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一階と二階を結ぶ階段の踊り場に、ソイツはたたずんでいた。
手には懐中電灯を持っていないように見える。この薄暗がりの中、驚かせようとするためだけに一人待っていたとでもいうのか。けど、ヤツは制服姿をしていた。稲根川駅で落ち合ったときから三八はあの私服を着ていたはずだ。わざわざ着替えたのか、なんのために?
現状に混乱して固まっている僕を、無表情のまま階下のソイツは見上げている。この奇妙極まる状況をどうにか理解しようと、すでに止まりかけの脳が回転してある一つの主張をひねり出した。この三八の正体はヤツの姿を模した幽霊であるという仮説である。きっとこの廃病院でのさばっていた[[rb:汚 > けが]]れた魂が、気まぐれに僕をおどかそうと同級生の風体をコピーして一階に現れたというのが概要だ。けれど擬態の精度が悪いのか情報が少なかったのか私服姿をマネすることができず、仕方なく制服を着た状態で化かそうとしたのだろう。おそらく幽霊だからライトを点けずとも暗闇には慣れていて、懐中電灯を手元に用意する必要がなかったに違いない。だがしかし僕の目がそこまで節穴でなかったのが運の尽きだ。長い間ともに行動している幼なじみの特徴を、一番よくわかっている相手に下手くそなマネなど通用しない。お前の正体は、まるっとお見通しだ!
「……ひぃいっ?!?!」
自分から結論を出しておいて文字通り腰砕けになるというのはなんとも情けのないことではあるのだけど、今の僕にはそれもやむを得ない衝動だった。なぜなら当方、生まれてこの方お化けの類を見たことがない。それがとうとう見てしまった、大変なものを見てしまった。しかも幼なじみにそっくりな幽霊を。崩れるようにその場でへたり込み、懐中電灯を手から放してしまう。全身が、いわゆる金縛りにあったように動かない。指先一本とて力がうまく入らない上に、腰が抜けたのか身じろぎすらままならなかった。身体をなんとかしようと悪戦苦闘している[[rb:最中 > さなか]]にも制服姿の三八の幽霊はカツンカツンと階段を上がって近づいて来ようとしている。ヤバい、僕は殺されるのか。発汗機能がバカになったみたいに体が冷や汗をかいているのがわかる。どこにいるのかわからない本物の三八へ助けを呼ぼうにも喉は震えることがなく、こひゅーこひゅーと空気の通る音を漏らすばかりだった。誰か、誰か助けて……。
いつの間に僕は泣いていた。唯一自由の利く瞳で正面を向くと、三八の幽霊が着ているズボンがはっきりと目に映った。ああ、頭から喰われるのか。それか取り憑かれて本当の三八もろともこの廃病院で死に絶えるのか。なんにせよ、短い生涯だったな。まだ見えぬ走馬灯を待ちながら人生の[[rb:仕舞際 > しまいぎわ]]に省みるようなことに思いを巡らせていると、おもむろにポフッと手を頭の上に置かれた。
「驚かせちゃってゴメン。久しぶりだな、イッサ」
手の平から伝わってくるのは、まぎれもない血の通った生き物のぬくもり。耳元に響くものは、まごうことなき幼なじみの優しい声。それがわかった刹那、安心から僕は声を上げて泣き出した。
「おいおい、そんな泣くなって。泣きたいのはこっちのほうなんだからさ」
「だって……ひどいよ!! いたずらにしてもあんまりが過ぎるよ!!」
「そうか、イタズラか。ホントにそうだったらよかったんだけどな」
三八はそのまま屈み、僕をあやすように頭を撫でて労わるように腰をさすってくる。いつもならボディータッチに心底うんざりしていたのに、このときはなぜだか愛おしくてたまらなかった。
「どうだ、落ち着いたか?」
「うん。もう大丈夫」
僕らは二階の階段口で手すりに寄りかかり、二人並んで立っている。腰に力が入らなかったのも三八のおかげでどうにか元に戻った。どうしてかわからないのだけど、ほんの少し違和感というか僕が小さくなったような感じがする。いや、三八のほうが大きくなったのだろうか。隣のソイツは声質が和らぎどこか垢抜けている気もした。正面をライトで照らしていると、ふと問いただしたいことが山ほどあることを思い出す。
「あのさ、色々と聞きたことがあるんだけどちょっといい?」
「いや。ちょっとそれは難しいな」
いきなりけんもほろろにつき返され、えぇっとなるがここは尻込みせず疑問をどんどんぶつけていこうとした。
「なんで一階にいたの?」
「教えられない」
「どうして懐中電灯も持たず暗闇で待機していたの?」
「答えられない」
ことごとく取りつく島もない返事をされ、ややむっとする。
「制服に着替えたのには、なにか理由が?」
「逆にイッサはどう考えている?」
「それは、その……」
