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ガガガガ キュインキュイン
病棟の全体が轟き震えているのに交じって、なにかの機械の稼働音らしきものが聞こえてくる。真下に這いよる音の主は、明らかに僕らがここにいることを感知しているようだった。その正体に一つだけ心当たりがある。三八のいっていた地下の話、情報主が逃げ帰ったという謎の作動音。
(まさか……そんなことがあるわけ)
前触れもなく部屋の真ん中の大理石が鈍い音を立て、ひび割れた。次の瞬間には大穴が開いて、そこから無機質な触手状のものが何本も飛び出してくる。ロボットアームだ。昔どこかのアニメで観たことのあるそれに近い、くすんだオレンジ色をしていた。僕を目がけて勢いよく落下してくる触手の先端についた三又の爪を、まさしく紙一重でかわし思わず毛皮が逆立つ。階下のその存在は床に突き刺さった数箇所のアームを支点に、この階へ登ってこようとしているようだ。床面が悲鳴をあげメリメリと隆起する。そのまま何かが突出するかと思えば突如ズギャンと床石をぶち破り、部屋中に粉塵を撒き散らかす。ホコリが目にしみて僕と三八がケホケホと咳こんでいるうちに煙が少しずつ薄れ、かくして“ソイツ”が全貌を現した。
天井に届くまでの巨大なロボット。そうとしか形容しようのない物体が、目の前に立っていた。
空けられた風穴のふちに鉤爪みたいな細い四本足を引っかけ、鉄錆色の装甲をした不釣り合いにばかデカい本体がそこに乗っかっている。エンジンの排出口に見える出っぱりが部分的に広がっているらしく、どうやらそこで機体のバランスを制御しているようだ。ひときわ太い触手の一本にはロボットカメラだと思われる大小二つの非対称なレンズが搭載されていて、それがあたりを見回すたびにキュイーンとなんとも耳障りな高周波を発していた。一体なんなんだろうこのロボットは。少なくともここ数年の間この廃病院の地下に眠っていたとは考えられないほど近未来的な見た目をしていることだけはわかる。まるで海外のSF映画に偵察用兵器として登場してくるデザインが、そのまんま現実に飛び出してきた感覚だ。それは三八も同じみたいで、自分が現在なにを目撃しているのかよくわからないという顔つきでしきりにまばたきを繰り返していた。
ガコン ズルズルズル
おもむろにロボットは床に放り出されたアームを格納する動作をし始める。それと同時にカメラのライトが点灯し、三八のほうを向いてジジジとなにやら解析するような素振りを見せた。ヤツはまぶしいのか見られまいとしてか、とっさに腕で顔を隠して抵抗しようとする。けれどロボットの前にそれは無意味な行動のようで、しばらく観察され続けていた。ふと、三八が手でなにかの合図を送っていることに気づく。口元を見れば声を出さずに『ニ・ゲ・ロ』と呟いているのがわかる。逃げていいのか、この状況で。目が合うとオレは大丈夫だからとばかりに苦笑いを浮かべていた。
(いや、ザッパを置いていけるほど自分は薄情じゃないっての……)
しかしカメラが僕のことを見ていないこの状況、千載一遇のチャンスといえばそうに違いない。できる限り心を無にして異常な空間を脱出することができたのなら、大人を呼ぶなり通報するなりして問題を解決することも不可能ではないと思える。この理解不能な[[rb:膠着 > こうちゃく]]を解きほぐすには今行動するしかないことはとうに明白だった。縮こまった気力をどうにか奮い立たせ、僕はガクガクいう膝を支えつつ立ち上がる。中央にはロボットが鎮座ましましているため、外周をたどって出口へと回り込む必要があった。壁伝いに忍足を一歩、また一歩と慎重に進める。気取られてはならないと息を殺し、とにかく部屋を抜け出すことだけを一心に考えた。早く、早く出ないと……。
ベキッ
その音に下を向き、僕はしくじったことを悟った。あまりの緊迫状態に意識をロボットへ向けていたことが災いしたのだろうか、不注意にも散らばった床石の破片の一つを踏んでしまったのだ。すぐさま嫌な想像が頭に浮かんで、背筋に冷たいものが走る。ロボットの挙動をうかがうべく正面に向き直したとき、もはや事態は手遅れだった。ロボットアームの一本が三つに分かれた爪を展開して、僕に襲いかかろうとしている。カメラはまだこちらを向いていない。おそらく、センサーか何かが反応したんだろう。二人の一挙一動なんてはなから筒抜けだったのかもしれない。万事休すかと覚悟したその刹那、アームの射出速度を上回るすさまじい勢いで一匹の人影が駆けつけた。
「イッサァー!!!!」
