異聞・善なる羽化(前編)

  新緑の季節に入り楠葉の大学も連休に入った。

  それに合わせる様に楠葉は一人とある山奥にある別荘で日々を送ろうとしていた。

  もともと見た目も悪くなく人好きの良い気質である彼女の事、友人達から連休を機に旅行などに誘われてはいたのだが楠葉は後ろ髪を引かれながらもそれをあえて断った。

  とりあえず当たり障りのない理由をつけてはいたがその実情はまったく異なっている。

  言うまでも無いが楠葉の身に宿った力―それが最大にして唯一の理由だからだ。

  そしてその力に関係して楠葉は色々な事を始める様になっていた。

  「はっ、はっ、はっ、はっ……」

  別荘に着いて二日目、まだ夜の明けきらぬ中を楠葉は一人走る。

  水色ベースに黄色いラインの入ったランニングウェアに身を包み足取りも軽く走り続けている楠葉が走っているのはジョギングコースではなく時に狭く、時に粗い坂道を通るトレッキングコース。

  そう、本来なら山登りをする為の道を走っているのだ。

  あれから楠葉は自分に宿った力を確かめる様に体を動かす様になった。

  さすがにあの夜以降変身した姿でとはいかないがそれでも人知れずマラソン級の距離を走り、用具こそ使わないがアスリートばりの激しいトレーニングをこなす。

  それでもやはり物足りないものを感じていた彼女にとってこの山の中を走り抜く事は体だけでなく感覚を鍛える意味でも有意義なものであった。

  急な坂道を駆け上がったり岩場の多い道をわざと岩に飛び移る様にテンポ良く走る。

  変身していないからこそ逆にこの走り込みは心地よく感じられるのだろうか。楠葉の顔は真剣な中にも少し楽しんでいる様でもあった。

  (もう三周位したら戻って朝ご飯にしようかな。さすがにおなかが空いてきちゃいそうだし)

  ふとそんな事も考えたりする。

  ご飯と言えば変身できる様になって以降楠葉のエンゲル係数―早い話食費が増え始めていた。

  変身しない時でも以前の倍、変身した時は三倍は食べるようになっていたのだ。

  幸い両親からの仕送りは潤沢で楠葉自身のやりくりの良さもありなんとか破綻は免れているものの食費以外への割り当てをより慎重にこなす必要を感じるうちに色々な店の特売情報に目を通し大学掲示板のアルバイト情報に目を通す事も考える様になっていた。

