ひょんなことから虎獣人(オス)拾ったんだが原始人過ぎて今更後悔してる

  「……春、か」

  誰に聞かれるでもなく、ぽつりと呟く。

  朝ベットで目覚め、なんとなく『暖かいな』と感じるたび、俺──名乗る程度の者じゃない、どこにでもいるしがない狼獣人だ──はそう思う。

  普段は睡魔に誘われ、中々起き上がれないことが多い朝。でも、こんな風に気持ちよく目覚められた日は、何となく気分もよくなる。

  今日一日、なんかいいことがあるかもしれない。今日は街まで足を運んでみようか。外で食事して、のんびりぶらついて。出不精でダウナーな俺だけど、こんな気持ちのいい休日はちょっとだけ、いつもとは違うことをしてみたい。そんな気分にさせられる。

  そんな春の陽気に柄もなく浮かれてしまった俺は、頭の中で今日一日の予定を組み立てながら、鼻歌交じりにリビングへと赴く。

  ひとまずコーヒーでも一杯しよう。時間はたっぷりあるんだ、ゆっくり決めればいい。

  そうしてリビングに入り俺は──気が沈んだ。

  「んにゃぁ……にへへ」

  そこには同居人として引き取った虎獣人、フリッドが、気持ちよさそうに寝ていた。

  まさかの真っ裸で。大の字になって。

  :::

  フリッドを引き取ることになったのは、今から数か月前。まだ寒空に身を凍えさせるような時期のことだった。

  コイツはあろうことか、そんな寒さの中一人道端で野宿をしていた。コートも着ずに、冷たい地面に横たわって。

  そんな目を疑うような光景に俺はつい、声をかけてしまった。

  ホームレスなんてこの街じゃそう珍しいもんでもないし、絡んでもお恵み要求されるだけ。そんなことは分かっていたはずなのに、つい、そうしてしまった。それが厄介な出来事の始まり、だなんて、誰が想像できたろう。あらかじめ知らされていたなら十中八九、避けていただろうに。

  まあそのどうしようもなかった、で事態が片付くわけじゃない。俺は当初、かかわってしまっては仕方ないと、近くのシェルターに送り届けようと考えた。

  一応補足しておくと、シェルターってのは行き場のない人々が寝泊まりできる施設だ。ホームレスだけじゃなく、DV被害とかそういう『やむにやまれぬ事情』がある奴がゴロゴロいる場所だ。

  一般人からすればなじみのないトコ。かくいう俺も、一時期はお世話になったトコで、冬の間はそこにいてもらえば、ひとまずは解決するだろう。そう、考えたんだ。

  けれどこいつはその提案を断固拒否。施設だけは絶対に嫌だと、話すら取り合っちゃくれない。

  施設にぶち込まれるくらいならここで野垂れ死んだほうがマシ──そう騒がれるもんだから、代替案としてその場はウチに連れ込むことでその場を収めた。

  で、フリッドをウチに連れ帰って一日後。我が安アパートに保護者だという男が現れた。

  『フリッドォォオ!! どごい゛っでだんだあ゛あ゛ぁ!!』

  『いた、痛いって、ちょ、リッツってば』

  『ごめ゛んよ゛お゛一人にさせじまっでえぇぇ!!』

  『痛い、苦しい、メキメキいってる、ねえメキメキいってるって、ねえ?!』

  フリードリヒと名乗るオランウータン系猿獣人。推定職業、軍人が。

  よほど探し回ったのだろう、再会した二人は熱い抱擁を交わしてした。こっちの冷ややかな視線なんてお構いなしに。

  された側が痛がってるって? しらねーよんなの。

  とにかくだ。これでひとまず安心、肩の荷も下りましたしあとは好きにしてくれってことで連れて帰ってもらおうとした。が、そうは問屋がおろさなかった。

  『暫く預かってくれ?』

  『図々しいのは分かってる! でもこの通り!』

  直後に待っていたのは猿野郎からのお願い、いや、依頼だった。

  フリードリヒの話によると、彼は普段救援活動を主にしているらしく、フリッドはその過程で“拾った”らしい。

  いわゆる戦争被害者か、なんて聞き返すと、なんともあいまいな返答でお茶を濁された。分かりやすい誤魔化し方に俺は少し腹が立ったが、そこまで深堀するもんじゃないとその場は流す。誰だって話したくないことの一つや二つはあるもんだから。

  家庭に招くこともできず、だからと言って保護施設に預けようとすれば暴れまくる。リッツにとっても結構参っていた問題らしく、このまま連れまわすのもどうだろうってとこで考えていたら、いつの間にかいなくなっていたのだとか。

  ま、要は体のいい押し付け相手が見つかったから頼んじゃおう、ってハラだ。押し出がましいなんてもんじゃない。

  お前はそれでいいのかよ、とフリッドに聞けば、そいつはそいつであまりフリードリヒと共に居たくなかったみたいで。『俺がいたら……リッツ、困るから』なんて言って、話の流れに身を任せてようとしていた。

  『馬鹿ヤロウ! だからっていなくなったら哀しいじゃねーか! 俺はこんなにもフリッドのことが好きだってのに!!』

  『……リッツ』

  『いいか、よく聞いてくれ。俺は世界中の誰もが敵に回ろうともお前のことを愛してるって叫び続ける。お前がいらない存在だって思うのなら、俺はずっとお前を必要とし続ける。

  だから、そうやって自分を責めるな。そうされるのが一番堪える』

  『こた……?』

  『……傷つく、だそうだ』

  二人のクサいやり取りに、フリードリヒの傍にいたミミズクの鳥人が答える。

  急にデカい眼球をつけたやつがしゃべったもんだから、俺は思わずぎょっとしてしまった。いやだって存在感皆無だったんだ、そんな奴が急にしゃべったんだぞ? 驚きもするって。

