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パラパラと小雨の降り注ぐ、暗い森の奥深く。
どんよりとしたその地の雰囲気は、明らかに天気が悪いだけではなかった。
沼地と形容できそうな、淀んだ色のぬかるんだ地面と水場がまるでマーブル模様の様に地面を形作り、そこから濃い色の葉をつける大小様々な植物や木々が生い茂る事で、暗く独特な怪しさのある雰囲気の土地を作り出していた。
当然人が滅多に近寄らぬその土地に、突如、宙に緑の光の線が現れた。
それは滑らかな動きで円を作り、複雑な模様を形作っていく。
程なくして、直径20cm程の小さな魔法陣が空中に現れ、そして、
ぺいっ。
仰々しい魔法陣に反して、そんなぞんざいな擬音が相応しいかの様に小さな物が下に吐き出された。
べちゃ、と、泥の地面に落ちたそれはーー匹の緑色の蛙だった。急に転送されたからか、上手く着地出来ず頭から地面に落ちていた。
「ぷはっ!? ちょ! もうちょっと転送場所は選びなさいよ!!」
カエルーーラーナが顔を上げて文句を言う頃には、魔法陣は跡形もなく消えていた。恐らく文句も届いていないだろう。
泥に顔を付けたのが嫌だったのか、うぇ、とうめいた。
カエルとしての訓練とやらを終えたラーナは、翌日、魔女エレナの命を受けてこの地に転送された。
水中に生える薬草や、水分を多量に含んだ泥や沼地に生える薬草なんかを見つけて持って帰る…のは無理なので、数日後やってくるエレナの為に見つけておけ、と言うのだ。
無論、現状エレナの使い魔という立場のラーナには、拒否権はない。ただし、出来栄え次第で使い魔を辞め、人に戻れる日が近付くという契約もまた、有効だ。
だけど、と、ラーナは周囲を見渡して思う。
今、四つん這いで立つ地面は、小さなカエルならば沈まないが、泥々の沼地であり、周囲の水場も、パラパラと小雨が降って水を震わせているからか、それとも晴れた日でもこうなのか、全部が全部茶色に濁ってしまっている。そして、多種多様な植物は、小さなカエルの視点からでは、どれもとてつもなく巨大で、全く見たことのない未知のものの様にも見えた。
こんな所で、数日も野生のカエルの様にサバイバル生活しなければならないのなら、もう少し訓練をだらだらしていた方が幸せだったのかもしれない…と思う。
けれど、訓練を終わらせてしまった事実はくつがえらない。そんな後悔なんかしていても仕方がない。
「まずは……ちょっとくすぐったいわね」
改めて、まずは気になったのが、パラパラと降る小雨が肌に当たる感覚。
服も、髪の毛すらもない今のラーナには、雨が自分の体に当たるたびに、なんだかちょっとくすぐったかった。
カエルの姿とは言え、野外で全裸で四つん這いなのは昨日の訓練の時と変わらないとはいえ、雨のせいで余計にそれを実感してしまう。
柔らかな泥の地面に四つん這いで、しかも体重が軽すぎて全然沈まないのも、不思議な感覚だ。
雨宿りできそうな、今のラーナから見て天高くまで生えている草の方へとラーナは移動する事にした。
ぴょん、ぴょんと跳ねるたびに、四肢が僅かに沈んで、先に泥がついて気持ち悪かったが、無事に長く伸びる草の下へと身を潜めた。
「うぇぇ……気持ち悪ぅ…!」
ラーナは前脚同士を擦り付けて泥を落とそうとしたが、両前脚共々泥だらけなのだ。綺麗に落ちる事なんてなかった。
今のラーナは小さなカエルなのだから、清水が少しあれば綺麗サッパリ洗い落とせそうではあるが、そんな物はここには無さそうだった。
しばし、前脚の泥を落とそうと悪戦苦闘していたが、諦めて、はぁと溜息をついて、雨宿りしている草を見上げた。
今のラーナにとっては巨大だが、精々人ならば膝上程度までの高さしかないだろう。こんな植物を葉の裏側から見る機会なんて、そうそうないため、へぇ、と妙に感心した。
ポツポツと、水を表で弾いている音と共に、頭上の草が上下に揺れている。
ちょっと面白いかも、だなんて不謹慎にも思ってしまった。
そんな時、草の隙間から空をゆく翼を広げた鳥のシルエットが目に止まった。
それは大きく旋回すると、急に勢い良く降下し、水中に果敢に脚を突き立てた。
そのまま一撃離脱とばかりに飛び立っていく鳥は、その両足に確かな成果物である、川魚をがっしりと掴んでいた。
ぞくりと、ラーナの背筋が冷たくなった。
もし自分が泳いでいる時だったら、頭上の死角から気付かぬうちに爪で握り潰され、無様な姿であの鳥の食卓に並ぶ事になるだろう。
(あんなのどうしろってんのよ!!)
