新しく高校生活を始めるはずが、飼い犬の匂いに魅せられて犬のお嫁さん生活を始めてしまう

  ※CAUTION※

  ・高校生男子が飼い犬(♂)と性的関係になります。

  ・痛みを伴う獣化描写があります。

  ・匂いを嗅いだりや舐めたりする行為が多いです。

  ・犬のマーキング行為に相当する描写があります。

  以上ご了承の上お楽しみください。

  [newpage]

  四月から始まった高校生活も、今日で最初の一ヶ月が終わった。

  「ただいまー」

  「おかえり、りく。遅かったわね」

  「ああ、うん」

  俺はリビングのソファの上に鞄を放り投げて、その横にドサリと腰を下ろした。

  もう夜の八時を回ったところだった。

  「疲れた」

  「やっぱり大変? 部活は」

  「いや、そっちは別に」

  俺が入ったサッカー部は、近くに有名な強豪校があるせいで、レベルも、熱心さもお遊びレベルの部活だった。中学から始めただけの俺でも、来年にはレギュラーになれそうなくらいだ。

  そんなことよりも、俺が疲れていたのは、通学手段のせいだった。

  ついこの間まで地元の中学に通っていた俺にとって、片道四十分の電車通学は、なかなかにしんどい。不慣れなせいもあると思うけど、想像していたよりもずっと体力を使うものだと知った。

  「お友達は出来た?」

  「うーん、まあ、ぼちぼちかな」

  高校にもなると、住んでいる地域が同じクラスメイトもほとんどいない。一緒に帰るのも、途中の駅までだ。おかげで、いまいちお互いに踏み込みきれない。中学時代のように、一ヶ月も経てば大親友、みたいなわけにはなかなかいかなかった。

  とはいえ、俺には大事な友達が他にいる。

  「それより、ソラは?」

  「いまお父さんとお散歩」

  言いながら母さんは、今日の夕飯の生姜焼きを温め直してくれた。

  「そっか、それで出迎えがなかったのか」

  ソラは俺が小学校を卒業するのと同時に家にやってきた、オスの黒柴だった。ペットではあるものの、俺にとっては一番の親友だ。俺が帰ってくると、毎回待ってましたとばかりに飛び出してくるところなのに、今日に限って姿が見えないと思ったら、そういうことだったらしい。

  「はい、どうぞ。お腹すいたでしょう」

  「いただきます」

  俺はすぐに箸をのばした。たっぷりとタレの付いた生姜焼きを、熱々のご飯と一緒に口のなかに放りこむ。

  「うまい」

  母さんは嬉しそうに笑っていた。

  するとちょうどそこへ、ソラと父さんが三歩から帰って来る音が聞こえた。

  「ワフッ! ワフッ!」

  ソラは俺が帰っていることに気づいたのか、パタパタと足音を立てて、リビングへ駆け込んできた。

  「おかえり、ソラ。あと、ただいま」

  嬉しそうに食卓の周りで飛び跳ねるソラにそう言って、俺はその身体を撫でてやった。

  「おお、りく、帰ってたのか」

  ソラの後ろから、父さんもやってきた。

  「母さん、風呂沸いてる?」

  顔の汗を拭いながら、父さんは母さんにそう尋ねた。

  「さっき沸いたとこ。良いわよ、入っちゃって」

  「ありがとう」

  そう言って、父さんはジャージを脱ぎながら風呂場へ行った。

  「元気だなあ」

  俺はご飯を頬張りながら、その後ろ姿を眺めていた。会社から帰ってきたあとで、ソラの散歩に付き合えるなんて、地味だけどすごい話だ。俺なんて、たかだか一ヶ月の電車通学で、散歩に行く元気なんて無くなるくらい疲れているのに。

  「慣れよ、慣れ。お父さんはもう、二十年以上電車通勤してるんだもの。力の抜きどころを心得てるのよ」

  母さんはそう言って、自分の小さなお碗の味噌汁を啜っていた。

  「そっか、二十年かあ」

  俺が生まれる前からか。そう思うと、なんだか父さんが妙に尊敬できるような気がした。

  「ワン、ワフゥ」

  「ほら、ソラが遊んでって言ってるわよ」

  「ああ、ごめんごめん」

  母さんの言うとおり、ソラは俺に構ってほしそうに、足元でじゃれついていた。

  散歩に付き合ってやれなかった分、せめて相手をしてやらなきゃな。

  そう思って、俺は急いで残りのご飯を片づけると、ソラと一緒に二階の自分の部屋へ駆け上がった。

  [newpage]

  「ワフ、ワフッ、ワン!」

  部屋に入るなり、ソラは早く早くと急かすように、前足でたしたしと床を叩いていた。

  俺は鞄を机の上に置いて制服を脱ぎ、Tシャツ短パン姿になってベッドに寝転がった。

  「ほら、おいで」

  俺は手を広げて、ソラを手招きした。

  するとすぐに、ソラはぴょんと飛び上がって、俺の胸に飛び込んできた。

  「わぶっ、おいおい、そんなに慌てんなって」

  俺はソラの身体を抱きしめながら、その背中を優しく撫でた。ソラは嬉しそうに尻尾を振りながら、俺の顔を舐めまわしてくる。

  「くすぐったいって、ソラ、やめろよ」

  そう言いながらも、俺は笑っていた。

  それからしばらく、俺たちはベッドの上でじゃれ合った。ソラは俺の腕や膝を甘噛みして、俺はそんなソラを抱き締めてやり返したり、くすぐったりして遊んだ。

  ソラも嬉しそうだったけど、俺にとっても貴重な癒やしの時間だった。

  ソラが生まれたばかりのころから三年の間、俺達はこうして毎日、一緒の時間を過ごしてきた。俺が高校生になった今でもそれが変わらないことが、たまらなく嬉しい。

  「ほら、そろそろ終わりだ」

  十分ほど経った頃、俺はソラの身体を抱き上げて、ひょいと引きはがした。普段なら、ここで遊びはおしまいのはず。だけど、今日のソラは名残惜しそうに鼻をひくつかせて、すぐにまたすり寄ってきた。

  「なんだよ、今日はずいぶん甘えん坊じゃないか」

  何度手で押しのけても、しつこく鼻先を寄せてくる。

  おかしいな、と思ったその時だった。

  「うわっ、どこ嗅いでんだよ」

  ほんのはずみだったのだろけど、ソラの鼻が俺の期間のあたりに入ってきて、俺は笑いながら腰を引いた。

  「こら、そういうのは、人間にやることじゃないぞ」

  そう言って、もう一度ソラの身体を抱き上げる。

  それから俺は、ほんのおふざけのつもりで、そのお尻に軽く顔を近づけた。

  「ほーら、お返しだ。ほれほれ、恥ずかしいか。恥ずかしいだろ。え? わかったらもうやめろよ」

  そして、顔を近づけたり離したりを繰り返しながら、わざとらしい口調でそう言った。

  「ワフゥ……」

  「あははは!」

  まるでわかったとでも言うようにしおらしい鳴き声を上げるものだから、俺は思わず声を上げて笑ってしまった。

  と、その拍子に鼻から息を吸い込んでしまった。途端に、ぷんとソラの犬臭いお尻の匂いが鼻を突き抜ける。

  「うっわ、くっせぇ」

  反射的に、俺は鼻をつまんだ。やばいやばい、そんなつもりじゃなかったのに。

  「ワ、ワフッ!?」

  ソラは驚いたように身体を大きく跳ねさせると、俺の腕の中から飛び降りて、こちらをじっと見上げてきた。

  「いや、違うんだ。事故だ、事故」

  俺は慌てて弁解した。

  はじめは、怒っているのかと思った。だけど、ソラはすぐに後ろに振り返って、俺に向かってお尻を突き出すような格好になった。まるで、もっと嗅げと言っているみたいに。

  そこで思い出した。

  「ああ、そうか。犬は、そうだよな」

  お尻の匂いを嗅ぐというのは、犬にとっては挨拶みたいなものだ。確かその匂いで、相手の情報を色々嗅ぎ取れるんだとか、なんとか。

  ……それで、俺に嗅げと?

  馬鹿馬鹿しい、と思った。俺は犬じゃないのに、そんなことできるもんか。ソラだって、俺が犬とは違うことくらいわかっているだろうに。

  じゃれ合いくらいならできるけど、さすがに犬の挨拶ごっこにまでは付き合えない。

  「ソラ、もうおしまい。ほら、ハウス」

  そう言って、別室の寝床へ帰らせようとした。

  けれども、ソラはなおも俺に向かって、尻を突き出してくる。俺が望み通りにするまでテコでも動かないといった感じで、一向に引き下がる様子がない。どうやら、どうしても犬の挨拶ごっこがしたいらしい。

  「仕方ない、少しだけだからな」

  結局、根負けしてしまった俺は、床に膝をついて、もう一度ソラのお尻に顔を近づけた。

  (ちょっとだけ、ちょっとだけだぞ)

  そして、遠慮がちに鼻をひくつかせる。すると、今回はしっかり嗅ぐ体勢になっていたせいか、さっきとは比べ物にならないほど強烈な匂いが俺の嗅覚を襲った。

  (くっさぁ!)

  思わず、顔をしかめそうになる。だけど、ここで退いたらソラががっかりするし、へそを曲げるかもしれないと思うと、やっぱり我慢して嗅ぐしかなかった。

  「ん?」

  もう一度鼻から息を吸い込むと、今度は少し違う匂いを感じた気がした。

  (なんだこれ。臭いけど……ちょっと、香ばしい、ような)

  そんな馬鹿な、と思うけど、確かに犬臭い体臭と糞の匂いの向こう側に、ほんのわずか、香ばしいスパイシーな匂いが隠れている。

  (なんか、癖になりそうな……)

  その時、階下から母さんの声が聞こえた。

  「りく! お風呂入っちゃいなさい!」

  俺はハッと我に返って、慌てて立ち上がった。

  一体何やってんだ、俺。誰かに見られなくて良かった。もしもこんなことしてるところを見られたら、死にたくなるとこだった。

  「今行く!」

  そう言って、俺は二、三度咳払いをしてから、なんでもないぞという顔をして、階段を降りていった。

  [newpage]

  それから数日後、いつものように最寄り駅から自宅へ向かう帰り道を歩いている時のことだった。

  「あ」

  コンビニの前で、それぞれ犬を連れた二人の人が、立ち話をしているのを見かけた。片方はシーズーで、片方はトイプードルだった。たしか、近くの公園で会ったことのある子たちだ。

