの」が身体に入ったと青ざめるも時すでに遅し、それから仁志は異常なる体験を自ら味わう羽目になる。

  「うあっ……何だこれ、体が……」

  仁志の体がいきなり高温の熱を発し始めた。たちの悪い風邪をひいた時のような嫌な感覚が仁志を襲う。頭がくらくらとしてうまく立てなくなり始める。それと同じく、仁志は性的な快感も感じていた。よく見れば、ズボンがテントを張っているではないか。恐らくひとりでに彼の陰茎が勃起しているのだろう。

  そしてそれは、仁志の小説では定番の展開でもあった。

  まさしく自作の小説の出来事を自分自身で体験している。仁志は何らかの危険を察知していたが、異常続きの肉体は仁志の危機感を無視してさらなる発展を迎える。

  「チンポが……! うっ!」

  手で何も触れていない、それにも関わらず仁志の陰茎は、ひとりでに絶頂と射精を瞬間的に行っていた。仁志の全身に射精の快感が走る。

  そして……『精液』を吐き出した事によって、仁志に自分が架空の人物にさせていた悲劇が自分自身に降りかかる。

  「あっ!? あぁぁぁぁ……」

  その時仁志が感じたものは、出した『精液』と共に『なにか』が抜けていく感覚。それをトリガーとして仁志の『TF』は始まった。

  仁志の身体が縮んでいく。もうとっくに成人しているはずの仁志の体はその成長を逆戻しにするかのようにみるみるうちに小さく幼く退化していく。

  サイズに合わなくなった服は脱げ、露出した陰茎も、その小さくなっていく体に合わせて、それ相応の大きさへと縮み、剥けていた頭も皮を被るようになった。

  「どうして……」

  一言ぼやいた仁志の声は架空のキャラクターの声のような、甲高くわざとらしいものへと変化していた。露わになった全身に、ザワザワとした気味の悪いざわめきを感じながら、仁志はそのあざとくなった声でまるで善がっているかのように叫んだ。

  仁志の全身を、この世の動物では存在しないような薄紫色の毛が覆っていく。代わりに全身のありとあらゆるヒトの体毛や頭髪は、全て抜け落ち地面に無数に転がっていった。

  「ああ……やっ、やめて! 何かが生える!?」

  仁志の体が紫色の毛で埋め尽くされて人間だった頃の地肌がかき消されてしまった頃、仁志は腰や尻のあたりから『なにか』が生えてきそうな予感がして思わず悲鳴に似た叫びを漏らした。その『箇所』だけがムズムズとして、思わず掻きむしってしまいそうな程に痒くて仕方がない。

  『なにか』が生まれる……しかし、それが生まれれば、自分はもう『自分』ではなくなってしまう。そう仁志は何故か確信していた。

  「やっ、やめろぉ! そこまで行ったら、俺は本当に!」

  必死に拒否の姿勢を見せる仁志だったが、彼を蝕む不可逆の変化は続いていく。その瞬間、仁志はどこか嬌声にも似た声を上げながら、人ならざるものをその身に生やした。腰に小さく可愛らしい紫色の尻尾と、毛と同じ色をした蝙蝠のような小さな羽根を。

  「あぁ……変わっちまった。俺……本当に変わっちまったんだ」

  仁志は誰かが『TF』する様子こそは好きであったが、自分自身がこうなる事は微塵も望んではいなかった。本によって変わり果て、小さくふわふわとした姿となった自分に、仁志は絶望に似た感情を抱いていた。

  「嘘だろ……こんなのって……」

  慌てて自宅の姿見を確認した仁志は、変わり果てた自分の姿を見てさらなる絶望に見舞われる。

  そこには、紫色の毛をした小さな二足歩行のヤギのような生物が立っていたからだ。白目は黒に反転し、ヤギ特有の横筋の虹彩をした琥珀色の瞳が小粒の涙を浮かべている。

  これが自分の姿などと、誰が思うだろうか。当然、張本人である仁志ですらも、その事実は受け入れがたいものだった。

  「俺、これからどうやって生きていけば……」

  かわいらしいヤギとなった仁志の中には、最早空虚な絶望感しか残されてはいなかった。人としての要素を全て剥奪され、この世に存在していないような不思議な生き物に成り果てた仁志は、きっと普通には生きてはいられないだろう。

