008-004
力を入れ過ぎて黄身を壊してしまったペーテが泣きそうな顔をしながらダインに問い掛ける。
ペーテ 「どうして賢人様の様に割れないんでしょう?」
ダイン 「力が入り過ぎてますね、もっと力を抜いて殻にひびを入れるだけでいいんですよ、片手で割るのはまだペーテには無理ですから」
ペーテ 「でも出来ないと悔しいです」
ダイン 「そういう気持ちで食材を無駄にしてはいけませんね、卵とは命の元ですよ、ちゃんと親鳥が温めれば雛として育っていたんです、そこはちゃんと考えるべきですね」
ペーテ 「鳥と人では命の重みが違うでしょう」
価値観の違いからかペーテはダインに反論する。
ダイン 「同じですね、ただ私達が鳥よりも強いから卵を奪っているだけです、弱肉強食は真理ですが、奪うだけの存在など醜いですね」
ペーテはまだダインの意見に納得出来ていないが、教えを乞う者としてこれ以上異論を唱える気は無い様だ。
ペーテ 「賢人様のお考えは深過ぎて私など理解出来ません」
ダイン 「人間、無知な事も罪に繋がるという事です、上に立つ意思が有るなら知識を深める事も重要だと思いますよ」
ペーテ 「ですがそう簡単に学べる事でも無い様ですが・・・」
ダイン 「少なくとも外の知識は外を知らないと学べませんからね、真理は普通の人間には到達出来ませんが、私の真理もあくまで私個人が到達した真理であって、真実とは限らないんですよ」
ペーテ 「真理が真実じゃ無いって、おかしいですよね」
ダイン 「本人がそれが正しいと思ってしまえば真実なんですよ、私の居た世界には様々な神と呼ばれているモノが正しいとされていましたが、私の見解ではどれも紛い物で真実では無いと思ってます、ですがそれを信じる事で権力が生じるので無くなら無いんですよ」
ペーテ 「嘘なのに権力があるんですか?」
ダイン 「信仰する事に能力は必要有りませんからね、より過激に信仰する者が上に立ち権力を作り上げるんですよ、だからこそ本当に性質が悪い、信仰を持たない人間を一方的に悪だと断罪して追い込んでいくんですよ」
ペーテ 「賢人様の暮らして居た土地は大変なところだったんですね」
ダイン 「この世界とは違う世界の話ですけどね、まぁ深くは考えないで下さい、いずれ解る時が来ると思いますので・・・」
ダインは多くを語り過ぎた事を後悔していた、だが、ペーテはむしろダインの話をまだ聞きたい様でもある。
ペーテ 「時が来れば解るですか、私は直ぐにでも理解したいです、知識は武器なんですよね?」
ダイン 「今はパンケーキの作り方を覚える方が有益だと思いますよ、生地を溶いて焼く料理は他の応用も出来ますから」
ペーテ 「確かにそれも有効な知識だとは思いますけど・・・」
ペーテは何だかんだで真面目な性分な様で、一度ダインに注意された事は二度と間違わない様に心掛けている様だ、卵の黄身と白身を別ける作業も無理をせずにちゃんと両手で行って、大分慣れた様にも思える。
ダイン 「これぐらいで良いでしょう、次に粉を水で溶いて生地を作ります、だまが出来ない様にこのふるいで越して下さいね」
ふるいはペーテにとって初めて使う道具だった様で、使い方が解らない様だ、その為にダインが自ら実践しながら、道具の使い方をペーテに教えて行く。
そして、ペーテは驚くべき速さでコツを飲み込んでいく、初めのたどたどしい動きがだんだん機敏になって行く、その後、五枚目のパンケーキが焼き上がる頃には十分に人前に立つ事が出来る腕に仕上がっていた。
ダイン 「ここまで出来れば上出来です、後は出番を待ちましょうか」
ペーテ 「はい、生地が丸く焼き上がるのってとても楽しいです、延ばさないのに丸く焼けるのは凄いです」
ダイン 「この国の主食は練って延ばしたパンですからね、あれはあれで美味しいですが」
ペーテ 「天人様が教えて下さった料理ですから」
ダイン 「ああ、確かにディーティエが作ってくれましたよ、肉の煮込みを包んで食べましたね」
ペーテ 「天人ディーティエの手料理を食べたんですか、それって僅か一日でディーラルの予言の三分の一を実現させたんじゃ・・・」
ダイン 「おかしな予言ですよね、耳長達が英傑なのは解りますが百年以上時を経てからの事が記載されているなんて、そもそも予言とは抽象的でどうとでも取れる文面なんですが、ディーラルの予言はかなり具体的ですよね」
