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私が魔獣になるまで(サンプル

  プロローグ

  「‥‥獣化薬!?」

  「はい♥」

  目の前に座ったアイドルみたいな男の子は、にっこり笑って返事をした。

  華金の今日も今日とて残業3時間。晩御飯も食べずに仕事やり終えてふらふらになりながら帰宅して、近所のスーパーの三割引き総菜つまみにビールを飲んでた私の部屋に現れた子。

  悪魔でーす、とギャルっぽい挨拶といっしょに、いきなりベッドの上に腰かけた状態で現れたのだ。

  白いワイシャツに黒のスラックス。見た目はただの制服着た学生っぽいんだけど、背中にはちっこい黒い翼が生えてて、おでこには赤いニンジンみたいな角が2本生えてて。‥‥みためかわいい系で華奢な顔立ちのすっきりした顔つきなのに、目の下めっちゃ濃いクマががびーってひどくて涙袋メイクっぽくなっちゃってるのが何だかあざといし。キャラ的には私好みだけどさ。

  舌ピアスしてたら似合いそうだなぁと、ぼんやり思いながらビール飲む私の目の前で、悪魔は「たははー」と頭をかいていた。

  「いやぁ、今月分の契約があと1件足りなかったのを思い出しまして急遽伺った次第でして」

  「さいですか」

  悪魔くんはそういってへへへ、と力なく笑った。ノルマ不足に気が付いて慌てて営業に来たってか。夏休み最終日の小学生かお前。

  「名乗らないの?」

  「悪魔に真名を尋ねるとは」

  「そうか」

  「おねーさんお名前は」

  さりげなーく聞いてくる。引っかかるとでも思ってんのかこいつ。

  返事の代わりに睨みつけてやる。

  「‥‥」

  「さとーあすみですか。よいお名前で」

  「な、なんでお前」

  「あい。退社して業務時間外なのに社員証下げっぱなしはよくないですねぇ」

  「SHIT」

  自分の間抜けさを呪いたい。畜生逃げられないやつだぞこれ‥‥!

  「あー、じぶんから名乗っていませんのでOKですよ。で、本題ですー。どーうにもおねえさん素敵なご趣味をお持ちのようですので、もしよろしければこういった商品がございますという、紹介をですね。あい」

  うざいラインすれすれの砕けた話し方をするやつだ。

  「うさん臭いってば」

  「ですよね」

  卯の花かっ込みながら眉を顰めたら、目の下のクマをゆがめて苦笑いした。

  「これがそれの試供品なんですけどねー」

  「軽いよ!?」

  いともあっさりとテーブルに置かれたそれを見て私の声が裏返った。栄養サプリの試供品ですみたいなノリでぽんって置かれたけど、そんな安い薬なのそれ?

  「あい。変身願望をかなえたい欲というのは古今東西定番ですので。商品ラインナップはとても充実しているのですよ。ええとですね、今テーブルに置いたのは試供品というか、エントリー用の試薬なんですね」

  「エントリーも何も、それが欲しいだなんて私一言も」

  「ほんとですか?」

  「あ?」

  急に真面目な声になるなよ。

  「ほんとうに欲しくないんですか?獣化薬。あんな素敵なものをお持ちですのに」

  そういって悪魔がにやーっと見たもの。私は舌打ちしながらそっちを振り向く。

  壁に掛かった、黒い毛皮。

  「伸び縮みするストレッチファーでできた狼の全身コスプレ衣装‥‥顎開閉ギミックつきリアル全頭マスクのセット。珍しい。いやぁ。変態ですねー、こーんなきれいなお姉さんなのにー」

