灰色のむこうがわ 12 そのに

  その後。ドライアスの靴を磨き終えた狼は、店じまいと同時に復興都市を発った。

  (何だってんだ、ホント。よりにもよってなんで俺が)

  帰路につく最中、狼は憚ることなく悪態をつく。

  胸の内がいまだにざわついている。気持ち悪いものを見たとか、胸糞悪いとか、そういったものとはまた違う、上手く例えられないものが胸に巣食っている。

  「……ああクソッ」

  あまりの苛立ちに抑えが効かなくなった狼は、手ごろな瓦礫を見つけると、それを思いっきり蹴り飛ばす。

  放物線を描き飛んでいくそれは、壁にぶつかるとバキリと音を立てて粉々に砕け散った。

  どうせ誰も見ていない。都市の外をうろつく輩なんて、よほどの死にたがりかものを知らないガキくらいだ。長年放置された道路で何をどうしようが訴えられもしない。まあそれは裏を返せば苛立ちをぶつける相手がいない、ということで。

  粉々になるくらい強く蹴り飛ばしたというのに、一切傷すらつかない壁を見ては、狼は苛立たしそうに舌打ちを鳴らした。

  (俺が先代と似ている? あのクソッたれな都市を築いた奴に?)

  先程までのドライアスとの会話を思い出し、眉間にしわを寄せる。

  正直ふざけているんじゃないかと思った。君は素晴らしい人材だとか、そういった言葉は何度か貰ったことがある。けれどあんな大物相手に、偉人と似ているなんて言われようものならお世辞なんてもので片づけられるものではない。馬鹿にしているのと一緒だ。

  努力とか才能とか、生きていくという上では何の役にも立たない。仕事の仕上がりに客が満足し褒められようと、そんなの当たり前のこと。長年そういうことをしてきたのだ、見栄えが悪くなるようなことあるはずがない。靴紐を一人で結べないガキじゃないのだ、そんなことでいまさら喜ぶはずがない。

  そう、これは当たり前のことなのだ。生きるために必要なこと。ナターシャが男に抱かれ金を貰っていたのと何ら変わりない。努力だのなんだのと美化するのはいいが、こんな行為を、今更、素晴らしいなんて。

  (誰かのため?……ハッ、アホらし)

  そこいらの有象無象と何が違うというのだろう。他人のためと口では言いつつ、自分可愛さに予防線を張っているような、そんな屑と。都市の獣人たちは幸せのためというが、自分は生きるため。やっていることはそう変わりようがない。

  所詮自分という獣人はその程度だ。偉大でもなければ誰かを救う救世主にすらなりえない。

  ──誰かを幸せにする。そんなことも、できっこない。

  (……俺は)

  そんな思考を巡らせながら、狼は歩き続ける。俯きながら、休む間もなく黙々と。

  時間にして半日が過ぎようとした頃。狼はようやく拠点とする廃アパートの前まで戻ってきた。

  肺にたまった重苦しい空気を吐き出し、足の底を擦りながら目的の部屋まで向かう。

  ようやくといった思いでドアをくぐれば、それに気が付いたのだろう、どたどたと虎が足音を立て向かってくる。

  「お、おかえり」

  「ん」

  最近何をどうしたのか、そう言葉を交わす彼を尻目に、狼は担いでいた荷物を放り投げる。

  見栄えのためだけに来ているワイシャツやらズボンをパッパと脱ぎ捨て、いつも愛用している毛布に手を伸ばす。

  「あー、ちょ、ちょっとまった!」

  が、慌てた様子の虎に腕を掴まれ阻まれた。全力で舌打ちをする狼に、虎はびくりと身を震わせる。けれど掴んだ手を離そうとはしない。

  「んだよ」

  「そのぉ……なんていうか、あのぅ」

  行動自体は強引なくせに続く言葉を考えていなかったのだろう。しどろもどろと目をさまよわせながら、虎ことフリッドは言葉を濁す。

  本当にコイツははっきりとしない。何の理由があって休息の邪魔をしてくるのだろう。ドライアスのこともあって、狼はどうにもフリッドの態度が気に食わない。

  「お前な、言いたいことがあるならはっきり言え。そうやってフガフガ焦らしやがって、歯の抜けたジジイか」

  「いや歯はあるって。ちゃんと生えそろってるから」

  「論点そこじゃねえよ馬鹿。じれったいっつってるの」

  いつものずれたやり取りだ。それは分かっている。こいつは馬鹿だからもっと端的にジョークを交えずに会話をしなければいけないのに。

  痛む頭を片手で押さえ、狼は落ち着きを取り戻そうとする。

  違う。もっと冷静にならなければ。別にコイツに当たったところで何の意味もない。コイツが悪いことをしたわけじゃないんだ。

  「……ごめん。なんでもない」いつまでも苛立たしそうに唸っていると、その様子に怯んでしまったのだろう。フリッドがおとなしく手を離す。

  違う。こんな風にしたかったわけじゃなかったのに。ひげが下がるくらい気落ちしているフリッドに対し、何かしらのフォローをしなければと思う狼だったが、なぜだろう。どうしても、かける言葉が見つからない。

