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僕が、死ぬ?
モノトーンまで色あせた思考はしばらくの時間を要してその流れをふたたび形成する。置き捨てられた五感の処理が追いつくにつれて、これまで見たことがない[[rb:陸斗 > りくと]]のこわばった面持ちと夕間際の斜陽が差し迫った神妙たる空間に[[rb:気圧 > けお]]されている己の所在に気がつく。水脈のありかをかすかにとらえる鼻先はとうに乾き、カナカナと鳴くひぐらしの行方を探る[[rb:耳介 > じかい]]はバツが悪そうにピコピコとはねるばかりだ。先ほど述べられた言葉の意味するところを幾度となく[[rb:反芻 > はんすう]]してみるけれどほとほと理解は及ばず、今一度その真意を問いただそうとしたとき向こうが先手を打ってきた。
「[[rb:一朔 > いっさ]]さんは、本当にその実ご自身が何者であるのかわからないのですか?」
自分が何者なのか。僕は[[rb:骨躙 > ほねにじり]]一朔、黒猫の男子中学生だ。それ以上でもそれ以下でもない。
だとすれば陸斗の目に僕はどんなふうに映っているのだろう? 唐突に浮かび上がってきたある文言がそんなわけないとわかっているのはずなのに思わず口をついて出る。
「もしかして霊感とか第六感とか持っているの?」
「…………」
その沈黙は半ば肯定の意向を表しているみたいだった。無言のまま陸斗はコクリとうなずく。
「な、なるほど。じゃあ[[rb:鍾乳洞 > しょうにゅうどう]]の[[rb:曰 > いわ]]くを気にしていたのもなにかを感じていたからなんだね」
「……半分は正解もとい半分は間違いです。僕が本当に危惧している可能性は、一朔さんに[[rb:憑 > つ]]いている“ばけもの”が暴走するかもしれない事態なのですよ」
ばけもの。その予想だにしなかったひらがな四文字に意表を突かれて意識はふたたびくすんだ灰の世界へと引きずり込まれる。外気の熱に焦がれセピア調に変色してゆく心象の風景をふり払わんとして陸斗に投げやりともとれる詰問をした。
「どうか視えているものを自分に教えてほしい。頼む、この通り!」
先ほど向こうが制止したのとはうってかわって、僕は痩せたなで肩を両手につかんで強く左右にふる。
「い、一朔さんすこし落ち着いてください……!!」
しばし陸斗は揺さぶられるままを貫いていたもののじきに辛抱ならなくなったのかいきなり両腕をこちらへと大きく突きだしてきた。それほど勢いはなかったけどみぞおちに深く刺さり、あたりどころが悪かった僕はウグッとなってその場にうずくまる。双方の呼吸が異なる理由で乱れるなか陸斗は一足先に息を整え、ある種の決意を感じさせるふうに空気を吸い込み、ポツリと漏らした。
「突き飛ばそうとしてごめんなさい……今から語る内容は他の皆さん、特に[[rb:三八 > さんぱち]]さんには秘密です」
三八? ヤツがなにか関係しているというのか?
「そんないぶかしむような目で見ないでください。僕だって、本当は話すのが恐ろしいのですから」
座り込んだまま見上げる陸斗の様子はひどくオドオドとしたものだった。西日を背景にしているせいなのか、引きつった顔立ちと止まりそうもない震えは[[rb:陽炎 > かげろう]]のごとくゆらゆらとしてその輪郭をぼやかしているふうにとらえられる。
「率直にいえば一朔さんには猫の妖怪が巣食っています。[[rb:憑依先 > ひょういさき]]は両手の爪でしょうか、相当な力を持っているみたいですけど強い封印がなされているのか自由に身動きできないようです」
「えっ」
「妖怪のなかでも、おそらく[[rb:猫又 > ねこまた]]に該当するかと思われます。しかしさすがといいますか七つ尾を持つだけあって僕に憑いている怨霊にいっさいひるむことなく真っ向から[[rb:牽制 > けんせい]]して——」
「ちょっと待ってちょっと待って。いきなり立板に水を流すみたいに[[rb:喋 > しゃべ]]られてもわかんないって!!」
僕の発したツッコミに対して不思議そうにポカンとしてみせる陸斗。ポカンとしたいのはこっちのほうだ。
妖怪? 猫又?? 陸斗に憑く怨霊??? なにからなにまで聞いたことのない概念に僕はひたすらうろたえる。もちろん猫又にも封印にも身に覚えがない、けど——。
「すみません。こんな具合に、僕はまくし立てるようにいわなければ途中で[[rb:怖気 > おじけ]]づいて口ごもってしまうのですよ……でも一朔さんは本当になにも知らなかったみたいですね」
「そ、そりゃ急に妖怪だの七つ尾だのいわれても」
陸斗はいったん目を伏せてみせて、ゆっくりとスローモーションみたいにふたたび語りはじめる。
「猫又がなぜ一朔さんにとり憑いているのか以上に謎なのは、本来であれば悪影響を及ぼすはずの妖怪がむしろ力を分け与え加護しているかのようにふるまっていることです。目的は不明ですけどなにかその爪に助けられた経験はありませんか?」
瞬間よみがえる数々の出来事。廃団地屋上からの転落、廃病院に潜んでいたロボットとの戦闘、雑居ビルと研究所、どれもこれも“かたい”爪に導かれて危機を脱した事件ばかりだ。つまり陸斗の話を信じるのならば猫又の力でいくつもの死線を乗り越えられたことになる。もしや爪がここまで黒いのはそのような怪異が依り代として宿っている[[rb:証 > あかし]]みたいなものなのだろうか?