  そんなミミズクの彼だが、驚いた俺の顔をちらりと見たあと、そっと視線を逸らし空気と同化し始めた。

  ……傷つけちまったんだろうか。その場ではもうしゃべらなかったし、フォローなんてできる余裕すら、俺にはなかったわけだが。

  『そんなわけでさ、預かってくれるとこっちはすごく助かるんだ』

  『嫌です』

  『即答?! ……あーいや、金か。勿論承諾してくれるなら幾らか払うさ。な? いいよな?』

  『……』

  ぶっちゃけこんな話にのっかる気なんてこれっぽっちもなかった。俺は慈善団体の一員じゃないんだ。見ず知らずの男一人預かるなんて行為、死んでもお断りだったさ。

  だってそうだろ。被災した人たちが可哀想だからって貯金全額募金する奴なんているか? むしろそれ以上のことをしろって言われてんだぜ? 誰が首を縦に振るんだって話さ。

  だけど。金、なんて言われてつい、耳が動いちまった。

  世の中どう取り繕おうと、最後にはやっぱ欲がすべてを制する。欲を満たすには金で解決するのが一番。だから俺が反応してしまったのは当然なんだ。いくらがめつい野郎だって言われても、金銭の誘惑には勝てないわけで。

  そうして俺は、あれよあれよと虎獣人一人と同居するハメになってしまった、というわけ。

  ……自業自得だろって? ほっとけ。

  :::

  「……はぁ」

  こうして振り返っても、なんであの時手を差し伸べちまったんだろうか。放っておいていたら今頃、悠々自適な一人暮らしを満喫できていたのに。こんな、朝目覚めたら男の裸体が転がっている状況に立ち会わずに済んだってのに。

  気を取り直そうと俺はコーヒーを一口すする。……うん、やっぱ朝はミルク多めの温かいコーヒーに限る。粉末も悪くないけど、普通に牛乳入れた方が俺としては好みだ。ポーションミルクは論外で。

  そもなんでリビングで寝ているのかというと、そこしか部屋がないから、という単純な理由に行きつく。男の一人暮らし、そんな収入も多くないのに個室なんて貸せるわけがないんだ。寝食が保障されているだけましだと思ってほしい。

  だからこうして男のオトコと毎日こんにちはするハメになってんだが……なんで脱ぐかな、コイツ。掛毛布とか、貸してるはずなのに毎晩蹴とばしてっし。ヒトの好意なんだと思ってんだ。

  「……はぁ」

  「なんだ物憂つげに溜息なんかついちまって」

  「……ガレッツォ」

  「もしかしてアレか。俺にー、会いたくて会いたくって、星の数の夜を超えちまったって、そんなカンジ?」

  「まあそんくらい老け込みそうな」

  俺が悲観にくれるなか、いかにも頭湧いてそうな発言を繰り出してきやがったのは鰐獣人ガレッツォ。いかつい体格にギラリと光る眼光、いかにもギャングのヘッドみたいな面構えをした、ただの馬鹿だ

  「んもー、いつも通り素直でないこって。せっかく朝のモーニングコールにやって来たってのに」

  「頼んでねえよ帰れ」

  「じゃあ遊びに来たってことで」

  「くんな害獣」

  俺のプライベートなぞこいつにはお構いなし。むしろぐいぐい積極的に侵害してくるときた。アポなし突撃訪問なんて常日頃なもんで、最近は第二の我が家とでも言いたげに居座る始末。『そろそろ結婚、しよっか』なんて晩飯囲いながら言ってきたときは、マジこいつどうやって川に沈めようか本気で考えたもんだ。

  そんなコイツの最近のマイブームっつーか、ウチにくる目的は──

  「お、立派なマーラ様」

  「んなデカくねーだろ」

  「んじゃああれ、エッフェル塔」

  「男のブツを世界遺産に残そうとすな」

  拾いネコならぬ拾い猫系獣人フリッドでして。

  なんの琴線に触れたのだろう、ちょくちょく猫グッズを買い与える日々が最近続いている。おかげさまでウチのリビングの外観はファンシー路線まっしぐら。住めればどうでもいい俺からしたらノーダメだけど、フリッドは相当嫌がってる。

  まあ、首輪とかチュールとか、送ってくるのはそういう系統だし。間違いなくヒトとして扱ってないし。

  これ、俺が奴隷買い始めた、なんて思われてんじゃなかろうか。メシ食うだけ食ってあとは寝て、それ以外はやることなし。あとはおもちゃで遊ばせて──

  うん。やってることまんま奴隷。否定できねえ。

  まあそんな扱いは置いておくとして。ガレッツォはいまだ寝ているフリッドを見つけると、そろりそろりと忍び足で近づいていく。顔にニンマリ、笑顔を張り付けて。

  そうしてフリッドの頭部に忍び寄ると、その場にしゃがみ、耳元へ向け歌いだす。

  「バナナの皮めく〜ろ〜 姿を見せてよ〜」

  「おい」

  「生まれ〜て初め〜て〜」

  「おい馬鹿」

  あろうことか名作と名高いディズニー映画、その挿入歌を。最悪な替え歌で。

  「何やってんだお前は」

  「英才教育だが」

  「なんで」

  「だってオラフ、一人の夜は寂しいじゃない。だから慰めになってもらおうかなって」

  「声色変えんな。誰がオラフだ」

  ふざけんな。この感じだとお前がアナじゃねえか。なにしれっと主人公の座に居座ってやがる。

  どや顔で『俺、いいコトしてます!』みたいな面してるガレッツォのなんとウザいことか。のでとりあえず肘鉄ぶちかます。

  「あてっ」そのままおとなしくガレッツォは喰らうが、対してダメージ食らってなさそうなのが実に腹立たしい。俺の攻撃なんか対していたくないのか、この男は避けることがない。ドМかってなるが、こいつは真正のサディスト。

  『お前の澄ました顔を歪ませたい』結婚を求めてきた直後に俺に言ってきた台詞がこれだぞ? ほんとなんなのお前。俺のどのポジションに就きたいのお前。

  やっぱ沈めよう、川に。そんでもってやり直してもらおう、人生を。

  元の住処に帰った方が絶対世の中のためになるって。陸と川じゃ生きてく世界が違ったってことでさ、おとなしく諦めて帰ってくれ。

  「チョコバナナ食べたかったな〜、イヤでもっそーでもないかな~」

  「塔を上るな」

  性懲りもなく歌うガレッツォに、今度は回し蹴りを一つ。

  流石に騒がしくなってきたのか、フリッドがうなされだした。

  「う、う〜ん」

  「お、起きるか起きるか?」

  「何喜んでんだスカポンタン」

  ヤバいとおもった俺はとっさにガレッツォの口をふさぐ。真正面に、抱き着くように。

  ああもうなんで鰐の口ってこうも無駄にデカいんだよ。こうしないと絶対口塞げねえじゃん。なんかコイツ、こうして口塞ぐたびちょっと嬉しそうに目を細めやがるし。マジ腹立つ。

