お祭りで脱いで・混じって・駆け抜けて

  その日もわたしは一人で本を読んでいました。

  静かな図書館でページをめくりながら物語や様々な思いに浸り心を巡らせる一時は心地よいものです。

  そんな中、今わたしがもっとも手に取り、文を読み、心を巡らせるものは……。

  自分の顔が赤くなっていることに気づきながらもわたしは静かに物語を追っていました。

  まさに時間を忘れるほどのめりこんだ物語とのひと時を終え、図書館を出たわたしの耳に風に乗って祭囃子の音色が響いてきます。

  「……もうこの季節なんだ」

  その音色を聞くうちにわたしはしんみりとしたものを感じると同時に……コホン。

  とにかくわたしが暮らすこの町がにぎわうひと時が訪れます。

  そう、お祭りの始まりです。

  年に一度、と言うわけでもありませんがわたしの住む場所で何度か行われるお祭り。

  その中でもわたしが一番目を引くお祭りが始まろうとしています。

  通りは道行く人でにぎわい、色々な出店も立つ中わたしは一度帰宅した後「身支度」を整えてその賑わいの中に踏み出しました。

  すその長いコートを羽織り、ひざ下までのソックスと歩きやすい靴を履いた姿で。

  お祭りといえばやはり浴衣で、と言うのは季節柄また別の機会に……というのがちょっと残念ですが、それでもわたしはその姿でお祭りの賑わいの中を歩きます。

  「……」

  道行く人の活気、どこからか聞こえてくるお祭りの音色。

  それらがわたしの心を軽くくすぐり、ほんのり熱くさせています。

  これがお祭りの雰囲気、なのですがわたしがこのお祭りで「求めてしまっている」もの、それはこの賑わいの先にありました。

  お祭りの賑わいから少し離れ、このお祭りの祭事が行われる神社の近くにこっそりと忍び寄ります。

  ちょっといけないことをしているようにも思えますが決して法に触れることをしているわけではないと心を落ち着かせてこっそりと、ひっそりと歩きます。

  そして、その先で見つけたもの、それは……。

  神社の一角に集まっている男の人たち。

  しかもみなさんその……白いふんどしを締めて白い足袋を履いている以外は裸同然の姿です。

  そう、このお祭りの最大の祭事はまさに裸祭り。

  ふんどし姿の男の人たちがぶつかり合う激しいお祭り。

  そして……そんな姿で堂々と人前、それ以上にこの空の下でそんな姿で走り回るのです。

  本来なら恥ずかしさに思わず目を背けてしまう光景なのですが、わたしはついついその姿をじっと見つめていました。

  もちろんこっそりと、気づかれないように。

  べ、別にその、裸の男の人の姿にときめくとかそういうわけでもなく……なのですけど、見ているうちにわたしの中でいろいろと満ちるもの、高まってくるものを感じてきました。

  「……」

  何だかそう―羽織っているコートの内側から熱くなるようなそんな感じです。

  身体が熱くなり、顔が火照って来るのを感じながらわたしは思わずその場を走り去りました。

  もちろん周りに気づかれないようにこっそりと、ひっそりと。

  熱くなった気持ちを鎮めるように、そして冷まさないように走りながらわたしはお祭りで賑わう人混みをあえて離れて、神社のそばにある森の中に駆け込んでいきました。

  お祭りの賑わいとも先程の熱気とも切り離されたような静かな空気に包まれた森。

  わたしはその中を静かに歩いていました。

  ひっそりと、静かに。

  空気はちょっとひんやりしてますが、不思議と寒さは感じません。

  かすかに聞こえてくるお祭りの音楽に導かれながら、わたしは森の奥へと歩いていきます。

  歩きに歩いて、それともほとんど歩いていないのか。

  とにかく歩いていた先にちょっとした広間のような空間が見えました。

  よく見るとその奥に小さな小さなお社があります。

  まるで……いえ、間違いなくここはこのお社をお祭りする場所に違いありません。

  どうしてこんな所に……とも思いますが、すぐ近くの神社とは別にあちらこちらに小さな、それこそめったにお参りされないお社があるという話は様々な本などで目を通しています。