  人外の姿と力を得た事でかえってより地に足の付いた生活と向き合う事にもなったのはある意味皮肉だろうか。

  そんな思いを振り切る様に楠葉は山道を走る。木々を駆け抜け、岩を飛び抜け、爽やかな風の様に走り抜ける。

  そうするうちに楠葉はいつの間にか正規のトレッキングコースを離れさながら獣道とも言える様な脇道に入り込む。

  ますます人の通りづらくなった道もものともせず楠葉は走る。

  そしてその先に見えた光景―それは滝だった。

  木々に覆われた空間の中で大きな滝が流れ落ち麓に流れていく。

  自然の生んだ不思議な光景がそこにあった。

  その風景に楠葉はしばし足を止め感じ入る。

  未明の空気が、滝の音が、風のざわめきが楠葉の目、耳、そして肌に伝わってくる。

  それらに包まれる内に楠葉は自分でも気がつかないうちにランニングウェアを脱ぎ捨て全裸になっていた。

  変身を体験して以降より形良く整えられた肢体は細くもしなやかな力強さを感じさせる一方その素肌は何度か硬い昆虫の外骨格に変化した事を感じさせないほど柔らかく見える。

  「きもちいい……」

  そしてその感覚をより強く伝わる様になった知覚は楠葉に心地よい陶酔感をもたらす。

  裸のまま静かにたたずみ両腕を広げて大きく息をするうちに楠葉は静かにその場に腰を下ろし足を組む。

  そのまま膝に手を添え瞳を閉じるとより大きく息をしながらゆっくりと体を反らす。

  「ふぅ……すぅ……ふぅ……すぅ……」

  肩を大きく上下させながら静かに呼吸を行い意識を整えていく。

  その度楠葉の胸も大きく前後に揺れるがそれを気にする事無く楠葉は静かに呼吸を続ける。

  これもまた楠葉が始めた事の一つ。

  変身前後の落ち着かない感情や突然起こりかねない変身への衝動を少しでも鎮めるようとするうちに楠葉は独学で座禅やヨガの呼吸法をまねる様になった。

  初心者レベルの簡単なものではあるがそれによって以前無意識に現れかけていた宝玉を鎮めた時の感覚を少しづつ感じ取りながら楠葉は変身を制御しようと努めた。

  その過程において呼吸をするうちについ気持ちが高まってしまい気がついたら変身していた事もあったしこうして―。

  裸のままで呼吸をする事にも浸ってしまう事も少なくはない。

  文字通り自然の姿のままで自然と一つになるのを感じながら楠葉は呼吸をする。

  自分が無になり大きな流れの中に混じりそうな感覚。

  それでいて確かな自分がその感覚を実感している感覚。

  その二つの流れが体中で螺旋を描きながら混じり合うのを感じながら楠葉は静かに立ち上がる。

  いつの間にかそのヘソには紅い宝玉がせり出していた。

  それを両手でそっと包む様に添えると楠葉は静かにつぶやいた。

  「―変身―」

  [newpage]

  その言葉とともに紅い宝玉は楠葉の体中に力を注ぎ込む。

  変わる事無い強く激しい力。

  楠葉の体を柔らかく美しい人間の体から別の形に作り変える力。

  「あ……」

  その力を軽くあえぎながらも楠葉は静かに受け止める。

  受け止めそこから包み込み自分の体・心・神経・全てと重ね合う。

  全身の神経に行き渡った力が楠葉を作り変えていく。

  内側から、外側から。

  柔らかい素肌は緑に染まりながらみるみる密度を強め硬くなり禍々しい形に変化していく。

  形の良い胸の膨らみも、柔らかいその腹部も硬い弾力をまとった胸甲や腹筋へと変わる。

  筋肉の繊維の一本一本が収縮を繰り返しながら異様な変化を遂げていく。

  両手足の爪が鋭く伸びながら指と一つになる。

  軽い陶酔感に浸っていた楠葉の瞳が紅く染まり昆虫の複眼となって見開かれ、吐息を漏らしていた可愛らしい口元も禍々しくせり出しながらバッタを思わせる顎の形となって再び顔に納まる。

  耳と髪が埋もれながら消えるのと入れ替わりに額から一対の触覚が伸びてなびく。

  幾度となく体験している人からバッタ女への変身。その全てが流れる様に進んでいく。

  ”アア……はぁ……ふぅ……“

  色々な修練の成果なのだろうか。変化が終わるまで1分もかからない中でも楠葉は体が変化していく苦痛と快感・それらをもたらす内側からの熱さに満ち足りていた。

  その余韻をあえて冷ます様に柔らかい素肌から硬い外骨格になった「裸身」を上下させながら呼吸をする。

  熱く火照った自分自身を冷まし、そして打ち鍛える様に楠葉は腹部に、両手脚に軽く力を込める。

  姿は変わったが森の空気を浴びる事、それと自分を一つにしていく呼吸の感覚に変わりは無い。

  ”やぁっ!”

  全身に力がこもるのを感じながら楠葉はそのまま軽く飛び上がる。

  と言っても滝口の高さに届いてしまう程の高さを軽くたたき出してしまうほどの勢いなのだが。

  そしてそこからスタッと着地したあと近くにあった少し大きめの石を手に取り力を込める。

  石はしばらく力を込める内にヒビを走らせそのまま砕けてしまう。

  ちなみにこれと同じ事をトレーニング用に購入した小型ダンベルで行った時はいとも簡単に握りつぶしてしまうほどだった。

  初変身時に空き巣の車をスクラップにしてしまった事も考えると改めて今の楠葉は超人的な身体能力を宿している事がわかる。

  ”やっぱりすごい。わたし―やっぱりすごい力を持っちゃったんだ……でもこの力、どうやって……“

  ひとまず休みの間少しでもその答えを見いだせる様頑張ろう。

  そんな事を思いかけた楠葉の耳―にあたる気管が異様な音と気配を察知する。

  “ー何?誰かいるの!?”