  犬たちは主たちの立ち話の間、お互い楽しそうにじゃれ合ったり、キャンキャンと声を上げたりしている。

  「おっ」

  可愛いなあと思っていると、トイプードルの方が、シーズーのお尻に鼻を近づけて、匂いを嗅ぎ始めた。

  「んん……」

  俺の頭の中に、ソラのことが思い浮かんだ。いや、正確には、ソラのお尻の匂いのことが、だけど。

  「うっ」

  あの臭い匂いの中にあったスパイシーな香りを思い出して、なんだか落ち着かない気持ちになった。

  「な、なに考えてるんだ、俺」

  恥ずかしくなって、慌てて頭を振る。周りを見回すと、幸い誰にも気づかれていないようだった。

  さっさと帰ろう。そう思って、俺はその場を後にした。

  帰宅すると、今日はお待ちかねとばかりにソラがすぐさま飛びついてきた。

  「ゥオン、ワォン!」

  「は、はいはい、ただいま……と」

  軽くあしらったつもりだったけど、なぜだか今日は妙に意識してしまって、なんだかぎこちない感じになってしまった。

  「ワフッ、ワフッ!」

  そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、ソラはリビングに向かう俺に、普段と同じようにまとわりついてくる。

  「は、はは……」

  足元ではしゃぐソラのお尻を見ていると、さっき見た光景が脳内によぎる。

  特に変わった光景じゃない。犬を飼っている人間にとっては日常の風景だ。

  それなのに、俺の胸はなぜか、何か見てはいけないものを見てしまった時のようにドキドキしている。

  とりあえず、早くご飯とお風呂を済ませなきゃ。俺はそう思って、あの景色のことをしばらく考えないようにした。

  全てを片付けて部屋に戻ると、ソラが先回りして俺を待ち構えていた。

  「ワフッ、ワン!」

  「……!」

  考えないようにした反動か、俺の頭の中には、ソラの姿を見た瞬間から、あのことばかりが浮かんでくる。

  (ソラの……匂い。お尻の、匂い)

  「ワフッ、ワンッ、ワフッ!」

  ソラはそんな俺に気付く様子もなく、楽しそうに跳ね回りながら、迫ってきた。そうして、いつものように甘噛みしたり、身体を擦りつけたりしてくる。

  俺はそれを受けとめながら、そのお尻のあたりにずっと視線を向けていた。

  (って、何を考えてるんだ)

  ダメだダメだ、やっぱりダメだ。犬の挨拶ならともかく、俺は人間なんだから。これじゃただの変態だろ。そう思って、抗いがたい衝動を抑え込もうとした。

  だけど、どうしても確かめたい。ソラの匂いを。今日の匂いを。お尻の、匂いを。そんな思いが、抑えようとすればするほど、かえって強く湧き上がってくる。

  (ほんのちょっと、確かめるだけ。ソラの身体に酷いことをするつもりはない)

  そんな言い訳を自分自身に対して何度も何度も繰り返しながら、俺は四つん這いになって、ソラのお尻に顔を近づけていった。

  「ワ、ワフッ」

  ソラも、流石になにかおかしな雰囲気を感じ取ったのか、不安そうな声を上げていた。

  だけど、俺は止まれない。ごくりとつばを飲み込んで、そして、そっと鼻から息を吸い込んだ。

  (うわぁ、やっぱりくせぇ……)

  前に感じた、心地よいスパイシーな匂いはほとんどしなかった。あったのは、鼻に張り付くような獣とフンの匂いだけ。

  (だけど、もうちょっとだけ)

  それでも俺は、そんなソラの匂いを堪能したくなって、くんくんと鼻をひくつかせながら、ゆっくりと息を吸ったり吐いたりした。

  ああ、くらくらする。頭がぼうっとしてくる。いい匂いがするわけでもないのに、なんでか止まらない。まるで毒が身体に回って麻痺していくように、ずっと嗅いでいたくなってくる。

  (もっと、もっとだ)

  その時、鼻先に、ぴとりと何かが触れる感触があって、俺はいつの間にか閉じていた目を開けた。

  「おわっ」

  そこではじめて、俺は自分が、ソラのお尻に鼻をくっつけて匂いを嗅いでいることに気がついた。

  (わ、わわっ、やばっ)

  慌てて飛び退いた。

  (俺、マジでヤバいだろ)

  たった今自分がしたことが信じられずに、俺は床に膝をついたまま、呆然とソラの姿を眺めた。

  「ワフッ」

  そんな俺の姿を見て、ソラは不思議そうに首を傾げていたけれど、やがてトコトコと俺に駆け寄って、ペロリと俺の鼻先を舐めてくれた。

  まるで気にしなくていいと慰めてくれているみたいだった。

  「ソラ……ごめん」

  「ワンッ」

  俺が謝ると、ソラは元気よくひと鳴きして応えてくれた。

  何だか、かえって、もっとちゃんと謝らなきゃという気持ちになる。

  だけど、どうしたら良いんだろう。言葉ではこれ以上のものは伝えられないし……そう思ったところで、ふと、あることを思いついた。

  「はぁ、はぁ……」

  俺は恐る恐る舌を伸ばすと、ソラの黒く湿った鼻先に、ちょんと触れさせた。ごめんなさい、の意味を込めて。

  「ワフッ!」

  ソラは嬉しそうに鳴いて、再び俺の顔を舐めてきた。

  なんだか余計に恥ずかしいことをしたような気がするけど、とりあえず俺の気持ちはちゃんと伝わったみたいだ。ソラの優しさに感謝しつつ、俺は気が抜けたようにベッドの上に寝転がった。

  すると、ソラも一緒にベッドにぴょんと飛び乗ってきた。いつもならハウスへ送り返そうとするところなのだけど、その日の俺はそのまま、一緒に眠ることにした。同じ布団にくるまって、身体をくっつけていると、ソラの匂いと体温が伝わってくる。

  なんだか、とても安心するような、そんな気分だった。

  次の日は土曜日だったけど、俺は部活を休むことにした。それよりも、ソラと一緒にいたいと思ったからだ。前の日の夜にしてしまったことへの埋め合わせをしなきゃいけないという気持ちもあった。

  「行ってきます」

  朝ご飯の前に、俺はソラと一緒に散歩に出かけた。

  「ワフッ、ワフッ」

  ソラは朝から元気いっぱいだ。早く、とでも急かすように、俺の前を早足で歩いていく。

  「おいおい、そんなに急ぐなよ」

  そう言いながら、俺は笑った。

  いつもの道を通って、いつもの公園へ。特別なことは何にもないけど、今日の散歩は普段のそれよりもずっと楽しい気がした。

  「ワフッ、ワンッ」

  ソラもご機嫌な様子で、嬉しそうに尻尾を振っている。俺も、そんなソラの姿を見ていると嬉しくなる。

  公園につくと、昨日のコンビニ前で見かけたトイプードルと、その飼い主に出くわした。

  「おはようございます」

  向こうが挨拶してくれたので、俺も会釈した。

  「どうも。あの、昨日、コンビニの前で……」

  「あら、見られてました?」

  飼い主さんはちょっと悪戯っぽく笑った。俺は正直に頷いた。

  「ええ、まあ。可愛いですね、その子」

  「ここあっていうんです」

  「あ、女の子なんですか」

  「そちらは? 男の子ですか」

  「はい、ソラっていいます」

  「へえ〜。あ、ご挨拶」

  飼い主さんの言葉にふと目をやると、ソラとここあちゃんはお互いに鼻を突き合わせて、クンクンと鼻を鳴らしている。

  「ワフッ」

  「ワンッ」

  二匹は仲良く返事をすると、続いてここあちゃんが、ソラのお尻の匂いを嗅ぎ始めた。

  「わぁ〜、嫌がらない。お利口さんですね。柴ですよね?」

  「黒柴です」

  「ですよね。お歳は?」

  「三歳になったばかりです」

  「あら、じゃあお兄さんだ」

  そんな風に質問に答えながら、俺は胸の中に複雑な気持ちが湧いてくるのをひそかに感じていた。

  (ソラ、俺といる時より楽しそうにしてないかな)

  そんなはずはない、と自分に言い聞かせるけど、二匹の様子を見ていると、なんとなく不安になってしまう。なんだか、よその犬相手に嫉妬しているみたいで、変な感じだけど。

  そんなぼんやりとした気持ちは、ソラがここあちゃんのお尻の匂いを嗅ぎ始めたことで、次第にハッキリとしていった。

  (なんでだろう)

  分からないけど、すごくイヤだと感じた。

  二匹の仲睦まじげな様子を見ていると、胸がキュッと苦しくなるような気持ちになる。

  俺以外に、そんなことしないでよ。させないでよ。俺は、そんな嫉妬と独占欲の入り混じった気持ちを抱えながら、二匹の様子を眺めていた。

  「じゃ、じゃあこれで。……ソラ、帰ろうか」

  とうとう耐えきれなくなった俺は、逃げるようにして、その場から立ち去った。

  「あ、はい。またうちの子と遊んであげてくださいね〜」

  背中に飛んでくる飼い主さんの声に、手だけ振り返して、俺は足を早めた。

  帰宅して朝ご飯を食べ終えると、俺はすぐに部屋に引きこもった。

  「……くそ」

  どうしてだろう。いままでだって、ソラのことは大好きだったけど、他の犬と挨拶を交わしているとこを見ただけで、こんな気持ちになるなんて。

  そこへ、部屋のドアの向こうから、カスカスと引っ掻くような音が聞こえてきた。

  「……ソラ」

  急いで開けると、ソラが俺の顔をまっすぐ見上げるようにして、そこにいた。

  「クゥーン」

  鼻にかかった、寂しそうな声で、俺の名前を呼ぶ。

  「なんだ、お前も寂しかったのか?」

  そう言って、俺はソラを部屋の中へ招き入れた。

  するとソラは嬉しそうに尻尾を振りながら、俺の股の間に顔を突っ込んできた。

  本来なら、やめなさいと言わなきゃいけないところなのだけど、今日はどうしてか、そんな気になれなかった。

  「いいよ、ソラ……」

  そう言って、俺は膝と両手をついて、ソラに向かってお尻を突き出した。

  すぐさまソラは俺の尻に鼻を突っ込んで、くんくんと匂いを嗅ぎ始める。

  (俺のこと、もっと知ろうとしてくれてる)

  そう思うと、恥ずかしいという気持ちより、嬉しいという気持ちの方が大きくなる。

  「ワン、ワン!」

  やがて、ソラは俺のズボンに食いつくと、ぐいぐいと引っ張り始めた。

  俺にはその意味がすぐに分かった。

  「ごめんごめん、そうだよな」

  俺はそう言って、ズボンとパンツを脱いだ。思い切り匂いを嗅ぐには、服が邪魔だと言われていたんだ。

  「いいよ、好きなだけ嗅いで」

  そう声をかけると、ソラは無防備になった俺の尻にもう一度鼻を突っ込んだ。今度は、先ほどよりもずっと激しい勢いで、ぐりぐりと顔を押し付けてくる。

  「はははっ、くすぐったいって、ソラ」

  そう言って身を捩りながらも、俺は決してやめさせようとはしなかった。むしろ、もっとして欲しいとさえ思った。

  朝の散歩で感じた寂しさがどんどん埋められていく気がして、ますます嬉しくなる。

  ひとしきり嗅いでもらったあとは、俺の番だった。

  俺はもうためらうこと無く、ソラのクリーム色の毛並みに縁取られたお尻の穴に、鼻をぴったりとくっつけた。

  「わ、すっごい匂い」

  そう口にして、俺はうっとりと目を細めた。犬特有の獣臭さと、ソラ自身の匂いが混ざりあった濃い匂いが直に伝わってくる。

  「んっ、はぁ、はぁ……」

  俺はその匂いに興奮して、ソラの尻の穴に向かって息を吐き出していた。まるで犬のように、ハァハァと激しく呼吸を繰り返す。

  (俺、こんなの、変だ)

