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【17】穏やかなひとときに感謝を。

  「動いた・・」

  思い描いたイメージ通りに、水が動いた。

  まるで手足のように、意識した通りに動いた。

  「動いた・・」

  魔法・・正確には、自身の魔力を水に浸透させて水を操る「水操魔法」という・・魔法が発動する最低限の魔力を持っていれば、5歳の子どもでも使える初歩中の初歩の魔法・・

  いつもの様に、水が弾けるわけでも無く。消えるわけでも、増えるわけでも、器が壊れるわけでもない・・

  ごく普通の、当たり前の結果が出ただけ・・

  「動いた・・」

  だが、その当たり前の結果を、どれだけ待ち侘びた事か・・

  視界はとっくに歪みきり、喉の奥が苦しくなって嗚咽が零れる。

  ああ。やっと、やっとだ。やっと手にした。

  家族に・・周囲の人たちに、これで漸く報いる事が出来る。

  落ちこぼれ、死にぞこない、役立たず、金喰い虫・・

  もう、そんな言葉に耳を塞ぎ背を向け、どうしようもない悔しさに拳を痛める事も無いのだ。

  喜びと、感動と、嬉しさと・・僅かな戸惑いと不安もない交ぜにして、全てが涙になって両目からぼろぼろと零れて行く。

  両手で押さえ、拭っても拭っても止まる気配が無い。

  そこへ、ふわ。と、手の甲に柔らかい感触。

  顔を上げると、鏡の向こうからアヤが二本の棒で器用に布を挟み持ち、差し出していた。

  「これ使って良いから。顔拭きなよ」

  「・・・・感謝する」

  優しい配慮に礼を伝え、受け取った布は何とも言えない柔らかさだった。

  目元を押さえ、涙を吸わせる為に顔に押し付けると、詰まった鼻でも僅かに花の香りを感じる事が出来た。

  女性の物特有の、優しい香りに何故だがとても安心して、力んでいた身体から余計な力が抜ける。

  顔に押し当てた布越しに何度か深呼吸して、ようやく涙が止まった。

  ずっ。と鼻を鳴らしながら、なんとも格好のつかない鼻声でアヤに礼を言う。

  「すまない。助かった・・この布は洗って返す」

  「いんや。気にしなくて良いよ~。そのまま返してくれる?」

  「・・・そうか?分かった」

  言われた通り、涙でしっとりとしてしまった柔らかい布を返した。

  アヤは受け取り微笑むと、ほっと息を吐く。

  「落ち着いたみたいで良かった・・・何か飲む?」

  「有難い・・何か温かい物があれば助かる」

  「おけ~」

  そう言って、アヤは物を冷やす箱から取り出した何かをカップに注ぐと、例の調理箱に入れて戻って来た。

  「いまミルクを温めてるからね?甘くしても大丈夫?」

  「ああ。多分平気だ」

  「了解」

  会話は途切れ、互いに無言でいるものの雰囲気は悪くない。

  静かな時間が暫く流れ、不思議な音がするとアヤは席を立った。

  調理箱からカップを取り出し、何かを入れて混ぜると味を確かめて戻って来る。

  「はい、蜂蜜入れたから甘いよ~。熱いから、混ぜて冷ましながら飲みなね?」

  「分かった」

  厚みのある、茶色く丸い板状の物をカップの底に添えて、スプーンの入ったカップを差し出され受け取る。

  持ち手に指を掛けて口元に寄せると成程、熱を感じた。

  マナー的にはよろしくないが、ここにはそれを咎める者も居ないのだしと開き直って、アヤに言われた通りスプーンで真っ白なカップの中身を混ぜ冷ます。

  そろそろかと一口啜ると、熱と共に優しい甘さが舌に広がり、続いて胃の腑に落ちた熱が臓器の形をありありと伝えて来た。

  一瞬で体温が上がり、詰まっていた鼻が広がり通る。

  「・・・美味い・・」

  「良かった。ゆっくり飲むと良いよ・・私はここに居ても平気かな?」

  「ああ・・居てくれて良い」

  「了解」

  そう言うと、アヤは色鮮やかな表紙の本を取って来て、鏡の前で読み始めた。

  静かな空間に、アヤが本を捲る音だけが響く。

  湯気の立つカップを傾け、中身が半分以下になった頃にはうっすら汗を掻いていた。

  籠る熱を逃がそうと、首元まである襟のボタンを外して開く。

  そうして、またカップの中身を一口啜ると、自然と言葉が溢れ出た。

  「ありがとう、アヤ」

  本から顔を上げ、こちらに向いた視線を真っ直ぐに見返しながら、言葉を紡ぐ。

  「本当に、感謝する。初めて・・初めて魔法を失敗することなく発動する事が出来た」

  「・・そりゃ良かった。おめでとう」

  「アヤのお蔭だ」

