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食欲の秋、ぬるぬるのキス

  秋。空に浮かぶいわし雲の隙間をアキアカネたちが泳ぎ、窓からは涼しい風が流れ込んでくる。

  外では落ち葉が舞い、擦れあってざあざあと音を立てていた。

  担任から頼まれたプリント運びを終えて、昼休み時の廊下を歩く俺はメロンパン争奪で賑わう購買部をスルー。

  カレーうどんの香り漂う学食もスルー。

  なるべく人目を避けて本校舎を離れ、パソコン棟の階段を上がる。

  ここはパソコン授業でしか使われないし、本校舎から離れたところにあるからわざわざ昼に来るやつもいないのでいつも静かで薄暗い。

  屋上へ繋がるドアにある小さな磨りガラスからは光が漏れ出して、3階階段の誰も入らない小さな踊り場には少し埃が舞っているのが見える。

  もしかしたら、“彼女の毛”も混じっているかもしれないけど。

  「待ってたよぉ、タイチロー君。今日はなにぃ?」

  陽の差す階段に座り込んで丸まった尻尾をぱたぱたとふり、惜しげも無くシバイヌ特有の無邪気な笑顔を見せてくれる彼女、コマチ先輩は両手を突き出して足を投げ出し俺を出迎える。

  「メンチカツですけど…パンツ見えちゃいますよ、先輩。」

  俺がそう言うと彼女の頬は一瞬で赤く染まり、俊敏な動きで足を閉じてスカートを押さえなんとも言えない表情で上目遣いに(位置は俺の方が下だけど)俺の方を見て、

  「…えっち」

  と呟く。

  挙動の一つ一つがいちいち素早くて表情豊かなのはイヌと言うより、シバイヌ特有のものかもしれないけど見ていて非常にかわいらしいと思う。

  すごく幼くも見えるのに、学校の中では人間よりもテストの成績がいいんだから驚きだ。

  昼休み、俺はそんなシバイヌ女子の先輩とふたりっきりで弁当を食べるのが日課になっている。

  ______

  4月、春。

  俺、内入太一郎《うちいれたいちろう》はわずかながら獣人も一緒に通う普通高校へと入学した。

  志望校の違いで中学の友達とはバラバラになってしまったので1から友達を作り、華々しい高校デビューでも飾ろうかと思っていたのだけれど…

  高校におけるモテる男、イケてるメンズというのはみんな制汗剤でアクアマリン的な香りをさせていることが多い。

  一方、俺は実家が肉屋を営んでいるもんだから家中にコロッケやトンカツ、から揚げなど揚げ物のオイリーな香りが充満していて、そういうケミカルな香りづけとはすこぶる相性が悪かった。

  おかげで朝っぱらから揚げ物の香りを漂わせる男として入学早々クラスのイジられ役の地位に収まってしまい、クラスの一軍入りとはならず。

  夕方は家の手伝いがあるから男女混じってバドミントン、テニスなどの爽やかな部活動というのもできず、バイトもできず、クラスの輪からは1歩引いた感じのなんだか寂しい高校デビューを迎えてしまったわけで。

  入学してから少したった日のこと。

  いまだにクラスの中のどこのグループにも所属していなかった俺は、

  (こうなれば俺は肉屋の息子だと開き直って昼時にから揚げでも配ろうか)

  と、毎朝弁当を作る母親に頼んで別のタッパーに店の余り物の肉で作ったから揚げをたくさん詰めてきたのだけど、学食が評判の我が校は弁当率も低いみたいで昼休みになると教室からはほとんど人がいなくなるのだった。

  押し付けられるようにクラス委員長もやらされ、わずかとはいえ仕事があるせいでそもそも休み時間も俺だけやや遅れてしまい皆と足並みが揃わない。

  普通にクラスメイトと馴染みたい、と思っていたのにやることなすこと全て空回りしていてなんだか嫌になったのを覚えている。

  学食から帰ってきたクラスメイトに1人でめちゃくちゃから揚げ食ってるといじられるのもなんか嫌だったから、どこか人目につかないところはないかと歩いた結果パソコン棟にたどり着いて、薄暗い階段を上がると、そこに彼女はいた。

  

