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休日の喫茶店は混雑する。モーニングに続く二つ目の山場――ランチタイム最後の客を見送って、僕はふうと息を吐いた。
「今日もありがとね、逸花。表の看板、ひっくり返しといてくれる?」
「はーい」
少し年季の入ったレジスターのドロワーを閉めながら僕にそう呼びかけたのは、この店で働く僕のお母さんだ。僕は言われた通りに、重たい扉を引いて店の外へと出る。春の夕暮れの空気はほんのりと冷たく、疲れた体に心地良かった。
僕――[[rb:依道逸花 > よりみちいつか]]は、中学卒業後の時間でこうして家の喫茶店を手伝っている。もともと喫茶店という空間が好きだったから、その仕事を体験してみたくて僕の方から願い出た。この機会を逃せばしばらくこのお店で働くことはできないだろうし。
「……よし、と」
店の前に置いた看板をくるりと裏返し、「CLOSED」の文字を表面にする。うちの喫茶店――なんの捻りもなく「喫茶よりみち」という店名――はモーニングとランチだけの営業で、こうして夕方頃には店仕舞いすることになっている。
やるべきことも終えて再び店の中へ入れば、すっかり鼻に慣れて感じなくなっていた煙草の匂いが僕を出迎える。匂いがキツいだとか煙が有害だとかで疎まれることもあるけど、別に煙草は嫌いじゃない。もちろん自分で吸ったことはないし、吸おうとも思わないけれど。
「じゃあ、最後に掃除お願いできる?」
「はーい」
僕が手伝う仕事は、さっきみたいなちょっとした作業や料理や飲み物を運んだりの軽い接客、そして開店前や閉店後の掃除……などなど。他所ではバイトもできない年齢なのもあって、あくまで手伝いの範囲に留まる程度に。
ナチュラルカラーのフローリングに、真白い漆喰の壁。同じ木目調に統一された家具などの内装の数々は、お母さんの趣味だ。小さい頃からそういう"趣味"の数々に囲まれてたのもあって、僕もこの店の雰囲気が好きだった。
ダスターで備品を拭き、箒で床のゴミや埃を掃き出して、最後にモップ掛け。一通り掃除を終えてふと見やった時計は、十七時前を示していた。
――もうすぐかな。
なんて思いながら掃除道具を仕舞っていると、ちょうどチリンチリン、とお客さんの入店を告げるベルの音が鳴った。もう、とっくに店の営業時間は終わっている。そんな時間に来るお客さんは、一人しかいない。
……だから僕は、ちょっぴりおどけた口調でそのお客さんを出迎えてみせた。
「いらっしゃいませ、佑」
「ああ、お邪魔します」
◇
スケールで慎重に量を測った豆を、手動のミルで挽く。普通のお客さんに出す珈琲は電動のグラインダーで挽いているみたいだけど、僕はこうやって自分の手で豆を挽く感覚が好きだった。ハンドルを回す度、ガリガリとした確かな感触と共にふわりと珈琲の香りが漂ってくる。
そうして各々の好みに合わせて挽いた二種類の豆をドリッパーに移してゆっくりとお湯を注げば、黒々としたお馴染みの珈琲がようやく出来上がる。インスタントと比べて随分と手間がかかるけど、その過程も僕にとっては魅力的だった。
「お待たせ。これ、いつものやつ」
「ありがと」
出来上がった珈琲をトレーに載せ、少し奥まった場所にある二人掛けの客席――窓際で日当たりが良いから僕のお気に入りだ――へと運ぶ。そこに掛けて待っていたのは、件のお客さん。真っ黒な被毛に鋭く吊り上がった目が特徴の兎獣人で、名前は[[rb:朝来佑 > あさきたすく]]。
佑とは昔から家族ぐるみで仲が良く、いわゆる幼馴染、って関係だった。だから注文を聞かずとも好みのブレンドは分かってる。僕は二杯淹れたコーヒーのうち、苦みの強い方を佑の手前に置いた。
佑とは対照的に苦いのが苦手な僕のは、ミルクコーヒーに映えるブレンド。佑の向かいの席に腰を下ろして、僕はミルクと角砂糖を手元の真っ黒の中に落とした。
「佑。あれ、持って来た?」
「ん」
カップをカラカラとかき混ぜながら言った僕の言葉を受けて、佑がカバンから一冊のパンフレットを取り出す。僕も傍に置いていた同じ冊子を手に取り、その表紙を改めて見つめた。
――国立世朱大学附属高等学校。青空をバックに撮られた後者の写真の下に、学校名が記されている。