  きっとこのお社もそのひとつなのでしょう。

  わたしは静かにそのお社に足を運びます。

  あまり手入れはされていないようですが、決して朽ちたりはしていないそのお社を見つめるうちにわたしの中に何かが満ち始めていました。

  「はあ……ふう……」

  つい吐息を漏らしつつ。

  それは間違いなく今のわたしが抱いている思いに通じている。

  そう思わずにはいられません。

  遠くから聞こえてくる祭りの音楽とわたしの吐息が少しずつ重なっていくのを感じながらわたしは、わたしは……。

  [newpage]

  わたしが色々な本を読んでいくうちにふと「それ」にたどり着いたのはいつのころでしょうか。

  人と自然・人の世界と人ならざる者たちの世界の狭間で「そうある」者たち。

  それは人ならざる者たちが「人の形をとっている」のか、人が「人ならざる者に近づいている」のか。

  「その姿」で狭間にいる者たちの姿を読みふけるうちに、わたしもまたその世界に深く心を寄せるようになっていました。

  少なくとも物語を追っている間はわたしもまた「その姿」で狭間の世界に身を置いている。

  「その姿」で立ち、「その姿」で歩き、時には風になって空を舞い、波になって水面をくぐる……。

  そんなひと時にどれだけ長く浸ったことでしょう。

  も、もちろんはしたない感情とかではなく、あくまでも自然でかつ神聖な「昇華」というかなんというか。

  それでも物語の外で行うには抵抗を感じてしまうのは避けられず、ただうずうずとした気持ちだけを持ちながら迎えたこの日。

  制約の中とはいえ公然と、堂々と「そうできる」人たちを心の中でうらやましく思いつつもわたしもまた人知れずこの場所で「それ」を行います。

  そう、ちょっと羽織っていたコートと足に履いていたソックスと靴を外すだけでわたしは、わたしは……。

  「その姿」となったのです。

  包み隠さずいうのなら生まれたままの姿―裸です。

  祭りの賑わいから少し離れた森の中、誰にも知られずにわたしは裸になって立っています。

  もしわたしを見ているものがあるのならそう、目の前にあるお社だけです。

  自分でも思い切ったことをしているとは思っています。

  まさかここに来るまでその……裸の上に直接コートを羽織っただけの姿でいたのですから。

  自然な姿で、そしてせめて気持ちの上であの祭事に「参加」するためにわたしはあえてこの姿でここまで来ることを選んだのです。

  もちろん……俗なことも考えているのは否定しません。

  幾度となく目にした物語のようにせめて気持ちの上でも―裸になって外の空間を歩きたい、できれば堂々と裸になって歩いてみたい。

  でも、人前で堂々とそうすることはその……。

  思わず顔が火照ります。

  さらけ出された素肌が震えます。

  人前で、みんなの前でそうできないのならせめてこの場所で。

  大きな神社の前ではできないのならせめてこの小さなお社の前で。

  聞こえてくる祭の音楽に合わせて呼吸を整えながら、わたしは静かに素足で地面に足踏みをはじめます。

  両腕を大きく振りながら足を思い切り上げて、一気に踏みしめて。