  ふんわりと毛で丸い輪郭の顔、毛並み、という言葉をいやでも意識するふさふさした腕。初めて見るマズル。なにより毛のせいか少し丸みが増して見えるむちっとした体型。

  5個入りクリームパンをもぐもぐと食べる彼女はこちらに気づくとぎょっとした表情を見せたのも束の間、

  「…から揚げ?」

  鼻をひくつかせながらそう呟いて、目を輝かせた。

  これが俺と食いしん坊シバイヌ女子、柴田コマチ先輩との出会い。

  ______

  「ん~♡今日もおいひぃ。」

  メンチカツをなるべく長く楽しみたいのか、大きなリアクションに対してコマチ先輩はかじゅ、かじゅ、とひと口ひと口をを控えめに食べていく。

  「まだ3つあるんで、遠慮なく食べちゃっていいんですよ?」

  「いいの?う~ん、でも、勿体ない…」

  笑ったり、悩んだりの表情を忙しなく切り替えながらも結局一気にかぶりつく。

  母親が朝一で揚げたメンチカツを目を閉じながらも、目尻から笑みが読み取れる、なんともわかりやすく美味しそうな顔を浮かべながらむぐむぐと口を動かす彼女を見ているとなんだか俺まで嬉しい。

  「てか、先輩ってイヌなのに玉ねぎとか普通に食いますよね。体調とか悪くしないんですか?」

  「んー、厳密に言えば犬とは違うから別に平気やね。チョコも好きやし。」

  「へえ。まぁ、それならよかったですけど。」

  「でもこのメンチカツなら玉ねぎでも毒入りでも食べちゃうかもやわ。」

  まだタッパーに残ったメンチカツに狙いを定め、口端についたカツの揚げカスをぺろりと舐め取る。

  俺たち人間よりも長くて赤い舌が口周りを大きく這うのを見て、少しどきりとしてしまう。

  そんな俺の視線を知る由もない先輩はタッパーから2つ目のメンチカツに箸を伸ばしていた。

  そのときこちらに寄せたやや丸みを帯びた先輩の体から出汁カレーの香りがふわりと漂う。

  「先輩、今日学食、カレーうどん食べました?」

  「あっ、そんな女の子の香り嗅がんでよタイチローくんえっち。」

  口元を抑えてもぐもぐとしながら頬を赤らめ、照れながら距離をとる先輩。

  「カレーの香りは不可抗力ですよ~」

  コマチ先輩はむちむちとした体型から見て取れる通り、よく食べる人で真っ先に学食でご飯を食べてからここにも何かしら食べに来る。

  俺と出会う前はここで食べるのはパンとかだったらしいけど、今となっては俺と日替わりの揚げ物をつつきあっているため、パンやお菓子も必要なくなったみたいだ。

  

  俺は俺で別にクラスメイトと無理して関係を築く必要もないな、と思い始めたから正直追加タッパーはもういらないんだけど、

  先輩も楽しみにしてくれているみたいだから弁当を作っている母親にはなんとなく女子と食べていることは隠しクラスメイトから好評だから、と誤魔化して追加タッパーを続けてもらっている。

  「あっ!こっちのカツ、カレー粉入ってるやん~おいし♡」

  まぁ、この美味しそうな顔を見てるだけで誤魔化すことへの罪悪感は消し飛んでしまうんだけど。

  「カレー被っちゃいましたね。」

  「ん~ん?ぜんっぜん気にならんわぁ。そういえばまたウチのアホのお兄ちゃんなんやけどな?」

  「東京の大学に行ったこの前ネットオークションで怪しい名前で塩売ろうとして失敗したっていう?」

  「そぉそぉ。そのお兄ちゃんの大学の友達がな?この前酔っ払ってやらかして、なんか警察連れてかれたらしいわ~。アハハ!アホや。」

  

  「なんですかそれ~。もっと詳しく。」

  俺は弁当を、先輩はカツをつまみながらいつも通りの他愛ない話をしている内に先輩はメンチカツを食べ終えてしまう。

  「あ~ん、なくなっちゃったぁ。でも、今日も美味しかった♡いつもありがとぉな、ごちそうさま。」

  「お粗末さまでした。」

  最初は友達のいない昼休みを埋める時間、くらいに思っていたのに今となっては彼女と話すのが楽しみで学校に来ているまである。

  獣人、というものをこんなに近くで見たことは今までなかったけど、換毛期で更に丸く膨らみ始めたやわらかそうな顔も、食いしん坊のおかげで丸みを帯びて少しむっちりした体も魅力的だし、多分俺はコマチ先輩のことがとっくに好きなんだと思う。