ペーテ 「ディーティエ様の事をはぐらかすのが怪しいです、ですが賢人様ならディーラルという国を良い方向に導いてくれそうです、この料理を惜しみなく民に振る舞うなんて・・・」
ダイン 「富める国とは民の幸福あってこそですから、一部の者だけが裕福な国は富める国とは言えませんね」
ペーテ 「耳の痛い言葉です、今のディーラルは賢人様の言う富める国じゃ有りませんから、支配者達が自己の利益の為に争う事が常態化してますので」
ダイン 「三天人は人の営みには不干渉ですからね、もっとも飛べないクフィカールがあったとしても大した戦力にはなりませんが・・・」
ペーテ 「ディーラルの予言が不思議なのはそこですね、私も含まれちゃいますが今の権力層がそう簡単に立場を放棄するとは思えません、幾ら三天人を味方にしても何処まで太刀打ち出来るのでしょうか・・・」
ダイン 「正しい認識ですね、人の権力とは武力によって保証されている事が多いですから、その上で教えて上げますが、私の魔術ならディーラルの王城を消し去る事も可能ですよ、その気は有りませんけどね」
ペーテ 「それ程までの力をお持ちとは・・・」
ダイン 「別に他に話しても構いませんが、別に脅しじゃ無いですよ、私は対話での解決を望んでますから・・・でも向けられた悪意に対しては容赦しませんよ」
ダインの冷ややかな笑みに、ペーテは言いようの無い恐怖を覚えた、ダインの言葉に偽りは無く、ダイン排斥を企む者はそれ相応以上の報いを受ける事になるだろう。
その後、ペーテを助手としたダイン料理教室は高評価を得て幕を閉じる、ダインは空中に画像を投影して調理の様子を観客達に公開し、予め数箇所に同じ調理を行って客に振る舞う場所も設けて、訪れた者達は一口程度の試食が可能になっていた。
これは、ダインの行いに共感した市場関係者の全面的な協力があってからこそ可能になった事でもあり、ダインの争いの根源を断つという考えが支持された結果でもあった。
ダイン 「群衆が空中投影された私の言葉に素直に従ってくれたので、思った程の混乱も無かったですね」
王都警備隊隊長 「群衆の目的の一つは賢人様を見る事だった様ですから、天人様を伴侶にした傑物がどういった人物なのか興味があるのは当然でしょう」
ダイン 「なら、群衆はさぞがっかりした事でしょう、私は女性を惹きつける様な美男子では有りませんから」
ペーテ 「見た目などより能力ですよ、群衆は賢人様の魔術が見られただけでも満足してますから、その上、初めて食べる甘いお菓子など充実した時間を過ごしたと思います」
王都警備隊隊長 「私も頂きましたが凄い食べ物でした、あの様な甘く柔らかい食べ物があるとは、老人の食べ物にいいですね」
ダイン 「老人の食べ物ですか・・・貴方も大分歯が抜けてますね」
まだ三十代半ばぐらいに見える王都警備隊隊長は前歯などが抜けている、歯の治療技術は人類大陸より遅れている様で、柔らかい食べ物には需要がありそうに思える。
王都警備隊隊長 「この歳ではこの様なものですよ、ですが賢人様の歯は綺麗ですね」
ダイン 「歯は毎日手入れする事が重要なんですよ、ブラシで磨いて歯垢を落としたり、歯と歯の間に糸を通して食べカスや歯垢を除去します、ペーテ王女は今日からでも始めた方が良いですね、ブラシは毛が柔らかくて小さな物で磨いて下さい」
ペーテ 「それで歯が維持出来るなら試してみたいです」
ダイン 「耳長は木の枝でやってますけどね、何か特別な枝がある様ですね、歯磨き粉など使って無いのに泡立ってましたから・・・大した事ではないのでそれぐらいは教えて上げてもいいのに、もっとも耳長は歯が抜けても次の歯が生えるそうですが、長命には長命の理由がある様ですね」
王都警備隊隊長 「食の衰えは命の衰えと申しますから、私もこの歳になってよく解ります」
ペーテ 「天人様達に比べて人の一生は短いですからね、長く生きる天人様が色々な知恵をお持ちなのは存じてますが、人との関わりを避けています、人の方でもそうです、予言があるのでお互いに警戒してます、でも、まさか外から別の天人様を伴った賢人様が来訪するとは」
王都警備隊隊長 「確かに・・・ですが賢人様はお気を付け下さい、諸侯の間に不穏な動きがある様ですから、もっともこれは賢人様がいらっしゃる前からですが・・・」