  「……用がないなら引き留めるな」悩んだ末、そう吐き捨てるようにフリッドに投げかると、狼は毛布を頭からかぶる。

  ああくそ。どうも調子が狂う。こんなはずじゃ、こんなはずでは、なかったのに。

  :::

  時を少し遡り、狼がドライアスに接客していたころ。

  フリッドもまた、いつものように拠点近辺を見回りしていた。

  「右よし左よし、俺もよし!」

  建物の陰から首を出し、右、左と指さししながら確認を取る。ついでに自分の存在も。

  わざわざこんな大げさにする必要があるのか、なんて聞いてはいけない。これはとても大切な確認なのだ。

  と、いうのも。フリッドはつい最近気づいてしまった。とある重大な事実に。

  「よしよし……大丈夫だな」

  物陰から身をかがめながら、フリッドはぬるりと這い出る。警戒を怠らないよう、もう一度周囲を見渡しながら。

  「……ふぅ。おっけおっけ。誰もいない、俺は無事」

  クリアリングが確かなことに安堵し、そっと胸をなでおろす。安全であること、コレ一番。

  そう。フリッドは最近、ようやく学習したのだ。

  廃墟群って危険だということに。

  「いやあ……流石に血まみれで見つかるのはダウトっていうか……うん。まずいよな」

  下手したら自分が不死者だって言っているようなものだし。

  うんうんと頷きながら、自分の気付きに自画自賛するフリッド。俺、やっぱりやるときはやる男なんだと。

  「今度という今度はアイツに言われなくても自分で気付けたもんな。うーん、これはできる男。もうゴミとか呼べないはず」

  もしかしたらゴミより上位の存在として見てくれるかもしれない。ただ置かれているだけで忌み嫌われる物体じゃない、もっと有益な存在として。例えばそう、ダストボックスみたいな。

  自然とフリッドの口角が吊り上がる。もしかしたら、なんて考えて、ついふふっとに笑みがこぼれてしまう。

  最近は悪いことばかりだった気がする。だから、こうして嬉しくて笑ってしまいそうになるのはどこか新鮮で。なんだか胸の内が晴れたような、そんな気分になった。

  余談だが、このことを狼にしたところ『そうかようやく学習したかメタンガス』と言われたのは別の話。

  「……カー……ピー」

  「うん?」

  そんな調子でフリッドが見回りを続けていると。

  どこからか愉快なようなそうでもないような声が響いてくる。なんというか、こんないい気分の時に出会いたくない声が。

  ああ、またいつものパターンか。来訪者の気配に気づいたフリッドは周囲を見渡すが、どうしても姿が見えない。

  「ピー……カー……」

  それとなんなのだろう。先程からの、このうめき声のような何かは。

  おそらく脅かすために言っているのだろうが、何かの鳴き声だろうか。けれどいたか? ぴかぴかなんて鳴き声の生き物は。

  試しにフリッドもピカー? と返してみる。数秒後、自分の軽率さに後悔した。

  なんだいまの。我ながらなんておぞましい。男の口から、ましてや顔面レベルの低い男が放っていい鳴き声じゃない。これがもし予想する男性のものだとしたら……そう思うと、フリッドはげんなりした。できればこのまま帰ってしまいたいとも。

