宵闇の狼㊦

  避暑地四日目。

  イルはガヴィの仕事の間、大人しく屋敷に留まることにした。

  昨日のことを反省した…所為もあったが、シュトラエル王子がお忍びで避暑地に遊びに来ると連絡があった事の方が大きかったかもしれない。

  お目付け役にマーガが同行すると聞いてガヴィは朝食を食べた後、脱兎の如く仕事に出かけた。

  王家専属の魔法使いマーガが魔法陣で道をつなぎ、シュトラエル王子と共に屋敷に到着した瞬間は、まるで感動の再会であった。

  「イルーー!会いたかったよぉ~~!」

  魔法陣から現れた瞬間にイルに飛びつきぎゅうぎゅうと抱擁《ほうよう》を交わす。

  まるで久方ぶりに会ったような再会の仕方だが、実際は最後に別れてから一週間もたっていない。

  しかしまあ、城にいる時はほぼ毎日顔を合わせているので、久しぶりと言えば久しぶりだろう。

  夕方には城に帰るように言われている王子はその日はどこに行くにもイルにべったりだった。余りの蜜月ぶりに周りも苦笑いである。

  「今日はガヴィ殿はお仕事ですか?」

  王子と一緒に庭の小川で小さな魚を眺めながらマーガが聞く。

  イルは王子の相手をしながら「うん、そうだよ~」と返した。

  「紅の里の跡地にね、皆の霊園を作る計画を立ててくれてるんだ。

  ノールフォールは遠いからしょっちゅう打ち合わせに来られないし、なるべく話を詰めておきたいんだって」

  それを聞いてマーガが流石に彼は仕事が早いですねと言うので、イルは気になったことを訊ねてみた。

  「マーガ様ってガヴィとよく一緒にお仕事するの?」

  マーガは「セルヴォでけっこうですよ」と気さくに言った後「そうですねぇ」と続けた。

  「仕事自体は畑違いですので一緒に、と言う事もありませんが。彼は遠方任務が多いうえに陛下や王子とも近しいですし、割と顔は合わせますね」

  彼は私の事を道をつなげる便利屋かなにかと思っておられる節もありますし。

  そう言ってにっこりと笑う。

  イルはポルトの街のよろず屋、ドムに対するガヴィの態度を思い出して冷や汗をかいた。

  国のお抱え一級魔法使いにも同じことをしているのか。

  固まってしまったイルにマーガは笑みを深くした。

  「貴女がそのように縮こまらなくても大丈夫ですよ。それに私は意外と彼のそんな合理主義なところが嫌いではありませんから」

  使えるものは使えばよろしい、と言い切る。

  「ただ、彼が私を利用した分、きっちりと私も彼を使わせていただきます」

  身近にこんないい研究材料ができて私は幸せ者です、と笑うマーガに、イルは心の中でガヴィに手を合わせた。

  マーガは淡い小麦色の長髪で、武人であるガヴィやゼファーとは対象的に体付きもほっそりしており、額には魔法使い特有のサークレットを付けている。どちらかと言えば女顔で、年の功もガヴィと同じ位に見えるが、若くして王家専属魔法使いになれるなんて凄い実力の持ち主なんだろうなあとぼんやり考えている所に急に話を振られた。

  「レイ侯爵はある種の生き字引みたいなものですから勿論興味深いですが、私は貴女にも興味がありますよ」

  「私ですか?!」

  イルは心底驚いてマーガを見た。

  マーガはそんなイルににっこりとほほ笑む。

  「それはそうでしょう。創世記に出てくる話は今までお伽話の域を出ませんでした。

  それが今、史実と解かり、尚且つ紅の民である貴女が|血の剣《ブラッドソード》を作れることまで証明してくれた。それも獣の姿になれるという特殊能力をお持ちだ。こんなに興味深いことはないでしょう」

  「……でも、|血の剣《ブラッドソード》はこーーんなに小さなものだし、狼になれるっていうだけですよ?」

  こんな話をガヴィと最近したなぁと思う。

  マーガはガヴィと同じようにイルに返した。

  「普通の人間は狼にすらなれません。貴女はその能力のおかげで何度も窮地を潜り抜けて来られたではないですか。

  それだけ、とおっしゃいますが、全滅するはずだった紅の民をただ一人でも生かせたのは貴女の力です。王子や王妃の命をお救いになったのも、その小さな血の剣と貴女の勇気があったからこそ。……貴女は、もう少しご自分に自信をもった方がよろしい」

  自分だけ生き残ってしまったと罪悪感を感じていた。

  剣とも言えぬ小さな血の剣に、一族と比べて劣等感を感じていた。

  それが、見方を変えればこんなにも誇らしいものになるのか。

  「……ありがとうごさいます」

  イルは胸に小さい自信の火が灯ったのを感じながらマーガに感謝の意を伝えた。

  「……それに、創世記に埋もれた赤毛の剣士と現代の紅の姫のロマンスとなればこんなにいい話はないじゃないですか」

  「……へ? ……ええぇぇ?!」

  マーガのトンデモ発言に、イルは顔を真っ赤にさせながら口をパクパクとさせて叫んだ。

  「おや? どうされました?