  「バ……バナナの……房…………フッサフサ〜」

  「教 育 完 了」

  そうして聞こえてくるのは、フリッドのなんとも言えない寝言。

  気をよくしたのか、ガレッツォがサムズアップする。

  もうヤダこいつら。帰れよインドネシアあたりに。一人時間返して。

  :::

  「なあ」

  「おーよ」

  「なんでさ、アイツ、怒ってんの?」

  「さあ」

  オメーらのせいだよ。バカしやがって。

  

  あのあと無事……まあ無事に起きたフリッドは目の前の鰐に絶叫、テーブルをはさんでぐるぐる追いかけあっていた。当然マッパで。

  まあそんな見苦しい光景視界からシャットアウトしたい俺は、ガレッツォをしこたまぶん殴って止めさせた。流石にこれは効いたのか、今もアイツ頭さすっている。

  「まあアイツも狼だからな。お月様の日ってのがあんだろ」

  「なんだそれ」

  「しらねーの? アイツ、その日がやってくるとカラダの我慢が効かなくなって物欲しゲブフッ」

  「あ ん だ っ て ?」

  余計なことを言い出したガレッツォめがけ、クッションを投げつける。

  それは見事命中し、いかつい顔が可愛らしい子猫の顔にすげ変わった。

  なにがお月様の日だ。勝手なこと言いやがって。

  月と狼はセットのイメージ持たれがちだけど、実は関係全くないから。そんな簡単に発情なんかすっかっての。

  

  「あわわわ……」

  「おい」

  「は、ハヒッ」

  「お前もここで暮らす以上、言葉遣いに気を付けろ。自身の行動に責任を持て」

  ついでに虎の方にも釘を刺しておく。低く、喉を鳴らしながらそう言えば、本能がそうさせたのだろう、いそいそと服を着始めた。

  それでいい。成り行きで同棲することになったとはいえ、俺たちは所詮他人同士。なれ合う必要なんか一切ないんだ。むしろ怖がられていた方が後々言い聞かせられて都合がいい。

  「そーんな脅しやがって。ダイジョブ、こいつ何だかんだで甘ちゃんだから」

  「ベランダに出ろ。突き落としてやるから」

  「今アオカンっつった?!?!」

  「言ってない」

  ガレッツォが嬉々としてこちらに目線を向けてくる。視線っつーか、かわいい猫クッションを向けて。

  青姦ってなんだよ。こんな晴れた日にベランダ出て見苦しい光景ご近所さんたちに見せびらかそうとすんな。俺の立場が悪くなるだろが。

  現に見てみろ、フリッドがぽかんと不思議そうに口開けてんじゃねーか。あれ青姦ってなんだろうってついていけてない表情だぞ。ついてこなくていいけど。

  「もー、そんな激しいプレイ求めちゃって。俺がいくらアダルトで魅力あふれる男だからってよう」

  「お前のアダルトは後ろにチルドレンってつく方だろ」

  「チルドレン……つまり俺とお前、お仲間ってことじゃん!?」

  「揚げ足取ろうとすんな」

  チルドレンが複数形だからってんな拡大解釈求めてねーんだわ。

  ちなみに。こんだけいかがわしいコトするんでしょ、同人誌みたいに! なんて主張してくるガレッツォだけど、一度もそんな行為になったことはない。ぐずぐずに泣き崩れる姿が見たい、なんて割には暴力とか性行為とか無縁の関係である。意外だろ? 俺も意外。

  「……あ、その」

  俺たちの言い合いに好奇心が刺激されたのだろう、フリッドがおずおずと手を挙げる。

  んだよその『私、気になります』みてーな視線。嫌なこと聞いてくんだろうなって気配ビンビンにおわせてくんな。

  「コイツとはそういうんじゃねーから。勘違いすんな」

  「いや、その」

  「えーそんな寂しいコト言うなって」

  「黙れ」

  茶々を入れてくるガレッツォのことは放っておくとして。

  それでもフリッドは何かもの言いたげに目をさまよわせる。正直な話、俺コイツの自己意識がはっきりしないというか、こういう時のはっきりしない態度、全く持って気に食わない。

  なんつーか、まどろっこしいんだよ。ヒトの関わり合いにはペースってもんがあるのは分かるさ。けれどさあ? 迷ってもしょうがないもんをいつまでもいつまでも悩んでるなんて、そんな阿呆のすることをいつまでも待っていたくねーんだよ、こっちは。

  「あの、さ」

  「おう」

  「二人ってどういう関係なんだ……?」

  散々迷ったのち、ついにフリッドは口を開く。その反応にガレッツォは、

  「よくぞ聞いてくれました!!」

  その言葉を待っていたといわんばかりに俺の肩を抱きよせた。

  

  「俺達、切っても切れない糸で結ばれた関係──」

  「腐れ縁といえ」

  「なんだよあんだけ熱い夜を共にしたくせに」

  「熱帯夜の日にエアコン壊れたからって駆け込んできた話か?」

  「誰も割り込むことのできないあっつあつの──」

  「冷え切ってるよ。離婚寸前の夫婦とタメはれるくらい」

  ここぞといわんばかりに自分たちの関係性を主張するガレッツォ。それを俺は真っ向から、言われた傍から切り伏せる。

  どうにも仲がいいと主張したいらしい。が、そんなの俺は知ったこっちゃない。

  俺とガレッツォは単なる知り合いだ。俺としては縁を切りたいが、金魚の糞が如くくっついてくるってだけ。恋仲とか愛人関係だとか、そんな浮ついたもんじゃない。

  「第一、お前そんなに俺と付き合いたいか」眉を潜ませそう聞けば、

  「いや全然」と、この鰐はさも当然のように返してきた。

  そばで黙って聞いている虎もこれには困惑。『あれ、そうなの?』なんてツラしている。

  「でも……お前がどうしても、ってんなら……相手になるぜ? ジョー」

  「だれがジョーだ。自分のジョニーでエンジョイしてろよカス」

  肩に回された腕を払いのけ、じゃまな面を押しのける。

  仲いいな、なんてフリッドが呟いているが、こちとらまっぴらごめんだ。羨むような関係じゃないんだっての。

  *

  「……で」

  「やっぱポテトにダブルチーズバーガー……いやまてファヒータも捨てがたいな」

  「なに人んちでデリバリー頼もうとしてんだバカ鰐」

  スマホ片手にガレッツォが唸る。どうも今日は一日中くつろぐ気満々らしい。糞が。

  そのすぐそばでは、フリッドが興味津々で画面をのぞき見している。いろいろと気になるものがあるのだろうけど、ガレッツォがいまだに怖いのだろう。スワイプ操作をするたびにちょっと不満そうな表情を浮かべては、でもどうしようもないと落ち込んでいた。