  「ぴー、かー」

  「いやなんだよ。来るなら来いよ」

  なおも響いてくる声に対し、フリッドは挑発する。

  ネタはもうバレているんだ。そうそう驚くようなことじゃない。

  そもそもなんだ、この茶番。こんなこけおどしでビビるような年齢じゃないぞ。ゴミからクラスアップした自分にそんなもの効くはずが──

  「Booooo!!」

  「ぶるあああぁぁぁ!!」

  突如、フリッドが身を預けている建物、その頭上の窓が勢いよく開き、件の人物ゴードンが叫びながら登場。

  建物の中とか窓とか、そんなところまで注意を払っていなかったフリッドは思わず絶叫。予想外のことに足がもつれ、腕を振り回しながらすてん、と思い切り転んでしまった。

  *

  「ゴキゲンヨウ同士。今日も元気デワタシ、感激」

  「そーですかー。そーですねー」

  「おヤ不機嫌。さっきハあんなニ元気に地面ヲのたうち回っていたノニ」

  「それをやらせた張本人が言うな」

  相変わらずの神出鬼没、そしてマイペースさだ。

  痛む腰をさすりながら、フリッドは嫌々ゴードンに相槌を打つ。ああ、またからまれたなあ、なんて思いながら。

  対するゴードンはこの再会に心底嬉しそうだ。ニタニタと黒い頭髪から覗く口が蠢くたび、早くいなくなってくれという気持ちでいっぱいになる。むしろ帰れ、お前にも居場所があるだろう。

  「また何と言うか……困ったヒト、探してんの?」

  「エエ勿論。救済こそ、ワタシの生きがいデスのデ」

  胸を張ってそう主張するゴードン。

  困っているヒトを求めてフラフラと放浪している彼だが、フリッドとしてはあまり関心できない。行いとしては十分立派ではある。でも、困っていることを喜ばしいと言うその感性はやはり異常だ。あまりお近づきになりたくはない。

  「そちらこソ、サルビアさんの一件、残念でしたネ」

  「……え?」

  残念? 何が? 頭をひねりサルビアという名とそれに関連する出来事を思い出そうとするが、まったく身に覚えのない。

  率直に疑問を露わにしたせいか、ゴードンもおや? と不信がっている。

  微妙な空気感。なんだろうか。梯子を外したような、居心地の悪さがフリッドに覆い被さる。

  「エ? って。サルビアさんデスよ。貴方、アレだけ必死になって治療してくれっテ訴えてきたじゃアリませんカ」

  「あ……いや」

  「無事だっタのをアンナに喜んでらしたのニ」

  ゴードンが語る、サルビアというヒトのことをフリッドは知らない。あたかも大事な友のように語られているのに、思いあたるフシがない。

  いや。もしかしたら、本当はあったのだろう。サルビアと名乗る人物と出会い、怪我をしたそのヒトの治療をゴードンに頼み込んだことが。思い出せないだけで。記憶にないだけで。

  「あの、さ」

  「ハイ」

  「そのヒト、なんで残念……って」

  震える声を押し殺し、フリッドが尋ねる。

  聞くな、きくなと頭の中で警笛が鳴る。予想はできているだろう? なら『そうだったんだ』と、素知らぬふりをすればいい。よくあることだと割り切ればいい。

  でも、これは聞くべきことだ。せめて知らなければ。忘れてしまったことを、出会い、交流をしていたことを、どうでもいいで片づけちゃいけない。

  「殺されていましたよ。エエ、お可哀そうに」

  そう言って、ゴードンは胸で十字を切った。

  視界が涙でぼやける。聴覚が自分の耳から離れていって、そういうことがありましたと聞かされている気分だ。現実味がない。いっそ夢でみている光景といったほうが捉えやすい程に。

  「そう……ですか」だから、フリッドにはそうやってやんわりと頷くしかなかった。

  もっと他に反応することがあるのだろう。泣き崩れ、悔しさに歯を食いしばって、そういう反応を取るのがきっと普通なのだろう。

  でもやっぱり、フリッドにとっては他人事にしか思えなかった。心を何処かへ置いてきたみたいに、まるで哀しくない。涙は溢れても、そのヒトを思って流れるものでなく、自分の不甲斐なさに涙している。

  「御辛いコト、思い出さセましたカネ」

  「いや……大丈夫。なんてこと……ないから」

  なんてことないハズがない。ヒトがなくなるという、そんな事態が、本当は大変なことだって。

  けどそれ以上の言葉が見つからない。どうってことない。よくあることだ。世の常人の常。

  そう誤魔化さなければ。ヒトはそうやって生きているのだから、自分だって、そうしなければ。

  フリッドは何度も自分に言い聞かせる。この程度のこと辛いことじゃない。ヒトじゃない自分が、悲しむことじゃないと。

  「でも、どこでその……サルビアのその……アレを、見たんだ?」

  フリッドにはそのヒトの遺体を見た記憶がない。恐らくは一緒に行動していただろうから、復活したときに遺体を見ていなかったのは別の場所で見たということだろうか。

  ──ここでもしフリッドが聡明だったなら。きっと気付くことができただろう。何処で死体を見たかなんて、そんな簡単な問題に。

  「何処っテ、貴方の遺体の側で、デスが?」

  「……え」

  :::