魔力もないただのカエルに過ぎない今のラーナでは、あの今の自分より遥かに大きい鳥に対して、何もなすすべがないのは明らかだった。
元は人間で魔術師のラーナにとって本来ならば何でもない相手だが、今のラーナにとっては、この世の最強の種ーードラゴンよりも脅威に思えた。
ラーナは実際にドラゴンなど戦った事はおろか、見た事すらない。もちろん、如何にラーナが自信家とはいえ、ドラゴンに勝てるだなんて思っていた訳でもない。
だけど、幾多の魔術と知識を抱え、状況を打破するのが魔術師であるし、所詮はドラゴンなぞ、過去に『伝説の武具を身につけた勇者たち』なる『数人程度』に打ち負かされた記録が残っている程度の最強でしかない。
実物を見てもいない以上は子供じみた空想だ、と言われても仕方がないけれど、何とか逃げおおせるか、命がけで戦えばウロコの数枚はひっぺがせるんじゃないかとすら、ラーナは最強の生き物たるドラゴンにすら思っていた。
そんなラーナが、今や一匹の鳥にすら、なす術一つ思い浮かばず怯えるしかなかった。
ガサッ!
「ひゃっ!?」
いきなりの草木をかき分ける音に、ラーナは文字通り飛び跳ねる程に驚いた。
音がした方を振り向けば、腰にボロ布を巻いただけの、緑の肌の亜人ーーゴブリンが3匹程、辺りを見渡しながら歩いていた。
ラーナの鳴き声ーーラーナの言葉が分かるのは、使い魔契約で繋がっている魔女エレナと同じ使い魔のインプのジースだーーを聞いてか、ゴブリンの視線がこちらの方を向いた。
ズン、ズンと、ゴブリンたちの泥だらけの足がこちらに近づいてくる。
わざわざ雨の中、群れの食料でも探しに来たか! それで、丁度良さそうなカエルの鳴き声が聞こえたから近付いて来たのだろう、と、ラーナは即座に判断した。
カエルなんて、地域によっては人だって食べる。ラーナはカエルを食べるなんてごめんだが、人よりも野蛮な生活をしているゴブリンなら、さしずめ一人で食べるにはちょうど良い肉の大きさだろう。
「う、うわぁぁぁぁーーー!!!」
今のラーナにしてみれば、雑魚のゴブリンだって、絶対に勝ち目のない巨人に等しい。
叫び声を上げて、逃げるべく茶色く染まった水へと飛び込んだ。
[newpage]
こんな、茶色く染まった土色の水に飛び込むなんて、本来のラーナからしてみれば絶対いや! と言うところだが……飛び込んでみたら、何の事はなかった。
多少視界が薄茶に染まっているものの、思ったよりも鮮明に水中の視界が見え、泳ごうと四肢を動かしたら、普通に前へと進む。
人間だった時よりも、泳ぎに関しては全く苦にならない。人間だった時は泳ぎはキツいし苦しいしだったが、カエルの今の姿ならキツくも苦しくもなく、普通に進む感覚がする。
ゴブリンを撒くために、水面ではなく、深く潜って泳いだが、全然息も苦しくならなかった。
少しして、ぷかりと水面に浮かんで、すーい、すーいと泳ぎ、反対側の泥の地面へと、ぺたぺたと這い出した。
はー、とラーナは空を見上げて息を吐いた。
土色の水の中も何てことはなく意外と快適で、泥の地面を四つんばいでペタペタ進んだのも、体が軽くて沈まないせいか、意外と不快感が無い。
一息ついて、思い起こせば、うぇ、と思いたくなる体験だが……水中の獲物を求めて急降下する野鳥や、雨の中獲物を探していたゴブリン何かを思い起こした。
今のラーナはただのカエルである。ゴブリンは愚か、猫なんかよりも小さい野鳥やら、下手するとネズミにすら負けかねない、10cm程のカエルだ。
そのカエルが、一々泥の水を泳ぐ事やら、跳ねる事やら地面の感触やらに不快に思っていては、格好の的でしかない。このままでは、あっさり何かに食われてカエルのまま生を終えかねないのが、嫌という程に分かってしまった。
元の姿に戻るまで、カエルとして生きる。その覚悟をしかと決めなくては、この先、生き残れない。