  ぼうっとしてくる頭で、わずかな理性だけがそう言っている。なのに、止められない。臭くてたまらないのに、何度も何度も確かめるように、匂いを嗅ぎ続けてしまう。

  そうしていると、ソラはもうおしまいだよと言うみたいにくるりとこちらに向き直った。

  ああ、もうちょっと嗅いでいたかったな。俺は名残惜しさに、自分の唇をペロリと舌で舐めた。

  すると、ソラも俺の口元をペロペロ舐めてきた。それならと、俺もお返しにソラの顔を舐め返してやる。口の中に、ソラの顔の毛と唾液が少し入ってきて、その得も言われぬ獣臭さに、身体の芯がジンと熱くなった。

  (あ、やば……)

  これ以上は、いけないような気がする。

  そんな体の声に従ってふと目をやると、俺は自分の股間が大きく膨らんでいることに気がついた。

  まだソラは気づいていないようだったので、バレる前にと、一度脱ぎすてたパンツを急いで履きなおした。それから、ソラの鼻先に、ちょんと口づけをして、もう今日はおわりにしようと語りかけた。

  「また、明日な」

  気がつけば、すっかり日が暮れていた。お昼に呼ばれなかったのを不思議に思ってリビングへ行ってみると、父さんも母さんもどこかへ出かけているみたいだった。

  俺はほとんど一日中ソラと一緒に、互いの匂いと唾液を交換し合っていたんだ。そう思うと、俺は無性に胸が高鳴ってくるのを感じていた。

  [newpage]

  次の日、俺は強い顔面の痛みで目が覚めた。

  まるで鼻や顎が折れたみたいな、経験したことのない痛み。どこかにぶつけたわけでもないのに、なんでこんなに痛いんだろう。

  「いってぇ、なんだこれ」

  寝ぼけた頭では、何がなんだか分からない。とりあえず鏡を見て確かめよう。そう思って、洗面所へ向かった。

  「うーん、特にどうというわけでもないか……」

  見た感じでは、腫れているとかそういったことは無い。ほんの少し、鼻の頭が赤くなっているくらいだろうか。

  「どうした、りく」

  背後から父さんに声をかけられ、俺はとっさに顔を隠しながらその場を後にした。

  「な、なんでもない!」

  「お? なんだ色気づいたか」

  茶化してくる親を無視して、俺は自分の部屋に駆け込んだ。

  今日は日曜日。病院は大体閉まっている。とりあえず、様子を見るしかなさそうだ。

  しかし、それから夜になっても顔の痛みは引かなかった。それどころか、段々とひどくなってきているような気がする。

  どうしよう。本当に、親に話したほうがいいんだろうか。

  「ワフン?」

  「わ、びっくりした」

  部屋のすみで座り込んで頭を抱えていると、いつの間にかやってきたソラが、俺の顔を覗き込んでいた。

  「ワゥ、ワフゥ」

  「心配してくれるのか」

  するとソラは、昨日のように俺の顔をペロリと舐めてきた。

  痛いから今日はやめて、と言おうとした俺は、その瞬間に予想外のことに気づいた。

  「あれ……いたく、ない?」

  さっきから、ちょっと触るだけで痛かったはずの顔が、ソラに舐められると痛くない。それどころか、少し気持ちいいくらいだ。

  「そ、ソラ……もっと、舐めて」

  俺は自然と、そんな言葉を口にしていた。

  もちろんソラは、すぐに俺の願いを叶えてくれた。

  ピチャ、ペチャ、チャプ、チャプと、昨日よりもたっぷりと滴る唾液の音が、俺の部屋の中に響いた。あっという間に俺の顔面はソラの唾液でべたべたになった。

  ただ、おかげでもう痛みはほとんど感じない。少し火照ったような熱を持っているだけで、触ってみても大丈夫だ。これなら、明日も病院には行かなくて済みそうだ。

  「ソラ、ありがとな」

  そう言って、俺はソラをギュウっと抱きしめた。それだけじゃ物足りないから、ついでに昨日のように、お礼としてソラの顔を舐めてやった。

  それからというもの、俺は毎晩ソラとお互いの顔を舐めあった。もちろん、その前にきちんと挨拶……尻の匂いを嗅ぎ合うのも忘れずに。

  俺は人間なのに、まるで犬みたいなことをするなんて、おかしいなとも思う。だけど、こうしないと顔の痛みが激しくなるので、止めるわけにはいかない……というのはもちろん建前だった。本当のところを言うと、ソラの匂いや唾液の味が、日ごとに恋しく思うようになっていた。はしたないことかもしれないけど、帰りの電車の中で、家に帰るのが待ちきれずに舌なめずりをしてしまうくらいに。

  そんなある日のことだった。

  「ねえ、りくくん。その鼻、どうしたの?」

  クラスメイトの女子から、突然そんなことを言われたので、俺はドギマギしながら聞き返した。

  「鼻が、どうしたって?」

  「ううん、平気ならいいんだけど。ちょっと鼻の先っぽが黒ずんで、腫れてるみたいだから」

  「ああ……まあ、大丈夫、だよ」

  歯切れ悪くそう答えて、俺は何とかその場をやり過ごしたけれど、心の中は焦りでいっぱいで、冷や汗が止まらないくらいだった。

  鼻の異変には、実をいうと俺自身、気づいていた。

  今朝鏡を見たときに、鼻の先っぽだけが周りと比べて黒っぽく、しかも、なんだかベタベタと湿った感じになっていることに気づいた。それだけじゃなく、鼻と一緒に、顎全体がなんとなく、前の方に突き出てきたような気もした。

  (見間違いじゃ、なかったのか)

  どこかで俺の思い違いであってくれという気持ちもあったのだけど、こう指摘されてしまうと、紛れもない事実だと認めざるを得ない。

  誰かに相談しようという気にはなれなくて、俺はその日、帰りに口元を隠す用のマスクを買った。今、こんなことで心配をかけたくないし、それ以上に、誰にも知られたくなかった。

  というのも、俺には原因に心当たりがあったからだ。

  「ただいま」

  「ワン、ワン、ワフゥン!」

  玄関のドアを開けると、ソラがいつものように飛びついてくる。

  「わかった、わかったから!」

  急いで靴を脱ぎ、親への挨拶もそこそこに逃げるように二階へ上がる。そして、ソラを部屋に招き入れるとバタンと扉を閉じた。

  「はぁ、はぁ、そ、ソラ……」

  俺は息を荒くしながら服を脱ぎすてて、ソラの前で四つん這いになった。そしてそれから、いつものように、尻の匂いを嗅ぎ合い、お互いの顔を舐めあった。

  すると、俺の顔面がたちまち熱を持ち始める。心臓の鼓動に合わせて、まるでそこだけ別の生き物のように、ドクン、ドクンと力強く、血管が波打つような感覚。

  (やっぱり、そうだ)

  鼻先の異変は、毎夜繰り返す愛犬とのこの行為が原因だ。俺にはそんな確信があった。

  だからこそ、誰にも言いたくないし、見せたくない。自分でもこんなの変態的でどうかしていると思うし、知られたら最後、絶対にやめろと言われてしまう。治療と称して、ソラと離れ離れにされてしまうかもしれない。今の俺には、そんなこと耐えられなかった。

  この楽しみを奪われるくらいなら、鼻が治らなくたって構わない。そうとまで思っていた。

  次の日、俺は登校してすぐに、顧問へ退部届を提出した。マスクをしていたらサッカーなんてとてもやっていられないし、かといってマスクを人前で外すわけにも行かないからだ。表向きは、部活の雰囲気に馴染めなかったからということにしておいた。その日からは、昼食も一人トイレで隠れてとることにした。

  とにかく、見られてはいけない。見られてしまったら、その後の言い訳も面倒なことになる。俺は必死になって、徹底的に顔を見せないように高校生活を立ち回った。

  そうして隠したソラとの秘密の関係は、夜ごと繰り返しては、次第により濃厚でみだらなものへと変わっていった。

  鼻の異変に気づいてから一週間ほどたったころには、俺はソラの身体を嗅ぐだけで、絶頂しかけてしまうようになっていた。

  「はぁ、はぁ、ソラ、おいで」

  犬臭い匂いに顔をしかめるどころか、今ではその匂いが愛おしくてたまらない。俺の要求に応えるようにして、ソラは何度も鼻を俺の顔に押し当ててくる。お互いの唾液でヌルヌルになった鼻同士を擦り合わせると、じんと甘い痺れが全身を駆け巡った。

  (ああ、気持ちいい)

  もう、自分では止めることが出来なかった。俺は、ソラの口を自分の舌で舐め回し、何度も何度も息を吹き込むような口づけをした。

  「はぁ、ソラ、大好き」

  そんな言葉を口にしながら、毎晩俺は裸のままソラと抱き合って眠りにつく。そんな日々が続いていた。

  そんなある日のことだった。

  「なあ、りく。それ、どうした?」

  「なんか付けてるの?」

  登校してすぐに、クラスメイトたちが口々に俺のマスクで隠した鼻先を指さしてきた。

  「えっ、い、いや、別に」

  「なんか出っ張ってるじゃん」

  「マスク外せよ。何か咥えとんちゃうの」

  「タバコか」

  誰かが言ったその言葉に、わあっと何人かが寄ってくる。

  「タバコ? 匂いする?」

  「いやタバコの匂いはしないけど……」

  くんくんと鼻を鳴らした一人が、怪訝な顔をして言った。

  「りく、お前風呂入ってんの?」

  「え、いや、毎日入ってるけど」

  「なんかお前の身体、臭いぞ。汗……というか、なんだこれ?」

  その言葉に、他のクラスメイトも一斉に鼻をひくつかせる。

  「マジだ、くっせぇ!」

  「これあれだ! 犬かなんかじゃない? うちのばあちゃんちの犬と似たような匂いだよ」

  「うわっ、マジかよ」

  俺はもう、限界だった。

  無言でみんなを押しのけると、教室を飛び出した。

  [newpage]

  家へ帰ると、母さんもパートに出た後らしく、誰の気配もなかった。

  「ワン、ワゥ、ワン!」

  留守番中の、ソラの声を除いては。

  俺はソラの待っている部屋に駆け込んだ。そして、マスクを外した。

  俺の鼻先は、はじめの頃と比べると、もうマスクではごまかしきれないほどに長く伸びていた。先端は真っ黒になって、ぬらぬらとテカっている。

  「ソラ!」

  俺の部屋に、来て。その言葉だけで、ソラは全てを察しているようだった。いそいそと立ち上がって、俺のあとをついてくる。

  部屋に入ると、俺は引きちぎるように服を脱ぎ捨てた。

  「ソラ、おいで」

  そのままベッドへ倒れ込むようにして横になると、ソラは嬉しそうに尻尾を振りながら飛びかかってきた。そうして俺たちはベッドの上でもつれ合い、何度も何度も身体をこすりつけ合うようにして、相手の全身を味わう行為に没頭したのだった。