  自分の箸はあまり進まないまま余韻に浸る幸せそうなコマチ先輩の横顔をぼうっと眺めていると、俺の視線に気づいたのか、

  「どしたん?」

  なんて言いながら体と顔を寄せて来たので思わず慌てる俺。

  「やー…特には、ええはい。」

  「変なの。てか、弁当全然食べてないやん。タイチローくん体調悪いん?」

  「いやぁ、ぼちぼちですけど…あ、良かったらチキン南蛮食べません?」

  あなたに見惚れていたんです、とは恥ずかしくてとても言えないので追求から逃れるため弁当のチキン南蛮を生贄に差し出すと、

  「え!?そんなんいいん!?」

  遠慮がちな言葉とは裏腹に目を輝かす先輩には十分な誘導だったようで、話題をそらすことには成功。

  「いやもう、先輩の美味しそうな顔を見るためならチキン南蛮くらいなんぼでもあげますよ。」

  

  「そーお?じゃあ、ちょうだい?」

  そう言うと顔の距離は近いまま目を閉じて口を開き、牙も舌も剥き出しにしてチキン南蛮待機する先輩。

  イヌの女子の赤々とした口腔内が丸見えになる。

  「えっ!?先輩!?」

  「ん?くれへんの?」

  待機する先輩は深いことは考えてなさそうで、そこに恐る恐る箸でつまんだチキン南蛮を1切れ近づけるとがぶり、と先輩は口を閉じる。

  ほんの数瞬、箸を持った指先に伝わる箸先に付いた甘酢を口の中でうねる先輩の舌が舐め取る感覚。

  俺の指から腕、そして背中、頭にかけてぞくぞくとした震えが走る。

  口内からゆっくり取り出された綺麗に舐め取られた箸の先はわずかに濡れていて、その液がなんなのかは一目瞭然だった。

  「タイチロー君のとこ鶏も全部美味しいから困るわぁ。タイチロー君は、牛豚鳥、どれかひとつしか食べられないとしたら何選ぶ?」

  ニコニコしながらモグモグする先輩が舌でレロレロした箸を…

  「舌?」

  「あー…いや…牛タンと豚タン悩みますよね…。」

  本音を口に出しかけた。危ない危ない。

  「あー、ね。分かるわ~。」

  「…先輩。弁当、あとは俺のですからねっ。」

  「?そら、元々タイチロー君のやけど…やっぱ食べたらあかんかった?」

  「いや全然。ありがとうございます。」

  「?変なの。」

  箸で少なめに摘んだ米を丁寧に口に運ぶ。

  味はちょっと、よく分からなかった。

  やっば、好きだってちゃんと伝えたいなぁ。

  ______

  それから数日後の休み時間、クラスで人気の一軍女子たちの会話が耳に入ってくる。

  

  「あんた、また痩せとらん?」

  「うーん、次の読モ撮影あるからマジ飯抜いとるもん。昨日から3食豆乳だけよ。」

  「それ食じゃないやん!ウケる。」

  「ファミチキ食いてぇ~。」

  モデルをやっているというその女子は確かにスレンダー体型で、手入れされた長い髪の毛はさらさらとして光沢を帯びている。

  自分を可愛く保つための苦労を大声で話すその笑顔にクラスの色んな男がこっそりと目を向けていて、本人もそれを気づいていそうな感じがした。

  「揚げ物君さぁ。」

  突如、俺の方に声をかける一軍女子。

  ちなみに揚げ物は俺のクラスでのあだ名。

  「やっぱ、家のご飯も毎日揚げ物なん?」

  クラスでたまに起こるこの手のイジりは未だに俺が上手いこと返せなくて、皆に天然だ、なんて笑われる流れに落ち着くけどなんかそれを言われるのが今日は、少し嫌な感じがした。

  「昨日は、鴨のローストだったけど…」

  「鴨て!」

  

  「マジお惣菜コーナーやん!」

  女子の笑い声に合わせて、クラスにもその波が広がっていく。

  別に本人たちに悪気はないだろうから俺も下手な笑いで流す。

  しかしこいつら、鴨肉の低カロリーっぷりを知らないのか。

  なんだか肉のことをバカにされているようでむっとする気持ちを抑えていると、女子たちが思い出したように話し始める。

  「てかさ、毎日学食に絶対1番に食いに来とるシバイヌの2年の女子おるやん?」

  「あー、いるわ!」

  「先輩に聞いたらさ、あの人購買でパンも買っとったりするらしいで!」

  「めちゃめちゃ食うやん!やけんあんな膨らんどるんやろ。」

  「ウケる。」

  コマチ先輩はあったかいご飯が好きだから、という理由で学食に1番に行くんだと美味しそうな顔をして話していたのを覚えている。

  こいつらはそのことを笑い話のタネにしているんだろう。

  俺への揚げ物イジりより、家の事を言われるより、それがなにより不愉快だった。

  いくら髪が綺麗だろうがモデル体型だろうが、

  コマチ先輩のふかふかした体毛や体やマズルのやわらかいライン、なにより美味しそうに食べるあの笑顔に比べればこいつらなんて鶏ガラみたいな脚した骨と皮だけのミイラじゃないか。