  思わず辺りを見回す。そもそも人が来る事の全くない場所。しかも山に住む動物ともまた異なる動きをしている様な存在が音を立てて近づいている。

  脱いでいた服を手にしてこの場から離れようとする事もできず楠葉は身をかがめ辺りをうかがう。

  その時、楠葉から見て滝川の向こう岸の森から何かが飛び込んできた!

  [newpage]

  ”!!”

  その音を感知した事もあり楠葉はとっさに身をかわし間一髪その襲撃を受けずにすんだ。

  しかし襲撃以上に楠葉を驚かせたのは襲撃者の姿である。

  それは巨大なクモ―の形をした怪物だった。

  確かに見た目はクモのようにも見える。しかしその形はどこか人間の体格もしている様だ。

  まさにクモ怪人。そう呼べる存在が目の前にいる。

  ”まさか―わたしと同じ……“

  楠葉がそう思ったのも無理はない。目の前にいる存在が自分と同じ様に力と姿を与えられた人間である可能性は簡単に思いつく話だからだ。

  しかし、それは違った。

  ヘソのあたりに自分にある宝玉は存在していないしその動きは人と言うより本能のまま動く怪物。

  何よりクモ怪人からは自分と同じ―人を感じないのだ。

  そしてクモ怪人は間違いなく自分を襲おうとしている。その本能を満たす為に。

  医者を目指す身である事、そしてむやみに他者を傷つける事を好まない性質ゆえ楠葉は戦いをためらいかけるが理屈よりも本能に促される様に目の前の存在を倒す・退ける存在である事を悟った。

  ”やるしか―ないっ!“

  あいにく楠葉は武道の心得はなくせいぜい簡単な護身術を見よう見まねで行う位でしかない。

  それでも楠葉はあえて身構えクモ怪人と対峙する。

  不意にクモ怪人が楠葉めがけて飛びかかってくる。

  楠葉は身をかがめてその三対の両腕をかわすとそこから思い切り頭突きをぶつける。

  バッタ女の身体能力がその足に宿す脚力も重なり緑の弾丸となった楠葉の体はそのままクモ怪人を直撃し、クモ怪人はもだえながら宙を舞いそのまま地面に叩き付けられる。

  楠葉はそのまま着地するがクモ怪人もまだ応えきっていないのか緩やかに起き上がる。

  今度はこちらから行かないと―そう思った矢先、楠葉の背後から異形の腕が襲い掛かりその肩を、腕を掴む。

  ”きゃっ!”

  とっさにその強靱な脚力をもって相手の足を踏みつけた事で腕がゆるんだ隙に辛くもそこから離れる楠葉。

  しかし、その相手もまたクモ怪人だった。

  苦痛にうめきながらも前後両方に立つクモ怪人にはさまれる形となった楠葉。

  ”二体もいるなんて―どうする?どうやって?”

  そう考えた隙を突く様に楠葉の死角から突如として何かが飛び出し楠葉の体に巻き付く。

  ”あっ……“

  狙った様に楠葉の胸に巻き付いたそれの感覚につい楠葉は声を上げてしまう。

  自らを鎮める行為をうながす程の敏感な感覚が楠葉に一瞬心地よさをもたらしてしまったのだ。

  楠葉にそれをもたらしたのは帯―いや糸の束だった。

  それに合わせる様に楠葉の前後に立つクモ怪人達も糸の束を吹き出す。

  “あっ、やんっ、あぁっ!“

  腕と足に糸の束を巻き付けられただけでなくさらに首や腰―下腹部ギリギリにまで束を巻き付けられてしまう。

  そう、クモ怪人は7体存在していたのだ。

  最初に楠葉の胸を捕らえたクモ怪人を始め隠れていたクモ怪人達がうようよと現れながら糸の束を引き寄せていく。

  それに引き込まれる様に楠葉は身動きが取れなくなっていった。

  ”うっ……あっ……くっ……やっ……“

  締め付けられ引き込まれる苦痛と敏感な刺激から来る快感の両方に声を上げてしまう楠葉。

  それはあまりにも残酷で甘い危機であった。

  早くこの糸から逃げないと、でも振り払えない。

  それ以前に力が入らない。気持ちいい、でも―苦しい!

