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この物語はフィクションです。
登場人物、地名、その他名称等は実在の人物、場所、事件等には一切関係ありません。
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「……よし、誰も居ないな」
夜。
子ども達が寝静まったタラニスの中で、僕はキッチンに続く扉をほんの少しだけ開いてからそっと覗き込み、足を踏み入れる。
「流石に、みんなが居る前では出来ないからな……」
そろり、そろりと足音を立てないようにキッチンに入ってからそっと扉を閉めると、僕は小脇に抱えていたボウルを流し台の横にある調理スペースに置く。
水が張ったボウルの中には、やや長方形の白い物体が一つ、タラニスの自動運転による振動でゆらゆらと揺らめいていた。
「これで材料は全部……ここまで長かった……!」
目を閉じ、鉄壁に遮られ見えない空を仰ぐ様にうんうん、と頷く。
一瞬、これまでの事を思い出し感慨に浸りそうになる……が、生憎今はそんな時間はない。
主に、匂いに敏感なイヌヒト──見逃してくれそうな男子勢はともかく、メイちゃんやワッパちゃんに気付かれてしまっては、間違いなく追及による追及で締め上げられてしまうだろう。
例えマルトくんの様なリーダーではなくとも、最年長としてカッコ悪いところは誰にも見せられない。
ここからは、時間と──自分自身との勝負だ。
「始めよう──」
僕は懐から集めてきた材料や調味料、冷蔵庫からひき肉を取り出してボウルの周りに並べると、マッチに火を付けた。
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「さて、と。久しぶりだからなぁ……手早くしたいところだけど、まずは落ち着いて、じっくりやるとするかな」
僕は軽く深呼吸してから、フライパンに少し多めに油を注ぎ、火を入れて熱していく。
「えーっとまず……タカノツメ、っと……」
分かりやすいように目印を付けておいた小袋から、真っ赤な乾燥唐辛子を1つ……いや、3つほど取り出すと、まずヘタの部分を取ってから軽く揉みほぐし、中の種をザーッ、と唐辛子が入っていた小袋に戻す。
捨ててもいいのだが、それではなんだか勿体ない。
乾燥していることもあり、正直発芽するかは分からないが、もし育てば何か別の料理に使えるかも?なんて事を思いながら、僕は暗いキッチンの中、手元が見える様にと灯した蝋燭の火を頼りに、まな板にタカノツメを横向きかつ縦に並べ、まとめて包丁で切り分けていく。
予め乾燥させているからか、やや固い手応え──かと思っていたが、ハンナさんの使い方が丁寧だからか、サクサクと切れていく。流石はみんなのお姉さん、物の手入れもバッチリだ。
「んで、ニンニクは包丁の背で潰し…てと。芽を取って荒微塵にしたら、これも香りが出るまで炒めて……」
包丁の腹に刻んだニンニクをまとめ、滑り台の様にフライパンへと投入すると、シャッ、とニンニクの水分が油に触れて蒸発する音が響く。中々良い音だ。
そうして、フライパンを傾けて油の泉を作りながら、木ベラでかき集めるようして油にタカノツメとニンニクの香りを移していくと、ほんの少し嗅いだだけで、辛みの中にツンと鼻を突くような、思わずむせ返る程の独特の匂いが漂い始める。
「おっ、懐かしい匂……う゛っ!?ゴホッ、エホッ……!」
音が響かないように少しうずくまりながら、マズルを手で覆うように抑え咳をする。
覚悟はしていたが、やはりイヌヒトには唐辛子は元より、にんにくは強烈な匂い……換気扇を回していて、本当に良かった。
……とはいえ。
(どうする……!?最悪、これを続けたら明日は一日鼻が効かなくなるかも……)
今ならまだ間に合う。そう思い、火を止めようとした右手を、左手が止める。
(なっ!?何をするんだ左手!?今ならまだ僕らは引き返せ──)
──思い出せ!
(ッ!?)
──忘れたのか!?今日に至るまでの日々を!あの、己の全てと引き換えにしてでも口にしたいと恋焦がれた、あの刺激への渇望を!!
(ハッ……!?)
突如、走馬灯のようにこれまでの日々が脳内にフラッシュバックしていく。
(……そうだ)
僕は、ここで諦めるわけにはいかない。
これまでの旅、そしてプチ=モナ村から今日に至るまで、僕はこのタイミングを今か今かと待ち続けてきたのだ。
それに比べれば、なんて事は──ッ!