  俺が好きなのはこんな食いたいものも食えない不健康女より、やっぱり先輩だな。

  同調して笑う気にもなれなくて、教室を出た。

  

  ______

  昼、いつも通りパソコン棟の階段を上がるとコマチ先輩はいつも通り先に座っていた。

  学食食べてから来るのに相変わらず早いなぁ、と思うのも束の間。

  今日の先輩は少し耳も尻尾も垂れていて、浮かない表情をしている。

  「あっ、タイチローくん。」

  俺に気づくと嬉しげな表情を浮かべるものの、すぐに少し目を伏せて耳も尻尾もまた垂れてしまう。

  「今日あんま元気ないですね。…体調とか悪いんですか?」

  「いや、そんなことないんやけどな?…ああでも、今日はいつものやつ、1つだけにしとこかな。…たまにはダイエットせんとな!」

  コマチ先輩はなんでもない事のようにいうけど笑顔は固いし、依然として耳も垂れたままだ。

  「竜田揚げ、多めに持ってきたんですけど…じゃあ今日は俺、多めに貰っちゃいますね。」

  「竜…いや、もうそんなん、タイチローくんのお弁当なんやから!全然食べて食べて!」

  口ではそういうがタッパーを一瞬狩るような目で見たのを俺は見逃さない。

  なんか先輩、ムリしてそうな感じがする。

  「それで昨日もまたお兄ちゃんg…」

  先輩が話題を変えようとしたその瞬間、彼女の豊満なお腹がぐるるる…ううぅ…と獣の唸り声のような低音を鳴らした。

  一瞬の静寂。

  踊り場に差し込む光と、照らされたコマチ先輩。

  見つめ合う俺たち。

  彼女の顔がみるみるうちに真っ赤に染まったと思うと、すごい速さで顔を両手で隠し膝にうずめる。

  「先輩やっぱお腹減ってるんじゃないですか!」

  「あうぅ、お願い、見んでぇ…。」

  ごるぅぅるるる…

  隠したがる先輩の意思と反して無情にも再度鳴り響く腹の虫。

  うずくまって抑え込んでるせいで、より低い音に変わりそれはもはや地鳴りのようだった。

  「コマチセンパイ…。」

  「あああ!もうあかん。タイチロー君に聞かれた。もう嫌や…ウチはおしまいや。」

  

  「別に嫌いになったりしませんから、顔上げてくださいよ。急にダイエットなんて、なんかあったんですか?」

  先輩は少し閉口しながらもじもじした後、

  「…タイチロー君も、やっぱ痩せてる女の子が好きなん?」

  赤面した顔を両手で押さえて膝に顔を押し付けながらくぐもった声で俺に問いかける。

  「さっき…いつも通り学食行ってご飯食べてたんよ。そしたら後から来た…人間の一個下の子かな?なんかウチの方見てて、ちょっと笑っとるんよ。」

  もしかしてだけど、さっきクラスで話してたあいつらだろうか。

  イヤな笑い声が脳裏をよぎる。

  「混み出すとイヤだし、早く出ようと思って席立ったらサラダとかだけ食べてて、そんなんでいいのかなって。でもその子達すごくスタイルいいしかわいいんよ。だから、タイチロー君も、ああいう子がホントはいいんかなって…」

  「そんなわけないでしょ!」

  否定半分、怒り半分で食い気味に否定してしまった。

  「俺は肉屋の息子ですよ!そんな野菜しか食わない骨と皮みたいな女よりね、髪も!体毛も!身体もやわらかくてあったかそうで、ウチの揚げ物美味しそうに毎日食べてくれる“コマチ先輩のことが”あんな鶏ガラ女たちより何百倍も好きに決まってるでしょ!」

  

