ライカンスロープ 第11話

  「曇ってきたな」

  先頭を歩く瀞の背中に、風丸の声が届いた。

  「ああ」

  無造作に答え、瀞は刀を握る手に力を込めて歩き続ける。

  風丸の言う通り、いつの間にか朝日は雲に隠れていた。光が閉ざされ、気温も低下していき、不安を増長させる天気へと変わってしまった。

  (雨、降るなよ・・・・・・)

  瀞は心の中で祈りを捧げた。雨が降ると、嗅覚を活かした索敵の精度が落ちてしまう。しかし、ヘリの中で確認した天気予報では、午後から雨だった。

  (午前中になんとか片づけないとな)

  瀞は振り返らず、前を見据えて歩き続けた。

  その後ろには、綾子と亮太をかばうように歩く風丸が、さらに後方には太刀を掲げた和虎がいる。

  和虎がいるのだから、後方の心配はいらない。自分は前方に集中していればいい。

  今歩いている道は、左右を森林に囲まれている。キメラ独特の獣臭はしないが、それでも油断はできない。草むらから不意に飛び出してくる可能性も十分にあり得る。

  (いるなら来やがれ。ぶった斬ってやる)

  恐怖を煽るような天気の下でも、瀞に気力は萎えていなかった。

  今回の任務では、味方や一般市民の犠牲を目の当たりにし、力なき人々を守りながら戦場を歩き、敵陣に仲間を置いていくなど、様々な初体験を味わう事となった。まだ経験が浅い瀞にとって、それらは大きな重圧となったが、それでも戦意は高揚していた。

  敵への怒り、殺された者たちへの悲しみ。そして、人命を守る使命感。

  それらが力になっていた。

  「あ、そこを右に曲がって坂道を上がったところです。左は隣の地区に行く方です」

  分かれ道が見えたところで、綾子が口を開いた。右に続く道は上り坂になっている。

  「急だな」

  風丸の言う通り、かなりの急勾配だ。道も細く、左側面には茂みが広がっている。

  「体力ないからって、文句言うなよ」

  「文句じゃねーし」

  「黙って歩け」

  『はい』

  三人の短いやり取り。それを聞いた綾子は、小さく笑った。

  「仲が良いんですね」

  「へへへ。まーな」

  (呑気なもんだな。ま、風丸みたいなチャラそうな奴がいたら、殺伐としないでいいかもな)

  空がいなくなって、綾子と亮子が自分たちを怖がらないか少々不安だったが、不要な心配だったようだ。そらは、接しやすい風丸の存在が大きいのかもしれない。

  心の中で風丸に感謝しつつ、斜面に脚を踏み出した瀞は、すぐに動きを止めた。

  坂道の上にいる、こげ茶色の虫を見つけて。

  瀞は左腕を上げて後続の仲間を止めて、それをじっと見つめてみた。

  (なんだ、ありゃ・・・・・・)

  道の中心でぴくりとも動かず、こちらに体を向けている虫は、バール程ではないが巨大だった。胴体の長さは、瀞の座高ほどあるだろう。しかしバールとは違い、蜘蛛とは全く異なる容姿だった。

  細長い胴体に、長い触覚が映えた楕円型の頭部と、細長い羽根に短い尾肢、そして“く”の字に曲げた6本の脚が付いている。前肢と中肢も長いが、最も長いのは後ろ足だ。伸ばしたら、確実に1メートルを超すだろう。しかも先端は、鋸の刃のようになっている。

  (バールを見た後だと小さく見えるな。大型犬くらいのバッタってところか?いや、アナゴ・・・・・・あ、イナゴだった)

  瀞の記憶の中で、その虫と容姿が似ているものは、バッタだった。最も、胴体がやや猫背で後ろ足が大きく発達しているので、カマドウマに近いのだが。

  (気持ちわりいな)

  カマドウマと目を合わせたまま、瀞はそう思った。バールもそうだったが、巨大な昆虫はその存在だけで生理的な嫌悪感を与えてくる。

  (てか、気付いてるのか?)