「ありがとう、左手よ……!僕はまだ戦え」
「どうしたのウインドさん、こんな夜中に……?」
恨むぞ左手よ。
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「なるほどねぇ~……お夜食を作ってたの」
「はい……申し訳ありません……」
「ふふっ、いいのよ謝らなくて。それよりも、火傷した訳じゃなくて本当によかったわ」
ロウソクの照らすキッチンで、僕はハンナさんの前に正座しながら、事情を説明していた。
まぁその前に、僕が右手を高々と突き上げていた様子を見て火傷してしまったのかと心配するハンナさんに、しっかり弁解をしなければならなかったが。
もちろん、材料が焦げないように、そして火事にならないようにフライパンの火は止めておいた。
「それにしても、お夜食だなんて……いつもご飯をちょっとしか食べないのは、このためだったの?」
ハンナさんの言葉に、僕は首と両手をぶんぶん振る。
「ちっ、違うよ!?別にハンナさんのご飯が足りないとか、マズイとかって言ってる訳じゃなくて……!!」
「ふふふ、大丈夫よ。ウインドさんたら、いつもご飯の時にすっごく美味しそうにしながらぱくぱく食べてるんだもの。そして、みんなの為にいつも自分の分をこっそり分けてあげてるのも、ね?」
「あ、あはは……バレてたかぁ……」
元々誤解が無かったことに安心して、ほっと胸を撫で下ろす。
もちろん、僕が言うまでもなくハンナさんの料理は絶品だし、出来るならお腹いっぱい食べたい。
けれど、今はこのご時勢、そしてただでさえ大所帯かつ、食べ盛りの子ども達が沢山いるのだ。
それなら、僕なんかよりも他の子がより沢山食べて、それで笑顔になってくれる方が幸せだ。
……そう思って、でもバレるとみんなから気を使われるかもしれないから、こっそり分けていたのだが──流石ハンナさん、目敏い。
「もちろんよ!わたしだってみんなのお姉さんなんだから、ウインドさんの行動だってしっかりお見通しよ?……なーんて♪」
ハンナさんは軽くウインクして見せながら、にっこりと微笑む。
正直、少し怒られるかもと身構えていたので、僕としてはちょっと意外だった。
「ところで、お夜食なんだけど……せっかくだし、何を作ってたかわたしにも教えてくれない?ウインドさんがそこまでして作りたかったお料理、わたしも食べてみたいの」
「え!?いや、それは……」
「みんなを起こしにいってくるわね♪」
「わーっ!?教えます教えます!ぜひ一緒に食べましょうハンナさん!」
「ふふ、分かればよろしい」
……やっぱ少し怒ってるかもしれない。
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「マーボードーフ?」
「うん。この白くて四角い豆腐っていうのを使って作る、とある国の料理なんだけど……ってそういえば、ハンナさんは見るの初めてだっけ?豆腐」
「ええ、初めて見たわ。わぁ……なんだかヒツウシのチーズみたいね!」
「そうだね。といっても、こっちは大豆を搾った液を固めたものだから、味は全然違うんだ」
ハンナさんと共にエプロンを着けながら、調理を再開していく。
といっても、やはり異国の食べ物だからか、目の前に並ぶ様々な食材を前に、ハンナさんも興味津々のようだ。
「へぇ!お豆からできるのねぇ~……って、ウインドさん、それは?なんだかお肉みたいな色合いだけど……」
ハンナさんは、僕の持っている包み紙から覗く赤ピンク色の食材を指差して、首を傾げる。
「ああ。これはひき肉だよ。この前市場で貰った肉を、その場で包丁を使って荒微塵にしてもらったんだ。こう、ダダダダーッ!って」
「ヘェー!あのお肉がこんな風になるのね!でも、どうして?」
「ん~なんでだろ……お肉の味を、より無駄なくしっかり引き出すため、かな?」
そう言いながら僕は包み紙を開けると、そのまま豪快に油の中へとひき肉を投入する。
肉が油の蓋代わりになりつつ、火を止めて匂いが落ち着いていた事もあってか、先程のむせるような唐辛子の香りは、瞬く間にひき肉へと吸いこまれた。
