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こころはる 第五話

  「お、お邪魔します……」

  メッセージアプリで逸花に相談を持ち掛けて数十分後、俺は件の相手の部屋に招かれていた。逸花とそのルームメイトの部屋番号は、驚くべきことに213号室――つまり俺達の隣の部屋だったから、移動に難はなかった。

  「いらっしゃい。といっても、僕もまだ自分の家だって実感はないんだけどね」

  はにかみながら、逸花は俺を部屋の中へと招き入れる。玄関には、逸花の履いていたキャンバス地のスニーカーの他に、それよりもいくらかサイズの大きな黒いハイカットスニーカーが並んでおり。きっと逸花のルームメイトの物なのだろうと思って見ていると、逸花が小声で俺に耳打ちする。

  「僕のルームメイト……幼馴染でもあるんだけどね。見た目で誤解されがちだけど、本当は優しいから。変に気遣わなくていいからね」

  言われ、昨日のガイダンス後に逸花のことを呼んでいた兎獣人を思い出す。黒い被毛に吊り上がった目は、確かに見る人を圧倒する何かがあった。

  初対面がサシだったら気圧されてたかもしれないけど……逸花の友達だってんなら大丈夫だろ、多分。

  「[[rb:佑 > たすく]]ー、さっき言ってた子、山南くん来たよー」

  逸花は軽快な声色でそう呼びかけながら、リビングの扉を開く。それに続いてリビングに足を踏み入れれば、俺たちの部屋とはまた少し違う……なんだか心落ち着く香りに出迎えられた。

  ソファの方を見やれば、件の兎獣人が制服を着崩して座っていて。近くで見ると……男目線でも、かなり整った顔立ちをしているような。逸花の言葉がなければ、完全に委縮してたかもしれない。

  「はじめまして……俺は、昨日逸花と知り合った、山南晴。……よろしく」

  「ああ。俺は[[rb:朝来佑 > あさきたすく]]。逸花とは、昔からの幼馴染。よろしくな」

  逸花の幼馴染の兎獣人――朝来は、鋭い目で俺のことをしっかりと見据えながら、存外優しい声色でそう言った。俺の方はといえば、自己紹介すらぎこちなくて。朝来は意に介していないようだったが、俺が自己紹介している間、逸花がやたらニヤついていたのを俺は見逃していない。

  「じゃ、二人で何か話すんだろ。俺は席外しとくから……またな、山南」

  「お、おう……悪いな、お前の部屋なのに」

  朝来は返事の代わりにニッと口角を上げて笑うと、リビングを出て行ってしまった。程なくして玄関の扉の開く音がしたから、どこか外に行ったのだろう。

  「佑も、あれでも緊張してるんだよ。……山南くんほどじゃないけど」

  「後半余計だろ、後半」

  笑いながら俺を揶揄う逸花を睨みつけて、抗議の意を示す。……そうはしつつも逸花のお陰で緊張が解れてきている俺に、少しだけ腹を立てながら。

  「じゃ、山南くん。ひとつ聞いていいかな」

  「……おう」

  逸花が唐突に俺に視線を合わせて、真面目な顔で問うてくる。突然相談を持ち掛けてしまったんだ。疑問の一つや二つ、あって当然だろう。

  しかし、話が本題に入るのを予感し身構える俺の耳が捉えたのは、想像とはだいぶ異なる言葉だった。

  「コーヒーと紅茶、どっちが好き?」

  「……は?」

  *

  「お待たせ」

  リビングのテーブルの前に腰掛ける俺の元に、マグカップとティーカップを携えた逸花がやってくる。マグカップにはコーヒー、ティーカップには紅茶が入っているようだ。逸花はそのうちのティーカップの方を俺の前に置き、俺と同じように腰掛けた。

  「山南くんは紅茶派なんだね。僕と佑はコーヒー派だから、ちょっと新鮮」

  そう言いながら、逸花は自分のコーヒーに砂糖とミルクを混ぜる。逸花がティースプーンでからからと音を立てながら混ぜ合わせると、真っ黒だったコーヒーは、忽ちにココアのような優しい茶色へと色を変えた。