覚悟さえ分かれば、ラーナは、元は魔術師で旅の身であったのだ。人間の物ではあるが、野外生活や野宿の際の心得は分かっていた。
視界に映る、身を隠せそうな草が茂っている場所へと、ぴょこんぴょこんと跳ねだした。
この緑の小さな体を隠すには絶好の場所であると同時に――カエルにとっての有益な事が、もう一つあるはずだ。
何度も何度も跳ねて、ぬかるみの地面に生える、鬱蒼とした茂みに辿り着き、ラーナはカサカサと草を揺らしながら、草の中へと紛れ込んだ。
生身に知らない植物が当たる感覚がくすぐったいが、一々構ってなど、もはやいられない。
だが――植物以外の、もう一つの目的を見つけると、うっ、と、顔をしかめざるをえなかった。
草の中、名も知らぬ白い小さな花が咲いており、そこに虫が近寄ろうとしているのが目についた。
――そう、カエルにとってのご飯、虫である。
パラパラとした雨の中、無理矢理飛んでいるせいか、動きは遅く、カエルになりたてのラーナでも、昨日のぶら下げられた鶏肉を取った訓練を思い出せば、容易に舌で捕らえられそうではある。
あるが……元は人間の女の子であるラーナにとって、舌を伸ばして虫を捕らえて食べる。というのは、やはりとてつもなくハードルが高かった。
本来、膝程度の高さの光景を見上げながら、ラーナは前足を伸ばして顔を上げた姿勢で、硬直してしまった。
嫌だ。絶対嫌だ。と感情が叫んでいる。
だけど、と理性が必死にせめぎあっていた。野外生活では、飢えてはいけない。飢えて弱っては格好の獲物になって死へと一直線だ。そしてそれは、カエルのまま死を迎える事になる。
出来るだけ飢えず、かといって動きが鈍くなるほどに満腹になってもいけない。それが、野外生活での心得の一つなのだ。
見れば見るほどに嫌になるが、かといって拒否をしたら死へと一直線だ。超一流の魔術師を目指してきた自分が、こんな、泥だらけの沼地で、カエルとして無様に死んで良いものか。
それぐらいならば、一時的にならば無様にカエルとしてでも、生き抜いて、再び返り咲いてやる、と心に決めたはずなのに、どこかで心が嫌だと叫んでいるのせいで、中々食べるために跳ねて、舌を伸ばすという行為を実行に移せず固まってしまった。
(あっ)
そうこうしている内に、花によっていた虫は、蜜でも吸い終えたのか、花から離れようとしていた。
今日は雨だ。虫の行動も活発ではないだろうし、これを逃せば次の獲物がいつ来るか分からなかった。
意を決して、ラーナは虫に向かって思いっきり跳ねて、精一杯口を開けて、舌を放った。
完全にこちらの存在を気付いていなかった虫はあっさりそのまま舌に絡め取られ、舌がまるでゴムの様に、ラーナの口へと虫ごと潜っていった。
ごっくん。
そのまま目を閉じれば、一気に舌で捕らえた虫が、喉へ通っていった。
(……あまにがじょっぱい)
訓練での鶏肉には遠く及ばない。雑味やら苦味やら、甘みやら、色んな味が混ざっていた。
虫本来の苦味と、血の味のせいか鉄の味と、それから、花の蜜のお陰か、僅かな甘みと。
カエルには歯が無く丸呑みする生き物のせいか、歯ごたえは感じず、味を感じるのも一瞬だったのは、幸いかもしれなかった。
うぇ、と吐き出したくなる気持ちを、精一杯抑えて、ラーナはペタペタと四つんばいで方向転換をして、隠れるにも、獲物を待ち構えるのにも絶好のポジションへと、戻っていく事にした。
そして、す、と、ギョロリとしたカエルの目を閉じた。
野外生活や、野営での心得の二つ目。それは、自分が安全と決め付けた場所で堂々と休む事だ。
一人、もしくは少人数での野外活動では、完全にリスクをカバーする事などそもそもが不可能なのだ。
それをやろうとすると、夜も眠れず体力精神力をじりじりと削られて、結果、弱った所が格好の獲物となり、魔物や肉食動物に倒される。
それをラーナは良く知っていたので、ある程度体を隠せるここを、とりあえずの寝床として休む事にした。