「ふぅ…………さて、あとは数分炒めて肉汁が透き通ったら、料理酒と[[rb:豆板醤 > とうばんじゃん]]、[[rb:甜麺醤 > てんめんじゃん]]、[[rb:豆鼓醤 > とうちじゃん]]をそれぞれ大さじ1杯で再び炒め合わせれば、肉味噌の完成……っと」
匂いが落ち着いてきたことに胸を撫で下ろしながら、僕は木ベラでひき肉を崩す様にしながら、口ずさんだ通りにひき肉を炒め合わせていく。
火は焦げない程度に弱火と中火の間くらい。
もしこの様子をジン君なんかが見てたなら、きっと『男なら豪快に強火で行け!』……なんて言うだろうけど、こればっかりはじっくりやった方が美味しくなるのだから仕方ない。
「……そういや、カイル君やソックス君って料理出来るのかな?マルト君は家の事情的に大丈夫かもとして、ブリッツ君は……やった事なさそうに見えて、お母様の事を助ける為に作ったりとかはしてそうだけど……ハンナさん、何か知ってる?」
そう言ってチラリとハンナさんの方を見ると、ハンナさんは、
「トーバンジャン……?テンメンジャン……??」
と、さっき僕の呟いた手順を、まるで魔法の呪文を聞いたかのように繰り返していた。
とはいえ、この様子だとさっき派呟いてた事も多分分かってないかもしれないけど。
「……おーい?」
「えっ!?あっ、ウインドジャン!?」
それは流石にずるいと思う。
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「……それで、次はお豆腐だけど……そろそろ落ち着いた?ウインドさん」
「う……うん……フフ……大丈夫……だいじょっ……ふっ、くくく……っ」
「もう、あんまり笑ってるとわたし、みんなを起こしに行っちゃうわよ?」
「いやっ……ごめっ……ふぅーっ……ふーっ……うん、もう大丈夫……!」
気を抜くと思い出し笑いしそうになるのを必死に堪えながら、僕はハンナさんが進めてくれていた工程を引き継ぐ。
あれから数分。
どうにかこうにか肉味噌を作り終わるのと同時に、もう一つの火にかけていた鍋の水がグツグツと湧き上がったのを見て、僕はまな板の脇に置いていたボウルから、白い物体──お豆腐を崩さない様にそっと掬い上げる。
人づてに噂に噂を重ねて辿り着いた事もあり少々値が張ったが、持ち上げても崩れる様子がないところを見るに、どうやら品質は確からしい。
タラニスの中に持ち帰る時には誰にもバレず、かつ崩さぬようにと苦労したが、その甲斐はあった様だ。
……ちなみに僕の名誉の為に言っておくと、さっき値が張ったと言ったが、各材料費は全て僕のポケットマネーだ。
子ども達との共有財産には、一切手を付けていない。断じて。
「わぁ……なんだか、すごくぷるぷるしてるのね」
「触ってみるかい?でも、そーっと、優しくね」
ハンナさんはおそるおそる手を伸ばしながら、僕の手のひらの上で震える(ぷるえる?)お豆腐を指先でちょん、とつつく。
それに合わせて、ぷるん、という弾力を見せるお豆腐に、ハンナさんはまるで、初めてクリスマスプレゼントをもらった子どものように、目をキラキラと輝かせながら、ちょんちょん、と何回もつつく。
その様子が、もう僕としては許されるなら頭を撫でつつぎゅっと抱き締めたくなる程にかわいい、と思うのと同時に。
(……普段、お世話になりっぱなしで忘れていたけど……ハンナさんも他の子と同じで、僕よりしっかりしてるけど、僕より年下で……普通の女の子、なんだよな……)
不意にそんな事を思ってしまい、胸がきゅっ、と締め付けられる様な気持ちになってしまう。
それに無意識だったとはいえ、さっきハンナさんに抱いた気持ちも、そんなつもりは無くても、どこか彼女を子どもだと思っているから来た様なものだ。
(……この料理だって)
本当は、自分の欲望とか抜きに、ハンナさんや他の子ども達に、自分の事で無理をさせたくないと思ったからだ。
でも……本当に負担をかけないようにすべきなら。
(子ども達を明日にでもどこか安全な場所に降ろして、僕一人でこの戦いを──)
「……えいっ!」
「!?」
急にほっぺをつつかれてハッとすると、ハンナさんが少しむくれたような顔で僕の頬へと指を伸ばしていた。
「……えと、ハンナさん?」