  気づくと、窓から差してくる西日が、もう夕方であることを告げていた。

  (俺、もう学校、行けないな)

  そう思いながら、俺はソラの頭を、そっと撫でる。

  「ワン、ワフゥ?」

  ソラが不思議そうに首を傾げて、俺の顔を舐めてきた。くすぐったくて、気持ちがいい。

  (もう、いいや)

  もともと、友達は多い方じゃなかったし、学校をやめるのならそれでも構わないか。そんなことを考えながら、俺は未だに俺の匂いを堪能しているソラの顔面に、再び舌を這わせようとした。

  その時だった。

  俺の顔面を、これまでとは比べ物にならないほど強烈な痛みが走った。

  「ア、グ、ガァァァァ!」

  鼻だけじゃなく、顔全体からミシミシと軋むような音がする。あまりの痛みに目から涙が止めどなく溢れてきて、視界が滲んだ。そのぼやけた視界の中で、ただでさえ伸びていた鼻先が、顎と一緒にさらに前へ突き出していくのが見えた。

  (痛い、いたい、いたいよ……)

  俺はもう声も出せずに、伸びた鼻筋を両手で抑えながら、ベッドの上でひたすら悶絶していた。

  それから、どのくらい経ったのだろうか。

  気がつくと、夕日に染まって赤くなった部屋の壁が目に入った。ぬれたシーツのひんやりとした感触が頬に伝わってくる。どうやら俺は、顔中涙と鼻水でべちょべちょにしたまま気を失っていたようだった。

  「クゥン?」

  心配そうに俺の顔をのぞき込んでくるソラと、目が合った。俺が苦しんでいるあいだ、ずっとそばにいてくれたらしい。どうやら変化は止まったらしく、もう顔に痛みはなくなっていた。

  触って確かめてみると、俺の鼻と口は、すっかり犬のものみたいにとがったマズルになっていた。違うところがあるとすれば、表面はつるんとした人間の肌のままだということくらいだろうか。その先端に、ソラがペロペロと舌で触れてくる。今までよりもずっと濃い唾液の匂いを感じて、俺はホッと安らかな気持ちになった。見た目だけじゃなく、嗅覚も犬に近づいたようだった。

  「そ、そら……あ、は?」

  俺はひとまず安心させようと、ソラの名を呼ぼうとした。だけどその瞬間、口の中に何か小石のような異物が入っていることに気づいた。それもひとつやふたつどころじゃない。俺は慌てて、その小石たちを吐き出した。

  「うぇ……っ!?」

  バラバラとベッドの上に転がり出たのは、小石じゃなかった。

  (これ……歯か?)

  それは全部、人間の歯だった。よく見ると、見覚えのある治療中の虫歯もある。どこかから口の中に入ったわけじゃなく、俺自身に生えていた歯だと認識するまでに、そう時間はかからなかった。あまりの痛みに食いしばったせいで折れてしまったのかと思ったけれど、歯の一本一本にはどれもきちんと根っこがついていた。

  折れたんじゃなく、抜けたんだ。そう思うと、急に恐ろしくなってきた。

  (これ全部、抜けたっていうのか?)

  多すぎて数えたくもないけれど、パッと見たところ、二十本以上はある。こんなに一気に抜けたなんて。折れるのだってまずいけれど、抜けたとなると、より不気味に感じる。顎の形が変わったせいだろうか。俺の歯はいったい何本残っているんだ。色んな事が頭の中を駆け巡った。

  俺はベッドから立ち上がると、顔の異変を感じてはじめてから通販で買った姿見に、自分の顔を映してみた。

  「ひっ」

  思わず、小さな悲鳴が漏れた。

  鼻の形が犬みたいになっているのはわかっていたけれど、その姿を真正面から見ると、思いの外グロテスクな光景だった。

  薄赤色だった唇はゴムパッキンのように真っ黒な縁取りになり、黒く湿った鼻の下には縦に割れた裂け目が見えている。

  そして、その隙間から覗く口の中には、長く薄い舌と歯茎があるばかりで、歯が一本も残っていなかった。

  「ど、どうひよお……」

  歯が無いせいか、口が変形したせいか、舌がうまく回らない。

  「りく? 帰ってるの? 帰ってるなら、夕飯前にソラのお散歩行ってきてね!」

  階下から母さんの声が聞こえる。

  どうしよう。こんな顔じゃもうごまかすこともできない。

  「わ、わかった!」

  どうにかそう答え、俺は服を着て、マスクを付けてから恐る恐る廊下に出た。

  そしてそのまま、ソラと一緒に無言で階段を駆け下り、話しかけられる前に靴を履いて玄関を飛び出した。

  人通りのない道を選んで、とにかく誰にも会わないように走った。そんな俺の横で、ソラは楽しそうに、まるで追いかけっこでもしているかのように、飛んだり跳ねたりしながらついて来た。

  通りを走っていく中で、気付くことがあった。

  (ここから、匂いが変わった。……あ、ここもだ。あっちのブロックは、また別の匂いがする)

  嗅覚が鋭くなった俺の鼻は、マスク越しにも犬たちの縄張りの範囲を嗅ぎ取れるようになっていた。これまで歩いてきた人間たちの道とは違う、別の地図がもうひとつあるみたいだった。

  そして、それを感じ取れるようになった俺には、未知の衝動が湧いてきていた。

  (……俺の場所も、欲しい)

  自分がここに来たぞ、ここにいたぞ、ここは俺の場所なんだぞ、という証拠を、どこかに残したい。なぜ、と聞かれても困るような、本能と言ってもいい欲望だった。

  「バウッ!」

  俺のそんな欲を見透かすように、ソラは急に立ち止まり、短く吠えた。

  「ど、どうひたんだよ、ほラ?」

  そう尋ねた俺は、ソラの視線の先に、一本の電柱があることに気づいた。

  その根本に、嗅いだことのないやつの匂いがついている。

  ソラはトコトコと電柱に駆け寄ると、サッと片足を上げて短く用を足した。立ち込める強い匂いでソラの訪問が記録される。挨拶と、縄張りの主張と、色んな意味が込められたマーキングだ。

  これで終わりかと思ったら、ソラはその場に留まって、俺をじっと見上げてきた。ソラが何を言いたいのか、俺にはわかるような気がした。

  (そっか、ソラの真似すればいいんだ)

  俺はあたりをキョロキョロ確認して、誰も近くにいないことを確かめると、ズボンをそっと下ろした。そして、ソラが手本を示してくれたところに、チョロチョロと放尿した。

  立ち上る匂いが、俺の匂いに上書きされる。何とも言えない高揚感に、口元が緩む。ああ、俺、上手に出来てる。ちゃんと匂いを付けられてるんだ。そう思うと、誇らしい気さえしてくる。

  「ワン、ワフゥン!」

  ソラの声にハッと我に返り、生まれて初めてのマーキングの余韻に浸っていた俺は、慌ててズボンを上げた。誰かに見られはしなかったと辺りを見渡してみたけれど、そこは大通りから外れたひっそりとした道で、周りには誰もいなかったことにホッと胸を撫で下ろした。

  「かえろう」

  まだ、あたりに残る匂いに胸が高鳴っている。でも、もう帰らないといけない。そろそろ日が沈む。

  今日の散歩は、今までとは一味違った。またこんな風に、楽しい時間を過ごせたら良いな。そんなことを思いながら、俺はソラとの家路を急いだ。

  「りく、あんた学校飛び出したんだって!?」

  帰るなり、母さんが怒った様子でキッチンから怒鳴り声を上げた。どうやら散歩に行っている間に、学校から連絡が来たらしい。

  やっぱり、そうなるよな。

  親にこの顔を見せるわけにもいかないし、面倒な話につきあわされるのも嫌だったので、俺はリビングには行かず、そのまま自分の部屋へ逃げ込んだ。

  「俺、あぃたから学校いかないから!」

  うまく回らない口でそれだけ言って、扉に鍵をかけた。母さんがドアを叩く音が何度か聞こえたけど、無視をして、ベッドの中で毛布をかぶって目を閉じた。

  しばらくそうしていると、母さんたちの気配はしなくなって、代わりに扉をカリカリと引っ掻くような音が聞こえてきた。

  「バフッ!」

  ソラだ。ドアの向こうで、呼んでいるのがわかる。俺は急いでドアに駆け寄った。

  ソラの声と息遣いが、ドア越しに伝わってくる。ついさっき一緒に散歩に行ったばかりなのに、もう恋しい。他の人間たちには会いたくないけど、ソラにだけは、会いたい。心に浮かぶそんな言葉で、俺は胸が締め付けられるような気持ちになった。

  そうだ。俺にはソラがいる。ううん、違う。ソラしかいない。ソラだけいれば、いい。

  俺はそっと扉を小さく開けて、ソラ以外の匂いがしないことを確認すると、急いで彼を部屋へと招き入れた。

  「ああ……」

  入って来たソラの匂いを感じて、俺は思わずため息をついた。鼻が利くようになったことで、もともと好きだったソラの匂いが、ますます強く、魅力的に感じる。

  もう我慢できなかった。俺は服を脱ぎすて、四つん這いになると、いつものように互いの尻の匂いを嗅ぎ合う格好になった。長く伸びた鼻が、ソラの肛門にぴったりとくっつく。その瞬間、俺は目を大きく見開いた。

  (すごい、昨日までと全然違う)

  これまで単なる獣臭さと排せつ物の匂いとしか感じられなかったその匂いが、今日は一段と濃く、そしてより細かい情報として脳に伝わってくる。

  健康な成犬の、オスの匂い。いつも食べているフードと、おやつのジャーキーの匂い。今日歩いた道と、今お尻から漂ってくる匂いのバランスから言って、このあたりの地域では中くらいの勢力範囲を持つ地位にいる、黒柴のオスだということがわかる。そして、ほんのりと香る、発情間近の匂い。どこかに、好きなメスでもいるみたい。

  (いっぱい、教えてくれるんだ)

  今まで知らなかったソラのこと。大好きなソラの、嗅ぎ分けられなかった匂い。もっと、知りたい。俺を満たしてくれる、ソラのこと、もっともっと、欲しい。

  俺は大きく息を吸って、夢中でその匂いを嗅ぎ続けた。だけどもうそれだけじゃ物足りない。もっと、俺を感じさせて欲しい。嗅覚だけじゃなく、身体の色んなところで。

  そう思った、次の瞬間だった。

  「ワンッ!」

  突然ソラがくるりとこちらへ振り返ったかと思うと、ドンと飛びつくようにして、俺を突き飛ばしてきた。

  「あうっ」

  完全にとろけていた俺は抵抗することもなく、そのまま仰け反るように後ろにひっくり返って、床の上に仰向けに倒れてしまった。

  そしてソラは、そんな俺の無防備な股間へ頭を突っ込んできた。

  「あひっ」

  ペチャリと生暖かい感触が走る。いつの間にかビンビンに硬くなっていたペニスが、ソラの柔らかい舌で包み込まれたのだった。

  「ふぁっ、あっ、あぁっ」

  思わず変な声が出てしまい、慌てて口を押さえる。それでもソラはやめてくれる様子はなく、それどころか更に強く舌を押し付けてくる。

  (ヤバい、気持ち良すぎる)