今日は初めての事が多く、体力も精神力も大きく削ってしまったから、意識的に回復するべきなのだ。
[newpage]
ラーナが森の奥の沼地に飛ばされてから数日が経った。予定では後2〜3日の後に、ラーナを迎えに、また、ラーナが見つけた薬草を回収しにエレナが来る。
ラーナはそのために、何箇所か指定された薬草が生えている場所を見つけ、毎日そこを見回っていた。
いざ、エレナが到着した頃には、他の動物や魔物が食べていました。では、怒られておしおきされかねないと踏んでの行動だった。
跳ね回って地上に生えている薬草を数箇所確認し、土色のの水の中を泳いで水中に生える別種の薬草を確認し、そして最後の一箇所の見回りを終え、ラーナはその薬草が生えているぬかるみの地面の草むらに潜み、今日の狩りをする事にした。
出来るだけ淡々とこなす様にしているが、ありとあらゆる物が自分より遥かに巨大で、這う様な低い視界をぴょんぴょんと揺らしてしか満足いく速度で移動出来なくて、土色の水をいかにもカエルらしい泳ぎで泳がなくてはいけない事実に、自分はカエルなんだと、心にゆっくりとトゲを指す様に、ラーナを惨めな気持ちにさせた。
辛うじて、泳ぐ時は冷たい水の感覚と人間よりも遥かに水中を楽に泳ぐ感覚が楽しいとは感じられたが。
特に、虫を舌で捕らえる狩りの時間は、一番心を冷たく堅くしなければやってられなかった。
斜め上を見上げるラーナの視界の中央に、羽虫が飛んできた時、ラーナは思いっきり跳ねて、舌を伸ばした。
そのまま舌で羽虫を捉えて、着地と同時にごっくんと飲み込んだ。味は、出来るだけ感じない様に努める。
「……お。カエルの狩りか」
ふと、空からそんな声が降ってきた。
見上げれば、泥だらけだがしっかりしたつくりのブーツと、恐らく背中に背負っているのだろう、大振りな剣の切っ先が目に入った。
10cm程の大きさしかないラーナには、かなり離れてくれなくては、人の顔まで見上げる事が出来なかった。
恐らく、珍しい物が見えたから思わず独り言が漏れた、といった所だろう。普段意識してカエルなんかを見るとしたら、動物学者か子供くらいだ。
男――声は男の物だった――からしてみれば、その程度だろうが、ラーナは頬がカーッと熱くなった。
「う、うそっ。何でこんな所に……見られたの?」
うら若き乙女が、ピョンと跳ねて舌を伸ばして虫を食べていた。というのを人に見られた事になる。今は見た目も全てカエルとはいえ、そんな光景人になど見られたくもない。
「おっ、やたら元気に鳴くな」
何て、まるでラーナの声が聞こえてないかの様に、男は呟いて、ブーツを泥地に沈み込ませながら、近づいてくる。
一歩一歩、小さなラーナにしてみれば、巨大な足が上下して近づいてくるのは果てしない恐怖だ。
「きゃっ、ちょっ! 危ないわねぇ!!」
あわあわと跳ね回り、慌てて男の進行方向から逃げる。
だが、男はカエルを踏みつけるでも、捕まえるでもなく、ラーナのいた場所よりも更に先へと歩いていく。
「ちょ、ちょっとっ! 聞こえてるのっ!? 気をつけなさいよっ!!」
「あー、さっきからやたらゲコゲコ五月蝿く鳴くな。サカッてる季節でもねーだろーに」
煩わしそうに、体を捻って振り返ってきた。
ゲコゲコ?? と、ラーナは一瞬首を傾げ、そして、思い出した。
エレナとジースとは普通に話していたが、そういえば、今のラーナの言葉が分かるのは、使い魔契約によって繋がっているエレナとジースのみのはずである。
他にエレナの使い魔がいればそれらとも話せる可能性はあるが、目の前の男がそうである可能性は無い。
目の前の男からしてみれば、今のラーナは人間というここらじゃ珍しい生き物を見つけて興奮してゲコゲコ鳴いているだけ、に過ぎないのだろう。
あまりに煩わしかったのか、男はブーツを履いた足を持ち上げ……
「な、なに…?」(げこっ…!)
べしょ、と泥を蹴り上げ、ラーナへと放った!