  いきなり襲い掛かってきたバールと違い、カマドウマはこちらを見ているが動こうとしない。触覚は動いているが、それ以外の期間は不動のままだ。あたかも、本物の昆虫を屋外で見かけた時と同じような感覚だった。無論、ムカデや蜂といった害虫と遭遇した時に味わう危機感も抱かずにはいられないが。

  「瀞?」

  名前を知られてしまい、隠す必要もなくなったため、風丸が名を呼んでくる。

  「ああ、でっけえバッタか、イナゴみたいなのが道にいて・・・・・・」

  瀞は失念していた。カマドウマは風上にいたが、臭いで感知できなかったことを。

  それもそのはず、カマドウマは草木や土と同じ臭いを発していた。至近距離で嗅げば独特の臭いを感じ取ることが出来るが、10メートルも離れてしまえば自然の臭いと同化してしまう。

  だからこそ、後方の草むらから顔を出したカマドウマには、瀞は気づけなかった。

  後方の警戒を怠らなかった和虎が瀞の方に体を向けた瞬間、カマドウマは道路に出て、体を和虎に向けた。

  カマドウマに、初期動作は無い。

  道路に出た直後には、6本の脚の筋肉を総動員させてアスファルトを蹴り、和虎へと飛翔した。

  身体は軽量であり、脚のバネも強靭であるため、加速力も高くスタートと同時に最高速度に達したカマドウマは、矢となって和虎へ飛ぶ。

  カマドウマの瞳には、間近に迫った和虎の背が映った。

  ギッ!!

  次の瞬間、カマドウマの瞳に映ったのは、太刀の刃だった。

  水平に薙ぎ払われた刃は、カマドウマの顔に正面からぶつかった。

  硬い皮膚に覆われているため、金属音のような音が響く。

  しかし、和虎の技量と筋力、特殊合金の刃、そこにカマドウマの速度が加われば、両断は避けられない。

  カマドウマの胴体は、水平に一刀両断され、内蔵や血液をまき散らしながら地面を転がっていった。

  和虎の勘と反射神経が、カマドウマの誤算だった。

  「え?」

  斬撃とともに放たれた音を聞いた風丸がそちらを向く。

  瀞の耳も揺れたが、顔はカマドウマから背けなかった。

  後ろの和虎は大丈夫だと分かっていたから。

  動かなかったカマドウマが、瀞へと飛翔した。

  瀞は真正面から、カマドウマの顔面へと刀を振り落とした。

  最良のタイミングで刃が顔面に命中し、頭部へと食い込む。

  しかし、瀞の技量と筋力ではそれが精いっぱいだった。

  刃は脳に達する直前で頭蓋骨に阻まれ、瀞は突進の勢いで後方に吹き飛ぶ。

  手から吹き飛びそうになる刀を握りしめ、下半身に力を込めて踏ん張った。

  「ぐうっ!!」

  辛うじて踏みとどまった瀞。

  するとカマドウマは、長い後ろ足を地面につけて、刃を頭にめり込ませたまま再び瀞へ跳躍した。

  瀞は刀を手放さなかったが、刃の峰の部分が瀞のヘルメットの前面にぶつかった。

  ヘルメットで守られていても、不意の一撃は効果がある。瀞は体勢を崩して後退した。

  カマドウマの頭から、瀞の刀が抜けた。

  頭部から白い血液を垂れ流しつつ、カマドウマは着地する。

  その着地と同時に、カマドウマは左の後ろ足を失った。

  風丸がナイフで切ったのだ。

  更に風丸は、追い打ちを仕掛ける。

  両手のナイフを曲芸のように振るって左の中肢と前肢も切り落とす。

  関節を狙えば、和虎に劣る筋力でも切断は難しくない。

  仲間のナイフさばきに感心しつつ、瀞は左へ踏み込みつつ、刀を振り上げた。

  和虎仕込みから仕込まれた、下段からの切り上げは、カマドウマの頭部を切り裂いた。

  カマドウマは地面に倒れ込んだ。しかし、体は微かに動いており、突進の動作を取ろうとしている。

  切り離された脚も、のたうち回る様に動いており、風丸は触れないように後退した。

  瀞もカマドウマから離れ、とどめを刺すため拳銃に手を掛けたが。

  カサッ

  草がこすれ合う音を聞き取り、風丸と共にそちらへ体を向けた。

  坂道に入る前の茂みの奥にカマドウマの顔が見える。岩の上にいるようだ。

  顔はこちらに向けられていないが、方向転換など絶やすいことだろう。

  (こっちにくるか?風丸か?和虎隊長に?)

  和虎に一瞬視線を向けると、別のカマドウマを斬り伏せていた。

  (あっちは問題ないか・・・・・・あっ!!)