三八が空中から三角跳びをアームに喰らわす。僕が捕まるか捕まらないかの間一髪の瀬戸際で、アームは軌道を逸らして穴へと落ちていった。ヤツは僕の前に着地し、息を切らして振り返る。
「フー……なんとか間に合った。ケガはないか?」
「う、うん。また助けられちゃったよ。ザッパこそ、ロボットになにかされなかった?」
「オレは大丈夫だ。久しぶりに蹴りが上手くキマって気持ちがいいくらいさ」
カメラがついに僕らを捉え、複数の触手は口を開いて気味の悪い動きでジリジリと迫ってきた。
「憶測だけどこのデカブツの狙いはたぶんイッサだ。オレが相手している間に隙をついて逃げろ」
「えっ……けどそれじゃ、ザッパが」
「心配すんな。なんのこれしき、大したことでもねぇ。——オラァ、かかってきやがれ!!」
目に見えて虚勢だとわかるのに、三八は果敢にタックルしてアームに噛みつき取り押さえる。
「今のうちだ、早く!」
気迫のこもったその言葉で我に返り、急いで行動しようとするも僕は気づいてしまった。ヤツの背後から別の触手が近づいていることに。慌てて伝えたところでロボットは待ってくれやしない。
「ザッパ、後ろ!!」
「え、うおっ?! ——なんだコイツ、くそっ!!」
アームは三本の爪でガッチリと三八につかみかかった。ヤツは拘束を解こうとして必死にもがくものの、パワーが強いのか効果はないようだ。僕が助けに行こうとすると触手どもが立ち塞がって妨害する。また僕は見ていることしかできないのか。すんでのところで三八は助けてくれたのに、僕はなにもできないのか。ロボットは突然ヒョイッとヤツを持ち上げたかと思えば、アームを高速でぐるぐる回転させ部屋奥へと、まるで吐き捨てるみたいに放り投げた。
「グハッ……」
壁面がクレーター状に陥没して、三八は真正面から崩れ落ちる。
「ザッパ!!!!」
本当ならすぐにでも幼なじみの元にすっ飛んで助けたいという衝動に駆られていた。けれど再び窮地に立たされた僕にそれは叶うことはない。今度は決して逃しはしないと、ロボットはカメラを向け触手をたなびかせ、段々とにじり寄ってくる。どうしてこうなってしまったんだ。どの選択を誤ったんだ。放課後無理にでもヤツを引き留めるべきだったのか稲根川で怒りに任せて別れるべきだったのか。もし僕に絶交を切り出す勇気があったのなら、アホをこんな目に遭わせることなんてなかったんじゃないのか。なんだ、やっぱりだ。僕は三八と一緒にいちゃいけなかったんだ。後悔と自己嫌悪と現実逃避に意識が飲まれそうになる。もう消えてしまいたい。いっそ素直に殺されたほうが救えるだろう? ほらロボットが僕を引き裂きたくてうずうず手ぐすね引いている。全ては予定調和。ここで死ぬのだって悪くはない。痛いのには懲りたから早く終わらしてよ、命もなにも売り払ってやるからさ。
背中に壁が当たる。追い詰められてしまった。嗚呼、すごくつまらない人生だったな——。
《……サイ》
?!
今、なにか耳に入った気がした。これが幻聴なのか。とうとう僕は狂ってしまったのか。
《……シナサイ》
?!?!
二度目だ。近くから聞こえる。まさかここにきてロボットが喋り出したのか。否、違う。
《……ヲ使イナサイ》
ノイズに交じって単語がはっきりと聞き取れた。“使う”、だって? なにを言っているんだ???
キュイーン ザザザザ
ラジオの周波数を合わせようとするときの独特な、あの音がする……肩のほうから。
音の正体は、首にかけたままのヘッドフォンだった。無論イヤホンジャックはどこにも刺さっていない。不思議とこの現象に僕は戸惑うことなく、反射的にハウジングを両方の耳に押し当てた。チューニングはまだ終わっていない。憂鬱な寝坊した朝の雨みたいな感じがして、じっと止むのを目を閉じて待つ。
《爪ヲ、使イナサイ》
ヘッドフォンの向こう側から聞こえた第一声は、男とも女とも判別のつかない不明瞭な人工音声でそう喋った。爪。黒くて鋭い、トラウマとコンプレックスを煮詰めたような僕の爪。それを使えと声は命じる。ハッとさせられる気持ちだった。いつから僕は、爪を隠して生きてきたのだろう。
《爪ハ[[rb:汝 > なれ]]ノ武器、汝ノ怒リ、汝ノ持ツ野生。ソレヲ用イテ、愛スル者ヲ守リナサイ》
手の平から爪が飛び出し、その姿をあらわにする。部屋に差し込む暮れかけの夕日を乱反射させ相変わらずギラギラと照っていた。まだ間に合う。この散光が絶える前に、敵対するものを一人で葬るんだ。……だけど。
ヘッドフォンの声に従おうとする心に逆行するものが、しこりとなって行手を阻む。封じられた記憶の残響が増幅して、これ以上ないほどの警鐘を叩き鳴らしていた。お前は必ず後悔することになるぞと暗に示しているつもりらしい。だからどうした。二匹揃って無為に死ぬよりはるかにマシじゃないか。わかりきっていることに今更なにをのたまう? 割れた鉢なぞ捨ておけ捨ておけ。