  ……レイ侯爵をお好きなんですよね?」

  何でもない事のように問われて二の句が告げない。

  「な、なな、なんで……」

  ガヴィ本人にしか告げていないことを、なぜマーガが知っているのか。

  イルの表情だけで言いたい事を察したのかマーガはさらりと答える。

  「イル殿のお顔を拝見していれば解かります。良いではないですか。

  五百年前の紅の姫と結ばれなかった悲恋の剣士が現代の紅の姫と結ばれる。こんなロマンチックな話がありますか?」

  レイ侯爵にも悪い話ではないでしょう、と笑うマーガを見てイルは俯いた。

  「無理だよ……」

  何故です? とマーガが返す。

  「だってガヴィが好きなのはイリヤさんだもん。私の事は妹くらいにしか思ってないし。

  ……それにもう、ふ、ふられてるし」

  マーガがおや、という顔をする。

  「私はガヴィが好きだし、好きになってもらいたいけど……初めから失恋してるんだ」

  そう言って俯いたイルに、マーガはふむ、と考え込むと「イル殿」と語りかけた。

  「レイ侯爵の彼の姫を想う気持ちはとても美しいと思います。

  ……けれどね、過去を想っているだけで前に進まなければ人は成長しません。忘れる必要はないですが、いつか『想い出』にする必要はあります。

  ……人を好きになることは尊い事です。

  変わらない事を大切にするよりも、変わることを恐れない人の方が、私は強いと思いますよ。

  貴女は過去をちゃんと想い出に変えて前を向いている。

  ……その強さが、貴女の一番の魅力でしょうね」

  もし彼がいつまでも過去の恋を美化しているのなら、そんな情けない男は貴女から捨てて差し上げなさい。碌な男ではないから。とマーガに言われて、本人のいないところでろくでなし認定されてしまったガヴィを気の毒に思いつつも笑ってしまった。

  「えぇ~イルはぼくのお嫁さんになって欲しいなぁ~」

  先ほどまで魚と戯れていた王子が、にゅっとイルの膝に入ってきた。

  「だってぼくはイルの事いちばん大好きだし、ええと? しょうらい王様になるからイルのことをお妃さまにしてあげられるよ!」

  にっこり笑う王子が可愛くて愛しくてぎゅっと抱きしめる。

  マーガはそれはいい! と快活に笑うと、じゃあレイ侯爵と決闘ですねぇと面白がった。

  「えー……でも剣はガヴィが強いからなぁ……」

  と急に自信なさげになる王子にマーガは、

  「大丈夫ですよ、最後は権力で黙らせればよろしいのです」

  と、王子にとんでもないことを言ってイルは「セルヴォさん!!」と突っ込んだ。

  さて、不在中に話のネタになっていたガヴィだが、王子が来ているので顔を出さないわけにもいかず、まだ王子やマーガがいる間に屋敷に戻ってきた。

  王子の後ろに立つマーガを見てげんなりする。

  「やぁ、帰る前に君に会えてうれしいよ。今日は時間がないがまた話を聞かせてくれ」

  にっこり笑うマーガに「もう出せる話なんてねーよ!」とぼやく。

  イルはまぁまぁとガヴィをとりなした。

  「今日はお夕飯一緒に食べられないの?」

  イルが尋ねると王子は残念そうに答えた。

  「うん。今日は父上に時間が出来てご一緒できるって聞いたから」

  イルのことも大好きだが、国王陛下のことも大好きな王子を良く知っているのでイルは「じゃあお城に帰ったらまた一緒にご飯食べようね!」と声をかけた。

  「……では王子、そろそろお暇《いとま》いたしましょうか」

  マーガが王子に声をかける。うん、と王子はマーガの側に駆け寄ったがふと自分の手を見返した。

  「あれ? ぼく、図鑑どうしたっけ?」

  昼間、イルと王子とマーガの三人で庭にいた時に、城から持ってきた図鑑を見ながら野草や魚などを見ていたのだ。

  (どうしたんだっけ。えーーと、確か魚を見た後テラスに行って……)

  日差しが強くなってきたのでテラスに入り、三人で午後のお茶にしたのだ。

  そう言えばその時図鑑を椅子の上に置いた気がする。

  「王子! 私とってきてあげるよ! ちょっと待ってて!」

  イルはそう言うとテラスに向かって駆け出した。

  (図鑑、ずかん……っと)

  探している図鑑はイルの座っていた椅子の隣の椅子の上にちょこんと乗っていた。

  「……! あった!」

  手に取り汚れなどないか確認する。

  「早く持って行ってあげよ……」

  テラスから踵を返し、建物に入ろうとしたその時、

  (――え?)