  逸花は両手でマグカップを包み込むように持って、息を吹きかけながらそれを口にする。マグカップから口を離すと逸花はゆっくりと瞬きをした後、こくりと喉を鳴らした。

  「……苦いのはあんまり得意じゃないから、コーヒーはあんま飲まないな」

  「僕だって苦いのは得意じゃないよ。でも、砂糖とミルク入れれば、ほら」

  そう言って、逸花は自分のコーヒーを俺の方へと差し出す。飲んでみろ……ってことだよな。

  これじゃあ間接キスに、なんて余計なことを考えてしまうが、相手の方は気にもしていないらしい。となると、俺ばっかりが気にしていると思われるのは癪だ。

  ……だから、俺は思い切ってマグカップに口をつけ――。

  「――ッ!」

  「ちょ、ちょっと、山南くん!?」

  俺は慌ててマグカップから口を離す。熱い、熱すぎる……! 間接キスに気を取られすぎて、中身が熱いコーヒーであることを失念していた。もともと猫舌のくせに、とんだ無茶な真似をしてしまったもんだ。

  「あ、あちぃ……」

  「当たり前でしょ……冷まさずに一気に飲むもんだからびっくりしたよ」

  心底呆れたような逸花の視線が胸に痛い。恥ずかしさで強烈な居心地の悪さを感じるが、それとは裏腹に口の中には心地よい甘みと苦みが広がっていた。

  「でも……美味いな、これ」

  最初は熱さでそれどころじゃなかったけど……このコーヒー、かなり美味い。砂糖とミルクの甘みで特有の苦みの主張が抑えられつつも、しっかりとコーヒーの旨味と香ばしさがそこにあるような。過度な渋みや酸味もなく、ただ口当たりの良い味を醸し出している。

  「でしょ。コーヒーの味を褒められるのは悪い気しないね」

  逸花は、出会って以来最高のドヤ顔を俺に披露する。そういえば、コーヒーを淹れる時には豆を挽く音まで聞こえていた。寮に器具を持ち込むまでなんだ、コーヒーにはそれなりのこだわりがあるんだろう。

  「実家が喫茶店でさ。昔から手伝いとかもしてたんだ」

  「なるほど、それで……」

  逸花がコーヒーに対して強いこだわりを持っていることも、リビングに入った時にやけに良い香りがしたことも……そういう話なら、納得できる。

  「あ、紅茶だって自信あるんだからね」

  逸花は俺の手元にある紅茶の入ったティーカップに目を落とす。逸花はダージリンだとかアッサムだとかの好みがあるか聞いてきたが、如何せん何も分からなかったから、俺は全部お任せにした次第だ。

  先ほどの反省を踏まえ、今度は息を吹きかけて冷ましつつ口に含む。ティーカップに顔を近づけると、一層強く香りを感じるのが心地よい。

  「う、美味い……」

  「それ、アッサムティーっていうんだけどね。ミルクティーにすっごく合うんだよ」

  そう言うと、逸花は立ち上がって電子レンジから温めたミルクを取り出す。それを俺のティーカップに入れて混ぜ合わせれば、よく店で見かけるようなミルクティーと同じ色がマグカップの中に現れて。

  さっきと同じように冷ましつつミルクティーを口に含めば、いくらか甘く、優しくなった味に出迎えられる。

  「……! 俺、こっちの方が好きかも……」

  「ん、なら良かった」

  言いながら、逸花は満足そうな表情を浮かべた。コーヒーとか紅茶について話しているときの逸花は、普段よりも楽しそうに見える。好きなんだろうな、昔からの趣味みたいだし。