  「何ボサッとしてんだ」

  「……ハッ!」

  狼に頭をぺしりと叩かれ、フリッドは正気を取り戻す。

  気が付けばあたりは日が暮れていた。随分と深く考え事をしていたのだろう。だるそうに覗く狼の呆れ顔が、どこか心配を伺うようにも感じられる。

  「メシ、食わねえの」

  「いやいや、食させていただきます! むしろ待ってたんだ、この時を!」

  「……ろくでもな」

  「なんとぉ!?」

  それだけ言い終えると、狼はさっさと引っ込んでいった。

  なんというあからさまな態度だろう。誤魔化している、ということがバレバレだ。

  それでも狼は、なんてことないと表情一つ変えずに接してくる。その対応のなんと安心することか。感謝してもしたりないくらいだ。

  だからこそ、フリッドは思い詰めてしまう。狼の、『互いに干渉しない』というスタンスがどういうことか、解ってきた今だからこそ。

  「……ハァ」

  こっそり、誰にも聞かれないようにため息を吐く。

  不死者であると知られてしまった。狼にでこそないが、厄介な相手に。

  いつかはバレてしまうことだとは思っていた。打ち明けるまでもなく、その現場を目撃されると。

  すっと、フリッドは手を自分の目線にかざす。

  死なない身体。失われない命。この腕を切り落したところで、死ねばまた生えてくる。

  なんの感慨もない。治るから便利、なんて風にも思えない。何度死んでもやり直せる、というのも聞こえならいいが、失ったものを取り戻せないならこんなに不自由なものもない。

  「気持ち悪い身体……」

  いつかは狼にだってバレる。ヒトとして、見てくれなくなる。

  そう思うとフリッドは怖くてたまらない。まだありがとうも言えてないのに。

  けれどもしこの身体が治るのだったら。もしくは、それを気にしなくてよくなったら。

  「おっせーぞ。メシ食わねーのか」

  「あ、いや。今行く」

  再度様子を見に来た狼に、慌ててフリッドは返事を返す。

  流石にこれ以上待たせてはいけない。いったん考え事を振り払い、フリッドは立ち去ろうとする狼の背を慌てて追いかけた。

  この関係を、終わらせたくない。

  けれどもしバレる必要がなくなったら。このまま、関係を続けられるだろうか。

  :::

  チラチラと見られている。

  不満そうな、意義を申し立てたそうな、そんな面で。

  黙々とチリビーンズを口に放りながら、狼はチラリとフリッドを見る。

  慌ててフリッドが思いっきり顔を横に逸らす。そして何事もなかったと言わんばかりにクラッカーに齧りつく。

  何とも釈然としない。食事中だというのに、大分ムカムカしてくる。

  フリッドが必要以上にビビっているのは自分のせいだ。けど、ここまで引きずられてしまうのはどうにも不快極まりない。

  自身の機嫌が悪かった時なんていくらだってあることだ。むしろ今まで当たらなかったことの方が奇跡ともいえる。あの時はただ、理性が上手く働いてくれなかったというだけ。

  と、いうより。男なら一回くらいの過ち、水に流すべきでは。

  そうだ、なんで俺がこうして気を使う立場になってんだ。コイツが怯えてることが癪に障る、それでいい話じゃないか。

  ……などとまあ、狼は自分はそこまで悪くないとこの苛立ちを正当化させる。

  当然当たったことは反省すべきことだ。けどそこまでする必要があるか、というと……まあ、そこは普段辛辣に当たっている狼だ。フリッドを静めるという構図の方がしっくりくる、というだけ。