  何度も、何度も足踏みします。

  「はっ、ふう、はっ、ふう」

  その度に裸の胸は軽く揺れ、ついつい吐息が漏れます。

  そのまま前に、後に。

  右に、左に。

  足踏みしつつ往復を繰り返します。

  「ふぅ……はぁ……」

  時にはそのままくるりと左に、右に回ってみたりもしてみます。

  裸の身体を何度も、何度もひるがえしながら。

  そうして足踏みを繰り返すうちに両足が少しずつ左右に広がっていきます。

  足踏みは左右のステップに変わり、振り上げていた両腕はいつの間にか上下に上げ下ろしを繰り返し。

  左右に体を揺らし、軽やかに踊り始めます。

  ほとんど本やその他の資料での見様見真似の動きですがそれでも精一杯の動きで踊ります。

  「はっ、はっ、はっ、はっ」

  ひんやりした空気をかき分けるように、遠くから流れてくる祭りの音楽に生まれたままの心と身体を合わせながら。

  普段ちょっと控えめな衣装を身に着け、図書館の一角で物静かに本を読んでいるわたしからは想像できない大胆な行動を大胆な姿でやっている……。

  もし他の人が見たら驚くかもしれません。呆れるかもしれません。

  あるいは―もっとはしたない感情を抱くかもしれません。

  でも、そんな考えをすべて振り払いながらわたしは踊ります。

  心を高ぶらせ、頭を研ぎ澄まし、身体を火照らせながらこの「祭事」を貫き通すために。

  そして、踊り続けた心も身体もいよいよ頂点に達します―!

  「やあっ!」

  両足を踏み込み、小柄な身体を大きく伸ばし、細めの手足を思い切り広げ、背中を大きく反らし、それなりの胸元とその―めったに手を触れないわたしの……「そこ」を思い切り掲げるようにわたしは仁王立ちを決めました。

  その瞬間、わたしの中で色々なものが「弾けた」ような気がしました。

  「はぁ……はぁ……」

  肌は火照り、身体が余韻で緩みながらも両足はしっかりと地面を踏みしめ、両腕は夜空に伸びています。

  その目は潤みながらも夜空を、わたしをとりまく木々を、そしてわたしの「祭事」を見守り続けたお社を見据えています。

  これが、これが祭事、そして……。

  「より自然な姿で狭間に身を置く」事、なのでしょうか。

  わたしが全身で余韻を噛み締めている間にもまた胸が高鳴ってきます。

  肌が震えてきます。

  頭の中が高ぶり……研ぎ澄まされていきます。

  もう一度、もう一度。

  聞こえてくるお祭りの音色はまだ本番を告げてはいません。

  お祭りのメインイベント―さっき目にした人達の出番はもう少し先なのはよくわかっています。

  そう、お祭りはまだ終わりません。

  わたしの「祭事」も―これからなんです!

  「……やあっ!」

  わたしは素足を踏みしめ、小さな拳をきゅっと握り、裸の身体を引き締めるようにかけ声を上げた……その時です。

  [newpage]

  「きゃんっ!」

  突然何かがわたしの……わたしのそこから身体中に突き上げる衝撃が走りました。

  何かが入り込んだような、それとも取り憑いたような?