  正直言うと、逸花の様子はいつも大人びていて、同年代なのが不思議なくらいだった。でも、今俺と話しながら甘いコーヒーを啜る逸花の姿は。

  「……何見てんの」

  「いや、なんでもない」

  なんだか年相応の雰囲気を纏っている気がして。これが逸花の素の姿なのかな、なんて思った。

  「……で、話したかったことって何」

  お互いのカップの中身が少なくなってきた頃、逸花がそう切り出した。逸花の表情は普段通り。つまり、何を考えているか分からない、やけに落ち着いた表情ってこと。

  俺が今日、ここに来た目的。それは、何やら抱え込んでいる様子のルームメイトに俺がしてやれること、そのヒントを探るためだった。

  覚悟していたこととはいえ、出会ったばかりの相手に相談を持ち掛けるのだ。遠慮やら後ろめたさやらで重くなった口を、ゆっくりと開く。

  「俺の……ルームメイトの話なんだけどさ。椙山心っていうんだけど」

  心の名前を口にして、ちくりと胸が痛む。その正体はきっと、あいつの知らない所で話題に出す罪悪感と、今朝から翳を帯びるあいつの表情への憂患で。

  「あいつが今日、なんか様子おかしくてさ。気のせいじゃ……ないと思うんだ」

  逸花は相槌を打つでも頷くでもなく、ただ俺をじっと見据える。それでも視線は優しく、「自分のペースで話せばいい」と暗に言っているようだった。

  「それで……俺の言の葉が、あいつの助けになるかもしれなくて」

  ここで、俺の言の葉について詳しく話せればよかったんだけど。どうにも、自分の言の葉についてはベラベラ他人に話していいものじゃない気がして。

  「そんな得体の知れない力、友達に使っていいのかなって……迷ってる。俺が余計なことして、もしあいつが更に傷つくようなことがあったらって思うと……」

  今朝のあいつの姿に、かつての友人……丸山が重なる。俺はもう、あんな思いを繰り返したくなかった。

  「俺……どうしたらいいのかな」

  我ながら無茶なことを問うていると思った。逸花は俺のことも心のことも、まだあまり知らないというのに。

  でも、心への心配と過去への後悔で雁字搦めになっている以上、誰かに頼りたくなってしまって。それに、逸花なら何とかしてくれるって、根拠のない信頼もどこかにあった。

  「山南くんはさ」

  逸花が俺に視線を合わせ、何か言いたげな顔をする。自分が変なことを言ってしまった自覚があるだけに、何を言われるのか案じてしまう。

  「……椙山くんのこと、好き?」

  「なっ……!?」

  す、好き……? 俺が、心のことを?

  思いもよらぬ発言にぎょっとして逸花を見るも、その表情はいたって真剣で。どうやら揶揄ってはいないらしい。寧ろ、揶揄われていると思いたい発言だったのだが。

  なんて言えばいいのかすぐには分からず、口を噤んでしまう。俺が……あいつについて思っていること、か。

  「……好きとかはよく分からねえけど。あいつとは、いい友達になれそうなんだ」

  心は、明るくてアホっぽい雰囲気はあるけど、俺を気遣ってくれるような一面もあるし。それに……あいつが友達に囲まれてても、俺のためにそこを抜け出してくれたときとか、本当はすげえ嬉しくって。

  「俺も、あいつみたいに素直になれたら……なんて思ったり」

  言いながら、昨晩の心の言葉を思い出す。

  ――それに、俺は、晴……晴くんみたいな人の方が話してて落ち着くから、好きだし。

  あいつが俺に伝えてくれた、真っすぐな気持ち。思い出すだけでも顔が赤くなりそうだけど……あいつみたいに素直になりたいと思うんなら、俺だって。

  「……やっぱ、さっきの発言、訂正する」

  逸花の方を向いて、深呼吸をする。まだ、本人に伝えられるほどの勇気はないけれど。

  「俺……」

  顔が熱くなるのを感じる。心臓は、誰かから借りてきたもののようにどくどくと脈打っていて。でも、きっと言葉にするべきだから。

  「……俺も、心のこと、好きだ」

  ちゃんと、言えた。……最後は照れくさくて、目逸らしちゃったけど。

  もちろん、恋愛的に好き……って気持ちはよく分からないけど、あいつが俺のことを好きだと言ってくれたなら。俺の中にある気持ちも、あいつが言う”好き”と……きっと、同じもののような気がして。

