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最終話

  8/29

  教室の暑さは結局8月末になっても変わらなくて、壁に取り付けられた古い扇風機が最後のあがきみたいにガチガチと音を立てながら健気に首を振って風を送るけど、それほど役にはたっていない。

  チンケな風じゃぁ涼しいわけもないからいつも背中は汗でじっとりとしていて、カッターシャツの袖や裾を男子も女子も過剰に捲りあげている。

  意中の相手の、授業中は見えない無防備な脇や腹部を少しだけ目で追って、目に焼き付けたら即逸らすのが俺たちにとっての夏の風物詩。

  昼食を終えた俺たちはいつものように水の入ったエリモの金ダライに足を突っ込んでいた。

  ちゃぷちゃぷと小さく音を立てるぬるい水の中でもふもふしていたりごつごつしていたり妙な弾力のある足がぶつかり合って奇妙な感覚がする中で、いつも通り遊びに興じている。

  「1.2.3.4と…はい、オレ新居完成~。祝い金5万ずつ出しなお前ら。」

  「また集金イベかよサリバン~、ネズミみてえにポンポン子供も作るしよぉ」

  「まさしくそのネズミだバカ。お前らと市の補助金で家族養うんだオレぁよ。」

  「ルーク君~、ぼく借金手形っていうの10枚目だよぉ~」

  「俺もだよ。あいつの家竜巻で飛ばされりゃいいのにな。」

  「おれ、独身のままゴールしちゃいそう…」

  ルーレットと札束飛び交う仁義なきゲームで一喜一憂しながら過ごす時間はあっという間で、結局誰一人ゴールすることなく昼休み終了のチャイム。

  「ほいじゃ、暫定オレの勝ちってことで。」

  「はいはい。」

  「んじゃエリモ、花壇掃除行ってくるから。」

  「エリモ隊員、保健室から女子の替えジャージ取ってくるのは任せた!」

  「だ~めだよぉ~ふふふ。」

  エリモは俺たちとは別で、このクソ暑さの中外で草むしりなんてさせられないから体調チェックも兼ねて冷房の効いた保健室で清掃をすることになっている。

  陸を歩くことにも大分慣れたエリモは校内くらいなら1人で歩けるようになっていて、以前よりもしっかりとした足取りでタライをゴロゴロ転がしながら保健室へと向かう。

  俺達はと言えば過激な発言によって女子から送られる軽蔑の視線を見ないフリして雲ひとつないクソ快晴の外へ赴いた。

  ________

  

  干からびる寸前の花壇の花にミストシャワーを浴びせると宙には淡い虹のプリズムが浮かびあがり、地面からは蒸発した水分が土の匂いを乗せてむっと上がってくる。

  生徒の体型は大小様々だから役割分担するのが基本で、サイの男子ドラムが雑草を踏みつけ根をつぶし、抜きやすくなったものをパグのグッスが掘り起こして、最後に俺とネズミのサリバンが回収する。

  エリモが陸に来るまではドラム、グッス、サリバン、それに今海洋都市に交換留学に行っているエルメスの5人でよくつるんでいた。

  「くそ暑いなぁ。ドラム、草積むから倉庫から一輪車取ってきて。」

  「あいよ。」

  

  「そういやさルーク、明日の湧水祭りエリモ誘ったんだろ?どうだった?」

  花壇のへりに座り込み、足をプラプラさせながらサリバンが俺に聞いてくる。

  「んー…実はさ…」

  _______

  8/28 放課後、図書室にて

  

  湧水祭りというのは太古からある陸上都市ではポピュラーな祭りで、年に1度、夏の終わりに各街で開かれる。

  様々な種族の獣人が暮らすこの世界で共通していることは、誰しも水が必要であるということ。

  文明ができるより前のはるか昔、大陸では色々な種族の者たちが水場を独占しようと草食も肉食もない熾烈な縄張り争いをしていたそうだ。

  しかし血で染まってしまった河を見た太陽は激しく怒り、それから一年中沈むことなく陸を照らし続け池、湖、川、陸の全ての水を枯らしてしまった。

  水を失くした獣達はばたばたと死んでいき、自分たちの愚かさを知る。

  そして種族を問わず全ての者が太陽に最も近い山の頂上へ集まり、皆が涙を流して太陽に許しを乞うと、山頂から水が湧き出して尾根を伝い川を作り、幾重にも分かれて再び陸を水で満たしたそうだ。

  以来、陸に住む者たちは水は皆で分け合うものだと結束し、水場で争うものはいなくなり、世界に平和が訪れた。

  そして、文明はみんなが集まる水場で発展してきたことからも、平和と繁栄を願う祭りとして毎年欠かさず行われている。

  

  「ってわけよ。まぁ、日の出と日の入りの時間になったら太陽になんか祈って、それ以外は川沿いに出した屋台の飯食ったり、遊んだり踊ったりする楽しい日ってかんじ。」

  「へぇ~、すごくいい話だねぇ~。」

  エリモがぷにぷにした肉球の手で拍手する。

  手元にはシャーペンが転がっていて内容はよく分からんけど全く進行していないであろうレポートの用紙があった。

  「子どもの頃からみんな聞かされる昔話なんだけど、祭りの日には毎年これを難しい言葉で長ったらしく話すもんだから正直あれだけどな。」

  

  「でも、お祭りっていいよねぇ。ね、屋台のご飯ってどんなのあるのぉ。」

  「氷にシロップかけたやつとか、肉の串焼きとか、あとは果物に飴をかけたお菓子とかたくさんだな。エリモなら全部食えると思うけど。」

  

  「美味しそうだねぇ。…いいなぁ、あったかいのが食べれるんでしょお。」

  いつもなら食い物にもっと執着を示すのに、今日のエリモはどこか他人事のように話している。

  おかしいな…

  「…エリモ、その、夜には花火なんかも上がるから湧水祭りにはクラスの皆で行こうぜってなってるんだけど…」

  なんだかもじもじとしだすエリモ。

  傍目に見てもその表情は明るくない。

  「…もしかしてだめだったか?」

  「…実はぁ、ぼくも行きたかったんだけどねぇ…人通りが多くて、冷房もない暑い外をずっと歩くのはやっぱり難しいって言われちゃったんだぁ…」

  「え…あ…そうか…」

  エリモはうつむいて言いづらそうに、人差し指同士を付けてくるくると回しながら告げる。

  「それにねぇ、街の庁舎の方でえらい人達と記念式典とかパーティもあるからってぇ、イグルーさんが…」

  話してる途中、エリモは1度も顔を上げなかった。

  