  あの気配がした。

  ガバと後ろを振り返る。胸がドキドキする。肌が泡立つ。

  身体に満ちる、大地のエネルギー。

  振り返った先の茂みからゆっくりと、音もたてずに紅の里で見たあの大きな黒狼がイルの方に歩み寄ってきた。

  (……なんで?)

  大地のエネルギーを纏った黒狼は、イルの前まで来ると静かにイルを見つめた。

  じっと、イルと同じ色の瞳でその瞳にイルを映す。

  「――あなたは、誰なの……?」

  不思議と怖くはなかった。

  同じ黒狼と言う事もあったが、なぜか懐かしさにも似た何かを感じた。

  そおっと暗い緑のような、夜の闇のような毛並みを撫でる。

  宵闇色の黒狼は目を細めると毛並みを撫でるイルの手にすり寄った。

  『イル』

  名を、呼ばれた気がした。

  同じ頃、皆が集まっている場所でマーガは弾かれた様に顔を上げた。

  (?! ……なんだこの気配は?! 魔力エネルギー?!)

  この場にいる他の者は気が付いていない。あのガヴィですらこの変化に気付いていないようであった。と言う事は魔法使いである自分しか解からない魔力の変化。

  「レイ侯爵! 緊急事態だ! この屋敷内にとても大きな魔力を持った者が入り込んでいる!」

  突然のマーガの声に、王子はキョトンとしたがガヴィははっとした。

  「魔力……?」

  先日受けた男爵の報告を思い出す。

  『最近、ノールフォールの森で少し変わった現象が起きておりまして……

  一部で森林の急激な成長が見られたり、近隣住民の間で夜間の森に発光する何かを見たという者や、多少の魔法の心得のある者が森に来ると力が増幅する等の現象が起きるというのです』

  『本当だよ! こんなおっきい黒狼がいたの!』

  重なる、イルの声。

  「イル!!」

  ガヴィは瞬時に駆け出した。

  部屋を飛び出し、全速力でテラスに走る。

  テラスを少し出た先に、通常の二倍以上はあろうかと思われる黒狼が佇んでいた。

  夕闇の中に佇む、仄かに暗い緑に光るような黒い毛並みの黒狼。

  そしてその足元には、ガヴィの良く見知った少女が倒れていた。

  「――――っ! てめえぇぇぇぇーー!!」

  ガヴィは恐るべき跳躍力で一気に黒狼とイルの間に入り込むと、迷わずに剣を真一文字に薙ぎ払った!

  宵闇色の狼はガヴィの渾身の一撃をふうわりと後ろにかわすと少し体制を低くする。

  魔法の使えないガヴィでも、相手が魔力をため込んでいるのを感じた。

  倒れたイルを背後にかばい剣を構える。

  (防げるか?!)

  宵闇色の狼の身体が発光し、エネルギーが集中する。

  恐ろしい咆哮と共に狼の口から凄まじい衝撃波が放たれた。

  ガヴィは吹き飛ばされないように大地を踏みしめたが、実際の衝撃が来る前にエネルギー破は見えない壁に阻まれて霧散した。

  「レイ侯爵! 加勢する!」

  マーガがガヴィの隣に立つ。

  「お前、王子は?!」

  「ちゃんと結界を張ってきた!」

  自分達の周りにも瞬時に結界を張り、続けざまに宵闇色の黒狼に向かって攻撃魔法を打ち込む。

  『魔法使いか……。まぁよい、その娘……近々私が貰い受ける……』

  黒狼はひらりひらりと攻撃魔法を交わすと、そのまますうっと夕闇に溶けていった。

  「なんなんだ……あの狼は……」

  マーガは宵闇色の黒狼が消えた方に向かって訝し気に呟く。

  「おい! イル! ……イルッ!!」

  振り向くと、地面には転がってめくれた図鑑と倒れたイルに必死に声をかけるガヴィの姿。

  先ほどまで元気に喋っていた暁色の瞳の少女は、その光を閉ざしたまま目を開けようとはしなかった。

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