その学校名はまさしく、この春から僕たちが通うことになる高校のものだった。世朱というのは高校がある場所の地名でもあるらしいけど、その土地はここからじゃ新幹線の距離で。それじゃあとても家から通うことなんてできないから、僕達はこの学校の寮に入る運びになった。
そんな見知らぬ地の高校に入学することになったきっかけは、中三の春頃、僕達二人に届いたある”案内”。ああ、そうだ。このパンフレットもその時一緒に貰ったんだっけ。
案内というのはつまり、この高校への推薦状だった。担任の先生から突然聞かされた時はひどく戸惑ったのを覚えてる。だって推薦って、スポーツとか芸術関係とか、何か特技のある人に送られるものだとばかり思ってたから。
だけど、僕と佑にはそんな心当たりなんか無くて。普通だったらそんな怪しい推薦、受けない方が良いんだろうけど……。
届いてから何度も読んだパンフレットを、またパラパラと捲ってみる。すると書かれている内容は、やっぱりにわかには信じがたいもので。
寮の部屋は広く、個室まで付いている。その上家電やお風呂まで備えられてるのに、寮生活にかかる費用は学費と合わせても明らかに格安だった。
そんな風で、パンフレットを見る限りこの高校での生活はかなり魅力的に思えた。言ってしまえば怪しさ満点だけど、一応国立の高校みたいだし。
「……やっぱ、不思議だよね」
「ああ」
同じくパンフレットをじっと眺めていた佑に声をかければ、最低限の相槌だけを返される。佑の口数が少ないのは昔からのことだ。そのせいで怖がられちゃうこともあるんだからもっと喋ってよって、いつも言ってるんだけどな。
もう一度パンフレットに視線を落とし、ぼんやりと眺める。そうしていると、前からずっと気になっていた文が目に入った。
――一人部屋を希望される際は別途申請をしてください。基本的には二人で一部屋となります。
二人部屋、かあ。特に申請なんかはしてないから、多分僕も誰かと同じ部屋で暮らすんだろう。佑と一緒に案内を送ってきたんだから部屋も……って訳でもないのかな。
「部屋、どうなるんだろうね。基本的に二人部屋になるみたいだけど」
「そうだな、一緒だといいな」
「……っ」
僕は別に、佑と一緒が良いなんて言ってないのに。それでも僕の考えてることを見透かしてきたような言葉に、思わず顔を逸らす。
多分、佑は別に僕の考えを読んでやろうなんて思ってない。そんな器用じゃないし。本人としては、ただ「一緒の部屋がいい」という気持ちを口にしただけ。
……尚更ずるいな、本当に。自覚もなしに、僕の言ってほしいことをさらっと言ってみせて。
胸をじんわりと支配していく温かさと、少しの照れ臭さ。佑の何気ない言葉に振り回される度、僕は”普通”の男の子じゃないってことを思い知らされる。
――やっぱり僕は佑のことが好きなんだ、って。
恋心を自覚したのがいつかなんて、よく覚えてない。なんとなく耳に入った恋バナや恋愛作品の中での恋の描写が、僕にとっては佑に当てはまってしまううんじゃないか、って。そんな感じで、少しずつ僕の中に歪な感情が育っていった。
ちらりと佑の方を見やれば、こんな僕の気持ちにまったく気づきもしない様子で珈琲を啜っていた。自分だけ悶々とするのも馬鹿らしくなり、僕も手元の甘い珈琲を口に含む。
「もう来週には引っ越しだけど、準備はできた?」
「まあ、それなりに」
「緊張とかは?」
「特にない」
「……やっぱり」
佑はいつもこんな感じで、大きな節目を前にしてもどこか緊張感がない。今回は人生の転換点とも言えるイベントだからもしかしたら、とも思ったけど、やっぱりいつもと変わりないみたいだ。
「緊張、してんの」
「……まあ、ちょっとね」
言いながら、マグカップを手で覆う。陶器越しに伝わる熱が、じんわりと手のひらに温かかった。
佑の言う通り、僕、結構緊張してる。もちろん、見知らぬ土地の高校に入学することや、同じ部屋の相手が佑じゃないかもしれないことに対する不安もあるけれど。
「どうかしたか」
「ううん、なんでもない」
佑と一瞬だけ目が合って、ふいと逸らす。少し嫌なことを思い出していたのを悟られかけたから、咄嗟に誤魔化した。
僕と佑の関係は、しばしば周囲から奇異の目で見られていた。ただの仲の良い幼馴染、ってだけじゃ、そんなに珍しくもないんだけど。