  それはわたしの奥底からじわじわと広がっていき、わたしを埋め尽くすように満ちていきます。

  「あ……ああ……ああ……」

  わたしは身体が熱くなるのを感じながらもなにもできず、ただ身体を震わせていました。

  そんなわたしの目の前にはらりと白い布が落ちてきました。

  細長くて白い布。

  ようやく動かせるようになった両手でそれをそっと受け取ると、そのまま素肌に絡めるように身に着け、あるべき形に整えていきます。

  本で読んだ知識でしか知らず、まして実際にやったことなどないその段取りをまるでずっと昔から身につけていたかのように。

  器用にねじりながら腰で締めて、白い布を……足の間にうまく通して……。

  「んっ……」

  締め込みがちょっときつかったようです。

  そのあと一緒に落ちてきた一対の白い履物を足に履いて……できました。

  ちょっと小柄で、それでもスタイルはそこそこいいと思っている身体とそれを形作っている柔らかい素肌。

  腰回りをきゅっと引き締めて彩る―ふんどし以外は曲がりなりにも「乙女の姿」をあらわにしているわたし。

  裸だった時よりも官能的に見えるかはともかく、自分ではちょっとどきどきしています。

  軽く身体をひるがえすと、腰回りとお尻とその……そこを隠すように軽く引き締めるふんどしの布の感触がちょっと心地いいです。

  さっき神社で見た男の人達に形だけは近づいた、という感じですね。

  この姿で表に出て、ぶつかり合うように町中を走り抜けて……。

  も、もちろんこれは祭事であって決してはしたない気持ちではありません。

  それでもふんどしと足袋だけの姿でお祭りの賑わいの中をゆく光景に心を震わせずにいられなかった、その時です。

  「!?」

  不意にふんどしの前の部分が密着するような感触が走りました。

  それに引き付けられるようにちょっとふんどしの引き締めが増したような気がします。

  でも、勝手にふんどしの引き締めが増すことはありえません。

  その訳は……その……ふんどしの前の部分、そこに覆われたわたしの……そこが変わっていたからです!

  突然、ほぼ一瞬でそこが盛り上がり、大きくなってふんどしの前の部分で包まれるようなそんな感じ……。

  知識では知ってましたがこれが、これが男の人の「アレ」なんですね。

  ということはわたしは今女の子の身体にアレが生えたままふんどしを締めて……。

  まるで幻想小説のような出来事が今わたしの身に起きている事に戸惑いを感じてしまいますが、次の瞬間さらなる変化がわたしの中を突き抜けました。

  「え?あ、ああっ……」

  わたしの身体の奥から熱いものが吹き出し、身体中を満たしていきます。

  手に、足に、胸に、お尻に、そして頭の中に。

  さっきわたしの中に入り込んだ何かがそうさせているのでしょうか。

  「あ、あっ」

  その熱さはわたしのそこ―アレにも広がっていきますが、そこから折り返すようにわたしの中に戻っていきます。

  まるでアレがわたしの中に満ちているものを出ていかないようにしているように。

  熱いものはわたしの身体の中でぐるぐる、ぐるぐると回っていきます。

  その度にわたしは、わたしは自分が変わっていくことを感じていました。

  小柄だった身体がぐんぐん大きくなり、手足も伸びていきます。

  肩や腰が広くせり出し、その度に骨がみしみし震えます。

  「うっ、あっ」

  痛みというより程よい心地よさを感じる中、柔らかい素肌が変わっていく身体を受け止めていくようにみっちりと密度を増し、厚く弾力を増していく感じがします。

  「うっ……くうっ」

  細い腕が指の先までしっかりとたくましくなるのを感じながらぎゅっと拳を握ります。

  「くっ……ううっ」

  つま先やかかとまでも大きく、がっちりと変わっていく中で必死で両足を踏ん張ります。

  そうするうちにそれなりにきゅっとしていたお尻もしっかり、がっちりとひきしまっていき、両肩がたくましく広がる一方それなりにいい形をしていると思っている胸がみるみる薄く、小さくなりながら胸板に吸い込まれていきます。