  別れの時はもう近い。

  

  たった2ヶ月ではあったけど、この2ヶ月で積み上げたエリモとの関係とか、抱いた思いは自分にとって決して軽いものじゃない。

  

  だからこそ、しっかり自分の中で締めくくりたかった。

  …でもエリモは別に何も悪くない。

  祭りは野外だからエリモが長時間猛暑に晒されるのはリスクのあることだし、そもそもエリモは遊びに来ているわけじゃない。

  あくまで、俺のためじゃなくて陸と海の交流のために来ているんだから。

  「なんだよ~それじゃあ、しょうがないよな!」

  「…ルークくん?」

  「仕事なんだろ?それに、外はやっぱりまだ暑いし庁舎のパーティの方が屋台より美味いもの食べられるって。あと、でけえ建物だしさ、高いところから花火も見れるし多分最高だぞ?ところで海の方では花火って___」

  

  エリモの言葉を待たずに言葉を紡ぐ。

  何か話し続けていないと本音が漏れ出してしまいそうな気がしたから。

  どうにかならないかって言いたかった。

  お前と祭りを回りたいと言いたかった。

  俺もなんとか知恵を出すから、お前も少しだけ我慢して、一緒にいたいんだと言いたかった。

  でもそれはガキのワガママで、エリモの体を鑑みない俺の独りよがりでしかない。

  エリモのことを考えるんなら、多分これが一番正しいんだ。

  じくじくと胸にわだかまりが溜まっていく心を大人の理論で無理やり埋める。

  

  「…でもぉ、ルーク君やみんなと屋台のご飯、食べたかったなぁ…」

  エリモはうつむいたまま。

  声のトーンがいつもより暗くて、重い。

  「そう言うなよ、エリモ。」

  頼むからそういうことを言うなよ。

  「イグルーさんに頼んで、庁舎に屋台の飯買って行ってやるからさ。それくらいなら大丈夫だろ?」

  せっかく気持ちを飲み込めそうなのに、揺らいでしまうだろ?

  

  ______

  ____

  __

  

  「まぁ、そういうことだから…エリモは一緒に回るのは無理だってさ。」

  

  「そうなんか〜…」

  ドラムと草を積み込みながら昨日のエリモとの会話を語る。

  今やエリモはクラスの全員と打ち解けているから、当然俺が誘って一緒にくるもんだと思ってるだろうし驚くと思う。

  「エリモなら水まんじゅう早食い大会でトップ取れたろうになぁ」

  「クソデカ盛り焼きそばの屋台も瞬殺できたろうに…」

  「てか…そういう大人より俺らとか、ルークの方が長く一緒にいたのにな。」

  サリバンが両手で雑草の茎を弄びながら不満を漏らした。その草の扱いは少しだけ荒くて憤りが現れている。

  「ルーク的にはどうなんだよ。」

  グッスがシャワーの水で指の爪に入った泥を取りながら俺に問う。

  「どうって…何が。」

  「どうしてもエリモ連れてくるのは無理なんか?例えばそこの猫車にタライ積んで日傘差してさ…」

  「あんなすげえ人通りの中だと崩れた時が大惨事になるし、危ないし、何よりエリモだって普段は水を何回も入れ替えてるだろ?水が温むとダメなんだよ。」

  「長時間が無理ってわけか…」

  「屋台の近くの川で泳がせるとか?」

  「神聖な川を称える祭りなのに泳がせたらそれこそ都市間問題じゃね?」

  

  「エリモ泳ぎ下手っぴだしな。」

  「仕事もあるしなぁ…じゃあ、無理かぁ」

  

  全員口々に案を出すけどやっぱり全ての課題をクリアすることは難しい。

  「…とりあえず大使館のイグルーさんに頼んでみるよ。花火だけでもエリモと一緒に見れればって。」

  「そうだな、屋台飯持ってってやろうぜ。」

  「むしろ俺ら的にはそっちのが豪華だって。」

  本当は大人の目につかないところでバカみたいに話したり笑ったりしたかったけど、これくらいならイグルーさんも都合をつけてくれるだろう。

  妥協案が出たところで掃除終了のチャイムが鳴り響く。

  「ほいじゃ俺、草捨ててくるから。」

  「頼んだドラム。」

  「5限目は?世界史かよ。」

  「うぇ~」

  俺も教室に向かうべく歩き出そうとすると、水を浴びて湿った土が頼りなくぐじゅり、と音を立てて滑り、足を取られてしまう。

  靴に付いたぬめぬめとした土を壁に乱暴に擦り付けて、花壇を後にした。

  ______

  

  「えー、ね。1900年初頭、世界で初めて動力飛行機による有獣人飛行に成功したアメリカンショートヘアのライトツナ兄弟はエンジン開発に多大なる試行回数を重ねた結果、マグロ缶のオイルこそが動力に最適という発見をして、副産物にツナ缶に糸を垂らしてオイルを染み込ませ火をつけるとロウソクの代わりにできるというライフハックも合わせて…」

  「センセイ、チャイム鳴ってますけど。」

  「ん、おお。こりゃ失敬それじゃ続きは明日にしてHRを始めるとしよう。エリモ君、少し前へ。」

  「はぁぃ~」

  リクガメの担任に呼ばれ、教壇の前に立つエリモ。

  ふにゃふにゃした返事と面持ちは変わらないけど、心無しか、あった時と比べて背筋がしゃんとしたようにも見える。

  「えー、ね。みんなももう分かってると思うが、2ヶ月間交換留学で来ていたエリモ君が明後日をもって海洋都市に帰ることになった。明日は湧水祭りだが庁舎の方に出席するのと厳重な体制で帰りの船に乗るため今日が実質最後になるだろう。」

  「陸は暑いところだなぁって最初思ってたんだけどお~、ルーク君とかみんな優しくってぇ、ご飯も美味しいし、たぁくさん美味しいもの食べられたのでぜったいまた来るよぉ~」

  

  「えー、早すぎー。」「エルメスの代わりにこっちいろよー。」「祭り来れねえのかよ!」「私まだエリモ君に触ってない!」「あいつ帰ってこなくていいよー。」

  クラスの連中が口々にブーイングと感謝を告げる。

  海洋都市の方に交換留学に行ったエルメスも今頃こうなっているのだろうか。

  「はい、静かに。そういうことだから、全員スマホを出しなさい。こそこそせんでよろしい。今日は大目に見るので写真を今のうちに撮影しようじゃないか。机をどかして全員で並ぶぞ。」