「もう、お料理の最中でしょ?火を使ってる時は、火元から目を離しちゃダメ!」
言われて一瞬ぽかんとするが、そういえば鍋に火をかけたままだったと気付き、急いでそちらを振り向く。
幸い、変わらず沸騰はしているものの、空焚きや水嵩が極端に少ない、という事にはなっていなかった事に、僕は安堵する。
「……ありがとうハンナさん、僕……」
「お礼はあとで!さ、ウインドさん、次はどうするの?」
ハンナさんはどこか安心した様に笑うと、僕に次を促す。
……どうやら、今はセンチメンタルな話は後にした方が良さそうだ。
それよりもまず、今は目の前の料理を完成させなければ。
「ん……えっと、お豆腐なんだけど、触ってもらった通りぷるぷるだから、まな板で切ると掴むのにも一苦労だし、時間が掛かるんだ。だから……」
そう言いながら、僕は手の上でお豆腐を賽の目上に切り分けていく。
それにハンナさんがぎょっとした目をするが、それは一旦スルーしつつ、勢い余ってお湯が溢れてしまわないように、僕はお豆腐をお湯の中へ、そっと沈めていく。
「あとは、軽く塩をひとつまみ振って、これでOK」
と、言うが早いか、ハンナさんはお豆腐を載せていた手を取り、慌てた様子で見る。
だが、予想していた通りではなかったのか、傷一つ無い僕の手のひらを見て、混乱した様に僕の顔を見上げた。
「えっ……えっ?」
「ふふ、不思議でしょ?でもこれは僕の手が厚いからとかそういうのじゃなくて、お豆腐が特別柔らかいから出来ることなんだ」
でも。
僕は、ハンナさんに両手で掴まれたままの手をそっと握り、微笑む。
「心配してくれて、ありがとう。ハンナさん」
手を握られた事か、それともからかわられた事からかは定かではないけれど、ハンナさんはほんの少しだけ顔を赤らめながら、
「どういたしまして」
とニッコリ笑ってくれた。
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「よし、そろそろいいかな」
沸騰した鍋の中で、お豆腐がまるでダンスをするかのようにくるり、ふわりと舞い始める。
これがお豆腐に火が通った合図だ。
「こんな風になったら火を止め、お豆腐をザルにあけながら、軽く振って水切り。その後は、崩れない様にそーっと、さっきの肉味噌の中に入れて、更に煮込む」
「?煮込んだのに、またこっちで煮込むの?」
「うん。下茹で、って聞いたことあるでしょ?野菜とかにするように、お豆腐も一度下茹でしておくと、中の水分が抜けて煮崩れしにくく、かつ煮込んだ時に水分が料理の中に滲み出たりしなくなるんだ」
ハンナさんに解説しながら、僕はお豆腐と水を入れた肉味噌を火にかける。
お豆腐の熱もあってか、そう経たないうちに鍋の中はぽこぽこと沸騰し始めてくれた。
「さて、ここまで来たら……」
僕はコートの懐から小瓶を2本取り出し、掲げ持つようにしてシャカシャカ振ってから、じっと中身を見る。
……どうやら、虫が湧いたりなんかはしてない様だ。
「?ウインドさん、それは?」
「ん、これ?魔法の粉……ってやつかな?時に、ハンナさんって辛いのって平気だったりする?」
「え?うーん、そうねぇ……そういえば、食べた事ない……かも?」
「おっと。じゃあこれは完成してからお好みで振る形にしようか。入れるタイミングは自由だし」
そう言って小瓶をしまう僕を、ハンナさんは不思議そうに見る。
本当は内緒で入れても良いのだが、それは1人で食べる時の話。
特に、味覚の敏感な小さい子を始めとして、世の中には辛いものがどうしてもダメな人がいる以上、作り手は誰かと食べる時、己の好みを自重せねばならない事もあるのだ。
さて、鍋もいい感じだ。そろそろ仕上げといこう。
「そういえばハンナさん、アレもう溶いてくれた?」
僕が尋ねると、ハンナさんはええ、と頷きながら、計量カップに溶かしたアレを見せる。
「カタクリコ、って言うんだっけ?このとおり、ちゃーんと水でずっと溶いてたから、このとおり大丈夫よ♪」
「ありがとう。じゃあ、鍋の火を消して……と。よし、じゃあ僕が掻き混ぜるから、それをゆーっくり入れてくれるかな?」
ハンナさんが「任せて!」と注ぎ始めるのに合わせて、僕も木べらでゆっくりと鍋をかき混ぜていく。