「うん……たしかにたくさん助けられたと思う。まだ話せていないけど、いろんなピンチをこの爪でくぐり抜けてきた」
その事実をふまえたうえで、なおさら僕には引っかかるものがあった。
「なら自分の中にいて力を貸している猫又とやらが暴走する可能性があるというのはどうして? それに、怨霊が憑いているなんて初耳なんだけれど」
「あはは。僕の怨霊は一朔さんのそれと比べて優しいものじゃありませんよ、明らかに害を及ぼし人々の精神を削りにかかるおそろしい存在です。……今だって左肩の上で[[rb:呪詛 > じゅそ]]を吐いています」
思わず僕は陸斗の右側にある虚空を凝視してしまう。当然ただの感覚器官ではその実在を認める芸当などできず、日に影を落とす行き先を追ったところで“なにもない”が判明するのみだった。
「あえて[[rb:視 > み]]えるようにもできますけど今すべき行いではないでしょう。自身を[[rb:喰 > く]]らう異常を肉眼にとらえる苦痛は誰だろうと耐えがたいですから。さてと、一朔さんに助力している猫又とはいえ、やはり一筋縄ではいかない怪異のようです。一朔さんが三八さんに引かれて僕とはじめて出会った際の出来事は覚えられていますか?」
あのとき校門横にある奥の[[rb:茂 > しげ]]みに陸斗が一人うずくまっていて、ヤツが声をかけるなり三八ではなくこちらのほうを向いて変な声を出したかと思えば、そのままコテンと失神してしまった一連の流れが想起される。
「一朔さんもすこしは詳細をご存じだとうかがっていますけれど、僕はあの日、保健室の[[rb:西宮 > にしのみや]]先生に事情聴取の報告に向かうところだったのです。状況が状況なこともあり午後から面談を予約していたのですけど、校門をくぐろうとするなりこれまで感じた経験のない恐怖といいますか、威圧の念にひどくうろたえました」
「それが、封印された猫又の[[rb:気配 > けはい]]だというの?」
「ええおっしゃる通りです。取り乱した僕はとっさに茂みに隠れて、向こうに気がつかれないよう息を殺してやりすごそうと地面にしゃがみ込んでいました。でも三八さんが僕の存在を感知して、そこに一朔さんもやってこられて……あとはお二方が知るようにベッドの上で目が覚めたのですよ」
ここにきて穏やかならざる疑問が頭に浮かんできた。二つ三つを尋ねるためカラカラに渇きかけの喉を研究所の自販機にて買ったペットボトルのお茶で潤し、やおら切り返す準備をこしらえる。
「ちょっと気になる箇所があるんだけど、いくつか質問させてほしい」
「は、はい。そんな急に改められなくとも僕は答えられる範囲で答えます」
まずは第一に——。
「陸斗は同じ学年の別クラスに所属していると聞いた。ならお互い顔や名前を認知していなくても学年の誰かに怪異が宿っているかくらいはわかるはず。しかしその様子だとこちらを認識したのは先日の一件がはじめてだと考えられる」
「そ……それは」
次に第二として——。
「現在も猫又と怨霊なるものが[[rb:対峙 > たいじ]]していると聞いたけれどいっこうに恐怖のあまり失神する[[rb:兆 > きざ]]しを見せない。すなわちもっと恐ろしいなにかをあの日校門横の茂みで視たことになる」
「や、やめてください。それ以上質問されると僕……」
そして、最後に——。
「鍾乳洞に入ろうとした自分を“このままだと死ぬ”といってまで引き留めたのはおそらく、猫又の暴走だけが理由じゃない。陸斗。本当はなにが視えているんだ?」
「…………」
とたんに黙りこくって立ったままうつむくネズミ獣人の少年。しゃがんだ姿勢のままでは逆光も相まってその表情はまったくといっていいほどうかがい知れない。
「ふっ」
今一度先の文言を繰り返そうと僕が立ち上がったそのとき、ふと静まりかえった重苦しい空気を裂くかのごとく場に似つかわしくない一声が投げかけられた。
「実に見事な推理だよ、一朔さん……否“私”であれば一朔くんと呼ぶべきかね。皆一様に君を選ぶ気持ちも理解できるというものだ」
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