  「何知りてーの」仕方ないんで頭を手の甲で軽く叩き、助け舟をだす。

  「あ……ファヒータって何かなって」

  「トルティーヤに肉と炒め野菜のっけて、巻いて食べるやつ。タコスっぽいアメリカ料理、かな」

  「……ぽい?」

  「ぽい」

  ぽいっつーか、タコスと言われればまあタコス。メキシコ料理っぽいのにアメリカ産料理。

  味もまあ同じだし違いっつたら……タコスは巻かれた状態でお出しされるけどファヒータは巻かれずにでんとお出しされるとこ、か。屋台で出てくる料理ってイメージじゃない。

  「…………おっし、注文終わり。いやー、いまから待ち遠しいなぁ」

  と、まあそんな感じで柄もなく世話を焼いている間にガレッツォは注文を終えたようで。

  傍目で見ていた限りでは相当の量注文しているように見えたんだが。つか俺の分まで勝手に注文されたんだが。普通聞くもんだろ、何食べたいか。

  「ほんとお前さあ……。金誰が払うんだよ」

  「ん? ああ、俺が払ってやんよ。最近臨時収入入ったし」

  そういって見せてきたスマホのディスプレイには決済完了の文字と宅配時間が。

  ……だからここで食っていっていい理由にはならないんだが。いやいいんだけどよ。今更終わらせちまったことに文句は言わねーけど、なんでことごとく勝手に事を進めんだよ。俺の意見を取り入れる気はないんかね。

  「まあ安心しとけって。俺セレクト一押しメシ、ハズレなんてねえからよ」

  「期待してねえのよ誰も」

  「あ、の。いいのか? 金、使われて」

  おごられるということに抵抗があるのだろう。フリッドが隣で不安そうに聞いてくる。

  それに対しガレッツォの回答は「あ? 支払い能力のないペットがご主人に文句か?」だった。それを受けフリッドは何も言えなくなったのか決まりの悪そうにしゅんと縮こまる。

  「なあ。お前……は、いいのかよ」

  「あー?」

  「その、金使われてばっかで。心苦しくならねーのかよ」

  「知らん」

  正直メシをおごってくれるってんなら俺は便乗したい。そこにどんな思惑があろうとメシの味が落ちるわけじゃねーし。貸し借りの問題なら、そこはこいつが勝手にやってることだ。俺がどう負い目を抱こうが鰐野郎は我関せずのスタイルを貫き続けるだけだし。

  そういい返してやれば、フリッドはその顔をますますしかめさせ、耳を垂らす。

  いやどういう反応なんだよ、なんて思ったが、コイツの今までの生活を想像して何となく察しがついた。

  そういやコイツ、負担になるからと保護者の元を離れたんだっけ。恩を感じているのに一切返すこともできず、むしろ尽くされてばっか。そんなだったから心苦しくて逃げ出した、みたいな。

  そんなコイツの姿に、少しだけ、昔の自分を重ねてしまって。

  まあ、なんだ。自立したい。役に立ちたいって気持ちがあるのなら、それを利用するのもありだろう。

  「おい」

  「皿洗い一ドル」

  「え?」

  「お前うちの下働きになれ。働きに見合ったカネ、払ってやる」

  「で、でも。そんなの迷惑になるし、そもそも俺どんくさいし」

  「いいから。保護者からもらってんだしちょっとくらいお前にもくれてやる」

  フリッドは納得しない様子だったけど、落としどころとしてはイイトコだと思う。何もできないより何かをやらせる。コイツが働き口を見つけられるなんて期待してないし、だとしたら俺がこき使った方がためになる。

  働かないもの食うべからずってやつだ。俺としてはどうでもいいが、心苦しさでこの家を勝手に出て行かれてもそれは困るんだ。振込金が俺の元に来なくなるんだから。

  「……」

  「んだよクソ鰐」

  「やっぱお優しいじゃん」

  「は?」

  じっと変な目でこちらを見てくると思ったら、なんだこいつ。

  俺がお優しい。はあ。なんでコイツはほんと、口を開けばこう頓珍漢というか、頭お花畑なことおっしゃいますか。

  これ以上無駄口叩かせないよう、ベランダに締め出そうと重たい腰を上げたところで、インターホンが鳴り響く。

  「デリバリーのヒトかな」

  「んなわけねーだろ。まだそんな時間たってねーし」

  まだ注文してから十分もたってない。さっき見た待ち時間では最短でも三十分近くはかかると表示されていたし、だとすれば来たのは別の誰かだ。

  いったん馬鹿の処遇は保留だ。相手がだれであれ、待たせるのも悪いと急ぎ足で玄関へ向かう。

  「はい。どちらさま──」

  「あーゴメン。もう待てないから開けるねー」

  そう断りを入れて入ってきたのは……いや待て。

  「は? ちょ、ナターシャ?」

  「アハハ。おひさ、ビル」

  久しぶりに会った友人のようにフランクに接してくるこの女はナターシャ。シェルティっつー犬種の獣人で……俺の、昔世話になったヒト。

  諸事情あって離れて暮らすようになったんだが、なんで急に。

  「あんた何しに」

  「ごめん匿って。いいよ。あーりがと」

  「は。いやおい待て」

  そういうや否や、ナターシャは扉を閉め、いそいそと奥へと進んでいく。呼び止めようと後を追いかけようとするが、直後、扉をものすごい衝撃が襲い掛かった。

  どうしよう、すごく、開けたくない。居留守を決め込みたい。

  いま扉をノックしているのは間違いなくナターシャ絡みのやつだろう。しかも、とんでもなく厄介な。

  恐る恐るドアスコープを覗くと、そこには屈強な獅子獣人の姿が。眉間にしわを寄せ、今にも扉をけ破るんじゃないかってくらい殺気立っている。扉越しだっていうのに見ているこっちが気圧されるくらい。