  「……おい」

  「んごっ! ごっ、げほっ」

  ただ声をかけただけで咽られた。

  鼻にまで入ったのだろう、涙目になりながら痛がるフリッドに情けないなと思いつつ、狼は言葉を続ける。

  「さっきからなんだ、チロチロとこっち見やがって」

  「え? あっ、いやそのうーん」

  「キモいんだが」

  「なっ! ききき、キモくない! キモくない!」

  男が男に熱い眼差しを向けることを『キモい』以外でどう形容しろというのか。相手が生ゴミなら余計だろう。

  とはいえそんなことを一々指摘していては相手の要件を引き出せない。そこはわかっていたので狼は深く突っ込まない。

  「それでなんだ。小便か」

  「そうじゃねーけど……いや食ってるのにションベンとか汚いな」

  「出るもんは出るだろか」

  「そうだけどそうじゃなく」

  「いいから出せ。気持ち悪くて敵わん」

  見つめる理由を問いただせば、フリッドの目が明後日の方へ泳ぐ。

  そんなに言い出しにくいことだろうか。それならそれで無視を決め込むのだが。

  あーだのうーだの唸りながら、なおも言い出すことを躊躇するフリッド。流石に嫌気が差して食事に戻ろうかと再び豆を放り込んだところで、ようやく決心したのか口を開く。

  「その、さ」

  「おう」

  「もしも……もしも、さ。俺が増えたらどう思う?」

  「え。ゴミが増えんの」

  「ちがっ……! ゴミから離れて」

  「お前そんなバイオテロ紛いのこと考えてたのか。俺の顔チラチラ見つつ」

  「ちーがーうー!! そーじゃねーのぉ! いやバイオテロってなんだおい」

  あれこれ唸りながらお出しされる悩みが、まさかの自己増殖ときた。

  フリッドの放つ素っ頓狂な発言に、狼も思わず素で反応してしまう。なんでそんなこと真面目に考えてんだコイツ。そしてなんで相談しようとした。

  

  「違くてさ、なんつーかこう……俺みたいになる、みたいな?」

  「ヒトをゴミにすんな。ヒトに対して失礼だろ」

  「お前は俺に対して失礼だね?!」

  「だってゴミだろ」

  「離れろゴミから」

  随分と不真面目そうな発言だが、始末の悪いことにフリッドは至って真面目らしい。

  なにをどう言い間違えたらそんな愉快な言い回しになるのだろう。大分アタマが痛くなる。

  早々に後悔した狼は、ため息を押し込むように豆を胃の中へと押し流す。

  心配するだけ無駄だった。そういえばこの間血塗れで呆けていたときだって、本人は大して気に留めていない様子だった。なら、今回のこれも大したことではないのでは。

  「ったく。思わせぶりな態度取ってんじゃねーっての」

  食事を済ませた狼が早々にその場を離れようと、ゴミをまとめ立ち上がった。

  「ま、待て!」

  「は?」

  「っ! いや、その、聞くって……いったじゃねーか。だから、聞いて……くれよ」

  声を震わせながらフリッドが引き留める。まだ話は終わっちゃいない。まだ、聞いてほしいことは言えていない、と。

  そんな虎に、狼が怪訝な顔を浮かべながら向き直る。面倒だが、確かに胸の中のモンを吐き出せといったのは自分だ。それに、さっきは邪険にしてしまったという負い目もある。発言に責任取ってくれと言われてしまえば、男として廃るだろう。

  「つっても、お前が増えたトコでよくは思わないってことはかわんねーが」

  「んーと、なんつーか……そういうこと言いたかったんじゃなくて」

  「じゃあなんだ」

  「その……みんなの考え方が同じになったり……そう、怪我の心配がなくなったらどう思うかって」

  ようやく自身の基準で言いたい例えがいえたのだろう。晴れ晴れとした様子でフリッドが返事を待つ。狼がどう思うのか、とう返答するのか、期待に胸を寄せて。

  ──ああ、何を聞くと思ったら。そういう話か。

  目を閉じ狼は少し考える。一呼吸置いたのち、狼はゆっくりとフリッドへ向き直った。

  「なあ不燃物」

  「俺の名前不燃物じゃねーよ」

  「お前は自分のこと、好きか?」

  一体何を聞いているんだと、フリッドは眉を顰める。聞きたいのはそういうことじゃない。質問を質問で返さないでほしいと。

  けれどそういうことだと狼は思う。彼が死なない身体を持っている事を、狼は知っているから。

  「いいか。その考えが如何に魅力的で良さそうに聞こえても、辿り着く結末は破滅だ」

  「なっ……! だって争う必要なくなるだろ! それなのになんで破滅なんて」

  「争わなくていい。競わなくていい。

  ……確かにな、それは耳あたりの良い理想だ。きっとそうなれたら喜ばしいこと、なんだろう」

  「じゃあなんで」

  競うことで物事は発展するだとか、争うことでしかヒトの社会は成り立たないとか、そういう問題ではない。

  フリッドは、この虎獣人は、自分のことが嫌いなのだ。嫌になるほど、どうしようもなく。誰がどれだけ素晴らしい獣人だと褒め称えようが、そこが変わることがない。自分の罪のように、ずっと嫌い続ける。