「でも、どうして火を止めるの?それに、お玉の方が何かと楽じゃないかしら?」
「そこなんだけど……実は今入れた片栗粉って、火にかけたまま入れちゃうとダマになっちゃうんだ。それに、混ぜにくくても木べらの方が、お豆腐を崩しにくいってのもある。……どっちも、ちゃんとした理由があるんだよ」
「……村で過ごしてる時にも思ったけど……」
「?」
「ウインドさんって、実は料理上手?」
その言葉に、思わず『そうだよ、知らなかった?』と言いたくなる気持ちに駆られるが……僕は敢えて首を振りながら否定する。
「ジン君と同じさ。彼が仕事で食事当番をやるにつれて腕を上げたように、僕も村に辿り着くまで、やるしかない、するしかない、って状況にずっと身を置いてたから」
「……なんだかわたし、イヤなこと聞いちゃったかしら?」
「ううん。むしろ聞いてくれて嬉しいよ。僕も、ハンナさんにどこまで自分のこと話せばいいのかわかんないし、それに……」
言いかけて、ふとこれ以上心配させるような事を言う必要も無いだろうと思い、口をつぐむ。
ハンナさんも、それを何となく察してくれたのか、何も聞いてくることは無かった。
本当に、ハンナさんはしっかりしている。
それこそ、己を犠牲にしてしまう程に。
「……っとと、なんか暗くなっちゃったね!さ、ハンナさんのおかげでとろみも綺麗に付いたし、これで麻婆豆腐、完成!食べよう、ハンナさん!」
「……ええ!」
少なくとも、今はお互いこれでいい。
下手に色々考えるなんて、解決しないならめんどくさいし、ツライだけだから。
「そういえばウインドさん、味見はしなくていいの?」
「……あっ」
やっぱり、僕はもう少し考えた方が良いかもしれない。
[newpage]
「さて、それじゃあ──」
「ええ、手を合わせて──」
「「いただきます」」
そう言って僕らは、シチュー用の底が少し深めのお皿に盛られたライスと麻婆豆腐を前に合掌する。
本当はハンナさんまで合掌はしなくても良いのだが、以前村に居た時にクセでやったところ、何故かハンナさんにも移ってしまった。
それが、単なる真似っ子かどうかは分からなかったけれど……少なくとも、ハンナさんがそうしてくれるのを見る度に、僕が浮いた存在……独りじゃないと思えるのは、嬉しかった。
「わぁ~……!なんだか嗅いだことのない香り……!なんだか、少しツンとするというか、酸味のある感じね!」
「遠い国では、こういうのを中華料理、って言うんだ。大体は軒並み辛い食べ物なんだけど、今回は多分、そんなに辛くない……かな?」
結構真っ赤に見えるけど、まぁロウソクの明かりでそう見えるだけかもしれないし…………うん、大丈夫、大丈夫。
「へぇー!それじゃあ早速……♪」
と、ハンナさんはウッキウキでスプーンで麻婆豆腐を掬い、口に運ぶ。
(……とはいえ)
辛くない、とは言ったものの……正直自信が無い。
というのも、僕は超辛党過ぎて、常人の辛いがピリ辛程度にしか感じられないからだ。
「……もぐもぐ……ん~……」
まぁでも、今回は辛さ対策にミルクも用意したし、問題は──
「ッ!?これ……!!」
「あッ、やっぱ辛かった!?ごめん!ミルクならここにあるから、これで……」
「すっっっ……ごく!美味しい!!」
「……へ?」
「美味しい!すごく美味しいわ、麻婆豆腐!口に入れた瞬間はすごく真っ直ぐな辛さがあるのに、噛む度にひき肉からじゅわっ、と肉汁と旨味が溢れてきて!しかもそれが、餡の辛さと混ざりあって……!辛いんだけどそれだけじゃない、
とっ……ても奥深い味になるの!ん~!!」
「そ、そう……?なら、よかっ、た……?」
ハンナさんは、目をこれまでに無いくらいにキラキラと輝かせながら、次々に麻婆豆腐を口に運んでいく。
どうやら、ハンナさんは思ったより辛党らしい。
ちょっと……いや、かなり意外だ。
「あっ、そうだ!ねぇ、ウインドさん。そういえばお料理の途中、何か眺めてたけど……あれって、もしかしてスパイス?」
「えっ?あっ、ああ、これ?掛けてみる?」
僕は懐からさっきの2つの小瓶を取り出すと、ハンナさんに手渡す。
「もちろん!どんな味になるのかしら……!」