  「あっ、はっ、はあっ」

  いつの間にか低く、太くなっていた声を上げながらわたしは変わっていく身体を必死で受け止めます。

  元のわたしの名残を感じるのは今は顔と髪、そして「わたし」の自覚のみ。

  それももう変わろうとしています。

  わたしの中でぐるぐると熱くうごめきながらわたしを変えていったその力に改めて身も心も委ねます。

  「あ……う……うう……」

  最後の波が押し寄せようとする中でわたしは思います。

  変わりたい。変わりたい。

  ここまで変わったのなら変わるところまで変えてほしい、いや「変わりたい」。

  変わりたい。変わりたい。変わる。変わる。変わる……。

  ―わたし、変わりますっ!―

  「うああああああああっ!」

  それが「わたし」が変わる前に聞いた最後の言葉でした。

  その瞬間、ふんわりと流していた髪は短髪になり、ちょっとおとなしめの顔だちはそれなりにりりしい顔になり、そして。

  「おれ」は余韻の中で改めて自分の身体の感覚を確かめていた。

  握った拳と腕の感触。

  踏みしめた足の感覚。

  むき出しの胸板や肩幅、そして尻は厚すぎず薄すぎずの塩梅。

  そしてうかつに触れなくてもふんどしの中でしっかりと存在している―おれの「アレ」。

  よし、男だ。まぎれもなく男だ。

  ふんどしと足袋以外は真っ裸の姿を感じながらおれは妙な高ぶりを感じていた。

  ちょっと妙な具合になっちまったけどこれなら、これで何事もなくあの祭に加われる。

  今のおれは祭りに加わろうとする「男」の一人だ。

  ふと足元に立っていたお社に目が行く。

  やっぱりお社の前で「お祭り」をしたからなのだろうか。

  今のおれの中には男としてのおれとは別に何か―そう、また違う「神気」みたいなものが宿っている感じがする。

  それが今のおれにしてくれたというのなら……とりあえず感謝だな。

  そう感じながらおれはお社に手を合わせると祭りの音が響く先、あのふんどし姿の男たちのいる神社へと向かう。

  そう、おれの祭りは始まったばかりなのだ。

  [newpage]

  境内はさっき以上にふんどし姿の男達でにぎわっている。

  これからこの境内を飛び出して街を走り抜き、その先にある石柱を折り返して再び境内に戻ってくるという訳。

  別に一位を争うものでもないけどどうせならってことでみんな必死で走る。

  ふんどし姿の男たちがぶつかり合うように走り抜ける姿は迫力もあるし見ごたえもある。

  そんな様を遠回しに見てちょっと羨ましがってたものさ……今まではな。

  今のおれはこうして男たちの中でいまかいまかと祭りの始まりを待っている。

  もちろん誰からも怪しまれることなく、ってのはやはり神様のご利益ってやつかな。

  ふと見回したら観客も大勢来ている。

  そりゃあ祭りの賑わいにあてられて盛り上がるのは当然といえば当然か。

  中には見知った顔もいるけど、まさかここにいるおれがいつも図書館の片隅で本を読んでいる人物だとは気づかないだろう。

  その頃のおれだったら完璧に身動きが取れなくなっていただろうけど今は違う。

  ふんどし一丁の姿で走り抜いていっそ一着でゴールインってな。

  そして歓声の中この姿を盛大に見せつけて……っと、これじゃあただの見せたがりか。

  あくまでもこの姿は祭事、神事として走り抜くためのもんだからな。

  パンッと両頬を叩きながら気持ちを切り替えつつ、おれは神社の人から渡された力水をぐっとあおる。

  「ふうっ」

  冷たくて心地いい味がのどをうるおし、気持ちを落ち着かせる。

  そしておれは男たちのにぎわいの中、始まりの合図を……。

  って太鼓が鳴り響く、祭りが始まった!

  走り出す男たちの勢いにのまれまいとおれは反射的に走り出し、その勢いで境内から鳥居を抜け、参道に繰り出す。

  「はっ、はっ、はっ、はっ」

  大勢の男たちの中でおれも必死で足を伸ばし、腕を振りながら走る。

  運動が苦手、というわけではなかったけどそれでもかつてのおれからすれば信じられないくらいの勢いで走っていた。

  力強く、雄々しく、勢いよく走る。

  道端のあちこちから響く歓声がおれをますます勢いづける。

  「おっしゃっ!」

  腹の底から声を上げておれは走る。

  神様の宿っているこの身体、ぶっちぎりで一番―と言いたいけど、おれの前には少なからずの男たちが走っているしおれの周りにも多くの男たちが取り巻くように走っている。

  そうそう勝たせてはくれないってことか……おもしろい!

  以前のおれには思いもつかなかった感情がおれを突き上げた。

  身体の奥からはじけるような勢いと熱量に突き動かされるように走る。走る。ひた走る。

  さすがにこの人だかりからは簡単には抜け出せないけどそれでも走る。

  足を繰り出し、腕を振り、胸を震わせながらおれは走る。

  そうして走るうちに不思議な感じがしてきた。

  やけに身体が軽く、飛ぶように感じてくる。

  度が過ぎないくらいにだけどがっちりとした手足がしなやかに整えられていく。

  まるで走ることに身体が合わせているかのように。

  肩幅や腰回りも細く、より流れを切り開いていけそうなくらいに。

  ちょっと背が低くなっているように感じるのは……そうか、空気抵抗を軽くしているんだな。

  胸板が妙に柔らかくなっているような……空気抵抗はともかくある程度バランスを保てるような感じでいいんだな……。

  これだけ身軽になれば一気に駆け抜けていけそうな気がするけど……なんだか妙だな。

  そういえば足の間も妙にすっきりしているというか「アレ」の感覚も感じなくなっているし。

  そもそも今のおれの身体、まるで、まるで……。

  女の子になってるじゃないですかっ!