  「そっか」

  逸花は終始笑うでもなく神妙な面持ちをしていたが、俺の最後の言葉を聞くと満足げに微笑んだ。

  「山南くんは、椙山くんの力になりたいって心の底から願ってる。そして、その為に自分の言の葉が使えそうだって、そう思ったんだよね」

  「ま、まあ……そうだな」

  逸花が真剣な表情で「心の底から」なんて大袈裟な言葉を使うもんだから、なんだか恥ずかしくなる。さっきの言葉も相まって、恋愛相談……みたいになってる気がして。

  「なら、大丈夫。先生が言ってたでしょ、『言の葉は願いを叶える力だ』って」

  「ああ」

  「だからさ、言の葉のせいで自分の願いが遠ざかることって、そもそもあり得ないんだよ」

  「……そう、なのか」

  逸花の言うことは筋が通ってると思ったし、納得もできた。でも、俺にはどうにも気がかりなことがあって。

  逸花の発言の内容ではない。というより、それを言う逸花の表情を見たときの、妙な感覚。

  ――あ……夢、だった……のか。よかった……。

  今朝、悪夢から目覚めたばかりの心の様子を思い出す。その時に相手から感じた、”曇り”の色。それと同じ気配が……ほんの少しだけ、感じられたような。

  「どうしたの、そんなに怪訝な表情して」

  「ああ、悪い……なんでもない」

  と思えば、次の瞬間にはそんな気配は跡形もなく霧散していて。気のせい……だったんだろうか。

  「とりあえず、僕が力になれるのはここまで。後は山南くん次第ってところかな」

  「……俺次第、か」

  「といっても、別に気負わなくてもいいんだよ。きっと上手くいくから」

  なぜか自信ありげな様子で逸花は言う。なんでかは知らないが……その様子が、なんだか俺には心強くて。

  「……ありがとな、色々と。まだ知り合ったばっかだってのに」

  「いいって。頼られるのは嫌いじゃないしね」

  「そうか」

  正直言うと、聞きたいことはまだ山ほどある。言の葉のこととか……逸花自身のこととか。でも、今の俺がするべきなのは。

  「……じゃあ、俺、あいつと話してくる」

  「ん、応援してる」

  すっかり冷めてしまったミルクティーを流し込み、席を立って玄関へ向かう。今はただ、あいつに会って話がしたかった。少しでも早く、あいつの力になりたかった。

  「またお茶でも飲みに来てよ。いつでもいいからね」

  靴を履く俺に、逸花が後ろから声をかける。だから俺も振り返って、逸花の方を向いて微笑んだ。

  「ああ、楽しみにしてる」

  ――ありがとな。

  最後にもう一度そう言って、俺は逸花の部屋を後にした。

  *

  「ただいまー……」

  自分の部屋――214号室の扉を開いた俺は、小声でそう呟いた。やはり少し緊張しているのと、まだこの家に「ただいま」と言うことに違和感があって。

  玄関には心の靴があって、リビングに人の気配はない。つまり、あいつは自分の部屋の中にいるってことだ。

  リビングを通り抜け、あいつの部屋の前に立つ。ノックしようと、握り拳を作って扉に近づける――が、手が動かない。なんて話しかけるかとか、どんな顔して話すかとか、今更考えあぐねてしまって。

  ……でも、考えてばかりいたってしょうがない。意を決した俺は、手の甲を扉に叩きつける……のだが。

  俺の手が扉に当たることはなく、ただ空を切るばかりであった。

  「わっ」

  「うおっ!?」

  俺の視線の先には、空を切った自分の拳と、自分のより一回り大きな足。

  一瞬では何が起きたか分からず上を見やると、少し見上げた位置に心の顔があった。

  「ああ、びっくりした……。やっぱり帰ってたんだね、おかえり」

  「あ、た、ただいま……」

  どうやら、俺が扉をノックするより寸刻早く心が扉を開いたらしい。扉が内開きだったもんだから、俺の拳はついに扉にぶつかることがなかったって訳だ。

  「……ええと、俺に何か用だった?」

  心のまっすぐな視線が、大きく開いた目が、俺を見据える。一見すると事も無げな表情にも見えるが……俺の言の葉の力なのか、やはりまだそこには曇りがちらついているように見えて。

  心に会ったらまずなんて言うか、とか……色々と考えていたはずなのに、先刻の驚きでほとんど忘れてしまった。でも、今は。

  「……俺」

  きっと、余計なことなんか考える必要ないから。

  「俺……お前と話したいこと、あるんだ」

  *

  「じゃあ、晴は……ここ座る?」

  「ああ」

  俺たちは、心の部屋の中で話をすることになった。リビングで話せばいいものを、なんか流れでこうなってしまって。

  心に促されて、俺は部屋に備え付けの勉強机用の椅子に座る。俺の部屋のよりも多少高く調整されており、なんだか落ち着かない。

  「よっと」

  心の方はというと、同じく備え付けのベッドへと腰掛けていた。椅子の高さ的に心を見下ろす形になっているのが、なんだか新鮮なのと同時に、申し訳なくもある。本人は少しも気に留めてなさそうだけど。