踏みつけられないかと、全身緊張していたラーナは、回避行動も取れずに、重たい泥が正面から当たって、そのまま泥の重みに潰される様にひっくり返ってしまった。
「……っ!」
声も出せず、いきなりぐちょっとした重量に押しつぶされて、ひっくり返ったままジタバタする事しか、ラーナには出来なかった。
攻撃とも言えない攻撃に成功した男は、喜びの声を上げるでもなく、何やらラーナが潜んでいた草むらをがさごそとしている音だけを響かせていた。
必死に四肢をジタバタさせて、何とか泥を払いのけて、姿勢を整えて、目を開けた。
負けん気の強いラーナは、このぉ! と思って、どうにかこの男からやり返してやろうとにらめつけようとした、が、男はしゃがみ込んで、ラーナから背中を向けて何かをしていた。
男はカエルのラーナになんて気にも留めず、目的の物を見つけたのか、満足そうに声を上げた。
「おっ、あったあった。」
男がしゃがみ込んだ位置からして、恐らく手を伸ばしているのは――ラーナが探し当てた、エレナから頼まれていた薬草だった!
元より、魔法薬を作る様な、魔法と薬に知識がある人にとってはそこそこポピュラーな薬草だ。魔女ではなく、街で過ごす魔術師が冒険者宛てに依頼を出したとしても、なんらおかしくはない。
ずぼり、と泥の地面から、さしたる苦も無く、20cm程の高さの薬草を次々と抜いていく。
「ちょっとっ!! それわたしが先に見つけたんだからっ! 取らないでよっ!!!」(けろっ、けろけろっ、げこっ!!)
ラーナの鳴き声なぞ、もはや意にかえさず、次々と薬草をむしっていく背中。
思わずラーナはその男の背中へ飛びかかった。
精一杯ぴょーーんと跳ねて、べちゃり、男の背中の、ベルトの上辺りに張り付いた。
「っ! なにしやがるっ! このカエル!!」
たかがカエルが、積極的に人間にちょっかいをかけるなど、この男は考えもしなかったのだろう。
背中に手を回して、むんずとラーナを掴みあげた。
「ぐぇっ!?」(ぐぇっ!?)
男の無造作かつ力任せの握りこみに、ラーナは上手く声が出ない。出た所で、カエルの鳴き声としか認識されないのであるが。
「これ以上騒ぐ様なら、焼いて食っちまうぞっ!!」
言いながら、立ち上がって大きく振りかぶって――ラーナを思いっきり、放り投げた!
「きゃああああああーーーーーっっ!!」(げこーーーーーーっっ!!)
カエルのジャンプとは比較にならない程、大きな放物線を描き、ラーナは宙を舞った。
そして、ぽちゃんっ! と、茶色い水の中に、軽い音を立てて落下した。
目まぐるしく視界が変わる。とはいえ、もう大きく投げられるのは、忌々しい事に、インプのジースに何度も水泳訓練と称されてやられている。
水に入った感覚と、水の中の視界を確認すれば、すぐさまぷか、と水面から顔を出した。
男は薬草採取を終えたのか、立ち上がって別の場所へ歩こうとしている所だった。
他のラーナが見つけた薬草の場所も取られるんじゃないかと思ったが、次に見つかれば本当に食われかねないし、薬草採取を止めようもない、
背中にカエルがへばりついた泥の跡を付けた男の背中をただただ見送って、薬草が無事である事を祈るしかなかった……。
[newpage]
薬草採取に男が来て、そして帰って行ってから、更に数日。
結局、男が薬草を採っていかれた分の遅れを取り戻せないまま、魔女エレナがこの沼地へとやって来た。
男が採っていった薬草はたったの一種類だが、その一種類はラーナが知る限り、全て持ってかれてしまった。
僅かに残った分も、次に採る事を考えたら、増えるのを待った方が良い量しか無い。
ラーナがぴょんぴょんと跳ねて先導しながらの報告を、箒で横座りになって、足をブラブラさせながら付いていくエレナが聞いていた。
「ふぅん。残念。まー誰の物でも無いから、仕方ないっちゃ仕方ないケドさぁ」
エレナの声は不満顔だ。きっと振り向けば、頬を膨らませている事だろう。
「……で、それ数日前だよね。それからボクが来るまで新しいのは見つからなかったんだ?」
「し、仕方無いでしょーーっ! 元々……カエル、じゃ行けるトコなんて限られてるんだし」