  「はっ、はっ、はっ、はっ……」

  いつの間にか短く刈り上げた髪も首元まで伸びてますし息つぎをする声も高く、柔らかくなっています。

  わたし、わたし、いつの間に女の子になってしまったんですか?

  みんな気づいていないようですけどこれって普通考えたらとんでもないことです。

  もしみんなが今のわたしに気づいたらいったいどうなってしまうんでしょうか。

  うまく思い浮かびませんが、きっととんでもない目に合うのは間違いありません。

  でもわたしの周りを男の人たちが走り、それを大勢の人たちが見ている中で抜け出すことはできません。

  このままでは、このままでは……。

  細くなった手足を精一杯振り、形のいい胸のふくらみを揺らしながらわたしは走ります。

  ただひたすら、ひたすらに走ります。

  そして、目の前に折り返し地点である石柱が見えてきました。

  ここを回って再び境内に戻らなければ……でもどうすれば?どうすれば……。

  そんな時、わたしの頭の中に何かが浮かびました。

  なぜわたしは走っているのか。

  こんな姿で、こんな状況になって走っているのか。

  それは、それは……。

  そう、わたしは思い出しました。

  わたしはお祭りに参加するため、自分の行いをお祭りする神様に納めてもらうために走っている。

  大勢の人たちの中を、たくさんの男の人たちに交じって……そう、わたしもその「男」の一人なんです。

  わたしは男、わたしは男。

  なぜか女の子の姿になっていますけどわたしは男なんです。

  早く男の姿に戻って走らないといけないんです。

  わたしは男、わたしは男。

  もっと早く、もっと強く、もっと勢いよく走れるようにならないと。

  わたしは男、わたしは男。

  細く柔らかい手足に、素肌にそれなりにしっかりとした筋肉が通りたくましく引き締まっていきます。

  わたしは男、わたしは男。

  柔らかく膨らんでいた胸元が縮んでいき、しっかりした胸板に変わっていきます。

  わたしは男、わたしは男。

  細く、狭くなっていた肩幅や腰が両腕や両足を支えるようにがっちりと広がっていきます。

  わたしは男、わたしは……。

  「うおおおおっ!」

  おれは―男だっ!

  そんな思いとともに叫んだおれの顔は再び短髪の男の顔に戻り、足の間にも「アレ」が突き上がるのをふんどし越しに感じていた。

  一体あれは何だったんだ?なぜおれはあそこで女になっていたんだ?

  そんな疑問もわいてくるが今は考え込んでいる場合じゃない。

  あのひと時はきっと気の迷いが見せた幻覚に違いない。

  実際だれもおれが女になっていたことには気づいてなさそうだから。

  今は男として、走っている男たちの一人として復路を走り抜ける。

  そしてこの走りを神様に納める、ただそれだけだ。

  おれはそのためにこうして裸一貫で走っているのだから。

  すべてを振り払うようにおれは走る。

  たくましくもしなやかな足を伸ばし、腕を振り、しっかりとした身体でそれを支えながら息をつぐ。

  「はっ、はっ、はっ、はっ!」

  男たちとぶつかり合うように、声援に心を合わせるように走る。

  おれの身体はどこまでも熱く高ぶり、心はどこまでも高く飛び上がっている。

  これが、こいつが祭り。こいつが祭事……。

  そう思う暇すら与えないくらいの勢いが身体の奥から爆ぜるのを、身体の外から追い風になって吹き込んでくるのを感じながらおれは走る。

  ただひたすらに、ただ一直線に境内を目指して。

  「うぉぉぉぉぉぉぉぉーっ!」

  おれは心の底から吠えながら走った。

  [newpage]