  「人の性癖コケにすんなら帰れっ!」

  「いえいえ。めっそうもございません」

  怒鳴ったのにどこ吹く顔で、赤い角揺らしてにへーって笑って細目開けて笑ってる。

  落ち着け。こいつは悪魔だ。心を乱したら負けだ。

  「つ、つか、詳しいね?ストレッチファーとか、悪魔でも知ってるんだ」

  「あなたの心を読みましたんで」

  「っぶへ」

  さらりと言ってのけて、にやぁ、と笑ってる。みため若い男の子なのに、やっぱり悪魔なんだなこいつ。

  やばい負ける気しかしない‥‥

  内心焦る私の前で、悪魔くんは縦に割れた動物みたいな目でじろじろみてくる。

  「獣化願望に‥‥ふうん。なるほどなるほど。へえ。悪魔的にはとてもよいご趣味をお持ちで」

  「そりゃぁどうも」

  「立派な性癖ですよ。ええ」

  性癖。そう。私の性癖。ケモナーで、ケモノコスプレするのが好き。今日は金曜日だもんで、#FursuitFriday的な自撮りしようとおもって出してたんだよあれ。

  だから、悪魔の誘惑なんて聞いてる暇ないし、さっさと帰ってほしいのに、のに‥‥。なに、獣化薬?なにそれ。そんな、それってコスプレじゃなくてマジに獣になれる薬ってこと?ねえ。

  「って思ってますねー」

  「悪魔だね」

  「ぼく、それで商売しておりますので」

  どぎついクマ付けた目で、赤い角傾けてじっとり笑ってこっちを見てくる。正直、非常に抗いにくい。平静を装っているけど‥‥これも筒抜けなんだろうな。そうだよ。この薬めっちゃほしいんだよ。

  ビール缶握りしめながら薬を睨んでたら悪魔がニヤニヤ笑って私の手元から枝豆を一つ持ってって食べた。

  「うまい」

  「私の、それ」

  「3日なにも食べてなくて‥‥契約取れなくてもう、干からびそうなんですから」

  そういってほろほろと泣く真似でもするかと思ったら真顔で壁の毛皮衣装見てる。

  「馬鹿にしてる?」

  「はやく決めてくれるといいなって思ってます」

  「クソが」

  「喋り方気を付けないと婚期遅れますよ」

  「うるっせえ!」

  おちつけ。悪魔なんだからこいつ。ペースに乗せられんな。

  昔っから変身願望があった。というかケモノがかっこくて、今風に言えば推し。特に牙のある獣。近所の犬でも、ライオンみたいな猛獣でも、絵本で見るたびにかっこいいなぁって思ってた。

  毛むくじゃらで、力強くて、たくましいニオイさせて。爪と牙がかっこよくて。

  初めて行った動物園。絵本で見てた動物たちの檻の前で受けた衝撃っていったらなかった。

  かわいいのは遠くから見た時だけ。檻の前で鼻を突きさしてきたあのケモノ臭さ、鼻が曲がりそうな動物のニオイ。ギラリと鈍く光る鋭い牙とこちらを睨みつける険しい目。

  めっちゃかっこよかった。

  なのに、つがいのメスの前ではふにゃふにゃになって頭をこすりつけてて。

  つよくて臭くたって平気で、そんなこと気にもしないでマイペースで。

  わたしは体つきが小さいほうで、幼稚園ではよくからかわれていたし、強くてくさい動物の姿は幼心にとてもかっこよくて、で動物園ショックも経ていつのまにかケモナーになってて、就職して一人暮らししたら、いつのまにか毛皮衣装を着てた。

  そんな、そんな、匂いはともかく、爪や牙や毛皮けむくじゃらが好きな獣化願望のある人間の目の前に本物のケモノになれる薬置かれて、手を出さずに居られるとでも思っているのだろうかこの悪魔は!

  「あい、心は正直で大変よろしいですねえ。そのぶつくさ言いながらも、心の中でまっしぐらに悪魔の甘言に抗えないで堕ちていく様、すげえ好き」

  「まだ堕ちてない口に出してない」

  「心中おだやかならずでしたね。いやいや、大丈夫ですよ。しっかり堕としますんでー。へへっ」

  「‥‥」

  もうカモ認定されたのだろう。どんどん態度が雑になってきている。

  「えー、いま午後10時。あと2時間以内で契約取らなきゃならないもんでしてね。仕置きは嫌なんで」

  「悪魔って日本標準時で仕事するんだね」

  「私が居るのがたまたま日本なだけですからー。さ、もうぼくの誘惑に逆らえないでしょうからとっとと契約しましょう。はい、これ薬の購買契約書兼ぼくとの契約書。こまかい注意書きは読み飛ばしちゃっていいです。こことここに自筆でサインください。あい」