  その結果がどうなるか。自分が嫌いなものが増えるのだ、どうなるかなんて想像に難くない。やらないとわからない、ではなく、既に結果が決まってしまっている。

  「お前はきっと、そんなセカイを否定する。みんなが喜んでいる中、お前一人だけが最悪だって吐き捨てる」

  「そこ……まで」

  具体的なことを指摘することは決してしない。これは虎自身の問題で、それ故の結果だろうから。言われて理解できるものでは、決してないから。

  「……ま、たらればの話だし。マジになる必要もないだろ」

  そう狼が話を切り上げ、今度こそ食後の片づけに入る。

  納得できない。ただ一人食い終わっていないフリッドは、難しい顔をしながらクラッカーを齧る。

  なんで? 俺がそんなセカイを否定するって、どういうことだ? 狼の答えた言葉を反芻しながら。

  :::

  わからない。

  考えても考えても、わからない。

  そろそろ明日に備え床に就く──といっても、明日の備えなんてあまり必要ない身だ──そんなころ。フリッドは一人、廃アパートの窓から身を乗り出し、たそがれていた。

  わからない、というのは先程のやり取りだ。みんなが不死者になればいい。上手く自分がそうだ、ということから避けつつ伝えられたかは定かではない。

  でも、それが否定されるとは、思ってもみなかった。ましてや破滅を招く、なんて。

  「……なんで」

  答えてくれるヒトは誰もいない。それでも、フリッドはそう呟く。

  これから夜はどんどん深まっていくだろう。明かりなんて灯らない廃虚では、ただ暗闇だけが支配する時間になる。

  そこにあるのは重たく静かな空間だけ。雨が降る日以外は、耳が痛くなるくらい何も聞こえない。

  いつかこの暗闇に飲まれて、自分はなくなってしまうのだろう。眠れない夜があると、フリッドはよくそう思う。そんな日はいつまで経ってもやってこなかったが。

  「なんで、だよ……」

  そうなれれば楽かもしれない。そうなるのは怖いのかもしれない。

  どっちなのかがわからなくて、そうしている間に朝がやってくる。

  どっちが本当なのか。本当はどうなのか。

  答えが出ないまま置きざりにされる。フリッドにはそれが、辛くてたまらない。

  ※

  『みんなが、死なない身体になればいい?』

  『ハイ、そうでス』

  ゴードンが機嫌良さそうに声を弾ませている。不死者だとバレてしまったフリッドの気も知らないで。

  ゴードンに不死者だとバレてしまった日、フリッドは彼にそう提案された。

  『不死。ああ、なんて素敵ナ言葉なのでショウ。

  コノ世の苦しみを取り払うべク日々奮闘しているワタシですガ、それでも届かないモノがありまス。イクラ救いの手ヲ伸ばそうとモ、死んでしまってハ元も子もナイ』

  『不死というのはヒトのユメでス。だってソウ、いつか訪れる死とイウ恐怖、それに抗えルものなのデスかラ』

  くるりくるりと、ゴードンはその場で回りながら演説する。不死という、そのあり方の素晴らしさを。

  『こノ世ハ病に侵さレていマス。こうしテ生きて呼吸をしてイル、それだけデ、魔に支配されル。

  エエ、魔でス。この世ノ悪しキ者。恐れ続け、決して討ち果たさレない悪辣なるモノ。

  クスリは万能ですガ、それでもまだ、その恐怖ハ取り払えナイ。何故かっテ?

  だって、生き物は滅びることで存在を証明するのですから』

  ゴードンの言うことがフリッドには全く理解できない。魔に支配されている、なんて、突っ飛が過ぎて理解に苦しむ。けれどその語り口は蠱惑的で、不思議と想起させてくる。

  呼吸を通じて肺に送り込まれる、正体不明の黒い異物。

  肺に取り込まれ、内側から徐々に徐々に、それは侵食していく。吐き出したくても、その異物は押し出せない。そうしてどんどんたまっていって、最後には──

  『おヤ、大丈夫ですカ?』

  気がつけば、フリッドはその場でうずくまり必死になってえづいていた。

  心配そうに背中を擦ってくれるゴードン。落ち着け、さっきのはただの想像だ。そんなことは一切起こっていない。

  なんとか呼吸を整えると、大丈夫だと言って再び立ち上がる。

  さっきの飲み込まれるような感覚が、まだ蝕んでいる気がする。けれど、気がするだけ。ただの気のせいだ。

  『それで……病をなくしたいから、不死者にしようって?』

  『そうデス。だっテ、放っておいても苦しみガやってクルなんテ……そんな生き方、いやでショウ?』

  死には苦痛が伴う。それは、フリッドが一番よく知っていることだ。

  痛い。苦しい。寒い。何度も何度もそれを経験した。

  だからこそ、フリッドは首を振る。

  『死ねなくなっても……苦しいのは変わりないよ』

  今まで体験してきたすべての苦痛が、フリッドにそう思わせる。

  例え死ねなくなったとしても、たとえ、いつか死ぬであろうという恐怖から脱却できたとしても。自身が受けた苦痛は味わうことになる。だから、それは良いことなんかではない。