  祭事は終わり、観客の歓声と男たちの掛け声がなおも境内にこだまする。

  祭りの余韻、いや熱気はまだまだ消えそうにない。

  そんな中、おれは入り込んだ時と同じようにひっそりとこの賑わいから抜け出し、ひとりあの静かな森の中に入っていく。

  本当はお開きになるまであの賑わいの中にいた方がいいんだろうけど、おれは一応闖入者だからな。

  結果はともかく祭りの中で思いきり走れただけいいとすっか。

  とりあえずお社に戻って着替えて何事もなく祭りの賑わいに溶け込みつつ帰るって訳だが……。

  まさか今さらかつてのか弱い読書家だったおれに戻れるわけもなく―さっきのはイレギュラーってやつとして。

  いっそもとから男だった事にならないか、なんて考えるのは今もおれの中に高ぶる祭りの熱気のせいか。

  それとも宿っている神様の力か。

  そう考えながらおれはお社の前までやってきた。

  お社の前にひざをつき頭を下げて手を合わせる。

  神様への礼はちゃんとしないとな。

  そして、脱いでいたコートを取ろうと立ち上がった時。

  「うっ」

  身体の中で何かか震えた。

  おれの中で高ぶっていた熱いものが一瞬膨らんだと思うと、そのまま一気に集まっていくような感じがする。

  苦しいとか恐ろしいとか言うものはないが何かこう、おれがしぼんでいく、縮んでいく様な感じがする。

  「うっ、ううっ、うあっ」

  肩幅や腰が狭まり、身体に張り巡らされていた筋肉が柔らかくなっていく。

  「うあっ、ああっ、ああっ」

  でも同時におれの身体は柔らかくも細く、しなやかに整えられていく。

  がっちりした手足が、身体の線がおとなしめながらも曲線的なラインを描いていく。

  「あっ、ああっ、あっ」

  髪が伸び、顔つきも変わるのに合わせてのどから出る声も高く、柔らかく。

  そして息をするたびに上下していた胸板も解き放たれたように柔らかく膨らみながら形を整えていく。

  軽くくびれた腰の下では可愛らしく引き締まった尻が震えている。

  震える身体はしなるように柔らかく、地面を踏みしめる両足は細いけどしっかりと。

  握りしめていた拳はいつの間にか細く、柔らかく解き放たれていたが、その動きは余計な力を受け流す様に。

  ちょっと小柄だが優しく柔らかげな姿となっておれは身体の中で高ぶりながら集約されていく力を感じている。

  「ああ……ああ……ああ……」

  あと唯一変わっていないアレが精一杯の抵抗とばかりにふんどしの中でびんっとそそりたつ。

  しかし、おれは感じていた。

  おれは変わる。変わっている。

  おれの中で収束されているものが解き放たれる時、おれは完全に変わる。

  怖くはない。不安はない。

  ただ変わるだけだから。

  「はあぁ……はあぁ…はあぁ……」

  おれは練るように息をしながらその時を待つ。

  いや、たぐり寄せる。

  きっとこれがおれにとって最後の祭事なんだ、という勢いで。

  変わる、変える。

  おれは変わるんだ。おれは変えるんだ。

  変わる、変える、変わる、変える。

  そうしている間にもおれの中にたぎっていたものはいよいよおれから解き放たれようとしている。

  いいさ、構わない。

  色々楽しかった。

  そして嬉しかった。

  はっきり言って……ありがとよ。

  だからなんの憂いもなく戻ってくれ。

  そしておれは、おれは、おれは……。

  ―おれは、変わるんだ―!