  「いや、だめでしょ?注意書き一番よく読まなきゃいけないんじゃないの!?」

  「読もうが読まないがおねーさんが契約する未来に変わりはないんでー」

  宗教か新聞の勧誘かお前は。

  「社会人舐めないでくれます?」

  睨みつけて威嚇したら、悪魔は赤い角を撫でながら首をかしげてきた。

  「えー? 小学生からの生粋のケモナーで、ちょっとふたなりとケモショタ好きも併発してて、変身願望めちゃつよで、大学進学一人暮らしから怪しいコスプレ衣装(ケモノ系)集め始めて、でも最初は怖気づいて東〇の犬走〇のコス衣装から始まって尻尾とケモミミめでてたけど、でもタガが外れて衣装のケモ度だんだん強くなっていって、毛皮タイツつき今泉〇狼から一気にファースーツ自作まで至ってて、ガロ〇のファースーツにも手を出しかけてでも筋肉造形難しくてあきらめてて、あと胸と局部穴あき黒ゼンタイに〇ンジャラスビースト着てやる変態オナニー好きであのファースーツもオナニーするのが好きな社員証まるだしコンプラ意識ド低いド変態が獣化薬差し出されて釣られて飲まない訳ないと思っていますけど」

  穏やかな笑顔のままで今までの遍歴とディスりを一気に言われて、私は泣きそうになっていた。

  「‥‥そ、そう何度も変態いうなよぉ」

  「ぼく悪魔ですからー」

  趣味ならまだしも一人遊びとかプライベートなところまで全部一気にすらすら暴露しきられて、涙目になるしかない私を、悪魔くんはクマのきつい目をゆがめてニヤッと笑った。

  縦に割れた瞳孔が、きゅっと小さくなった。

  「さ、飲みますか。飲みませんかー」

  「‥‥」

  「きんようびだしー、じかんはたっぷりありますしー。あ、30時間くらいで元に戻れますよー」

  「っぐ」

  「いまのんでー、日曜の朝には人間に戻ってますよー」

  絶妙な長さ。1時間とか1年とか不可逆じゃなくて連休をたっぷり使って後始末の時間まである絶妙な時間の長さ!

  「でー。変身している間の来客や電話その他は心配いりません。僕があなたの声で応対しますんで」

  しかもサービス抜群!

  「さー、どうしますかー」

  「っち!」

  「いらないんですか? 毛が生えますよ?」

  「ふううっ」

  「しっぽも生えますよー。牙も爪も生えますよー?」

  「う、ぐ」

  「‥‥さ、どうします」

  「のむ」

  返事せずにはいられなかった。

  ダメだってこんなの。

  悪魔は、上に向かって歪んだ三日月みたいな邪悪な目で笑っとる。

  「うへへへ。まいどありー」

  「ちくしょうっ」

  「これから畜生になる人が畜生ってなんなんでしょうねぇ」

  「うるっさい!」

  抵抗なんてどだい無理。こいつの誘惑に逆らえるわけなかった。コスプレじゃなくて本物のケモノになれるんだもん。もう今すぐ飲みたい。早くくれ。

  しかしお代はどうなるんだ。代償はなに払うんだろう。飲む言っちゃったけど命とか差し出すの? 緊張してきた。

  「ふつうはそういうの最初に聞くもんだと思いますけど」

  「っち」

  「ま、そういう風に迂闊なんでけーやくしてくれると踏んでお邪魔したわけですけどねー」

  「そうやってディスるのが君の芸風なの」

  「いえ? 気軽に話できる男友達が欲しいってあなたの欲望をちょっとだけ再現してあげてるだけです。 ご契約サービスです」

  全部お見通しかよ。

  のどがカラカラで、握りしめた手の中ですっかりぬるくなったビール缶を呷った。

  ――鼻に突き抜けるのはホップではなくジャスミンのような花のかおり。

  「むぐうううっ!?」

  「あ、薬それに入れといたのでー」

  決心!?わたしの決心する時間は!? いつ入れた?

