つまり、カリフ制再興!
どうして、誰も私の頑張りを認めて呉れないのだらう。
これもまた、承認慾求なのか。
ハサン中田先生は、「承認欲求が出てきたら、神様の事を考へると良い」と言つてゐた。
また、「日本人には難しいので、宗教の代用として世界征服を目指すのが良い」てふ事も、YouTubeの「世界征服ラジオ」でおつしやつてゐた。
「神様」または「世界征服」。
邪悪な多神教徒たる我は、前者は伊勢の大神宮に鎮座まします、天照坐皇大御神の事になる。
又は、地上の天照大御神たる「天皇陛下」。
又は、「皇后陛下」になる。
後者を私はほつたらかし、又はすつ飛ばし、「カリフ制再興」を夢見てゐる。
天照大御神は、実際は高天原の大宮にいらつしやる。
伊勢の地にあるのは、天孫・邇邇藝命に授けられた「八咫鏡」である。
「我が御魂を拝むがごとく齋き祀れ」と命じられた、その御神鏡であつたが、私の生涯幾度かの参宮の態度は、果たしてそれにふさわしいものであつただらうか。
毎度土下座するのが本当では無かつたか。
西行の髪長も、五十鈴川を挟んだ向かう側で、地面に膝をつき拝んだのでは無かつたか。
へらへらと、徒歩(かち)で詣でた其の神路(かみぢ)。
天照大御神がおはさねば、私の腕も足も、魂も肉体も存在し得ぬではなかつたか。
故に御神縁(みたまのふゆ)無くば、我はもう一度(ひとたび)とて肺腑に空気を溜める事能はず、
立つ事も歩く事も寝る事も食べる事も、日を拝む事さへもできぬ筈なのである。
其の樣な大恩を受けて、一ミリも返す事の出来ぬ私めは、どう明日を生きれば良いのか。
今日のこの闇を如何にして超えてゆけば良いのか。
月を拝むしか無い。
夜闇、帳の覆う其の空に、黄金色の丸い月を探し求めねばならぬ。果たして、其れが「生きる」てふ事なのだから。
こを語るにつけ、一神教化された随神の道てふ事を思はずには居られない。
四角い箱に詰められて、日月星辰や大気や大地と切り離されて生活してをる。
ハムスターを購入した時、箱に入つたハムスターを大事に抱へてゐる樣な氣持だ。
私は時の波に流されて、どの岸へとぶつけられ、放り出されるのであらうか。
自分のことばかり考へてしまふ。
私は動いてゐない樣に見えて、地球は絶えず回つてゐる。だから、私は振り回され、太陽の周りを運ばれて行く。
自分の中の宇宙と連動してゐれば良いのに。
私の中に宇宙があつて、宇宙の中に私がある、そ?な入れ子構造になつていれば良いのに。
私の中の宇宙とは、知識や概念としての宇宙ではない。
ならば如何樣か。
それは先づ記憶の形をとる。
世界認識とも宇宙観とも信仰ともいふ。
それは一體何か。
自分の中に答へを追ひ求めても、決して得られない秘密の教へである。