  全員でドカドカと準備してエリモを中心にクラス写真を撮影する。

  俺はエリモより背が高いので、少し離れたとこに並ぶ。

  本当のところ、ここでも隣にいたかったのはあるけどこれもまたしょうがない。

  

  …そう、しょうがないんだよ。

  

  エリモが帰るのも、隣で写れないのも、出発を見送れないのも、祭りに行けないのも、ソースで口を汚して一緒に飯を食えないのも、花火を見れないのも

  しょうがない、しょうがない、しょうがない。

  

  「ありがとう~、ふふふ。」

  みんなから甘いチョコを渡されたり、ハグをされたり、毛を撫でられているエリモ。

  

  …何となくその場にいたくなくて、少しだけいたくなくて、こっそりと教室の外に出た。

  宛もなく廊下をフラフラと歩いていたところ、保健室の前に来ていた。

  

  体を熱気に晒すのも嫌になっていたから適当な理由つけて涼んでいようと思い中に入ると、いつぞやお世話になったクマの養護教諭が静かに本を読んでいる。

  「…あー、ルーク君だったかしら?どうかした?」

  「いやまぁ…身長でも測ろうかなって。」

  「…その割には元気なさそうねぇ。まぁ、少し座ってごらんなさい。お茶でも淹れてあげるから。」

  _______

  座る場所は指定されなかったのでなんとなくベッドに腰かける。

  エリモと初めて手を繋いだベッド。

  「2ヶ月って早いものねぇ。最初あなたが慌てに慌ててエリモ君を連れて来た時はもーびっくりしたんだから。」

  「その説はお世話になりました…」

  

  「私も海の向こうの子を見るのは初めてだから研修とかも受けて何かあった時の準備はしてたけど、留学1日目の午前中にエリモ君をお姫様みたいに抱っこして駆け込んでくるんだもの。」

  そんなこともあったな。

  というか、俺とエリモはなんだかあそこから始まった気がする。

  ベッドのシーツを撫でると、薄く俺の手の形に皺が付く。

  エリモと会った時のことを思い出しながら、深く呼吸をしていると保健室の冷たい空気と消毒液の香りで、胸の中のザワザワした気分が落ち着いてきた。

  「…それで、エリモ君と特に仲が良かったあなたが今日ここに来たっていうのは、何かあってのことでしょう?良ければ話してみて。」

  「実は…」

  「…確かに、どうにもならないことっていうのはあるわよね。エリモ君の身体のこともそうだし、社会人として大事なことでもあるわ。」

  「…やっぱそうですよね。」

  別れの時がやってくるのは決まってたことだ。

  「でもねぇ、ルーク君。まだ時間はあるでしょう?しょうがないからこそ、今この時を彼との時間に使うべきだと思うわよ。」

  養護教諭が俺のこわばった肩をゆっくりとさする。

  話しているうちにいつの間にか拳を握りしめていて、体ががちがちに固まっていたみたいだ。

  手のひらに爪が食い込んで跡がついている。

  うつむいていた顔を上げると、クマの大きく黒く優しい瞳が俺を見つめている。

  「たしかにあなたが素直に気持ちを伝えた時、別れはもっと辛くなるかもしれない。でも、心を殺して何も伝えられなかった時と、伝えた時。エリモ君が喜ぶのはどっちだと思う?」

  

  「俺の気持ち…」

  

  蝉の声がけたたましい昼。

  茹だるような暑い教室の中で話半分に授業を受けながら隣を見ると、教科書に載った食い物の資料を一心不乱に見るエリモ。

  ただでさえ机をくっつけているだけで距離が近いのにぐいぐい肩を寄せてきて暑苦しい。

  お仕置してやろうとタライに足をつっこみ、くるぶしを指の腹で撫でてやると身震いしてくすぐったがる顔。

  はしゃぐもんだから2人して先生から注意を受けて、それでもまた体を寄せてくるエリモ。

  あったかい時間。

  「…ね?行ってきたら?若いうちは素直が1番よ。」

  「はい。…そうしてみます。」

  ______

  戻った時には17時を回っていて、少し傾いた太陽の光が教室内に差し込んでいた。

  エリモはちょうど最後のクラスメイトと握手を交わして手紙を貰っていたところで、俺の顔を見るとふにゃりと笑う。

  「あ~、どこ行ってたのぉ、待ってたんだよぉルーク君。」

  「ちょっと野暮用。帰ろうぜ、エリモ。」

  「うん~。」

  

  明日の祭りに備えるためにみんな早く帰ったのか、誰もいない廊下を2人きりでエリモと歩く。

  タライを転がすガラガラとした音が大きく響き、それに混じるように外から聞こえる音楽が小さく聞こえる。

  「笛の音がきこえるねぇ~。」

  「明日が本番だから、踊りや聖歌の演奏練習してるんだよ。かなりでかい音で鳴らすから多分パーティ会場からでも聞こえるんじゃねぇかな。」

  「音楽かぁ、聞こえるかなぁ~。きけるといいなぁ。」

  やっぱり、エリモはどこか他人事だ。

  階段近くに差し掛かると、踊り場の窓が開け放たれているのか、吹き込む熱風が頬を撫でて毛が揺れる。

  ありがとう。

  楽しかった。

  もっと一緒にいたかった。

  いつ、この気持ちを伝えようか?

  エリモは、どこを見るでもなくただ前だけを向いている。

  会話が止まって、互いに無言でゆっくりと階段を降りていく。

  こんな時でもまだ不安は消えないから時折エリモの足元を見て、うっかり転ばないよう注意を払う。

  たった2ヶ月だけど、いつの間にか染み付いてしまった習慣だ。

  「…イグルーさんにさっき連絡してさ、明日の夜、庁舎に顔出せることになったから。屋台の飯、たっぷり持ってってやるよ。」

  「うん、ありがとうねぇ。…ねぇ、ルーク君。」

  「どした。」

  「手をね、手、つないでもいいかなぁ。」

  「…いいよ。」

  斜陽で照らされた階段の踊り場で立ち止まり、何を言うわけでもなく手を繋ぐ。

  いつもならふわふわと暖かくてやわらかいエリモの手が、今日は少しだけこわばっている。

  繋ぐ、というより離さないような握り方。

  エリモが歩くのも立つのもやめて座り込んだので、一緒に踊り場の影へ座り込む。

  エリモの顔をみると、影のかかった目はどこを見てる風でもない。

  手を握りしめながら少しだけ無言の時が流れたあと、エリモがぽつぽつと口を開いた。

  「…ほんとうはねぇ、はじめてこっちに来るとき、怖かったんだぁ、ぼく。」

  「そうなの?」

  「むかしね、お父さんと、お母さんとはぐれちゃった日にねぇ、周りに誰もいなくて、ずっとひとりで海に浮いてたんだぁ。お空が、あんまり青くなくてぇ…大きい波の音だけ聞こえるの。」