「んー、じゃ、ガラス玉の数は考えなきゃね♪」
ぐ。とラーナは口元をゆがめた。この魔女から666個のガラス玉を受け取った時、ラーナは使い魔契約から開放され、人に戻れる約束だ。
薬草の場所まで辿り着けば、ラーナは止まる。
エレナの魔法によるものか、薬草は誰も手を触れていないのにひとりでに地面から抜け、まるで手で軽く振るうかの様に空中で震えて泥を落とした後、すいーっと箒に乗るエレナの目の前に移動する。
エレナは少しの間薬草をしげしげと眺めた後、うんっ、と満足げに頷いた後、ぱっとその薬草が消えた。
魔法で異空間へとしまったのだろう。いかなる大魔法か、それを見上げていたラーナには想像もつかない。
それを事もなげに満足行く量が採れるまでエレナが繰り返しているのを、ラーナは見上げていた。
昨日の男はブーツを泥だらけにしながら歩き回っていたが、エレナは箒に乗り、歩けば泥だらけになるぬかるみの地面に足をつける事も無く、移動も薬草を引き抜くのもこなしている。
「それじゃ、次は水中の薬草だねーっ。」
「……どうするの?」
「ラーナ、ゴーッ! ラーナと視界共有して、ラーナが見つけたら、ボクが魔法で引っこ抜くから」
事もなげに笑って、茶色く染まった水面を指差すエレナ。
土色の水に飛び込むのはエレナだってゴメンで、全て、使い魔でカエルの姿をしているラーナに任せようって魂胆なのだろう。
もちろん、ラーナには拒否権など無いワケだが……。
「はいはい。……分かったわよ。」
せめてもの、ぞんざいでちょっと嫌そうな「はいはい。」を聞かせ、ぴょんぴょんっ、とラーナは跳ねて、水の中にぽちゃんと飛び込んで、潜っていった。
その後、水中の水草も、エレナ本人の目からは見えていないはずなのに、宣言通りラーナの目の前で動くのを見て心の中で驚嘆したのだが、そんな事絶対エレナに悟られてやるもんか。と、ラーナは努めて平然と振舞う事にした。
薬草がエレナの魔法で引き抜かれなくなった時、エレナの声が脳内に響いた。
使い魔とのテレパシー能力だ。
(お疲れー♪ もういいよラーナ。戻って来て)
(はいはい。)
努めて平然に受け答えし、四肢をカエルらしく動かしながら、水面へと戻っていく。
「一先ずはお疲れさまーっ! ラーナッ♪ 次の指示があるまで、カゴの中で大人しくしててね?」
「わっ、きゃあっ!?!?」
水面に浮かべば、すいっ、とラーナの体が宙へとひとりでに浮き上がった。思わずジタバタと四肢を動かすが、宙に浮かんだ状態では、ただジタバタするだけで何の影響も無かった。
「あはっ、面白い動きーっ! 新手の踊り??」
「うっさいっ! 驚くに決まってるじゃないっ!!」
恐らく薬草を採った時と同じ魔法なのだろう。そのまま、いつの間にかエレナの箒に引っかかっていた、透明なケージへと、すいーっと吸い込まれる様に、ラーナの体が引っ張られていく。
「それじゃ、いくよーラーナッ! 帰ったらご飯にする? お風呂にする? そ・れ・と・も……」
「……それとも、なに?」
「……ジース?」
それともの続きを考えてなかったのか、エレナはカクン、と首を傾げて言った。
「アイツ相手に何しろってんのよ! はぁ、一先ずは綺麗な水で体を洗いたいわ」
あの意地の悪いインプの相手をさせられたら、どんな目に合わされるか分かった物ではない。
それに、食事の前には手を――この場合は体全体を――洗いたかった。
「それじゃ、いっくよーっ」
エレナは、ふわりと、箒の高度を上げた。ラーナの入ったカゴもゆらゆらと揺れて、ラーナは「うわ……っ!」と慌てふためいたが、この状況では何しても無駄だと、すぐに悟った。
相変わらずエレナはラーナを使い魔扱い、オモチャ扱いするが、それでも、ラーナにとっては久々に言葉が通じる話し相手だった。
何だかんだ言って、完全にカエル扱いするでもなく、それなりに言葉を交わせばラーナ個人を認めてくれてはいる。
エレナの家に帰るまでの空の旅での軽口も、多少心地よいものだとラーナは感じていた。
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