  「迷うだけ無駄です。そんなの時間の無駄ですんでねー。さっき壁の毛皮衣装を見たでしょ。そん時に入れたんですよ。ほれ、とっとと飲んでケダモノになってね。あい、契約一本まーいどー」

  「さ、サインまだっ‥‥っ」

  でへーってクマ付きの目をギンと開いて悪魔が笑ってる。

  「いったでしょー。お試し薬ですって。本契約はまだですから、とりあえずその薬で獣化お試ししましょう。1時間で元に戻るのでー」

  「ま、まいど、あ゛りっで、いった、ぐうう!?」

  いきなり喉が締め上げられるような感触が襲ってきた。せき込んだ声が、どんどん低くなっていく!

  「声帯変わり始めましたねー。いやー、この薬の獣化を体験したらもう本契約せずにはいられないですから。紀元前の王様も、19世紀のヨーロッパ貴族も、お試しのあとで無抵抗なまま気持ちよく獣になりましたよー。だーからちょっと気が早いですけど毎度ありっていったんですぅ。統計的にこの誘惑跳ねのけられたの0パーですからぁ」

  「っぐ、が」

  テーブルの上のビール缶が飛んでいく。手足が勝手に動く感覚。制御できない!

  「ああ、部屋を壊しちゃだめですねえ。サービスです。プレイルームへご案内しましょう」

  「が、ぶ」

  「はいっ」

  悪魔くんが指を鳴らしたら、アパートの白い壁がいきなり黒くなった。

  陥落

  「が、ふっ」

  スマホで返信メッセージをどうやって打ち込めたのかわからない。

  指紋は変化して肉球になり、顔認証などできるわけもなく、ねばつく指先は打ち込み中に画面をどんどん汚してタップミスが頻発するようになった。それでも何とか、それらしい言い訳を打ち込んだ。ひとのいい主任は、何かあったら連絡してね、と即レスしてくれた。うれしかったけど、今はあまり早く返信してくれない方がよかった。だってお礼をうつのが大変だったから。気を付けないと爪が飛び出してくるけど、爪じゃスマホの画面が反応しない。必死になってタップするうちに緊急通報を押しかけて何とかキャンセルできたのは幸いだった。

  (これからどうしよう)

  時刻は既に昼の12時を回っていた。私は獣化した姿のままで、床に仰向けに転がって呆然としていた。どうしたらいいか、まだその時点では深刻に考えていなかった。

  うちの会社でのコロナ対応は、一応通達に同じ。出社は5日経ってかつ熱が下がってから。だから少なくとも5日間は時間がある。時間にして120時間。いくらなんでもそれだけ時間があれば元に戻る。とりあえず昨日の23時に薬を飲んだのだから、今の時点で13時間経過している。最大でも30時間の間は獣化しているとして、あと17時間。そうであれば明日の朝には元に戻っているはずだ。

  思わぬトラブルであったけど、平日に思わぬ休みを得て、しかも獣化したまま。わたしのからだは浅ましくも、しめしめと疼きだしていた。朝にあれだけ焦っていたのに、わたしはなんとかなると安心して、ボーナス時間を愉しもうとしていたのだ。

  昨日の晩からエアコンをつけっぱなしであったけど、弱にしていたので部屋の中は気温が上がりつつあった。外はもう30度を超えている。カーテン越しに強い日光が部屋を炙っていて、わたしは毛皮の奥にじんわり汗をかきつつあった。毛におおわれているから汗なんか垂れないけど、それでもぬれた雑巾みたいに汗が染み出てくる顔の毛皮を、同じくしっとりした腕の毛皮で拭った。

  「ぐ」

  つうん、と毛皮の奥から汗のにおいがしてくる。獣化していると体臭が濃くなるのが早い。というか昨日は一日働いて帰ってくるなり薬を飲んだから、風呂に入っていないのだ。洗ってない犬、いや、猫のようなにおいだなと、公園の野良たちのニオイを思い出しながら、わたしはまた短い毛の生えそろった手の甲を、そっと鼻に押し付けた。

  「むぎっ!」

  とんでもない刺激臭に思わず顔を背ける。そうだ。昨日の晩シコりまくって、股間も手のひらも精液まみれのまま寝たのだ。乾いてはいたけど手のひらも手の甲も精液が染み込んだ上に時間経過でイカ臭くなり、それが獣臭と汗と垢と混じって、複雑な悪臭と化していた。汗をかいた後の小鼻脇のニオイに、生乾きの干物のにおいを混ぜたような、とにかく胸の奥が切なくなるような悪臭。