  家族とはぐれたエリモの記憶だろうか。

  語る目が遠い方向を向いていて、どこか寂しい。

  「海のひとたちに拾われた時にもねぇ、たまに夢に出たの。こわくて、隣で寝てる子の手を繋ぐとね、ねむれるの。」

  「うん…うん。」

  

  

  「だからねぇ、…こっちに1人で来る時もねぇ、また見ちゃったらどうしようって、またずっとひとりだったらどうしようって…」

  

  エリモが膝を抱えてうずくまる。

  少し小さい体が、さらに小さく縮こまって、絞り出すように言葉を紡ぐ。

  「でもね、ルークくんが会った日に、手、つないでくれたでしょう?ごはんもみんなで食べて、いっしょに勉強して、お買いものにもいって…そしたら、こっちでも、ぜんぜん怖い夢なんかみなくてぇ…。」

  手の温度がかあっと上がって、熱く震えて、しゃくり上げる。

  エリモは、泣いていた。

  「ほん、と…は…もっと…いた、くて…ひぐっ、おまつりも…みんな、で…」

  俺からもいつの間にかぽろぽろと涙がこぼれだしていて、自然とエリモの体を抱きしめていた。

  

  「ぐすっ…ひぐっ…うぅ…ずっ…」

  手は繋いだまま、壊してしまいそうなほど強く抱きしめると、エリモも俺の胸にすがりついてくる。

  しばらく、2人でそうしていた。

  気持ちを伝えるなら今だったけど、俺は何も言わず、抱きしめていた。

  

  しばらく抱き合っているとエリモも泣き止んで、それでも胸から離れないから頭を撫でてやると恥ずかしかったのか、顔を上げる。

  「えへへ、ごめんねぇ、ないちゃった。」

  「ホントだよ。鼻水がシャツについてる。」

  「もっと拭いていーい?」

  「だめ。どうせ明日も泣くだろ、とっとけよ。」

  「ルークくんだってないてたもん~」

  少しだけ立ち直ったのか、しゃっくり混じりではあるけどエリモはいつもの喋り方を取り戻した。

  「ほら、大使館の方に帰ろうぜ、もう迎えの車待ってるだろ。」

  「うん~、お腹へっちゃったぁ。」

  「明日もあるんだから程々にしとけよな。」

  「…うん。ねぇ、ルークくん。」

  「どした。」

  「花火、たのしみだね。」

  「…そうだな。」

  「ぜったいぜったい、きてねぇ。」

  「絶対来るって。」

  外はいつの間にか日が落ちかけていて、空が真紅に染っている。

  駐車場までエリモを送り届けて帰路の途中、河川敷では祭りの準備が粛々と進められていて高い櫓や即席の噴水で会場が形作られていく。

  その向こう側に見える川は空の色が反射して赤く染まっていた。

  でかい作業音の隙間を縫って、心地よい水の流れる音が耳を通る。

  ざあ、ざあ。

  思い出されるちゃぷちゃぷという音。

  水の音。

  細かいことを考えるより先に、手が動いた。

  

  急遽作ったドラム、グッス、サリバンのグループチャットにメッセージ。

  

  ルーク

  『あのさ、お前ら反省文とか停学って大丈夫?』

  

  俺は街のショップを1度挟んでからダッシュで学校に戻り、職員室の扉を開ける。

  普通の生徒たちが前夜祭とか言って遊びに行く中、1人入ってきた俺に担任のリクガメは怪訝な表情を向ける。

  「どうした、ルーク?こんな時間に。」

  

  「それがその、プール室に水着忘れて、取りに帰るまで親が祭りには行かせないって言うから、その、すぐ返すんで南京錠の鍵貸して欲しくてぇ…」

  俺はしっぽも耳もたらし、いかにも同情を誘うような声を上げてみせた。

  

  ______

  8/30

  AM10:00

  セレモニーを終え、祭りの開催を告げる花火の爆発音が鳴る。

  今日この街の河川敷は上流から下流まで屋台、ステージ、祭壇なんかで埋め尽くされ人でごったがえす。

  湧水祭りは街の住人総出で楽しむものだから忙しいのは警察くらいのもので、どんな施設もシャッターを下ろし、飽食と踊りに酔い、陸上都市の安寧と繁栄を心の底から楽しんでいた。

  「盗ってきたぞ~」

  「はい反省文~」

  「どころか多分停学~」

  「後に引けなくなったところで、始めますか!」

  そんな中、ドラムの家にあるデカいガレージで4人集まり、ドリルや縄を持ち出し俺たちは一向に引かない夏の暑さも気にせず計画を始動した。

  ______

  16時 庁舎 9階、イベント用大ホール

  カメラの光って、すごくまぶしい。

  水の音じゃないのに、ばしゃばしゃ鳴るんだぁ。

  「祝電。現在この街における高校に交換留学の生徒がいることから、この度海洋都市現最高監督責任者、シロナガスクジラのゲイオウ都市長より祝電頂いております。」

  『この度、本日の陸上都市湧水祭り開催を祝し、心よりお喜び申し上げます。役員及び、陸上都市皆様の平和へのご尽力に敬意を表しますと共に、湧水祭りのご成功と陸上都市に生きとし生ける皆様方の益々の繁栄を祈念いたします。』

  長は、むこうのテレビだとあんまり喋らなくてニコニコしてるだけだと思ったら、陸の人たちにはおしゃべりなんだなぁ~

  今ぼくは、すずしくてきれいな壁の大きい部屋でじぶんの出番をまっていて、あんまりおもしろくないえらい人の話を静かに聞いてる。

  

  いつもつかってるタライよりもきれいな器に足をつけているけれど、あんまりちゃぷちゃぷするとイグルーさんに怒られるからがまん。

  ぼくがやることは、このあと前に立たされて台本に書かれたことを話しておわり。

  式がおわったらえらい人たちと夜までごはんを食べて、花火があるからその時窓がぜんぶガラスの部屋で花火をみる。

  

  そのとき、ルークくんたちが来てくれるから、それまでがまん。

  

  屋台のごはん、たくさん買ってきてくれるって言うから、食べすぎるのもがまん。

  でも、がまんしなくてもえらい人たちが食べるごはんは少ないし、おかわりもできないし、それに昨日からあんまりお腹がすいてないんだぁ。

  「エリモさん、エリモさん。」

  イグルーさんがちいさい声でぼくを呼んだ。

  イグルーさんは、水もないのにしっかり立っててすごいなぁ。

  「エリモさん、そろそろ出番です、台本ちゃんとありますか。」

  「うん~。もうすこしで読むのねぇ」

  ステージでは、えらい人がかわりばんこで話をしている。

  キジだったり、ライオンだったり、バクだったりするのに、えらい人の顔はどうしてみんなおんなじに見えるんだろう?