直感の語る一方の結論を棄却し、もう一方の、自信にも似た予感に耳をすませる。僕は勝てる、僕は成し遂げられる、僕はこのふざけたゲームを終わらせられる。壊せ。ロボットを鮮烈な[[rb:血紅 > くれない]]に染め上げろ。撃鉄を起こし、鉤爪を解き放て! 気がつけば身体中に熱いものが満ち満ちていた。
《我ハ汝ノ奥底ニ眠ル者。イズレ相マミエヨウ。武運ヲ、祈ル。——サラバ》
ブツ ザー ザー……
その一言を最後に音声は途切れた。ヘッドフォンを耳から外し、ゆっくりと眼を見開く。戦況は依然変わりなし。ただ己の咎を許せただけだ。もう戻れないとわかって、本能のまま走り出した。
おびただしいアームが縦横無尽に伸びて、僕を捕えようと格子の弾幕を張り巡らす。避ける理由も必要も最早存在しなかった。容赦なく爪を立てて触手のほとんどを木端微塵に切り裂く。切れ味は上々。ロボットには今しがた自分の身になにが起こったのか理解できていないらしい。そのバカ面を刻んでやろうとカメラのアームにも拳を一発浴びせる。バチバチいったかと思えば機能を停止した。残ったのは本体だ。ようやく自分になす術がないことを認識できたようで足元がおろそかになっている。これがチャンスだとばかりにカメラを踏み台にして跳びかかった。最後の悪あがきかなけなしの触手が僕につかみかかろうとするも、宙で身をひるがえせばそれらもまとめて快刀乱麻のごとく断ち切れる。とどめだ。渾身の力を込め、右腕をロボットへと振りかざした。
「オッラァアアアアアアー!!!」
ガッギュイーン!
爪から火花が散り、装甲がべコンと大きく凹む。プシューと空気が抜ける音がして、ロボットは力なく倒れ動かなくなった。やった、と勝利の余韻に浸るまでもなく僕は自由落下を始める。中央に穴があったことを忘れていたのだ。慌ててへりに爪を引っかけ難を逃れる。……あれ? ほんの一瞬、爪が伸びた気がした。まあいい、命が助かったことには変わりない。ふと下を覗くと建物が見事にくり抜かれているのがわかる。ほの暗くて底が見えないもののロボットが地下から上がってきたことはどうやら確からしかった。床が割れないよう細心の注意を払いつつ、どうにかよじ登り戦闘が終わった場所へと足をつける。ロボットは完全に沈黙していた。安心したのと同時にヤツのことを思い出す。そうだ。三八はどこだ、無事だろうか。ロボットをまたぎ、部屋の奥で未だ気絶しているオオカミの元へ駆けて向かう。見たところ外傷はなさそうだ。
「ザッパ、ザッパ!」
生きていることを確認しようと、呼びかけて揺り起こす。ヤツは薄目を開けて声を漏らした。
「ん、んぅ……イタタ」
「ザッパ、しっかりしてよ!! ケガはない?」
「そんな強く揺さぶらなくても目は覚めたさ。ああ、身体中がイテぇがギリギリなんともねぇや」
「う、うぅ……よかった。ホントに、よかった……」
今まで溜めこんでいた不安と恐怖がドッと涙としてあふれ出てくる。唐突に顔をぐしゃぐしゃにして泣き始めた僕に三八は若干引いていたけれど、先の戦いを労うかのように頭を撫でてくれた。
「だから、オレは大丈夫だっていっただろ。……ところであのデカブツはどうなったんだ?」
「ぐすん。ヘッドフォンから声が聞こえて、言われた通り爪を使ったら意外と呆気なかったよ」
「なんか色々とツッコミどころが多い気がすんけど……結果生きてりゃ万々歳さ。流石イッサだ」
シュー
異変に気づいたのは、ヤツがさすってくれる気持ち良さにゴロゴロ喉を鳴らしている時だった。ロボットから空気の抜ける音が止まっていない。そして、あたりがやけにきな臭い。ひょっとしてガスが漏れているのか? 嫌な予感がする。僕は自分のカバンと三八のリュックを、今度こそ取りに急ぐ。ヤツは差し迫った危険に気づいていない様子でポカンしていた。マズい、逃げなくては。
「ザッパ、もう動ける?」
「あ、おう……。足は動くけどそんなに急いでどうしたんだ?」
「ロボットが爆発するかもしれない。階段を降りても間に合わないから、ここから飛び降りよう」
「え? ちょ、ちょっと落ち着けって?!」
あからさまに動揺する三八の手を握って窓へと走る。時間はわずか、今はこれしか方法がない。
「なぁ、おい。冗談だよな? ——ってウソだろ!?!?」
「いっけぇええええええ!!!」
ロボットが爆ぜたその瞬間、僕らはスパイ映画さながらガラスを突き破って身を投げ出した。
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