  仮病使って会社休んで何しているんだって、頭の奥で誰かが言うんだけど、体はその声を聴いて焦るような気持ちになるのに、全身がぞくぞくしてくる。きっと背徳感だ。仮病使って会社休んで、人前に出られないくらい臭いライオン獣人になって、女なのにちんこいじりした後の手のにおい嗅いでフガフガ言ってるんだ。わたし。えへへ。ああ、ちんちんむずむずしてきた‥‥

  「がふっ‥‥」

  左手が股間に伸びていく。ごわっ、とした感触。精液がこびり付いて固まって、まるでムースをつけて固めたようなごわごわした陰毛の中で、ちんこがむくむくと大きくなりつつある。ときどきぺりぺりと何かがはがれる感触がちんこからする。陰毛がへばりついていたのが、勃起で膨らんで、ぷちぷちはがれていっているのだ。

  そのまま手を伸ばしてちんこを掴もうとしたが、絡みついた陰毛が粘膜を締め上げて悲鳴を上げた。思わず上体を起こして股間を見る。むわっ、とこかんからた手のひらのレベルではない臭いが鼻を衝く。白くクモの巣のような糸を引いたまま固まった精液が絡みついた悲惨な陰毛の中で、ぐんぐんちんこが大きくなりつつある。

  私は一瞬躊躇したが、くっさい手のひらの肉球を、粘つく唾液をまとった舌でベロンと舐め上げた。

  「ぐふあっ‥‥むぐ!」

  あの臭いが、時間のたった精液と汗と垢の匂いが、塩分と苦みが舌と鼻を襲う。それをこらえながら、わたしはたっぷりの唾液を手のひらで股間に擦り付ける。ねろり、と生暖かい粘液がちんちんを撫で、ぷつぷつと陰毛がはがれる感触。そして、ぶるん、と熱い塊がごわごわの陰毛から飛び出した。わたしはべちゃべちゃの手を使って陰毛をかき分け、左右に開く。

  「ふあ」

  もわっ、と股間から湯気が立つ。陰毛の奥から濃縮された汗が揮発していくのだ。ちんちんについたよだれは、エアコンの風に撫でられてそよそよとむず痒い感触を残して乾いていく。よだれと股間の陰毛の奥にこもっていた臭いが混じりあって蒸発し、エアコンの風に乗って私のケモノ鼻に届く。

  粘つく汗と変質精液、ぬめる脂と、臭腺から湧きだす獣臭。そして濃厚なフェロモンのニオイ。ねばっと重たい臭いに、鼻がくすぐられる。

  (くさいよぉ‥‥)

  女としてあるまじき体臭なのに、なぜか鼻をヒクつかせるのをやめられない。

  (くさい‥‥のに、嗅ぎたい‥‥なんでぇ‥‥)

  かろうじて糞尿のニオイまでは混じってないけれど、それ以外のありとあらゆる悪臭がわたしのからだから立ち上りつつある。

  汗のニオイ。変質してイカ臭くなった精液のニオイ。出したての精液のニオイ。垢のニオイ。しめった角質のニオイ。皴の間から漂う甘臭い汗と垢の混合物のニオイ。皮脂のニオイ、脇から漂うフェロモン混じりの雑菌の湧いた粘っこい汗のニオイ。乾いてミュータンス菌の死骸がたっぷり混じった脱力するような涎のニオイ。

  (やばい‥‥やばいよぉ‥‥くさい、くさいのぉ‥‥)

  がふ、がふ、がふと磨いてない口から思いっきり臭い息を吐いて、ねばねばする手のひらの肉球で、おっぱいをぶるんぶるんと弄る。ふと開けた脇から、むわっと汗のにおいが噴き出したので、顔を横に向けて脇に鼻を突っ込んだ。

  「うぎゃう‥‥」

  (くさいよ‥‥いい、でもくさいのいい‥‥おっぱいとちんちんぞくぞくする‥‥ケモノの臭いさせて、くっさいの嗅いで、あたまぎゅんぎゅんしながらおっぱい弄るのきもちいい‥‥あ、ちんちん、でる)

  びゅううっ!