  「・・・ん~。んな事ないよ。アド君が腐らず、諦めず、努力してきた結果だと思うよ?私はほんの少し手助けしただけだし」

  「それでも・・アヤが知識を与えてくれたお陰には変わりない。本当に、ありがとう」

  感謝の気持ちを込めて、思いよ伝われとばかりに熱く語れば、少し呆れた様子でアヤは答えた。

  「もう。強情だなぁ・・はいはい。どういたしまして」

  諦めと共に感謝を受け取って、苦笑した恩人は本をパタリと閉じた。

  〇・〇・〇・〇・〇・〇・〇・〇・〇・〇

  滂沱とは、まさにこういう状態を言うのだろう・・

  そう、目の前の青年を見て頼子は思った。

  最初は泣き出した青年にすわ『失敗か?!』と焦ったが、俯き両目を手で覆う姿から、悲壮感は感じられない。

  どうやら嬉し泣きらしいと察して、ほっと肩の力を抜く。

  そのまま少し様子を見たが・・泣き止む気配が無い。

  幼子のように青年の呼吸は震え、溢れる思いを全部涙に変えて泣いているかのようだ。

  ・・昔は病弱だったそうだし、泣くのは結構体力を使う。

  このまま泣き続けて、体力を消耗したら風邪などひいてしまうかも知れないと思い、とりあえずはと菜箸でハンドタオルを差し出した。

  すると漸く青年は泣き止んでくれ、安心からほっと息を吐く。

  タオルを返してもらい、ホットミルクに蜂蜜を垂らして提供した。

  カップを受け取る青年の啜る鼻は赤くなり、目元は泣いただけでなく擦ったからか、赤く腫れぼったくなっている。

  だが、その美しさはちっとも損なわれていない。どころか、幾分幼く見えて可愛さが増していた。

  お酒を飲んでいた事だし、青年の歳を二十代前半くらいだと予想していた頼子は、思いの外感情的に泣くその様子からひょっとしてもっと若いのかな?と思い至った。

  至ったが・・・まぁ今更態度を改めるのも面倒だし、真実は箱を開けて確認しなければ確定しない。

  棚上げ・・臭い物に蓋・・シュレディンガーのなんちゃら。

  とにかく精神的な安寧の為にも、知らなければ「知らなかったし」で済む問題もあるのだ。

  頼子は我が身可愛さに、青年の年齢確認をスルーした。

  その後、魔法の発動が無事成功した事で礼を言われたが・・

  礼を言われる程の事をしたつもりの無かった頼子は「青年自身が引き寄せた結果だ」と言い返した。

  こちらとしては青年を弄り倒した対価をこなしただけだ。

  そういう契約だったのだし。

  と、まぁそう思ったのだが・・

  あまりに真っ直ぐ向けられた視線になんだかムズムズして、感謝を固持する青年に根負けした形でその気持ちを受け取った。

  「さて、どうする?「水」は終了したけど、次は何を学びたいとかある?」

  「そうだな・・一先ずは水魔法がどこまで使えるか試してから考えたい」

  「了~解。じゃあ決まったら教えてね」

  「分かった・・・その。アヤの方は・・付き合って欲しい事は、あるか?」

  「ん?そうね~予定まで三時間ぐらいあるし・・今日は映画にでも付き合って貰おうかな?」

  「えいが?」と首を傾げる青年に、簡単な説明をする。

  「そ。さっき小難しい内容を動く絵で見たでしょ?」

  「あぁ。あれが「えいが」というのか?」

  「ちょっと違うかな・・あれは単に動く絵で「動画」ってやつ。映画はね~」

  そこでタブレットに「となり〇トト〇」の画像を表示して見せた。

  「こういう色の付いた絵が動いて物語になってる作品のこと。基本、絵のやつは「アニメ映画」で写真・・えーと」

  そこでスマホを取り出し、自撮りをパチリと一枚。

  その画像を画面に表示して、青年に見せながら説明を続ける。

  「こうして、目に映る光景をそのまま保存できる道具があってね?それで役者が演技する様子を動く絵として作品にしたやつを「実写映画」っていうんだ」

  「・・・少し待ってくれ・・理解が追い付かん・・」

  青年が頭痛を堪えるように眉間を揉んで顔を顰めている様子に、はたと思い至った頼子は席を立ちながら言った。

  「目。腫れぼったくて辛くない?冷やすもの持って来るよ」

  そのまま返事を待たずに返却されたハンドタオルを手にシンクに向かう。

  ボウルを取り出して氷をざらっと入れ、水を足してハンドタオルを浸した。

  ボウルの中で軽く濯いで、ぎゅっと絞った後鏡台へ戻る。

  「はい、冷やしタオル。目元に当てると気持ちいいよ?」

  一度広げ、三つ折りにしたハンドタオルを受け取った青年は眉間に皺を寄せたまま、素直に目元をタオルで覆った。

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