  怒りに任せて気持ちを捲し立ててしまう。

  先輩は、顔を押さえたままだった。

  「だから、その…先輩。やっぱり竜田揚げ、一緒に食べません?」

  「…………食べる…けど…」

  食べると言ってくれたものの、少し歯切れが悪い。

  「ちょっ、ちょお待っといて…今ちょっと、顔あげられん…」

  か細い声で返事をする先輩はさっきと比べると顔どころか指や耳まで真っ赤に染まっている。

  そして俺も図らずして今、先輩に抱いていた想いを全てブチ撒けてしまったことに気付き、赤面してしまうのだった。

  ______

  秋の夕時。

  土曜日の休み、俺は地元の商店街を先輩と2人で歩いていた。

  通りは夕日に照らされて、そこに並ぶ白いシャッターもオレンジに染まっていて、どこからが流れてくる金木犀の爽やかな香りが秋を感じさせる。

  「タイチローくん、結構離れたところから高校通ってたんやね。」

  「結構歩かせちゃってすいません。疲れちゃいました?」

  「んーん?知らない町って、見るの楽しいよ。」

  あれから晴れて先輩と付き合うことになった俺は満を持して先輩を初デートに誘い、スタバ行ったり映画を見たりして無難に過ごしたが、今日の“メイン”はこれから始まる。

  「でもなぁ。タイチロー君、親が2人いないから家に来ないかなんて…ウチ、何されちゃうんやろ。」

  

  「別に変なことしませんよ!」

  「………………………シテモイイノニ」

  「なんか言いました?」

  「べっつにぃ。タイチロー君のえっち。」

  

  コマチ先輩はやはり柴犬の系譜なのか歩くのが案外好きなようで、初めて歩く道の小さな発見に立ち止まったり、しっぽを振りながら町を眺めたりしていた。

  ふとした時彼女の横顔を見ているとなんだか手を繋ぎたくなってしまい手を差し出すと、少しむちむちした彼女のマシュマロのような指と手の平の肉球が俺の手に絡む。

  コマチ先輩は少し体を寄せてきたと思うと、俺の顔を見あげてやわらかな笑顔を見せてくれた。

  改めて見るとシバイヌ女子の顔、かわいいな。

  飯食ってる時以外もコマチ先輩は余裕でかわいい。

  「なぁによ、もう。そんなにウチの顔見て。」

  「いやぁ、へへ。あ、家はここです。」

  《肉の内入》と書かれたシャッターの家を指さす。

  「お肉屋さんって、多分初めて来るかも。」

  「まぁ、最近はどの家もスーパーで肉買いますしね。汚いとこですけど、どうぞ。」

  家に招き入れると先輩は玄関で立ち止まって少し深く呼吸。

  「揚げ物の、いいにおい。」

  先輩はイヌだし肉とか、揚げ物の香りがやっぱ分かるんだろうか?

  …住居スペースと店は分かれてるとはいえ、床とかヌルヌルしてなきゃいいけど。

  