突然質問を質問で返されて、ギクッとしてしまう。三八の意図しようとしていることがまったくといっていいほど飲み込めないけれど、とりあえず想像力を働かせてそれらしい返答を出す。
「水が溜まっていたところに足を取られてずぶ濡れになったから着替えの制服を使った、とか?」
我ながら安直すぎる返しにもっといい回答があるだろとツッコミを入れつつ反応をうかがう。
「なるほど、イッサはそう考えたか。ならそれでいい」
あたかもヌカに釘を打つような返しをされて頭に血が上っていく僕を気にすることなく、三八は身をかがめてリュックからある物を取り出した。ヤツは今更ライトの予備を用意するのだろうか。
「え……、なにそれ」
三八の手にした物はヘッドフォンだった。いや、ヘッドフォンにしては不思議な形状だ。まるで動物の[[rb:頚骨 > けいこつ]]を模したヘッドバンドには、見たことのない材質が用いられていた。イヤパッドが存在していない金属製の大きな本体に片側だけメーカーを表しているであろうマーク、というより紋様が刻まれている。動脈と静脈みたいな二重螺旋構造のケーブルが樹脂で固められていて、先端には金メッキの施されたごく一般的なイヤホンジャックが取りつけられていた。一体どこでこんな代物を手に入れたのだろうか。音響機器にしては素人目にもかなり特殊で、とても高価そうに見える。
「これ、さっき拾ったからイッサにやるよ」
「拾った、……ってこの廃病院で?」
「ああそうとも。きっと気に入ると思ってさ」
ここまできてようやく三八の言動がおかしいことに気付いた。幽霊でないとわかって涙を流してまで心を許したものの、先ほど覚えた違和感といいコイツは何かがおかしいと確信する。
「ザッパ。お前、なにか隠し事してない?」
そういうとヤツはギクリと不意をつかれた様子で、露骨に僕から目を逸らしてごまかす素振りを見せる。ほらやっぱりだ、ウソを貫き通すにはまだまだ甘ちゃんだっての。
「わかられてしまったようじゃしょうがないな……でも、これだけは言わせてくれ」
唐突に三八は改まって姿勢を正し、表情は真剣そのものに語りかけてきた。
「オレはいつだって少なからず嘘を[[rb:吐 > つ]]いてしまっている。けどそれは、いつだってイッサを傷つけたくないが故に言葉を選んでいるからなんだ。どうか、わかって欲しい」
いつかあったみたいにやたら勿体ぶってなにを話すのかと思いきや、開き直りにしか聞こえないことを口にされて拍子抜けしてしまう。なんだ。結局のところは、単にからかいたいだけなのか。若干の軽蔑を[[rb:抱 > いだ]]きつつこちらも言い返そうとしたところで、ヤツは先ほどのヘッドフォンを強引に押しつけてきた。抵抗する間もないまま僕にそれが手渡されて、三八はこう続ける。
「そのヘッドフォンはオレからの最後のプレゼントだ。形見だと思って、大切にしてくれ」
「形見ってそんなまた大袈裟な……一体さっきからどうしたっていうの?」
「それは、……いずれわかるさ。とにかく大事にしてくれると嬉しい」
突然の畳みかけに整理が追いつかず混乱していると、ヤツは再び一階へ下ろうと背を向けて歩き出した。無意識について行こうとするとまたしても手を後ろに回して制止させられる。三八は前を向いたまま、消えいるような声でつぶやいた。
「オレはこれから地下に向かう。絶対にイッサは近づくな。そして、できる限りここから離れろ」
「え……、一緒に探検するんじゃないの」
「探検はもう終わりだ。いいから逃げて、生き延びるんだ」
当初計画していたなにかもを否定しここから一人で脱出しろと一方的に促されて、僕の頭の中はハテナマークがいっぱいで破裂しそうになっていた。もはや何を聞き出すべきかすらわからない。ただ、目の前で地下へ行こうとする三八には別の目的があるように思えた。踊り場に差しかかったとき、ヤツは再び立ち止まってこちらを振り向く仕草をみせる。なぜだかそれを見たらもう二度と会えない気がして、ビクッと身体が反応した。
「本当の本当に最後なんだけどさ。オレ、ずっとイッサのことが大好きだった。……じゃあな」
そういって三八は僕の懐中電灯の明かりから離れ、姿を暗闇に消していった。去り際に見せたのは、大好きな表情。ニヤニヤしたいつもの顔ではなく、屈託のない笑顔だ。どうして黙っていたのに知っていたんだろう。一人ぼっちになった僕は、見た目より妙に軽いヘッドフォンを握り締め、今しがた起こったことがなんだったのかわからないままずっと立ち尽くしていた。
「はー、やっとみっけた。どこ行ったかと思えばこんなところでなにしてんだよ。イッサ」
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