  「うああああああっ!」

  雄叫びを上げたその時、おれの中からなにかが飛び出し、そのまま社の中に消えていく。

  その勢いでふんどしの締めが解け落ちてしまい、とっさに前を隠してしまう。

  どんどん、どんどん、どんどんとおれの中から抜け出しながら。

  そして、すべてが終わった時……。

  「はあ……はあ……」

  「わたし」は改めてすべてがあらわになった柔肌を軽く揺らしながら、全てが終わった余韻の中にいました。

  わたしの中にあったもの。

  わたしを変えていたもの。

  そしてわたしを突き上げていたものはみんなお社の中に帰っていきました。

  その証拠、というのはちょっと恥ずかしいですけど、ふんどしが解け落ちたと同時に両手で隠したその……「アレ」はもう女の子の……「そこ」に変わっていました。

  「栓が抜けた」ということなんでしょうけど、そう考えるのはちょっと恥ずかしい、なんて今更言っても説得力がないのはわかってます。

  そもそも裸にコート姿でお祭りに出た所から始まって、森の中で裸になって踊ってから神様のおかげで男の人になって……。

  もう色々ありすぎて、やりすぎてはずかしいどころでは……も、もちろん恥ずかしいものは恥ずかしいです、はい。

  特にあの時、いきなり女の子に戻ったときは……神様もちょっといじわるです。

  でも一応は心の中ではしたない事を考えてたかも知れないわたしを叱ってくれた―と思うことにします。

  色々食い違いもありましたけど、こうしてわたしの思っていた事を本当にできて、さらにこうして無事に戻ってこれたのですから。

  そう考えるうちにわたしはつい笑みを浮かべ、裸のままでもう一度お社に手を合わせます。

  改めて立ち上がると足袋を脱ぎ、解け落ちていたふんどしと一緒にまとめてお社の前に納めました。

  その後ソックスと靴を履き、また余韻の染み込んだ素肌をコートで覆うとわたしはそっと森をあとにしてまだまだ賑わっている祭りの空気の中に入っていきます。

  そう、神様の気のかわりにわたしの中に納められたものをちゃんとお持ち帰りしてこそ「祭事」なんですから。

  ついさっき全力で駆け抜けた参道を今はゆっくりと歩きながらわたしは家路を急ぎます。

  「お祭り」がもう少し続く事を感じながら……。

  [newpage]

  その後、わたしはスポーツ少女に生まれ変わった―という事もなく今日も図書館の片隅で物語を追いかけています。

  さすがにあれから「物語の外」であんなことをする事はなく―そもそもあれはお祭りだったから、神様に捧げる祭事で神様が助けてくれたからできたわけですし。

  もしそれ以外であんなことをしたらそれこそ神様に怒られてしまいます。

  その点では「そういう物語」を追うことに物足りなさを感じることなく、かえって深みを感じられるようになったのは幸いだと思っています。

  ただ、あの祭事の物語の続きを手に取るのはそう難しいことではないみたいです。

  わたしが今暮らしている場所では他にもああいう姿で行う祭事がまだいくつかありますし……も、もちろん祭事として、「お参り」するためなんですから。

  さらに色々調べてみたら昔表立ってお参りできなかった女の人たちが密かに、しかも裸に近い姿でお参りすると言う秘密のお祭りが今も続いていることを知りました。

  それについては「秘密のお祭り」なのでくわしくは言えませんが、もし叶うのならもちろん行ってみます。

  そしてもちろん参加します。

  その時は今度は「わたし」としてすべてを解き放った姿で自然と神気に満ちた世界に飛び込んでいきたい。

  裸足で風のように森の中を駆け抜けて、裸の腕で自然の空気を魚のように泳いで。

  裸の胸いっぱいに神気を吸い込み、そして、わたしは裸の身体と心で「狭間の世界」を越えた先へ……ああ……。

  と、とりあえずちょっと一息ついて、別の本に目を通したほうがいいですね。

  一息つくとわたしは静かに席をたち、読んでいた本を本棚にそっとしまうのでした。

  物語を追いすぎて、つい高まりすぎてしまった思いとともに。

  了