  色々な感情が巡り来る中楠葉は必死でもがくがどうもがいても楠葉は糸の束の中であがく事しかできない。

  そしてクモ怪人達はじりじりと楠葉に迫る。そして―そのうち楠葉の背後をとった一体がその首筋にかみつく。

  そして楠葉の体はみるみる色を失っていく。

  楠葉は自分の力が、自分の命が吸い取られていく様に感じた―。

  [newpage]

  ”―いやっ!!“

  その命が吸い出されようとした時楠葉はその口から、その魂から叫んだ。

  命の根幹からの叫び、生きようとする意志の叫びを。

  それに応じる様に楠葉のヘソに輝く紅い宝玉に光りが灯りそこを起点にその体の色が緑から黒に変わっていく。

  そう、楠葉の体が色を失ったのは命を吸い取られたからではない。その逆だったのだ!

  ”あ……来る……力が……みなぎってくる……!“

  体が黒く染まる中楠葉は今まで変身した時以上の強い力と熱さが満ちてくるのを感じながらそれを静かに受け止めていく。

  そしてその力と交わり黒く染まった楠葉の外骨格がより硬く頑丈なものに変化する。

  両腕と両脚のトゲはさらに鋭さを増し文字通りのこぎりの刃の様に変化する。

  体の中に満ちる筋肉もさらに伸縮しながら変わっていきその体を締め付けていた糸の束を押し返そうとする圧力に満たされる。

  同時に体をむしばんでいた禁忌の快感も体の中から消えてゆきただ内から満ちる熱い活力がもたらす感覚がそこにあった。

  ”やぁぁぁーっ!“

  バッタの顎の様な口をいっぱいに開き放たれた叫びと共に楠葉は全身を覆っていた糸の束を掴むと一気に引きちぎる。

  楠葉にかみついていたクモ怪人はその勢いから繰り出された両肘と後頭部に体を砕かれもだえながら倒れるとそのまま燃え尽きるように消滅する。

  その光景を見た他のクモ怪人はそれにかまう事無く楠葉を包囲するがそれを恐れる事無く楠葉は構えを取る。

  クモ怪人四体とバッタ女が一人の構図、どちらも異形の姿を人の形に押し込んだ様な姿をした存在同士である。

  しかしバッタ女は姿こそ夜の様に黒い外骨格を持つ異形の姿をしているがその瞳はヘソに輝く宝玉、そして楠葉の心を示すかの様に強く確かな深紅の輝きに満ちている。

  それはさながら未だ登らぬ朝日の様であった。

  最初に動いたのはやはりクモ怪人達だった。

  二体が同時に楠葉めがけて飛びかかるのを寸前でかわし、そこから襲い掛かる別の二体に思いきり突っ込む。

  かなりがむしゃらな行動だがそれでも楠葉は二体のクモ怪人と互角にぶつかり合うとそこから相手の動きを崩して二体同時に投げ転がす。

  そこに別の一体が襲い掛かるが楠葉はその両腕をとっさに掴むと他の腕が襲い掛かる隙を与える間もなくひねり倒す。

  背後からさらに襲い掛かる一体にとっさに肘鉄を叩き込む。

  その肘自体はクモ怪人をかすめるに終わったがその先にあった楠葉の腕に生える刃の様なトゲがクモ怪人の体を切り裂く。

  急所を切り裂かれたらしくクモ怪人はもがき苦しみながら燃え尽きる。

  ”くっ!?”

  五体のクモ怪人達が同時に楠葉を絡め取るべく糸の束を吐く。

  再び楠葉の体は糸の帯に巻き付かれるがやはりその体に禁忌の快感は走らない。

  ”同じ目には―合わない!“

  全身に力を込め振り絞りながら楠葉はクモ怪人達が糸の帯を引き自分を引き倒そうとするのを必死にこらえる。

  “やあっ!“

  引き絞った体を解き放ち楠葉は両腕の力とトゲの鋭さだけで帯を引きちぎる。

  その一瞬を付く様に新たな糸の帯が楠葉の首に巻き付く。

  ”うっ……くっ……“

  外骨格越しに首を締め付けられる苦しみに楠葉は軽いうめき声を上げる間もなくクモ怪人のタックルを受けてしまう。

  “くっ……うっ……”

  苦しみながらも楠葉はタックルをかけたクモ怪人の頭を掴むとそのまま地面に叩き付ける。

  その勢いを込めて起き上がるととっさに自分の首に巻き付いていた糸の帯を掴み、そのまま自分の方に引っ張る!