  そう思った数秒後には、俺はビクンと身体を震わせて射精していた。もともと絶頂寸前にまで高まっていたとはいえ、そのあまりの早さに自分でも驚いた。

  そして、自分自身で慰める以外でのはじめての絶頂が愛犬との行為だったことに、ほんのりとした背徳感と幸福感が混ざった、複雑な感情を味わった。

  でも、そんなことはどうでもいいくらい、気持ち良かった。ソラの舌から得られる快楽は、脳髄が溶けてしまいそうなほどに強烈で、一度出しただけじゃ満足出来ない。

  (もっと、欲しい)

  俺は、無意識のうちに腰を動かして、せがむように股間をソラの口に押し付けてしまっていた。ソラは一瞬、ピクンと小さく身体を震わせたけれど、すぐに俺の意図を理解したのか、もう一度モノに舌を這わせてきた。

  (ああっ、すごい)

  気持ちいいなんてもんじゃない。頭のてっぺんから足の先まで、全身を愛撫されているみたいだ。心地よい快感と充足感が身体を満たしていくのがわかる。

  そこへ、俺の鼻に今までとは違う匂いが、ふわっと伝わってきた。

  ソラのオス臭い匂いでも、俺のモノから放たれた精液の生臭い匂いでもない。どこか甘ったるくて、濃厚で、イヤらしい感じの匂い。

  そこでピンときた。

  そうだ、これは、発情したメスの匂いだ。オスの身体を求めて、誘って、匂い立つ、メスの匂い。

  だけど、一体どこから? 俺はその匂いの震源地を探って、鋭くなった鼻をひくつかせた。

  そうしている間にも、ソラは俺のペニスをペロペロと舐め続けて、俺はまたすぐにその快楽に溺れてしまう。

  「あっ、あっ、あぁ、あうぅ……」

  いつの間にか、俺は情けなく犬みたいに舌を出して、喘いでいた。信じられないほどの短い時間で何度も何度もイかされ、そのたびに俺はビュクビュクと勢いよく精液をソラの口の中に放った。

  「はぁ、はぁっ、はあ、はっ」

  そのたびに、部屋に漂う甘ったるいメスの匂いは濃く、強くなっていく。

  やがて、俺は段々とわかり始めてきた。そのメスの匂いは、俺自身の吐き出した息や、全身の毛穴から、発せられているのだということを。

  (俺の、からだ、メスの匂いに、なってる……でも、なんで)

  射精というオスの象徴とも言うべき好意をしていながら、俺の身体はどんどん発情したメスの匂いになっていっている。一体なぜ? どうして?

  そんな疑問が頭の片隅をよぎった瞬間、これまでで一番強い快感の波が、俺を呑み込んだ。

  「アゥウウ、クゥウウーーン!!!」

  それは、身体中の毛が逆立つような、信じられないほどの快楽だった。思わず甲高い嬌声を上げて、ビクビクと全身を震わせる。そしてそのまま、俺は続いて襲いかかってきま眠気に屈して、静かに目を閉じたのだった。

  (ああ、くさい……けものくさくて、あまい、めすいぬのにおい……)

  意識を手放す直前、俺は俺自身の身体が放ちはじめた匂いに包まれながら、そんなことを思っていた。

  [newpage]

  「りく、りく」

  誰かの優しい声が聞こえる。

  初めて聞く、知らない声。だけどあったかくて、ホッとする、大好きな声。

  「りく、おきて」

  ぼんやりしていた意識が、だんだんハッキリとしてくる。なんだか身体が重たくて、なかなかうまく動かせない。

  「りく、ねえ、おきて」

  声は俺を呼んでいる。その声に従って、ゆっくりと目を開けてみた。するとそこには、ちょっと不安げな顔でこちらを覗き込んでいるソラの姿があった。

  「あ、おきた」

  そのソラが、喋った。

  「あえ……なんで、ソラが」

  思わずそう尋ねた俺の鼻先を、ソラはペロリと舐めた。

  「りく、歯、生えたね」

  その言葉に俺はハッとして、口の中を舌で探ってみる。すると、確かに硬い感触があった。昨日までの、元あった歯が抜けて更地の状態になっていた歯茎に、もう新しい歯が生え始めていたのだった。

  しかも、新しく生えた歯は、以前の俺に生えていたものとは全く形が異なっていた。前歯から奥の方まで、全て先端が三角形に尖ったものが並んでいて、そのうちの何本かは長く鋭い「牙」と呼ぶべきものになっている。

  「これ、犬の……」

  そう、それは紛れもなく、犬の歯だった。

  「そうだよ」

  ソラは、まるでそれが当然のことであるかのように、平然とそう言った。でも、そんなわけがない。だって俺は人間で、犬じゃないはずなんだから。

  「りく、かわいい。どんどん良い匂いになってきたね」

  戸惑う俺に、ソラはそう言って、またペロリと俺の口元を舐めた。

  「ヒンッ!?」

  思わず、俺の口からそんな声が漏れた。

  なんだか、昨日よりも、いやそれどころか、ついさっきよりも敏感になってしまったみたいだ。

  身体中の皮膚がゾワゾワする。むず痒いような、くすぐったいような、そんな感覚。

  「もっと、かわいくしてあげるね」

  俺が歯を食いしばってそのゾワゾワに悶えていると、ソラはそう言って俺の身体に飛びつき、お尻の周りをペチャペチャと舐め始めた。

  「ワふぅ!? アフん! ヒャン……!」

  自分でもなんて変な声だろうと思うような、悲鳴のような喘ぎが、口からどんどん漏れ出て止まらない。

  「りく、りく、もっと鳴いて」

  聞こえてくるソラの声が、俺の脳を痺れさせる。

  「ヒャン、ヒャゥーン!!」

  鳴けば鳴くほど、身体の芯から熱が高まっていく。

  (あぁ、ダメだ、抵抗、できない)

  俺はされるがまま、夜明け前の部屋の中で四つん這いになって、ソラの愛撫を受け続けた。

  しばらくそうしていると、腰のあたりがズキズキと疼き始めるのを感じた。

  「あ……。なん、か、来ちゃう……」

  射精する絶頂とは違うなにか未知の快感が、背筋を首からお尻へ向かって駆け抜けていく。それらは腰の行き止まりに溜まって、ドクンドクンと脈打ち始める。

  ソラもそれに気づいたのか、疼きの中心点になっているところへ、重点的に舌を這わせてきた。

  「りく、がんばって。受け入れて」

  ソラの囁きが、溜まった熱を放出する、最後の一押しになった。

  「キャウン、キャンッ、キャンッッ!!」

  自分の喉から、聞いたことのない鳴き声が発せられる。それと同時に、腰に鈍い痛みと、じんわりとした快感が広がった。

  ドクンドクンと脈を打つリズムに合わせて、バキ、バキ、と骨の変形するような音が聞こえてくる。お尻の上にあった背骨の終着点が、周りの肉と皮を引き連れて、腰から突き出たように伸びていく。

  振り返らなくても、何が起きているのかは分かった。

  「りく、いいよ。かわいい尻尾だ」

  柔らかいテノールボイスで、ソラは俺にそっと語りかける。

  そして、伸びはじめたばかりの新しい器官に、挨拶代わりのひと舐めをくれた。

  「ク、キュゥウウンッ」

  ビリビリと痺れるような痛み。ゾクゾクするような快感。二つの感覚が、俺の背骨を駆け上がった。

  その間にも、尻尾はゆっくりと、まるで羽化した蝶々の羽が伸びていくような速さで、太く、長くなっていく。

  やがて、朝日が登りきった頃、俺の尻尾はようやく成長を止めた。

  「おめでとう、りく。立派な尻尾だね」

  ソラがそう言って俺の顔を舐めてくれる。まだ毛も生えていない、生まれたままの俺の尻尾がピクンと震えた。

  「ありがとう」

  そう答えて、俺はソラの顔を舐め返しながら尻尾を大きく左右に振った。

  「じゃあ、散歩に行こうか」

  ソラの言葉に、俺は喜んで「うん!」と答え、その背中を追った。

  [newpage]

  朝靄の中を駆け回り、満足して帰ってくると、まだ他の家族は誰も起きていないようだった。

  昨日浴びなかった分のシャワーを浴びよう。

  そう思って、俺は風呂場へ向かった。そして服を脱ごうとしたその時、ソラが俺のズボンに噛みついてきた。

  「え、ソラ?」

  「りく、だめ」

  ソラは真剣な顔で、唸り声を上げている。俺に、シャワーを浴びるなと言っているらしい。

  「なんで、だめなの?」

  「だって、りくのかわいい匂いが、落ちちゃう」

  「あっ」

  そうか、そうだった。どうしてかいつものクセで、一日一回はシャワーを浴びるものだと思っていた。だけどそんなことしたら、せっかくの体臭が、消えて無くなってしまう。それは、俺達のコミュニケーションにおいて、大きな損失になる。

  「わかった、やめとく」

  そう答えると、ソラは満足げにペロペロと俺の脚を舐めてきた。

  「じゃあ、朝ごはんにしよう」

  冷蔵庫に貼られた紙に、母さんの字で昨日の夕食の残りがあると書いてあったけれど、俺はもう、そっちには興味がなくなっていた。

  ソラのフードを、いつもの皿に盛ってやる。そして同じものを、俺はもうひとつ別の食器にザラリと入れた。

  ゴクリ、と唾を飲み込む。美味しそうな匂いが、俺の食欲を刺激する。すぐにでも貪りつきたくなる衝動をぐっと堪えて、俺はその「朝ごはん」を水と一緒に部屋へ持ち帰った。

  「いただき、ます」

  部屋に鍵をかけて、皿を床に置き、ソラとおんなじ食べ物を、同じように四つん這いになって、ソラと隣同士で、食べる。

  「りく、おいしい?」

  ソラの問いかけに、俺は口いっぱいのものを咀嚼しながら、黙って頷いた。

  舌で感じる味はほとんど無い。だけどそのかわりに、カリカリとした食感とともに濃厚な肉の匂いが、鼻を抜けて行く。前歯で、牙で、舌で、丹念に噛み砕いて、唾液と混ぜてグチャグチャになったそれを、俺は嗅覚で味わいながら飲み込んだ。

  味じゃなく、匂いで楽しむ。新鮮なその感覚に、すっかり夢中になっていた。

  ただ、フードの方は良いとして、困ったのは水の方だった。

  マズルになってしまった口では、人間みたいに器のフチを口につけて飲もうとすると、横からほとんどこぼしてしまう。けれども、ソラが手本を見せてくれるように舌で掬って飲む方法も、不慣れな俺ではまだ上手にできない。