  「悪いな、急に」

  「んー、全然いいよ。それで、話って」

  心はのんびりとした口調で言う。俺と話すこと自体に抵抗はないってのは本当みたいで、ちょっと安心した。

  でも、ここから先の話は。心が今日、やけに落ち込んでいる理由についてだから……心にとっては決して明るい話題じゃないはずだ。

  それでも俺が……俺の言の葉が、こいつの役に立てるなら。

  「今朝からやっぱ……お前、落ち込んでるだろ」

  「な……だからもう、あれは大丈夫だって」

  心の表情が露骨に歪む。一瞬躊躇うも、俺は言葉を続ける。

  「何かあったんだろ、夢の中で。今日一日引きずるくらい、悪い何かが」

  「……」

  図星だと言わんばかりに、心の表情に翳が落ちる。その様子に胸が詰まりそうになるけど、ここで言いさしちゃだめだ。

  「言いたくなかったら、何があったかまで言わなくていい。でも……お前が一人で抱えて、ずっと虚勢張るってのは、俺が嫌だ」

  「……なんで、晴には関係な」

  「関係ある!」

  心が驚いて目を見張るのを見て、自分が存外大きな声を出してしまったことに気づく。

  「……お前が、俺のことを好きだと言ってくれたから。どんな意味であれ……それが、嬉しかったから」

  深く息をついて、言う。心から受け取った気持ちは、俺の中でやけに心地よくて。

  「俺、今まで友達あんまいなくて……それでも、お前とは上手くやっていけそうだから。それに――」

  そして、俺が心を助けられると思った、一番の理由を思い浮かべる。

  ――言の葉はいたく空の曇れるを見て その嘆きにて歌はれるもの 人のけしきもしかと違はじ 希へばやがて雲も晴れなむ

  この力がなんなのかはよく分からねえけど。人の気持ちにかかった雲も、強く願えば晴らせるんだろ。なら、今叶えてくれよ。俺の願いってやつを。

  「――俺の言の葉が言ってるんだ。『俺ならお前……心を助けられる』って」

  「……」

  心が、胸に手を当てて俯く。何やら考え込んでいるようだが……俺は上手く使えたんだろうか、言の葉とやらを。

  「……ちょっと、こっち来てくれる?」

  「……ああ」

  幾ばくかの時間黙りこくっていた心が、傍らのベッドをぽんと叩いて俺に促す。俺はそこに、心とは拳ひとつ分ほどのスペースを空けて腰掛けた。

  入居したてが故に、まだ部屋には微かにしか漂っていなかった心の匂い。心の隣に座るとそれが俺の鼻腔をくすぐって……なんだかむず痒い。

  「晴はさ」

  そんな俺を他所に、心はぽつりと口を開く。未だ俯いたままだから、表情が読めない。

  「……スキンシップとか、やっぱり苦手かな」

  「へっ」

  飛び出してきた予想外の言葉にぎょっとする。でも、心はふざけて言ってるわけじゃなさそうで。

  「まあ……正直言うと、急だったり度が過ぎてるやつは苦手だな」

  「そっか。……じゃあ、ちょっとだけ」

  言うなり、心の尻尾が俺の腰に巻き付いてくる。別にこの程度なら、嫌に思ったりはしない。

  「……俺さ、びっくりしたんだ。今までも、嫌なことがあっても明るく振る舞ってて……それで、落ち込んでるのがバレたりしたことなかったから」

  「……」

  心の心情の吐露を聞いて、少し複雑な気分になる。心が落ち込んでるのに気づけたのは俺の言の葉のお陰で……きっと、自力では気づくことができなかったから。

  「晴の言う通り、俺、すごく嫌な夢を見た。先生が言ってた、例の夢に続いてさ」

  俺に巻き付く尻尾の力が、少し強くなる。じっと話を聞くだけなのも居たたまれなくて、俺は心の尻尾に自分の尻尾を軽く絡めてやる。

  「でも……高校に入学したばっかりなのに、急に落ち込んでる姿なんか、周りに見せたくなくて」

  実際、クラスメイトを前にしたときの心は、そんなこと微塵も感じさせないほど快活に振る舞っていた。こいつが思い悩んでるのに気づいたのも、きっと俺くらいで。

  「だからさ、最初は驚いたけど……今は嬉しいんだ。俺が落ち込んでるのに、気づいてくれたってだけでもさ」

  漸く、心が俯いていた顔を上げる。その表情に、もう翳りは無かった。

  「……ありがと、晴」

  「どういたしまして」

  お互いに目を見て、笑う。握手とかは照れくさくてできないけど……代わりに、絡まった尻尾にぎゅっと力を込めながら。

  暫しの間、俺たちの間に無言の時間が流れる。なんだか気恥ずかしいのと、触れ合う尻尾から伝わる相手の温もりが心地よくて。

  そんな折に、ふと心が口を開く。

  「……あれ、リビングから何か聞こえない?着信音みたいな」

  「ほんとだ……多分、俺のスマホのだ」

  言われてみれば、ドアを隔てた向こうから聞き馴染みのある音楽が聞こえる。俺は絡み付けていた尻尾を振りほどいて立ち上がり、リビングへ向かう。

  扉を開いて部屋を見渡すと、リビングに鎮座するテーブルの上では、案の定さっき抛っておいた俺のスマホが小気味良い音楽を鳴らしながら震えていた。

  「……やべ」

  近寄って画面を見、青ざめる。心の件に気を取られてすっかり忘れていたある「約束」を、俺はたった今思い出した。

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