  「開けろやアバズレババア! 居んのは知ってんぞクソビッチ!」

  ナターシャの人となりを知っている俺もアイツがいかれてるのは同意だけど、だからと言って開けることなんてできない。だってコイツ、ウチに上げたが最後、殺人犯しそうだし。

  こんな逆上させるなんて、ナターシャは何やったんだ。思い返す限りでのあの女の奇行と言ったら……相手のあそこにたばこ押し付けた、とか……。

  「まだ時間あんだろーが! 俺は客なんだぞ、時間いっぱいまでやらせろや!!」

  ああ、料金持ち逃げですか。まあそれなら逆上するのも、うん、まあ。

  だからって近所迷惑レベルでやらせろって言われるのもなあ。ワンチャンこれ、この暴力男に俺が抱かれてるって勘違いされるんだが。やめてくれよ、ただでさえ厄介持ちを背負い込んでるってのにそんな噂までされちまったら、今後どうやって生きていけばいいのかわかんなくなるだろうが。もちきりになるぞ、あの御宅の主男をとっかえひっかえして遊んでる、なんて。

  どれだけ迷惑がったとしてもドアの前の迷惑ヤロウは退くことがない。全く持ってやりたくないが、ひとまず対応することにしよう。

  ドアチェーンをかけ、ノブを回す。突如バンッ、とドアが押し込まれると、獅子獣人が隙間から手を突っ込んできた。

  「出でこいアバズレ女! ご主人様の言うことが聞けねえってのか!!」

  ヤバいヤバい。チェーンちぎれる。ガチガチと悲鳴上げてるって。

  安アパートの備え付け破壊しそうとか、どんだけ馬鹿力なんだコイツ。管理人に言ったら弁償とかしてもらえっかな。ああくそ、ほんと迷惑。

  「どちらさまで」

  「邪魔だクソガキ、てめえに用はねえから女だせオンナ」

  「ウチに女性は住んでません」

  「んなわけねーだろお??!! 中からぷんぷん匂うんだよ、ビッチ臭え女の匂いが!!」

  どっちかってーと、男のむっさいスメルしか感じねえんじゃないかな。なんて思うけど、目の前の野郎にそんな言い訳は通じなさそうだ。いやだねえ、こんな時でもジョークとユーモアにかけてる奴。女に突っ込むことしか考えてないから逃げられんじゃねーの?

  なんて、冗談でも言ったら終わるだろう。ドアも、俺の一生も。だから何とか穏便に追っ払いたいところだが、こうも頭に血が上っていると説得のしようがない。と、いうか。今のやり取りで言葉が通じないと確信した。

  警察呼ぶぞと脅しても多分こいつは聞かない。だからどうしたと逆切れされるのがオチとみた。まあ、一応かけてはみるが、その前にドアと俺の人生は終わりを迎えそうだ。

  「──おい」

  「あ゛?」

  と、事態を聞きつけたのか、ガレッツォが背後からやってくる。俺の肩にもたれかかると、ドアを思いっきり叩き返しやがった。

  やめろよお前、面倒ごとひっかきまわしに来てんなよ。なんて苦情を言おうと見上げると、奴はニタリと笑いだす。まるで格好の獲物が現れた、なんて表情で。

  「俺のモンにケチつけていい気になってんなよ? お前」

  ……は?

  「あ゛」

  「陸の王者だかなんだかしらねえけどよ、雑魚がどれだけイキっても女が振り向くわけねーだろ。

  狩りも碌にしない、メスの欲求にも満足に答えられない。っはー、性格カースト様は本日もごきげんですねえ」

  「あんだとてめえ」

  何煽ってんだよぉぉぉお! ばっかじゃねえの? ねえ、ばっかじゃねえの?

  たしかに獅子の雄って狩りしねえしそういう意味ではお前の方に分があるかもしんねえよ? だからっておま、おもいっきり自分より格下だって煽り散らすんじゃねえよ火災現場にガソリンどころかニトロぶっこむな。

  このままではまずいと止めようするが、ガレッツォ、こっちの考え見越して背後からやんわり抱きしめてやがる。ああもう、なんでこういう時頭回るんだよ、普段馬鹿ばっかやってるくせにこういう手回し周到なの、まーじで狩猟者。頭だけの俺じゃかないっこない。

  「表出ろ沼地出身の陰湿野郎。百獣の王の威厳を見せてやろうじゃねえか」

  「いや? 生まれの時点で力関係決まるならもう勝負ついてっし」

  「はっ、さっきまでの威勢はなんだ。やっぱ鰐はだめだな。デカいのは口ばっかってか」

  「え、聞こえねえのお前。ほら、あのサイレンの音」

  ほらほら、とガレッツォが耳を傍立てるよう催促すると、確かに遠くからあの独特の警報音が。

  それに気づいた獅子獣人のその後の行動はまあ見事なものだった。さあーっと血の気が顔から引いていき、青ざめだして。そんで分が悪いと判断すると舌打ちをし、「覚えてろ」なんて、まるで負け犬のテンプレ台詞吐いて逃げ出してった。

  「……っぷ。あほくさ。そんな早くポリ公来るかっての」

  「お前さあ」

  「スマホの音と本物聞き分けられないんじゃ、アレも道行く子猫といっしょだな」

  何とも得意げに、ガレッツォは俺にサムズアップして見せる。

  それ込みで頭に血を登らせてたのは間違いなくコイツの策略なんだろう。ほんと食えねえ奴。こっちの肝も冷えたんだが。……別に、びびってたわけじゃねーけど。

  「なあ、俺、カッコよかったろ」

  「そうだな」

  「惚れた?」

  「だれが」

  いまだ抱きしめて「そんな照れなくてもいいのに」と体をこすりつけてくるガレッツォに肘鉄を打ち込む。早く離れろよ、という意味も込めて。

  ……まあ、助けてくれたのは意外っつーか、ありがたかったけど。

  :::