  『でハ貴方、サルビアさんガお亡くなりになられたのハ良いことダと?』

  『っ!』

  『貴方の眼の前デ、殺されたんじゃないデスかネ、彼女。貴方ハどうすることもできズ、只々それヲ見させられたのデハ?』

  サルビアという女性、そのヒトがどういった人物なのか、フリッドには思い出せない。

  けど、ゴードンの言葉が確かならば、その光景を自分は見ていたのだろう。庇おうとしても無駄な足掻きで、最後には残酷に殺された。

  もしも彼女が不死者なら、そんなことにはならなかった。哀しいことは、起こらなかった。

  『……』

  『早々ニ決断するのハ難しいことでショウ。ワタシも、急くつもりハございませン』

  ゴードンはそう断りを入れ、その場はお開きになった。

  あの後もずっと、フリッドは彼に監視されているような気がしてならなかった。首を縦に振るその瞬間を、じっと見守られているような感覚。それがずっとつきまとっている。

  「なあ……そこに、いるのか?」

  虚空へ向かいフリッドが声を掛ける。

  返事は帰ってこない。当然だ。この場にゴードンは存在しないはずだから。

  けれどやっぱりそこにいそうな気がして、見られているような気がして、フリッドは身を乗り出していた窓からそっと離れた。

  わからない。そんなこと、決められない。

  もしも自分が普通の獣人だったなら、決められたのだろうか。選ぶでもなく、これだと決められたなら。

  :::