  瀞は、カマドウマが体を向けている対象に気付いた。風丸も、それに気づく。

  「綾子ちゃん!亮太君!」

  だが、気付いた時には遅かった。カマドウマは、二人の子供に向かって飛翔した。

  「あっ!!」

  綾子の叫び声が響く。

  カマドウマは亮太に密着し、前肢と中肢を小さな体に巻き付け、背中の羽を広げて、空へ飛び立った。

  一瞬のことだった。

  「ああああああああ!!」

  「りょう君!!」

  二人の子供の、悲痛な叫び声が響き渡った。

  風丸はカマドウマへと跳びかかろうとしたが。

  「うわっ!」

  背中に衝撃を受け、転倒してしまった。左の脚6本を失い、頭部を切られたカマドウマが、最後の力を振り絞って体当たりをかましてきたのだ。

  瀞も亮太へと手を伸ばすが、カマドウマはそれをあざ笑うように上空へと逃れる。

  そして、分かれ道の左側、隣接した地区へと続く道へと飛び立ってしまった。

  (最悪だ!!子供が!!くそっ!!追わないと!!)

  瀞はすかさず駆け出そうとしたが。

  「綾子ちゃんを頼む!!」

  そう告げた風丸が、瀞の右を駆け抜けていった。

  風丸の全力疾走は何度も見てきたが、その疾走は、いつもより速く見えた。

  曲がり角を曲がったため、もう姿は見えない。

  瀞は、もう風丸を止めようとは思わなかった。

  綾子の方を見ると、既にカマドウマを数体倒した和虎が隣に付き、新たに現れるカマドウマたちと向き合っている。

  自分が仕留め損ねたカマドウマを見ると、既に仰向けになって動かなくなっていた。

  風丸の餞別だと、瀞はそう思い、和虎と向き合うカマドウマへと斬りかかった。

  今は、目の前にいる相手に集中すべきだと考えて。

  後悔や自責は、後でやればいい。

  その場に残ったカマドウマの掃討は、3分程度で終わった。

  和虎は綾子をかばいながらも、迫りくるカマドウマたちを全て一刀で仕留めた。

  瀞もまた、和虎ほどではないにせよ掃討に貢献した。

  だが、喜びは無い。和虎の剣技に感嘆することも出来ない。

  目の前で亮太を連れ去られたのだから。

  争いごととは無縁の、力を持たない、か弱い命が。

  (ちくしょう!!くそったれ!!)

  倒れたカマドウマにとどめの銃撃を放つ瀞。

  守れなかったことへの苛立ちを込めた銃弾が、消えかけの灯を完全に断ち切っていく。

  カマドウマのせん滅を確認した瀞は、和虎と綾子に目をやった。

  綾子は、和虎の右脚にしがみつき、顔を押し付けて肩を震わせていた。

  和虎は何も言わず、その小さな頭を優しく撫でている。

  (最悪だ!!くっそ!!何やってんだよ、俺は!!)

  連れ去られた先で、亮太は何をされるのか。

  安全な場所で殺すのか。食するのか。繁殖に利用するのか。

  そもそも、抱えて飛んでいる最中でも、絞め殺すことや切り殺すことが出来るはずなのだ。

  しかも、それを追いかけているのは、自分と同様、新米兵士の仲間だ。

  (風丸に任せたりして!!こんな敵陣のど真ん中で一人っきりにさせて!!風丸の手を借りず、俺がさっさとあいつを殺していれば!!)

  亮太を連れ去ったカマドウマに対する怒りよりも、亮太を連れ去られ、風丸に追跡役を押し付ける失態を犯した自分自身への怒りの方がはるかに強かった。

  「和虎た・・・・・・」

  「このまま先に進むぞ」

  怒りを押し殺して、指示を仰ぐため和虎に話しかけようとしたが、それを制するように和虎が言う。

  「綾子ちゃん。こんなことになってしまって、申し訳ない。だが俺たちは、先に進まないといけないんだ」

  和虎は綾子の頭を撫でながら、そっと綾子に話しかけた。壊れてしまわないように、優しく、丁寧に。

  「家に案内してくれ。亮太君は、風丸がきっと助ける。あいつは足が速い。亮太君をきっと助けてくれるはずだ」

  綾子は、何も言わなかった。耳を澄ますと、微かに鳴き声が聞こえてくる。

  「だから俺たちは、家に取り残された子供たちを助けに行く。協力してくれ」

  賢士のように、必要最低限の言葉だったが、何故か冷たくない。暖かいと感じる。

  話し方なのか。心に込めた感情なのか。

  そしてそれは、綾子だけでなく、自分にも投げかけられたような気がした。

  「そうだ、風丸がついているんだ。あいつは馬鹿だけど、すっげえ足が速いんだ」

  瀞も和虎に続いた。

  