  しかし仁志は絶望する必要はない。何故なら、仁志はもう『木島仁志』ではなくなるのだから。

  「うっ!?」

  そんな絶望を吹き飛ばすかのように仁志の身に唐突に襲ってきた快感。その時仁志は、自分が書いていた小説での定番のシチュエーションを思い出した。

  それは、『己の人格や記憶を精液として排出する』というもの。

  この突然の快感も、そして我慢汁を垂れ流している毛と皮を被った小ぶりな勃起ペニスも、全て自分の書く小説のようだ。

  そして仁志のペニスは……手も使わずに再び射精しようとしていた。しかし、ひとたび射精をしてしまえば、仁志の人格は、おそらく……

  「でっ! 出るな! 出ちゃダメだ! お願いだから止まっ……」

  せめてもの抵抗として仁志は小さな両手でペニスを押さえていたが、そんなものは気休めにもならない。彼の意志を無視してペニスからドクドクと真っ白な精液が止めどなく溢れてくる。

  (ああっ! お、俺の中の『なにか』が消え始めてる……! 俺の全てが精液になっちゃう!)

  その瞬間、仁志は自分の職業が何であったのか、自分が何歳で何月何日に生まれたのかもわからなくなってしまった。精液とともにそれらの記憶が『吐き出された』のだ。

  そんな中でも異常なまでの射精の時間は続き、その度に学生時代の思い出や、両親の顔や、将来の夢も彼の中から失われていく。

  「やめてくれっ! 俺が出てく! “俺”が全部精液になっちゃう! 俺は木島仁志。俺はTFが好きで、人が人間じゃなくなってくのが好きで……だから俺は、俺は何をしてたんだっけ? 名前と、TFの事しか思い出せねえ!

  誰か助けて、俺は、くそっ。このままじゃ俺の『名前』すらも精液になって出ていっちまう……それだけは、そんな事になったら、もう俺は、俺じゃあ……あぁ、ふぅっ……お、おちんちんが、気持ちよくて、おっ、俺は……ボクは……うっ!」

  その時仁志はより多い量の射精と共に、自分の『名前』を失った。こうして“名もなきヤギ”は人間としての全てを失いケモノとして生まれ変わった。

  (ボ……ボクって誰だったっけ? 何も思い出せない、ただ、ひとつだけ知っているものがある。それは……

  もしボクが本を読んでなければ、こんな事になんかならなかったのかな……)

  全てを失った元人間のヤギが『ヒト』として最期に思ったのは、永遠の後悔のみであった……。

  ピュッ……と最後の一滴を射精して、ヤギの少年は力なく項垂れた。床に捨てられた大量の精液は、真っ黒なドロリとした粘性のある液体に変わりながらヤギの身体に隅々まで貼り付いていく。

  首から下が真っ黒な液体で覆われると、それは紫色の模様があしらわれたラバースーツとなりヤギの体に定着した。ラバースーツの締め付けにより、ヤギは黒いラバーの中に白い精液を垂れ流す。

  そして彼は嬉しそうにケタケタと笑った。

  [uploadedimage:22594302]

  「ボクは悪魔のティフ! 人間を『TF』させるのがボクの役目……!」

  全てを射精し、何もかもが新たに生まれ変わった仁志は、自らを悪魔と名乗りそして悪魔らしくいたずらそうに笑いだす。もう彼の中に『木島仁志』という人間の存在は消え失せて存在していない。今の彼は自らの欲望のみを具現化させた無垢な悪魔でしかなくなったのだ。

  「キャハハハッ! これからの事を思うと楽しくなって、おちんちんがボッキしてきちゃった……!

  じゃあ早速外へ遊びに行こうーっと!」

  ティフは元気よく家を出ると、落ちていた『黒い本』を拾った。その本は小さなティフには身に余るものだったがそれを器用に抱えながらティフは人間達のいる街へと飛び出していった……

  [newpage]

  アパートの一室。そこに住んでいた一人の青年は突然侵入してきた小さなヤギの少年と鉢合わせた。

  「ねえねえ、そこのお兄さん」

  「な、なんだこいつ……!」

  「ボクは悪魔のティフ。ねえ、お兄さんはどんなのになりたい? ボクに教えてよ!」

  「そ、そんな事言われても……」

  突然の出来事に困惑する男に、ティフと名乗ったヤギの悪魔は無邪気に笑いながら言った。

  「じゃあお兄さんは特別にボクそっくりにしてあげる!」

  そしてティフは本に『物語』を綴り始める。その男が『ティフ』そっくりの悪魔になる『物語』を……

  「お、俺の体が……小さく!?」

  「さあお兄さん、ボクの仲間になろう?」

AdAd