  ”えぇーいっ!“

  とっさの事に対応できずそのまま宙を舞い楠葉の方に引っ張られるクモ怪人。

  その体に楠葉はとっさにその足を踏みしめ、全霊を込めた拳を突き出す。

  鈍い音とともにその拳を体にめり込ませたクモ怪人はそのまま崩れる様に倒れ燃え尽きる。

  ”だぁぁぁぁーっ!“

  さらにそこからクモ怪人の群れに突っ込む楠葉。

  とっさにあたりに飛び跳ねて回避するが逃げ遅れた一体が楠葉の足に自身の足を踏みつけられ、そのまま楠葉の拳を胸に食らいそのまま燃え尽きる。

  回避したうちの一体が背後から襲い掛かるが即座に楠葉に腕を取られひねり上げられるとそのまま楠葉の体に押し込まれる様に胸から地面に叩き付けられた。

  さらにその倒れ込む勢いのまま楠葉の膝に突き刺されそのクモ怪人も燃え尽きる。

  “はぁ……はぁ……はぁ……”

  残るクモ怪人は二体。

  がむしゃらに戦い続けた事もあってかさすがに楠葉の声にも疲労の色が混じりだしている。

  そんな楠葉を挟み撃ちにするように向き合うクモ怪人。

  そして前後同時に糸を吐き出す。

  ”―!“

  半ば無意識に楠葉は倒れ込むとちょうど前転の要領で地面を転がると前方にいるクモ怪人につかみかかるとそのまま後方のクモ怪人めがけて投げつける。

  しかし、後方のクモ怪人が投げつけたクモ怪人と折り重なって倒れるのと入れ替わりに再度吹き出した糸の帯が楠葉の腰に絡みつく。

  “きゃっ!”

  楠葉が何か行動を起こすよりに先に回復したクモ怪人達に糸の帯を強引に引っ張られ今度は楠葉が宙に舞った。

  踏みとどまろうとした足の勢いがかえって仇となり楠葉はより高く宙に舞う。

  このままの勢いでは今度こそ楠葉はクモ怪人達の餌食になりかねない。

  しかも待ちきれなかったのか投げ飛ばされていたクモ怪人が再び楠葉めがけて飛びかかろうとしていた!

  楠葉は宙に舞いながらもなんとか姿勢を取り戻す。

  それはバッタ女の肉体がもたらした身体能力と生存本能のなせる技か、それとも楠葉の必死の行動が起こしたものか。

  楠葉の体は辛くもバランスを取り戻すと引き込まれる勢いのままその両脚を突き出す!

  “やぁぁぁぁぁぁぁーっ!“

  顎を全開にして楠葉は吠えた。

  その雄叫びと共に両脚は飛びかかったクモ怪人に突き刺さり、そして糸を引っ張っていたクモ怪人もろとも地面に叩き付ける。

  二体のクモ怪人はそのまま同時に燃え尽きた。

  ”はぁ……はぁ……やった……“

  その感覚器官の全てがクモ怪人を全滅させた事、そしてさらなる脅威の気配を伝えなかった事にようやく楠葉は安堵の声を漏らす。

  わけもわからず現れた異形の怪人相手にがむしゃらに戦いそれを退けた事、そしてその切っ掛けとなった自分のさらなる変化。

  そのより硬く、そして力強さに満ちた姿に驚きと興奮を感じずにはいられなかった。

  あの怪人達は一体なんなのか、そして自分のこの姿とみなぎる力は一体……。

  しかし、今ここでそれを考える事はさすがに楠葉にとってプラスではなかった。

  “―帰ろう―”

  そうつぶやくと楠葉は静かに顔を上げ、そっと宝玉に手を添える。

  それに合わせるように宝玉に光が灯り、エネルギーが楠葉の全身を駆け巡り始める。

  [newpage]

  “うぅ……はぁ……”