  そう、風丸が亮太を助けに行ったじゃないか。あいつなら、やってくれる。

  あいつは足が速い。スタミナは不安だけど、それでも人間以上だ。試合をしたら、たまに俺、負けるし。

  (絶対大丈夫に決まっている!あいつは足が速いんだ!!)

  「絶対に大丈夫だ!他の子たちも、俺と和虎隊長が助ける!もう、絶対あんな失敗はしねえから!!」

  先程、空と賢士にバールの相手を任せた時と同じだ。仲間を信じて先に進むしかない。

  「・・・・・・はい」

  綾子は顔を上げた。赤くなった目を和虎に向けて、小さく頷いて見せた。

  「綾子ちゃん、歳は?」

  「15です」

  「強い子だ。俺が15歳の時は、もっと弱かった」

  「・・・・・・はい」

  和虎を見上げる綾子の目には、力があった。

  「和虎隊長の15歳の時って、想像もできねえな」

  「可愛かったんだぞ」

  「・・・・・・嘘はやめましょう」

  「本当だ。猫みたいと言われたこともある」

  「それじゃ猫虎隊長じゃん」

  「ふふっ」

  他愛もない会話だが、綾子の顔に笑みが浮かんだ。

  「和虎さんが15の時って、私は生まれてないですね」

  「いや、ちょうど生まれたころだろう」

  「え、でも、20年以上も前でしょう」

  「にじゅ・・・・・・」

  綾子の言葉で、和虎の口が止まった。

  「綾子ちゃん、和虎隊長、いくつに見える?」

  「え、34から7の間くらいじゃ・・・・・・」

  「さんじゅ・・・・・・」

  和虎の体が小さく揺れた。

  「和虎隊長、27だぞ」

  「ええええっ!?お父さんよりも年下なんですか!?」

  「らしいな」

  和虎の口調は先ほどと違い、優しさはなく、やけにぶっきらぼうだ。

  「老け、お、大人っぽいというか、貫禄あるし、そんな若い人が、しっかりした隊長なんて・・・・・・」

  「まぁ、言いたいことは分かった」

  和虎はそう言い、瀞に視線を向けた。

  一体、今和虎は、どんな表情をしているのだろうか。

  「先に進むぞ」

  「はい」

  「あ、瀞さんは、いくつなんですか?」

  「19」

  「あ、分かります」

  「・・・・・・喜んでいいのか?」

  「もちろんです。予想とほとんど当たってました」

  「ほとんど、ね」

  「あ、その、言葉のアヤです」

  「綾子ちゃんだけに」

  「・・・・・・それは寒いです」

  「ああ、そう」

  瀞は頭を振って坂道へと体を向けた。

  「集中しなおせ。行くぞ」

  「はい」

  雑談は終わりだ。

  再び警戒心と集中力を高め、瀞は歩みを再開させた。

  (しっかし、あのイナゴ野郎、なんだって連れ去ったりしやがったんだ。あの場で殺せたんだから、別の場所に移動させて殺すなんてこと、しねえだろ。本当に食うのか?それとも・・・・・・)

  反省するために先程の戦闘を思い起こした結果、瀞の頭にカマドウマの意図が浮かび上がった。

  俺たちを分断させることが目的だったんじゃねえのか。

  その考えに思い当たった瞬間、瀞は戦慄した。

  しかし、行動を変えることは無かった。

  和虎に言う必要もない。自分が気付いているということは、和虎も気づいているということだ。

  瀞は動揺することなく、目の前の坂道を進み続けた。

  それを実行できるだけの精神力を、瀞は既に備えていた。

  (頼むぜ、風丸!!)