  自室に案内して座布団に座ってもらう。

  「それじゃ俺、準備してきますからゆっくりしててください。充電ケーブルも使ってていいんで。」

  「家探ししていい!?」

  目を輝かせる先輩。

  「座って、ゆっくり、おとなしくしててください。」

  階段を下りてキッチンに入り、エプロンを着け、冷蔵庫からジップロックを取り出す。

  にんにく醤油風味の下味をつけたもも肉、手羽元に小麦粉と片栗粉を半々混ぜてまぶし、揚げる。

  ウチの店で出すから揚げそのままのレシピだ。

  170℃の油で程よく揚げた後、皿に盛り付ける。

  米とキャベツも忘れず部屋に持っていく。

  コマチ先輩は俺の持ってきた手作りの唐揚げを見るなり拍手で迎えてくれた。

  「えーっ!もう、こんなん絶対おいしいやん。」

  「冷めないうちに食べましょ。揚げたてがいちばん美味いんですから。」

  先輩との初デートのメインは、誘う時からこれだと決めていた。

  月二回くらいうちの両親は商工会の寄り合いで家を空けるから、それを見越して下準備をし、先輩にから揚げを食べさせる。

  学校で食べる時ももちろん喜んでくれてるけど、やはり揚げたては格別なのでぜひこれをコマチ先輩にも食べて欲しかった。

  コマチ先輩は湯気の立つから揚げを宝石かってくらいきらきらした目で見つめ、愛おしそうに頬張るとじゅく、という音を立てて味わう。

  ほっぺたが落ちそう、という言葉があるようにまさにうっとりした顔で頬を押えながらゆっくりと食べる先輩のとろけた表情が光る。

  さっき普段の笑顔も可愛いと思ったけど、

  やっぱり美味しそうにご飯を食べる先輩の笑顔

  別格だ。

  「たくさん揚げてあるんで、たくさん食べてくださいね。」

  「こんなん、幸せ…♡」

  そして他愛もない話や、デートの感想を言い合いながら食事をしていると、時計の針はそれなりに進んでいて窓の外はいつの間にか暗くなっていた。

  洗い物や片付けを済ませて部屋に戻ると、満足そうな顔でコマチ先輩は座っている。

  とろんとした瞳を見る限り揚げたてのから揚げは大成功だったようでよかった。

  「落ち着いたら駅まで送っていきますから、もう少しゆっくりしててください。」

  「ホントにごちそうさま。もう明日死んでもウチ、なんも文句ないわ。」

  「ダメですよ、トンカツもメンチカツも、揚げ物以外の他の料理だって食べてもらいたいんですから。」

  

  「う~、タイチローくんはいけずや。そしたらだいぶ長生きせなあかんやん。」

  「俺は先輩の美味しそうな顔見れるなら100年でも作りますけどね。」

  隣に座りながらそう言うとコマチ先輩はなぜか頬を赤くして困ったような笑顔を浮かべている。

  「キミは、もう、ホンマ、そういうこと言う…」

  「?なんです?」

  「うるさい、タイチローくんのえっち。スケベ。ベッドの下にエロ本3冊!」

  「やっぱ家探ししてんじゃないすか!」

  「しとらんよ!座ったら見えただけやし!その、お兄ちゃんの持ってたやつと違って普通のやったけどさ…ホンマその、太い子が好きなんやねぇ?」

  反撃だと言わんばかりにからかうような、意地悪な目を向ける先輩。

  「いやぁ、時間はあっという間でしたねぇ!それにしてもいつも思うんですけどコマチ先輩ってめちゃめちゃよく噛んで食べてますよね!学食あんなに早いのに!俺も見習わなきゃ!」

  追求から逃れたくてやぶれかぶれの話題逸らし。

  しかし以外にもいい話題だったのか、コマチ先輩は少し考え込んでから口を開いた。

  「あー、ほんとは学食ももっとゆっくり食べたいんやけどね。人間の学生のみんなって、シーブリーズとか付けるやん?あれ、イヌのウチらには匂いきっついんよね。」

  

  「あー、それで…」

  「そ。イヤとは言えんけど、どうしてもみんなの匂いが気になって美味しくなくなっちゃうから、学食だけ早食いなんよ。」

  まぁあったかいご飯は、それでも食べたいもんな。

  「でも、タイチローくんの匂いは、キツくなくて、香ばしくて、美味しそうですきやわ。」

  ふいに体を寄せてきて、膝に手を置かれる。

  「先輩…?」

  視点を下に向けたその時、先輩の閉じた目とマズル、濡れた鼻先が近づいたと思うと唇にやわらかいものが触れた。

  少し驚いてしまったけど、俺も目を閉じて置かれた手を繋ぎ、キスに応える。

  キスはレモンの味、なんて言うけど先輩とするそれはやっぱり少し香ばしかった。

  何秒か重ね合ったのも束の間、油で摩擦がないのかあっさりとキスが離れる。

  「なんか、から揚げ食べたあとだから唇ぬるぬるしてすぐ離れちゃいますね。」

  「…何回でもしたらええやん。」

  誘うようなコマチ先輩の目。

  繋いだ手を離して今度は俺が近づき、やわらかい毛の生えた頬に手を当てて、もう片方の手で彼女を抱き寄せる。

  「コマチ先輩って、唇もやわらかいんですね。」

  

  「タイチロー君だって。…ウチのこと好き?」

  「好きっす。やわらかいのも、笑顔も、美味しく食べてくれるところも、全部。」

  「ウチも大好き。やさしくて、いい匂いで、ご飯も美味しくて、全部。」

  唇が離れては、何度もキスをし直す。

  1回1回気持ちも、愛情も確かめるように、噛み締めて味わうように。

  

  食欲の秋。

  身も、心も、胃袋も満たされた2人は尚も時が経つのも忘れて互いを味わう。

  秋の夜長。

  

  求めあい続けるシバイヌと人間の香ばしい夜はゆっくり、ゆっくりと更けていった。

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