  

  「それではこの度、海洋都市からはるばるお越しいただき2ヶ月間、我々の学び舎で交換留学をしましたラッコのエリモさんに陸上都市で過ごした2ヶ月を踏まえてスピーチをして頂きたいと思います。エリモさん、どうぞ前へ。」

  おおきな拍手がびりびりと体にひびく中を、ゆっくり歩く。

  階段をのぼって、マイクの前にたつとしらない人たちがみんなぼくを見ていて、すこしこわい。

  息をすう。

  みんな、ルークくん、ぼくがんばるからね。

  「この度、私は次世代を担う若者としての意識を固めんと学びの視野を広げるために海洋都市から陸上都市への交換留学という素晴らしい機会に恵まれ、7月からこの街の学び舎で」

  

  ほんとうは、最初はくるのはいやだった。

  陸のごはんはおいしそうだったけど、海のごはんだっておいしい。

  なにより、海にはともだちがいて、みんなで食べたりあそんだり。

  

  1人はさびしいから、行くときはこわかった。

  

  「留学当初、慣れない生活に戸惑う私をクラスメイトの方々はあたたかく迎え入れてくださいました。文化の違いに戸惑う私を丁寧に支えて下さり、私からの文化の発信で互いに新たな知見を」

  はじめての学校の日、ぼくが怪我したときにあとでサリバンくんからきいたけど、

  ルークくん、ものすごくあわててたみたいで、ぼくをお姫さまみたいにだっこしたって。

  あわてんぼルークくん。ふふ。

  「また、海洋都市とはまた違う陸上都市における歴史を授業では学ぶことができました。特に陸上と海洋におけるこれまでの交流や我々の歴史の裏で陸上都市がどのように動いていたかを知るのは私の中の価値観をより一層広げるものであり」

  

  リクガメの先生の歴史のおはなし、ぼくもねむかったなぁ。

  ルークくんも、授業つまんねーってぼくをくすぐってきて、バレてチョーク当てられて。

  ぼくは投げられなかったから、あとでもっとルークくんがくすぐってきたなぁ。

  先生のチョーク、よけられた子いなかったなぁ。

  「今回の交換留学で私は多大なる素晴らしい学びを得られました。私はこれを必ず持ち帰り、」

  みんなと机でできるゲームをしたり、ふざけたことをしたり、ちょっとエッチなことをはなしたり。

  「海洋都市へ住む住民たちにも広め、海洋都市と陸上都市の皆様とより良い関係を築いていくための礎として」

  クラスのみんなは、“ラッコ”のエリモじゃなくて、ぼくはぼくだって、“エリモ”ってよんでくれたなぁ。

  「邁進していきたいと思います。この度は、貴重な機会を用意して頂き、誠にありがとうございました。」

  はじけるような手をたたく音。

  階段をおりて、じぶんの席にもどる。

  えらい人は、もうぼくのことじゃなくてつぎの話に進んでいて、みんなぼくのことは見てないとおもう。

  「エリモさん。」

  「イグルーさん~」

  「本当に、立派でした。…よく頑張りましたね。少し、疲れたでしょう?涼しい部屋で休みましょうか。」

  「うん。すこし、つかれちゃった。」

  

  イグルーさんがつれてきてくれた控え室は、海洋都市にすむ人のためにつくられていて、水もあるからすこし落ち着く。

  プラスチックの入れもので足をちゃぷちゃぷするけど、しんとした部屋だとなんだかさびしい。

  ホールの方から拍手がおこって、すぐとまる。ずっとずっと、くりかえし。

  音がなって、きえて、よせて、ひいて…

  

  おとなの人たちは向こうで、ぼくはまた、ひとり。

  ______

  ____

  __

  どおん、どおんと海が上に下にうごいていて、ぼくはひとりで海にうかぶ木にしがみついてはなれられない。

  「おとうさん、おかあさん。」

  どおん、どおんという海の音がぼくの声よりおおきくて、おとうさんの声もおかあさんの声もきこえない。

  「おとうさん、おかあさん、どこぉ。」

  『エリモ、ラッコはね、泳ぐのが上手じゃないから、波に流されても仲間とはぐれてしまわないようにしっかりと手を繋ぐんだよ。』

  空も海もくらくて、こわくて、さけんでもだれもいなくて。

  どおん、と海がゆれる。

  体が水にしずんで、つかんでた木が手からはなれて、のみこまれていく。

  おとうさん。

  おかあさん。

  みんな。

  ルークくん…。

  「エリモさん、エリモさん。起きてください。」

  イグルーさんが、ぼくの肩をゆすってる。

  「イグルーさん?」

  「はい、イグルーです。そろそろ花火の時間になります。最上階ラウンジの方へ移動しましょう。」

  時計をみたら、いつのまにか19:30になってる。

  ねちゃってたみたい。

  体をおこすと、シャツが汗でびしょびしょだった。

  「うなされてたようですが…大丈夫ですか?もし体調が優れないなら…」

  「ううん、花火、みたい。…ルークくんは?」

  「まだ到着してないようです。先程から連絡をしてはいるのですが、返事もなく。」

  

  『…さん、…あさん、どこぉ。』

  「やっぱり、来れないのかなぁ。」

  ひとりなのかなぁ。

  

  エレベーターに乗ると、ごうん、ごうんという重たいおとがきこえる。

  ごうん、ごうん。どおん、どおん、重たいおと。

  エレベーターがつくと、フロアはまっくらだった。

  

  「この高さだとほとんど目の前でしょうなぁ。」

  「火花がガラスにぶつかったりして、ハハハ。」

  

  「この暗さでもさぞかし明るいでしょうなぁ。」

  「…くらい…」

  「もうじき始まりますので、花火が上がれば非常に明るくなりますよ。ルークさんも直に…エリモさん?」

  

  くらい、くらい、くらい。

  『仕事なんだろ?』『そう言うなよ、』

  大人のひとたちはぼくより大きくて、ぼくのことをみてない。

  くらくてよく見えないから手でさぐるけど、なにもさわれなくてふらふらする。

  足がもつれて、何もないところでころんだ。

  「ふっ…うっ…」

  …ひとりはいやだよう。

  ないちゃダメなのに、くらくてさびしくて…

  「エリモさーん。エリモさんいらっしゃいますか〜。海洋都市交換留学生のエリモさーん。1階に御学友の方がお見えになって___」

  ウサギの女の人がぼくを呼んでいる。

  ルークくん?