  ピチャピチャと不器用に舌で水面を叩くばかりの俺の姿を、ソラは面白そうに見つめていた。

  「かわいいね、りく」

  そう言って、一足先に食事を終えたソラは俺の尻に、後ろから鼻先をくっつける。

  「ヒャン……!」

  くすぐったくて、思わず声が出てしまう。ソラはそんな俺に構わず、そのまま、ペロリと俺のお尻を舐め上げた。

  「キャン、アン、ヒャゥン!」

  ぞわぞわ、びりびりと、皮膚を小さな虫が這いずるような、妙な感覚が身体の内側を駆け巡る。

  「こっちの匂いも、ますますおいしそうになってきたよ、りく」

  ソラはなおも俺の股間で鼻を鳴らし、時折舌で味わっては、嬉しそうな唸り声を上げた。

  「ほら、こんなに可愛く、ちっちゃくなってきた」

  その言葉に、はたと俺は俺自身のモノに目をやった。ソラの責めで快感に震えているそこは、確かにかなり小さく、小指の先ほどになっている。

  「ど、どうして……?」

  戸惑う俺に、ソラは優しく語りかけてくる。

  「わかんない……でも、僕は嬉しいな。りくがどんどん可愛くなってくの。りくは、どう? 怖い? 嬉しくない?」

  「そ、それは……」

  答えに困ってしまった。怖くない、と言ったら嘘になる。俺の身体からはますますメス臭い甘ったるい匂いが強く漂い始めているし、アソコはいつの間にかありえないほど小さく縮んでしまった。もともとオスだったはずの俺が、どうしてこんな身体になってしまったんだろう。

  「僕、前のりくも好きだったけど、今のりくの方が、もっともっと大好きだよ」

  ソラのその言葉を聞いたとたん、身体が、芯からキュンと疼いた。

  嬉しい。ソラが俺のことを、好きって言ってくれる。かわいいって言ってくれる。……愛されてるんだ。それなら、もう、どうなったっていい。オスの体じゃなくなっちゃったって、構わない。

  そう思った途端、俺の全身からムワリと、これまでにないほど強烈な、メス臭いフェロモンが溢れだした。

  「りく、僕、もう、がまんできない」

  言うが早いか、ソラは後ろ足で立ち上がると、俺の腰を抱え込むようにして、股間を擦り付けてきた。

  ヌチャリとした感覚が、尻の割れ目につたわる。

  「りく、まだ女の子のとこ、できてないから、こっちで、いいよね。ね? いいよね?」

  ハァハァと呼吸を荒くしながら、ソラが苦しそうに、そんなお願いをしてくる。

  「いいよ、ソラ」

  もう、断る理由なんてない。俺ももう、外側を舐めるだけじゃなくて、中に欲しかったんだから。

  「り、りく、だ、大好き!」

  そう言って、ソラは俺の肛門にズプリと自分のモノを押し込んできた。

  「ヒャウンッ!!」

  産まれてこの方、お尻の穴に物を入れたことなんてない。それなのに、痛みを感じるどころか、むしろ気持ちいい。

  ソラの腰使いは、恐ろしく速く、深かった。

  「アッ、アッ、あっ、アゥ、ア、アンッ!!」

  初めて味わう衝撃に翻弄されて、俺は顔を床につけ、ほとんど犬のような姿勢で声を上げ続ける。

  (ヤバい、これ、戻れなくなっちゃう)

  そんな思考が、一瞬脳裏をよぎる。

  それを合図に、朝から身体中を覆っていたむず痒さが、頭のてっぺんから足の指先まで、さらに強く弾けたように駆け巡る。

  「キャンッ! キャウンッ!!!」

  (からだ、かゆい、きもちいいっ、くすぐったいっっ!!!)

  そして、新しい変化がはじまった。

  バチバチと火花が散る視界の中で、床についた自分の腕と、マズルが目に映る。

  (ああ、毛が……!)

  いままでつるんとした人肌に覆われていたそこに、黒く太い毛がみっしりと、皮膚を突き破って生えてくる。激しくお尻を突かれる快感に震えながら指先で触れてみると、人の毛とは全く違う硬さとしなやかさがあった。

  これは獣の、しかも、犬の毛だ。ソラとおんなじ、黒柴の毛。

  そんなものが、ザワザワと音を立てて目に見える速度で生え広がっていく。冷静に考えれば恐ろしい光景のはずなのに、なぜだか、頭の中にはそれとは全然違う言葉が次々と浮かんでくる。

  嬉しい、うれしい、うれしい!! やっと、この時が来たんだ。これでもっと、ソラと同じになれるんだ。

  そんなことを考えているうちに、毛は俺の腕とマズルだけにとどまらず、俺の全身を覆い始めた。それと同時に、さっきまでじっとりとかいていた汗が引いて、体の熱の逃げ場がなくなっていく。

  「あ、あつ、あつい、あついよぉ……」

  すると、俺に腰を打ち付けていたソラが、荒い呼吸の中で、切れ切れにこう告げた。

  「りく、いき、はいて。がまん、しないで」

  「わ、わか、った」

  言われるがまま、俺は大きく口を開いて舌を出し、はあはあと息を吐き出す。すると、ほんの少しだけ、楽になったような感じがした。

  「そう、じょうず、だよ、りく」

  ソラは満足げにそう言って、さらに激しく、俺を穿つように、何度も何度も腰を打ち付けてくる。

  「アッ、アゥ、ア、アオォッ!!」

  お腹に伝わるあまりの激しさと、クラクラするほどの快感に、もう喘ぎ声と唸り声しか出せない。

  そして、ついにその時が来た。

  「いくよっ!りく!!」

  そう宣言して、ソラが一度大きく引き絞った腰を勢いよく突き出した直後のことだった。

  ビュルルと音を立てて、凄まじい量の液体が、俺のお腹の中に送り込まれてくる。ドク、ドク、と脈打ちながら、熱い塊は俺の中へとどんどん流れ込んでくる。

  「アッ、アゥ、アォォォォン」

  注がれ続ける子種汁に、俺は白目を剥きそうになりながら、ビクビクと痙攣を繰り返した。そのたびに、身体中の毛がザワリと伸び、全身の皮膚が毛皮へと変わっていく。

  俺のモノはさらに小さく豆粒ほどになり、先端からトロトロと力なく透明な粘液を吐き出し続けるばかりだった。

  顔を床に突っ伏したまま、ソラからもらった快感と変化の余韻に浸っていた俺を次に襲ったのは、肛門がミチミチと押し広げられる違和感だった。

  「な、なに、これぇ」

  ソラのペニスの根元が、ムク、ムク、と膨れ上がっていく。まるで、お尻の穴に栓をするかのように。

  「りく、もうちょっと、がんばって」

  ソラはそう言って、つながった状態のまま器用に身体をひねって後ろを向き、俺とお尻同士でくっつくような格好になった。

  「まだ、でるから」

  その言葉が聞こえた瞬間、俺の中で、ソラが再び熱い汁を噴出した。

  「アッ、アゥ、ア、アオォォン!!」

  注ぎ込まれる液体に押し出されるように、俺のペニスからさらに透明な液が漏れる。けれども入ってくる液体の量のほうが圧倒的に多く、俺のお腹は次第にぽっこりと膨らみはじめた。

  「ウゥゥ……グルルゥ……!!」

  圧迫感と、息苦しさと、けれども止めどなく押し寄せてくる快感とに、俺は歯を食いしばって耐えた。

  しばらくそうしていると、お腹の中の汁が、少しずつ消えていくのを感じ始めた。苦しいほどに腸を満たしていたそれが、まるで撒いた水が乾くみたいに、無くなっていく。膨らみかけていたお腹も、元の大きさに戻った。

  耐えきった。そう思って、ホッと息をついた、その時だった。

  突然、キュウウッと腹の中の内臓が握りつぶされているかのような感覚がやってきた。

  それだけじゃなく、マズルや尻尾が出来たときのような骨が悲鳴を上げる痛みが、今度は全身に走りだした。頭が、腕が、足が、耐え難い激痛におそわれる。

  もはや声も上げられず、俺はうずくまったまま涙とよだれを垂れ流した。

  「りく、がんばって。これが、さいごだから」

  そう言って、ソラが全身をいたわるように舐めてくれる。いつの間にか、つながっていたものは抜けていたらしい。

  愛しい相手に触れようと手を伸ばしたところで、自分の手の形が目に入った。

  バキバキと音を立てて変形していくそれは、親指がほとんど無くなり、残った四本の指も短くなり、反対に手のひらの部分は長細く伸びて、ソラと同じ、犬の前足へと変わりつつあった。ムクムクと膨らむ指先の肉は、弾力のある肉球へと変化していった。

  「りくの肉球、かわいいね。真っ黒だけど、端の指だけ、ピンクいろ」

  最後に爪が鉤爪へと変わり、すっかり前足へと変わった俺の手に鼻を押し当てて、ソラは嬉しそうに言った。

  脚の変化は、手よりもよほど痛かった。

  太ももは太く丸くなり、反対にふくらはぎは溶けるように縮んで短くなって、腰も股関節も変形し、かかとを付けて立ち上がることができない足に変わってしまった。

  その間、だんだんと天井が高く、家具が大きくなっていくような感じがしていたけれど、実際は自分が小さくなっていっているんだと気づいたのは、ちょうど脚の変化が終わる頃だった。

  最後に変化したのは、頭だった。

  ゴキゴキと大きな音が耳元で鳴り響く。たまらず呻いて、眼の前のソラに助けを求めた。

  「ソラ、いたいよ、たすけて」

  痛みのせいか、簡単な言葉しか浮かんでこない。

  「ソラ、ソラ」

  「りく、だいじょうぶ。僕がついてる」

  ソラが、顔を舐めてくれる。痛いけど、ソラが側にいてくれるなら、耐えられる。

  そう思ったところで、ゴリゴリ、と音がして、一瞬周りが暗くなった。

  何だか、目がかすむ。さっきまでカラフルだったのに、だんだんみんな同じような色に見えてくる。いま分かるのは、白っぽいか、黒っぽいかくらい。……あ、ちょっとオレンジ色っぽいかも。これも、痛みのせいなのか。