ペーテ 「貴方もそう感じますか、街の治安を護る方の言葉ですから私の杞憂ではありませんね」
ダイン 「この国で何かが起ころうとしているのですか・・・国家体制からすれば地方豪族の反乱は十分に考えられそうですが」
王都警備隊隊長 「余り表に出来る話では有りませんが、旗色は示しておくべきでしょうから、我々警備隊は王都を護のが使命です、王都を害する物は何であろうとも排除します、それが賢人様であろうとも・・・」
王都警備隊隊長はダインの事を完全に味方だとは思っていない様だ、だが、現国王への忠誠を示す為に敢えてペーテ王女の前で言葉に出したのだろう、そして、ダインはその言葉に自分が疑われている事を感じ取った。
ダイン 「私は危うい時期に訪れた様ですね、ならば私も名言しておきましょう、私はこの国の内戦に関与するつもりは有りませんが、近しい者が危機に曝されれば迷い無く動きます、その時相手は容赦無く敵を叩き潰します」
ペーテ 「恐ろしいお言葉ですね、肝に銘じておきます」
王都警備隊隊長 「その様な話しを申されては困りますな、我々は王都の治安を護っているのですから」
得体の知れないダインは警備隊隊長の悩みの種になるだろう、三天人の客人という立場は国家の客人ではあるが、何をしでかすのかも判らない、ただ、持つ力は計り知れず今日見せられた一端だけでも敵に回ると危険な事は確実だ。
ペーテ 「いよいよの時は私が交渉に伺います、私への門戸は常に開いてますよね」
ダイン 「今はそうですね、ですが王家が私達の排除を目論むのならば、その時はどうなるか保証出来ません」
王都警備隊隊長 「だからそういう言葉は控えて貰いたい」
ペーテ 「父王には私が十分にお伝えしておきます、賢人様は身内をとても大切になさっていると・・・そして私が身内になる誘いを受けたとも」
ダイン 「今日はそれで十分です、私も屋敷に帰る事にしましょう、色々と遅くなってしまいましたから」
ペーテ 「なら、私の馬車でお送りしましょう、内壁を越えるのは同じですし」
ダイン 「それは助かります、市場組合からの贈り物を貰ったのですが、どう運ぼうかと思案していたのです」
王都警備隊隊長 「集まっていた群衆達も捌けた様なので、我々もそろそろ撤収しましょう、賢人様は今後この様な事をなさる時は事前に我々との協議を行って下さい、今日は上手く行きましたが、次はどうなるか解りませんので」
ダイン 「解りました、今日は色々とご苦労掛けましたね」
ペーテ 「ですが、これでバケルとゾゾンが争う理由も無くなりましたので、直に騒動も収まるでしょう」
王都警備隊隊長 「そうなる事を祈ります、では、私は失礼します」
王都警備隊隊長はその場から去って行く、ペーテは開いた扉から警護の者を呼んで、今後の事を申しつけると、準備が整うまでしばし話が続く事となった。
だが、この場では余り踏み込んだ事は余り話されず、ダインの南部での冒険譚が語られる事となった。
おまけ
ウッド・ベアー級浮遊母艦 ダイン不在の人類大陸遊魔がダイン探索の為に作り出した新しい浮遊母艦で、材料に木材を多く用いている事からウッド・ベアーと名付けられた。
その構造はククジアで運用されている大型運河運搬船を中央に上下二隻、左右に一隻ずつ四隻繋いだ構造で、船体に浮遊航行魔導機関を内蔵する事によって短期間で建造が可能となった。
実際に繋ぎ合わせた四隻の内二隻は運河運搬船として使われていた物を徴用しており、魔龍襲来による人類圏の危機感を利用したのも早期完成を可能とした要因でもある。
だが、木造船は浮遊母艦として使うのに重量過多でありながら強度不足で、建造責任者である七実はその問題を解決する為に、新素材ユーマニスを開発して実用化に漕ぎ着けた。
ユーマニスとは遊魔細胞を使った接着剤や漆の様な物で、木材に塗る事で繋ぎ目の強化と塗布面の強度を向上させ、木材に金属並の強度を与える事に成功させる素材で、ユーマニスの使用で普及型浮遊母艦の建造はダインの想定をも超える速さで進んでいる。
ウッド・ベアー艦内には至る所に木彫り熊が置かれており、その製作者も複数存在する、これは七実の行った願掛けを他の遊魔が真似した結果で、ダイン不在の人類圏遊魔の間では木彫り熊の製作がちょっとしたブームになっている。