  グネグネと悶えながら射精したので、精液がベッドの方へ跳んでいった。だらりと側面からこぼれるそれをぼんやり見ながら、ぶるんぶるんの肉球でちんちんをしごくのが気持ちいい。

  「っが、ふうっ、っふううっ」

  びゅううっ、びゅ、びゅううっ。

  (はぐっ、う、きもちい、くっさいの、はああっ)

  また連続射精に入る。あたまがぎゅーんと締め上げられるような快感が連続する。はああっ、はあっ、と臭い息に汗のニオイ。また股間がぐちゃぐちゃになってくる。

  びゅるん、しこしこしこ、びゅ、しこしこっ、むわっ、ぐぶぶっ

  私の出す全部が音になって頭の中をぐるぐる回る。目の前が真っ白になって、心臓がぎゅうぎゅうと締め上げられてくる。

  (くさい、暑い、きもちいい、あせじゃばじゃば。すっぱいよ。くさくてすっぱくていかくさくて、やばい、にんげんじゃない。私人間じゃない‥‥きもちいい、きもちいい、きもちいいい!)

  「ふぎゃっぁっ!」

  びゅうううううううっ!ぼだぼだぼだぼだっ!

  ひときわ大量に出た精液を全身にかぶる。部屋中に私の精液が跳ね跳ぶ。エアコンでかき混ぜられてる蒸し暑い空気が、すさまじい臭いに染まっていく。

  「へへっ、っへえへっ」

  しこしこ。

  しこしこしこ。

  びゅうっ。

  びゅゅうっ、ぴゅ

  ぴゅっ‥‥

  へへへ、へへへ‥‥

  「佐藤さん! 佐藤さん!」

  「!!!!!!!」

  突然の叫び声に、私の全身が縮み上がる。

  どんどんドン!と玄関のドアが強くたたかれていた。

  「佐藤さん! 起きてる!? 佐藤さん!」

  (主任っ!?)

  部屋の中は真っ暗だった。いつの間にか夜になっている。慌てて時計を探すが、主任の声色が変わってきた。

  「ねえ! 佐藤さん! 答えて! 佐藤さん! 返事できる!?」

  (‥‥救急車呼ばれる!?)

  「っが!」

  思わず出た声は獣のモノだった。

  「‥‥佐藤さん?」

  玄関ドアの向こうで息をのむ気配がする。

  主任さんだ。

  なんで‥‥と思い、私はコロナで休んでいることになっていたことを思い出す。

  まさかお見舞いに来たのか!?

  なんで、と牙を剥きかけた私だったが、ふと傍らでスマホが震えた。

  21時35分。 未読メッセージが19時ころから送られていた。また新しくメッセージが届いた。「大丈夫?」と。

  既読が付かなかったから、心配してきたのか‥‥

  邪魔をするなと心の中でライオンが吠えかけたが、何とか取り繕うべく私は昨日から精液を撒き散らしていた毛だらけのカーペットから体を起こす。

  べりべりと精液で貼りついていた毛皮がカーペットからはがれる音がする。

  身じろぎするたび、ごわつく剛毛がまるで大きな手のように私の脇や股間、首元を刺激する。

  (へへ、へへへ。からだ、きもちいいっ‥‥)

  ちんちんがまたむくむくと大きくなるのを感じる。わたしは何とか体を起こすと、四つん這いでしっぽをなびかせ、獣のように玄関に向かう。土踏まずの中足骨が伸びたケモ足とつま先、手のひらの肉球は全く音を立てずに私を玄関にいざなう。でも、全身をごわつく陰毛で愛撫されているので、ときどきがぶぶ、と鼻タブがふるえちゃう。

  (あ、やばい、あるくだけできもちいい‥‥くさいにおい出てきて、ざわざわ体撫でられてて、やばいよ‥‥ちんちんむくむくしてる‥‥ちくびがたてがみでさわさわされちゃってる‥‥)