  あたま、いたい。ゴリゴリ。また、聞こえた。

  ソラの顔が見える。綺麗で、すっと伸びた鼻が、かっこいい。いい、におい。好きなにおい。

  ゴリゴリ。かみのけが、抜けて落ちる。大きくなった毛むくじゃらの耳が、頭の上でふるえてる。

  「ソラ、あたし、どうなっちゃうの」

  「もうちょっと、だよ。心配しないで」

  やさしい声、いつも、助けてくれる声。大好きな、ソラの声。

  ゴリ、ゴリ、ゴキ、ゴキン! 最後に大きな音がして、いたいのはおさまった。

  「お疲れ様、りく」

  ソラが、目の前で、わふ、と一鳴きする。

  「あたし、どうなったの」

  「みてごらんよ」

  ソラに言われて、あたしはよろよろと立ち上がる。そして、鏡の前に立って、自分の姿を見た。

  「わ……あ……」

  そこにいたのは、一匹の犬。ソラとおんなじ、だけど毛並みの模様がちょっと違う、メスの黒柴だった。

  「かわいくなったね」

  そう言って、ソラがあたしの顔をペロリと舐める。

  とっさに、嬉しい、と思いかけて、あたしは急に不思議な感情に襲われた。

  「でも、あたし、にんげん……」

  そう。あたしはほんとは、人間だったはず。それも、オスの。

  「そう? りくは、メスの黒柴だったでしょ?」

  ソラが当然のような顔をして、首をかしげる。

  あたしも、そうだったような気がするんだけど、なんだか、変。だって、この部屋、あたしたち犬の匂いにまじって、ほんのり人間の匂いがする。若いオスの人間の匂いが。とても懐かしくって、もともと自分のものだったんじゃないかと思うくらい。

  だけどそれも変。だってあたし、犬なのに。人間だったなんておかしい。どうしてだろう。どうしてそんなこと、思うんだろう。

  「混乱してるんだね。お散歩、いこうか」

  ソラはそう言って、尻尾を振った。

  散歩。その言葉にあたしはすぐにうなずいて、部屋の出口の扉に伸び上がって、鍵を前足で開けた。

  一緒に階段を降りていくと、あたしたちのお世話をしてくれるこの家のママさんが待っていてくれた。

  「りく、あなたの新しい首輪とリード、買ってきたわよ」

  「母さ……ママ、ありがとう」

  ママのことを「母さん」なんて呼んだことないはずなのに、間違えそうになっちゃった。あたしは慌てて言い直して、真っ赤なかわいい首輪をつけてくれるママの手を、お礼として舐めた。

  「じゃあ、行きましょうか」

  その言葉を合図に、あたしとソラはママに連れられて、夕方のお散歩に出かけた。

  「あいたっ」

  「りく、大丈夫?」

  いつもこうして歩いていたはずなのに、なぜだか今日は、何度も何度もつまずいてしまう。そのたびに、ソラとママが心配そうにあたしに声をかけてくれる。

  「あら、こんばんは」

  公園にさしかかったところで、ママがそんな声を上げた。

  「こんばんは、どうも」

  ママが挨拶した相手の人間さんが、お返事してきた。この匂い、トイプードルのここあちゃんのご主人だ。すぐそばに、ここあちゃんの匂いもする。

  甘えんぼうのここあちゃんは、しきりにご主人へ抱っこをせがんでる。でも、ご主人様は気づいてないみたい。

  「こんばんは」

  あたしは尻尾を振りながらここあちゃんに近づいて、お尻の匂いをクン、と嗅いで挨拶した。

  「りく、僕も挨拶するよ」

  ソラもそう言って、ここあちゃんのお尻の匂いを嗅いだ。

  「アゥ、ン」

  ここあちゃんは怖がるように、ビクリと体をふるわせると、早足でソラから離れた。

  「あらあら、いつもは仲良いのに。嫌われちゃった?」

  ママが苦笑いしてる。

  だけどあたしには、ここあちゃんの怖がった理由がちゃあんとわかっていた。

  「ソラ、オスだもん」

  それもただのオスじゃない。今日のソラは、一段とオス臭い。ここあちゃんがお付き合いするには、まだちょっと早いもの。それが本能的にわかってるんだ。

  挨拶を拒否されてしょんぼりするソラに、あたしはそっと囁いた。

  「ソラ、帰ったら、たっぷり相手、してあげるね」

  「り、りく……!」

  顔を赤くしたソラが、戸惑うように尻尾を揺らす。あたしは嬉しくて、口元を舐め上げた。そんなあたしたちを見て、まだウブなここあちゃんがドキドキしてるのが、匂いで伝わってくる。そのドキドキの正体がわかるようになるには、あと一年くらいかかるかも。

  それにしても、かわいいなあ。撫でてあげたい。

  (……あれ?)

  撫でてあげたい、じゃなかった。舐めてあげたい、だった。撫でるなんて、そんな人間みたいなことするはずないのに、なんで思い違いをしちゃったんだろう。

  「りく?」

  変な顔をして固まっているあたしに、ソラが声をかけてくれる。

  「ソラ、なんかあたし、おかしいの」

  「おかしいって?」

  「よくわからないんだけど、何か変な気がするのよ」

  するとそこへ、ぺちゃくちゃと人間同士のおしゃべりをしていたママさんが言った。

  「そろそろ、帰ろっか」

  あたしたちはハイと答えて、また尻尾を振って歩き出した。

  その帰り道でも、あたしは何度もつまずいてしまった。おかしいなあ。やっぱり何か、変な感じがする。たとえば、大切なことを忘れてしまっているような。

  違和感は、それだけじゃなかった。道端でおしっこでマーキングするのも、うんちをするのも、いつもどおりのことだけど、今日は何となくいけないことをしているような気がしてしょうがない。ママが片付けてくれるんだから、問題ないはずなのに。

  [newpage]

  家に帰りついて、何気なく玄関の靴たちの匂いを嗅いだ、その時だった。

  (え……?)

  ひとつだけ、気になる匂いの靴があった。さっきお部屋の中で感じた人間の匂い。あの時はあたしたち自身の匂いに半分ごまかされていたけど、今回は、その人間の匂いだけが直接鼻に突き刺さる。

  ひと嗅ぎ、ふた嗅ぎするたびに、記憶がよみがえってくる。

  「りく? はやく足拭いて」

  ママが……ううん、母さんがあたしを急かしてる。

  あたし……じゃない。えーと、たしか、僕、だったっけ。俺、だったかな。

  そうだよ、俺、人間だったはずじゃないか。

  「んもう、ほら拭いちゃうわよ」

  母さんが俺の身体を抱き上げて、四本の足を雑巾で拭いてくる。変だ。こんなの、変だ!

  俺はジタバタと動いて母さんの腕から逃れると、二階の部屋に駆け込んだ。そして鏡でもう一度、自分の姿を確かめた。

  (う、嘘だ、嘘だ!)

  鏡の中には、どこからどう見ても、黒と焦げ茶の毛並みに覆われた柴犬がいた。しかも、ただの犬じゃない。

  (無い! 無い! 無い!)

  必死に股の間を鼻で、両前足でまさぐってみても、男の象徴がどこにもない。代わりに、その「男」を受け入れるための穴が、新しく出来ている。

  そんな自分の体をうろたえたように眺め回す、若い一匹のメス犬。それが今の俺だった。

  どうして、こんなことに? なんで今まで不思議に思わなかったんだろう? 母さんはどうして何にも気づいてくれないんだ? 俺は頭を抱えた。

  どうしよう。どうしたら、もとにもどれるだろう。必死に考えようとしたけれど、犬になって小さくなった脳みそでは、複雑なことが考えられないし、集中力も続かない。

  おなかすいた。

  ソラとあそびたい。

  ママに撫でてほしい。

  もっとお散歩行きたい。

  そんな単純で本能的な欲望が、邪魔をしてくる。

  原因は、ソラとあんなことをしたから……そう、もっとしたい。違う! 子供がほしいの。……でもなくて、あたし、もとに戻りたい。だけど、どうすれば? 楽しくて、幸せで、気持ちよければ、いいんじゃない? 違う、違う、違う!!!

  俺は、人間だったんだ。……多分。そう。そのはず。だけどソラがあんまり素敵だから……そうじゃないでしょ! 何考えてんの、あたし!

  「ウゥゥ、ウルルゥ、ガウゥ……」

  言葉を喋っているつもりなのに、あたしの喉から出るのは、メス犬の唸り声だけ。

  「りく、しっかりして!」

  そこへソラが部屋に飛び込んできた。あたしはパッと飛び退いて、ソラに向かって泣きながら訴えた。

  「あたしを、もどして」

  「りく、何を言ってるんだい、君は」

  「あたし、犬じゃない! 人間だったの!」

  するとソラの表情が変わった。

  「……本当に?」

  「ほんとよ! だって、だって……匂いが」

  「君の身体、メス犬のいい匂いしかしないよ」

  「い、いまはそうかもだけど、ほんとは違うの!」

  ソラに問い詰められると、自信がなくなってくる。何か、あたしが人間だった証拠があればいいんだけど、考えようとしてもわからない。あるはずだと思うんだけど、思いつけない。

  「もしそうだったとしても、さ」

  ソラがゆっくりと近づいてくる。

  「今は、犬なんだから、それでいいじゃないか」

  「……そうだけど」

  「僕の言葉、わかるだろ? 匂いも、わかるだろ?」

  ああ、そんな良い声で囁かないで。匂いも、うっとりするようなカッコいい匂い、させないで。

  あたし、おかしくなっちゃう。怖い。こわいよ。あたしだったはずのものが、塗りつぶされちゃうみたい。

  「あは、ほら、君、発情してる。僕を誘う匂いを出してるよ」

  「そ、そんなの出してない!」

  うそ。あたし、自分でわかってる。ソラの子供を産みたい。ソラと交尾したい。めちゃくちゃにされたい! さっきからずっと、そんなことばっかり考えてる!

  「ほら、僕のここ、嗅いでごらんよ」

  そう言って、ソラがあたしの鼻先に、そのオス臭い股間を押し付けてきた。

  やだ、やだよ……あたし、人間だったはずなのに。こんな匂い、臭くてたまらないだけのはずだったのに。それなのに、どうしてこんなに、切なくて、恋しく感じちゃうの? 怖い。自分の身体が、自分じゃないみたい。まるで、ケダモノに成り下がってしまったみたいに、本能に逆らえない。

  ダメ。ダメよ! 何度も頭の中で繰り返したけど、結局あたしは、ふらふらと舌を伸ばしてしまった。ソラの一番獣臭くて、オスの香りが強いところに、鼻先を突っ込む。とたんにあたしの頭はまた匂いのメッセージに支配されてしまう。ソラが、あたしを求めている。あたしに、何かを求めてる。

  あたしは最後に残った理性でなんとか身体を押しとどめようとしながら、震える声で絞り出した。

  「ソラ……あたし、もう、ダメみたい」

  「そうみたいだね」

  ソラはやっぱり優しい声で、だけどきっぱりと言った。

  「りくはもう、犬だもん。我慢できるはずないよ」

  「う、うう、でも、あたし、人間だったの、に」

  「大丈夫だよ」

  ムワッ、とソラの身体からオスのたくましい香りが立ち上る。その匂いに、また身体がキュンと震えてしまう。

  ソラはニヤリと笑った。犬の表情はヒトと違って殆ど動かない。だのにあたしには、ソラが笑っているのが分かった。ソラは震えるあたしの身体に舌を這わせて、それからそっと耳元で囁いてくる。