  「お、おかえり。大丈夫、だったか?」

  一連のごたごたを終え、リビングへと戻ってきた俺たちをフリッドが出迎える。

  面と向き合ってきたわけでもねえのに、こいつ、自分の事のようにびくついてる。あんなのただの威勢だけで大したことねえってのに、そういうの慣れてねえのな。

  「ぜんっぜん屁でもねえ。男の風上にも置けねえ屑だったわ」俺が答える前に、ガレッツォがへらへらと返答する。まあコイツからしたら散歩中の出来事なんだろうけど。

  「……そうなのか?」

  「誰かさんが煽り散らかさなきゃもっと穏便に解決しなのにな」

  「いやいや、俺のおかげっしょ。感謝のキッスとか、くれてもいいんだぜ?」

  「床とでもやってろ」

  ったく、このバカ鰐はいつまでもこの調子と来た。そういう作戦だったから煽りまくっていたとはいえ、穏便に事を運ぶ、ということができないのかね。

  見てみろ目の前の虎を。これが一般人の反応だっての。なんで俺を窮地に追い込もうとすんだ。

  「おつかれ~。流石私の子供、頼りになるぅ」

  「ナターシャ」

  「お・か・あ・さ・ん。もう、せっかくの再開なのに情緒のかけらもない」

  「あんたが情緒とかいってくんな。騒ぎを持ってきたのはアンタだろが」

  ふらふらと、迷惑の元凶が近寄ってきた。

  落ち着いてみると、こいつとんでもねえ姿してた。なんだよそのカッコ。黒の下着にガウン羽織るだけとか、そんなんで外走り回ってたのかよ。痴女かお前。いや痴女だったわコイツ。

  「つかくっせ! おま、なにこのニオイ」

  「あ、気づいた? クスリ嗅がされちゃってさ、へへ~」

  そう言うと、ナターシャは俺の胸へとダイブする。おそらく嗅がされたであろうドラッグの残り香が鼻について、思わず吐きそうになった。

  「へへ~、じゃねえよ。あーもう最悪」

  「そう最悪なのアイツ。ただチンコデカいだけで痛いだけだってのにさ、無理やり嗅がせてよがらせようとしてくんの。デカいだけでテクニシャンとか、それで女がそうだねっていうもんですかっての」

  「性事情を赤裸々に息子に語るお前が最悪なんだっての!」

  この状態のこの人を引きはがす気にもなれず好きにさせてるけど、残り香が俺にも来てだいぶきつい

  どうもちょっとクスリ嗅いでしまったらしく、べろんべろんにナターシャは酔っていた。

  昔からこのヒトはそうだった。適当なモーテルで部屋取って男と抱き合う毎日。たまにヤバ気な客を引っかけては迷惑をまき散らす、イカレオンナというあだ名がよく似合う人。

  そんな女でも子供を育てるということだけは奇跡的にできた、っつーか。その子供の俺でもこの人はヤバいと思う。なんで今まで生きてこられた、とか、毎度ながら不思議に思う。

  「ところで、そっちはどうなの? これから乱交パーティでも始めるとこだった?」

  「なんでそうなんだよ」

  「えー、だって肉棒二本以上集まったらそれはセック」

  「言わせねえよ。なんで当たり前のように男同士でヤることになってんだ」

  「うん? 男ってそういうもんでしょ」

  仮にも俺の母親名乗るんなら男友達とか考えろよ。なんで関係性を肉欲でしか構成できないんだ。いやこのヒトから見た男ならそうなんだろうけどさ、それを子供にも適応すんなって。

  「なーにその恥じらい。あたしのおっぱい揉ませても顔色一つ変えないくせに。恥じらえよ」

  「自分のガキに何求めてんだ」

  「あ、分かった。姫役なんでしょアンタ」

  「ふざけんな誰が好き好んで抱かれなきゃなんねーんだよ!」

  「だって体格からしてアンタしか適役いないっしょ。」

  ぺたぺたと体のあちこちを触りながら、ナターシャは言う。

  間違っても勘違いしてほしくないんだが、俺そこらへんはノーマルだから。ガレッツォがかなりノイズになってるけど、アイツ俺を抱こうとしたことないから。

  「大丈夫? ちゃんとシてほしいって、おねだりできる?」

  「しねえのよそんなこと。なに、仮にも息子に爛れた関係性構築してほしいのかアンタ」

  「待った。その話、興味ある」

  「黙ってろクソワニ」

  こうもあけすけに下世話なトークを広げていては当然というか、ガレッツォが割って入ってくるわけで。

  このワニ、実はナターシャと面識があったりする。というのも、俺がナターシャに世話になってた頃に出会ってただけの事なんだが、まあその当時から相性は抜群だった。なもんでこうして顔を合わせるだけであけすけなピロートークが繰り広げられていたんだが、これがまあ俺からしたら耳をふさぎたい内容ばっかで。

  つか意気揚々と参戦してくんな。部屋の隅で自分の今までの人生を反省してろよマジで。

  「まず第一に俺のテリーが抱かれたいからっておねだりなんかしない。つか解釈違い」

  「お前のもんじゃねえよ俺は」

  「なにアンタきっしょ。解釈違いとか童貞拗らせの処女厨かよ」

  「あくまで俺のルカは男なんだよ。だからオンナみたいに甘えたりしないし何なら喘いだりしない。迫りくる快楽に紅潮させながらも『……はっ、その程度かよ短小』とか煽るタイプ」

  「でもはしたなくあえいだ方が男ウケすんじゃん」

  「のっかんなターシャ」

  「ヌくとき喘ぐ男とかキモイと思わねーのか現役遊女」

  「それはそう」

  あの、勝手に俺が男に抱かれたらどういう反応してほしいか本人を前にして論議しないでくれませんかね。本人、その気ないっていうのに抱かれることを前提で盛り上がらないでくれませんかね。