……佑は、早くに両親を亡くしている。それからは叔母さん――僕達は[[rb:早苗 > さなえ]]さん、と名前で呼んでいる――と二人で暮らしてるけど、多忙な早苗さんに代わって依道家で過ごすことも多かった。
もはや兄弟に近いほどのそんな間柄を、周りは面白がったり、時には揶揄ったり。佑がちょっと誤解されやすい性格なのもあって、今まで佑以外に友達と呼べる存在もあまりいなくって。高校で友達、できるといいんだけど。
色々と、不安なことは挙げだしたらきりがないくらいにある。正直、期待よりも不安なことの方が多いんじゃないかってくらいには。
……なのに、なんで。どうしてかなあ。
「緊張してるって言った割には楽しそうだな」
「そう? そうかもね」
考えごとが顔に出ていたのか、佑が僕を見てそう言った。佑の言う通り、不思議と今は楽しみが勝っている。
家が近かったのもあって、幼稚園、小学校、中学校とずっと一緒。高校はさすがに違うところかな、って心のどこかで思ってたのに、妙な推薦によって結局同じ高校に通うことに。
それも、今度は地元を離れての寮生活。まだ同じ部屋って決まった訳じゃないけど、きっと一緒に過ごす時間も増えるんだろう。なんて、想い人を前に考えると自然に表情も緩んでしまう。
……多分、僕がこの気持ちを佑に打ち明けることは無い。だから佑の言葉にも、僕は曖昧な笑顔で誤魔化して見せた。
◇
ふと窓の外を見てみれば、差し込んでいた茜色はすっかり暗がりの向こうに飲み込まれていた。おしゃべりに夢中になってた、というほど交わす言葉は多くないのに、佑との時間は流れるのが早く感じる。
「もうこんな時間。今日はご飯、食べていかないんだっけ」
「ああ。早苗さんが用意してくれてるらしいから」
「そっか。じゃあ早く帰らないとね」
僕がそう言うと、佑は「そうだな」と言って荷物をまとめ始めた。僕はその間に、二人分のマグカップを洗い場へと持っていく。
……今日は夕飯、一緒に食べたかったな。でも、引っ越してしまえば早苗さんともなかなか会えなくなっちゃうし。二人の時間が今は大事だって、僕も思ってる。
なんて、ちょっとした我儘に蓋をしながら僕はキッチンの冷蔵庫を開く。庫内の広いスペースに大切に仕舞っておいた白い箱を、傾けないように慎重に取り出した。
箱の中身に気を遣いながら、努めてゆっくり歩いて客席の方へと戻る。レジの前には、支度を済ませた佑が手持無沙汰に立っていた。
「ごめん、お待たせ。これ、早苗さんと食べて」
謝りながら、今しがた冷蔵庫から出したばかりでひんやりとした箱を佑へと差し出す。目をぱちくりさせる佑に、僕はこの時のためにとっておいた言葉を放った。
「誕生日おめでとう、佑」
やっと、言えた。箱の中身は言わずもがな、佑への誕生日ケーキ。昨日から仕込んでいたものを今日、仕事の合間を縫って仕上げたものだ。
「ありがとう。覚えててくれたんだな」
「忘れる訳ないでしょ、もう何年も祝ってるんだし」
「それもそうか」
笑いながら言えば、佑も表情を綻ばせた。別にサプライズをしようって訳でもなかったんだけど、どうせならプレゼントと一緒に祝いたかったし。
……でも、どうせだったら。佑が食べてるとこ、僕も見たかったな。
「ほら、ケーキもあるんだし。早く帰りなよ」
「ん、またな。ケーキ、楽しみにしてる」
「なら良かった。じゃあ、またね」
再び湧き上がってしまった我儘を誤魔化すように別れを促し、店を出ていく佑を見送る。帰り際、振り向きざまに見せたガラス扉越しの笑顔に、僕はひらひらと手を振り続けた。
「……はあ」
ガラス越しの後姿も見えなくなった頃、小さく溜め息を吐く。別れた途端、思い出したように不安や緊張が湧き上がってきた気がして。
来週にはもう、この家を離れて見知らぬ土地にいる。心当たりのない推薦なんていう怪しい誘いに乗ってしまったのもあって、胸がやけにざわついた。佑と一緒なら大丈夫って気持ちもあるけど、それすら不思議な”縁”のようなものに仕組まれてる気さえして。
未来なんて、誰にも分からないものだけど。それでもやっぱり、今回はいつにも増して分からないことだらけ。
そんな新生活を前に、僕は静かに騒めく胸をそっと撫でるばかりだった。
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