  「僕が、忘れさせてあげるから」

  その一言で、あたしの理性のたがが外れて、フェロモンが一気に溢れ出した。

  「ああ……ソラ……来て……!!」

  すぐさまソラは目を血走らせ、鼻息を荒くして、あたしの背中にのしかかってくる。

  本来オスを受け入れるべき入口は、ついさっき出来たばかりのほやほやだけど、もうしっかり準備万端、濡れそぼっていた。

  「良い匂いだよ、りく。君は立派なメス犬で……」

  ソラはいきりたつ肉の棒を、あたしのメスの穴に押し当て、静かに言った。

  「僕のおよめさんだ」

  そうして、一気に突き入れてきた。

  「ン、キャゥ、アオォーンッ!」

  あたしは、甲高い声で鳴いた。まるで、人間だったあたしの断末魔の悲鳴のように。

  身体が小さくなったせいか、それとも、初めて迎え入れるべき穴でソラを迎え入れたせいなのか、さっきよりもずっと深く、重たく、ソラを感じる。

  「あぁ、りく、りく、気持ちいいよ!」

  火傷しそうなほどに熱い杭が、吐き出される呼吸とともに、どちゅっどちゅっとイヤらしい音を立てて、あたしの中に叩きつけられる。子宮が、さらにその先の内臓が、ぐりぐりと押しつぶされていく感触に、あたしは、はしたない声を上げてよがり狂った。

  「アゥン、アンッ! キャウン、アオォン!」

  気持ちいい。あまりの激しさに、一瞬吐きそうになるけれど、それでもなお上回る気持ちよさに、あたしの頭はドロドロに蕩けてしまう。そう、押しつぶされているのは、身体の臓器だけじゃない。あたしの心が、もともとあった心の形までもが、叩かれ、潰され、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられて、元の姿を永久に失っていく。

  (やだ、やだ、やだ! こんなの! あたしじゃない! あた……俺じゃ、ない! あれ? おれ、あ、あたしは、人間、じゃない。ううん、違う。人間、だったの。ソラの、友達で、飼い主で、人間の、メス? オス? どっちだっけ……)

  腰を打ち付けられるたびに、頭に浮かぶ思考が、どんどん変わっていく。

  (ううん、そんなことどうでもいいの。あたし、もう犬なのよ。だって、匂いを嗅げば、わかるじゃない。声だって、犬の声だもの。自慢の鼻も、尻尾も、ちゃんとあるし。……でも、寂しい。なんだか、大切なものが、なくなっちゃったみたい)

  あたし、何が足りないんだろう。どうしてこんなに気持ちいいのに、悲しいような気がするんだろう。難しくって、わからない。子犬のようにキャンキャン鳴いて、あたしはひたすら、ソラから送り込まれてくる衝撃と快感に身を委ねた。

  「あ、あっ、ああん、ソラぁ、もっと、もっとぉ……!」

  あたしの懇願に応えて、ソラがさらに激しく腰を動かす。そのたびにあたしは全身を貫かれるような衝撃に頭の中をかき回され、意識が白濁していく途中で、また次の刺激で叩き起こされる。その繰り返し。もう自分が元は人間だったのか、犬だったのか、オスだったのか、メスだったのかもよくわからなくなっていた。

  そんなあたしに、ソラが、ふっと思いついたように言った。

  「ねえ、りく」

  「ウゥ、ワフンッ!」

  あたしはもう、鳴き声でしか返事ができない。それでもソラは、腰を動かしながら先を続けた。

  「りく、お願いがあるんだ」

  「ワォン!」

  なに? なんでも言って。あたし、ソラのためなら、何でも出来る。大好きなソラに喜んでもらうためなら、何だって!

  そう答えたつもりで短く吠えると、ソラは囁くような声で、ハアハアと吐き出す息の隙間から、それでも確かにハッキリと、言った。

  「僕の子供、産んでよ。いいよね?」

  瞬間、あたしはやっと理解した。

  あたしの中にくすぶっていた、物悲しい感じ。寂しくて、大事なものが足りてない感じ。それは、あたしが、大好きなソラの子供をまだ授かってなかったからなんだ。

  メス犬として生を受けたからには、大好きなオスの子種をもらって、元気な子犬を産み育てる。それこそが、一人前の成犬としての使命にして、喜びだった。だから、空っぽのお腹が寂しくて、情けないような気持ちになっちゃっていたんだ。

  ……ほんとに、そうなのかな。ほんの一瞬、そんな疑問もよぎったけれど、すぐに、どうでもよくなった。だって、ソラの言葉が嬉しすぎて、たまらないんだもの。

  「産む! 産むわ! ソラ、あなたの子、産ませて!」

  赤ちゃん、ほしい。ソラの子供、産みたい! あたしのメスの本能が、何度も何度もそう叫んでいる。そしてソラも、そんなあたしに応えてくれた。

  「あ、あぁ、出る、出すよ、りく!」

  「うん、ちょうだい、ソラ! あたしの中に、いっぱい出して!」

  あたしは尻尾をピンと立ててお尻を高く持ち上げて、鳴いた。次の瞬間、ソラのものがあたしの中で弾けたのがわかった。

  びゅく、どくん、と、熱い液体があたしの子宮に勢いよく注ぎ込まれる。

  「アゥ、ワォンッ、クゥウーン!」

  その熱さに、あたしは背筋は仰け反らせ、毛を逆立てて痙攣した。あたしの中からも透明な液体が勢いよく吹き出して、ソラの身体を濡らしていく。

  交尾はまだ、はじまったばかりだ。ソラのペニスの根元はコブのように膨らんで、あたしたちの繋がりを放してはくれない。あたしたちはお尻同士をくっつけ合って、そのまま何度も、体液を混ぜ合いながら、身体の奥深くでつながった。

  ああ、これであたし、母親になれる。ソラの血を受けついだ子犬たちの、お母さんになれるんだ。そう思うと、また、身体中が震えるほどの喜びと愛おしさがこみ上げてくる。

  「わふ、ワフゥン……!」

  あたしは、あたしたちだけに通じる言葉で、愛の言葉を囁いた。するとソラも、小さく、低い声で答えてくれた。

  「ウルゥ……バウ、ワフン!」

  部屋の中はもう、むせかえるほどあたしたちの匂いでいっぱいになっていた。元あった人間の匂いは、もはや殆ど感じられないくらい、あたしたちの体液や抜け落ちた毛の匂いで塗りつぶされて、上書きされていく。ここがあたしたちの、愛の巣だ。これから始まる、新しい生活の、はじまりの場所なんだ。そう告げる共同作業のマーキングは、この家のママが騒がしいあたしたちの様子を覗きに来るまで、繋がった状態のまま続いた。

  [newpage]

  それから、三ヶ月後。あたしは部屋のベッドの上で、三匹の子犬たちにお乳を吸わせていた。

  「クゥウーン、キュン、キュン……」

  まだ目が開かない子犬たちは、みんなかわいらしく小声で鳴きながら、夢中であたしの乳首に吸い付いている。小さな口ながら、噛みつかんばかりの勢いで来るので、ちょっと痛いくらい。だけどこれも、元気の証拠だ。

  「こら、慌てないの」

  あたしは苦笑しながら、子犬たちの毛並みをそっと舌で整えてやった。その温かさ、柔らかさ、匂い。どれもこれもが、愛おしい。

  「りくちゃん、すっかりいいママになったわね」

  「ああ、そうだな」

  ご主人である、この家のママさんとパパさんが口々にそう言って、あたしの頭を撫でてくれる。二人には子供がいないらしいので、あたしの妊娠がわかった時は、まるで自分の子供が生まれたかのように喜んでくれた。

  本当に、ご主人たちには感謝してもしきれない。この部屋だって、飼い犬にはもったいないくらいの広い部屋だけど、あたしとソラのために特別に用意してくれた。毎日、美味しいご飯ももらえる。おもちゃもたくさん用意してもらって、退屈しないで済むように遊んでくれる。

  「それにしても、りくちゃんはベッドが好きよね。子犬たちもここで育っていくのかしら」

  「ははは、それじゃあ、引き取り先の人たちが大変だな。ベッドの上じゃなきゃ寝ない犬は、大変だぞ」

  そうそう、極めつけはこのベッド。あたしはなぜか、人間用のベッドの上でないと寝付けないという癖があった。わがままなのはわかっているけど、ハウスで寝るのが嫌でゴネていたら、とうとう折れたご主人たちに与えてもらっちゃったんだった。

  「ワンッ」

  感謝を込めて、あたしはご主人たちの手のひらを舐めてあげた。

  幸せだ、と改めて思う。こんなに素敵な飼い主に巡り会えて、ほんとうに良かった。あんまり幸せ過ぎて、ここに来る前、自分がどんな風に暮らしていたかも思い出せないくらい。

  ただ、今でも、一つだけ気になることがあった。それはソラとお互いの身体を舐めあっているときのこと。挨拶と毛づくろいを兼ねたその行為の最中、あたしはどうしてか、あの悲しい気持ちを思い出してしまうのだ。

  (赤ちゃん、産んだはずなのにな)

  もう三ヶ月も前のことだけど、あの時確かに感じた「寂しい、物足りない」という気持ちが、今でもあたしの胸の中で渦巻いているのを感じる。それがたまらなく切なくて、いつもついつい、求めすぎてしまう。今日も、授乳の前についさっき終えたはずのソラとのコミュニケーションが、名残惜しい。

  「ソラ、ソラ」

  お乳を上げている最中なのに、ついつい愛する夫を呼び鳴きしてしまう。

  「どうしたんだい、りく」

  「ソラ、ごめんね、でも、あたし、何だか寂しくって」

  「おやおや、子供たちがいるって言うのに? しょうがない子だね」

  そう言いながらも、ソラはぺろりとあたしの鼻を舐めてくれる。実際、あたしは母親失格かもしれない。どんなに母犬として成すべきことを積み上げても、この空しい気持ちが無くなってくれない。いやむしろ、どんどん寂しさを埋めるものからは遠ざかっているような気がする。まるで、もう二度と会えない友達や、戻れない場所を懐かしがってしまうみたいに。

  「ごめんね。こんなお母さんで」

  「いいんだよ。正直僕は、ちょっぴり嬉しいんだ。子犬が産まれたのに、まだ僕を欲しがってくれるんだから」

  あたしたちがそう言って互いに顔や首を舐めあう姿を見ながら、ご主人たちは目を細めていた。

  「母さん、これ、りくはソラに『大好きよ』って言ってるのかな?」

  「多分ね。ほんと、あなたたちラブラブよね。子犬ができてもこうだなんて、珍しいわ」

  「ソラ、お前、いい嫁さんをもらったな」

  パパさんに撫でられて、ソラは誇らしげに小さく吠えた。

  (ああ、しあわせ)

  ここにはあたしの理想が全部詰まっている。大好きなご主人たちと、愛しい夫と、可愛い子供たちに囲まれて暮らす、幸せな家庭犬生活。みんな優しくて、言うことなし。子供たちとはいずれお別れの時が来るのだろうけど、それまではたっぷり、愛情を注いでやらなくちゃ。

  もちろん、ソラにもね。

  「ワフン!」

  あたしは幸せいっぱいの鳴き声をひとつ上げて、もう一度、子供たちの身体と、夫の顔を、順番に舐めてやるのだった。

  (完)