  「な、なあ」

  「んだよフリッド」

  「俺、その、だ、抱かなきゃ、ダメ……なのか? 抱く、べきなのか、な」

  二人のピロートークに感化されたのか、フリッドはあたふたしながら俺に聞く。

  抱く、という意味が分かっているのかどうかは定かじゃない。けど、想像はできているのだろう。指先をもじもじさせながら、生娘のような反応をしている。

  「……抱かれる気はねえぞ」

  「だだだ、だよ、なぁ。俺がお前をその、なんつーか、まだ知り合ってそんな経ってねーわけだし」

  「いつかは抱くかもしれないみたいな言い方すんな」

  「ち、ちがっ……俺はただ嫌ってないって言いたいだけで、その、

  お前のこと、大事にしたいからっ」

  「それ抱く側の台詞なんだわ」

  そんな必死に弁明せんでも。気持ちだけしか受け取らねえって。

  「ええ~抱けよ~。ほらほら、私のむすこ、かわいいでしょ?」

  「へ? かわいいっていうか、顔はすごいかっこいいっつーか」

  「泣かせたくなるだろ?」

  「え? え?」

  「馬鹿やめろ。仮にもコイツ居候なんだぞ」

  「だからなによ。男なんてみんなちんちんぶっ刺して気持ちよくなれればいいだけの身勝手な生物じゃん」

  途端、フリッドが分かりやすく顔をしかめる。ああ、傷ついちまったんだろうな。こればかりはどうしようもない。ナターシャは男側の気持ちなんて汲みたくもないだろうから。

  「ほらもう眠たいんだろ。ベット連れてってやるからおとなしくしろ」

  俺はもたれかかるナターシャをひょいと担ぎ、寝室へと向かう。

  このままこの場にいさせては俺の身が持たない。こんなのが親だという意味でも、男性だっていう意味でも。

  途中、私を誘ってんのかなんて馬鹿げたことを吹かすが、徹底して無視を決め込む。

  だいたいクスリの効果でべろべろに酔っている奴の言葉なんて聞くに値しない。文字通り、今のナターシャはイカレてるんだから。

  :::

  「っこいせ」

  「ひゃーん」

  ナターシャをベットに寝かせ、ふうと一息つく。

  なんだって今日に限って面倒ごとが次から次へと。目覚めたときは清々しい気分だったのに、今では差し込む日差しでさえ恨めしく感じる。

  当の面倒ごとであるナターシャは俺の気も知らず、ベットの感触を堪能している。クスリの影響もあるんだろうけど、子供帰りしてるっつーか、結構な上機嫌で。昔世話になったころと態度が違うもんだから、俺はいろいろと違和感だらけだった。

  「ねーえビル、あんたもこっち来なよ」

  「抱かねえぞ」

  「は? あんたが私を? ないない、だってあんたEDじゃん」

  「親代わりのあんたでおっ立つかっての」

  ゲラゲラと笑いながら、ナターシャは俺を子馬鹿にしてくる。

  俺だからまあ慣れているというか、ナターシャは男という生き物にいい印象を抱いていない。売春をしているのだからそういう価値観なのは仕方ないのかもしれないが、それにしても酷いとは、思う。

  男に愛情なんてものはない。女を抱くのは繁殖と繁栄のため。愛とか恋とかうわべごとを並べ連ねたところで、結局のとこは下半身のいいなりでしかない。それが、ナターシャの言う男というもの。

  間違ってはいない。……の、だろう。反論はできない。そんな生き物だからこそ、この人は食っていける。男という生物の性に、生かされている。

  「つか、あんたなんで俺のとこに来たんだよ」

  「匿ってもらいに来たにきまってんじゃ~ん。あのしつっこい男からさ~」

  「それならムショなりなんなり行って騒ぎ散らしてもらえばいいってだけだ」

  「ん……そっか。それもそう」

  男を見下しているこのヒトだからこそ、俺は違和感を覚える。なんで俺の、男の家になんか転がり込もうと考えたのか。今更、なんで男を頼ろうなんて思ったのか。

  冷静な判断ができなかったわけじゃないだろう。こんなことなんて常日頃からよくあることなんだろうし。どういう風の吹きまわしなんだって、どうしても勘ぐってしまう。

  「なんで、俺のとこにきたんだよ」

  胸が締め付けられるような感覚に戸惑いながらも、俺はナターシャに理由を聞き出す。

  俺なんて、頼る必要もないアンタが、どうして今日に限ってやってきたのか。

  「ふふ。そりゃ、ダンに会いに来たんじゃん?」

  「嘘つけ。俺を愛称で呼ぶときは決まってアンタ、からかってる時だって知ってんだよ」

  「え~、ただ愛しの我が子を呼んでるだけじゃーん。それとも、王子様って、呼んだ方がお気に召した?」

  「やっぱからかってるだろ」

  まともな返答が返ってくるとは思ってなかった。このヒトもガレッツォと同じく、胸の内を語ることのないヒトだから。世の中のことをクソだって思ってる、そんな……哀しいヒトだから。

  溜息を一つ吐き、ベットに腰掛ける。

  どう頑張ったって無駄だ。俺は、このヒトを喜ばせることなんてできない。男として、抱くことなんてできないし、ましてや守ることも叶いっこない。ナターシャは俺にとって確かに大切なヒトだけど、それ以上に、このヒトは俺の劣等感そのもの。俺はいつまでたっても無力でなんもできない、子供のままなんだって思い知らせてくる存在だ。

  「俺じゃなくたってよかったんだろ、ホントは。知ってるさ」

  「……」

  「あんたがやってきて俺、ちょっとうれしかったんだ。頼られて、ちょっとうれしいって感じちまったんだ」

  それがこのヒトのやり口なんだろうと、直後感づいていた。だから今、無性に悲しくて仕方ない。そんなことないんだって、俺が一番よく知ってるから。大切だって思っているのは俺だけで、ナターシャはそんなこと全然思ってもいない。

  でも、もしかしたら、なんて期待もしてしまっていて。そんなことあり得るはずもないのに、俺はどうしようもなく、ナターシャに会いたいと思っていてほしかった。

  「そっか。嬉しかったか」

  そういって、ナターシャは俺を抱きしめる。鬱陶しくて無理やり引きはがそうとすると、ナターシャはそのまま俺をベットに引きずり込む。

  「離せっ」

  「うわ、さえない顔。嬉しいならもっと喜びな? あんた、ただでさえ表情変わんないんだから」

  「うるせえよ、四の五の言ってねえで離せっての」

  ベットの上でもみくちゃになりながら、俺は何とかナターシャを制し起き上がる。

  誰のせいだと思ってんだろう。だって、相当久々に会えたんだ。大切にしたかったのにできなかった、そんなヒトに会えたんだ。嬉しくてうれしくて仕方ないはずなのに、それは俺だけなんだ。馬鹿らしくて、悔しくて、ホント嫌になる。