  ちゃんと名前もきかないで、苦手だけど走って、エレベーターにはいった。

  イグルーさんもまたずに、ボタンをおして1階におりる。

  

  ごうん、ごうん。

  ルークくん、ルークくん。

  1階へまっすぐ降りて、エントランスにでると

  

  「ごめん、遅くなったわ。」

  

  そこにはルークくんがいた。

  

  ぼくはもう止まれなくて、だきついて、うれしいのにまたルークくんの前でないちゃった。

  

  「ふぐっ、おそいよぉ。」

  「わりぃわりぃ、準備に手間取ってさ。ところでエリモ?」

  「…ぐっ、なぁに?ずっ…」

  「やっぱり、高いところで花火見たい?それとも、低くなるけど別のところでもいい?」

  「…ルークくんといっしょがいいよぉ。」

  「じゃあ、決まりだな。ただし…あとでイグルーさんには一緒に謝ってくれよな。」

  そう言ってルークくんは初めて会った時と同じ、

  ぼくをお姫さまみたいにだっこして外にはしりだした。

  

  エリモを抱きかかえて走っていると、すぐそこにリヤカーを牽く準備をしたドラムとグッスが待っていた。

  

  「おう…きったねえ王子様だなぁ、おい!」

  「うっせ!バレない内に早く連れてくぞ!」

  「ルークまじ山賊じゃあ~ん。エリモ、急にこんなんしてごめんねぇ~」

  服を着たままのエリモをリヤカーに縛り付けた氷水入りのタライに入れる。

  「ひゃぁっ。」

  「さすがにエリモでもその量は冷たいか。」

  「猛暑対策だから我慢してよな~!」

  「おっしゃ行くぞ!行き先は学校!花火上がるまでは!?」

  

  「あと15分くらい!」

  「ギリギリじゃん!」

  エリモを乗せたリヤカーを3人で思い切り押し出して歩行者天国から外れた道を走り出す。

  幸いエリモはそんなに重たくないし、サイのパワーとイヌの持久力を合わせれば何とか間に合うだろう。

  「ほらー、ルークが事前にロックアイスさがしておかないからー。」

  グッスがリヤカーの左で車体を押しながら文句を垂れる。

  「いやいや、祭りで氷がどのコンビニも品切れなんて予想まではつけらんねぇよ!」

  「ねぇ、この乗り物なんなのぉ~」

  「エリモよぉ、そいつを聞いたら共犯だぜぇ~?」

  「ルークの愛の結晶だね。」

  「うるっさい!」

  

  ______

  8/29 グループチャット

  サリバン

  『つまり、花火の時間少し前に飯買ってきたって侵入して庁舎のエリモを攫って学校のプールにぶち込むってか。』

  

  ルーク

  『そういうこと。プールの南京錠をさっき百均のやつとすり替えてやった。多分バレない。』

  サリバン

  『やべぇなおまえ笑笑』

  グッス

  『エリモはどう運ぶの?おんぶ?』

  ルーク

  『タクシー拾おうと思ってるけど、川から近いし多分庁舎付近も歩行者天国になってるからキツそうか?』

  

  ドラム

  『リヤカー』

  

  ルーク

  『?』

  サリバン

  『?』

  グッス

  『?』

  ドラム

  『農具倉庫近くのリヤカーにデカめのタライつけたら?学校まで少し遠いけど氷水で十分でしょ。花火まではみんな河川敷にいるだろうから少し迂回すれば人にもぶつからん。』

  ルーク

  『盗んで改造すんのか。タライの持ち手に穴開けてロープで縛ればいけるかな?』

  グッス

  『よくて反省文だね。普通に停学。』

  ドラム

  『工具はうちの車庫にある…やるだろ?』

  サリバン

  『やるでしょ、プールの水は俺が入れとくわ。』

  グッス

  『もち。明日リヤカー盗ってこなきゃね。』

  ______

  「それで、急遽作ったってわけよ。試作も試走もしてないから壊れたら勘弁な。」

  事実、リヤカーは激しい負荷のせいで縄はぎしぎしと車輪はガラガラとけたたましい音を上げている。

  「昼にはできてたから庁舎の近くに隠しておいてエリモ君と食べる用のご飯調達しに行ったんだけどねぇ、来る直前に水を冷たく保つためのロックアイスがどこにも売ってないことに気づいたんだよね。」

  「3人で街中探したけど、結局見つからなくてタライにかき氷5つぶち込んでるんだわ!」

  「舐めたら甘いぞ。」

  エリモがタライに少しだけ浮いたピンクのみぞれをすくって口に入れる。

  「おいしい…。でも、みんな大丈夫なのぉ?こんなことしたら、おこられちゃうよぉ?」

  「よくて反省文だね。」

  「主犯のルークは停学確定だな。」

  とっくに覚悟はできてるけど、それでもエリモは泣きそうな、心配そうな顔で俺を見る。

  最後までやさしいんだな、エリモ。

  『たしかにあなたが素直に気持ちを伝えた時、別れはもっと辛くなるかもしれない。でも、心を殺して何も伝えられなかった時と、伝えた時。エリモ君が喜ぶのはどっちだと思う?』

  

  『俺の気持ち…』

  

  エリモを安心させてやりたくて、思いっきり笑う。

  

  「そんな顔すんなよ、エリモ。しょうがないだろ?誰にも邪魔されないところでエリモと花火が見たかったんだから。」

  しょうがないだろ?最後までお前と一緒にいたくて、ご飯を食べたくて、手を繋ぎたくて、2人でちゃぷちゃぷしていたくて、お前が好きなんだから。

  

  大人が見れば未熟で勝手な理屈なんだろうと思う。

  

  でもしょうがないだろ?俺はまだガキなんだから。

  がたんっ!