  仲間を信じて。祈る様に心の中で叫んだ。

  木々に囲まれた坂道を上った先に、その家はあった。

  大きな平屋の一軒家。その隣には、母屋より一回り小さい離れが建っている。やや離れた場所には軽トラックと軽自動車が収められた小屋があり、さらに奥には広い畑が広がっていた。

  その畑の中心には、持ち主の老人が一人、横たわっていた。自らが育てた農作物と、耕し続けてきた畑の土の上で、仰向けになっている。その表情に苦悶は見えず、ぽかんと空を眺めているようだった。

  何故ならば、彼は畑にてバールの不意打ちを受け、苦痛を感じることなく命を失っていた。

  胸に刃を突き立てられ、心臓を貫かれて。

  草木が風で揺れる音だけが、むなしく周囲から漂っていた。

  一方、母屋の中では四人の少年少女が、暗闇の中で暑苦しさにに耐えつつ、一か所に固まって家族の帰りを待っていた。

  「あやちゃん、遅いね」

  母屋の中で、ぽつりと声を発したのは、幼稚園児の少年だった。

  「うん」

  男の子を抱きしめて頷いたのは、綾子の一つ年下の妹だ。

  「大丈夫かな」

  男の子の兄であり、亮太の弟が、震えた声で言う。

  「お姉ちゃんとも亮太君も足が速いし、大丈夫だよ」

  綾子より三つしたの妹は、優しい口調で亮太の弟を励ました。

  「そうだよね」

  「うん。じいちゃんと一緒に帰って来るよ」

  綾子の妹が二人、そして亮太の弟が二人。彼らは綾子から押入れに隠れているように言われて、寝室として利用している和室の中に隠れていた。綾子はバールを見かけた後、即座に警察に連絡し、祖父や近所の人たちの様子を見て来ると言って、亮太と共に外へ出た。祖父がバールに殺されたことは言わぬまま。

  「殺人犯、こっちに来るのかな」

  「大丈夫。鍵はかけているし」

  「壊して入ってこないかな」

  「そこまでしないって」

  指名手配犯を見かけたから隠れていなさいという嘘を信じている彼らは、恐怖で震えていた。凶悪犯の恐ろしさを実感できる年齢ではないが、いつも優しい綾子の真剣な様子を見れば、否応なしに危機感を抱く。

  「遅くないかな?」

  「大丈夫だってば。きっとじいちゃんと一緒に近所の人に教えてるよ。もうすぐ帰って来るよ。お巡りさんと来るかも」

  「すごい!みたいな、拳銃とか!」

  「もう・・・・・・」

  外の惨劇を知らず、子供たちは不安をごまかすように布団の上で話し合っていた。

  すると。

  「おしっこ、行きたい」

  亮太の末の弟が、下半身を抑えて震えだした。

  「我慢できる?」

  「ううん、さっきからずっと我慢してるから・・・・・・」

  「そっか・・・・・・分かった、私と一緒に行こう。愛とヒロ君はここにいてね」

  「うん」

  「舞ねえちゃん、早く戻ってよ」

  「分かってる。行こう、心太くん」

  舞はゆっくりと襖を開けた。光と冷気が入りこんでくる。

  外は相変わらず、静まり返っていた。誰もいないことと判断し、舞は心太の手を引いて押入れから出ると、トイレへと歩き出した。

  「終わった?」

  「もう少し」

  「流さなくてもいいから」

  「はい」

  舞はトイレの外で、心太が出て来るのを待っていた。姉の言う事を信じ、周囲を警戒しながら。

  (凶悪犯って言われても・・・・・・でも、姉ちゃん、あんなに真剣だったし)

  姉の話は突拍子もない内容ではあったが、舞も他の姉妹や従弟と同じように、綾子の真剣な表情を見て信じることにした。

  しかし、本当だとしたら、恐ろしいことだ。無差別に殺人を繰り返すような人物が周囲に潜んでいるのだから。

  「ごめん、おまたせ」

  そんなことを考えていると、心太がトイレから出てきた。

  「じゃあ、行こう」

  「うん」

  いずれにせよ、自分たちは今、待つことしか出来ない。舞は心太の手を取り、廊下へと出た。

  「あっ」

  トイレの向かい側には、亡くなった祖母が使っていた部屋がある。ベッドや鏡、祖母が趣味で作った人形が並んだ棚がそのまま残っている状態だ。トイレから出ると必然的にその部屋の中を見ることになる。