ちなみに、1つは唐辛子を粉末状にしたもの。そしてもう1つは、花椒というものを同じく粉末状にしたものだ。
どちらも当然すごく辛いが、入れ過ぎなければ特に問題は──
「わぁ、いい香り~♪」
「そうそう、いい香り……ってハンナさん、入れ過ぎ入れ過ぎ!な、なんかもっと赤くなって……!?」
「いただきまーす!…………むぐっ!?~~っ……!!!??」
「ほらもう!言わんこっちゃ……!」
慌ててミルクを渡そうとすると、ハンナさんは口を抑えながら、涙をぽろぽろ零し始める。
やはり、簡単に手渡すべきじゃなかった。
特に、いくら辛さが平気だからって花椒は流石に……
「お…………」
「お?」
「おいし~~~っ!!!」
マジか。
「スゴい、本当に美味しいわ、これ!!唐辛子の真っ直ぐな辛さに、香り高くも痺れるような爽やかな辛味が、まるで手を取り合うようにわたしの舌で……!!わ、わたし……生きててよかった……!!!」
ハンナさんはあっという間に麻婆豆腐を食べ終わると、仕上げとばかりにミルクを飲んで、ふうっ、と息を吐いた。
「ごちそうさまでしたっ♪本当にすっごく美味しかったわ、ありがとう、ウインドさんっ!」
「う、うん……まさか、ここまで喜んでくれるとは思ってなかったけど……口にあって良かったよ」
いや、本当に。
正直、合わなければハンナさんの分まで食べようと思っていたのだけれど……そんな心配はする必要もなかったようだ。
にしても、ハンナさんが辛党だったのには驚いた。
いや、もしかしたら僕並み……それ以上かもしれないが。
"「そういえば、わたしね、これを食べてて思った事があるの」
「?思ったこと?」
「ええ。この麻婆豆腐……まるで、ウインドさんみたいだな、って」
「麻婆豆腐が、僕みたい……?」
ええ、とハンナさんは頷く。
「さっきも言ったけど、麻婆豆腐には真っ直ぐな辛さと、それを包む様なひき肉の旨味がある、って言ったでしょ?」
「あ、うん。言ってたね」
「それがまるでわたし、ウインドさんの事のように思えたの。誰よりも突き抜ける様に真っ直ぐで、でも誰も置いていかない、包む様な優しさ……でも」
「でも……?」
「知ってる?辛さって、本当は痛みなの。さっき使った唐辛子の様に、増せば増すほど、包むものは無くなり、優しさは消えていってしまう……本人は優しいつもりでも、真っ直ぐ過ぎるのはいずれ、誰かを置いていってしまうの」
「……」
その通りかもしれない。
僕は、自分で言うのもアレだけれど……少し、真っ直ぐすぎるところがある。
何故かはよく分からない。
けれど、心のどこか……それこそ、深い深いところの奥で、まるで誰かに"そう在れ"と言われたかのように。
「でもね?」
「?」
「さっきのスパイス……花椒、だっけ?あんな風に、感じる痛みは違っても、一緒にその痛みを分かってあげられる人もいる。それはきっと、この世にあるスパイスと同じか、それ以上に」
「ハンナさん……」
「だからね?」
ハンナさんは、僕の手をぎゅっと握りながら、ニコッと微笑む。
「今度からは、抱える事があるならウインドさんだけで解決しようとしないで、わたし達にも分けてほしいな。もちろん、今回の事だって、ね?」
──正直。
こんな事を言われるとか、こんな事になるとか、僕には考えつかなかったし、考えもしなかった。
だから、どう答えればいいのかとか、どう答えたら、僕らしくなるのかなとか、そういうのは分からない。
けど。
「──うん」
何故か、不思議とハンナさんの前では、飾らずに居ていいんだと……本当に、何故か自然に……そう思えた。
「──さ!ウインドさんも食べて!ホントにすっごく美味しかったの!」
ハンナさんに促されるまま、僕はちょっと冷めてしまったけれど、まだまだ温かい麻婆豆腐を口に運ぶ。
「──どう?」
ハンナさんは上目遣いをする様に、僕の顔を覗き見る。
味はもちろん──
「うん。すっごく、美味しいよ」
夜も深まった、あぜ道を走る戦車の中。
淡い光に包まれたひとときの中、楽しそうに笑う2つの声が、ただ静かに響いていた。
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