  リヤカーが段差で跳ねて、タライのかき氷水が思い切り跳ね上がる。

  その水は先頭でリヤカーを牽くドラムに高波のように襲いかかり、頭から濡らした。

  「わぷっ、甘ァ!?誰だ練乳トッピングした奴!」

  「ドラム、明日にはその服アリだらけじゃん。」

  「くふふっ。」

  エリモが口元を抑えて、耐えるように笑う。

  「ふふふふっ!あはははっ。」

  やがて、大きく笑い出したエリモに釣られて俺たちも笑い出す。

  「はははははっ!」

  「がははははっ!」

  夜空に向かって全員で笑い声をあげながら、けたたましくリヤカーを走らせる。

  学校はもうすぐそこだった。

  _______

  学校に着いた。

  リヤカーは正門に乗り捨てて、濡れていることも気にせずエリモをまた抱き上げる。

  信頼してくれているのか、エリモは俺の首に手を回してがっしりとホールドする。

  「あと3分!」

  「間に合ったな!」

  校庭を駆け抜け、中庭を駆け抜け、渡り廊下を駆け抜け、水音のする方向へ。

  「先生いたりしないのぉ~?」

  「祭りでいねぇって!」

  「着替えないぞ~!?」

  「関係あるかい!」

  「おっ、間に合ったじゃん。水はしっかりたまったぜ~」

  

  「サリバンくん~。」

  「でかしたサリバン!」

  「飛びこめぇ!」

  「あはははははっ!!」

  やってやったぜ!笑いが止まらない。

  全員高らかに笑っていた。

  靴だけ脱ぎ捨てて、エリモを抱きかかえたままプールへ思いっきりダイブする。

  ______

  水のなかで目をとじて、ぽこぽこと息をはく。

  くらい水。

  くらい空。

  どおん、どおん。おおきな音。

  どこ、どこ。

  ぎゅう、と手があったかいものに触れる。

  ルークくんの手。

  目をあけると水のなかで、ルークくんが空にむかって指をさしてくれている。

  

  どおん、どおん。

  どおん、どおん。

  水のなかはとてもあかるくて、水面に少しぼやけた光るおはながさいていた。

  ______

  「ぶはぁっ。」

  エリモを引き上げ、浮上する。

  急に飛び込んだもんだから、耳に水が入って気持ち悪い。

  「エリモ、大丈夫…」

  エリモは空を見上げて、遠い空に光る色とりどりの花火を見ていた。

  「きれい…」

  エリモが見とれすぎて溺れてしまわないように抱きかかえながら浮上を保っていると、腕を回したお腹が大きく震えた。

  水でもわかるくらい、エリモのおなかがぐうう、と鳴っている。

  こちらを振り向くエリモは照れながら笑う。

  いつもお腹を空かせて腹の虫を鳴らした時のふにゃりとした照れ笑い。

  

  「えへへ、おなかすいちゃったぁ。」

  「…飯にすっか。」

  ______

  轟音を響かせながら夜空を赤だったり、黄色だったり、緑だったり大小様々な花が彩り続ける。

  

  それからプールサイドに座って、足は水につけたままソースたっぷりの焼きそばや粉物を食べながらエリモとそれをしばらく眺めていた。

  ドラム、グッス、サリバンは花火をバックにビート板やら使って遊び続けている。

  「ルークくん。」

  「んー?」

  「花火をみながらのむラムネってすごくおいしいんだねぇ。」

  「しまったな、海洋都市にもこれがバレたか。」

  「みんなに言っちゃうもんねぇ、ふふふ。」

  「いか焼き食べる?」

  「うん~…おいひいねぇ。」

  「ちょっとくれよ。」

  タレとイカがなんとも言えない甘さで、美味しい。

  「あのね、ルークくん。」

  「どした?たこ焼き食う?」

  「えと、ちがくてね。…今日、迎えにきてくれて、ありがとうね。…ぼくね、もう、怖くないよ。」

  「…そっか。…俺も嬉しいよ。」

  「ご歓談中失礼します御二方。」

  「っ!?」

  「あ、イグルーさん~…」

  いつの間にか翼を組んで仁王立ちするイグルーさんが後ろに立っていた。

  困ったような、苦虫を噛み潰したようななんとも言えない顔で俺たちを見下ろしていた。

  「どうしてここが…」

  「状況判断です。ルークさんが来て、エリモさんが消えて、行動範囲と行動予測をすれば選択肢はそう多くありませんので。」

  遠くで遊んでいた3人もイグルーさんに気づき、遊ぶのを止め遠巻きに心配そうな目でこちらを見ている。

  「たこ焼き、私もひとついただいても?」

  「…どうぞ…」

  パックから爪楊枝で一気に2個突き刺して口に放り込み、もっちゃもっちゃと咀嚼して飲み込む。

  「エリモさん、庁舎での式典でエリモさんの出番は終わりましたし、花火観賞はさして重要ではありませんが、あなたはこの度海洋都市代表として陸上都市に来たゲストです。…無断で抜け出すというのはいくらなんでも感心しませんねぇ。」

  「…ごめんなさい、イグルーさん。」

  

  「しかしまぁ、顔も知らない大人よりルークさんや御学友と湧水祭りを楽しみたかったのは当然です。あなたを預かる身としてこの辺の事情を汲み取れなかった私の落ち度でもあります。それに…」

  イグルーさんがもう1つたこ焼きを頬張る。

  「…歳を召された方向けの塩分を気にした上品な料理よりも、ソースたっぷりの屋台飯の方が好きなのは、私も同感です。今回は大目に見ましょう。」

  イグルーさんが喉を鳴らしてたこ焼きを飲み込む。

  …もっと精神的な、別の何かを飲み込んでいるような気がしてならないけど。

  「ルークさん。」

  「…はい。」

  「…まずは最後までエリモさんのことを気遣って頂きありがとうございます。」

  「…は」

  「ですが、乗り捨てられたあのリヤカーの作りは正直危なすぎますね。エリモさん…いや、水上都市の住人と多くの時を過ごしたあなたならあれは非常にリスキーな乗り物だと考えることは容易だったはずです。」