  一晩過ぎ、朝。

  肌寒さを感じ、早々に目を覚ました狼。正直まだ眠っていたいという衝動を抑え、かけていた毛布を払いのけ一つ背伸びをする。

  今日はどうしようか。遠く聞こえる雨音に耳を傾けながら一日の予定を立てていると、のそり、重たい足音が聞こえてきた。

  「……はよ」

  「ん」

  随分と珍しい。フリッドが、この時間に起きているなんて。

  大体狼が起き上がるこの時間帯、フリッドはイビキをかきながら夢のセカイを泳いでいる。なのに今日は早起きときた。しかもしっかりと衣服を着ている。

  「メシならまだだぞ」

  「……え?」

  「メーシーはーまーだーだー」

  「あ、うん。そっか」

  起きている割には心ここにあらず、といった様子だ。

  大方昨日のことで悩み続けていたのだろう。狼はそう予測を立て、フリッドのことをおざなりに食事の支度を始める。

  「……なあ」

  「あんだよ」

  バックパックを漁りながら狼が返事をする。

  聞き返したはいいが、フリッドは中々話そうとしない。掻っ攫った固形燃料に火をつけ、水を温めている間も、ずっと。

  無駄に頭使ったところで、コイツにはいい考えなぞ思いつかないだろうに。内心狼はそう思いながら、それでも促すことなくじっと待つ。

  湯気がユルリと立ち上り始めた頃。ようやく意を決したのか、フリッドが重々しく口を開いた。

  「俺……やることが、できた」

  「そうか」

  返事をそっけなく返す。どうでもいいことだと言いたげに。

  「止めない、のか」

  「誓約書に書かせたろ。『互いに干渉しない』って」

  「……」

  今まで二人は一緒に生活してきた。何度か場所を変えはしたが、同じ屋根の下で、日々を過してきた。

  けれど、二人は互いの事を知らない。狼が知る必要がないと決め、フリッドがそれをのんだから。

  「お前がどうするのか。ソレに対しても、俺は干渉しない」

  「な……じゃ、じゃあ、アレはどう説明すんだよ!」

  「……」

  「俺達が拠点を移動するとき、お前、ついてきていいって、言ってくれたじゃねえか! ここでお別れしなくていいって、そう言ってくれたじゃねえか!」

  フリッドが必死に抗議する。自分達の関係は、どこまで行っても平行線だったのか。交わることは、なかったのか。

  フリッドのいうその日、確かに狼は引き止めた。フリッドがここでお別れしないといけないと思っていたところを、そうでもないと、改めさせた。

  けど。

  「俺は選択肢を増やしただけだ。ついてくることを選んだのはお前で、俺じゃない」

  「そんなのただの屁理屈じゃねえか」

  「……かもな」

  「じゃあ」

  「でも今回は違う。お前は、選んだろ?」

  一緒にいるより、やることを。

  絶句した。離れることを選んだのはフリッドで、それを狼は止める権利がない。

  選んだ以上、狼はそれを否定しない。それだけだ。結局は赤の他人。ただ偶然、一緒にいただけの関係。

  「そんなの……そんなの、ずるいじゃんか。だって俺は、俺だけが、一緒にいたいって」

  「……」

  「なあ、教えてくれよ。お前は俺が嫌いなのか? ゴミとかクズとか、そう言ってた割に一緒にいたのは、そうしたかったからじゃねえのかよ」

  狼は口が悪かった。ずっとフリッドの行為を馬鹿にしていた。フリッドも言われるたびに嫌だとは思っていた。

  けれど。狼は、フリッドに居なくなれと、必要がないといったことがない。だからフリッドも側にいられた。それを快く思われていたかどうかはさておき、一緒にいられた。

  「フリッド」狼がマグカップを手渡す。いつもは名前すら呼ばないのに。

  「ヒトは、いつか別れる。お別れを、しなくちゃいけなくなる」

  「そう言うのを聞きたいんじゃねえよ」

  「それは今日かもしれないし、遠い未来かもしれない。互いの意見が合わなかったとか、一緒にいて苦しくなったとか、理由は色々あるんだろう」

  「なあ、俺が聞きたいのはそういう」

  「聞け。……頼む、聞いてくれ」

  ひゅ、とフリッドの喉が鳴った。

  かつて狼に、こんなふうに頼み事をされたことはあったろうか。いつもはやらなきゃ暴力を行使してもやらせようとしていた彼が、真剣に、真正面から、頼み込んでいる。

  「終わらなきゃいけないんだ。ここまでだ、と。

  いつまでも一緒にいたいとか、あのときああすればよかった、なんて気持ち。どこかで終わらせなきゃ、一生引きずることになる」

  「終わらせられねえよ……。そんなの、終われるわけねーじゃん」

  ここまできてやめられなかったことを、ハイそうですかと終わらせる方がおかしいじゃないか。助けてくれた恩人を、傍にいてくれることを許してくれたヒトのことを。今も忘れられずにいる、リッツのことを。

  「それでもだ」

  「だって……!」

  「いい加減聞き分けろ。自分で決めたことだろ」

  狼の声に力がこもる。大抵のことは受け流していそうな彼が、感情的になっている。

  「お前ばっかりが辛い目に合ってると思うな。知らなきゃ聞けば良い、分かんなきゃやらなきゃいい、お前はいつだって自分のことばっかだ。自分だけが可愛くて、自分のことだけしか見ていない」

  「ちが……違う! 俺はいつだって誰も苦しんで欲しくないだけで」

  「自分が楽になりたいだけだろ。そうやっていいヤツぶってなあなあでやり過ごして、自分が傷つきたくないからそうやってダメな自分で居続けて。

  いい加減にしろよ。腹が立つ」

  

  ダメな自分。そう言われ、フリッドはつい、言葉を詰まらせてしまう。

  苦しんで欲しくない。それは本心だ。けれど、けれども、何もしてやれなかったのは、苦しんで欲しくないなら手を差し伸べることを諦めたのも、確かにそうだった。

  「何か言い返せよ」

  「おれは……苦しんで欲しくなかったんだ……。あのヒトみたいに、誰かを大切にしたかった……だけで」

  「……おまえは、」

  「お前は、俺と一緒にいて一度でも、俺の立場から、俺の気持ちがどうなのか……考えたこと、あんのかよ」

  絞り出すように、苦しげに、狼が言う。

  直後、ハッとフリッドの方へ向く。

  失言をしてしまった。狼の表情には、驚きと後悔の色がありありと浮かんでいた。

  「……いや、忘れろ」すかさず狼が付け加えるが、フリッドの耳にはそんな言葉、全く入ってこない。

  狼が、どう思っていたか。

  自分と一緒にいて、どう感じてくれていたのか。

  「どう、思ってたんだ……?」

  「……」

  「なあ……俺のこと、ほんとのとこ」

  

  沈黙。

  どれくらいだろうか。気まずい時間が、ただただ流れていく。

  先に耐えきれなくなったのは狼だった。辛そうに顔を背けると、気を取り直すように話題を変える。

  「食料くらいは分けてやるよ。せめてもの餞別として、な」

  「そういうこと聞きたいんじゃ……!」

  「終わりだ。ここが俺達の……俺達の、おしまいだ」

  そう言って無理やり話を終わらせ、狼はカップをすする。

  本当にこれで終わりなのか。どうにもならないまま、終わってしまうのか。

  受け取ったマグカップから湯気がゆらめく。それはゆっくりと昇っていくと、名残惜しむように霞んで消えていった。