  「さとうさん?」

  鉄のドアの向こうには主任が居る。なんも知らない主任さんが、心配そうな声で私の返事を待ってる。

  たし、たしと肉球で床を踏みしめ、ごわつく毛皮に全身愛撫されながら、わたしはようやく土間の手前まできた。

  どすん、と玄関マットの上に腰を下ろして、体を壁に預ける。

  刺激されていた体の快感の波が引くのを待って、私は一言うなった。

  「が、ふっ」

  「!」

  玄関前の気配が動いた。驚きのニオイだ。

  「さとうさん? いる?」

  「あ、ぐっ、がぁ」

  「よかった! いきてたぁ‥‥!」

  声が泣きそうな色に変わる。 ほんといい人だ。主任。

  「うが」

  「喉痛いよね? いい!いい! 無理に話さなくて良いから! ごめんね。心配になっちゃって‥‥」

  何とか返事をしようと、わたしはケモノの喉をなんとかうならせて、人間の言葉を出す。

  「あぐ、うう、あ、りが、どう、ござ、ます」

  「ひどいね‥‥声でないね‥‥ やばかったら私でもいいし、救急ちゃんとよんでね!」

  「あ、がっ、は、ばい」

  まるで山月記だ。トラじゃなくて獅子だし、まともに喋れていないけど。

  あ、これも獣化的においしいシチュだなぁ‥‥今の私の姿見たらどうなるカナ。主任、びっくりするよね‥‥

  へへへ。みせたいな。こんなにきたなくてくっさいライオンの姿、みせたいなぁ‥‥

  あの妄想みたいに、服びりびりってやって‥‥

  あさましくも私はまた獣の欲に支配されていた。ぞわぞわ全身を刺激する毛皮に悶えながら、腰を前に突き出して股を開く。むうわっ! と悲惨な臭いが噴き出し、その核になるちんちんがむき出しになった。玄関はたちまち獣の臭いで充満した。でも、外には出ていかない。換気扇が回っている。ドアの下から、清冽な夜の匂いと、主任の甘い花のような女のニオイが噴き出してきている。

  あ、主任、明日あたり生理だ。

  なおさらじゃあ、襲うなら今日だな‥‥

  ドアの向こうに獣が居るのも知らず、やさしい主任は涙声で嬉しそうに喋っていた。

  「ごめんね、具合悪いのに起こしちゃって、でもどうしても気になって、だって、2日も既読付かなかったから‥‥」

  は?

  「ほんとごめん、でも気になっちゃって。‥‥レトルトよかったら食べて。玄関の脇に置いておくから‥‥」

  は? 2日?

  なんで? なんでなんでなんで? だってわたしまだ、ライオンで、ちんちん生えてて、くっさくって、え、え?

  「じゃあ、お大事にね。会社は具合よくなってからでいいから、寝ててね!」

  「が、はがっ」

  主任の足音が遠ざかっていく。いい匂いが遠ざかっていく。

  でも私はそれどころではなかった。

  うそっ、うそっ! 30時間以上獣化してる! うそっ! わ、わたし、戻れなくなってる!

  にんげんにもどれなくなってる!

  「あ、が、ま、まっでっ、あ、あがあっ!」

  思わず両腕で全身を抱きしめた瞬間、これまでの日でない快感が全身を襲った!

  ぞくぞくぞくぞくぞくっ!

  「ふぎゃあああうううっ!」

  びゅううううぅっ!

  ばちゃばちゃばちゃばちゃっ!

  

  壁に寄りかかっていた姿勢のまま、股を開いて座ったまま、私は射精する。

  ぼたぼたと粘液がドアとお気に入りのパンプスにねっとりと掛かるのが見えた。

  ああ、わたしが、にんげんじゃなくなってる。くさくてきたないライオンで、精液撒き散らして喜んでる。体撫でられて、撫でられただけで気持ちよくなって、人間にもどれなくなってるのによろこんでて、あ、ああ、からだ、なでられて、あ、わたし、わたしちんちんみたいに‥‥

  ぎゅうっ、とまた全身を強く抱きしめる。ごわつく剛毛が毛皮越しに皮膚に食い込んで、ちくちくぞわぞわ全身の皮膚を刺激して、あ、ぞくぞくが、快感が全身を駆け巡って、あ、あたまが、ぎゅーんって、あ、ちんちんから、あ、で、でちゃう、また、さわらないのにせーえきがっ‥‥

  「っごぼっぶああああっ!」

  ごびょううううっ!

  どぱぱぱぱぱっ!

  気が付いた瞬間、私は、“口から” 精液を吐き出していた!