  「なんか子供みたいだね、アンタ。昔からちっとも変わんない。こんなに大きくなったのに、さ」

  「そう思うんならそれなりの態度くらいとれっての」

  「え、じゃあキスする?」

  「はぁ?」

  そういうとナターシャも身を起こし、俺に顔を近づけて……って、おい。

  「まだ俺をからかう気かアンタっ」

  狼狽える俺のことなどお構いなく、ナターシャの唇は俺に迫りそして……触れる。

  本当に、ただそれだけの行為だった。唇と唇を重ねるだけ。触れて、すぐに離れるだけの、フレンチキス。

  もっとすごいもんやられるんじゃないかってビビっていた俺は、そのあまりのあっけなさに拍子抜けした。期待してたんじゃないけど、されたかったわけでもないけど。

  「……なんのつもりだよ」

  「…………ふ」

  「おい」

  「ふふ、ふふふっ、ぷっ……ははは」

  急にキスをねだったと思いきや、今度は爆笑しだした。なんなのコイツ。なんなのアンタ。

  「はははははっ、ひひっひひひ」

  「おいヤク中」

  「はっははは、いやごめ、ふふふふふっ。だって思いのほか、ないっっふふ、なって」

  「はあ」

  ないってなんだよ、ないって。

  不快感全開で睨むが、そんなのお構いなくナターシャは笑いこける。

  そうしてひとしきり笑いきった後、肩で息をしながらしゃべりだした。

  「あーおかしかった。もう最高。何やってんだか私」

  「それを聞きたいのは俺の方」

  「んー? ああ、思い違いだったってだけ。私の勘違い」

  「はあ?」

  やっぱり意味が分からない。

  けどナターシャはさっきので納得したのか、しきりにうんうんと頷く。

  これはやっぱ、からかわれた、ってことなんだろうか。

  疲れてしまった俺はナターシャの隣に横になると、そっとため息をつく。

  「……なんてかさ、きっと……そう、なんとなく来たの」

  「きたってなにさ」

  「なんで会いに来たんだってはなし」

  「は」

  「誰でもよかったのは確か。そう、だからこれは……なんとなく、ここでいいかなって」

  そう話すナターシャを、俺はどことなく寂しそうだな、なんて感じた。

  「そういえば随分と久しぶり、なんだね。私たち」

  「うーん?」

  「あんたと離れ離れになって、長い年月を重ねて。生意気にも私よりおっきくなっちゃってさ」

  そんな長い間だったろうか。俺とナターシャがお別れしたのは。

  それがいつだったのか思い出そうと記憶をあさろうとするが、どうしてだろう。中々思い出せない。ずっとそばにいたような、つい昨日別れたような、そんな曖昧な気がしてくる。

  と、いうより。なんか、すげー、眠たい。

  「恋でもしちゃったかー? なんてさ。思ったわけよ。私男に恋したことなんて一回もなかったからさ、こうしてあんたのとこ来るの、言われて気づいたの。確かにらしくないって」

  どんどん意識が遠ざかっていく。隣にナターシャがいるはずなのに、まるでベットに沈んでいくような、離れ離れになってしまうような。

  「だからこれはそう……って、うん? もうおねむ?」

  「……ん、なたー……しゃ」

  「そっか。しかたないなあ、これからがいいとこだったのに」

  遠く、離れていく。

  ベットをすり抜けてどんどん深く、どんどん、遠く。

  この感覚は……ああ、そうか。わかった。これは……夢、か。

  「じゃあ、これは私の独り言。聞こえてなくても、覚えてなくてもいい、そんなくだらない独自ってことで」

  微睡んで、もうまぶたすら開けていられない俺の頭を撫で、ナターシャは意味の分からないことを言う。

  「私もね、らしくないなって思ってたんだ。アンタの面倒見るようになってから今までずっと。

  だってそうじゃん? ガキとはいえ男育ててんのよ私。自ら犯されるために男育てるなんて本末転倒ってか、いよいよもって極まってんなってなるじゃん。

  ……けど、さっきので気づいた。私は男を育てたんじゃない。はっきりと口に出せないけれど、少なくとも……そういうものとして、私はアンタを見ていちゃいなかった」

  何を言っているのだろう。もう星粒くらいにまで遠ざかってしまったナターシャを、意識だけは掴んでいたいと必死にもがく。

  けど、無駄なあがきだ。本当に粒のように、掴めば指先からすり抜けていく。それが、なんとももどかしくて、けれどどうしようもなくて。

  そうして、俺は眠りにつく。もう出会えないと思っていた、彼女の幻に縋りつこうとしながら。

  「おやすみ。私の、わたしだけの、馬鹿な王子様。

  もうこんな悪夢、二度とみんなよ。アンタはもっと向かい合うべきもんがあるんだから。

  ね。──」

  :::

  「よ゛がっだあ゛あぁ! ようやく目ぇさましだぁぁ!」

  「うるせえ」

  「あてっ」

  俺の今日の目覚めは最悪そのものだった。

  昨日珍しく本を見つけてしまったのがいけなかった。そのまま寝落ちするまで読みふけ、気が付いたらとっくに昼過ぎ。寝る体制も悪かったのか、頭が先程から重たい。

  「よかった……俺、てっきり死んじまったのかって、不安で不安で」

  そういうコイツは俺が起きてこないのを不信がり、今の今まで横たわる俺を前にじっと見守っていたらしい。いや感謝するべきなのかなら起こせよというべきなのかわからんのだが。

  痛む頭に手を当て、しばらくじっとする。

  寝ているあいだ、なんとも変な夢を見ていたような。目の前の虎と、あとウザったい鰐と、そんでもって……なんか、あのヒトがいた。そんな夢。

  なんでそんな夢見たんだか。本に影響されて、なんてありきたりなもんじゃないだろうと視線を落とす。

  本の表紙はボロけてるが、表題はまだちゃんと読める。星の王子様、だ。

  これまたなんとも不思議な話で、名前の語られない主人公といろんな場所を旅してきた王子様の話なのだけれど……まあ、夢の内容とは合致しない。不思議な夢を見そうなお話ではあるけれども。

  「……たいせつなものはめにみえない」

  「ん? なんて?」

  「なんでもね」

  本の主人公である彼にならって、俺もふと空を見上げてみる。

  広がっているのはいつもの鈍色。星なんてどこにも見えやしない。

  けど。

  少しの間目を閉じて、夢の名残に浸る。まとわりつく眠気が雨音に奪われていく。

  「……きっとまた見るだろうよ。俺は、アンタの子供なんだし」

  誰にも聞こえないようにそう呟くと、俺は全部振り払うように起き上がった。

  一時の夢は終わった。けど、俺のいろんなものは、まだ終わっちゃいないから。