秋場所 14日目

  三段目

  たつおうしよう勝ち越し ほくとさかえ負け越し

  せんほう勝ち越し きりんりゆう負け越し

  きよのうみ勝ち越し ながむら負け越し

  幕下

  六勝一敗が七名。

  はやなみ勝ち越し まるしよう負け越し

  ことつばさ勝ち越し ふじとうし負け越し

  ふかゐ勝ち越し みねやいば負け越し

  十両

  一山本が一敗

  大の里が二敗

  四敗が三名

  ※今日一山本が勝てば、優勝可能性が無くなる。

  

  幕内

  三敗二名、四敗四名

  湘南乃海、勝つて七勝七敗に。

  熱海富士勝ち。

  「能が無いバカ」「うざい」「ださい」「恥づかしい」「カス」「姑息」

  「元優勝者がする相撲ではない」「だめだわ」「せこい」「きらい」「しらける」

  変化の相撲に対する、悪口のオンパレードだ。

  「持ち味は意外性」「変化してこそ これぞ阿炎の形」「勝ちにこだわるならむしろ褒める」「むしろ尊敬」「変化していいから勝つて」「きらいだけど頑張つて」

  「かつこわるい」「情けない」

  ここらへんはファンつぽい。

  変化せず当たつて勝負してほしい人、また、変化を一つのスタイルとして認めるファンもゐる樣だ。

  「平幕ならやつても良い」と容認するコメントもあつた。

  結び

  豊昇龍、勝つて7-7に。

  貴景勝、四敗に。

  蛇足

  昭和59年9月場所で、東序ノ口50枚目の佐野(二所ノ関部屋)が、13日目の七番相撲を終えて7連敗。更に14日目に組まれた八番相撲でも敗れて「0勝8敗」。これは幕下以下1場所7番制導入以降、史上初の「1場所で0勝8敗」の公式記録で、後述の服部桜(こと勝南桜)及び肥後光が記録するまで長らく唯一の例とされていた。 - ウィキペディア「[[jumpuri:八番相撲 > https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%95%AA%E7%9B%B8%E6%92%B2]]」より

  服部桜、不名誉な記録を残してゐますね……。

  平成31年3月場所に史上二人目の0勝8敗。

  令和初の0勝8敗、改名した[[rb:令和3年 > おととし]]1月場所でも0勝8敗……。

  計4度の8敗を喫してゐます。

  令和3年9月場所で、肥後光が史上三人目の八敗力士となつた。

  今年で35歳、三場所連続で全敗し、まだ勝ち星を挙げてゐない樣です。

  [[jumpuri:相撲レファレンスさん > https://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=2905&l=j]]を見て気付いたのですが、「番付外」といふのもあるのですね。

  序ノ口全休で陥落、または前相撲全敗でなるさうです。

  前相撲については令和2年9月場所では行はれず。

  新弟子検査合格1人=モンゴル出身の為、翌場所以降。

  番付外からの参加者は1人きり。

  この年の3月場所の新序出世披露はコロナ禍で行はれず。

  翌7月場所の初日取組開始前に行はれたといふ。

  [[rb:令和3年 > おととし]]3月場所では前相撲は実施されず、新弟子検査の届け出順に序の口に記載された。

  [[rb:令和4年 > きよねん]]3月場所も同様。

  いや今年の春場所もやらへんかつたんかい。

  今場所の前相撲参加者は六名。

  新序は二名で、[[jumpuri:恒例通り中日の三段目の途中に新序出世披露行はれた(スポニチ)。 > https://news.yahoo.co.jp/articles/96d30fad83655442fe09af72d37d0bc5de017b48]]

  ウクライナ・ビンニツァ出身の安青錦(あおにしき)、本名ダニーロ・ヤブグシシン。([[jumpuri:スポニチ > https://news.goo.ne.jp/article/sponichi/sports/sponichi-spngoo-20230912-0105.html]])

  京都出身の山田。([[jumpuri:時事通信 > https://news.yahoo.co.jp/articles/f93619818f8c9808cf0ddc791f0d5adcc0f1d9c1]])

  チョイジルスレン([[rb:第百回 > 昨年]]学生横綱、幕下15枚目格付き出し)、ダライバートルの二人は、興行ビザ取得後の来場所以降から初土俵。

  ともにモンゴル出身で、日体大相撲部であつた。

  大の里(中村泰輝)も日体大出身であり、学生相撲でチョイジルスレンに敗れ、準優勝になつてゐる。

  

  人数が多い春場所では、三回に分けて行はれるらし。

  再出世力士の披露は現在では行はれてゐない。

  前相撲は、番付に載るための技量を審査するための取組である。

  かつては1勝しないと出世は認められなかつた。

  江戸期には前相撲→相中(中)→本中→序ノ口だつた。

  最初期の江戸相撲では、前相撲から番付に載せてゐた。

  相中は明治期に無くされた。

  囲碁の大手合ひみたいなものか。いや、全然違ふか。

  

  昭和19年春場所まで、「飛び付き」といふ方式で行はれてゐたらしい。

  まだ大相撲の土俵に柱があつた時代か。(71年前の昭和27年9月場所より撤去。)

  1973年(昭和48)より、本中と飛び付きを廃止。仕切りをする樣になつたといふ。