  楠葉の中に熱い変化のエネルギーが満ちる。

  バッタ女に変わる時の熱く荒々しい力とはまた異なる衝撃と心地よさを感じさせる変化の波に思わず楠葉は声を上げる。

  体が熱く、波紋が広がるように力が響き広がっていく中で楠葉の体は軽く上下・前後に揺れる。

  その中で楠葉は少しずつそのエネルギーをヘソ―宝玉に鎮めていく光景を心に浮かべる。

  体中に満ちるエネルギー。自分をこの姿に変えたエネルギー。

  その熱く荒ぶる力と一つになりながらもそれを静かに押さえ鎮めていく。

  ”はぁ……うぅ……はぁ……ふぅ……”

  感じている声を少しずつ呼吸の声に置き換えるように楠葉は大きく呼吸をする。

  その中で自分の形を少しずつ縮め、細め、落ち着かせていく。

  少しずつ自分と一つになっている力を鎮め、収めていく。

  そしてそれにふさわしい姿に自分が作り変わる姿を意識していく。

  そうするうちに楠葉の体は少しずつ形を変えていく。

  黒かった外骨格は再び緑に染まっていきその緑も黄緑・薄緑に変わりながら消えていく。

  それに流れるように外殻の密度もゆるんでいきみるみる柔らかい素肌へと変わっていく。

  その素肌に覆われた筋肉も力が静かに抜けていく中で細く柔らかいものに変わる。

  ”ふぅぅ……はぁぁぁぁ……うぅぅぅ……あぁぁぁ……”

  かぎ爪のように指から生えていた爪は少しずつ縮み細くなった指先に軽く添える形に変わる。

  もちろん両腕と両脚に生えていたトゲはとうの昔に外骨格もろともその素肌の中に消えていた。

  それと入れ替わりに柔らかさをえた両胸の膨らみが呼吸の度に優しく、柔らかく震える。

  ”あぁぁ……ふぅぅぅ……あぁぁぁ……ふぅぅぅぅ……”

  体が柔らかくなって行く中でまた違う形で敏感になった感覚に浸りながら楠葉は静かに呼吸と意識を保ち続ける。

  禍々しい位に動いていた口顎は静かに口の中に埋もれ形の良い唇と鼻筋がそれを閉ざす。

  伸びていた触覚が額の中に埋もれていくのと入れ替わりに形作られていた一対の耳がショートボブの髪に隠される。

  「ふぅ……はぁ……ふぅ……はぁ……」

  ようやく呼吸が落ち着いた所で開かれた瞳はまぎれもなく人間の瞳だった。

  「はぁ……はぁぁーぁ……」

  全身の熱さが鎮まると共に宝玉が光を失いながらヘソの中に消え、体の変化が完全に治まったのを感じた所で楠葉は大きく伸びをする。

  まごう事なき人の体。語るまでもない若い女性の肢体。

  「ふぅ……」

  ようやく昇った朝日に照らされた裸身を大きくそらしながら楠葉は吐息を漏らした。

  これもまた楠葉の成果だった。

  始めて変身した翌日、うっかり現れた宝玉と変身の衝動を必死で押さえたあの時の行動を楠葉はなんとか制御できるようになっていた。

  それまでは一度変身したら眠りにつくとかしない限り元の姿には戻れなかったが今ではこうして自分の意志で人の姿とバッタ女の姿に変化できるようになっている。

  もっとも変身する際の激しい熱さと変化の衝撃だけはなんともならないと言う事を楠葉はお気に入りのものを含め幾つかの持ち衣装を犠牲にして学んでいた。

  食費は多くなるが衣装代はそれ以上にやりくりしないといけないと言うのはやはりつらいものがあるらしい。

  一応こうして変身する時は裸になってすればいいのだがまあ―その辺りも色々あるのだろう。

  そんな悩みをひとまずよそにおき、楠葉はしばし朝日の暖かさと涼やかな空気に浸りつつその素肌にそっと手を添えようとした……。

  「―おなか―すいた―」

  不意に空腹感を感じてしまった楠葉は脱いでいたランニングウェア一式の無事を確認するとそれらを身に着ける。

  そこから大急ぎで獣道を抜けトレッキングコースに戻るとそのまま一気に別荘へと駆け出していった。

  それは楠葉がかの力を得た事で歩む事になった日々の始まりでもあった……。

  第二部前編・了