  その部屋の窓は、ベッドや棚の出し入れを想定していたため、とても大きかった。壁一面とまではいかないが、卓球台ほどの広さの窓がある。

  その窓から外を見た舞は、動きが止まってしまった。

  庭に1体、虫がいた。

  こちらを向いている虫は巨大で、長い触覚がゆらゆらと揺れている。

  バッタに似たそれを見た舞は、その衝撃により思考が停止し、一歩も動けなくなった。

  姉妹と従弟たちで、一緒に遊んだゲームに登場した敵キャラクター、一緒に視聴したホラー映画に登場したモンスター。

  それが目の前にいる。家の外に、すぐそこに。

  そして、3秒ほど後。

  カマドウマは跳んだ。

  窓ガラスに衝突する。

  ガラスは簡単に砕け散り、鏡は倒れ、人形が棚から落下した。

  『あああああああああ!!!』

  二人は、互いの手を握り合ったまま同時に叫んだ。

  わが身に襲い掛かる恐怖を、声に出すことしか出来なかった。

  カマドウマはガラスを割った後、優々と祖母の部屋に侵入してきた。

  二人は、それでも動けない。

  なきじゃくり、失禁して、叫び声を上げるだけ。

  見たこともない怪物が目の前に迫り、怖くて動けない。

  カマドウマはガラスや人形を踏みながら、ゆっくりと二人に近づいていった。

  そして、獲物を押し倒そうと後ろ脚に少しだけ力を込めた。

  しかし次の瞬間、カマドウマの隣には、長刀を手にした兵士が立っていた。

  巨体でありながら猫のような俊敏さで部屋に入り、手にした長刀でカマドウマの右側の脚を一振りで切断する。

  そして低い姿勢で上段に構え、太刀を振り下ろした。

  僅かに切っ先が天井を掠めたが、減速はほとんどなかった。

  ギロチンのように、その一振りはカマドウマの頭部を斬り落とした。

  だが、それでもカマドウマの胴体には力が込められている。

  生前込められた怨念を晴らそうをしているかのようだ。

  それを見た兵士の行動は早かった。

  舞と心太を押してカマドウマとの間に割って入り、腰の鞘を取って振り上げた。

  鞘はカマドウマの切り口に直撃し、吹き飛ばした。

  庭に飛び出たカマドウマの亡骸は、地面を転がりようやく止まる。

  まだ動いていたが、庭にいたもう一人の兵士が拳銃を5発撃ち込み、とどめを刺した。

  「あ・・・・・・あ・・・・・・」

  廊下に倒れた舞と心太は、呆然として太刀を持った兵士を見上げていた。

  大きい。

  虫。

  化物。

  兵士。

  刀。

  助けてくれた。

  怖い。

  強い。

  様々な情報が脳内を行きかい、子供の精神ではそれを整理することは出来ない。

  しかし。

  「舞!しん君!」

  庭から聞こえてきた綾子の声を聞いて。

  「あ、あああ・・・・・・」

  二人は安堵し、そして涙を流した。

  「だから、安心してね。この二人は、良い人だから」

  綾子は妹と従弟を居間に連れてきて、現状の説明をしていた。

  突如現れた怪物が、近所の人々を襲っており、瀞たちは警察の人間であると。

  守るためであったとは言え、和虎は長刀片手に部屋に飛び込み、目の前でカマドウマの首を斬り落とした。幼い子供にとっては、ショッキングな光景だ。

  しかも、和虎に押された舞と心太はバランスを崩して転倒し、後頭部を床に打ち付けてしまった。その為、舞はともかく、心太は和虎を警戒している。また、カマドウマがよほど恐ろしかったようで、泣きじゃくっている。押入れに隠れていた、綾子の末の妹の恵子と、亮太の弟の博もカマドウマを見て、涙目になっている。

  (無理もねえか。ヘルメットしてて刀持ってて、体もでかいしな。言っちゃわりいけど、和虎隊長は特に)

  そのため、瀞は隣の台所で、全員の心が落ち着くのを待っていた。同時に、歩きとおしだった綾子の体力回復も兼ねている。

  「やっぱり、ヘリ呼んだ方がいいですかね?」

  瀞の問いに、和虎は直ぐに頷いた。

  「五人を連れてあれだけの距離を通るのは無理だ」

  「来てくれますかね?」

  キメラがいる区画にヘリを要請しても、許可が下りる可能性は低い。キメラには飛べるものや、飛び道具を扱えるものもいる。ヘリにとっては対空兵器を装備した兵士以上に危険な存在だ。現に、キメラによってヘリが撃墜された事案は過去に数件存在している。よほどの非常時でなければ、ヘリが来てくれることは無い。