  「ご、ぶぁ、っぐぐぇええええっ!?」

  強烈な精液臭が鼻を犯す。出したての精液のカルキ臭が口を襲ったかと思ったら、急激に変質して、生乾きの海産物臭に変わる!

  「うっげええっ、げっ、う、うぶっ、ごぼおおおぼあっ!」

  

  どばばばばばっ、とまた口から精液があふれ、玄関が精液びたしになっていく。わたしはびくびくと痙攣しかける体をなんとかひきずって、部屋の中へ戻っていく。けど、足に力が入らなくて、壁に爪を立てて壁紙を引き裂きながら体を引きずる。でもその刺激で、体がしごかれて、あっというまに快感がまわって、またわたしは射精しながら口からも吐精する!

  びちゃちゃちゃっ! ぐじゅっ。

  床に這いつくばり、壁に体を寄せて、まるで廊下の隅で全身をしごくように、ねばねば汚い毛皮を引きずって、汚れたモップみたいにフローリングに汗と垢と獣脂と臭いと精液をなすりつけながら、わたしはバスルームへ芋虫みたいにうごいていく。

  ずるっ。

  ぞくっ。

  ずりっ。ごわっ。

  ぞくぞくっ。

  うそっ! きもちいのなんでっ!?

  「おぶぇっ」

  床に顔を押し付けたまま吐精してしまった。

  目が回って、ぶじゅっ、と顔がフローリングに落ちる。

  鼻から目から、精液が逆流する。臭いが鼻を満たす。からだの、からだのぞくぞくがとまらない――――

  (ゆめ‥‥これは、わるいゆめ‥‥)

  電池の切れかけたバイブみたいに、廊下でグネグネ悶えながら、私はまた気を失った。

  口からなまぐさい精液をこぼして。

  激臭バーバリライオン魔獣人

  「む、ふぐううっ、ううっ‥‥」

  ぐらっと目が回る。あせがぽたぽたあごから滴り落ちていく。

  エアコンを消して、カーテン閉めて、精液染みついて茶色く変色したカーペットの上。

  これがもともと白いカーペットだったなんて誰がわかるだろうか。

  酸化して茶色のシミだらけで、ほこりとダニまで死滅して腐ったか、甘酸っぱいにおいが立ち込める中で、私は黒いコートを着込んで、はっはっと舌を垂らしていた。

  コートの中では私の汗と獣の脂が熟成されている。たまに喉元から湧いてくる臭いが鼻先をくすぐると、しっぽがぐいんと立って、ぞくぞく甘い痺れが頭を揺らす。

  まだ。まだ溜める。

  死んだスマホは生乾きの精液がこびりついたまま、床に転がっている。

  今日は月曜だ。あの薬を飲んで5日目。もう元に戻る気配なんてどこにもない。でもいい。

  今はにおいが嗅ぎたい。ひたすら臭くて最悪で最高な私の獣臭嗅ぎたい。

  「ふぐ、ふぐううっ、へへへ、へへ!」

  我慢できない。

  私は抱きしめていた腕を一気に開く!

  

  ぶわあああああっ!

  「んごぼううっっ!」

  一気に噴き出し拡散した臭いで、私は絶頂していた。しっとりねばつく黒い体毛を晒し、お気に入りのコートを、精液と悪臭で二度とオフィス街を歩けないようなありさまに変えながら、口とちんちんから精液噴き出して、にんまり笑いながらイってる。

  はあっ、はあっ、吐息する口の中に、チンカスの匂いが漂い始める。もう今となっては、精液を吐き出すと、まるで歯垢のように歯茎や頬の裏にもチンカスが出来上がるようになっていた。喉から転がり出てくる量の比ではない。

  それをぐちゃぐちゃとガムみたいにかみ砕く。タンパク質の変質した強烈な悪臭が脳天を貫き、その衝撃でちんちんからまた精液がびゅうううっ、と吹き出す。

  「おごもぼおっ!」

  遅れて口からも精液が噴き出す。苦くて生暖かくて最悪な粘液が口に充満し、歯にこびり付いた瞬間あっというまにチンカスに変わっていく。

  

  もう、だめだよわたし‥‥

  部屋中のあらゆるものを精液まみれにして、ごわごわの獣毛揺らして‥‥

  へっ、と笑った瞬間、死んでいたはずのスマホが光るのが見えた。

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