  「イグルーさぁん、ルークくんのこと…」

  「いえ、ルークさんのためにも言わなければなりません。あなた方の関係性を見れば、この度の行いは決して責め切れるものではないですがしかし、第三者から見れば要人の誘拐に他なりません。それに、万が一あのリヤカーでエリモさんに怪我でもさせていたら、都市間問題にも発展していましたよ。そうなれば、あなたとエリモさんは二度と会えなくなったかもしれません。」

  「はい…すいませんでした…」

  なんの反論もできない正論だった。

  「ですが、幸い皆さんに怪我はありませんでしたし、あのリヤカーの構造は水上都市の住人の移動に最低限のスペックは持っていたと言えます。あなたがあくまで水上都市に住む者を考えて作った、それに免じて今回は許しましょう、次こそは私にきちんと相談してください。」

  「…分かりました、勝手なことしてごめんなさい。」

  「無知は罪ですが、若さは罪ではありません、私から大人としてのお説教は以上です。残り少ない時間ですが、あとは皆さんでご自由にどうぞ。」

  「…ぼく、かえらなくていいのぉ?」

  「そんなにずぶ濡れの服で会場に戻るおつもりですか?やっちゃったものは仕方ないですから。…そろそろ花火も終わって、パーティーも解散になるでしょうし。」

  「…!ありがとぉ、イグルーさん~。」

  「しかし私は大人として今回のことを完全に見過ごすわけにはいきませんので、こちらのお好み焼きを食べ終わり次第、先生方には通報させていただきます。…私から用意できる時間はそれまでです。2人とも後悔のないように。」

  「いこっ、ルークくん。」

  エリモが水に沈み、俺の手を引く。

  「うん、行こう。」

  2人で手を繋いで泳ぎ、遠くの3人に合流する。

  「おぉ、大丈夫なんか?」

  「怒られた?」

  

  「まぁ怒られた。けど、まだ遊んでていいってさ。確実にリクガメちゃんが来るらしいけど。」

  「反省文確定か~」

  「あと30分ちょいしかないけど、花火見ながらまぁ適当に遊んでるか!」

  「それがいい。」

  「ちげえねぇ。」

  

  それからというもの空が光る中を俺たちはただ遊んだ。

  ドラムがエリモを肩車して、俺はサリバンを放り投げる。

  上手いことエリモがキャッチしたらグッスが作った腕の輪っかへサリバンが飛び込む。

  ビート板の上ににグッスが何とか乗ろうとするけどひっくり返って、ビート板に乗っていたサリバンまでその波にさらわれる。

  俺がエリモの真似をして浮かぼうとしたら、鼻に水が入ってえらいことになったり、

  犬かきをして泳ぐドラムの背にエリモが正座してくるくると回ったり。

  最後は、エリモの海用スマホで全員で水中に潜ったところを写真に撮った。

  ついでに、花火をバックにして俺とエリモのツーショット写真も撮った。

  プールサイドに座ってクライマックスを眺め、1番大きな花火が空に咲いて散った時、遠くから怒った担任の声が聞こえてくる。

  祭りは終わり、あとは適当に怒られるだけ。

  「行こうぜ、エリモ。」

  「うん、一緒にねルークくん。」

  

  手を握ってエリモを引き上げる。

  「あのねぇ、ルークくん。」

  「どしたエリモ。」

  「ぼくねぇ、クラスの皆がだいすきだけど、ルークくんがいちばんだいすきだよぉ。」

  「おれもだよ。」

  プールを後にする時も、手は繋いだままだった。

  ______

  エピローグ 9/15

  放課後、俺は教室の外に置かれた椅子に座って呼ばれるのを待っていた。

  窓の外にあるイチョウの木は少しずつ色づいていて、そのうちくっせぇ銀杏を落とすだろう。

  あれから俺、ドラム、グッス、サリバンはリクガメの担任にしこたま怒られ、教頭から叱られ、校長から怒鳴られた後に夜間侵入、リヤカーの無断使用並びに無断改造、プールの無断使用などで停学2週間反省文1日3枚の実刑を食らった。

  ただ、夏も終わりかけていたのか、夜のプールで思いっきり体を冷やした俺は見事に風邪をひいたのでちょうど良かったのかもしれない。

  寝込んでいる間にエリモは船に乗って帰ってしまったけど、不思議と寂しくはなかった。

  エリモとはSNSで繋がってるし、反省文そっちのけで毎日連絡を取りあっていて、海洋都市の様子や向こうでの友人との様子を毎日話す。

  土産は大層喜ばれたみたいで、毎日のようにそれで遊んだ感想なんかも伝えてくる。

  それを見ると少しだけ向こうの友人に対してジェラシーが湧くけど、エリモのプロフィール画像には俺とのツーショットが使われているのを見るとそれも治まってしまう。

  ただしちょっとした仕返しとして、こっちで食ったエリモの好みそうな食べ物の写真を送ってやるのが、俺の意地悪な楽しみだ。

  トークルームでは、ちょうどエリモが今後の話をしていた。

  エリモ

  『ソース味のジュレが開発されたんだけどぉ、この前のたこ焼きみたいには美味しくないねぇ。』

  ルーク

  『ぐちゅぐちゅしてるのはたしかにやだなぁ。』

  エリモ

  『ぜったいね、ぜったい陸上都市にもっかいいくんだぁ。だからぼくね、たくさんお金ためるの。ご飯を1品だけがまんして貯金してるんだぁ。』

  ルーク

  『支出の方が多いのに大丈夫かよ。』

  「ルーク、入りなさい。」

  「はぁい。」

  スマホの画面を閉じて立ち上がり教室へと入る。

  

  並べられた机の椅子に担任と対面で座り、進路調査が始まった。

  分厚い資料をパラパラとめくり俺のなんやかんやが書かれた資料を見ながらリクガメの担任はメガネを持ち上げる。

  「えー、ね。久しぶりの学校はどうかねルーク。しっかり家で反省したかね?」

  「しっかり反省しましたぁ~。」

  「…まぁ、いいだろう。それで、今後のことなんだがねルーク。以前の進路希望調査では公務員と書いていたようだが、何か変化はあったり…」

  「それなんですけどセンセイ。」

  「む?」

  「海洋都市と陸上都市を好きに行き来できる仕事って、どんなとこありますかね?」

  「……むぅ、まぁそうなると外交官という道もあるが現状ルークの成績だと__」

  身を乗り出して拳を握り、初めて担任の話にまともに耳を傾ける。

  

  固く握りしめた手は、確かな温度を持っていた。

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