  「来させるしかないだろう」

  和虎は無線機を取り出した。

  「こちらセロイチ、応答してくれ」

  瀞は綾子の方を見た。泣いている子を宥めて、優しく励ましている。

  (強いな)

  しかも、綾子は亮太が連れ去られたことや、祖父が殺されたことは言わなかった。近所の知人が死んだことも隠しており、怪我をしたがもう保護されたと説明した。

  (まだ中学生だってのに)

  自分の辛さを押し殺し、幼い姉妹や従弟を気遣う姿を見ていると、瀞は自身の使命感がより強固になっていくこと実感した。

  守らねば、と。

  「こちらゼロイチ、聞こえないのか!」

  すると、隣の和虎が叫んだ。

  「どうしたんですか?」

  「無線がつながらない」

  「え?」

  瀞は自身の無線機を取り、和虎と同じように叫んだ。

  「こちらゼロヨン!聞こえますか!?」

  しかし、無線機からはノイズ音しか聞こえない。応答がないのではなく、相手につながらないのだ。周波数を変えて空や賢士に呼びかけても、同じだった。

  「これって、妨害電波、的な?」

  「ああ、おそらくな」

  無線が使えなければ、仲間同士で連絡を取り合うことが出来ない。ヘリを呼ぶことはもちろん、仲間の安否を確かめることも出来ない。

  (やばいじゃねえか、これ。しかも、誰がこんなことを。キメラに出来るのかよ。それとも、人の仕業なのか?キメラと一緒に来たのか?作って持ってきたとか?)

  様々な疑問が浮かぶが、瀞が最も気になったことは、出発前の葛藤だった。

  人を殺さなければならないのか。

  「あのぅ」

  居間から、綾子の声が聞こえてきた。びくりと体を震わせて視線を向けると、綾子だけでなく、皆が不安そうにこちらを見ていた。

  (俺たちが不安そうにしているわけにはいかねえな)

  綾子たちを励まそうと、瀞は口を開きかけた。すると。

  「今からヘリを呼ぶ。お前たちは、それに乗って脱出してくれ」

  和虎が先に口を開いた。皆の不安を抑え込もうとするかのように。

  「ヘリコプターが来るんですか?」

  「ああ。着地は出来ないが、ヘリにはレスキュー隊員が乗っている。彼らの手を借り、皆をヘリに乗せる。怪物たちがいるから、歩いていくのは危険だからな」

  和虎は簡潔に、手短に説明した。

  「今からヘリを呼ぶから、皆は中にいてくれ」

  「はい」

  返事は、綾子だけがした。和虎は、心太と舞を見て。

  「叩いて、悪かった。ごめんな」

  精一杯優しい声で、謝った。

  「あ、はい」

  舞は頷いたが、心太は綾子にしがみついて、何も言わなかった。

  「綾子。キッチンのもの、少し食べていいか?」

  「え、ええ。どうぞ」

  「ありがとう」

  「あ、あの!」

  不意に、舞が声を上げた。

  「助けてくれて、ありがとうございます」

  舞は、深く礼をして、和虎に感謝した。

  「あ、ありがとうです」

  「ありがとう」

  博と恵子もそれに続く。

  「ほら、しん君も」

  綾子からそう言われて。

  「・・・・・・ありがとう」

  か細い声で、心太も感謝を口にした。

  「ああ、どういたしまして」

  幼い子供たちの感謝を受けて、瀞は改めて実感した。

  そのために、戦っているんだと。

  台所と居間は隣接してるが、奥までくれば冷蔵庫と戸棚の陰に隠れることが出来る。瀞はそこで和虎と向かい合い、ヘルメットの前面をスライドさせて顔を露出させ、今後のことについて話し合っていた。

  「発煙手榴弾を使って合図を送る。幸い、ここは周辺より高い。機動隊がいる場所からも見えるだろう」

  和虎は、戸棚にあったカボスの皮をむいて頬張る。

  「でも、周辺のイナゴやバールががわらわら来ますよ、きっと」

  一方瀞は、干しシイタケに噛みついていた。

  「分かっている。近づくやつらは皆殺しだ」

  和虎は、掌についたカボスの果汁をベロリと舐めとった。

  「分かりました」

  瀞は再び干しシイタケを口に放り込み、力強く頷いて見せた。

  「全員が救助された後、すぐに風丸を追う。匂いは辿れるな」

  「はい。任せて下さい」

  すぐにでも風丸を追いかけたいが、ここにいる5人の子供たちを置いていくことは出来ない。守れる命が多い方へ、力を注がなければならないのだ。

  和虎は、それを即決した。瀞はそれを咎めるつもりなどない。むしろ、苦渋の決断を即座に下せる和虎に畏敬の念を抱いた。

  (自分が隊長になったら、自分がそうやって、非情な命令を出さないといけないんだな・・・・・・)

  隊長が味わう重圧を思い、瀞は最後の干しシイタケにかぶりついた。

  至近距離で向かい合った状態で、エネルギーの補給と今後の方針を決めた犬と虎は、ヘルメットの前を閉じた。

  水道で手を洗う和虎をおいて、瀞は居間にいる綾子たちのところに戻った。

  「じゃあ、俺たちは外にいるから、また押入れの中に隠れていてくれ」

  「分かりました。皆、行こう」

  綾子の一声で、四人の子供たちは一斉に立ち上がった。

  目が届く場所に置いておきたいが、やはり隠れさせた方が安全だろう。

  廊下を歩く子供たちの背中を見て、瀞は葛藤を放り投げた。

  相手が人だろうがキメラだろうが、関係ねえ。あの子たちを守らねえと。

  大体、こんな化物を人里に放すような野郎どもだ。許せるかよ。

  

  住民の亡骸を思い返いし、それを故郷の友人たちや恋人に重ね合わせる。

  そうすれば、怒りが燃え、それが闘志となし、躊躇いが灰になり散っていった。

  「死ぬ気で守るぞ」

  刀を手にした和虎が、警戒しつつ外に出る。

  「はい」

  瀞も、それに続いた。

  (やってやる!絶対に勝つぞ!守ってみせる!キメラも、それを作った奴も野郎もぶった斬る!空も風丸も、副隊長も絶対無事だ!やるぞ!負けねえ!)

  いきり立って外に出る。

  和虎は、刀を担ぐように構えた。

  その姿勢は、獲物を見つけた虎のそれだった。

  明らかな臨戦態勢だ。

  瀞も身構え、和虎の視線の先を追う。

  (いきなり、いやがる)

  家から離れた茂みに生えた、一本の杉の木。

  その太い幹に3体、カマドウマが張り付いていた。

  庭は広く、テニスコートの半分ほどある。十分に動き回れる。

  (こっちに来るまで待ってた方がいいか?)

  瀞が杉の木を見ていると。

  「多いな」

  和虎が呟いた。

  「え?あっ」

  瀞は気づいた。

  東を向けば車庫の中、北を向けば倉庫の陰に、カマドウマがいる。車庫も倉庫も木造で茶色なため、注意しなければ見逃してしまうだろう。

  そして、微かな匂いを感じ取って振り前ると、屋根の上にも1体。

  「ちょっ」

  さらに、坂道の方角から2体、ゆっくりと歩いてくる。

  「おおぅ・・・・・・」

  その2体が、初期動作なく瀞と和虎へ突っ込んできた。

  先程見た、高速の体当たり。

  「カッ!」

  「シッ!」

  瀞と和虎は、半身になって避けつつ、下段の構えからの切り上げでそれを迎え撃った。

  師弟であるがゆえに、太刀筋は同じ。

  左右対称ながら全く同じ動作で刀を振るい、カマドウマは両断された。

  威力が劣る瀞の一振りも、カマドウマの撃退には十分な切れ味を秘めている。

  (数で攻めればどうにかなるとでも思ったのかよ。もう驚かねえよ)

  「舐めんな」

  大軍との戦いは、既に味わっている。瀞はもう、怯えなかった。

  屋根のカマドウマが飛び降りて来る。車庫と倉庫のカマドウマも羽を広げた

  瀞は初陣で、さっきの戦闘で、多数のキメラとの戦闘を体験している。

  しかも、和虎もいる。

  負けるはずがない。

  負けてたまるか。

  瀞は数の不利に臆することなく、和虎とともにカマドウマへと立ち向かう。

  犬と虎が虫を屠る。その光景は、自然界においてはあたりまえの光景だった。